リカちゃんのおばあちゃんは人形遊びをするか?

リカちゃん人形シリーズで、「おばあちゃん」が新発売になったのだそうだ。

人形遊びは、ままごと遊びのミニチュア版なので、
これまで発売されてきたパパ、ママ、ボーイフレンド、双子の赤ちゃんなどは
まあわかるとして、おばあちゃん人形は、わざわざ作る必要があったのかな?と
ちょっと疑問に感じていた。
どうも子どもが欲しがるキャラという気がしない。
何か買ってもらえるとしたら、服や家具・小物、お友達の方がよほど魅力的だろう。
家族構成を全部揃えたいのなら別だが。

そんなふうにモヤモヤと考えていたところ、
先頃放映された「孫ビジネス」を扱ったNHKの番組であっけなく解決した。

当のおばあちゃんが買うのだった。

「孫のお人形遊びに『おばあちゃん』がなくて寂しい思いをしていたけれど、
 これで仲間に入って遊べます」と、
本物のおばあちゃんが言っていたのを見てのけぞるほど驚いたのだが。

孫と遊ぶって、そういうことかー?と。

それは、遊んで“やる”のではなくて、孫に遊んで“もらう”と言うのだ。

情けない・・・・と感じるのはへんくうな私だけだろうか?


たぶん私なら、孫と遊ぶとしても、絶対におばあちゃん人形なんか使わない。
もちろん「リカちゃんを貸せ!」とやるわけでもなくて(笑)。
何の役でもいい。森のリスでも小鳥でも、幼子が「やって」と言えば相手してやるだろう。
リカちゃんハウスに入れてもらえないからといって、別に寂しいことはない。
一人遊びが好きな子なら一人で遊ばせておくし。

また、そうやって一緒に遊びに興じるのも良いが、
それよりも、どこにも売っていない着せ替えドレスを作ってやったらどれほど喜ぶことか。
同じ生地でお揃いの服とか。
また、千代紙で人形を折ってやる等、子どもに出来ないこと、教えられることは沢山あるはずだ。

最近の子どもには、独創性がないだの、夢がないだの、生きる力がないだの言われるが、
齢を重ねた大人からして自分の力で不満を解消できず、
与えられるものの利便性に頼るのだから、これはもう仕方ない。

おばあちゃんがリカちゃん遊びなら、おじいちゃんは?というと、
パソコンで孫の好みそうな流行の「AKB48」や「嵐」を調べてセッセと話題づくりをするらしい。

何故にそこまでして「孫と同じ目線」で、トモダチ感覚になりたいのだろうか。

孫に好かれたいなどと思ってる年寄りが好かれるのは、どうせ小遣いやる時ぐらいのものだ。
遊んでくれてる孫の我慢に報いる駄賃を払いながら、
孫が愛情を感じてくれているとスイートな夢に浸る余生を過ごすのも一つの幸せかもしれないが、
これがこのまま連鎖していくのだろうと思うと、そら恐ろしい。

孫の仲間に入って遊びたいおばあちゃん、孫と同じ話題で盛り上がりたいおじいちゃん、
愛される自分でないと寂しい大人たち。

これがいつか行く道とか、まっぴらだ!

孫のために何かしてやりたいなら、安易な「孫ビジネス」なんかに踊らされず、
「いつかこんな人になりたい」と孫が思うような凛とした姿を見せてやるべきではないのかな。
リカちゃんのおばあちゃんの設定のように。(笑)

香山洋子 リカちゃんの母方の祖母
香山洋子
56歳

花屋兼カフェ
「ロイヤルローズ」のオーナー
若々しく活動的な「美魔女」




正義の人

反論の声がないのは、自分の主張する考え方が主流になってきた証拠?

仲間も増えてきたって?

へえ、そう。良かったじゃん。

だのに、なぜ?何を怒ってるの。

なになに、旧態依然として変わらない一部の人たちが、正しい訴えを潰してくる?

そしてそれに長年洗脳されてきた人たちも変わるのを恐れている、と。

そんなふうに見えるんだ。ふーん、なるほど。


何年も何年も同じ事を言い続けさせられている?

たいへんだねー。

うん。まあ、涙が出るのもわかるよ。

そうだね、いくら人が変わっても何も変わってないよねー。


えっ、わたし?

わたしは特に何も言うことはないよ。

だってさ、面倒くさいから。

常に「法的に義務じゃない」とか「人権侵害だ」とかで押し通してきて、

相手が黙ったら自分が正しいからだと勝ち誇るような人と話し合っても

こちらが得るものは、何にもないのわかるじゃない。


だから、反論なんてしないの。

演歌はお好き?

「若者の〇〇離れ」という言葉、
今を象徴するキーワード的な物を作るのに都合が良いようで、よく使われる。

若者のお酒離れ、宴会離れ、車離れ、タバコ離れ、結婚離れ、旅行離れ、外食離れ・・・・

「若者の2ちゃん離れ」では、
「離れてるんじゃなくて、最初からやってないよ」なんて言われてたみたいだが、
それを言ったら全部そう。

今の若者が変わって行ってるのではなく、
時代が違うのだから昔の若者とは違うというだけのこと。

昔の方が良かったなんてのは年寄りのノスタルジー。
若者が物欲をなくしたから社会に活気が失われ停滞したのではなくて、逆。

そんな中で、「若者の演歌離れ」なんて事も言われたりしているのを聞いて、
どこまで若者のせいにしたいんだか、と可笑しくなった。

演歌好きの若者なんて、昔からそう多くもなかった。
人生の酸いも甘いも味わって、しみじみその良さがわかるものとして、
中高年が好んでいたはず。
だから、演歌が下火なのなら、むしろ「中高年の演歌離れ」。

それとも、音楽シーンが若者中心で、中高年の居場所がないと言うのなら、
若者にはまだまだ何かに熱中できる元気があるということになる。

若者たたきは、結局はそれを育てた親世代に返るブーメラン。
その親世代も、上の代からいろんなレッテルを貼られてきたわけだが。

非双方向ブログ

書きたい事を書き散らすようなこんなブログをやってれば、
アラシがやってきて引っ掻き回すなんてことは、あって当たり前って
私は思うわけよ。

それがどうしても嫌なら、最初から、
人の神経を逆撫でする可能性が少しでもあるような記事は書かなきゃいい。

誰が読んでも当たり障りのない適当に「良い話」を優しい口調で書いてれば、
好感度アップで、「私もそう思う」「同感」「元気出ました」「ありがとうー」ってな
これまた心地良いコメントが来るだろうってのはわかってる。

でも、

そんな事は私は書こうって気にはならない

↑はい。ここ、大事。

だからって、誰かを傷つけるような文章を書こうとしてるわけでもないんだよ。

もう、単純にね、ここは私が独り言をブツブツ言ってるだけの所なんですわ。

メモ帳代わりといいますか、
考えた事をああでもない、こうでもないと関連付けたりまとめたり、
そんなことをしたりしなかったり、やりたい放題し放題の場所。

文法、用語、組み立て方を試行錯誤して遊んだりね。

そりゃ、読みたいと思って訪問してくれる人がいれば嬉しいし、
好意的なコメントが来ればありがたくもあるけれど、
読みたくない人に、「お前のために書いたんだ。読め!」なんて
強制するつもりなんぞさらさらないのよ。
分かりる?

「むかつく、腹立つ、こんなの読みたくねーよ」って人は、読まなきゃいい。
で、もって、
ページを黙って閉じるだけではどうしても腹の虫が納まらない人がいた場合は、
文句の一つでも書いてくれて、どうぞどうぞ、超結構ってスタンスなんだな。

というか、たとえ「批判的なコメントは書くな」と赤字で注意書きしといたって、
書きたい人は書くでしょ?
何の縁もゆかりも利害関係も何もない赤の他人の
ああしろ、こうしろなんて指示に従ってやる義理はないんだから。
「誹謗・中傷・罵倒・煽りはネチケットに反する」とかのマナー違反を問われても、
痛くも痒くもないもんね。

どうせこっちも書きたいこと書いてんだ。
読んだ人がコメント欄に書きたいこと書いたって全然OKってぐらいじゃないとね。

でも、そんな私のやり方が理解できないという人もいるでしょうよ。

人に嫌な思いをさせたくないというのを信条にしている人は、
同じく自分も嫌な思いをさせられたくないと思っていたりするものだかんね。

自分の言動が相手にどう受け取られるか熟考に熟考を重ね、
攻撃的にならないように、失礼のないように、
不用意にプライドを傷つけないように、トラウマに触れないようにと
とことん気を使って、相手の求める通りの喜ばせるような物を書いてるのだとしたら、
自分の意図と違う受け取られ方をするのは心外だし、
傷つくし、悲しいし、恐怖ってことになるかもしれない。

また、これまで付いていた読者への影響も考えたりすることもあるかもね。

とにかく、批判的な意見は「困る」でしょう。

その場合は、消せばいいよね。最初からなかったことにしちゃうの。
でも、削除するまでの間に他の人の目に触たら、読んだ人が不快になるかもしれない。
そんな心配もあるから、承認制という便利な機能がブログには付いているんだよね。
これを使うも使わないもブログ主の自由。
コメントを消すも消さないもブログ主の自由。

ほんでもって、私みたいに、書かれたコメントは丸々置いておくのも自由。
それを読む、読まないも自由なら、
返事をするしないも自由。
いやー、自由って素晴らしいじゃあないか。

だからさ、他人のブログに書いたコメントを、
ブログ主の都合が悪い物だったから反映してくれないとか、消されたとか、
返事がないとか、グチグチと不満をこぼしている奴らがたまにいたりするけど、
何言ってんだ?甘えるんじゃねーぞ、って感じ。
敵の情けにすがってどうすんだ?

自分でブログ作ってそこで思う存分書き散らせっての。
消される心配も、隠される心配もないんだから。
直接相手から返事がもらえるかどうかはわからないけれど、
運が良ければ代弁者っぽいのが来て議論交わせるかもしれないしね。

やりとりしたければすればいい。
したくなければ無視ればいい。

コメント欄での罵倒合戦が怖いのなら、コメントは読まなきゃいい。
自分がどうするかだけでしょ。

ぽあんは、読む人に自信と勇気と希望と安らぎを与えるために
ここを書いてるんじゃないんだよ。

そういう物が欲しい人は、他所へ行ってくださいましな。はい。

引き返す宙船

「コンプリートガチャ」

私の嫌いな要素がずらっと勢ぞろいしたようなゲームだ。

まず私は「ギャンブル」が嫌い。
「バーチャルアイテム」を集める趣味もなければ、
それを「コンプリート」する意味もわからない。
そもそも「オンラインゲーム」が嫌い。
特に「課金制」とか。
そして「ガチャガチャ」が嫌い。
これは「子どもに金を使わせる仕掛け」だから。
やる人たちの、
「レアアイテムがステータスになるという考え」が嫌い。
「ここまで金をかけたら当たるまでやるしかない」という引き際の悪さも。
「自分の時間とお金を無駄に使う馬鹿さ」が嫌い。

どれもこれも全部「依存の心理」が元だから。

今の子ども(若者)達が、こういったものに嵌り易いように育てられてきている以上、
起こるべくして起きた問題かもしれないと思う。


ガシャポン(カプセルトイ)は、ずいぶん昔から駄菓子屋にあった。
それ自体が悪い物ではない。
しかし、子どもが小遣いで一つ買うのではなく、
欲しいものが出るまで何個も買いあさるような使い方をしはじめた頃から変になり始めた。

子どもに制限なくお金をかける大人が増えたのは、たしか昭和バブルの少し前あたり。
「一人の子どもに6つのポケット」と言って、子どもがマーケティングの対象にされたためだったか。
高級ブランド服から高価な教材セット、ハイテク玩具、次々新製品、新流行が生み出され、
お金をかけるのが愛の証みたいなことになっていた。
そうした風潮に伴い、わがままで小生意気なガキも目立って増えてきたように思う。
家の中も外も同じに我が物顔。
公共の場で走り回り、地べたに座り、大人と対等な口をきき、自己主張をするといった。

丁度その頃、ガチャガチャの機械も増えたような気がする。
流行りの欲しいものが出るまで回し続ける子どもの集団をよく見かけた。
彼らが去った後、空のカプセルが大量に道端に転がっていたのも異様な光景だったが、
それより驚いたのは、欲しくない物がそのまま捨ててあった事だ。
一つの欲しいものを手に入れるために、お金を出して大量のゴミを作るのが平気になったのがこの頃。
カードゲームもそのあたりから。
玩具会社が仕掛けたゲームのカードを集め、レアカードは高額で取り引き。
子どもが欲しがるからと、1枚の紙切れに3000円も5000円も出してやる親もいた。

私はその頃広告業界真っ只中にいたが、
子どもを食い物にして憚らないような戦略を立てる企業の多さ、
そしてそれを何とも思わない社会を見るにつけ、日本の未来の暗さを予感したものだった。

その頃の若者、子どもが、今の若者、子どもの親世代になっている。

今回もまた、「モバゲー」や「グリー」といった、サービスを提供する側が悪いということにされている。
悪いシステムで若年層から金を巻き上げたように言われ、利用した側は「被害者」扱いなのだが、
本当にそうだろうか。

この社会の中に、こうした企業が存在して利益を上げることを許しているのは誰なのだろう。

存在しない価値に大金をつぎ込むような狂い方をする子どもを育てたのは誰だ?

法規制が入ろうが入るまいが関係ない。
この生き馬の目を抜くような世の中で、自分の財産、命を守れるのは自分しかいないのだ。

何十万円もかけるだけの価値があると納得して金を払うならいいが、
「射幸心を煽られて」などと言い訳する人間は、これからも何度も騙されることになるだろう。
手を変え、品を変え、同じような罠はどこにでもありふれているのだから。

人は「騙された」「損をした」と認めるのをとても辛く感じるものだが、
傷つくまいとすればするほど致命傷というのは、今回の問題からもわかる通り。

せめて、深みに嵌る前に引き返せるぐらいの意志は持ちたい。

逃げ道も無限だが

今年高校に入学した娘は、最近、悩んでいる。
理由は勉強のこと。

中学校三年間を通して成績が上位だったので、
この近辺では少しばかりレベルの高い進学校に推薦してもらい
合格したまでは良かった。

だが、これまでの義務教育と違って、
周囲も同じように成績優秀で受験をかいくぐってきた人たちばかりなので、
必ず上位に位置するというわけにはいかない。

それに加えて授業のスピードも驚くほど速い。
予習は当たり前なので、新しい単元も既に理解したものとして飛ばされる。
そして、テスト、テスト、テスト。
質問もできない。
わからなければ、わからないまま置いて行かれる。

「どうしよう。初めて勉強がわからないということを経験してる・・・」
自信はメタメタに崩されて、焦るばかり。
「もう、学校行きたくない・・・・・」

娘はなまじ頭が良かっただけに、実のところ、勉強の仕方というものを知らないのだ。
中学までは、授業を真面目に受けて宿題だけやっていれば事足りた。
+中間や期末テストの前に範囲内を振り返れば、普通に点は取れていた。
だから自主学習というものをした事がない。
だが、それではもう通用しない。

「あーあ、何でこの学校を選んだんだろう。他の高校に行った友達とかは楽しそうなのに・・・」

塾に通わせるか、家庭教師でも雇えばいいのだろうが、
なんといっても我が家は極貧。そんな金はない。
とはいえ、このまま三年間、勉強がわからないという劣等感に苛まされて
悩み続ける青春を過ごすのも可哀想だ。
さて、どうしてやるか。何ができるか。私は考えに考え、そして『!』閃いた。
「嫌なことから逃げるって手は?」

どうせ高校なんか義務教育ではないのだから、行かなくったっていい。
辞めて、どこでもいいから就職する。
別の高校か、定時制、通信制などに編入する。
一年待ってゆるい高校に再受験。
そんなふうに、やり方はいくらでもある。
そんな話をしてみた。
すると、意外なところから猛反発を喰らったわけだが。

「それはダメだよ。折角、オレなんかがいくら頑張っても入れない所に行ったのに」
徹底して勉強せず万年成績最下位だった長男が言えば、
「オレ、お前が今の学校辞めたら一生許さんぞ!!」
と、努力嫌いで要領の良さだけで何とかなってる次男もえらい剣幕。
兄達は面白いことに、なぜか自分の事よりも妹の事でムキになる傾向がある。

そこまで言われて娘も、
「いやいや、私、学校辞める気ないし。成績悪くても卒業はするよー」
と気分を盛り返してきた。

そう。愚痴っても、我が家では安易な慰めは与えられない。
フルボッコに叩かれるか、突拍子もない解決策を示されて危険に陥るかの究極の選択。
それくらいなら、もう少し頑張ってみようかと気を持ち直さざるを得ないのだった。

逃げ道、というか進路は、学校が決まったからといって動かせないものではなく、
どの時点からでも方向転換できるもの。とりあえず、それを知ってくれていればいい。
常に「今、自分が何を選択するか」だから。
勉強が出来ないことを悩む暇に勉強しろ、とそれだけのこと。
で、嫌なら辞めろ、と。(笑)

それにしても・・・テスト結果がクラス平均に近くなってしまったってだけで大打撃とは、
頑張っても低空飛行を続けるしかなかった私には羨ましいぐらいなのだが。

ゴリラと涅槃寂静

息子を高校に迎えに行った帰りに、いろいろと話をする。

この前は、頭の良いゴリラの話を聞かせてくれた。

小さな頃から手話を教えられて人間と意思疎通ができるようになったゴリラは、
ペットの猫を与えられて、とてもかわいがっていた。
猫はゴリラと一緒に暮らすのではなく、人間に毎日連れてこられるのだが、
ある日、来る途中に事故で死んでしまった。
それを伝えられたゴリラは「私は悲しい」と手話で話し、ひどく落ち込んだ。

という話。

「心って何なんだろうね」
「人間と動物の違いってあるんだろうか?」
「むしろ人間よりゴリラの方がよほど心豊かで素直なんじゃないかな」

猫の死を知ったゴリラの悲しみを思うと胸が苦しくなる程だが、
それがたぶん人間と動物の違いなのだろうな、などと考えながらそんな会話をした。


先日、その話の続きというか、もう一つのエピソードが書いてある本を見つけた。

このゴリラは、「死ぬと、どこにいくの?」の質問に、
「苦労のない 穴に さようなら」と答えたという。

なんと素直な答えだろうか、と、ある意味衝撃だった。

人間に同じ質問をしても、死を理解していない小さな子どもには「わからない」し、
少し知能が付けば、ほとんどが何かで聞いた通り「天国に行く」と答えるだろうから。

高学歴の大人でも、経験豊富な老人でさえ、
「霊界に行く」だの、「生まれかわる」だのを信じている人は多い。
それは、生命の終わりをきちんと見据えることを避けて、都合の良い物語に安心したいからだ。
それでいて、そういう人に限って、悟りを開きたい(開いた)などと言っていたりする。
矛盾に気付きもせず。

人間は大脳が発達している分、動物と比較して知能では勝っているが、
真理を理解する知性は劣化してしまったのかもしれない。

にゃんこ先生の後悔

フラワーフェスティバルのパレードやステージ等を一通り見て、ちょっと一休み。
座って食べたり飲んだりしている中、末っ子のチビの様子がどうも変。
「どうした?」と聞くと、
お兄ちゃんたちが「高い買い物をしたのを後悔してるんだって」と教えてくれた。
そういえば大きな袋を持っている。
「もう買った後になって『買わなきゃ良かった』なんて馬鹿だろ!」
「いつまでもクヨクヨするのが一番つまらん!」
「お前はいいかげん金遣いが荒いって自覚をしろよ!」
いつもの事だが、我が家の子等はしょうもない悩み方をする人間に容赦ない。
まあまあとそれを制して、しょぼくれたチビと話してみた。
「何買ったの?」
「ぬいぐるみ・・・」
「ええ?また~。ぬいぐるみなんか要らんでしょ。いっぱいあるし」と言うと、
「でも、にゃんこ先生の欲しかったんだもん」
「・・・あー・・・」にゃんこ先生なら仕方がないか、と思う。
にゃんこ先生とは、いなかっぺ大将のこれ→旧にゃんこ先生ではなくて、
マンガ「夏目友人帳」に出てくる、主人公を何かと助けてくれる妖怪のこと。
夏目友人帳 
 この本はチビが小遣いで買ってきていたので、私も読んだが、
 結構面白かった。
 にゃんこ先生は長年招き猫に封印されていたので
 カワイイ姿をしているという設定。このキャラは私も好きだ。

 で、娘が買ったぬいぐるみは、こんな感じ。↓
 にゃんこ先生
デカイぬいぐるみだけれど、そんなに後悔しているということは、よっぽど高かったのだろうか。
子どもだと思ってふっかけられた?とか思って、
「これ、いくらで買ったの?3000円?4000円?!」と聞くと、「1500円・・・」
なんだ、ちゃんとしたメーカー品なのにずいぶん安くいい買い物してるじゃん。

そこで「よしわかった。お母さんが1500円で買ってあげよう」と解決案を出したのだが、
「いやだ」と拒否。
「にゃんこ先生は要る。むしろにゃんこ先生だけは要る。
 他のぬいぐるみは要らないから、それを買って欲しい」ってな事を言う。
いや、他のは私だって要らんし。
ってか、買った事は後悔してないんだ?
お金を使って他の欲しい物が買えなくなったのが惜しいだけで。
結局、欲しいものは誕生日プレゼントに買ってやるということで一件落着したわけだけど、
自分の決断に後悔グズグズするのはこれが最後にして欲しいよ。

何一つ悪いことは起きてないのに今を楽しめないなんて、本当、アホらしいから。

フラワーの酔っぱらい

子ども達にも仕事やバイトの調整させて、 久々に家族みんなでお出かけ。
近所のスーパーで飲み物・食べ物買い込んでブラブラと百メートル道路を歩いていくのも例年のこと。
出店で買うと高いからねー。
今日はムチャ暑。
夏じゃん!
子ども達は思い思いにどこかに消えてしまったな。
ビール片手に歩いてるから、見かけたら声かけて。
奥田民生までいる予定。

嫌われる子

「境界性人格障害」について知りたい人が多いようなので、それ関連の話をひとつ。
----------------------------

家が近所で、小さな頃から知っている女の子がいる。
顔立ちはとても可愛らしく、よく笑う人懐っこい子だった。

だけど、いつからだろう。
鬱陶しく感じるようになったのは。

夫は子どもや動物が好きなので、小さな子どもに懐かれやすい。
いつも町内のチビちゃんたちがまとわり付いて遊んでもらいたがる。
その中に女の子はいた。

優しくするとどんどん図々しくなるのが子どもの性質といえども、
成長して小学校の高学年ともなれば落ち着いてきて、
普通は場の雰囲気や相手によって、
やっていい事いけない事、言っていい事悪い事を判断できるようになってくる。
しかし彼女はちょっとそれが出来ないのだった。

まとわり付き方が幼児並でありながら中身がオマセと言えば、
その難しさが何となくわかってもらえるだろうか。
いろいろ、こっちが気を使わなければならないというのが、とにかく疲れた。
また、何にでも好奇心が強いのはいい面ではあるけれど、
他人のプライバシーを根掘り葉掘りしつこく知りたがってくるのには辟易する。
見かけたら寄ってきて、こちらがどんな反応だろうがお構いなしに話しながら付いてくる。
時には家まで。
庭に入り込んで窓から覗いていたこともある。

悪気はないのはわかる。
親しみを持ってくれてるのもわかる。
が、
好きになって欲しいアピールをされればされるほど嫌になるもの。

その子ももう中学生。
今、学校では同級生たちに嫌われて一人ポッカリ浮いていると噂で聞く。

本人には、なぜ嫌われるのかたぶんわからない。
だからとても可哀想だが、それを教えてやるのも難しい。
何をどう直せばいいというものでもない。
どんな場合にどうすればいいとアドバイスもできない。
人との距離感のつかみ方、相手の気持ちの察し方など
説明されて身に付くようなものではないのだから。

ただ、原因はわかっている。
家庭だ。

最近見かける女の子は、暗く沈んだ顔をしていることが多い。
でもまだ歪んではいない。
どうかこのまま歪まずに、自分を見つめることが出来るようになれますように。
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ぽあん

Author:ぽあん
40代。
4人の子持ちパートタイマー主婦。
広島在住。のんびりと
やりたい事だけして暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。
なぜか中学校PTA会長3年目に突入。

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