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沖縄WS最終日

沖縄WSの最終日は、予想していた通りというかそれ以上に駆け足で時間が流れて行った。
さっき始まったばかりと思ったら、あっという間に身体塾が終わり、質問が休憩時間に半分食い込み、表現塾はもっと加速。
何かが出来るようになるわけではないとわかってはいるけど、少しぐらいは進歩できるんじゃないかという期待はいつもあっさりと裏切られる。クー・・・。

最終日の身体塾は、人の身体の不思議あれこれを実感して驚きの声があちこちから上がった。
筋肉を使って力で動かそうとすると、抵抗がかかるし衝突を生む。
力めば自分も痛いし疲れるし、相手も力ませ「なにくそ」と感情を刺激する事もある。
しかし、身体の自然の流れに任せれば、何も力を入れずどこも無理をせずに大きな力が出る。
「ねじれ」を力を抜いて戻すだけで。
そこには作為的なものは一切ないので、相手は動かされながらも「えっ?」とあっけにとられる。
「今、何が起こったの?」と呆然とし、見事な手品で騙された時のように、「うわー、やられたー。面白い〜」と喜びさえ湧いて来る。
タネもシカケもあるのだけれど、それはなぜかはわからない。
ただ、そういうふうにできている。
人の身体はほんの少しの微細な変化も見事にキャッチし、反応する。
身体は天才。だけど頭は馬鹿なので何も感じない。
ここの差はあまりにも大きい。

馬鹿な頭は賢ぶり「わからないこと」を一所懸命考える。理屈を探す。答えを求める。
「なぜか」「なぜか」「なぜか」
一生やっとけや。ということになる。
「そういうふうにできている」ものをいかに多く見つけるかが、自分をより深く知ること。
すでにあるものを受け入れて「それならどうする?」を考える人だけが、自分の取り扱い方法を獲得して行けるのだ。

「なぜか」を考える頭人間は多い。
自分なりに組み立てた理論に身体を当てはめるような動きをやって、本来の稽古の意味から外れてしまう人もいる。
「これはこうなるべきだ!」という頑なさもまた、自覚なくやる癖のうち。
そういう人を見るたびに、「こんな所にも私がいる」と可笑しくなる。

自然な身体の反応が許せなくて、動きに抵抗を試みる人もいる。
踏ん張って絶対に動くまいとする、又は、相手を動かすまいと力を込める。
そんなことをやっているのではないという事がわからない。
「絶対に頑張ったらダメや。踏ん張ったらあかん」先生は言われる。
「それは、死にます」
動きを止めようと力んだ身体はもう動けない。
容易く屠られ、息の根を止められる。
先生から指摘を受ける人を見て、私の胸がズキズキ痛い。
「あー、私もやりましたぁ」
はい、頑張っちゃう人です。自我の塊です。すぐ殺されます。


強い力は実は弱く、相手に従う無力さこそが強いというパラドックス。
だから武道は面白い。だから、人間は面白い。

そして、表現塾の方でも、私を発見。

正面を合わせて「どうぞ〜」の誘導をやっていた時。
直前まで向かい合って「なまむぎ」の様々なパターンをやった人と組んで、なんとなくはできているような感じにはなっていたのだが、シビアに言えば違うというのを感じてきていた。
先生が何度も「ガッチリ合わせなければいけない」「ほんの微細な動きでも崩れる」と強調されているほどに、本当に合っているのかといえば決してそうではないのには気付いてる。
このままなごやかな雰囲気を保てば互いに気持良いし、楽。
しかし、それは本当ではない。
自分と相手を大事にしているか?
我々の時間とお金とチャンスは、ぬるい心地よさと引き換えになどできないものだ。
感じたこと、気づいた事を口にするようになると、相手は困惑し次第に表情を曇らせていく。
私も何がマズい、どこをどうしたらとかの指摘が的を射てるとは言えなくて、ただ、違うのだけは感じているという状態だから、工夫がすべてから回り。
努力してもうまくいかない状態は辛い。
周囲は皆できていて楽しく笑い合っているというのに。
ついにペアの彼女の口からこんな言葉が出た。
「私が何をやっても受け止めてもらえてない、拒絶されているような感じを受けます」
彼女の気持ちはとてもよくわかった。
それは時々私が感じてしまうことだから。
他の優しい人と組めばきっと上手くいくはずなのに、この相手だから出来なくされているという苛立ち。
何を求めているかがあいまいだと湧いて来る思いなのかもしれない。
この場で成功したいのか、本当に出来る自分になりたいのか。

出来る事を出来る範囲内で無理なくやっていたのでは稽古にならない。
限界を超え、出来ない事をやろうとするから進歩がある。
試行錯誤をすることがないのなら、それは何もやってはいないのだ。

今回は曖昧で態度を決め切れなかった私が悪い。
けれど、お陰で私の表にはっきり出てきていなかった思い違いと歪みに気付くことができた。
他人というのはどんなときでも、鏡であり、最高の師としてそこにいてくれる。
ありがとうございます。


先生、一緒に稽古した皆さん、充実した三日間をどうもありがとうございました。
次に来る時には、もっと肩と目の力を抜いて(笑)、もっとエネルギッシュになって来ますね。
沖縄、大好き!
みんな、最高!!
お元気で。
また会いましょう!!!
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2008年07月23日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:0

沖縄の空気

 リクエストにお応えして写真です。





  
 
 

2008年07月22日 未分類 トラックバック:0 コメント:2

沖縄2日目

2日目身体塾は、昨日組んだ人の後輩の方と組んだ。
やはり同じ仕事をされていて、「こうしますよ」「ここの力を抜いてください」という言葉が身についているので、「なんだか頼れる〜」という印象を受ける。
腕ふり運動の応用から、ねじれ、ねじれを逃がす、全身のねじれ等をやった。
身体に興味がある人はいろいろと工夫をする。
うまくいかない理由を考え、どうやったらと自分で試し、相手への力の伝わり方を確認し、同じ方法で逆の立場をとってみることによって検証する。
人へのアドバイスは、実は自分の動きを分析しているのと同じだから、自分が「こうしたら上手くいった」と思っている事が通用しない時は、何かが間違っていると気づける。
もしかしたら、上手くいっていないのかもしれない。
もしかしたら、注意して変えてみた部分ではない所が鍵かもしれない。
やっていると、自分が常日頃いかに自分の身体に無自覚であるかを思い知る。
それを自覚させてくれる他人の有り難さ。

表現塾では、「こんにちは」から「なまむぎ」へ。
大きな声を出せばいいわけではないが、とにかくテンションを上げるため、大声を張り上げ、オーバーアクションを心がけた。
初めて見て「ええっ、そんなにも?」と引いたり笑ったりしていた人も、やってるうちに「楽しくなってきた」と表情がどんどん明るくなってくる。
「もう、これ以上の声は出ない」はずだった人がいつの間にか、「あれ?出るね」

休憩を挟んで、次に組んだ人はまた前のメンバーとは違う人で、私が調子に乗って大声を出していると今度は怖がられてしまった。
「目が怖いです」「大声が怖いです」
目は日野先生からもよく注意をされる。それこそ無自覚に力の入ってしまう場所。
人の嫌がる事をしながら「私の声を聞け!」もないもんだ。
目をあまり見開かないように、声も抑え目にして、それでエネルギーだけ届けるにはどうしたらいいか。
これもまた工夫。
相手の方は、声が小さくて表情も硬いのだけれど、切実な真剣さをまっすぐ向けてくる人。
怖くない目にするにはと私が悩んでいると、「ちょっと目をつぶってやってみてくれませんか」と言われ、その通りにしてみる。
相手の目を見ないと、どこに向けているのかわからなくて私は不安でまったく自信はないのだけれど、それでも強いものは伝わってくると言われるので、しばらく続ける。
あちらからの「こんにちは」には、声をすべて包み込んで全身で受け止める気持ちを表しながら。
そのうち彼女の顔が柔らかくなり、笑顔がこぼれだした。
「なんだか、楽しくなってきました」
その顔を見て「私も楽しいです」
そして「目をあけて言ってみてもいいですよ」と言われ、そうしてみると、「この目は怖くないです」。
先ほどの力を抜いてやってみて駄目だった目と今の目と、どう違うのか私にはわからない。
だけど、「今は柔らかい目です」と言われる。
私からすると、表情が柔らかくなったのはあちらだと思うのだけれど。
正面を合わせるうちに、互いにほぐれて、互いに柔らかく、互いに楽しくなったのかなと笑いあう。
嬉しくてくすぐったい気分。

正面合わせての「どうぞ〜」も、引き続きその彼女との稽古。
「ホンマかいな」と思うぐらい、スムーズにできる。
それを見ていた周囲の人が「お願いします」と次々にやってきては試してみる。
先ほど「なまむぎ」の応酬をやった人たちからは「ぽあんさんにパワーをもらいましたよ」と言ってもらうしで、「こちらこそ、こんな中途半端な私に対してそんなにも素直に受け止めてもらって」と、どうしていいのかわからなくなる。
純粋な心の人たちが私に教えてくれた事は今ここには書かないのだけれど、沖縄に来て良かった。
この人たちと接する事ができて良かったと思う。

沖縄ワークショップもあと一日。
きっといつものように、あっという間に終わるだろうと私は知っている。
どれだけ濃密な時間にするかが勝負。

よろしくお願いします!

2008年07月21日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:2

沖縄初日

19日、キジムナーフェスタ開幕。
身体塾は13:00から。
会場のコザ運動公園までは私のホテルから少し歩くようなので1時間前に出発。
暑い。が、日中の温度は広島とあまり変わらないように感じる。
いつも強い風が吹いているので、かえって気持ちがいいぐらいだ。
・・・・・・・・と思ったのは最初だけ。
地図で見るのより運動公園ははるかに遠く、沖縄の日差しはあまりにも強かった。
武道館に着くころには、真っ赤っかの塩茹でタコの一丁上がり。
早く日野先生に挨拶に行きたいのに、汗がひかなくて参った。

初日の身体塾の参加者は80数人。
午前からのバレエワークショップから続けて受講する人も多いらしい。
また、当日かけこみでの参加者も10人ぐらい。
一般の人で何も知らなくても、とにかく「身体の動かし方を教えてくれる」というので興味を持って来たという話をされてる方がちらほら。
うん、確かにここでは「身体の動かし方」をやる。
だけどそれは普通に言われるところの体操とかテクニックとかではないんだよなぁ、と、ニカニカしてしまう。
初参加の人が自分が自分で思うような動き方ができていないという事を知った時の驚きを思うと、つい。
はたしてワークショップは、日野先生の「どうして身体は動く?」という問いかけから始まった。

日野身体理論の基本は姿勢。
まずは、背骨を伸ばす胸骨の引き上げから入る。
ペアを組み、片方に胃の後ろあたりからグーっと持ち上げてもらうと感覚がつかめる。
私は組んだ人が100キロ以上の人だったので、ちょっと無理がある(笑)。
そして、その背中に手を当てたままで歩くということをやった。
触れて歩く。
ただそれだけのことでも、触れられてる人には、その手の相手が自分を感じてくれているか、余所見をして自分勝手にしているかがはっきり伝わってしまうという実験。
私の組んだ人は大男ではあるけれど、人に触れる仕事をされているだけあって手はとても繊細で、緊張している部分をすぐ見つけてくれる。
こういう駄目出しをしてくれる人と組むと、「じゃあこうしてみようか、いや違った、こうか?」といろいろ工夫ができるので面白い。
ただ、行き過ぎると、とんでもない方向にそれて、ほかの人とぜんぜん違う事をやってしまっていたなんて事にもなりかねないので、気をつけなければならないのだけれど。(今までの経験上)

その後、いつもの腕ふり運動。
運動自体はこれまでと同じ動きだけれど、その時々において、先生の細かな指示に違いがあるのがこの運動の特徴。
いや、運動に限らず、すべてその時の相手に合わせて変えていくからそうなのだろうが。
関係は生き物で常に変化しており、こうしてただ皆で腕を振っている時でも関係をし続けているのだから。

先生からの指示の差は、「ここを感じて」「こんなイメージで」といった小さな所なのだが、何度かやっている私にはその都度新たな発見があり、また混乱もする。
休憩時間にその点について、和子先生に質問してみた。
「以前はこう言われていたのに、今回言われた事と矛盾するんじゃないですか」
「それは工夫せんとな。どうやったらそれができるようになるのか」
とにかく数をこなすしかないということだ。
やってやってやり続けたら、「あっ」とわかる時がくる。
先生方は、この腕ふり体操を徹底して4年間やり続けたそうだ。
先生方の「やる」は半端じゃないわけで、ぬるい私には20年30年してもたどり着けない所だろうと思う。
「腕ふりだけで一生仕事ですね・・・」と遠い目になってしまった私に和子先生は、
「この体操は奥が深いで」と、目をキラキラさせて言われる。
「これには大切なものが全部入っていると言ってもいいかもしれない。これさえできたら、あと、全部わかる」
ええええええ!!!!そんなにスゴイの?
そう聞いて「よーし、頑張るぞ!」とがぜんやる気になる私。
「意味があるからやる」という所からいまだ抜けられず。(自爆)


一時間休憩をはさんで、16:00から表現塾。
こちらでは人との関係性がより重視される内容となっている。
まず、相手に従うという事から入る。
腕を持って引く。それに従う。ほんの少しの抵抗も違和感もあってはいけない。
「難しい」「できない」という声があちこちから上がる。
「当たり前や。難しい事をやってんのや。そんなんできるか。できんで当然や」と、これもまたいつものように先生は言われる。
すると、ちょっと今までに無い反応をする人がいた。
「あ、そうか。これはできないってことがわかればいいんですね。うん。だったらそれはもうわかりました」
と終わってしまう人。
「は?」 だ。
いや、やってもできないんだけどさ、少しでもできるように稽古しようや。
というか、私はしたいんだけど、それは無視?

そうかと思うと、軽々とできてしまう人もいる。
「できてる」「わー本当だ」「一体感がある」「軽〜い」
本当にそうかなぁ? 

さてさて、いよいよ正面向かい合い。
「正面が合ったら、センターのラインに何か感じるから」
という先生からの指示だけで、まずやってみる。
またしても「わかる」「わからない」「そうです」「ちがいます」がすぐ始まる。
あれ?と、私は奇妙な感じがした。
人と正面が合った時のセンターの感覚、これって、皆、初めてじゃないのかな?と思ったのだ。
「うわ〜〜〜、なにこれ!」「ええっ、本当?」との驚きが聞こえてこない。
「ふんふん」「こんな感じか」と、淡々としてるというか。

淡々としているわりに、疲れてしまうという人もいる。
「やろう」と声をかけても、「今は無理。休ませて」と。
面白くて「もっと、もっと」とならない人もいるのだなと、それもまた新しい発見ではあるのだけれど。

沖縄の人には強かで逞しくて生命力にあふれたラテンのイメージも持っていたのだけれど、どうもテンションが低いような気がする。
きっと内に秘めた情熱はものすごいのだろうけれど、それがバーンと外に出てきてないような。

10人が輪になって、次々に正面をあわせていくのをやった時、私は全員からOKをもらった。
皆が言うのには私は「目力が強い」のだそうだ。
そう言われる事は嬉しくはあるのだけれど、武禅の仲間や日野武道を続けている人が見たらどうだろうなと思うと、とても手放しで喜べない。
彼らには私がそう見えるぐらいまだわかっていないし、エネルギーを出すことに慣れていないだけなのだから。

明日の声を出す稽古では、全員が殻を破りはじけて会場がエネルギーの渦となることを期待しよう。
そして私も、もっと盛り上げなくては。
ここでの私の役割は、何だ?!



2008年07月19日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:2

沖縄入り

朝8時半に家を出て、夕方無事、沖縄に到着した。

広島空港からは一日一往復しかしていないので、時間の関係上、福岡発着というプランを組んだ。
何しろ我が家はド田舎だ。
朝一番のバスは6時半で、JRの駅まで30分。そこから30分で広島駅。リムジンバスで空港まで50分。
どうやっても8時10分発の飛行機には乗れない。
タクシーで出るぐらいなら、福岡を昼に飛び立つ便にしたほうが時間的には都合が良い。
広島駅から福岡空港まで1時間ちょっとだもの。

予定通りにスムーズに来れたけれど、今回は荷物が重くてそれがもう大変だった。
まだワークショップも始まってないのに、肩こりバリバリ。
重かったのは、ノートパソコンを入れていたせい。
宿が無線LAN環境にあるということだったので、前日急遽、HPスペースにチャットcgiを設置して娘たちとの連絡用に使おうと持ってきた。
娘たちはまだ私がいないと寂しがってくれるから。
しかし、夕方長話をして「また後で」と言いながら寝てしまい、気がつくとこんな時間。
まあ、仕方ないか。。。


さあ、明日からギジムナーフェスタ。
同じフロアに泊まりの女の子3人組もそれ目的だと宿の人に聞いたが、どこのワークショップに参加だろうか。
身体塾・表現塾だと面白いのだが、どうかな。

沖縄は、私は23年前に勤めていた会社から社員旅行で来た以来。
その時は駆け足での観光地めぐりだったので、町並みや人をじっくり見ることがなかったように思う。
改めて見回すと、ここの景色にも人にも独特の雰囲気があるのを感じる。
看板は日本語だし、見慣れた店も多いのだけれど、建物が違う。
作り、色、あせ方、落書きのセンス。
植物も違う。
街路樹にしても庭木にしても、どの種類の木も枝が曲線的で葉が若干肉厚なのか重みを感じさせる。
近いけれど、違う。
この感覚が楽しい。
「これはこういうもの」としてきた自分の思い込みを裏切られるのは、いつも新鮮で発見がある。

今回のワークショップでは、いくつの発見ができるだろう。
どんな衝撃的出会いがあるだろう。
何を感じ、どんな落ち込み方をするか(笑)。
目を皿にして、耳をダンボにして、皮膚を敏感に、頭を静かに。
鈍感な私はすぐに自分が何をしているか、すべきかを見失いがち。
それはわかってる。
だから、より注意深く人を見なくては。
自分を振り返らなくては。
照らし合わせなければ。

自分をぶっ壊す勢いで頑張るぞ〜〜〜。

2008年07月19日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0

絶交ごっご

先日、夕方にスーパーに買い物に行くと、しばらく会ってないのでそろそろランチorお茶のお誘いでもしようかなと思ってた友人とバッタリ。
丁度良かったとばかりに2人とも買い物カゴを下げたまま、30分以上(もしや1時間近く?)も喋り続けた。(汗)
それくらい積もる話があったから。

小学校ではここのところの生徒の荒れ対策の一環として、保護者に気軽に学校の様子を見てもらえるよう、フリー参観日を実施している。
いつでも立ち寄っていいのだが、より来易くするためにとりあえず先々週は3日ほど日にちが決められてPTAだけでなく地域にも公開された。
友人の子どもはもう卒業してしまっているのだが、たびたび学校に来てくれていると娘たちから聞いていた通り、3日すべてに顔を出してくれていた。
問題の男子たちは最近は少し落ち着いてきていて、授業中も立ち歩く子はいなかったらしい。
しかし、そのかわり彼女が気になったというのが“女子”の様子。
「あ、やっぱりわかった?」
そう。
実のところ、男子の暴力も困ったものだが、女子の陰湿ないじめは更に深刻なのだ。
修学旅行前の緊急学年保護者会では、私は娘から聞いていたその問題にも触れ、保護者に対して「家庭で是非とも話し合ってみて欲しい」とお願いしたのだが、いまだ何も改善はされた様子は無い。

女子のいじめ。
それは「虐め」には違いないけれど肉体的虐待も含まれる強い言葉となるのを避ける為、私はあえてそれを「絶交ごっこ」と名付けて説明した。
娘から聞いていた話は以下の通り。

中心人物は一人。
顔も可愛いくないし、成績も普通、親も普通。
特に何に秀でているわけでのないのだが、底意地の悪さだけは天下一品で、そのわけのわからなさが周囲の子を翻弄し従わせている。
彼女は皆で仲良く遊ぶということを絶対に許さない。
人が3人以上寄ると、必ず誰かが仲間はずれにされる。
1人の悪口を言い、嫌がらせをすることでその他の人たちの結びつきは強くなる。
いつも誰かがスケープゴート。
だが、それは誰とも決まってはおらず、理由もない。
女王のご機嫌しだい。

「あの子、ムカツクと思わない?」の一言がゲーム開始の合図。

うっかり「え?そんなことないよ」とでも返してしまうともう大変。
ターゲット変更。女王の指令への反逆は重罪だ。

そうなると登下校も一人、休憩時間も一人、給食も一人、 誰も話しかけてもくれない。
そのくせ、ちらちらとこちらを見ては、わざと聞こえるように「ブスのくせに」「キモイんだよ」「わっ、バカが見てるよ」と悪口を言い、反応を見る。
授業中に悪口を書いたメモが席から席に回される。
「こんなことはやめて!」と直談判しても無駄。
「やっていない。言っていない」で押し通し、それが通しきれなくなると「ゴメンね。許して。もう責めないで」と泣き伏して同情を買う。
それ以上、何もできないのを承知の上で、涙の下でペロリと舌を出して逆に被害者を装うえげつなさには誰も敵わない。

虐めに加わらなければ自分が虐められる。
虐めに加わってても安心はできない。
虐めたら虐めた分だけ後で仕返しが来るのはわかってても、少しでも女王様のご機嫌をとっておいたほうが有利かもしれないと、やり方はより陰湿に執拗にエスカレート。
汚いのは、先生や親たちの前でだけでは急に仲良しになることだ。
ニコニコと親しげに話しかけてくる。楽しく一緒に遊ぶふりをする。
振り払えば、そうした方が悪者になる。
かといって仲良しのふりに乗ると、後で「いい気になって」「嬉しそうにしやがって。馬鹿じゃね?」と、これも悪口のネタにされるのはわかっている。
だから居心地悪く、唇を噛んで耐えているしかない。

こういった流れは5年生の頃から始まっていたという。
娘は仲間はずれも悪口を言うのもしたくなくて加わらないので、再々嫌な目にあってきた。
どうにかこの人たちと離れたいと、6年になる春休みの間中、「クラスが別になりますように」と毎日毎日祈っていた。
その願いが天に届いてか、意地悪グループは全員もう一つのクラスに振り分けられ、今は気持ちいい人たちに囲まれて楽しい学校生活を過ごしている。

クラスは離れても虐めの女王とは同じ町内で家が近いので、これまでの調子で奴が擦り寄ってくることはあったそうだ。
「ねえねえ、私☆☆と絶交したんじゃ。だから一緒に帰ろう」
誰と絶交しようが関係ないが、方向が同じだから並んで歩いた次の日、
「今日は☆☆と帰るから、あんたとは帰れん」と、わざわざ言いに来る。
????
「ねえ、私と遊んでも□□とも仲良くしてあげて」と、
別に仲が悪くもない人の名前を唐突に持ち出して頼んできたかと思ったら、
翌日には手のひらを返して「どうして□□と遊ぶの!」と怒ってる。
????
用事があって隣のクラスに入ると、「どうしてこっちにおるん」「ブスゥ」「キモォ〜イ」と例によってヒソヒソ。
!!!!
そして、娘を逃すまいとしてか、あろうことか「△△って調子にのってるよね。絶交しようや」とまた持ちかけてきたのだ。

我慢の限界にもほどがある。
娘は怒った。
そして、絶交を宣言した。
意地悪グループの女王に。その取り巻きたち全ての子に。

その話を聞いた時、私は正直言って少しばかりがっかりした。
相手がやってくる同じことをして、同じ土俵に乗ってやることなんかないのに。と。
しかし、娘がこれでケリがついたとしてサッパリとしている様子を見ると、これが一番いい方法だったのかなと思う。

意地悪グループの子達は、同じ町内の同学年の女の子の全員。
だから、先週の自治会のそうめん流しでは、娘は一人でいた。
堂々と。最後まで。
私は自分の立場上、どの子にも同じように接しなければならないし、育成会の親との付き合いもあるので胸が痛んだのだが、娘の強さが誇らしかった。

ある時、意地悪グループの一人がこっそり娘に打ち明けたことがあると娘が教えてくれた。
「私だって、嫌な事を沢山やられてきたよ。
 人の悪口を言うのも本当は嫌だけど、やらないとやられるからするしかないでしょ。
 私は一生懸命に頑張ってきて、そうして今こうして仲間でいられてるのに、
 それなのに、あんた○○だけ抜けるなんて、そんなのズルいよ!

可哀想な子たちだと思う。

グループの子たちには、元はきれいな目で可愛い顔立ちの子もいたが、今は皆、人相が変わってしまった。
それは私がそんな目で見るからそう感じるのではなく、事情を知らなかった友人が見ても「これが本当に昔のあの子なの?」と驚くほどの変わりようだという。

「絶交ごっこ」の話は全てではないが、あらかたを保護者には伝えた。
中には「うちの子も関わってるのは知っている」と言う親もいたが、だいたいはあまり深刻には考えていない。
そもそも、家庭で会話が無いのかもしれない。

5年生の頃の担任は厳しいがハートのある人で、こういった兆候にいち早く気が付いて、仲間はずれを作りたがる子たちに「どうしてこんなことをするのか?」と問い詰めたこともあったようだ。
答えはなかった。
どの子も「わからない」。
たぶん、5年の担任はその原因を知っていた。
だから親に「もっと子供に関心を持って欲しい」と訴え続けていた。
しかし、親にも「わからない」のだということには気づいていただろうか。

誰かを悪者にすることで平和と連帯が保たれる人間関係を常識として植えつけているのは、家庭なのだ。

2008年07月17日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0

稲妻

久々に雨が降った。
午後になって急に雷の音が響き、土砂降り。
私の仕事が終わる頃には上がっていたのだが、娘たちの下校時間には丁度一番ひどい降りだったらしい。
そして、驚いた事に、娘2人の丁度間に雷が落ちたのだと言う。
坂を上るグネグネ道で、2人とも傘を差していたし、すぐ横に車もあったというのに、よりによって何もないアスファルトの道路の道にドンと白い閃光が走ったと。
そんなことってあるの?
しかもその稲妻は直径数センチぐらいの細い光線。
あたりが一瞬真っ白になり、下の娘は驚いてヒャーヒャーと駆け回っただけで何が何だかあまり覚えていないとか。
雷は金属とか高い場所に落ちるものではないのだろうか。
昔、稲光を見て失明したという設定の映画があったが、それは嘘?
と、謎は多いが、とにかく怪我がなくて良かった。
こればっかりは「気をつけなさいよ」と言ってもどうしようもないから。
日常って結構、スリリング。

2008年07月16日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0

ラン猫のお手柄

昨夜、布団を敷いてそれを座布団代わりに↓のブログ記事を書いていると、ラン猫がやってきて、私の部屋でやたらと騒いでいた。
飛んでいるハエでも追うように、箪笥の上に飛び乗ったり、クローゼットと壁の間をしきりに気にしたり。
しかし私には何も見えない。
「うっとうしいからあっちに行って」と追い出しても、また戻ってくる。
そして、私のおしりの下をチョイチョイっと。
ん?・・・・・・!!!!!ムカデ!
「きゃ、やだもう。殺虫剤!新聞!何か!早く早く、逃げる!」もう大パニック。
逃げ込んだ隙間に、ムカデキンチョールをシューシュー。
ムカデたまらず出てきてのたくる。しかし、逃げようとすごい勢いで移動。
逃がしたら一晩中、見えない恐怖と闘わなくてはならない。そうはさせじ!
そんな切羽詰った私がとったとっさの行動は、ムカデキンチョールのスプレー缶の底で トンッ と。
あわれムカデは真っ二つ。
長男がすぐに新聞紙で包んで捨ててくれた。
ホーーーーーッ、刺されなくて良かった〜〜。
ラン猫、お手柄。
PA0_0000.jpg

と、それはそれで終わったが、今朝方、もう一騒動あった。
私が目覚ましの時間より早く目が覚めて、もう一眠りしようかどうか布団でウダウダとしていると、急に天井から怪しい音が聞こえてきた。
何かが移動している音。
「すわっ、ムカデか?」と飛び起きるも、天井裏からなので姿は見えない。
ムカデにしては、大きいような。でも、蛇なら足音はしないはず。ネズミならもっとチョロチョロ動くだろう。鳥なら羽ばたきでもしそうなもの。猫や犬ならもっと重い音。イタチ?それにしても、せわしない足音だけで、ウンともスンとも泣き声一つしやしない。
やっぱりムカデか? 音から察するところ、ゆうに50センチはありそうな。。。。そんなバカな!
夫を起こして来てもらっても、やっぱり正体はわからない。
棒で天井をつつくと隣のリビングに移動して、やはりゴソゴソ何かしてる。
音だけでは、さすがのラン猫も手の出しようがない。
真ん丸い目でじっと音の行方を追うばかり。
もう、こうなったら、天井裏にラン猫を放り込んで退治してもらおうかと思っていたら、ふいに音はやんで、二度と聞こえなかった。
一体、何だったのか、謎だ。

また不眠症の夏がやってきた。

2008年07月15日 私と私につながるものたち トラックバック:0 コメント:1

夏だねぇ〜

毎年、夏のこの時期になると団地の公園整備とそうめん流しがある。
今年は自治会休会という事態もあり、どうなることかと心配されたが、無事この日曜日に開催できた。
前日の準備の日ともどもお天気にも恵まれもしたし、育成会と消防隊の協力体制もバッチリ。
これまでで最高のまとまり方だったのではないかと思う。
去年のゴタゴタが嘘のよう。
連日誰がどうした何を言った言わないで揉めくりかえして、トラブルは続くし、人間模様と力関係のどうでもいいような問題ばかりが「これでもか」というぐらい噴出していたというのに。
その人達は今はもういない。
消えた。
見事なまでに、ややこしい人達が一掃されているのは不思議な感じだ。
変わらず団地に住んでいるし、挨拶はするけれど、自治会には出てはこない。
誰も何をしたってわけでもないのに、勝手に騒いで引っ掻き回して自爆、もしくは疲れ果てたか。
おかげで今年は楽な事。
大人の気分を子どもは敏感に察知する。
そうめん流しは、子どもに故郷を作ってやりたいとの熱い思いに溢れた人が5年前に企画したもので、その彼は毎年、丸かじり用のトマトを用意してくれていた。
しかし、かぶりつくのは私の子達をはじめとしてほんの数人ぐらい。年毎に徐々に人数は増えてはきていたが、まだまだ多くの子は食べているのを羨ましそうに見ていながら手を伸ばそうとはしなかった。
どうも、自治会や消防に仕事を押し付けられている意識で苛立っていた母親の顔色を伺ってビクビクしていたようなのだ。
それが今年は、「トマトあるよ〜」と一声かけただけでワッと皆が押し寄せて、たらいの氷水で冷やしたトマトやすももを頬張ってニッコニコなんだから。嬉しいのなんの。
そんな感じのまま、そうめん流しも大盛況。
そうめんながし1
そうめんながし2 そうめんながし3
子どもが喜ぶのも嬉しいが、今年初めて参加したという大人の人が「こんな美味しいの食べたの初めてだ!」と感激の声をあげてくれるのもまたたまらない。
続いてよかった、関わってこれてよかったと心から思う。
そうめんが終わってひとごこちついたら、今度はスイカ割り。
最初は普通にスイカを叩いていたはずが、いつの間にやらスイカの横に人が並ぶようになって・・・・
すいかわり1  すいかわり2
↓こうなると、あきらかに、狙ってるもの違うだろ! 
すいかわり3 すいかわり4
ちなみに、叩いてるのが私の娘たち。
で、叩かれてるのが義光さんだったりする・・・。スンマセン。いつもこんな役させて。

夏休みは目前。
ラジオ体操やら、陶芸教室やら夜回り、カレー、花火大会と盛りだくさん。
まだまだ楽しくなりそうだ。

2008年07月15日 私と私につながるものたち トラックバック:0 コメント:1

車の中でやることといったら

「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴッ!!!」

通勤は夫の車と公共交通機関を利用するので、このところあまり車を運転していなかったのだが、新しい車に慣れる為に、昨日はプレオで会社に行った。
バイパスを飛ばしながら車内で久方ぶりに大声を出す。
気持ちいい。でも、ケホケホ・・・ 胸骨上げて、さあもう一度。
エネルギーが湧き出て体中に廻るのを感じる。
かけるCDはもちろん「狂い咲き」。いい空間だ。
会社に駐車場がないからコインパーキングを利用するしかなく毎日の通勤には使えないのが残念だが、山奥の温泉にドライブがてらに行く時にでもできるし、気兼ねなく大声を出せる場所というのはやはりいい。

「ナマムギ」も「コンニチハ」もいいけれど、そういえば背骨を床につける運動も最近はやっていなかったと思い出す。
こちらは部屋で静かにできるのに。
やってみる。イテテ、イテテ・・・うん、相変わらずぎこちない。
岡山WSの時はお尻に赤剥けができたっけ。
また今度も赤剥けと筋肉痛、骨痛とハスキーボイスは覚悟しとかなくっちゃだな。
沖縄ワークショップまであと一週間。
時間とお金の関係で、とても複雑な旅行プランを組んでしまっている。
はたして私はたどり着けるのだろうか。

しかし、それ以前にまず4日分の家族の食事のメニュー作りと下ごしらえもやらなくては。
休日の間に車でごっそりまとめ買いに走り回りながら、
「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴッ!!!」

気合入れろ! 全速力だ!

ああ、洗濯物が洗っても洗っても山積みだけど。
家の中、片付けても片付けても散らかるし、掃除機かけたばかりですぐ猫の毛と埃が積もるけど。
学期末の懇談会ラッシュだけど。
新しい取引先増えて仕事も手一杯だけど。
それがどうした!

2008年07月12日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0