他人の土俵で相撲を取るということ

このブログでも以前あったが、よく、他人のブログのコメントで持論を展開する人を見る。

議論好きのための問題提起的なブログというのもあるだろうから、
そういった所で
「あなたはこうこう言われるが、それは違うのではないか。その根拠は・・・」とやるのはいいとして、
だいたいはそういった場ではない所で、記事の書き手に反論して自分の優位性を示すという目的で
為されていることが多い。

どのようなバックボーンをもつとも、普段どのような考え方をしているとかも不明の
どこの誰ともつかない者が「通りすがり」とか名乗りながら、
「普通はこう考える」とか「みんなが不快に思ってる」と世の中の代弁者を気取る事が多い。

あるいは、自分のほうが知識があるとか経験があるとか、何の根拠にもならない御託で着飾っては
とうとうと反論を述べ立てたりもする。

意見を持つのはいい。反論を述べるのもいい。
だが、それは他人のスペースに邪魔してやることではない。
もしやるとするなら、「違う意見を持つので読んで欲しい」と、
自分の立場考え方を明らかにした場所に該当記事を書き、リンクを貼るのが筋ってものではないだろうか。

気に食わないと思うなら読まなきゃいいだけなのに、粘着して記事をアップするごとに
「訂正しろ」「謝罪しろ」「こういったことは書くな」とやってくるのは、
脳みそも根性も腐ってるド低能であることを晒してるに過ぎず、
誰も「このコメントの人すごく賢くて正しくて清らか優しい人だ!」
なーんて思ってくれる人はいないのだが、本人だけが気づかない。

相手にされてないだけなのに、「論破!正義は勝つ!」とドヤ顔で鼻の穴を膨らますイタイ奴。
で、だいたい、言い負かすことができそうな真面目て優しげな人とか、
正義感強い女性とか、個人的な悩みを書いている若者とか、そういった相手を狙う。
これで「世直し」を気取るんだから、笑わせる。

他にやることはいくらでもあるだろうが、自分のストレス発散が第一で何も見えないのが、
ド低能がド低能である所以。

という目で、あちこちの炎上ブログを見て回ると面白いよ。 というお話でした。(笑)

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

サラリとベタベタ

愛情深い人ほど、あっさりとしている。

くどくない。

自立してるから相手を縛らない。

思い通りに動かそうとしない。

被害者意識がない。

重荷を押し付けない。

わかってもらおうとしない。


愛の無い人ほど、粘着質。

しつこい。

疑り深く探りを入れる。

そのくせ興味があるのは自分自分。

何度も他人を試し信じない。

幸も不幸も誰かのせい。

愛のある人の愛に気づかない。

普通になろうとした人

昨日の「世界仰天ニュース」はアスペルガー症候群についてだった。
ネットでは気軽に「お前アスペだろ」「あの人きっとアスペよ」なんて使われる言葉だけれど、
これはれっきとした脳の障害であって、性格が変わっているとか悪いとかという話ではない。
なのでそういう言葉を聞いたり目にしたりするたびに、不愉快になってはいた私だが、
昨日のテレビを見て、おおいに反省するところがあった。

以前関わりのあった知人が、少し変わった人だった。
場の空気の読めなさには時々いらつくことはあったが、そういう個性として私は見ていた。
ある時、彼女が自分の子育てについて語ったことがあった。
「私は子供のために努力をして自分を変えた」ということを。

昔から変人扱いされることの多かった彼女だったが、
小学校に上がった子供から泣いて抗議されたときには堪えたと言う。
「どうしてお母さんはそんな風なの?どうして他のお母さんのように普通じゃないの?
 もう嫌だ。そんなお母さんなんか嫌いだ」と。

それから彼女は周囲のお母さん方を見て、
どんなときにどんな反応をし、どう行動するのかを徹底的に研究し真似をし続けたのだそうだ。

「私は娘のために自分を変えた」と誇らしげに言う彼女を私は理解できずに、
「他所の母親と比較をして、ありのままのお母さんを否定する子供のいいなりに何でなったの?
 そこは親なら子供を叱るところじゃないの?
 自分を殺して他人の真似をするのが良い事とは思えない」
なんて言ってしまった。

別に議論したわけでもなく、その場はそれで終わったのだけれど、
やっぱり彼女は変わってるなと私は感じただけだった。
しかし、それとまんま同じことが、昨日のテレビの再現ドラマにあったので驚いたのだ。

ああ、子供が泣いて嫌がるほど他のお母さんと違ってるって、そういうことだったのか、と。
自分の理解の範疇を超えていることは想像すらできない。

知って良かった。

けれど、同じような人とまた接することがあっても、
やはり私は苛立ちそうではある。

「もう誰も信じない」ってか?

「昔、人に裏切られて悲しい思いをしたのでもう誰も信じられない」、
という人がたまに居る。

私は「ふーん、そうなんだね」としか返せない。

「私はあなたを裏切らないから安心して」って言葉を期待してるのかな?と思いつつ、
そんないかにも臭い言葉は気持ち悪くて言えないし。

そんなふうにこちらのリアクションが薄いからなのか、
更に過去にどんなに酷い裏切られ方をしたかを詳しく話してくれたりもするのだけど、

やっぱり私は「ああ酷いね。それは辛かったね」ぐらいしか返せない。

すると、
そうしてひとしきり自分の辛かった経験を語り終えた後で

「でも、ぽあんさんの事だけは、信じてるから」

とか言われたりする。

途端に、
そこまででモニョモニョしていた正体不明な感情が、形を明らかにする。

不愉快。

怒り。


これ、
「こんなに酷い目にあわされて誰も信じられなくなった私が
 あなただけは特別に良い人、信じられる人と認めてあげてるのよ」
ってことだからね。


お前の評価なんかどうでもいいんだよ!

お前に認められたからって、何で私が喜ぶと思うんだよ!


被害者意識の強い人、
自己評価の低い人って、何でこんなに高慢ちきなんだろう?

矛盾してるようだけど、本当、そう。


可哀想だから、言わないけどね。
でもあなたが同じ話をしてきた多くの人たちは、みんな、心の内で思っていること。

だから誰ひとりとして残ってないでしょう?
あなたを馬鹿にして都合の良いように使う人だけしか。

考えなさすぎ

頭でっかちで考えすぎるほど考えて理屈をこねくりまわしていた私を
今の周囲にいる人たちは知らない。

判断するのは、楽しいか楽しくないか、
したいかしたくないか、
好きか嫌いか、
心地良いか辛いか。

と書いて、それすらダメって言われてたっけな、あの頃は・・・と思い出す。
ええと何だっけ?
二極化の世界は終わりだからなんたらかんたらみたいな事だったっけかな。

判断せずに、
♪ありの~ままの~私になるの~~~
みたいなのが良いとかさー、もー、どうでもいい。

「凄ー、嬉しいー、楽しいー、ありがとー」で十分じゃないの?

嫌なことはしなければいい、嫌いな人とは会わなければいい、
辛いことは忘れればいい。

今の目の前にいる人の目を見て、声を聴いて、話をする、感じる。
やるべきことをやって、持ちこさない。

腹が立てばドッカーンと怒って、悲しかったらワンワン泣いて、
いっぱい人に迷惑もかけちゃうけども、イヤなら私が嫌われるだけだしね。

「あんたはお気楽でいいなぁ」と半ば呆れられながら言われたけれど、
「いいでしょ(笑)」と単純に思うだけ。

スイッチ

絶対に手放せない宝物と思っていた物が、
一瞬でゴミになることがある。

失いたくないと悩んで過ごした長い日々すら、
もうどうでもいいと。

後悔も後腐れもなく、誰に何の言い訳をする必要もなく、
ただ、「楽しかった~」と終わるお遊び。

ストレスといじめ

農家をやっている知人は、鶏も飼育している。
そこで鶏小屋の管理を任せていた人がデタラメなことをしていたため、
雄と雌の割合を適正に保つことができてなくて、
気がついた時には、小屋の中に多くの雄がひしめきあうという状況になってしまっていた。
雄の鶏は気性が荒く、ストレスがかかると半端ない攻撃性を見せる。
その中で犠牲になるのが弱い仲間。
寄ってたかって突きまわされて数羽が血塗れに。
目を潰された奴もいれば、中には頭を集中的に狙われて頭蓋骨まで穴があき、
脳みそをブルブルさせたまま逃げ回っていた個体もいたそうだ。
担当者が変わったため、近々すべて殺処分になるのだが、
それまではとりあえず、傷ついた鶏はそれぞれ隔離し守ってやっているという。
「ヒヨコの頃は皆ピヨピヨと、寒い時は身を寄せ合って押し競まんじゅうして可愛いのに、
 なんでこんなに凶暴になるかなぁ?」
と言っていたが、それはそういう本能を持っているのだろうから仕方ない。

なにしろ、自然ではなく人為的に作られた群れだ。
管理を間違えば悲劇は起こる。

この鶏の行動を言葉にした時、
多分、誰しもが「鶏同士のいじめ」という言い方をするだろう。

狭い所に押し込められたストレスのはけ口としての、いじめ行為。と。


しかし、これをもし人間に置き換えたなら、
目玉をえぐったり、頭蓋骨かち割らったりを「いじめ」とはとても呼べないだろう。

逆に、鶏のこうした行為を「暴行」「傷害」「殺人(鶏?)未遂」とも言わないが。

そう考えると、
「いじめ」という言葉は、今、あまりにもあやふやに使われていやしまいかと思う。
そろそろ、明確な定義が必要ではないだろうか。

「体罰」と「虐待」の定義と共に。


それにしても、学校の箱、家庭の箱、会社の箱、社会の箱のストレスから
弱い者にターゲットを定めて虐げる事例の多さにはうんざりする。
いい大人まで。
ニワトリ頭のなんと多いことよ。

口に出す願望

「幸せになりたい」
「幸せになろうよ」
「みんな、幸せにな~れ」

と口癖のように言う人に

「幸せじゃないんだね・・・可哀想に」

と言ったら機嫌が悪くなったよ。
どうして?


「俺は義に生きたい」

と常々語りたがる人に

「そうなんだ。今は義に生きてないんだね」

と言ったら怒ったよ。
どうして?


「金が欲しい。金持ちになりたい~」
といつもいつもピーピーな私は、

「お金がないんだね」と言われても

「そうなの。貧乏で困っちゃってんだよー」となるだけだが。



本当の事言われて、怒る事はないよね?

トラウマが服着て歩いてる

──子育てが大変だから虐待してしまう。

──夫の仕事が忙しくて寂しいから浮気してしまう。

──子どもの時のトラウマがあるから辛さ寂しさに絶えられない。

──人と関わるのが苦手だから働けない。

本気でやめたい、直したいと思っていないから、
こんな言い訳が出てくる。


それなのに、「ありのままを受け止めて救ってあげて」?

嫌です。

無理です。

許せません。


嫌いな人の為に感情を殺して嫌な事をやらされるのって、

人権侵害にならないの?

優しさの圧力

今は「絶対に人を傷つけてはいけない!」とする、非常に心優しい人が多いが、
それがなぜか本音を言うのを恐ろしく感じさせるような空気になっていて、
私のような不用意な人間には、窮屈でたまらない。

「言葉一つで傷つく人がいるんですよ!」
「強い人間にはわからない!」
という正義に敵対するのは、悪だから。

過激でもいい間違ってもいいから、ポンポンと何でも言い合って、
違いをわかりあいながら着地点を探す、みたいなことは、
もはや理想論でしかないのかもしれない。

手を繋いで横並びでゴールインという運動会のカケッコは、
現代教育の歪みを象徴しているとしてよく批判の的にされるが、
同じような事を自分がしているとは気が付き難いものなのだろう。

ちなみに私はカケッコでいつもビリだった。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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