ピカソと20世紀美術の巨匠たち展
![thumb[1]](http://blog-imgs-36-origin.fc2.com/p/o/a/poanne/20091123104926324s.jpg)
広島県立美術館の「ルートヴィヒ美術館所蔵 ピカソと20世紀美術の巨匠たち」に行ってきた。
22日は、森川 紘一郎さんの講演「ピカソ考―現実は破格にあり―」があったので、それに合わせて。
私は子どもの頃から割と頻繁に美術館に通っており、ピカソ展は何度も行っている。
いつもはルーブル美術館やピカソ美術館所蔵のものが展示されることが多く、
ドイツルートヴィヒ美術館からというのは初めてなので楽しみにしていたのだが、
今回はこれまでにない疲労感。
「ピカソと・・・」とある割りにピカソの作品は少なかったが、最初にそれで胸焼けを起こしてしまい、
他のキュービズムやフォービズムの作品を味わうどころではなくなってしまったからだ。
シャガールの素描とユトリロの風景に少し救われた気がしたぐらいで。
年のせいだろうか。
一緒に行った娘たちは、ピカソの顔写真を一目見ただけで「この人怖い・・・」となっていたが。
講演会の話は、美術史や様式の変容などにはまったく疎い私にとっても興味深いものだった。
ピカソの生きた時代は、アインシュタインが相対性理論を発表した頃と微妙に重なっている。
キュービズムとは立体(キューブ)からきており、
誰もが知るとおり、ピカソは二次元に三次元的要素を配したことで独自の世界を創り上げた人。
これを、一つの空間に別の時間を重ね合わせる事で表現できる手法として見た時、
何らかの形でアインシュタインの理論が影響を与えていたのでは、と想像するだけで楽しくなる。
講師の森川さんは、大学の学生達に「美術はいつから始ったと思うか」という質問をよくされるそうだ。
学生達は考えて、「人類が発生した時から」といった答えを出すのだが、実はそうではなく、
この宇宙が始った時からというのが、彼の持論らしい。
時間を縦軸、空間(場)を横軸として考えた時、
美術とは、いつ・どこで・だれが・どうしたの「カタチ」であるのだから、
つまりは、時間と空間の中で生まれ、その中で存在して触れることが出来ているということを、
ある箇所だけ限定して捉える事はできないということなのだろう。
これは美術館に飾られる芸術品のみならず、すべての人にも物にも通じるものという気がする。
中学校に警察を入れろ
陰湿ないじめってこういうことを言うのか、と、とても腹が立ってならないことが起こった。
中一の娘のクラスで、先週の木曜日のことだ。
朝から違うグループの女の子達が本がなくなったと騒いでいたが、
その時、娘は別に特に気にもとめてなかったらしい。
それが給食時間の後、急に犯人扱いで吊るし上げにあってしまった。
無くなったのは、流行のケータイ小説の本。
娘は確かに本は好きでいつも読んではいるが、
どの話も似たり寄ったりで幼稚な素人文章のケータイ小説などにはまったく興味はない。
あまりに意外な言いがかりをつけられて一瞬思考停止してしまった所を
本を盗られた子のグループや周囲にいた子らが口々に責め立ててくる。
頭にきた娘が、「そんなに言うんだったら、鞄の中のもの全部見れば?」と開けて物を出しはじめると、
相手は「そこまでしなくても・・・」と及び腰。
「疑われてたんじゃ気分が悪いから」と全部さらけ出したが、当然のことながらお目当ての本はない。
すると今度は、「どっか隠したんでしょ。ある場所知ってるんでしょ」
「は?」呆れて物も言えない。
これ以上娘を追及しても無駄だと知ると彼女達は、次に娘の友達のA子ちゃんを犯人だと言い始めた。
根拠は、教室の後ろのロッカーで2人が何かを受け渡ししていたのを「見た人」がいるからだという。
何だそれ?
もちろんA子ちゃんも盗っていないと否定する。
しかしどうしても犯人に違いないと言い張り、埒の明かぬまま休憩時間は終わった。
授業が終り掃除の後、娘は友人にいま一度確認する。
「絶対に絶対に違うよね?盗ってなんかないよね?」
「うん。盗ってないよ」真っ直ぐな答えに安心する。
それはそうだ。ずっと友達やってきて、そんなことする人間じゃないとわかってるけど、念のため。
他の友達も皆、「私達は信じてるから大丈夫!」と励ます。
そんな所に、同じグループの一人が青い顔をして息を切らせて走り込んできた。
「大変、大変。もう、どうしよう。困った。ああ、どうしよう」泣きそうな顔。
「どうしたの?」と皆が聞くと、
「本が見つかった。A子ちゃんの鞄の中から」
本を盗られた子のグループの人達が、A子ちゃんの鞄を開けて中を探って見つけたらしい。
「もう、どうして?!」泣き出すA子ちゃん。
あるはずのない場所から、なぜ出てくる?
給食時間の後、A子ちゃんと娘がロッカーの所にいたのは本当のことで、
A子ちゃんが授業に必要な物を取り出すのにつきあって、娘は見るともなしに鞄の中を見ている。
その時には、本なんかなかったはずなのに。
教室に戻ると、A子ちゃんは集中砲火。
娘が反論しても相手側は聞く耳を持たない。
なにしろ、ブツが出てきたという証拠があるのだから。
ワイワイやっていると騒ぎを聞きつけ担任の先生が来て、
本を盗られた子とA子ちゃんだけ残して、他の人は関係ないからと帰されてしまった。
その後の話がどうなったのか、
家に帰っても気になって落ち着かなかった所にA子ちゃんから電話がかかってきた。
先生が信じてくれて、相手の子達(本を盗られた子ともう一人)を諌めてくれたらしい。
「本を盗む所を直接見たわけでもないのに決め付けるような事をしてはいけない」
「鞄の中にあったとしても、本人が入れた証拠にはならない」
「鞄から出てきたところも皆が見てないのだから、本当かどうか他の人にはわからないこと」
そんな話をして、一応、疑いは晴れたようだ。
迎えに来たA子ちゃんのお母さんは職員室で号泣していたという。
濡れ衣着せられた疑いが晴れて、めでたしめでたしと思えればいいのだけれど、
そうは簡単に気持ちはおさまらない。
なかった場所に盗られた物が入っていたという話を聞いて、一番に思ったのは、
それってもし娘が鞄の中身を出して見せていなければ、
本当は娘の鞄に入れられていたはずだったんじゃないの?ということ。
これまで何か疑われるような行為があったのならわかるけど、そんなこと一切ないのに、
なぜいきなり犯人扱いされたのかと考えたら。
陥れたかった?
陥れるために物がなくなった?
そんなふうに思ってしまう。
ある保護者に聞いた所では、相手グループの中には
小学校の頃同じような事件を起こしていた“前科者”がいるとのこと。
他人の鞄や机の中に隠しては、物がなくなった、盗られたと騒ぐといったことで。
ただ、今回もその子がやったかどうかはわからないが。
学校ではこれ以上の追求はしないのだそうだ。
犯人探しはしない。
それはたぶん、過ちを犯した子がいたとしてもあまり追い詰めたくないという配慮なのだろうが、
濡れ衣を着せられた方としては、それで気がおさまるようなものではない。
今回は最終的には娘が盗んだということにはならなかったが、それでも噂は残ってしまう。
面白がって広める人もいるだろうし、誤解する保護者もいるかもしれない。既に大迷惑を被っている。
私としては、物が無くなった、盗られたということになった時点で警察を入れて欲しかったと思う。
持ち物検査も任意で警察の人がやるのなら納得できるし、
出てきた本についてた指紋から何から全部とって、クラスメイト一人一人別々に事情聴取すれば、
誰が何をしたかぐらいすぐ暴き出されるはずだ。
他人の物を盗むのは窃盗罪。
罪を擦り付けるのは、侮辱罪または名誉毀損罪。
立派な犯罪である事を教えるべきだ。
子どもは自分がまだ子どもであるということで大目に見てもらえることをよく知っている。
大人を舐めてかかっている奴に寛容さを示して自省することを期待しても無駄というもの。
学校は社会と隔絶された場所ではなく、他人と接している社会そのものであると認識させてやる事が
子どもには必要なのではないだろうか。
もし、娘の鞄に本を入れられていたら、たぶん私のことだからすぐに「110番」だったことだろう。
手当たりしだい相談しまくり。新聞社から各テレビ局にメールバンバン。
PTAブログに事の顛末を洗いざらい全部書いて、2ちゃんねるにスレッド乱立させてリンク貼りまくり、
ぐらいするかもしれない。
冷静じゃいられないからね。
涙なんか流さない。火を吹くよ。
小さな火種も大火にして燃やし尽くして草木一本残さないぐらいにしないとおさまらない。
彼女らは今回、運がよかったね。
そのうち勝負する時がくるのかな。どうかな?
中一の娘のクラスで、先週の木曜日のことだ。
朝から違うグループの女の子達が本がなくなったと騒いでいたが、
その時、娘は別に特に気にもとめてなかったらしい。
それが給食時間の後、急に犯人扱いで吊るし上げにあってしまった。
無くなったのは、流行のケータイ小説の本。
娘は確かに本は好きでいつも読んではいるが、
どの話も似たり寄ったりで幼稚な素人文章のケータイ小説などにはまったく興味はない。
あまりに意外な言いがかりをつけられて一瞬思考停止してしまった所を
本を盗られた子のグループや周囲にいた子らが口々に責め立ててくる。
頭にきた娘が、「そんなに言うんだったら、鞄の中のもの全部見れば?」と開けて物を出しはじめると、
相手は「そこまでしなくても・・・」と及び腰。
「疑われてたんじゃ気分が悪いから」と全部さらけ出したが、当然のことながらお目当ての本はない。
すると今度は、「どっか隠したんでしょ。ある場所知ってるんでしょ」
「は?」呆れて物も言えない。
これ以上娘を追及しても無駄だと知ると彼女達は、次に娘の友達のA子ちゃんを犯人だと言い始めた。
根拠は、教室の後ろのロッカーで2人が何かを受け渡ししていたのを「見た人」がいるからだという。
何だそれ?
もちろんA子ちゃんも盗っていないと否定する。
しかしどうしても犯人に違いないと言い張り、埒の明かぬまま休憩時間は終わった。
授業が終り掃除の後、娘は友人にいま一度確認する。
「絶対に絶対に違うよね?盗ってなんかないよね?」
「うん。盗ってないよ」真っ直ぐな答えに安心する。
それはそうだ。ずっと友達やってきて、そんなことする人間じゃないとわかってるけど、念のため。
他の友達も皆、「私達は信じてるから大丈夫!」と励ます。
そんな所に、同じグループの一人が青い顔をして息を切らせて走り込んできた。
「大変、大変。もう、どうしよう。困った。ああ、どうしよう」泣きそうな顔。
「どうしたの?」と皆が聞くと、
「本が見つかった。A子ちゃんの鞄の中から」
本を盗られた子のグループの人達が、A子ちゃんの鞄を開けて中を探って見つけたらしい。
「もう、どうして?!」泣き出すA子ちゃん。
あるはずのない場所から、なぜ出てくる?
給食時間の後、A子ちゃんと娘がロッカーの所にいたのは本当のことで、
A子ちゃんが授業に必要な物を取り出すのにつきあって、娘は見るともなしに鞄の中を見ている。
その時には、本なんかなかったはずなのに。
教室に戻ると、A子ちゃんは集中砲火。
娘が反論しても相手側は聞く耳を持たない。
なにしろ、ブツが出てきたという証拠があるのだから。
ワイワイやっていると騒ぎを聞きつけ担任の先生が来て、
本を盗られた子とA子ちゃんだけ残して、他の人は関係ないからと帰されてしまった。
その後の話がどうなったのか、
家に帰っても気になって落ち着かなかった所にA子ちゃんから電話がかかってきた。
先生が信じてくれて、相手の子達(本を盗られた子ともう一人)を諌めてくれたらしい。
「本を盗む所を直接見たわけでもないのに決め付けるような事をしてはいけない」
「鞄の中にあったとしても、本人が入れた証拠にはならない」
「鞄から出てきたところも皆が見てないのだから、本当かどうか他の人にはわからないこと」
そんな話をして、一応、疑いは晴れたようだ。
迎えに来たA子ちゃんのお母さんは職員室で号泣していたという。
濡れ衣着せられた疑いが晴れて、めでたしめでたしと思えればいいのだけれど、
そうは簡単に気持ちはおさまらない。
なかった場所に盗られた物が入っていたという話を聞いて、一番に思ったのは、
それってもし娘が鞄の中身を出して見せていなければ、
本当は娘の鞄に入れられていたはずだったんじゃないの?ということ。
これまで何か疑われるような行為があったのならわかるけど、そんなこと一切ないのに、
なぜいきなり犯人扱いされたのかと考えたら。
陥れたかった?
陥れるために物がなくなった?
そんなふうに思ってしまう。
ある保護者に聞いた所では、相手グループの中には
小学校の頃同じような事件を起こしていた“前科者”がいるとのこと。
他人の鞄や机の中に隠しては、物がなくなった、盗られたと騒ぐといったことで。
ただ、今回もその子がやったかどうかはわからないが。
学校ではこれ以上の追求はしないのだそうだ。
犯人探しはしない。
それはたぶん、過ちを犯した子がいたとしてもあまり追い詰めたくないという配慮なのだろうが、
濡れ衣を着せられた方としては、それで気がおさまるようなものではない。
今回は最終的には娘が盗んだということにはならなかったが、それでも噂は残ってしまう。
面白がって広める人もいるだろうし、誤解する保護者もいるかもしれない。既に大迷惑を被っている。
私としては、物が無くなった、盗られたということになった時点で警察を入れて欲しかったと思う。
持ち物検査も任意で警察の人がやるのなら納得できるし、
出てきた本についてた指紋から何から全部とって、クラスメイト一人一人別々に事情聴取すれば、
誰が何をしたかぐらいすぐ暴き出されるはずだ。
他人の物を盗むのは窃盗罪。
罪を擦り付けるのは、侮辱罪または名誉毀損罪。
立派な犯罪である事を教えるべきだ。
子どもは自分がまだ子どもであるということで大目に見てもらえることをよく知っている。
大人を舐めてかかっている奴に寛容さを示して自省することを期待しても無駄というもの。
学校は社会と隔絶された場所ではなく、他人と接している社会そのものであると認識させてやる事が
子どもには必要なのではないだろうか。
もし、娘の鞄に本を入れられていたら、たぶん私のことだからすぐに「110番」だったことだろう。
手当たりしだい相談しまくり。新聞社から各テレビ局にメールバンバン。
PTAブログに事の顛末を洗いざらい全部書いて、2ちゃんねるにスレッド乱立させてリンク貼りまくり、
ぐらいするかもしれない。
冷静じゃいられないからね。
涙なんか流さない。火を吹くよ。
小さな火種も大火にして燃やし尽くして草木一本残さないぐらいにしないとおさまらない。
彼女らは今回、運がよかったね。
そのうち勝負する時がくるのかな。どうかな?
弥山登山
「弥山に登ろう」
夫が言うので、日曜日、バイトのある長男を除く5人で宮島に渡った。
今は紅葉が真っ盛りのはず。
フェリー乗り場でも「今、7、8分で一番見ごろです〜」と大きな声で呼び込みをしていたので
期待したが、今年はちょっとハズレのようだ。
全体的にまだ緑が残っていながら、いきなり茶色に枯れた葉が多い。急な寒波が来たからだろうか。
もみじ谷から登山道に入るルートにも多くの人が行き交う。
しかし、結構皆さん、重装備。
登山帽に登山靴、リュックを背負って水筒かけて、手にはトレッキングステッキまで持って、
それではまるで本格的登山じゃないの!
と、お気楽だった私はそれからこの山の本当の恐ろしさを身にしみて知ったのだった。
本当に、本当の登山だった・・・・。
家族5人、いつものピクニック気分で軽く登り始めたけれど、山はそんなに甘くない。
一番可哀想だったのは、お弁当としてお皿に盛ったおにぎりとオカズ、
飲み物、お菓子、みかんなどを入れた発泡スチロールの箱を持たされた夫。
山を降りてくる人達がすれ違うたびに、「大きな荷物で大変ですね」「頑張って」と声をかけてくれる。
中には「おっ、山頂で宴会ですか?」と言った人も。
狭い急斜面を大きな箱を持って登るのは難しそうだし、徐々に指の感覚もなくなってきてると言うし、
なんてお気の毒なんでしょう。と思いつつ、私はそれどころじゃない。
元々体力なかった上に、ずっと室内で座り仕事の私は、最近、全身の筋肉の弱体化が著しいわけで。
ちょっと歩いては、「ハア、ハア、休憩」、また登っては「ゼイ、ゼイ、もうだめ・・・」、
2.5kmの登山道を100mごとに休憩しながらという超スローペース。
途中で少しでも軽くしようとお弁当を食べたら、子どもたちはタッタカ先に登ってしまい、
私がガケから転げ落ちたり、うっかり足をひねってしまう心配が非常に高いため、
夫はずっと付き合ってくれて、登山の楽しみとかぜんぜん味わえなかったかもしれない。
どこまでもお気の毒な・・・。
とりあえずほうほうの体でなんとか山頂到着。

ふもとで「山頂まで1時間30分」とか書いてあったけど、実際かかった時間は2時間半超。フヒーッ。
ガンガンに暑くなって汗をかいていたのが、冷たい風でスーッと冷めていく。
健康にいいような気がしない。
そして今度は当然、登った距離を下りなきゃなんない。
同じ道を歩いても面白くないので下りは大聖院コース。
やっぱり先をトットと降りていく娘たち。
石段の段差は大きいし、木の根や落ちた枝などで悪い足元なんのその。キャラキャラ飛ぶように走る。
「若いの〜」と感心しつつ追いかけていると、道が二本に分かれてる。さて、どちらに行っただろう?
呼べど答えず、心配なので二手に分かれて探すも、行き止まりの道にいなかったので、そのまま下る。
するとまた、分かれ道。今度はそちらに探しに行った次男が行き止まりなのに帰ってこず、行方不明。
たぶん大丈夫だと思うけれど、
先日、山で遭難した子どもの事件もあったばかりなので「まさか」って悪い想像も拭えない。
下まで降りていなかったら、また登ってくるのは無理だと思うし。
「死ぬなよ、怪我してるなよ」と祈るような気持ちで探し探しで下りていくと、いたーっ!
「心配させて!」と怒りで腹の中がグラグラ煮たぎっていたから、見つけたら殴ってやろうと思ってたけど、
とりあえず良かったと力が抜けて、「も、いいや」ってなっちまうんだよね。こういう時。
お陰で休憩なしのノンストップで寄り道しながらも1時間程度で下りられたけど、肝冷やしたよ。まったく。
やっぱり、登山は健康に悪い。
というぐあいに、「山を甘く見ちゃいかんよ」ということを十分思い知った、秋の一日なのでした。
筋肉痛は何日後ぐらいにくるだろう・・・・。

夫が言うので、日曜日、バイトのある長男を除く5人で宮島に渡った。
今は紅葉が真っ盛りのはず。
フェリー乗り場でも「今、7、8分で一番見ごろです〜」と大きな声で呼び込みをしていたので
期待したが、今年はちょっとハズレのようだ。
全体的にまだ緑が残っていながら、いきなり茶色に枯れた葉が多い。急な寒波が来たからだろうか。
もみじ谷から登山道に入るルートにも多くの人が行き交う。
しかし、結構皆さん、重装備。
登山帽に登山靴、リュックを背負って水筒かけて、手にはトレッキングステッキまで持って、
それではまるで本格的登山じゃないの!
と、お気楽だった私はそれからこの山の本当の恐ろしさを身にしみて知ったのだった。
本当に、本当の登山だった・・・・。
家族5人、いつものピクニック気分で軽く登り始めたけれど、山はそんなに甘くない。
一番可哀想だったのは、お弁当としてお皿に盛ったおにぎりとオカズ、
飲み物、お菓子、みかんなどを入れた発泡スチロールの箱を持たされた夫。
山を降りてくる人達がすれ違うたびに、「大きな荷物で大変ですね」「頑張って」と声をかけてくれる。
中には「おっ、山頂で宴会ですか?」と言った人も。
狭い急斜面を大きな箱を持って登るのは難しそうだし、徐々に指の感覚もなくなってきてると言うし、
なんてお気の毒なんでしょう。と思いつつ、私はそれどころじゃない。
元々体力なかった上に、ずっと室内で座り仕事の私は、最近、全身の筋肉の弱体化が著しいわけで。
ちょっと歩いては、「ハア、ハア、休憩」、また登っては「ゼイ、ゼイ、もうだめ・・・」、
2.5kmの登山道を100mごとに休憩しながらという超スローペース。
途中で少しでも軽くしようとお弁当を食べたら、子どもたちはタッタカ先に登ってしまい、
私がガケから転げ落ちたり、うっかり足をひねってしまう心配が非常に高いため、
夫はずっと付き合ってくれて、登山の楽しみとかぜんぜん味わえなかったかもしれない。
どこまでもお気の毒な・・・。
とりあえずほうほうの体でなんとか山頂到着。

ふもとで「山頂まで1時間30分」とか書いてあったけど、実際かかった時間は2時間半超。フヒーッ。
ガンガンに暑くなって汗をかいていたのが、冷たい風でスーッと冷めていく。
健康にいいような気がしない。
そして今度は当然、登った距離を下りなきゃなんない。
同じ道を歩いても面白くないので下りは大聖院コース。
やっぱり先をトットと降りていく娘たち。
石段の段差は大きいし、木の根や落ちた枝などで悪い足元なんのその。キャラキャラ飛ぶように走る。
「若いの〜」と感心しつつ追いかけていると、道が二本に分かれてる。さて、どちらに行っただろう?
呼べど答えず、心配なので二手に分かれて探すも、行き止まりの道にいなかったので、そのまま下る。
するとまた、分かれ道。今度はそちらに探しに行った次男が行き止まりなのに帰ってこず、行方不明。
たぶん大丈夫だと思うけれど、
先日、山で遭難した子どもの事件もあったばかりなので「まさか」って悪い想像も拭えない。
下まで降りていなかったら、また登ってくるのは無理だと思うし。
「死ぬなよ、怪我してるなよ」と祈るような気持ちで探し探しで下りていくと、いたーっ!
「心配させて!」と怒りで腹の中がグラグラ煮たぎっていたから、見つけたら殴ってやろうと思ってたけど、
とりあえず良かったと力が抜けて、「も、いいや」ってなっちまうんだよね。こういう時。
お陰で休憩なしのノンストップで寄り道しながらも1時間程度で下りられたけど、肝冷やしたよ。まったく。
やっぱり、登山は健康に悪い。
というぐあいに、「山を甘く見ちゃいかんよ」ということを十分思い知った、秋の一日なのでした。
筋肉痛は何日後ぐらいにくるだろう・・・・。

酒と薔薇の日
月のしずく
NASAが月に水が存在することを示すデータを得たことをニュースでやっていた。
永久影に氷の状態で存在する可能性はあるだろうとは思っていたが、実際に確認できた事は嬉しい。
月面基地が現実味を帯びてくるということは、
一般人の宇宙旅行だって生きている内に実現するかもという夢が持てるからだ。
というのは、どうでもいい前置きで、本題はここから。
「日の当たらない月の裏側に水があるんだったら、地球から大きなロープを引っ掛けて
地球の自転でぐるっと回したらいいのに、どうしてそういうことを計画しないんだろうね」
「はあ・・・・・・???????? ハッ、そ、そうですね。
宇宙に物を運ぶエレベーターが作れる時代ですから、できそうなものですよね(^。^;)」
「今まで日が当たらなかった広い月の裏の氷が一斉に溶けて蒸発したら大気ができて、
地球と同じ環境になるから、植物も育って緑豊かな土地になるだろうに」
「あ、あの・・・・すみません。月の裏も一応、太陽の光は当たってると思うんですけど・・・」
「えっ、いやそれはないよ。表側だけにしか日は当たらないよ。月は自転はしてないからね」
「月は地球に同じ顔だけ見せていて裏が見えないというだけで一緒に回っています。
それで球面の太陽光線の当たる方向によって満ち欠けとして見えるのですから、
こちらから欠けて見える分は、裏が明るくなっているはずです」
「月の満ち欠けは、地球の影が落ちるからだろ。僕は学校でそう習ったよ。常識だよ。
おかしいじゃない。だったら新月はどうなる?」
「いえっ!! 地球の影が落ちるのは月食です。新月の時は月の裏側が満月になっています」
「じゃあ、例えばアメリカからだったら横から見てどうなの?」
「????? アメリカでも同じです。日本と同じく月の顔は餅つきするウサギがある表だけです」
「少しはずれて見えるだろう?」
「いいえ、いいえ、世界中全部、月の裏は絶対に見えません!!」
「へぇ〜〜、そうなの?????最近は、そんなふうに学校で教えるの?」
「はい」
「はぁ〜、ぼく達の時とはやっぱり変わってきてるんだねぇ〜。ふーん・・・・・( ´_ゝ`)」
どうもこれではまだ納得していないよう。
どうするかな。
「月の裏には日はあたらない」「月の満ち欠けは地球の影に入るから」ということにしておいても、
私はまったく困りはしないからいいんだけど。
もう「潮の満ち引きは、水が地軸の傾いた地球の下の方へ流れるため」という証明も
めでたく完成させたことだし。(私、天才かも)
職場で良好な人間関係を保つためなら、悪魔に魂を売るぐらいなんでもないよ。
ちなみに、地球と月の距離は、384,400 km。地球の直径の30倍ちょい。
全世界の繊維を集めても、ロープを作るのに足りるかどうか。
どの国あたりに引っ掛けようか。
永久影に氷の状態で存在する可能性はあるだろうとは思っていたが、実際に確認できた事は嬉しい。
月面基地が現実味を帯びてくるということは、
一般人の宇宙旅行だって生きている内に実現するかもという夢が持てるからだ。
というのは、どうでもいい前置きで、本題はここから。
「日の当たらない月の裏側に水があるんだったら、地球から大きなロープを引っ掛けて
地球の自転でぐるっと回したらいいのに、どうしてそういうことを計画しないんだろうね」
「はあ・・・・・・???????? ハッ、そ、そうですね。
宇宙に物を運ぶエレベーターが作れる時代ですから、できそうなものですよね(^。^;)」
「今まで日が当たらなかった広い月の裏の氷が一斉に溶けて蒸発したら大気ができて、
地球と同じ環境になるから、植物も育って緑豊かな土地になるだろうに」
「あ、あの・・・・すみません。月の裏も一応、太陽の光は当たってると思うんですけど・・・」
「えっ、いやそれはないよ。表側だけにしか日は当たらないよ。月は自転はしてないからね」
「月は地球に同じ顔だけ見せていて裏が見えないというだけで一緒に回っています。
それで球面の太陽光線の当たる方向によって満ち欠けとして見えるのですから、
こちらから欠けて見える分は、裏が明るくなっているはずです」
「月の満ち欠けは、地球の影が落ちるからだろ。僕は学校でそう習ったよ。常識だよ。
おかしいじゃない。だったら新月はどうなる?」
「いえっ!! 地球の影が落ちるのは月食です。新月の時は月の裏側が満月になっています」
「じゃあ、例えばアメリカからだったら横から見てどうなの?」
「????? アメリカでも同じです。日本と同じく月の顔は餅つきするウサギがある表だけです」
「少しはずれて見えるだろう?」
「いいえ、いいえ、世界中全部、月の裏は絶対に見えません!!」
「へぇ〜〜、そうなの?????最近は、そんなふうに学校で教えるの?」
「はい」
「はぁ〜、ぼく達の時とはやっぱり変わってきてるんだねぇ〜。ふーん・・・・・( ´_ゝ`)」
どうもこれではまだ納得していないよう。
どうするかな。
「月の裏には日はあたらない」「月の満ち欠けは地球の影に入るから」ということにしておいても、
私はまったく困りはしないからいいんだけど。
もう「潮の満ち引きは、水が地軸の傾いた地球の下の方へ流れるため」という証明も
めでたく完成させたことだし。(私、天才かも)
職場で良好な人間関係を保つためなら、悪魔に魂を売るぐらいなんでもないよ。
ちなみに、地球と月の距離は、384,400 km。地球の直径の30倍ちょい。
全世界の繊維を集めても、ロープを作るのに足りるかどうか。
どの国あたりに引っ掛けようか。
奈良、駆け足の旅

日曜日、武禅仲間のsakikoさんと、runumo(S)さんと一緒に奈良に行った。
目的は興福寺。
人気者の阿修羅像が全国ツアーを終えて戻ってきたので、現在「お堂で見る阿修羅」展をやっている。
それともう一つの目玉は日本に現存する八角円堂のうち、最も美しいといわれている北円堂。
普段は一般公開されていないが、春と秋だけ期間限定で開扉される。
以前入ったsakikoさんがお堂の中全体が「正面」の感覚だったと言っていたので、
それは是非体験せねばなるまいと楽しみにして出かけた。
9時半に新大阪で待ち合わせ、sakikoさんの車で奈良に着いたのが10時半。
興福寺にはすでに長蛇の列が出来ていた。
現在の待ち時間「仮金堂 約210分」「北円堂 約30分」。
並んだらお堂に入れるのが2時半、見て出て食事して一日が終わる事になる。
「他に回って夕方来た方が早いかも」とも考えたが、もう今日はここだけでもいいやということで並ぶ。

待ち時間も退屈しない。
sakikoさんrunumoさんといると話は尽きない。
他愛のない四方山話に花を咲かせているうちに、徐々にお堂が近くなる。
結局、夕方に来ようと列を離れた人が多かったのか昼過ぎには入れて見ることができた。
まずは阿修羅立像のある仮金堂。
長蛇の列はもちろんお堂の中まで続いていて、押すな押すなの大混雑の様相。
注意のアナウンスが繰り返しされる。
「立ち止まらないでください」「上の段からお堂の中全体が見渡せます」
「ゆっくり見たい方は後ろからご覧ください」「近くで見られる方は歩きながら流れてください」
ムードもへったくれもない。
それでも、外気との温度差もあるのかもしれないが、スウッと吹き抜ける特別な空気。
背中から熱いような冷たいような不思議な物が走り、全身があわ立つ感覚がする。
力強く荘厳な顔、穏やかで救いを感じさせる姿など、
歴史ある素晴らしい像たちが立ち並ぶ中を流されながらも
それぞれの像たちと出来るだけ正面を合わせていき、そしてやっと中央の阿修羅像の前。
美しい。
憂いを帯びた表情も、姿勢も腕の形もすべてが完璧な美の調和。
さほど大きくないは像ではあるが、間近にすると静かな気迫に息を呑む。
さあ、正面に立ち手を合わせ心静かに・・・・・・・・、
としようとした所ですかさず「立ち止まらないでください」と声がかかり列に押される。
ああ・・・・
わずか3秒も許してもらえないなんて、どこの上野のパンダかモナリザかっちゅうの!
「せめて見たい。まだ見たい。お願い、見せて。見るだけでいい」と視線と後ろ髪を引かれながらも、
そのまま出口までズズズイッと押し出され、仮金堂を後にした。
あああああ、あしゅらおう!!(←わかる人いる?:笑)
そして今度は北円堂。
仮金堂に比べて少ないとはいえ、それでもウネウネと長い列。
「お腹すいたね」と、runumoさんの持ってきてくれた豆腐屋さんのおからスナックをかじりながら
炎天下待つ。暑い。

いよいよお堂と思っても、グルリと周ってから中に入るようになっている。
1210年に再建されたままの姿を残す興福寺で一番古いお堂なので
手を触れないようにとの注意書きがあり、また係員からのアナウンスも再々される。
確かに古い。太い柱などは縦の木の目が深くえぐれているが、それでもドッシリと風格ある佇まい。
みとれながら進んでいると、次第にジーンと強いエネルギーを感じる場所が近づいてきた。
しかしそこには特に何もない。
目の前の太い古木の柱から発するいにしえの生命力?
そう思い、確かめようと手のひらをかざしゆっくりと動かしてみる。
木ではなく、これはもっと違う・・・・何だろう?
わからないのだが、ふと気付くと手から発している私のオーラが凄いことになっていた。
「ええっ、どうして?」
私のオーラは普段は薄ぼんやりとしたしょぼい物なのだが、
それがまるで和子先生のみたいにビカーッとしている。
すぐ隣のsakikoさんにも言って一緒に手をかざすと、sakikoさんの手もビカーッ。
オオッ、スゴイ!!!なんで?なんで?
よくわからないが、そうこうしているうちに列は進み、ようやくお堂の中に。
真ん中の大きな弥勒如来の左、法苑林菩薩像の方が入り口となっている。
先ほど私たちが強いエネルギーをビンビンに感じていた所は、ちょうど弥勒如来の真後ろ。
お堂の中に入った時には、先ほど仮金堂に入った瞬間のような特別な感動も感覚もなかったのだが、
やはり後ろに回ると来る。
全身をジーンとしびれさせながらも後光の裏から「正面」をとると、
強烈な何かを受け足からフルフルと震えがくる。
ここって・・・・
しかし、横に回ると急に雑音にかき消されるかのように何もなくなるのがまた不思議。
それでも前に来た時、「後ろであれなら真正面ならさぞかし」と期待して正面を合わせてみたが、
微細なエネルギーは感じるものの、とても弱いのでガッカリする。
なぜ? 私が荒くて雑だからかなぁ。
後でsakikoさんに聞くと、
前回、お堂の中ぐるり全部が「正面」でずっと見られているような感じを受けた時は、
弥勒如来の正面から入ることができたそうだ。
そして、人も少なかったので静寂の中で向き合うことができたとのこと。
なるほどね。
場は人によって影響されるもの。
また今度は人の少ない時期に来ることにしよう。
興福寺を出て昼食の後は、ぶらぶら歩いてたまたま開催中のフードフェスタを見て、
公園でrunumoさんが切ってきてくれたフルーツを食べて、そして東大寺。
私は奈良の大仏様ははじめて。

南大門をくぐり境内に入るとsakikoさんが大仏殿に続く参道の中央を歩いていくので、私もそれに続く。
やっぱり何でも「正面、正面」ってやるのがいいのかな、とか思いながら歩いていると、
確かに来る、来る。
ビンビンと、正面の感覚!
すると前を歩いていたsakikoさんがクルッと振り返って、「あのな・・・」と教えてくれた。
以前、日野先生がここを訪れた際、参道を歩いていて「ここだ!」というポイントを見つけられたそうだ。
それで探そうと歩いていたのだけれど、どうも少し行き過ぎたみたいとのこと。
ということは、「ここ?」
もっと先まで行っていたrunumoさんもやはり同じように感じたらしくて戻ってきて、
三人でその場にしばし佇む。
観光客や修学旅行の高校生とかが沢山いる場所で少々邪魔だったかもしれないが、
どうしても「ここ」なんだもの。
大仏殿の中に入ると、ドワッと巨大な大仏に圧倒される。
大きさというのは、やはり凄い。
人の多さに負けていない。
人の気など問題にならないぐらいの、そこにある存在感の絶対的パワーというか。

下から見上げて、「あの手のひらに乗ってコロコロ転がされてみた〜い」と考えてしまってクスリと笑う。
「世界のすべてが仏様の手のひらでの出来事なんだから、もう乗っかってるのに」と思いなおして。
中をいろいろ見て回っていると、木でできた精巧な東大寺の模型があった。
これの面白かったのは、上の窓が開いていて
外からちょうど中の大仏様のお顔が見えるようになっているところ。
実物は閉じられていて開くとも思っていなかったのだが、
もしかして「正面」を感じた所は本当に大仏様の視線の焦点だった、とか?
この窓は観相窓といって、年に2回だけ開くのだということを後で知った。
これもまた、いつか行かねばなるまいか。
東大寺を後にしたのは午後4時ぐらい。
夕食の支度をしてきてなかったので早めに帰りたいと送ってもらったのだが大渋滞で、
結局駅に着いたのは6時過ぎ。
来る時とはえらい違いだけど、それもそのはず。
阿修羅像を一目見ようと並んでいたあれだけの人が帰るのだから、道路もやはり長蛇の列になる。
というわけで、今回の
「秋の行楽シーズン・駆け足で回る人いきれムンムン奈良の旅スペシャル日帰りコース」は、
これにておしまい。
予想していた雰囲気とはちょっと違ったけれど、結構、充実した旅行を楽しめて大満足。
だけど、次は「静かにのんびり仏と語らう滞在型コース」がいいかな。
sakikoさん、runumoさん、ありがとう。また行こうね。 というか、連れてってねー。
めっちゃ、おもろかったよー!
午前0時は1日2回
今日も今日とて地球儀グルグル。
日本は一番上で干潮で、一番下で満潮になるということらしい。
「あれ?でも、気象庁の観測データでは、一日に2回満干が繰り返されてますよ?」
「えっ、そんなはずは。地球の自転は一時間に15度。二十四時間では・・・」
「360度です」
「上からはじまって、下に来て何時間?」
「12時間です」
「で、上に着たら」
「24時間です」
「おかしいね」
「おかしいですね」
「わかった。0時から始まって、また0時になるから一日2回になるよ」
「いえ、2回目の0時は次の日です」
「何を言ってるんだ。時間は途切れているんじゃないんだよ。ずっとつながってるんだ。
潮も急に満ち干きするんじゃない。あたり一体が影響を受けるんだ」
「しかし、実際の気象庁の観測データできちんと6時間で満ち引きを繰り返しています」
「それがどうして月と関係があると言えるんだ!月だってだいたい同じ位置にあるだろう!」
「ですから、月と太陽の引力と地球の遠心力の相関関係+地形、海流、気圧などが・・・」
「わからない人だねぇ!こうして君と言い争っていても埒が明かない!」
あ、やばい。
またワナワナさせてしまった。
私のような既存の常識に洗脳された人間は、頭が固くてどうもいけない。
日本は一番上で干潮で、一番下で満潮になるということらしい。
「あれ?でも、気象庁の観測データでは、一日に2回満干が繰り返されてますよ?」
「えっ、そんなはずは。地球の自転は一時間に15度。二十四時間では・・・」
「360度です」
「上からはじまって、下に来て何時間?」
「12時間です」
「で、上に着たら」
「24時間です」
「おかしいね」
「おかしいですね」
「わかった。0時から始まって、また0時になるから一日2回になるよ」
「いえ、2回目の0時は次の日です」
「何を言ってるんだ。時間は途切れているんじゃないんだよ。ずっとつながってるんだ。
潮も急に満ち干きするんじゃない。あたり一体が影響を受けるんだ」
「しかし、実際の気象庁の観測データできちんと6時間で満ち引きを繰り返しています」
「それがどうして月と関係があると言えるんだ!月だってだいたい同じ位置にあるだろう!」
「ですから、月と太陽の引力と地球の遠心力の相関関係+地形、海流、気圧などが・・・」
「わからない人だねぇ!こうして君と言い争っていても埒が明かない!」
あ、やばい。
またワナワナさせてしまった。
私のような既存の常識に洗脳された人間は、頭が固くてどうもいけない。
第82回「武禅一の行」8─苦手
「人付き合いが苦手」と言う人は結構多い。
もちろん私もその一人。
口下手で気が利かないので、他人と何を話していいのかわからなくて疲れる。
まあそれも馬鹿みたいな自意識が過剰だからなのは承知しているが、
理由がわかったところで苦手なものは苦手。
本当は一人で居るのが楽だし好き。
とはいえ、それでいいとは思っていないから苦しむ。
人付き合いが上手な人が羨ましくて、自分もそうなりたいとどうしたって思ってしまうから。
人を好きになりたい。関心を持ちたい。
互いに心から楽しんで気持ちの良い自然な会話ができたらどんなにいいだろう。
その欲求は振り払おうとしても消せるものではない。
人が人と繋がりたいのは、根源的なものだ。
だから、私は武禅に行っている。
初めて武禅に行った時、私はその後何度も行く事になるとは思っていなかった。
遠いし、そうそう家を空けられないし、お金もかかることだから
一生に一度の大冒険になるだろうと思っていた。
この際、知りたいことは全部聞こうと思ったし、
できるだけ欲張って何でもチャレンジしなくては勿体ないとガツガツしていたと思う。
結局、一度や二度で何かをつかめると考えていたのが大間違いで、常連化しつつあるのだが、
その気持ちは今も変わってはいないどころか、より強まるばかり。
その私から見ると、せっかく武禅に来ているのに消極的な人がいるのが不思議だ。
もっと先生のそばに寄って他の人を押しのける勢いででも前に出ようって気はないのかな、と。
強く求めるものがあるからこそ、わざわざ来ているはずなのに質問が出ない。
食い下がらない。突っ込み入れない。意見を言わない。
それって無口でおとなしい性格だから?
ある人が、仕事での人間関係で悩んでいるという話をしていた。
彼は会社の飲み会には出ないのだそうだ。
「苦手」ということで。
もう40代も半ばだけれど若い頃からずっとそうしてきたのだとしたら、それは悩むだろうと思う。
好き嫌い、得手不得手が許されるのはガキのうちだけ。
仕事の場では求められている人間にならなければならない。
自分の「苦手」は相手にはどうでもいい、こっちの都合。
どうしたらいいかは既に見えている。
どうするかは自由。
もちろん私もその一人。
口下手で気が利かないので、他人と何を話していいのかわからなくて疲れる。
まあそれも馬鹿みたいな自意識が過剰だからなのは承知しているが、
理由がわかったところで苦手なものは苦手。
本当は一人で居るのが楽だし好き。
とはいえ、それでいいとは思っていないから苦しむ。
人付き合いが上手な人が羨ましくて、自分もそうなりたいとどうしたって思ってしまうから。
人を好きになりたい。関心を持ちたい。
互いに心から楽しんで気持ちの良い自然な会話ができたらどんなにいいだろう。
その欲求は振り払おうとしても消せるものではない。
人が人と繋がりたいのは、根源的なものだ。
だから、私は武禅に行っている。
初めて武禅に行った時、私はその後何度も行く事になるとは思っていなかった。
遠いし、そうそう家を空けられないし、お金もかかることだから
一生に一度の大冒険になるだろうと思っていた。
この際、知りたいことは全部聞こうと思ったし、
できるだけ欲張って何でもチャレンジしなくては勿体ないとガツガツしていたと思う。
結局、一度や二度で何かをつかめると考えていたのが大間違いで、常連化しつつあるのだが、
その気持ちは今も変わってはいないどころか、より強まるばかり。
その私から見ると、せっかく武禅に来ているのに消極的な人がいるのが不思議だ。
もっと先生のそばに寄って他の人を押しのける勢いででも前に出ようって気はないのかな、と。
強く求めるものがあるからこそ、わざわざ来ているはずなのに質問が出ない。
食い下がらない。突っ込み入れない。意見を言わない。
それって無口でおとなしい性格だから?
ある人が、仕事での人間関係で悩んでいるという話をしていた。
彼は会社の飲み会には出ないのだそうだ。
「苦手」ということで。
もう40代も半ばだけれど若い頃からずっとそうしてきたのだとしたら、それは悩むだろうと思う。
好き嫌い、得手不得手が許されるのはガキのうちだけ。
仕事の場では求められている人間にならなければならない。
自分の「苦手」は相手にはどうでもいい、こっちの都合。
どうしたらいいかは既に見えている。
どうするかは自由。
正統派ケーキ?
今日はパンじゃなくてケーキ。

はい、こんがり。

チョコチップも入れました。
バターも砂糖もどっちゃりこん。
これがまた、美味しいんだな〜。

はい、こんがり。

チョコチップも入れました。
バターも砂糖もどっちゃりこん。
これがまた、美味しいんだな〜。
宇宙の上と下
大きな地球儀を買わせた。
地形がリアルに立体的になった高級なもので、5万5千円もした。
クルクル回しながらいろんなことを考える。
「宇宙には“上も下もない”から、逆さまにしたら全然別の星のように見えますね」
「どこから見ても、“中心に”引力は働いているんですよね」
「“公転面に対して”の23.4度の傾きって目で見ると結構ありますね」
てなことを一応、言ってみた。
しかし返ってきた言葉は、
「この地軸の傾きが、潮の満ち干きを作ってるんだよ」
だった。
今、世界中の潮の干満のデータを調べて比較している。
物は上から下に落ちていくもの。
地軸が傾いているおかげで水は高いところから低いところに流れていく。
しかし地球は自転しているので、一日で360°位置が変わる。
だから潮の干満がおきる。
例えるなら、傾けたお皿の中の水が移動するように。
現在言われているような月と太陽の引力や遠心力とは一切無関係。
それを証明する。
宇宙の中の、高いところと低いところ・・・・・・
いいけどね。
あまりに理屈に合わないデータが集まるようだったら、
気象庁に電話で問い合わせることになっている。
それはちょっと、避けたい。
地形がリアルに立体的になった高級なもので、5万5千円もした。
クルクル回しながらいろんなことを考える。
「宇宙には“上も下もない”から、逆さまにしたら全然別の星のように見えますね」
「どこから見ても、“中心に”引力は働いているんですよね」
「“公転面に対して”の23.4度の傾きって目で見ると結構ありますね」
てなことを一応、言ってみた。
しかし返ってきた言葉は、
「この地軸の傾きが、潮の満ち干きを作ってるんだよ」
だった。
今、世界中の潮の干満のデータを調べて比較している。
物は上から下に落ちていくもの。
地軸が傾いているおかげで水は高いところから低いところに流れていく。
しかし地球は自転しているので、一日で360°位置が変わる。
だから潮の干満がおきる。
例えるなら、傾けたお皿の中の水が移動するように。
現在言われているような月と太陽の引力や遠心力とは一切無関係。
それを証明する。
宇宙の中の、高いところと低いところ・・・・・・
いいけどね。
あまりに理屈に合わないデータが集まるようだったら、
気象庁に電話で問い合わせることになっている。
それはちょっと、避けたい。

