過去の幸せ

過去を思い出しては辛くなる。
以前は辛い過去を思い出しては辛くなっていたが、
今は幸せだった過去を思い出して辛くなっている。
共通しているのは
「なぜ?どうして?」というところ。
過ぎていった悲しみを喜べず、
持っていた大好きだった人との
楽しかった時間も喜べず。
「あの頃は幸せだったなぁ」なんてことばかり。
それじゃ今が幸せではないのかと言うと、そんなことはない。
自分の選択の実りを受け取っているのだから。
いったいどうであれば私は満足なのか?

暇なんだな、きっと。(笑)

やった方がいいことリスト

幸せになるとか成長するとかは、
すごく頑張って何かを成し遂げないといけないものではなくて、
日々の小さな積み重ね。
何か物足りない気がするのなら、やってないことがあるからじゃないかな?と思う。
なので、取りあえず「やった方がいいことリスト」を作ってみよう。
やらなくちゃならないことリストじゃなくて、
あくまでも、やってもやらなくてもいいけど、
出来ればやった方がいいんじゃないかなぁーな事を
ちょっとしたものまで書き出してみる。
そして始めてみる。
一回だけ、三日坊主、一週間、もう一週間、1ヶ月、
そろそろ習慣?では、もう1ヶ月・・・
何かが変わるかもしれないよ。

貯める生き方を終わらせる

いらない物を捨てて、数少ないお気に入りのものだけで
スッキリとシンプルに暮らす。
いわゆる「断捨離」と言われるライフスタイル。

そうできればいいなと思いつつ、どこかで抵抗したい自分もいた。
ゴチャゴチャ雑然とした物たちはどれも過去の時々の思い入れと結びついていて、
たとえ今は使わなくても、失うと後で困ったり、懐かしんで寂しくなり後悔するんじゃないかという
心配があって、なかなか手放せないからだ。

買った時高かった、とか
今は縁遠くなった人から貰った物だから、とか
希少だから後でまた入手したいと思っても無理だから、とか
一時期情熱を持っていた事なのに粗末にできない、とか
本などは時間できたら読むんだから!なんて、ね。(笑)

もう過ぎ去った“あの時”こうだったからの固執、
あるかどうかわからない“いつか”への期待と言う名の不安が、
ゴチャゴチャの原因。

身の回りの状況は、本当に今の頭の中そのままの投影になっている。

片付かないから、あれもしなきゃ、これもしなきゃと思うばかりで身動きとれない。
だからいつまでたっても片付かない。
時間が出来たらやると思っていることの出来る時間は永遠に来ない。
やるなら今、やらないなら要らない物として捨てる。
当たり前の取捨選択ができないのは、結構なエネルギーのロスになっているのだった。

言うまでもないことだが、最高にパワフルに活動できるのは、
集中して物事に取り組めている時。
「あれもしなきゃな~」とよそ見していると、今という好機を逃し、何をしているかわからなくなる。

そういった意味で、過去というものは常に捨て続けなければならないものなのだろう。
・・・いや、捨てるという言い方はおかしいか。
未来から過去へと流れていく時間の中に存在する自分なのだから、
今の新鮮な流れの水を素直に100%味わう生き方をする、とそれだけでいい。
過去流れた水を一生懸命「まだ十分に味わってないから」とせき止めていたら、
今目の前にサラサラと流れている清らかな水を受ける場所すらない。
それで「また後で」ともっと大きな貯水池を作って溜めておく必要がでてくる。
常に後で味わうためのストックを作り続ける方にエネルギーは消費されて、そのうち死ぬ。
まさに骨折り損のくたびれ儲け。

そういうことをしてきたんだなと、片付かない本の山を前に笑うしかない、今、ここ。(笑)

テーマ : 断捨離
ジャンル : ライフ

夢も希望もない毎日

夢も希望も目指す方向もない。

ただ、やりたい事と
やってる事だけがある。

過去も未来もなく、今だけ。

この生き方が気に入っている。

他人の土俵で相撲を取るということ

このブログでも以前あったが、よく、他人のブログのコメントで持論を展開する人を見る。

議論好きのための問題提起的なブログというのもあるだろうから、
そういった所で
「あなたはこうこう言われるが、それは違うのではないか。その根拠は・・・」とやるのはいいとして、
だいたいはそういった場ではない所で、記事の書き手に反論して自分の優位性を示すという目的で
為されていることが多い。

どのようなバックボーンをもつとも、普段どのような考え方をしているとかも不明の
どこの誰ともつかない者が「通りすがり」とか名乗りながら、
「普通はこう考える」とか「みんなが不快に思ってる」と世の中の代弁者を気取る事が多い。

あるいは、自分のほうが知識があるとか経験があるとか、何の根拠にもならない御託で着飾っては
とうとうと反論を述べ立てたりもする。

意見を持つのはいい。反論を述べるのもいい。
だが、それは他人のスペースに邪魔してやることではない。
もしやるとするなら、「違う意見を持つので読んで欲しい」と、
自分の立場考え方を明らかにした場所に該当記事を書き、リンクを貼るのが筋ってものではないだろうか。

気に食わないと思うなら読まなきゃいいだけなのに、粘着して記事をアップするごとに
「訂正しろ」「謝罪しろ」「こういったことは書くな」とやってくるのは、
脳みそも根性も腐ってるド低能であることを晒してるに過ぎず、
誰も「このコメントの人すごく賢くて正しくて清らか優しい人だ!」
なーんて思ってくれる人はいないのだが、本人だけが気づかない。

相手にされてないだけなのに、「論破!正義は勝つ!」とドヤ顔で鼻の穴を膨らますイタイ奴。
で、だいたい、言い負かすことができそうな真面目て優しげな人とか、
正義感強い女性とか、個人的な悩みを書いている若者とか、そういった相手を狙う。
これで「世直し」を気取るんだから、笑わせる。

他にやることはいくらでもあるだろうが、自分のストレス発散が第一で何も見えないのが、
ド低能がド低能である所以。

という目で、あちこちの炎上ブログを見て回ると面白いよ。 というお話でした。(笑)

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

サラリとベタベタ

愛情深い人ほど、あっさりとしている。

くどくない。

自立してるから相手を縛らない。

思い通りに動かそうとしない。

被害者意識がない。

重荷を押し付けない。

わかってもらおうとしない。


愛の無い人ほど、粘着質。

しつこい。

疑り深く探りを入れる。

そのくせ興味があるのは自分自分。

何度も他人を試し信じない。

幸も不幸も誰かのせい。

愛のある人の愛に気づかない。

普通になろうとした人

昨日の「世界仰天ニュース」はアスペルガー症候群についてだった。
ネットでは気軽に「お前アスペだろ」「あの人きっとアスペよ」なんて使われる言葉だけれど、
これはれっきとした脳の障害であって、性格が変わっているとか悪いとかという話ではない。
なのでそういう言葉を聞いたり目にしたりするたびに、不愉快になってはいた私だが、
昨日のテレビを見て、おおいに反省するところがあった。

以前関わりのあった知人が、少し変わった人だった。
場の空気の読めなさには時々いらつくことはあったが、そういう個性として私は見ていた。
ある時、彼女が自分の子育てについて語ったことがあった。
「私は子供のために努力をして自分を変えた」ということを。

昔から変人扱いされることの多かった彼女だったが、
小学校に上がった子供から泣いて抗議されたときには堪えたと言う。
「どうしてお母さんはそんな風なの?どうして他のお母さんのように普通じゃないの?
 もう嫌だ。そんなお母さんなんか嫌いだ」と。

それから彼女は周囲のお母さん方を見て、
どんなときにどんな反応をし、どう行動するのかを徹底的に研究し真似をし続けたのだそうだ。

「私は娘のために自分を変えた」と誇らしげに言う彼女を私は理解できずに、
「他所の母親と比較をして、ありのままのお母さんを否定する子供のいいなりに何でなったの?
 そこは親なら子供を叱るところじゃないの?
 自分を殺して他人の真似をするのが良い事とは思えない」
なんて言ってしまった。

別に議論したわけでもなく、その場はそれで終わったのだけれど、
やっぱり彼女は変わってるなと私は感じただけだった。
しかし、それとまんま同じことが、昨日のテレビの再現ドラマにあったので驚いたのだ。

ああ、子供が泣いて嫌がるほど他のお母さんと違ってるって、そういうことだったのか、と。
自分の理解の範疇を超えていることは想像すらできない。

知って良かった。

けれど、同じような人とまた接することがあっても、
やはり私は苛立ちそうではある。

「もう誰も信じない」ってか?

「昔、人に裏切られて悲しい思いをしたのでもう誰も信じられない」、
という人がたまに居る。

私は「ふーん、そうなんだね」としか返せない。

「私はあなたを裏切らないから安心して」って言葉を期待してるのかな?と思いつつ、
そんないかにも臭い言葉は気持ち悪くて言えないし。

そんなふうにこちらのリアクションが薄いからなのか、
更に過去にどんなに酷い裏切られ方をしたかを詳しく話してくれたりもするのだけど、

やっぱり私は「ああ酷いね。それは辛かったね」ぐらいしか返せない。

すると、
そうしてひとしきり自分の辛かった経験を語り終えた後で

「でも、ぽあんさんの事だけは、信じてるから」

とか言われたりする。

途端に、
そこまででモニョモニョしていた正体不明な感情が、形を明らかにする。

不愉快。

怒り。


これ、
「こんなに酷い目にあわされて誰も信じられなくなった私が
 あなただけは特別に良い人、信じられる人と認めてあげてるのよ」
ってことだからね。


お前の評価なんかどうでもいいんだよ!

お前に認められたからって、何で私が喜ぶと思うんだよ!


被害者意識の強い人、
自己評価の低い人って、何でこんなに高慢ちきなんだろう?

矛盾してるようだけど、本当、そう。


可哀想だから、言わないけどね。
でもあなたが同じ話をしてきた多くの人たちは、みんな、心の内で思っていること。

だから誰ひとりとして残ってないでしょう?
あなたを馬鹿にして都合の良いように使う人だけしか。

考えなさすぎ

頭でっかちで考えすぎるほど考えて理屈をこねくりまわしていた私を
今の周囲にいる人たちは知らない。

判断するのは、楽しいか楽しくないか、
したいかしたくないか、
好きか嫌いか、
心地良いか辛いか。

と書いて、それすらダメって言われてたっけな、あの頃は・・・と思い出す。
ええと何だっけ?
二極化の世界は終わりだからなんたらかんたらみたいな事だったっけかな。

判断せずに、
♪ありの~ままの~私になるの~~~
みたいなのが良いとかさー、もー、どうでもいい。

「凄ー、嬉しいー、楽しいー、ありがとー」で十分じゃないの?

嫌なことはしなければいい、嫌いな人とは会わなければいい、
辛いことは忘れればいい。

今の目の前にいる人の目を見て、声を聴いて、話をする、感じる。
やるべきことをやって、持ちこさない。

腹が立てばドッカーンと怒って、悲しかったらワンワン泣いて、
いっぱい人に迷惑もかけちゃうけども、イヤなら私が嫌われるだけだしね。

「あんたはお気楽でいいなぁ」と半ば呆れられながら言われたけれど、
「いいでしょ(笑)」と単純に思うだけ。

スイッチ

絶対に手放せない宝物と思っていた物が、
一瞬でゴミになることがある。

失いたくないと悩んで過ごした長い日々すら、
もうどうでもいいと。

後悔も後腐れもなく、誰に何の言い訳をする必要もなく、
ただ、「楽しかった~」と終わるお遊び。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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