第82回「武禅一の行」8─苦手
「人付き合いが苦手」と言う人は結構多い。
もちろん私もその一人。
口下手で気が利かないので、他人と何を話していいのかわからなくて疲れる。
まあそれも馬鹿みたいな自意識が過剰だからなのは承知しているが、
理由がわかったところで苦手なものは苦手。
本当は一人で居るのが楽だし好き。
とはいえ、それでいいとは思っていないから苦しむ。
人付き合いが上手な人が羨ましくて、自分もそうなりたいとどうしたって思ってしまうから。
人を好きになりたい。関心を持ちたい。
互いに心から楽しんで気持ちの良い自然な会話ができたらどんなにいいだろう。
その欲求は振り払おうとしても消せるものではない。
人が人と繋がりたいのは、根源的なものだ。
だから、私は武禅に行っている。
初めて武禅に行った時、私はその後何度も行く事になるとは思っていなかった。
遠いし、そうそう家を空けられないし、お金もかかることだから
一生に一度の大冒険になるだろうと思っていた。
この際、知りたいことは全部聞こうと思ったし、
できるだけ欲張って何でもチャレンジしなくては勿体ないとガツガツしていたと思う。
結局、一度や二度で何かをつかめると考えていたのが大間違いで、常連化しつつあるのだが、
その気持ちは今も変わってはいないどころか、より強まるばかり。
その私から見ると、せっかく武禅に来ているのに消極的な人がいるのが不思議だ。
もっと先生のそばに寄って他の人を押しのける勢いででも前に出ようって気はないのかな、と。
強く求めるものがあるからこそ、わざわざ来ているはずなのに質問が出ない。
食い下がらない。突っ込み入れない。意見を言わない。
それって無口でおとなしい性格だから?
ある人が、仕事での人間関係で悩んでいるという話をしていた。
彼は会社の飲み会には出ないのだそうだ。
「苦手」ということで。
もう40代も半ばだけれど若い頃からずっとそうしてきたのだとしたら、それは悩むだろうと思う。
好き嫌い、得手不得手が許されるのはガキのうちだけ。
仕事の場では求められている人間にならなければならない。
自分の「苦手」は相手にはどうでもいい、こっちの都合。
どうしたらいいかは既に見えている。
どうするかは自由。
もちろん私もその一人。
口下手で気が利かないので、他人と何を話していいのかわからなくて疲れる。
まあそれも馬鹿みたいな自意識が過剰だからなのは承知しているが、
理由がわかったところで苦手なものは苦手。
本当は一人で居るのが楽だし好き。
とはいえ、それでいいとは思っていないから苦しむ。
人付き合いが上手な人が羨ましくて、自分もそうなりたいとどうしたって思ってしまうから。
人を好きになりたい。関心を持ちたい。
互いに心から楽しんで気持ちの良い自然な会話ができたらどんなにいいだろう。
その欲求は振り払おうとしても消せるものではない。
人が人と繋がりたいのは、根源的なものだ。
だから、私は武禅に行っている。
初めて武禅に行った時、私はその後何度も行く事になるとは思っていなかった。
遠いし、そうそう家を空けられないし、お金もかかることだから
一生に一度の大冒険になるだろうと思っていた。
この際、知りたいことは全部聞こうと思ったし、
できるだけ欲張って何でもチャレンジしなくては勿体ないとガツガツしていたと思う。
結局、一度や二度で何かをつかめると考えていたのが大間違いで、常連化しつつあるのだが、
その気持ちは今も変わってはいないどころか、より強まるばかり。
その私から見ると、せっかく武禅に来ているのに消極的な人がいるのが不思議だ。
もっと先生のそばに寄って他の人を押しのける勢いででも前に出ようって気はないのかな、と。
強く求めるものがあるからこそ、わざわざ来ているはずなのに質問が出ない。
食い下がらない。突っ込み入れない。意見を言わない。
それって無口でおとなしい性格だから?
ある人が、仕事での人間関係で悩んでいるという話をしていた。
彼は会社の飲み会には出ないのだそうだ。
「苦手」ということで。
もう40代も半ばだけれど若い頃からずっとそうしてきたのだとしたら、それは悩むだろうと思う。
好き嫌い、得手不得手が許されるのはガキのうちだけ。
仕事の場では求められている人間にならなければならない。
自分の「苦手」は相手にはどうでもいい、こっちの都合。
どうしたらいいかは既に見えている。
どうするかは自由。
第82回「武禅一の行」7─反省しない
行きの車の中でどういう話の流れだったか、「先生は反省をしないから」という話になった。
先生は失敗しても、不備があっても、絶対に反省しないらしい。
それは何となく「らしい」感じがする。
「あの時ああだったら」「こうしておけば」なんて言葉が先生の口から出るところを想像できない。
たとえ「お前ああいう時はこうするもんやで」と他人に反省を促すようなことは、
容赦なくジャンジャン言ったとしても。だ。
リビングに集まって雑談をしていると、これまたどういう流れだったか
先生から「オレは反省なんかせんで」という言葉が飛び出したので、車組、一斉に笑う。
「出た〜」「やっぱり〜」って感じで。
特にSさん。これでスイッチ入ったから今回笑いっぱなしだったんじゃないかな。
だけどこの「反省しない」というのは、本当に大切なことを的確に表していると最近つくづく思う。
世の中にはいろんな言葉がある。
「自己肯定力を高める」「自己受容」「過去からの開放」「自分との和解」etc.
そんな小難しい言葉で心理を分析するカウンセリングがもてはやされてもいるけれど、
そんなもの、「反省しない」の一言で塵と消えるぐらいのどうでもいいあやふやなものだ。
なんてったって、過去は全肯定なんだから。
世の中、「反省」ほど無駄なものはない。
「反省だけなら猿でもできる」というコピーが昔あったが、まさにその通り。
「反省してます」「ごめんなさい」など、
気持ちがなくても、理解してなくても口先だけでいくらだって言える。
皆、形や言葉が一番大切だと勘違いしているから、それがあると安心するだけ。
だからマスコミの前で謝罪する人の多いこと。
芸能人の涙のお詫び会見や、会社役員全員勢ぞろいで頭を下げて“けじめ”のつもりの
クソ白々しい三文芝居につきあわされるだけ時間の無駄だろうに。
責任追及の土下座コールにいったい何の意味があるというのか。
大人が子どもに「悪いことをしたら『ごめんなさい』でしょ」とやみくもに教えるもんだから、
子どもが謝っても許してくれない人を、「なぜ許さないんだ!」と攻撃するなんてこともある時代。
ぜんぶ反省さえすれば済む、と思われているのが間違いの元。
反省も謝罪も何の役にも立ちはしない。
過ちは消えてなくなりはしないし、やってしまったことが許されるはずもない。
本当に反省の気持ちがあるのなら、
クヨクヨ悩んだり、相手に気持ちを押し付けるよりすることがある。
なにしろ人生は短い、死んだら終わり。振り返って悩んでいる時間がもったいない。
済んだことはしゃあないやんけ。
そうなってるならしゃあないやんけ。
過去も現状も受け入れた上で、なら次はどうする?だ。
人の心と社会が健全に保つためにこれほどシンプルで的を得ている思想があるだろうか。
全国の学校の道徳の授業に取り入れてくれたらいいのに。
そうしたら、「うつ」なんて無駄なことやる人、ぐーんと減るだろうから。
先生は失敗しても、不備があっても、絶対に反省しないらしい。
それは何となく「らしい」感じがする。
「あの時ああだったら」「こうしておけば」なんて言葉が先生の口から出るところを想像できない。
たとえ「お前ああいう時はこうするもんやで」と他人に反省を促すようなことは、
容赦なくジャンジャン言ったとしても。だ。
リビングに集まって雑談をしていると、これまたどういう流れだったか
先生から「オレは反省なんかせんで」という言葉が飛び出したので、車組、一斉に笑う。
「出た〜」「やっぱり〜」って感じで。
特にSさん。これでスイッチ入ったから今回笑いっぱなしだったんじゃないかな。
だけどこの「反省しない」というのは、本当に大切なことを的確に表していると最近つくづく思う。
世の中にはいろんな言葉がある。
「自己肯定力を高める」「自己受容」「過去からの開放」「自分との和解」etc.
そんな小難しい言葉で心理を分析するカウンセリングがもてはやされてもいるけれど、
そんなもの、「反省しない」の一言で塵と消えるぐらいのどうでもいいあやふやなものだ。
なんてったって、過去は全肯定なんだから。
世の中、「反省」ほど無駄なものはない。
「反省だけなら猿でもできる」というコピーが昔あったが、まさにその通り。
「反省してます」「ごめんなさい」など、
気持ちがなくても、理解してなくても口先だけでいくらだって言える。
皆、形や言葉が一番大切だと勘違いしているから、それがあると安心するだけ。
だからマスコミの前で謝罪する人の多いこと。
芸能人の涙のお詫び会見や、会社役員全員勢ぞろいで頭を下げて“けじめ”のつもりの
クソ白々しい三文芝居につきあわされるだけ時間の無駄だろうに。
責任追及の土下座コールにいったい何の意味があるというのか。
大人が子どもに「悪いことをしたら『ごめんなさい』でしょ」とやみくもに教えるもんだから、
子どもが謝っても許してくれない人を、「なぜ許さないんだ!」と攻撃するなんてこともある時代。
ぜんぶ反省さえすれば済む、と思われているのが間違いの元。
反省も謝罪も何の役にも立ちはしない。
過ちは消えてなくなりはしないし、やってしまったことが許されるはずもない。
本当に反省の気持ちがあるのなら、
クヨクヨ悩んだり、相手に気持ちを押し付けるよりすることがある。
なにしろ人生は短い、死んだら終わり。振り返って悩んでいる時間がもったいない。
済んだことはしゃあないやんけ。
そうなってるならしゃあないやんけ。
過去も現状も受け入れた上で、なら次はどうする?だ。
人の心と社会が健全に保つためにこれほどシンプルで的を得ている思想があるだろうか。
全国の学校の道徳の授業に取り入れてくれたらいいのに。
そうしたら、「うつ」なんて無駄なことやる人、ぐーんと減るだろうから。
第82回「武禅一の行」6─向き合わない人への怒り
ムカつく人はどこにでもいる。
日常では、それをうまくカムフラージュして相手にも周囲にも悟られないようにしながら
距離を置いて付き合うということをしている。
距離を置くということは、仲良くはしないということだ。
大切な事は任せないし相談もしない。
面白い得になる情報があってもわざわざ教えない。
その人がいる場所にはなるべく近づかない。
どうしても避けられない用事がある時だけ、当たり障りなく無難に最小限度接するのみ。
誰もどうでもいい人間のために自分の気分を害したくはないから。
しかし、武禅では感情をストレートに表現しあうことも稽古の内。
だから、
「あなたのその顔、ムカつく!」というようなことを言われたりする。
今回も休憩時間、部屋の隅の数人が集まっているところからそんな声が漏れ聴こえてきた。
「おっ、なんだ?」
私のトラブル大好き野次馬アンテナが敏感に反応してすっ飛んで行く。
言われていたのは前々回の時も一緒した男性だった。
線が細くて気弱そうな彼は、確かにいつもオドオドして見えるという所がある。
長年の癖なのだろうが顔色をうかがうように相手を見るので、そこが他人の癇に障るのだ。
「ちゃんと向かい合ってくれない態度をされると腹が立つ!」ということで、
「その顔がムカつく」と言われていた。
私もその怒りはよくわかる。
以前、他の人にだが同じようなことを言ったこともある。
オドオドする人のオドオドがまず不快なのだが、それ以上に腹立たせてくれるのが、
こちらの反応にまったく無頓着なところ。
顔色をうかがっているのなら、その顔色に反応して機嫌を取るぐらいしてもよさそうなのだが、
そうはならない。
単にそれはポーズだけの、自分を守る“ガード”のつもりをやっているだけだからだ。
「私は弱者です」「私はこんなに頑張っています」の見せつけ。
それは逆の「私はこんなに強いんだ」「私はこんなに偉いんだ」「私こそが正しい」をやる人とも
まったく同じ。どちらも人をムカつかせるだけ。
作った顔と声でこちらに「こう思ってもらいたい」をやられると、ウンザリする。
何を要求してやがんだ!と。
・・・とまあ、そういうことなんだよね。
以前から私は「声を届ける」の時、先生に再々、「目をむくな」と注意を受けている。
それも実は同じことなのだ。
目が大きいからとか、つい力が入るといった事ではない。
今回もペアの人に「目が怖い」と言われてしまった。
そのまま鏡を見て、そこにあった演技過剰な自分の顔にガーン。
アーア、可哀想なぐらいよく頑張っちゃってるよ。「私を認めて〜」って。
確かにムカつくわ、この顔。
だけど自分だから距離を置くってわけにはいかないからね。
なんとかしてやんないと。
日常では、それをうまくカムフラージュして相手にも周囲にも悟られないようにしながら
距離を置いて付き合うということをしている。
距離を置くということは、仲良くはしないということだ。
大切な事は任せないし相談もしない。
面白い得になる情報があってもわざわざ教えない。
その人がいる場所にはなるべく近づかない。
どうしても避けられない用事がある時だけ、当たり障りなく無難に最小限度接するのみ。
誰もどうでもいい人間のために自分の気分を害したくはないから。
しかし、武禅では感情をストレートに表現しあうことも稽古の内。
だから、
「あなたのその顔、ムカつく!」というようなことを言われたりする。
今回も休憩時間、部屋の隅の数人が集まっているところからそんな声が漏れ聴こえてきた。
「おっ、なんだ?」
私のトラブル大好き野次馬アンテナが敏感に反応してすっ飛んで行く。
言われていたのは前々回の時も一緒した男性だった。
線が細くて気弱そうな彼は、確かにいつもオドオドして見えるという所がある。
長年の癖なのだろうが顔色をうかがうように相手を見るので、そこが他人の癇に障るのだ。
「ちゃんと向かい合ってくれない態度をされると腹が立つ!」ということで、
「その顔がムカつく」と言われていた。
私もその怒りはよくわかる。
以前、他の人にだが同じようなことを言ったこともある。
オドオドする人のオドオドがまず不快なのだが、それ以上に腹立たせてくれるのが、
こちらの反応にまったく無頓着なところ。
顔色をうかがっているのなら、その顔色に反応して機嫌を取るぐらいしてもよさそうなのだが、
そうはならない。
単にそれはポーズだけの、自分を守る“ガード”のつもりをやっているだけだからだ。
「私は弱者です」「私はこんなに頑張っています」の見せつけ。
それは逆の「私はこんなに強いんだ」「私はこんなに偉いんだ」「私こそが正しい」をやる人とも
まったく同じ。どちらも人をムカつかせるだけ。
作った顔と声でこちらに「こう思ってもらいたい」をやられると、ウンザリする。
何を要求してやがんだ!と。
・・・とまあ、そういうことなんだよね。
以前から私は「声を届ける」の時、先生に再々、「目をむくな」と注意を受けている。
それも実は同じことなのだ。
目が大きいからとか、つい力が入るといった事ではない。
今回もペアの人に「目が怖い」と言われてしまった。
そのまま鏡を見て、そこにあった演技過剰な自分の顔にガーン。
アーア、可哀想なぐらいよく頑張っちゃってるよ。「私を認めて〜」って。
確かにムカつくわ、この顔。
だけど自分だから距離を置くってわけにはいかないからね。
なんとかしてやんないと。
第82回「武禅一の行」5─激しすぎるナマムギ合戦
声を届かせたいのに届かない。
いろいろと工夫して、変化させて、思いつく限りいろいろやるのに伝わらない。
煮詰まってくると、深刻さが増して雰囲気が重く暗くなってくる。
そうなるとエネルギーは弱まり、出るものも出ないという悪循環。
そんな時、先生は「ナマムギや!」と言われる。
「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ!」「となりの客は・・・」「1.2.3.4.5.・・・」
間髪入れずに交代で大声をただただ相手にぶつける。
ワーッと熱気が湧き上がってきて、頭の中は真っ白。
「もっと」と言われれば、「もっとやったろかい!」な気になって、
もう届くとか届かないとか、どんな表情とか、どんな格好とかどうでもいい。
とにかくなにがなんでも「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ!」。
その後に、また正面を合わせるとわかりやすくなったり、
「こんにちは」もどうしてあんなに悩んでいたのかと思うぐらい
雰囲気がガラッと変わって届きやすくなる。
やはり、何でも良いからエネルギーを「出す」ということが大切だ。
武禅で一番盛り上がるのは、なんといっても全員でやる「ナマムギ」だろう。
円座に椅子に座って一人ずつ誰でもいいから指差しで「ナマムギ ナマゴメ・・・」。
言われた人はまた別の人に今度は「となりの・・・」、またその人が「1.2.3.4・・・」。
これの面白いのは、言われた人に言い返してもいいところ。
「ナマムギ・・・」と言われたら「ナマムギ・・・」と返す。
だから気が弱い人は、何人にも言い返されてずっとオニをやり続けることになる。
別に勝ち負けを競うわけではないのだが、それは何となく悔しくてどうにかして押し切りたい。
そうしてドンドン激化していく、という仕組みだ。
これまでも相当激しくて、噛み付かんばかりの形相の顔を突き合わせたり、
興奮してきたら大声だけじゃなく、肩でグイグイ押してひっくり返りそうになったりとかあったのだが、
今回はそれに輪をかけての大乱戦で、かつてないほどの壮絶なものとなった。
「ナマムギ」がランダムに飛び交ううちに皆が熱を帯びてピークの中、
一人が「絶対に引かない!」との闘志をむき出しにしてぶつけてきた「ナマムギ」は、
そのまま相手の意地を掻き立て、まさに修羅場と化したのだ。
もう、声を届けるとかじゃないから。
エネルギーを出すとか伝わるとかそんな問題じゃなく、力ずくの荒業勝負。
それも、一人は長く日野武道を続けている武禅の大先輩の男性だが、もう一人は初参加の女性なのに。
その女性が押して押して追い掛け回して飛びついて首をひっつかまえて倒した上に馬乗りになって押さえ込んでこれでもかこれでもかの「ナマムギ」(この時は「隣の客は・・・」)なんだから。
スッゴイよ。
凶器が転げまわってるような中、もちろん見ているほうも巻きこまれてエキサーイティング。
ずっと笑いすぎてお腹が痛いわ涙は出るわで、もう最高。
こんなことになろうとは。
いつの間にか私は、これはこういうものなんて限界を決めていたのかもしれないなと思う。
場や関係は生き物だから、人が違えば全然違うものになってしまうってことを
こんなにもありありと見せてもらって気付く。
それにしても「ナマムギ」は奥が深いよ。
いろいろと工夫して、変化させて、思いつく限りいろいろやるのに伝わらない。
煮詰まってくると、深刻さが増して雰囲気が重く暗くなってくる。
そうなるとエネルギーは弱まり、出るものも出ないという悪循環。
そんな時、先生は「ナマムギや!」と言われる。
「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ!」「となりの客は・・・」「1.2.3.4.5.・・・」
間髪入れずに交代で大声をただただ相手にぶつける。
ワーッと熱気が湧き上がってきて、頭の中は真っ白。
「もっと」と言われれば、「もっとやったろかい!」な気になって、
もう届くとか届かないとか、どんな表情とか、どんな格好とかどうでもいい。
とにかくなにがなんでも「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ!」。
その後に、また正面を合わせるとわかりやすくなったり、
「こんにちは」もどうしてあんなに悩んでいたのかと思うぐらい
雰囲気がガラッと変わって届きやすくなる。
やはり、何でも良いからエネルギーを「出す」ということが大切だ。
武禅で一番盛り上がるのは、なんといっても全員でやる「ナマムギ」だろう。
円座に椅子に座って一人ずつ誰でもいいから指差しで「ナマムギ ナマゴメ・・・」。
言われた人はまた別の人に今度は「となりの・・・」、またその人が「1.2.3.4・・・」。
これの面白いのは、言われた人に言い返してもいいところ。
「ナマムギ・・・」と言われたら「ナマムギ・・・」と返す。
だから気が弱い人は、何人にも言い返されてずっとオニをやり続けることになる。
別に勝ち負けを競うわけではないのだが、それは何となく悔しくてどうにかして押し切りたい。
そうしてドンドン激化していく、という仕組みだ。
これまでも相当激しくて、噛み付かんばかりの形相の顔を突き合わせたり、
興奮してきたら大声だけじゃなく、肩でグイグイ押してひっくり返りそうになったりとかあったのだが、
今回はそれに輪をかけての大乱戦で、かつてないほどの壮絶なものとなった。
「ナマムギ」がランダムに飛び交ううちに皆が熱を帯びてピークの中、
一人が「絶対に引かない!」との闘志をむき出しにしてぶつけてきた「ナマムギ」は、
そのまま相手の意地を掻き立て、まさに修羅場と化したのだ。
もう、声を届けるとかじゃないから。
エネルギーを出すとか伝わるとかそんな問題じゃなく、力ずくの荒業勝負。
それも、一人は長く日野武道を続けている武禅の大先輩の男性だが、もう一人は初参加の女性なのに。
その女性が押して押して追い掛け回して飛びついて首をひっつかまえて倒した上に馬乗りになって押さえ込んでこれでもかこれでもかの「ナマムギ」(この時は「隣の客は・・・」)なんだから。
スッゴイよ。
凶器が転げまわってるような中、もちろん見ているほうも巻きこまれてエキサーイティング。
ずっと笑いすぎてお腹が痛いわ涙は出るわで、もう最高。
こんなことになろうとは。
いつの間にか私は、これはこういうものなんて限界を決めていたのかもしれないなと思う。
場や関係は生き物だから、人が違えば全然違うものになってしまうってことを
こんなにもありありと見せてもらって気付く。
それにしても「ナマムギ」は奥が深いよ。
第82回「武禅一の行」4─私は虐めっ子?
「気持ちの悪い人ですね」
「嫌われますよ」
「あなた、モテないでしょ。そんな顔してるもんね」
「ヤダー、絶対、周囲の人達に陰で悪口言われて笑われてるって」
日常の生活の中で大っぴらに他人にこんなことを言う人はあまりいない。
もしも言えば、それはイジメってことになるだろう。
だけど、私は武禅でこんな言葉をポンポン言いまくっている。
それは、
本当にそう感じるんだもの。
死んだような目をして、何をどうしたいのかはっきりしないくせに、
こっちに「わかってヨ」みたいな同情を求めてくる演技過剰の“察してちゃん”を見せられると、
気色悪いし、滑稽過ぎてナンジャラホイ、だ。
「『こんにちは』は、『こんにちは』でしょ!余計な物はいらない!」
「いちいち『どう?』ってな目をしないで!」
「そんな『ナマムギ』に悲壮感漂わせてどうすんの?」
好き放題、他人に言う。突っ込みまくる。見えるままを。
もちろん、私がそれをクリアしてるから上から言えるというわけではない。
私も言われる。
同じことを。
だって、まんま同じ事をしているのだから。
他人のことはよく見える。
自分のことはわからない。
だから、教え合わなくてはね。
問答無用で真剣で後ろからバッサリ斬られる社会よりずっと安全な、ここ稽古場で。
「嫌われますよ」
「あなた、モテないでしょ。そんな顔してるもんね」
「ヤダー、絶対、周囲の人達に陰で悪口言われて笑われてるって」
日常の生活の中で大っぴらに他人にこんなことを言う人はあまりいない。
もしも言えば、それはイジメってことになるだろう。
だけど、私は武禅でこんな言葉をポンポン言いまくっている。
それは、
本当にそう感じるんだもの。
死んだような目をして、何をどうしたいのかはっきりしないくせに、
こっちに「わかってヨ」みたいな同情を求めてくる演技過剰の“察してちゃん”を見せられると、
気色悪いし、滑稽過ぎてナンジャラホイ、だ。
「『こんにちは』は、『こんにちは』でしょ!余計な物はいらない!」
「いちいち『どう?』ってな目をしないで!」
「そんな『ナマムギ』に悲壮感漂わせてどうすんの?」
好き放題、他人に言う。突っ込みまくる。見えるままを。
もちろん、私がそれをクリアしてるから上から言えるというわけではない。
私も言われる。
同じことを。
だって、まんま同じ事をしているのだから。
他人のことはよく見える。
自分のことはわからない。
だから、教え合わなくてはね。
問答無用で真剣で後ろからバッサリ斬られる社会よりずっと安全な、ここ稽古場で。
マイバイブル完成!
自他とも認める日野晃フリークの私。
日野先生のものなら何でも集めたいのだけれど、唯一入手できなかった本がある。
「常識を打ち破れ、行動を起こせ!」(日新報道 :1996/08)
これだけが古本でもオークションでも、どうしても手に入らない。
ちょっと前はアマゾンで中古本が15,000円で出ていて、迷っているうちに売れてしまった。
それからどこにも出回らない。(今はまた9,600円で出ていた)
読めないとなると、メチャクチャ読みたいもの。
武禅に行った時、リビングにある本箱にお目当ての本を発見したので
「貸してください!」と頼み込んだところ、先生が快くお貸しくださった。
この本は、先生が一番最初に出版された本で、「とてもいい本だ」とのこと。
本からテキスト起こして自分用にプリントしようと思っていたら、なんとなんと、
執筆された時のテキストデータのフロッピーまで貸していただけるとは。
うゎ〜い、うゎ〜い! 嬉しいったらない。
大事に大事に持って帰ってフロッピーを開けて本と比べてみると、「あれっ?」と思うことが。
本の方は11章からなっているのに、データでは14章になっている。
先生のHPにあった目次通り? おおっ、これはラッキーかも。
ということで、
折角なので「恋愛」と「勉強」と「子育て」の章も含めてきちんと本にしてみた。
それがこれ。ジャーン。 (後ろのはお借りしている先生の本)

表紙に「完全版」なんて入れたりしたけど、実は私のミスでちょっとばかし不完全かも・・・
でも、一冊3650円。アマゾンで買うより安くついちゃった。
本当にこれは「いい本」だと思う。日野先生の哲学の基本がほとんどここにある、って感じで。
ずっと手元に置いて、何度も読み返すんだ〜。バンザーイ!!!
本が手に入らない人にも朗報。
「常識を打ち破れ、行動を起こせ!」は、加筆して新しく出版の予定もあるそうです。
もちろん私はそれも絶対に買う。
日野先生のものなら何でも集めたいのだけれど、唯一入手できなかった本がある。
「常識を打ち破れ、行動を起こせ!」(日新報道 :1996/08)
これだけが古本でもオークションでも、どうしても手に入らない。
ちょっと前はアマゾンで中古本が15,000円で出ていて、迷っているうちに売れてしまった。
それからどこにも出回らない。(今はまた9,600円で出ていた)
読めないとなると、メチャクチャ読みたいもの。
武禅に行った時、リビングにある本箱にお目当ての本を発見したので
「貸してください!」と頼み込んだところ、先生が快くお貸しくださった。
この本は、先生が一番最初に出版された本で、「とてもいい本だ」とのこと。
本からテキスト起こして自分用にプリントしようと思っていたら、なんとなんと、
執筆された時のテキストデータのフロッピーまで貸していただけるとは。
うゎ〜い、うゎ〜い! 嬉しいったらない。
大事に大事に持って帰ってフロッピーを開けて本と比べてみると、「あれっ?」と思うことが。
本の方は11章からなっているのに、データでは14章になっている。
先生のHPにあった目次通り? おおっ、これはラッキーかも。
ということで、
折角なので「恋愛」と「勉強」と「子育て」の章も含めてきちんと本にしてみた。
それがこれ。ジャーン。 (後ろのはお借りしている先生の本)

表紙に「完全版」なんて入れたりしたけど、実は私のミスでちょっとばかし不完全かも・・・
でも、一冊3650円。アマゾンで買うより安くついちゃった。
本当にこれは「いい本」だと思う。日野先生の哲学の基本がほとんどここにある、って感じで。
ずっと手元に置いて、何度も読み返すんだ〜。バンザーイ!!!
本が手に入らない人にも朗報。
「常識を打ち破れ、行動を起こせ!」は、加筆して新しく出版の予定もあるそうです。
もちろん私はそれも絶対に買う。
第82回「武禅一の行」3─感じたことが言葉にできない
武禅恒例、★★★★★。
今回は、夕方の行のレポートを書き終えた後。
それぞれの手のひらに先生自ら少しずつ配っていただいた。
「武禅初参加の人は知らんかもしれんから言っておくけど、
これが1日目の夕食だから、よーく味わって食べるように」
「えーーーっ」
というのは冗談なのだが、とにかくしっかり味わうのがポイント。
そして思ったとおりの感想を言う。
ただそれだけ。
何を求められているかは、以前参加したことがある人は皆知っている。
特に難しいことでもないと。
しかし、今回ちょっと私には難しかった。
何と言っていいかわからなくて。
他の人が答えている間中、「どう言おう、どう言おう」とドキドキしてしまった。
「いつもより・・・・」(過去との比較してどうすんの)
「甘さが少なくて・・・・」(だから?)
「歯ごたえと舌触りが・・・・」(誰も批評なんぞ聞いてないぞ)
「私の好みでは・・・・・」(好みとかどうでもいい)
こんな問答がババババッと頭の中を駆け巡るばかりで、焦る焦る。
ええー?
自分が何を感じているかわからないのか、私。
いや、本当はわかっているから、結局はそのまんまの答えを言ったんだけどね。
ただ、本当のことって私にとってこんなに言いにくいものなんだということを改めて実感。
嘘ばっかりついてるんだな、いつも。
そして思い込みの中で生きてるから、勝手にタブーを作ってる。
自分で思っていた以上に重症のようだ。
同じことをやっても同じことを感じるとは限らない。
正解を知ってるからといって正解を答えられるとは限らない。
わかっているはずのことをわかっているとは限らない。
当たり前のこと。
シンプルなことが一番難しい。
ゴチャゴチャ頭は、どうしてもクドくなる。
今回は、夕方の行のレポートを書き終えた後。
それぞれの手のひらに先生自ら少しずつ配っていただいた。
「武禅初参加の人は知らんかもしれんから言っておくけど、
これが1日目の夕食だから、よーく味わって食べるように」
「えーーーっ」
というのは冗談なのだが、とにかくしっかり味わうのがポイント。
そして思ったとおりの感想を言う。
ただそれだけ。
何を求められているかは、以前参加したことがある人は皆知っている。
特に難しいことでもないと。
しかし、今回ちょっと私には難しかった。
何と言っていいかわからなくて。
他の人が答えている間中、「どう言おう、どう言おう」とドキドキしてしまった。
「いつもより・・・・」(過去との比較してどうすんの)
「甘さが少なくて・・・・」(だから?)
「歯ごたえと舌触りが・・・・」(誰も批評なんぞ聞いてないぞ)
「私の好みでは・・・・・」(好みとかどうでもいい)
こんな問答がババババッと頭の中を駆け巡るばかりで、焦る焦る。
ええー?
自分が何を感じているかわからないのか、私。
いや、本当はわかっているから、結局はそのまんまの答えを言ったんだけどね。
ただ、本当のことって私にとってこんなに言いにくいものなんだということを改めて実感。
嘘ばっかりついてるんだな、いつも。
そして思い込みの中で生きてるから、勝手にタブーを作ってる。
自分で思っていた以上に重症のようだ。
同じことをやっても同じことを感じるとは限らない。
正解を知ってるからといって正解を答えられるとは限らない。
わかっているはずのことをわかっているとは限らない。
当たり前のこと。
シンプルなことが一番難しい。
ゴチャゴチャ頭は、どうしてもクドくなる。
第82回「武禅一の行」2─覚えようとするストレス 忘れようとするストレス
武禅に向かう車の中で、私は今回の目標みたいなことの話をした。
なにしろ武禅は、盛りだくさん。
行のメニューはだいたい決まっているが、その時その時で新しいことやアレンジが加えられたり、
より基本的な部分を重点的にしてみたりと変化し、毎回、新しい発見がある。
また、人の発言や何気ない反応にも「おっ!」と予想外の気付きがある。
そして何より、先生から面白いお話がポンポン飛び出してきて、
本にしたら何冊分ぐらいだろうかと思うほどの情報量があるのだ。
でも、頭の悪い私はそのほとんどを忘れる。
指の間から細かい砂粒がサラサラと流れ落ちるかのように消えてしまう。
残るのは、たぶん体験の1%ぐらいかもしれない。
これはとても勿体ない。
なので、
「今回、私は丸暗記する勢いで出来るだけ情報を取りこぼさないように頑張る!!」と宣言。
懐にメモを忍ばせて見たもの聞いたことをとにかくチマチマ記録するのもいいかも、とも思っていた。
しかし、武禅がはじまってすぐその考えは覆ったのだった。
先生の最初のお話で、「覚えよう覚えようとすると覚えられない」と言われたからだ。
人は行動を意識をすると硬くなる、力む。
すると、やろうと思えば思うほどできないということになる、
・・・・・・みたいなお話だった。かなぁ?(ほら、もう忘れてるし:汗)
一緒に車に乗ってきた4人が一斉に笑ったので、先生や他の人達からはたぶん奇妙に見えたと思う。
確かにそこは笑い所じゃないんだから。
だけど可笑しくって可笑しくって、声を上げて笑ってしまった。
来て早々、バカが露呈。アイタタタ・・・・。
「そうか、覚えよう覚えようとすれば覚えられないもんなんだ。
忘れてもいいやと思ってやった方がいいのかも? よーし、じゃあ、忘れてもいいってことにする!」
こうして、今回の武禅は始まった。
(後日談)
帰った後で先生にこの件をメールでお伝えしていたら、昨夜お返事がきていた。(ホヤホヤ)
>本当は、忘れてもいいってことにする、と意識しては駄目なのですよ。
>覚えるとか、忘れる、という情報を頭に入れないことなのです。
>それは、どちらも脳としては同じストレスなのです。
あちゃー、私ってどこまでも果てしなくおバカ・・・・・・
なにしろ武禅は、盛りだくさん。
行のメニューはだいたい決まっているが、その時その時で新しいことやアレンジが加えられたり、
より基本的な部分を重点的にしてみたりと変化し、毎回、新しい発見がある。
また、人の発言や何気ない反応にも「おっ!」と予想外の気付きがある。
そして何より、先生から面白いお話がポンポン飛び出してきて、
本にしたら何冊分ぐらいだろうかと思うほどの情報量があるのだ。
でも、頭の悪い私はそのほとんどを忘れる。
指の間から細かい砂粒がサラサラと流れ落ちるかのように消えてしまう。
残るのは、たぶん体験の1%ぐらいかもしれない。
これはとても勿体ない。
なので、
「今回、私は丸暗記する勢いで出来るだけ情報を取りこぼさないように頑張る!!」と宣言。
懐にメモを忍ばせて見たもの聞いたことをとにかくチマチマ記録するのもいいかも、とも思っていた。
しかし、武禅がはじまってすぐその考えは覆ったのだった。
先生の最初のお話で、「覚えよう覚えようとすると覚えられない」と言われたからだ。
人は行動を意識をすると硬くなる、力む。
すると、やろうと思えば思うほどできないということになる、
・・・・・・みたいなお話だった。かなぁ?(ほら、もう忘れてるし:汗)
一緒に車に乗ってきた4人が一斉に笑ったので、先生や他の人達からはたぶん奇妙に見えたと思う。
確かにそこは笑い所じゃないんだから。
だけど可笑しくって可笑しくって、声を上げて笑ってしまった。
来て早々、バカが露呈。アイタタタ・・・・。
「そうか、覚えよう覚えようとすれば覚えられないもんなんだ。
忘れてもいいやと思ってやった方がいいのかも? よーし、じゃあ、忘れてもいいってことにする!」
こうして、今回の武禅は始まった。
(後日談)
帰った後で先生にこの件をメールでお伝えしていたら、昨夜お返事がきていた。(ホヤホヤ)
>本当は、忘れてもいいってことにする、と意識しては駄目なのですよ。
>覚えるとか、忘れる、という情報を頭に入れないことなのです。
>それは、どちらも脳としては同じストレスなのです。
あちゃー、私ってどこまでも果てしなくおバカ・・・・・・
第82回「武禅一の行」1─無口になる道
10月10日、武禅初日の朝、
念入りに携帯にしかけた目覚まし時間を確認したのにもかかわらず、寝坊。
5時起床の予定が、目を覚ますと窓の外が明るい。「ヤベッ!」と飛び起きると、なんと6時。
もう出ていなければならない時間だ。携帯の不具合らしく、セットしてあるのに鳴った形跡がない。
こんな大事な日に限って・・・と嘆いてる時間はない。荷物だけ持って家を飛び出す。
車を飛ばして広島市内まで出て駅に向かう。なんとかギリギリいつもの新幹線に間に合った。
新大阪に9時ごろ到着。15分には、さきこさんが迎えに来てくれることになっていた。
中央出口を出て乗車場を見回すとそこに0さんとSさんの懐かしい顔。いやー嬉しい。
私は春の武禅に行けなかったので、Sさんとは去年の武禅、Oさんとは岡山WS以来だ。
時間丁度にさきこさんが目の前に車で到着。この顔が揃ったら、「いよいよ!」という実感が湧く。
車で行く熊野までの道は楽しい。ずっと喋り通し。
前の武禅の時のこと、日野先生のこと、これまであったこと、これからの予定のこと、思ってること・・・
笑いが絶えなくて、腹筋は痛くなるし、涙も出る。やっぱいいわ、このメンバー。
しかし、時々ふっと天使が横切ったかのように静かになる時がある。
「ふーっ」と息を吐いたりするのは、緊張を噛み締めているせい。
武禅はメチャクチャ面白い、それは間違いない。が、同時にメチャメチャ怖いところでもあるからだ。
何しろ全部見抜かれてしまう。日常で隠せてると思い込んでいる化けの皮を剥がされて、晒されて。
その時が一刻一刻近付いてきているという期待と不安が車の中で大きく揺れ動く。
話が盛り上がっていても、「和歌山」の標識を見て全員鼓動が早くなって静まりかえり、
落ち着かせようと誰かが笑い話をしてドッと湧いても、「田辺」の看板でまた「・・・・・・」。
そんな感じに。
私はたしか、前回の武禅でもそうだったが、いつも日野武道研究所を後にするとき、
「帰りたくない。このままここにずーっといたい」と感じてしまう。
しかしそのわりに、いざ武禅に行くぞということになると、幸せのピークは2週間ぐらい前で、
日が近付くにつれ、「どうしよう、どうしよう」と、どこか後悔にも似た気持ちになってしまうのだ。
そして、こんなもう後戻りは出来ない所にまで来て、
「私はどうして帰りたくないとまで思ったのだろう?ぜんぜんその時の気持ちが思い出せない」
などと言っている。
アホやなぁ。よっぽどそういう気持ちを揺らしたりするドラマ作りが趣味なんだろな。。。
とか、自己ツッコミをしている間に、到着〜。
もうここまで来たら、皆、ドキドキウジウジは吹っ飛んで、ワクワクだけが漲っている。
弱音は吐けるだけ吐きつくした。それは単なるウォーミングアップ。本番モードにスイッチチェンジ。
おーし、やるぞー!
「こんにちは、お世話になります!」
(スローペースでつづく)
念入りに携帯にしかけた目覚まし時間を確認したのにもかかわらず、寝坊。
5時起床の予定が、目を覚ますと窓の外が明るい。「ヤベッ!」と飛び起きると、なんと6時。
もう出ていなければならない時間だ。携帯の不具合らしく、セットしてあるのに鳴った形跡がない。
こんな大事な日に限って・・・と嘆いてる時間はない。荷物だけ持って家を飛び出す。
車を飛ばして広島市内まで出て駅に向かう。なんとかギリギリいつもの新幹線に間に合った。
新大阪に9時ごろ到着。15分には、さきこさんが迎えに来てくれることになっていた。
中央出口を出て乗車場を見回すとそこに0さんとSさんの懐かしい顔。いやー嬉しい。
私は春の武禅に行けなかったので、Sさんとは去年の武禅、Oさんとは岡山WS以来だ。
時間丁度にさきこさんが目の前に車で到着。この顔が揃ったら、「いよいよ!」という実感が湧く。
車で行く熊野までの道は楽しい。ずっと喋り通し。
前の武禅の時のこと、日野先生のこと、これまであったこと、これからの予定のこと、思ってること・・・
笑いが絶えなくて、腹筋は痛くなるし、涙も出る。やっぱいいわ、このメンバー。
しかし、時々ふっと天使が横切ったかのように静かになる時がある。
「ふーっ」と息を吐いたりするのは、緊張を噛み締めているせい。
武禅はメチャクチャ面白い、それは間違いない。が、同時にメチャメチャ怖いところでもあるからだ。
何しろ全部見抜かれてしまう。日常で隠せてると思い込んでいる化けの皮を剥がされて、晒されて。
その時が一刻一刻近付いてきているという期待と不安が車の中で大きく揺れ動く。
話が盛り上がっていても、「和歌山」の標識を見て全員鼓動が早くなって静まりかえり、
落ち着かせようと誰かが笑い話をしてドッと湧いても、「田辺」の看板でまた「・・・・・・」。
そんな感じに。
私はたしか、前回の武禅でもそうだったが、いつも日野武道研究所を後にするとき、
「帰りたくない。このままここにずーっといたい」と感じてしまう。
しかしそのわりに、いざ武禅に行くぞということになると、幸せのピークは2週間ぐらい前で、
日が近付くにつれ、「どうしよう、どうしよう」と、どこか後悔にも似た気持ちになってしまうのだ。
そして、こんなもう後戻りは出来ない所にまで来て、
「私はどうして帰りたくないとまで思ったのだろう?ぜんぜんその時の気持ちが思い出せない」
などと言っている。
アホやなぁ。よっぽどそういう気持ちを揺らしたりするドラマ作りが趣味なんだろな。。。
とか、自己ツッコミをしている間に、到着〜。
もうここまで来たら、皆、ドキドキウジウジは吹っ飛んで、ワクワクだけが漲っている。
弱音は吐けるだけ吐きつくした。それは単なるウォーミングアップ。本番モードにスイッチチェンジ。
おーし、やるぞー!
「こんにちは、お世話になります!」
(スローペースでつづく)

