悔いと糧
録画していたTBSの番組『有名人壮絶介護日記(2) 〜生きてさえいれば〜』を観た。
私は介護についてとても関心がある。
特に経験者の話に。
私はその昔、TVタックルに出ていた頃から舛添要一さんが好きで、お母様の介護の日々を綴った本「母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々」が出版された時もすぐ買って読んだものだった。
彼ほどの有名でお金がある人でも介護ということになればそれは大変で、現在の医療の矛盾などにも随分歯がゆい思いをされたようだ。
しかし、ハードな仕事をこなしつつ介護に積極的に関わり、また、結婚されたばかりだった奥様も献身的に尽くされたのだから、お母様は幸せだったと思う。
悔いのない介護が出来た人が私は羨ましい。
私は母を幸せにはできなかったから。
私の母は、今の私と同じ年の45歳で脳血栓を発病した。
当時、私は24歳。
身体が動かなくなったので深夜に病院に担ぎ込んだのだが、本人に意識があり、入院は絶対に嫌だと言い張ったため連れ帰って手当てが遅れ、右脳を完全に死滅させてしまった。
以来、左半身は麻痺。歩く事もままならない状態。
状態が落ち着くまで付き添いが必要だったため、私は会社を休ませてもらって病院に泊り込むことに。
蓄えのない母子家庭は、いきなり生活に困る。妹はまだ中学生だった。
生活保護を申請するも、役場の対応は冷ややかで、どれほど悔しい思いをした事か。
しかし、知り合いから議員さんを通して話をしてもらうと、態度はコロッと変わった。
医療費から付き添いの家政婦費まで出してもらえることになり、おまけに住んでいた市営アパートに専用の手すりまで作ってくれるというのだから。
愚直な者ほど馬鹿を見るのいい例だ。
市からお金が出るとなると、病院は急に親切になり、さまざまな提案をしてくる。
色々な物を買わされた。
重たくて全く役に立たない金属でできた特注のリハビリ用器具、やけに高額の杖、高い靴、等々。
患者は言われるままになるしかない。
また、家政婦はいつも不機嫌でブツクサと文句ばかりを言っていた。
「市からの仕事なんか請けるもんじゃないね。安い金しかもらえない。貧乏人は嫌だね。あ〜あ、損した、損した。隣の付き添いなんか、見舞い客がよく来るから果物やお菓子ももらえるのに、ここはろくな物がない。この人(母のこと)は、やっかいばかりかけるし、割に合わんわ」と平気で口にする。
私のいない所でも「キチガイ」だの「牛のようにオシッコをする」「汚い」と暴言を吐きまくっていたようで、夕方私が仕事を終えて病院に行くと、母は堰を切ったように泣くのだった。
容態が落ち着き、病院にていもこれ以上の回復の見込みがないとなると帰され、自宅療養となった。
通院と時折のケアセンターの催しに送り迎えが必要で、丁度仕事上の転換期でもあったことも重なって、それならば時間が自由になる自営の方が良かろうと、私は自分の事務所を持った。
しかし、それは当初の思惑とは大きく外れる事になる。
まずは収入を安定させなければならない。
その為には、仕事を取りまくる。来た仕事は絶対に断れない。
自由になる時間が増やせるどころではない。
自転車で自宅と事務所を往復し、朝早くから深夜まで私は働いた。
外に出られない母の話はいつも同じ。テレビの話題、病気の愚痴・・・
次第に私は家にいる時間が短くなっていった。
「私は今、大事な時期なんだから、お母ちゃんも辛抱して週刊誌やお菓子なんかで適当に暇をつぶしておいてよ」と、そんな感じだった。
本当に仕事が忙しかったからかというと、それだけではなかったように思う。
私は母が煩わしかった。
そして自分の運命が呪わしかった。
なぜ、私だけがこんな目に?と思わずにおれなかった。
母がいる限り、私に自分の幸せはない。気ままに遊べもしなければ、恋愛も結婚もできない。
母のせいで私の一生が台無しにされたような、そんな気すらしていたかもしれない。
母は寂しさから昔の知り合いに電話をかけ、それはしばしばトラブルを引き起こし、私を怒らせた。
かいがいしく世話を焼く優しい人のふりをして家に訪ねてきては、財布からお金を抜いていく人もいた。
それを知っていながらも来ることを喜んでいるような所も、私を苛立たす。
私はひどく疲れていた。
ある日、重い身体を引きずって家に帰ると、母が泣いていた。
「死ねない、死ねない」と。
差し出された腕には沢山の傷がついて血だらけだった。
包丁で何度も何度も動かない左腕を切ったらしい。
「もう、生きていてもしょうがない」と泣きじゃくる母を見て、私は逆上した。
こんな母は見たくなかった。本当に悲しかった。本当に情けなかった。
だから、可哀想にと思うよりも何よりも、「それでも親か!」という怒りの方が先に来てしまったのだ。
「何をやってるの。こんなことしたら迷惑でしょ!そんなに私を困らせたいわけ?
親なら、何より子どもが可愛いんじゃないの? 子どもの幸せを一番に考えるんじゃないの?
親なら、私に迷惑かけるな! 死ぬなら、見えない所で勝手に死んでくれ!」
怒鳴って自分の部屋に閉じこもった。傷の手当てもしてやらないで。
私も結局、母に甘えていたのだ。
母ならわかってくれるはず、母なら許してくれるはず、と。
そうではなかったことが、ただ、辛かった。
それからしばらくして母は死んだ。
原因はくも膜下出血。
倒れる前日、私と母は大喧嘩をしている。
勢い余って放った言葉が今も私を苦しくさせる。
「あんたが私に子どもの頃からしてきたこと、言ったこと、私は全部覚えている。
これからそれがどんなに辛かったか思い知らせてやる。一生、いびり抜くからね!」
もちろんそれは本気ではないのだが。
若くして子どもを連れて離婚した母の歩いた道は決して平坦ではなかった。
心細さと不安から、時には子どもに当たることもあった。
それが私を傷つけたのは確かだけれど、何もこの日に言わなくてもよかったものを。
それとも、最後に本人に全部ぶつけることができてよかったのか。。。わからないが。
次の日、私が仕事に行っている間に、母は仲直りしようとわざわざ寒風吹く中を時間をかけて歩いて酒屋にビールを買いに行ったという。
「一緒に飲もう」と声をかけると、「気分が悪いから」と先に寝て、深夜、猛烈な頭痛に襲われた。
救急車で病院に運び、すぐに緊急手術となったが、一週間後に意識のないままその生涯を終えた。
手術室に入る直前、今度は左脳がやられて言葉もしゃべれなくなった母が私の目を見ながら、手の甲でトントンと私の手に触れて何かを訴えかけてきたのが最後の会話だった。
暖かく柔らかい手だった。
励まそうと「怖い?でも、大丈夫よ。治るから。頑張って」と無理に笑顔で見送ったのが、まさか最後になるなんて。
私は図体ばかり大きくなった子どもだった。
病で身体も心も弱っている母に、「それでもしっかり親をやってくれ」「私を甘えさせろ」と要求するほどに。
私がしてしまったこと、私がやってあげられなかったことがいつまでも悔いとして残り、痛み続ける。
どうすればよかったのかをいくら考えても、やり直せはしない。
それでも私は考え続ける。
今なら何ができるだろうか、と。
今なら、悲しい思いはさせない。
今なら、たとえ病気や障害があっても互いが幸せでいられる方法をつかめる。
何が出来るかを探るために、私はこれからも多くの人の「介護」を参考にさせてもらうつもりだ。
悔いは糧となるためにある。
そう信じて。
私は介護についてとても関心がある。
特に経験者の話に。
私はその昔、TVタックルに出ていた頃から舛添要一さんが好きで、お母様の介護の日々を綴った本「母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々」が出版された時もすぐ買って読んだものだった。
彼ほどの有名でお金がある人でも介護ということになればそれは大変で、現在の医療の矛盾などにも随分歯がゆい思いをされたようだ。
しかし、ハードな仕事をこなしつつ介護に積極的に関わり、また、結婚されたばかりだった奥様も献身的に尽くされたのだから、お母様は幸せだったと思う。
悔いのない介護が出来た人が私は羨ましい。
私は母を幸せにはできなかったから。
私の母は、今の私と同じ年の45歳で脳血栓を発病した。
当時、私は24歳。
身体が動かなくなったので深夜に病院に担ぎ込んだのだが、本人に意識があり、入院は絶対に嫌だと言い張ったため連れ帰って手当てが遅れ、右脳を完全に死滅させてしまった。
以来、左半身は麻痺。歩く事もままならない状態。
状態が落ち着くまで付き添いが必要だったため、私は会社を休ませてもらって病院に泊り込むことに。
蓄えのない母子家庭は、いきなり生活に困る。妹はまだ中学生だった。
生活保護を申請するも、役場の対応は冷ややかで、どれほど悔しい思いをした事か。
しかし、知り合いから議員さんを通して話をしてもらうと、態度はコロッと変わった。
医療費から付き添いの家政婦費まで出してもらえることになり、おまけに住んでいた市営アパートに専用の手すりまで作ってくれるというのだから。
愚直な者ほど馬鹿を見るのいい例だ。
市からお金が出るとなると、病院は急に親切になり、さまざまな提案をしてくる。
色々な物を買わされた。
重たくて全く役に立たない金属でできた特注のリハビリ用器具、やけに高額の杖、高い靴、等々。
患者は言われるままになるしかない。
また、家政婦はいつも不機嫌でブツクサと文句ばかりを言っていた。
「市からの仕事なんか請けるもんじゃないね。安い金しかもらえない。貧乏人は嫌だね。あ〜あ、損した、損した。隣の付き添いなんか、見舞い客がよく来るから果物やお菓子ももらえるのに、ここはろくな物がない。この人(母のこと)は、やっかいばかりかけるし、割に合わんわ」と平気で口にする。
私のいない所でも「キチガイ」だの「牛のようにオシッコをする」「汚い」と暴言を吐きまくっていたようで、夕方私が仕事を終えて病院に行くと、母は堰を切ったように泣くのだった。
容態が落ち着き、病院にていもこれ以上の回復の見込みがないとなると帰され、自宅療養となった。
通院と時折のケアセンターの催しに送り迎えが必要で、丁度仕事上の転換期でもあったことも重なって、それならば時間が自由になる自営の方が良かろうと、私は自分の事務所を持った。
しかし、それは当初の思惑とは大きく外れる事になる。
まずは収入を安定させなければならない。
その為には、仕事を取りまくる。来た仕事は絶対に断れない。
自由になる時間が増やせるどころではない。
自転車で自宅と事務所を往復し、朝早くから深夜まで私は働いた。
外に出られない母の話はいつも同じ。テレビの話題、病気の愚痴・・・
次第に私は家にいる時間が短くなっていった。
「私は今、大事な時期なんだから、お母ちゃんも辛抱して週刊誌やお菓子なんかで適当に暇をつぶしておいてよ」と、そんな感じだった。
本当に仕事が忙しかったからかというと、それだけではなかったように思う。
私は母が煩わしかった。
そして自分の運命が呪わしかった。
なぜ、私だけがこんな目に?と思わずにおれなかった。
母がいる限り、私に自分の幸せはない。気ままに遊べもしなければ、恋愛も結婚もできない。
母のせいで私の一生が台無しにされたような、そんな気すらしていたかもしれない。
母は寂しさから昔の知り合いに電話をかけ、それはしばしばトラブルを引き起こし、私を怒らせた。
かいがいしく世話を焼く優しい人のふりをして家に訪ねてきては、財布からお金を抜いていく人もいた。
それを知っていながらも来ることを喜んでいるような所も、私を苛立たす。
私はひどく疲れていた。
ある日、重い身体を引きずって家に帰ると、母が泣いていた。
「死ねない、死ねない」と。
差し出された腕には沢山の傷がついて血だらけだった。
包丁で何度も何度も動かない左腕を切ったらしい。
「もう、生きていてもしょうがない」と泣きじゃくる母を見て、私は逆上した。
こんな母は見たくなかった。本当に悲しかった。本当に情けなかった。
だから、可哀想にと思うよりも何よりも、「それでも親か!」という怒りの方が先に来てしまったのだ。
「何をやってるの。こんなことしたら迷惑でしょ!そんなに私を困らせたいわけ?
親なら、何より子どもが可愛いんじゃないの? 子どもの幸せを一番に考えるんじゃないの?
親なら、私に迷惑かけるな! 死ぬなら、見えない所で勝手に死んでくれ!」
怒鳴って自分の部屋に閉じこもった。傷の手当てもしてやらないで。
私も結局、母に甘えていたのだ。
母ならわかってくれるはず、母なら許してくれるはず、と。
そうではなかったことが、ただ、辛かった。
それからしばらくして母は死んだ。
原因はくも膜下出血。
倒れる前日、私と母は大喧嘩をしている。
勢い余って放った言葉が今も私を苦しくさせる。
「あんたが私に子どもの頃からしてきたこと、言ったこと、私は全部覚えている。
これからそれがどんなに辛かったか思い知らせてやる。一生、いびり抜くからね!」
もちろんそれは本気ではないのだが。
若くして子どもを連れて離婚した母の歩いた道は決して平坦ではなかった。
心細さと不安から、時には子どもに当たることもあった。
それが私を傷つけたのは確かだけれど、何もこの日に言わなくてもよかったものを。
それとも、最後に本人に全部ぶつけることができてよかったのか。。。わからないが。
次の日、私が仕事に行っている間に、母は仲直りしようとわざわざ寒風吹く中を時間をかけて歩いて酒屋にビールを買いに行ったという。
「一緒に飲もう」と声をかけると、「気分が悪いから」と先に寝て、深夜、猛烈な頭痛に襲われた。
救急車で病院に運び、すぐに緊急手術となったが、一週間後に意識のないままその生涯を終えた。
手術室に入る直前、今度は左脳がやられて言葉もしゃべれなくなった母が私の目を見ながら、手の甲でトントンと私の手に触れて何かを訴えかけてきたのが最後の会話だった。
暖かく柔らかい手だった。
励まそうと「怖い?でも、大丈夫よ。治るから。頑張って」と無理に笑顔で見送ったのが、まさか最後になるなんて。
私は図体ばかり大きくなった子どもだった。
病で身体も心も弱っている母に、「それでもしっかり親をやってくれ」「私を甘えさせろ」と要求するほどに。
私がしてしまったこと、私がやってあげられなかったことがいつまでも悔いとして残り、痛み続ける。
どうすればよかったのかをいくら考えても、やり直せはしない。
それでも私は考え続ける。
今なら何ができるだろうか、と。
今なら、悲しい思いはさせない。
今なら、たとえ病気や障害があっても互いが幸せでいられる方法をつかめる。
何が出来るかを探るために、私はこれからも多くの人の「介護」を参考にさせてもらうつもりだ。
悔いは糧となるためにある。
そう信じて。
自己中心的お客様
ただの愚痴です。
誰でもできるミラクル
お盆に夫の実家に行ってきた。
いつもは兄弟の奥さん子どもも皆揃うのだが今回は予定が合わなくて、うちの家族と男連中だけの集まり。
墓参りを終えて、オリンピックをつまみに酒を飲んだ。
柔道を見ながら、「日本人がきれいに一本取ると気持ちがいい」「外人がやる最近の柔道はもう“道”じゃなくなってる」「ほとんどレスリングじゃないか」「武の心なんか関係なんだろうな」なんて話になってくると、なんだかワクワクしてしまう私。
「実は、武道の先生にある技を教えてもらってね、私でもちょっとしたことが出来るんだ〜」
と、義弟たち相手に後ろからグッと締め付けられた状態からの脱出をやってみせた。
もちろん、彼らはキョトーンだ。
「嘘だろぉ、ちょっと代われ」と代わったところで同じこと。
どうにも身動き取れないぐらい力いっぱい抱きしめて、しゃがもうとしても足が浮くほどなのに、スルリと抜けちゃうんだから。
腕をねじって、肩、ひじ、手首で返していくのも実演。
これらは、誰でも簡単にすぐできてテクニックも能力も一切要らない。
だけど、日野先生以前に誰も教えたり説明したり出来る人はいなかったという所が何よりスゴイのだ。
義弟たちは、攻撃しない脱出、敵意のない反撃といったものに初めて触れて大いに興味を持ってくれたようなので、すかさずここで来年の岡山ワークショップの宣伝をしておいた。
「一日だけでもいいから」と。
「面白そう。行ってみるよ」と言ってはいたけれど、はたして酔いが醒めた時に覚えているかな?
いつもは兄弟の奥さん子どもも皆揃うのだが今回は予定が合わなくて、うちの家族と男連中だけの集まり。
墓参りを終えて、オリンピックをつまみに酒を飲んだ。
柔道を見ながら、「日本人がきれいに一本取ると気持ちがいい」「外人がやる最近の柔道はもう“道”じゃなくなってる」「ほとんどレスリングじゃないか」「武の心なんか関係なんだろうな」なんて話になってくると、なんだかワクワクしてしまう私。
「実は、武道の先生にある技を教えてもらってね、私でもちょっとしたことが出来るんだ〜」
と、義弟たち相手に後ろからグッと締め付けられた状態からの脱出をやってみせた。
もちろん、彼らはキョトーンだ。
「嘘だろぉ、ちょっと代われ」と代わったところで同じこと。
どうにも身動き取れないぐらい力いっぱい抱きしめて、しゃがもうとしても足が浮くほどなのに、スルリと抜けちゃうんだから。
腕をねじって、肩、ひじ、手首で返していくのも実演。
これらは、誰でも簡単にすぐできてテクニックも能力も一切要らない。
だけど、日野先生以前に誰も教えたり説明したり出来る人はいなかったという所が何よりスゴイのだ。
義弟たちは、攻撃しない脱出、敵意のない反撃といったものに初めて触れて大いに興味を持ってくれたようなので、すかさずここで来年の岡山ワークショップの宣伝をしておいた。
「一日だけでもいいから」と。
「面白そう。行ってみるよ」と言ってはいたけれど、はたして酔いが醒めた時に覚えているかな?
おやすみ ルナ爺
今、うさぎが息を引きとった。
昨日から餌も水もあまり取らなくなっていて、
今朝も水をほんの少し飲んだだけで、じっと横になっていた。
ジタバタと足を動かす音がして行くと、もう口をパクパクしていた。
何もしてやれず、ただ、撫でながら最後の呼吸を看取る。
よく頑張ったね。
ゆっくりおやすみ。
昨日から餌も水もあまり取らなくなっていて、
今朝も水をほんの少し飲んだだけで、じっと横になっていた。
ジタバタと足を動かす音がして行くと、もう口をパクパクしていた。
何もしてやれず、ただ、撫でながら最後の呼吸を看取る。
よく頑張ったね。
ゆっくりおやすみ。
老兎の介護
長年飼ってきた兎のLUNA-爺も、とうとう足腰が立たなくなった。
このところめっきり痩せて小さくなり、
横になって寝る事が多いなと思ってはいたが、
少し前までは、檻の前に行くと起き上がって餌をねだり、
野菜など飛びついて食べていたものが、
一週間前、急に息も絶え絶え瀕死状態となった。
ぐったりと身体を横たえ、うつろな目で荒い息をするだけ。
触るたびに毛がゴッソリゴッソリと抜け、毛並みはよれよれボロボロ。
お尻周り、前足、後ろ足は濡れている上にガビガビで地肌が見える。
首の下に垂れ下がった皮膚の中と、下腹部のこれは睾丸だろうか、
そこに大きく腫れ上がった何か塊ができている。
もしや癌?
「これは、たぶんもうダメ」そう思った私は、
兎をゲージからそのまま埋められる適当な大きさのダンボールに移し、
私の部屋に運んだ。
少しでも涼しく、気持ちよい場所で
皆に看取られて最後の時を迎えさせてやりたいとの思いで
静かに最後の時を待つ。
・・・・・・が、
なんと、そのままの状態で落ち着いてしまうとは。
翌日も、その翌日も生きている。
ずっと撫で続けているうちに汚い毛が抜けた毛並みは整いだし、
足も口の回りも乾いてふんわりしてきた。
手で支えてやると身体を起こして水を飲む、野菜も食べる。
垂れ流しだけれど、おしっこもする糞もする。
その度に敷いている新聞を取り替えてやる。
目はほとんど見えていないみたいだし、耳も悪くなったようで
触れるたびにいちいちビクッとするし、ほぼ一日中寝ているのだけれど、
生きている。
部屋で放し飼いにすると電話線や電気コードをかじって危ないので
ずっとゲージに入れっぱなしの放ったらかしにしてきたが、
こうなってやっと“ペット”という気がする。
子ども達は、可愛くないし遊べない兎には興味がないようだけど。
LUNA-爺、現在10歳2ヶ月。
だいたい兎は8歳から10歳が寿命というが、
ギネス記録は18歳10ヶ月とか。
よーし、こうなったら寝たきりでもいい。
ギネス記録に挑戦だ!
ただ一つの心配は、この好奇心旺盛いたずら猫なんだよね〜。

このところめっきり痩せて小さくなり、
横になって寝る事が多いなと思ってはいたが、
少し前までは、檻の前に行くと起き上がって餌をねだり、
野菜など飛びついて食べていたものが、
一週間前、急に息も絶え絶え瀕死状態となった。
ぐったりと身体を横たえ、うつろな目で荒い息をするだけ。
触るたびに毛がゴッソリゴッソリと抜け、毛並みはよれよれボロボロ。
お尻周り、前足、後ろ足は濡れている上にガビガビで地肌が見える。
首の下に垂れ下がった皮膚の中と、下腹部のこれは睾丸だろうか、
そこに大きく腫れ上がった何か塊ができている。
もしや癌?
「これは、たぶんもうダメ」そう思った私は、
兎をゲージからそのまま埋められる適当な大きさのダンボールに移し、
私の部屋に運んだ。
少しでも涼しく、気持ちよい場所で
皆に看取られて最後の時を迎えさせてやりたいとの思いで
静かに最後の時を待つ。
・・・・・・が、
なんと、そのままの状態で落ち着いてしまうとは。
翌日も、その翌日も生きている。
ずっと撫で続けているうちに汚い毛が抜けた毛並みは整いだし、
足も口の回りも乾いてふんわりしてきた。
手で支えてやると身体を起こして水を飲む、野菜も食べる。
垂れ流しだけれど、おしっこもする糞もする。
その度に敷いている新聞を取り替えてやる。
目はほとんど見えていないみたいだし、耳も悪くなったようで
触れるたびにいちいちビクッとするし、ほぼ一日中寝ているのだけれど、
生きている。
部屋で放し飼いにすると電話線や電気コードをかじって危ないので
ずっとゲージに入れっぱなしの放ったらかしにしてきたが、
こうなってやっと“ペット”という気がする。
子ども達は、可愛くないし遊べない兎には興味がないようだけど。
LUNA-爺、現在10歳2ヶ月。
だいたい兎は8歳から10歳が寿命というが、
ギネス記録は18歳10ヶ月とか。
よーし、こうなったら寝たきりでもいい。
ギネス記録に挑戦だ!
ただ一つの心配は、この好奇心旺盛いたずら猫なんだよね〜。

ラジオ体操先生
スーパーで買い物をしていると、「こんにちは」と可愛らしい声。
最近団地に引っ越してきた小学校1年の女の子が駆け寄ってきた。
「ラジオ体操の先生ぇ〜」とニコニコと。
え?
σ(゜。゜)わたしのコト?
「うん!」
「おばちゃん、ラジオ体操の先生じゃないよ。○○と○○のお母さんだよ」
と言うと、
「え〜、毎日来てるから先生かと間違えちゃった〜」
だって。
昔は毎朝、親や近所のお年寄りが出ていたものだけれど、
今は自分の当番の日だけ出てくるという人が大半だから。
それでも今年は去年までと比べると大人の参加者が増えてはいる。
2人→5人ぐらいには・・・
子ども達の体操もダラダラだったのが、学校で指導があったらしく、
低学年は割りとまともに動いてくれてて、やっとらしくなってきたのは良かった。
それでも恥ずかしいのかなんだか知らないが、
ペチャクチャ喋ってたり手だけヒラヒラさせてる6年生もいるのだが。
みっともないからやる気ないなら前に立たなきゃいいのに。
盆明けからは、私も前に立って見本を見せようかな。
ラジオ体操先生として。
体操は運動神経いらないからイイよね。(笑)
最近団地に引っ越してきた小学校1年の女の子が駆け寄ってきた。
「ラジオ体操の先生ぇ〜」とニコニコと。
え?
σ(゜。゜)わたしのコト?
「うん!」
「おばちゃん、ラジオ体操の先生じゃないよ。○○と○○のお母さんだよ」
と言うと、
「え〜、毎日来てるから先生かと間違えちゃった〜」
だって。
昔は毎朝、親や近所のお年寄りが出ていたものだけれど、
今は自分の当番の日だけ出てくるという人が大半だから。
それでも今年は去年までと比べると大人の参加者が増えてはいる。
2人→5人ぐらいには・・・
子ども達の体操もダラダラだったのが、学校で指導があったらしく、
低学年は割りとまともに動いてくれてて、やっとらしくなってきたのは良かった。
それでも恥ずかしいのかなんだか知らないが、
ペチャクチャ喋ってたり手だけヒラヒラさせてる6年生もいるのだが。
みっともないからやる気ないなら前に立たなきゃいいのに。
盆明けからは、私も前に立って見本を見せようかな。
ラジオ体操先生として。
体操は運動神経いらないからイイよね。(笑)
しあわせですか?
「今、幸せ?」
川土手に座って祭りの打ち上げ花火を待っている時、唐突に娘が聞いてきた。
「お父さんとお母さん、今、幸せ?」
瞬間戸惑い、チラッと私を見てから「ううん、どうかな…」と答える夫。
あらあら、それはオカワイソウに。
つい、笑ってしまう。
「お母さんは?」
「もちろん幸せよ」と私は即答。
「今がこれまでで一番幸せ。私の人生は右肩上がりにドンドン良くなってくからねー」
だって、これだけ好き放題勝手させてもらって幸せじゃないなんて言えないでしょ。
「あなた達は?」聞き返すと、
「幸せ」「しあわせー」の輪唱。
夫はちょっと悔しそう。
しょうがないよ。
誰かに幸せにしてもらえたり不幸にさせられたりするわけじゃないんだから。
私には他人を幸せにさせるなんて出来はしない。
出来るのは幸せのおすそ分けぐらいかな。
だから、もっともっと自分を幸せにしなくっちゃ。
大小の色とりどりの花火が頭上に咲き乱れては消える。
その一つ一つの美しさが幸せ。
川土手に座って祭りの打ち上げ花火を待っている時、唐突に娘が聞いてきた。
「お父さんとお母さん、今、幸せ?」
瞬間戸惑い、チラッと私を見てから「ううん、どうかな…」と答える夫。
あらあら、それはオカワイソウに。
つい、笑ってしまう。
「お母さんは?」
「もちろん幸せよ」と私は即答。
「今がこれまでで一番幸せ。私の人生は右肩上がりにドンドン良くなってくからねー」
だって、これだけ好き放題勝手させてもらって幸せじゃないなんて言えないでしょ。
「あなた達は?」聞き返すと、
「幸せ」「しあわせー」の輪唱。
夫はちょっと悔しそう。
しょうがないよ。
誰かに幸せにしてもらえたり不幸にさせられたりするわけじゃないんだから。
私には他人を幸せにさせるなんて出来はしない。
出来るのは幸せのおすそ分けぐらいかな。
だから、もっともっと自分を幸せにしなくっちゃ。
大小の色とりどりの花火が頭上に咲き乱れては消える。
その一つ一つの美しさが幸せ。
ラン猫のお手柄
昨夜、布団を敷いてそれを座布団代わりに↓のブログ記事を書いていると、ラン猫がやってきて、私の部屋でやたらと騒いでいた。
飛んでいるハエでも追うように、箪笥の上に飛び乗ったり、クローゼットと壁の間をしきりに気にしたり。
しかし私には何も見えない。
「うっとうしいからあっちに行って」と追い出しても、また戻ってくる。
そして、私のおしりの下をチョイチョイっと。
ん?・・・・・・!!!!!ムカデ!
「きゃ、やだもう。殺虫剤!新聞!何か!早く早く、逃げる!」もう大パニック。
逃げ込んだ隙間に、ムカデキンチョールをシューシュー。
ムカデたまらず出てきてのたくる。しかし、逃げようとすごい勢いで移動。
逃がしたら一晩中、見えない恐怖と闘わなくてはならない。そうはさせじ!
そんな切羽詰った私がとったとっさの行動は、ムカデキンチョールのスプレー缶の底で トンッ と。
あわれムカデは真っ二つ。
長男がすぐに新聞紙で包んで捨ててくれた。
ホーーーーーッ、刺されなくて良かった〜〜。
ラン猫、お手柄。

と、それはそれで終わったが、今朝方、もう一騒動あった。
私が目覚ましの時間より早く目が覚めて、もう一眠りしようかどうか布団でウダウダとしていると、急に天井から怪しい音が聞こえてきた。
何かが移動している音。
「すわっ、ムカデか?」と飛び起きるも、天井裏からなので姿は見えない。
ムカデにしては、大きいような。でも、蛇なら足音はしないはず。ネズミならもっとチョロチョロ動くだろう。鳥なら羽ばたきでもしそうなもの。猫や犬ならもっと重い音。イタチ?それにしても、せわしない足音だけで、ウンともスンとも泣き声一つしやしない。
やっぱりムカデか? 音から察するところ、ゆうに50センチはありそうな。。。。そんなバカな!
夫を起こして来てもらっても、やっぱり正体はわからない。
棒で天井をつつくと隣のリビングに移動して、やはりゴソゴソ何かしてる。
音だけでは、さすがのラン猫も手の出しようがない。
真ん丸い目でじっと音の行方を追うばかり。
もう、こうなったら、天井裏にラン猫を放り込んで退治してもらおうかと思っていたら、ふいに音はやんで、二度と聞こえなかった。
一体、何だったのか、謎だ。
また不眠症の夏がやってきた。
飛んでいるハエでも追うように、箪笥の上に飛び乗ったり、クローゼットと壁の間をしきりに気にしたり。
しかし私には何も見えない。
「うっとうしいからあっちに行って」と追い出しても、また戻ってくる。
そして、私のおしりの下をチョイチョイっと。
ん?・・・・・・!!!!!ムカデ!
「きゃ、やだもう。殺虫剤!新聞!何か!早く早く、逃げる!」もう大パニック。
逃げ込んだ隙間に、ムカデキンチョールをシューシュー。
ムカデたまらず出てきてのたくる。しかし、逃げようとすごい勢いで移動。
逃がしたら一晩中、見えない恐怖と闘わなくてはならない。そうはさせじ!
そんな切羽詰った私がとったとっさの行動は、ムカデキンチョールのスプレー缶の底で トンッ と。
あわれムカデは真っ二つ。
長男がすぐに新聞紙で包んで捨ててくれた。
ホーーーーーッ、刺されなくて良かった〜〜。
ラン猫、お手柄。

と、それはそれで終わったが、今朝方、もう一騒動あった。
私が目覚ましの時間より早く目が覚めて、もう一眠りしようかどうか布団でウダウダとしていると、急に天井から怪しい音が聞こえてきた。
何かが移動している音。
「すわっ、ムカデか?」と飛び起きるも、天井裏からなので姿は見えない。
ムカデにしては、大きいような。でも、蛇なら足音はしないはず。ネズミならもっとチョロチョロ動くだろう。鳥なら羽ばたきでもしそうなもの。猫や犬ならもっと重い音。イタチ?それにしても、せわしない足音だけで、ウンともスンとも泣き声一つしやしない。
やっぱりムカデか? 音から察するところ、ゆうに50センチはありそうな。。。。そんなバカな!
夫を起こして来てもらっても、やっぱり正体はわからない。
棒で天井をつつくと隣のリビングに移動して、やはりゴソゴソ何かしてる。
音だけでは、さすがのラン猫も手の出しようがない。
真ん丸い目でじっと音の行方を追うばかり。
もう、こうなったら、天井裏にラン猫を放り込んで退治してもらおうかと思っていたら、ふいに音はやんで、二度と聞こえなかった。
一体、何だったのか、謎だ。
また不眠症の夏がやってきた。
夏だねぇ〜
毎年、夏のこの時期になると団地の公園整備とそうめん流しがある。
今年は自治会休会という事態もあり、どうなることかと心配されたが、無事この日曜日に開催できた。
前日の準備の日ともどもお天気にも恵まれもしたし、育成会と消防隊の協力体制もバッチリ。
これまでで最高のまとまり方だったのではないかと思う。
去年のゴタゴタが嘘のよう。
連日誰がどうした何を言った言わないで揉めくりかえして、トラブルは続くし、人間模様と力関係のどうでもいいような問題ばかりが「これでもか」というぐらい噴出していたというのに。
その人達は今はもういない。
消えた。
見事なまでに、ややこしい人達が一掃されているのは不思議な感じだ。
変わらず団地に住んでいるし、挨拶はするけれど、自治会には出てはこない。
誰も何をしたってわけでもないのに、勝手に騒いで引っ掻き回して自爆、もしくは疲れ果てたか。
おかげで今年は楽な事。
大人の気分を子どもは敏感に察知する。
そうめん流しは、子どもに故郷を作ってやりたいとの熱い思いに溢れた人が5年前に企画したもので、その彼は毎年、丸かじり用のトマトを用意してくれていた。
しかし、かぶりつくのは私の子達をはじめとしてほんの数人ぐらい。年毎に徐々に人数は増えてはきていたが、まだまだ多くの子は食べているのを羨ましそうに見ていながら手を伸ばそうとはしなかった。
どうも、自治会や消防に仕事を押し付けられている意識で苛立っていた母親の顔色を伺ってビクビクしていたようなのだ。
それが今年は、「トマトあるよ〜」と一声かけただけでワッと皆が押し寄せて、たらいの氷水で冷やしたトマトやすももを頬張ってニッコニコなんだから。嬉しいのなんの。
そんな感じのまま、そうめん流しも大盛況。


子どもが喜ぶのも嬉しいが、今年初めて参加したという大人の人が「こんな美味しいの食べたの初めてだ!」と感激の声をあげてくれるのもまたたまらない。
続いてよかった、関わってこれてよかったと心から思う。
そうめんが終わってひとごこちついたら、今度はスイカ割り。
最初は普通にスイカを叩いていたはずが、いつの間にやらスイカの横に人が並ぶようになって・・・・

↓こうなると、あきらかに、狙ってるもの違うだろ!

ちなみに、叩いてるのが私の娘たち。
で、叩かれてるのが義光さんだったりする・・・。スンマセン。いつもこんな役させて。
夏休みは目前。
ラジオ体操やら、陶芸教室やら夜回り、カレー、花火大会と盛りだくさん。
まだまだ楽しくなりそうだ。
今年は自治会休会という事態もあり、どうなることかと心配されたが、無事この日曜日に開催できた。
前日の準備の日ともどもお天気にも恵まれもしたし、育成会と消防隊の協力体制もバッチリ。
これまでで最高のまとまり方だったのではないかと思う。
去年のゴタゴタが嘘のよう。
連日誰がどうした何を言った言わないで揉めくりかえして、トラブルは続くし、人間模様と力関係のどうでもいいような問題ばかりが「これでもか」というぐらい噴出していたというのに。
その人達は今はもういない。
消えた。
見事なまでに、ややこしい人達が一掃されているのは不思議な感じだ。
変わらず団地に住んでいるし、挨拶はするけれど、自治会には出てはこない。
誰も何をしたってわけでもないのに、勝手に騒いで引っ掻き回して自爆、もしくは疲れ果てたか。
おかげで今年は楽な事。
大人の気分を子どもは敏感に察知する。
そうめん流しは、子どもに故郷を作ってやりたいとの熱い思いに溢れた人が5年前に企画したもので、その彼は毎年、丸かじり用のトマトを用意してくれていた。
しかし、かぶりつくのは私の子達をはじめとしてほんの数人ぐらい。年毎に徐々に人数は増えてはきていたが、まだまだ多くの子は食べているのを羨ましそうに見ていながら手を伸ばそうとはしなかった。
どうも、自治会や消防に仕事を押し付けられている意識で苛立っていた母親の顔色を伺ってビクビクしていたようなのだ。
それが今年は、「トマトあるよ〜」と一声かけただけでワッと皆が押し寄せて、たらいの氷水で冷やしたトマトやすももを頬張ってニッコニコなんだから。嬉しいのなんの。
そんな感じのまま、そうめん流しも大盛況。


子どもが喜ぶのも嬉しいが、今年初めて参加したという大人の人が「こんな美味しいの食べたの初めてだ!」と感激の声をあげてくれるのもまたたまらない。
続いてよかった、関わってこれてよかったと心から思う。
そうめんが終わってひとごこちついたら、今度はスイカ割り。
最初は普通にスイカを叩いていたはずが、いつの間にやらスイカの横に人が並ぶようになって・・・・

↓こうなると、あきらかに、狙ってるもの違うだろ!

ちなみに、叩いてるのが私の娘たち。
で、叩かれてるのが義光さんだったりする・・・。スンマセン。いつもこんな役させて。
夏休みは目前。
ラジオ体操やら、陶芸教室やら夜回り、カレー、花火大会と盛りだくさん。
まだまだ楽しくなりそうだ。
愛車♪
家族全員で移動するために必要だった大きな車
デリカスターワゴンもガタがきて、丁度6月で車検も切れることだしということで買い換える事にした。
ガソリンが値上げして、燃費が悪い車だと気軽に買い物にも行けないという理由もある。
デリカは夫がオークションで買ってきた車で夫の会社の名義。
しかし、今度は私に自分で探して自分のお金で購入しろと言われた。
燃料を注ぐ時に使っていた会社のカードも今年から取り上げられてお財布が厳しいのに、またしても追い討ち。ガーン。。。
上の子達も大きくなりあまり一緒に行動しなくなったことでもあるし、この際、燃費がよく車検も税金も安い軽四にしてもいいかもと、適当な金額のものを探していた。
しかし、私は車に疎い。どんな車が好きというものもない。
動いて安全で長持ちで燃料食わない、そして何よりここが大事→安ければ安いほどいい!
それが私の車選びの条件。
人に頼み、ネットオークションを見、中古車情報誌を読み、としていたがどれがどの程度なのかサッパリなので絞りきれない。
そのままずるずると時間は過ぎ、いよいよ車検切れ目前に迫った頃、ようやく「見つかりました」と連絡が入った。
荒れる学校の件で色々と相談に乗ってもらっていた中学校のPTA会長から。
実は彼はこのあたりでは一番の自動車整備士で、販売店兼整備工場で勤めている。
早速夫と見に行き、候補の2台を比べて決定。
古い車を車検切れ直前に下取ってもらい、代車に乗って整備終わるのを待つこと10日。
車が上がってきた。
傷んでいた部分をきれいに直し、ベルトやブレーキ回り、マフラーの部品も交換したりとこまごま手を入れてくれた上に、先に付いていたMDプレーヤーを会社に内緒で今年発売されたばかりの高性能なCDプレーヤーにチェンジしてくれたという。
mp3やWMAまで聞けるとは、めっちゃ嬉しい。
お金は、あてにしていたマイカーローンがパート勤めでは組めないとのことだったので、仕方なくヘソクリからなんとか捻出して50万円キャッシュで支払い、めでたく私名義の車とあいなった。
これがそのプレオ!


色は私のテーマカラーでもある深緋。乗り心地は上々。
「小回り利くし、内装も軽っぽくなくて普通車みたいなんだよぉ♪」と夫に言うと、「いや、そんなことはないって。そりゃお前、自分で金出して買ってるからそう感じるんだ」と笑われた。
ム、なーんか悔しい気はするけれど、その通りかもしれない。
“私の”車だから特別可愛いんだよね。
これからよろしく
デリカスターワゴンもガタがきて、丁度6月で車検も切れることだしということで買い換える事にした。ガソリンが値上げして、燃費が悪い車だと気軽に買い物にも行けないという理由もある。
デリカは夫がオークションで買ってきた車で夫の会社の名義。
しかし、今度は私に自分で探して自分のお金で購入しろと言われた。
燃料を注ぐ時に使っていた会社のカードも今年から取り上げられてお財布が厳しいのに、またしても追い討ち。ガーン。。。
上の子達も大きくなりあまり一緒に行動しなくなったことでもあるし、この際、燃費がよく車検も税金も安い軽四にしてもいいかもと、適当な金額のものを探していた。
しかし、私は車に疎い。どんな車が好きというものもない。
動いて安全で長持ちで燃料食わない、そして何よりここが大事→安ければ安いほどいい!
それが私の車選びの条件。
人に頼み、ネットオークションを見、中古車情報誌を読み、としていたがどれがどの程度なのかサッパリなので絞りきれない。
そのままずるずると時間は過ぎ、いよいよ車検切れ目前に迫った頃、ようやく「見つかりました」と連絡が入った。
荒れる学校の件で色々と相談に乗ってもらっていた中学校のPTA会長から。
実は彼はこのあたりでは一番の自動車整備士で、販売店兼整備工場で勤めている。
早速夫と見に行き、候補の2台を比べて決定。
古い車を車検切れ直前に下取ってもらい、代車に乗って整備終わるのを待つこと10日。
車が上がってきた。
傷んでいた部分をきれいに直し、ベルトやブレーキ回り、マフラーの部品も交換したりとこまごま手を入れてくれた上に、先に付いていたMDプレーヤーを会社に内緒で今年発売されたばかりの高性能なCDプレーヤーにチェンジしてくれたという。
mp3やWMAまで聞けるとは、めっちゃ嬉しい。
お金は、あてにしていたマイカーローンがパート勤めでは組めないとのことだったので、仕方なくヘソクリからなんとか捻出して50万円キャッシュで支払い、めでたく私名義の車とあいなった。
これがそのプレオ!


おまけに冬用スタッドレスも付けて貰った。
色は私のテーマカラーでもある深緋。乗り心地は上々。
「小回り利くし、内装も軽っぽくなくて普通車みたいなんだよぉ♪」と夫に言うと、「いや、そんなことはないって。そりゃお前、自分で金出して買ってるからそう感じるんだ」と笑われた。
ム、なーんか悔しい気はするけれど、その通りかもしれない。
“私の”車だから特別可愛いんだよね。
これからよろしく


