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アポトーシス

子供達がいなくなって夫婦二人だけの生活の中で、あうんの呼吸のように会話に織り交ぜられる一つの意識がある。
それは「死」に臨んでいるという事。
別に重い病気で余命宣告をされたわけではないが、残り時間はどうしても考える。
私たちの人生は季節に例えれば、もう晩秋。
これから先、今より若くなったり元気になったり、バリバリと新しいチャレンジをしながら未来を描くなんて事はない。
驚くほど体力は落ちてるし、夜目はきかない、ちょっと無理をすると何日も後を引く。
自由に動けるのはあと10年だろうか20年は行かないだろうかなどと考えながら、
思い残すことのないようにやりたいことはやり尽くし、残る人たちが困らないように始末も考えなければと思う。
不思議な事に、死に対しての恐怖はなかったりする。
昔知っていたご老人は、知人たちが次々召されていくのを見て怖れて念仏や写経を一所懸命にしていたので、
私も年をとったら自然とそうなるのかと思っていたが、今になってもそんな気持ちは一切湧いてこない。
死後の世界での裁きなんてものを信じていないからだろうか。
怖れても抵抗しても何の意味もない。
楽しく生きられるはずの今を負の感情で無駄にするのがむしろ勿体ないと感じる。
神も仏もあの世も、生きている人間が作った概念であり実在しないのだから。
私の家には仏壇も神棚もあり、神社仏閣に行くのは好きで、お札も祀っている。
しかしそれは自分の内面と対話するためのものであり、自分の心を映す鏡としてのものだ。
不思議な事に、これまで宗教観をあれこれ話し合う事はなかった夫と、
先日そういう話をしてみたら、結局二人ともが同じ考えに至っていたというのが何か面白い。
とは言え、いざ病院のベッドでただ弱っていくのを待つだけになったら、
そうそう穏やかな気持ちではいられなくなるのかもしれないけれど。
どんな死に方でも、この美しい世界に感謝して旅立っていければ人生が丸ごと幸せだったって事だろう。

アムウェイ業務停止!

夕食を作っていると、夫が「おい、ちょっと来て」と呼ぶ。
揚げ物してるのにと思いつつ、ヒョイとリビングに顔を出すと「これ」とテレビを指さす。
ニュースに日本アムウェイに6カ月の取引停止命令と出ていた。
「やっとか!ザマァw」と手を取り合って喜んだ。

今回、マッチングアプリで出会った女性をしつこく勧誘したって事で処分に繋がったわけだが、
これまで数限りない問題が起きていたのに見過ごされてきたという事が本当に腹立たしい。
金銭的被害はだいたい自己責任とされていたし、
騙されて呼び出されて閉じ込められて囲まれて所属する集団の人間関係での強制的な勧誘なんてのは、
嫌な思いをしてなんとか断れても被害届までは出せない。
消費者庁への相談件数も1%もない氷山の一角だろうと思うのに、それでも3年半で953件はあったわけで。

アムウェイが日本に入ってきて40年。
それまでどれだけの人の不幸を喰ってきたのだろう。
そして今思うのは、現在会員をやっていて商品抱えて熱心に活動していた人たち、どうなるんだろうなって事。
半年は販売できないし、違法な商取引をしていた会社であるというレッテルを張られてしまった以上、
これから先、会員になりたいなんて人はまあまずいないだろう。
もし誘われても何が法に触れるかは周知徹底されてるから断りやすいし、相談するハードルは格段に下がった。
ということは、頭打ちですよ。
「どんどん成長を続けている確実な会社」
「社会的貢献をして評価を受けている」
「一緒に夢を叶える熱い仲間たち」
「子供の未来のために、家族の安心のために豊かさを目指そう!」
なーんてスローガンは吹っ飛んでしまったね。
いやぁ、めでたいめでたい+゚。*(*´∀`*)*。゚+

連鎖販売業者【日本アムウェイ合同会社】に対する行政処分について
マルチの勧誘手口(消費者庁より) クーリング・オフ(消費者庁より)

【ぽあんがアムウェイから勧誘を受けたときの話】
アムウェイとザ・シークレット
ねずみ算(アムウェイ)
ポジティブ盲信者(アムウェイ)
無知で頑固な赤子の手(アムウェイ)
不安は自信?(アムウェイ)
お目当てはバックマージン(アムウェイ)
感染(アムウェイ)
他にもいろいろ書いてるから、右下のブログ内検索にアムウェイと打ち込んで探してね。

若さに妬く

「若い」とは年齢ではない。
「大人」も年齢ではない。
それはわかっているはずなのに、どこか心の中に変な判断基準があったりする。
「いい歳をして」と。
まあ流石に口に出す事はしないが、
他人のやる事やあり方に、痛々しいなんて感じてしまうのは
大きなお世話だろうか。

例えば、知り合いに40代50代のカップルがいる。
その人たちが長年付き合って半同棲しているにも関わらず結婚しない事に
モヤモヤとした苛立ちを感じてしまう。
二人とも、非正規雇用の職を転々としていたり、仕事より趣味を優先していたりで、
もちろんお金はない。
困った時には親に借金。
そのまま有耶無耶になる事も多いのか、親は二人の付き合いに渋い顔。
家に入り浸るのを嫌うので、肩身が狭いなんて愚痴を言う。
料理とかしない。ほとんど外食。時々総菜やレトルト。
お風呂は銭湯。
年齢的に当然もう子供は持てない。

だが本人たちはいたって幸せで、毎日楽しそうにしている。
時間が取れれば近場の名所に出かけたり、
興味のある個展やコンサートをめぐっては、面白い写真をインスタにアップ。


そんな彼らを見るにつけ、将来どうするの?
とこれまた余計な心配をしてしまう。

それは、もし自分だったら耐えられないから。
20代前半であれば、何の問題もない幸福の真っ只中と感じるだろう。
しかし私はそんな時期でも、人生設計みたいなものを持っていて、
「こうあるべき」というものがあった気がする。

定職に就き安定した収入を得て、先のために貯めておきたかった。
20代で結婚し、30までに最初の子を産まないと機能は衰えるし、体力も持たない。
子育ての環境を考え郊外に家を持ち、
地域コミュニティやPTA活動を通じて社会的な基盤を作るのも当然と思っていた。

その通りの生き方をして今があり、これで良かったと思っている。
だからといって、そうでない人に対して否定的になる必要はないはずなのに、
余計な事を言いたくて仕方なくなるのはなぜなんだろう?
相談されたわけでもないのに。

永遠に20代でいられるのなら、私だっていろんなしがらみなしに楽な仕事だけして、
結婚せずにずっと恋人気分で、何かの役目も担わずに、
面白おかしく、その日暮らししたいよ!
というヤッカミなのかな。

自分基準で常識をあてはめてはいけないけれど、
もしこれが私の子供だったら、今の快楽だけじゃなく、
これから先のより良い幸せの形を作って行け!って叱り飛ばすだろう。絶対。

もしかして、この腹立ちみたいなものは、本人たちにではなく、
その親に対して感じているのだろうか。

動けないでいる

現在私は、親に虐待されている子供の命を救う活動に、ほんの少しばかり関わらせてもらっている。
といっても、本当に端っこの方でほんの少しだけ。
このブログを頻繁に書いていた頃には、いずれ自身の経験を生かして積極的にそういった活動に加わりたいという意思があったが、現在は遠ざかっているというか、むしろ避けているぐらいかもしれない。
きっかけは、毒親の元で苦しんで育った人と、保護された施設で虐待を受けた人の諍いを目にしたため。
どちらも辛かった。
そしてどちらも今も辛い。
「あなたの方がまし」なんて比べる事などできないはずだけど、そう言いたくなる気持ちもわからなくはない。
だって、振り返ると私もそうだったからと。
両親そろってて裕福な家庭で衣食住に困らず生活環境学習環境整っている中で育っていながら、親にすべて支配されていた事の辛さを訴えていた人に、「贅沢な悩みだ」と思っていたわけで。
人は、不幸なら不幸なりに優越に浸りたいものなのかも知れないね。
そして、そうやって考えると、まあこのブログでも好き勝手な事を書いて来たけれど、たまたま通りすがりに目にした人を傷つける事は多々あったと思う。
直接コメントやメールをくれた人には対応したけれど、黙って泣いてた人もいるかも知れない。

そして今、現実的に何かできる立場にはなれたわけだけど、10年前だったらやったであろう事が今はできないでいる。
私が動くと誰かを傷つけそうな気がして。
正直に言うと、今、私は幸せではあるけれど、それは自分が幸せである選択をし続けている結果で、美しいものを見て心地良い事だけをしているからこそそれは成り立つのであって、残酷な現実を直視し、悲痛な叫びを聞き、泥水に飛び込んで溺れている人を救おうとすると「幸せ」ではなくなってしまうというジレンマに悩んでいる。
きっと元から性格が悪いんだろうね。
自分が苦しいとすぐ、自分の苦しみをわかれ!って思考になりがち。
もう長年付き合ってきたから、自分の性格だいたいわかる。
隠したって辛さ倍増するだけだし、言動の端々にそれは漏れるでしょう。

てわけで、今、私は動けないでいる。
いずれ時が来たらこれも動き出すかもしれないけれど、気長に待つよ。

少しでも誰かを救えればと使命感に駆られて動いている人は、本当に尊敬する。

子どもたちは出ていきました

4人の子どもたちは全員家を出て行って、今は夫と二人暮らしになりました。

長男は昨年、結婚して、今年はこのコロナ禍の中だというのに郊外に家を建て、
保護ネコを引き取って理想を着々と実現させています。
(新婚旅行は、あのイタリア。去年でよかったよ。)
勉強嫌いで学校での成績は底辺で、進学なんか考えもせず就職した彼ではありますが、
学生時代から働くことを厭わず、バイトをガンガン入れては欲しいものを買いまくっていて、
今も社内一の営業成績を上げている上に、副業にも精を出し、
稼いだお金はレジャーに、旅行に、グルメにと人生を謳歌している様子。
嫁さんと一緒にちょくちょく顔をみせてくれています。

次男は、勉強しなくても理数系は天才なので、数年前に国立大を出て現在は、
とある企業の宇宙開発に関わる仕事をしています。
中二病が治らなくて、他の家族と共に
「いずれ行方不明になるんじゃないか」「死ぬんじゃないか」と心配しておりましたが、
なんのことはない。
中学の頃から好きだった女の子と結婚して、いまや一児のパパ。
目じりを下げて、べたべた甘々な子育て中。

長女は、心配性な割には要領が良くて、こちらも順風満帆。
彼女も理数系は天才なので国立大から更に院への進学をすすめられたものの、
如何せん、お金がないのでこれ以上の奨学金を借りるのは負担大きすぎると、
卒業後は地元のメーカーの技術開発部門に就職。
でも、どうしても夢を諦められずチャレンジしまくった結果、
普通はありえないようなチャンスを得て、バイオ関連の会社に研究者として採用され、
先月、更に遠い所に旅立って行きました。

のほほんとしていた末っ子も、今年大学を卒業して全国規模の企業に就職し、
自分で家を引っ越したりで、すっかりと自信をつけているよう。
見るたびに娘らしく綺麗になっていってるので、母としては心配なのだけど、
あまり構うと鬱陶しがられるので、必要最低限の交流を心がけています。
彼女とは、今年1月に東京旅行に行って遊び倒した後にコロナが流行したので、
ぎりぎりラッキーでした。

こんな風に、それぞれ家庭を持ったり気軽に帰ってこれない所にいたりで、
連休もなかなか全員揃うということが難しくはなりましたが、
やり遂げた~という感じを噛みしめています。

今は趣味が充実しているので、暇もありませんし、
夫とこれからは二人であちこちに旅行に行こうって計画も立てています。

健康になると決めると

運動神経はまるでダメで足は遅いし力もないけれど、私は昔から身体だけは強い。
病気らしい病気をしたことはないし、重傷も負ったことはない。
貧血、冷え性、肩こり、偏頭痛、アレルギー、花粉症ですら一切なし。
生理痛もなければ、出産はポンポンと安産、人工乳要らず。
50過ぎて生まれて初めて辛い便秘を一回だけ経験したけれど、
多分アレが更年期障害なるものだったのだろうか。その他の症状はなし。
メンタルも強くて、ヘコんだり落ち込んだりしても寝たら復活。
たいした不幸もないし、運がいいからそんな感じでやってこれたのだろうと思う。

そんな私の唯一の健康上の不安が、血圧だ。
妊娠中の検査に引っかかったことがなかったので安心していたら、
最後の子を産み終えて4年後、
電気屋で気まぐれに試した血圧計で上が155とか出てビックリした。
嘘でしょ・・・と何回計っても、他所でやってみても結果は同じ。
ついに来たか・・・となった。
というのも、私の母が高血圧だったから。
そういう体質は遺伝するらしい。

母は45歳で脳血栓のため半身不随となり、その時の血圧の上は軽く200は超えていた。
長年の不摂生のため、血管は70、80の老人並みにボロボロだったとか。
結局1年半でくも膜下出血のため死亡してしまった。

私も多分そうなるんだろうな・・・と思ってはいたけれど、
実際に数値で出るとショックは受けるものだ。

血圧を下げるには、血液をサラサラにするものを食べる、塩分を控える、
運動を習慣付けるぐらいしかやりようがない。
そしてどれだけやったからどれだけ効果が出るというものでもない。
結局何もしないまま数年が過ぎ、私はそのことを考えないように考えないようにしてきた。
高血圧は測らなければ自覚症状がないので困りはしない。
ただ、別名「サイレントキラー」とも呼ばれ、何かがドカンと来ればお終いなのだけど。
脳が壊れるか、心臓が壊れるか、
即死できればいいけれど、後遺症持って何十年とか悲劇以外の何ものでもない。
わかってはいる、わかってはいるけれど、遺伝なんだからどうしようもないじゃないか、と。

しかし会社で健康診断を受けるようになると、そうは行かなくなった。
病院できっちり数値が出る。
6年前には血圧の上が190と出た。
医者が驚いて、すぐに治療をするようにと降圧剤を処方されたのだが、
おかしなもので、血圧が高い状態に慣れているからか、
血圧が下がるとむしろ具合が悪くなってしまうのだった。
気分の悪さと眩暈がつきまとい、外出中に街中で立っていられなくなりしゃがみ込むこと数回。

血圧の薬は飲み始めたら一生続けなくてはならないと言われているが、
時間と金を使って具合の悪さを我慢して、何やってるんだ?と思ったので、私はやめた。

それから毎年、健康診断は憂鬱な行事となった。
血圧は毎回、170~190の間。
心電図に異常があらわれて、左室肥大と書かれるようにもなった。コレステロールも高くなった。

もう親の年齢も超えたし、いいんじゃないの?しょうがない・・・


だったのだけど、

あるきっかけで、まずは朝一番に水を飲むようになった。

それからビタミンCを摂るようになった。
サプリメントなんて信用してないし大嫌いだった私がどういう風の吹き回しか。(笑)
飲み方は、一般に推奨されている一日1000mgではなくて、10gのメガビタミン療法として。

毎日頻繁なこむら返りに悩まされてもいたので、カルシウム・マグネシウムも飲むようにした。

他のビタミンも必要なので、マルチビタミンで補給。(A、B、E、D等)

アミノ酸、クエン酸、亜鉛、シリカ水、セサミン、アーモンド効果、乳酸菌・・・・

とにかく血流をよくするものを何でも。

その一方、食事では牛肉と豚肉をできるだけ控えた。
動物性たんぱく質は、鶏肉、魚、卵から、これは好きなだけ。

メガビタミンの効果アップに必須と言われる糖質制限もしばらくやってみたけれど、
これはやめた。
ご飯を食べないとエネルギーが不足するらしく、冷えを実感したためだ。

そして私の中で一番大きな決心だったのが、毎日浴びるように飲んでいたアルコールを断ったこと。

これまで飲まなかった時期は妊娠中と授乳期だけで、あとは年に1ヶ月禁酒したりしなかったりぐらい。
ずっとアルコール漬けだった。
しかも、中学ぐらいから毎晩の晩酌が欠かせなかったんだから、ほとんどアル中。
それをやめて断酒した。

他は、塩分も糖分も気にしない。お菓子もジュースも食べたいだけ。


さて、そんな禁酒とサプリを2ヶ月の生活で挑んだ今回の健康診断の結果はというと・・・・



血圧、139・88。(正常値)

心電図、異常なし。


少しは何らかの効果を期待していたものの、正直、ここまでとは思わなかった。

なーんだ、薬なしでも血圧はガッツリ下げられるんじゃないか。

しかも、足のこむらがえりをまったくしなくなった。
肌がツルツルしっとりしてきた。
薄毛が気になっていた頭髪の分け目が目立たなくなってきた。
という思わぬ副産物も。

もっと早くに気づけば、もうちょっと老化も遅らせることができたんじゃないかとも思うけど、
それは「見たくないものは見ない」と自分を甘やかせてきたせいだね。

自分を甘やかすのと、自分を大切にするのは違う。

これからは自分の身体と心の栄養となるものだけを摂ろうと思う。


それから、血圧で悩める人に一言。
「○○するだけで血圧が下がる」のお金を取る情報には踊らされないでくださいね。
詐欺の可能性もあるし、ある人に効果があったとしても万人向けではないかもしれない。
自分の身体と相談しながら地道に続けられる何かを見つけるのが大切だから。
できれば楽しみながら。

ということで、私はこれからも健康ライフ続けます。

テーマ : 健康で元気に暮らすために
ジャンル : 心と身体

tag : 健康高血圧断酒サプリメント

願いを叶える 國軸吉野 七夕祭りへ行こう!

7月7日、世界遺産吉水神社にて、「天皇・皇后両陛下に感謝する夕べ」
願いを叶える 國軸吉野 七夕祭りが開催されます。
詳しくはこちら→世界遺産の吉水神社から「ニコニコ顔で、命がけ!」
私、ぽあんも参加します。
ご都合付く方はぜひ、参加してみてください。

友人が作った紹介動画を貼っておきます。
ゲストで話されている宮司さんは、とても熱くて激しくて、底なしに明るく、どこまでも優しい方のようです。
七夕祭りのご案内もありますが、「世界をまほろばに」のポリシーの説明や、
「辛いこと悲しいこと悩み事はぜんぶ吉野に置いていってください」と日々に疲れた人に
語りかけておられたりもしています。
私も当日お会いできるのが楽しみです。

平成30年國軸吉野七夕祭り

ぽあんのルーツ探し 3

母は生前、自分の本当の父母に会いたがっていた。
戸籍では、母は祖父母の実子となっているが、
血の繋がりがないと知ったのは、まだ幼かった頃だという。
銭湯で近所のおばさんに言われたのだそうだ。
「あんた、もらい子なんだよ。
 本当のお父さんとお母さんじゃない人に育てられて可哀想にね」と。
ひどくショックを受けたものの、誰にもその話はできないまま、
ただ、家庭で親に叱られたりする度に「やはり本当の親じゃないからだ」という思いがもたげてきて、
反抗したり暴言を吐いたり家を飛び出したりと荒んでいったらしい。
そうして転落人生。
祖母は何も言わず亡くなり、
祖父は死ぬ前に何か言うか書き残すかするだろうと思われていたけれど、
死後にいくら探しても書置きは見つからず、結局、どこで誰からもらわれてきた子なのかは不明のまま。
唯一、手がかりと思われるのは、古い二枚の家族写真。
一枚にはまだ若い祖母とその家族らしい数人。
もう一枚には祖母はおらず、一枚目の写真にいた一人と別の夫婦と子供と赤ん坊。
日本家屋ではあるけれど、場所は日本か台湾か。

母は、その写真の赤ん坊が自分なのではないかと思ったようだ。
台湾にいたときに親戚筋からもらって、実子として届けたのだと。
そこで、昭和の時代にやっていた人探し番組(「それは秘密です!!」だったかな?)に
調査依頼を出したのだけれど、連絡もなかったと怒っていた。

その母も死んだ今となっては、私にはもう調べようもない。
祖母方の何代か前まで遡れる戸籍の写しは手元にあるものの、
そこに記載されている人は既にこの世にいないだろうし、手がかりはもう何もない。
このまま、母も私もルーツがどこかわからない宙ぶらりんで、
血の繋がりのない人たちと一緒の墓、一緒の仏壇を守っていくしかないんだな、
なんて考えていた。

ところが思わぬところで長年の謎は解けた。

去年のこと、ちょっと行きたい場所があって、その旅行費用をためる為、
私は短期のアルバイトに出た。
大きな工場での作業。
そこで私は、ある人が気になって、ついつい見てしまうということがあった。
60代ぐらいのお爺さんなのだけど、顔立ちがどうも親しみを感じてしまう人。
私の次男が年を取ったらこんな顔になるんだろうなと思ってしまって。

私の子供は4人いて、それぞれどこかしら私や夫に似ているのだけれど、
次男は他の3人とちょっと顔立ちが違う。
背格好や眉毛、唇とかは父親似だけれど、輪郭、目鼻立ちは誰にも似てない。
その次男と、職場のお爺さんが似ているというのも変な話だが、
とにかく、懐かしく近しいような気持ちがして、よく話をするようになった。

で、ある時、気づいたのだ。
あ、この人、次男に似てるだけじゃなかった!と。
祖父にそっくりだったのだった。

ということは、次男は祖父に似ていたということになる。
そうだ、この目は祖父の目。
輪郭、あごの線、鎖骨のくぼみ具合といい、そのまんま。

なぜ?血も繋がってないのに?

!!!!
雷に打たれた気がした。

そもそも、母がもらい子だったという話は本当なのか?

どこの誰とも知らない人から、ただ一度聞いただけの与太話を
どうして長い間、真実だと信じてきたのだろう?

母は紛れもなく、祖父と祖母の間の実子だったのだ。
しかし、自分の置かれた貧しく愛情に飢えている状況に不満があった母は、
いつか迎えに来てくれる素晴らしい両親がきっといるはずという幻想に縋っていたのではないだろうか。

あはははは・・・
なーんか可笑しくて気が抜けた。

仏壇のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに、
「血の繋がりがないなんて疑いかけてごめんなさい、今後とも見守っててくださいね」
と、謝っておいた。

母はバカだよ。
大切にされていたこと、愛されていたことを感じられずに、夢の家族を求めていたなんて。
でも、ちゃんとわかったからね。

今、母が生きていたら一緒に笑えたのに、と、思い出す母の日。

ぽあんのルーツ探し 2

昨年のこと、休日の朝に突然の来客があった。

チャイムが鳴ったので玄関に出てみると、見知らぬ男性が立っていて、
「□□(旧姓)□□さんですか」
と私の名を呼ぶ。
「はい、そうですが・・・」
「実は私、△△と申しまして、あなたの弟になります」

えええええ?どういうこと?

その△△とは、私の戸籍にあった父親の名前。
母と別れた後に再婚して生まれたのが、この目の前の人ということだった。

訪問の数ヶ月前に父が亡くなり、遺産相続の手続きの際に初めて
以前離婚した人との間に子供がいたということを知ったそうだ。
それから手を尽くして私の行方を捜していて、やっとたどり着いたとの事。

母は男が変わるたびに住所を転々としていたし、再婚して離婚してと本籍も変わっている。
そして私も結婚して名前も住所も変わっているので、よく探し当てたものだ。

遺産相続の件とあったので、いくらか私ももらえるのかとチラッと期待したのだけれど、
結局、整理してみると現在仕事場兼住居として暮らしている
マンションの権利ぐらいしか残らなかったようで、
早い話が相続放棄してくれとのことだった。

「いいですよ」と快諾して、一緒に母の墓参りに行き、喫茶店で話をして別れた。

彼は関東圏に住んでいるそうで、夜からわざわざ車を飛ばして来たそうだ。
「電話一本でよかったのに」と言うと、
「いえ、こういうことは直接会って話さないとと弁護士が・・・」と言うので、
なんて素直な人なんだろう、とちょっと笑った。
遺産の相続放棄は、揉める例が多いのだろう。
だから相手に考えさせたり誰かに相談させたりしないように、奇襲作戦で来たようだ。
まあ、今更未払いの養育費を請求できるものでもないし、
色々あったけど今は私も幸せに暮らしていてお金に困ってもないわけで、
快く書類に捺印してあげた。

父は、再婚した相手に、前の結婚で子供がいたということを一切言わず隠していた。
父の母、私にとっての祖母も、離婚の際に親権を寄越せとゴネた割りに、
その話は一度も口にしなかったという。
だから、父が死んで調査が入って初めて知って、驚いたのだと言う。

ただ、私の名前は聞き覚えがあったそうだ。
昔、父が一度だけポツリと話したことがあったとか。
「小さかった頃に生き別れた年の離れた妹がいるんだ。□□という」と。

「妹じゃなくて、娘だったんですね。
 父は、あなたのことを忘れてなかったと思いますよ。誰にも言えなかっただけで」
それが本当にそうだったのかどうかはわからないけれど、
そう言ってくれた彼の気持ちは嬉しかった。

私が父の顔を覚えていないと話したので、弟は後日、写真を送ってくれた。
顔を見れば、懐かしさが湧くかと思ったのだけど、
その顔は、母が昔「アンタはお父さん似」と言っていたのとは違い、
私とはどのパーツも全く似ていなかった。

戸籍上の父親は、やはり私と血の繋がりはなかったのだろうか。

母が妹の父親だと言い張っていた人も、頑なに認知を拒んでいたし、顔は妹と似ていない気がした。

母は本当にハチャメチャな罪作りだよなぁ、と思う。

ぽあんのルーツ探し 1

私は片親で育った。

物心ついたころ、父親がいた記憶はある。
両親と手をつないで、時々ぶらさがりながらデパートに行った。
夜に母が不在のとき、眠れずに何度も尿意を訴えて父親を困らせた。
そんな記憶がおぼろげながら。

そして父が消えた後、母が連れてくる何人かの男を「お父さん」と呼んだりもした。
が、本当の父親のことは結局聞けずじまいで、私が25の時に母は死んだ。

戸籍には父の名と、当時の実家の住所があるものの、
一切の接点もなかったため、連絡は取らなかった。しようという気にもならなかった。

ただ一度、電話をかけてみた人はいる。
それは、戸籍上の父親ではなく、いつか母が酔っ払って正体をなくした時に
口走った名前の人。
「アンタの本当のお父さんは、○○○○という人で、昔、一緒の学校で働いていたのよ」
母は若いころ一時期、図書館司書の仕事をしていたらしかった。
私が小学4年生の時に担任だった先生が、
その頃の母の事を知っていたという話は聞いたことがあった。
そして、たぶん、その○○○○という人との関係も。

母が死んで、葬式も後始末も終え、引っ越してしばらく経った頃、
急にその人に連絡を取ってみたくなった。
電話帳で調べると、すぐにその名前は見つかり、恐る恐る番号をプッシュ。
何度目かのコールの後、渋い男性の声が出た。
「○○○○さんですか」
「はい、そうです」
「突然で申し訳ないのですが、以前、××小学校でお勤めされていませんでしたか?」
「はい、おりましたが」
やっぱり、この人に間違いない。
「ずいぶん昔のことになりますが、□□□□という女性を覚えておられないでしょうか?」
「・・・いえ、記憶にありませんが、どういった?」
覚えていなかった・・・・
覚えていないものは仕方がないので、
「そうですか。□□は私の母なのですが、先日亡くなったんです。
 以前、○○さんには大変お世話になったという話を聞いたことがあったもので、
 一応連絡をして御礼を伝えておこうと思いまして電話しました」
ということにして、電話を切った。

結局、その人が私の父親なのかはわからないまま。
せめて一目でも顔を見たかったけれど、
あちらにも家庭がおありだろうから、騒動の種になるようなことはできないし、
今更真実がどうなのかを探ったところで、誰も幸せになりはしないから、
これで良かったのだと思う。

でも、薄っすらでも「そういう人がいたような・・・」と覚えててくれたら嬉しかったな、とか、
心の片隅にでも「もしかして、あの時の子か?」なんて浮かんでたらいいな、とか、
ジクジクとくすぶり続ける思いは残り続けている。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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