人生を懸ける山

日野先生がいつか、人生を山登りに例えた話をしてくださったことがある。


  目指すなら、出来るだけ高い山。

  この山をどうしても登りたい、と、そのためだけに準備をする。

  もちろんいきなりは挑めないから、近く低い山から登る。

  徐々にレベルを上げながら肉体を鍛え、テクニックを磨き、知識を増やし、お金を貯め、
  コツコツと来るべき日に備え長い長い、血のにじむような努力の年月を重ねた後、
  ようやくたどり着く目的の山。

  支援者にも恵まれ費用はなんとか形になり、政治的な問題もない今こそが
  またとない絶好のチャンス。

  必要な物を揃え、シェルパの手配から何からすべて完璧に整え、
  「さあ!」と出発しようとした、

  正にその時、

  飛び込んでくる予想だにしていなかった天候悪化の知らせ。。。。

  ふもとで回復を待てど一向にその兆しは見えず、迫る期限。

  年齢的にも金銭的にも、この機を逃したら次はない。それはわかっている。

  志を立て歩んできたこれまでの日々、
  お世話になった多くの人達の期待に満ちた顔が頭の中をかけ廻る。

  しかしそれでも、諦めて帰るより他にない。


「そんなもんやで。それが人生や。それでええんや」 と先生。


成功か失敗かで言えば、「この山」と目指した山に登れないのは失敗したということになる。
だが、この人の人生は失敗だろうか?

「ホンマにやっとったら、いつでも放れるんや」

悔いのない人生は、“やる”人だけのもの。
だから、

「成功法則とかそんなもん、いらんがな」 なのだ。


先生の辞書には、「自信」が「ある」とか「ない」がないのと同じように、
「成功」と「失敗」もきっとないのだろう。
「失敗」は、あくまでも、やりたい事がこの方法ではできなかったという過程であって。

必死に一途に積み上げたものを、「失敗やった〜」と笑って放れる人生の、
何と豊かで輝きに満ちていることか。

この話には、もう1つ小話のオマケがついている。

  努力して、準備して、最適の好天候に恵まれた人生懸けた最後の登山の途中に、
  上から下ってくる人達とすれ違う。
  「こんにちは」と挨拶を交わした中に見つけた、飛び切りのカワイ子ちゃんに一目惚れ。
  そうして、何もかも放って、一緒に付いて降りて行ってしまう。

「これも人生や。これがええんや」 だそうだ。


素晴らしき也、全てを放って悔いのない人生!
やりたい事をやる人生!
永遠に目指し続ける世界一の山、ブラボー!!!!!!!!!!

出遅れた!

以前武禅でご一緒したことがある人から電話が入った。
私が年賀状に「また3月に会いましょう」と書いていたからだが、
「都合で行けませんが楽しんできてください」ということで。

いや、それが・・・
今回は残念ながら私も不参加になってしまったので、と、トホホ笑いだ。

日野先生の日記には、北海道から九州まで、20代から60代までの面々が揃い、
大いに面白くなりそうだと書かれてあり、
そこに行く事ができない悔しさときたら、歯噛みして地団太踏んで転げまわって
「ギャャーーーオゥゥゥ!」ってなもんだが、仕方がない。
出遅れた私が悪い。

すっかり行く気満々だったのに、
役員引継ぎや子どもの卒業式、入学準備の算段をしているうちに、うっかり2月で、
申し込み多数のため受付終了ということになってしまっていた。
そりゃそうだわね。
日野先生が忙しいので、今年の武禅はこの一回こっきり。
「なんとしても!」と意欲ある人は早々に申し込むものだ。
なのに、のんびりしている私ときたら、ホンマにやる気あるんか?
信じられんわ。ぬる過ぎ!
一生、「やろうとしたけど出来ませんでした」言うとけや。
そんなふうに自分で自分を罵倒し続けたこの2ヶ月。
いつもは間近になって出るキャンセルも、さすがに今回はないよう。
縁の締め切りとはそういったもの。
なんでもない日常を真剣に生きていない甘さの結果がこれだ。

どうもこうもしようがないけど、二度とはしない。
熊野の熱い盛り上がりを想いながら、21日(土)のBS日テレの放送を待とう。

「セルフディフェンス&ビューティー 美の護身術」
毎週土曜日 3/21〜4/25(計6回) 23:00〜23:30

みんな、頑張って思いっきり楽しんできてや!!

答えは∞

身体塾・表現塾を理解・納得しようとしても、それは無駄だ。

「はい。質問ある人」で先生が見回されても、
??????の顔をしていながら、その?の部分は質問にはできない。
これまで自分が思ってきた常識とは違ったという事実にただ驚いている。

それでもたまにどうしても頭で理解したい人から質問が出ることもある。
「それは身体の軸を意識するのでしょうか」とか、それに近い類の。
当然、ズバッと斬られる。
「それは何か」「どういう意味か」と、
質問のベースになっているであろう知っていることを問われると、
噛み砕いて先生や皆にわかりやすく説明できる人などいない。
誰かの本に書いてあったことや、自分の感覚を基に、
「○○は〜〜ということですよね」とやったところで、
「知らんがな」、だ。
個人が頭に詰め込んできた知識や主観は、他の誰にも関係がない。
ということは、今、皆が同じ事をやっている事とも無関係。

また、もし正面の感覚を言葉で切り取って教えたとしたら
実際を知る事ができなくなるのと同じく、
目の前で起こっていることや感じていることを、
自分の知っている範囲の言葉をチョイスして組み立てたとしたら、
それはそこ止まりで完了してしまうことを意味する。
人は疑問には即座に答えを得て安心したいもの。
私はこんな文章を書いてるぐらいだから、そこんとこはよーくわかる。(←笑)

東京や大阪でも、ワークショップのリピーターはあまり増えていないと聞く。
これだけ人気があるのに不思議な事だが、武道の生徒数も他流派と比べて少ないよう。
続かない人は、もしかしたら「答え」を見つけてしまった人かもしれない。
「こういうことか」とわかって、思い出の1ページにでもしてしまったか。
勿体ない。
折角、一生遊べるネタ満載なのに。
ちょっと齧っただけですぐに理解できる天才に生まれなかったことは、幸運だ。

熱い思い

岡山ワークショップは、来年はショーケースをする計画がある。
主催者の香月さんは、ヤニスさんに是非来て欲しいと
日野先生を通じてラブコールを送るらしい。
打ち上げの席で、自分の生徒である子ども達に
どうしても今、本物を見せたいとの熱い思いを語っておられた。
受けて先生も、東京・大阪と比べて岡山での人の集まりはどうなのか、
最適な舞台はあるのか等、具体的な予定へと思いを廻らされる。
もうすでにそこで、素人には立ち入れないシビアな空気。
日野メソッドによる本物のプロが育ち、
それを間近で見ることが出来る機会があるのは一般人としても喜ばしい。
しかし、学べる機会が減るとなると残念なので、
そこはこれまで通り残して欲しいという気持ちが私にはある。
そういった部分に対し、「何を望んでいるかだ」と先生。
考え込む香月さん。
子ども達はいつまでも子どもではない。
「いつか」とか「数年先」と悠長な事を言っていられる余裕はなく、
今、決断をしなければならないという状況が彼女の顔を険しくさせる。
打ち上げの後、朝までの仮眠を取らせてもらいに香月邸に戻った。
今回のWSを終えたばかりですぐまた次のWS準備に動き出すであろう
彼女の背中を見ているうちに、たまらず涙が溢れてきた。
なんて素敵な人だろうかと。
「酔ってるの?枕を濡らしてもいいからね」と笑う香月さん。
そう、泣き上戸だからということにしておこう。
空には地球に最接近した大きな大きな満月がかかっていた。

正面の感覚

いつでも基本は正面向かい合い。
先生は細かな説明はされない。
ただ、眉間と胸を結ぶ線あたりを指して、「この辺で何か感じるはず」とだけ。
どこでどんな感じ方をするのかは人それぞれだから、
「ここでこんな」と限定することを避けられる。
先入観があると、それ以外の感覚は不正解として除外してしまいかねない。
実際、私も一時期、そこに陥った。
初めての武禅で味わった鮮烈な体験を何度も頭で反芻するうちに、
「あの感覚をもう一度」と追い求めるようになり、
何も感じられなくなってしまったのだった。
わかったものがわからなくなった。
出来てたことが出来なくなった。
悩みに悩んだ。
これも、「こうすればこうなる」と決め付ける癖、
人との関係をいつも同じだと思い込む癖から来ていたのだが。
生きた関係は常に変化しているという当たり前のことに気づくまで、それは続いた。
寂しい時期を経て感覚を取り戻し、これは人間にとって絶対に必要なものだと確信。
そういうわけで、未経験の人には是非体感して欲しいと、
私は正面向かい合いの時には特に張り切っている。
精度がアバウトでぼやけてる分は、エネルギーを出して出して。
「えーっ、何、これ?初めての感じ」と感激の声を聞くのが最高に嬉しい。
今回、組んだ人はとても素直な人で、喜んでくれたのはもちろんのこと、
「ありがとう。ぽあんさんと組まなかったらこれ、わからなかったと思います」と、
何度も何度もお礼を言ってくれた。
やれば誰でもわかるから、そんなに大げさな事ではないのだが、
確かにWSに来た人全員が全員体感できているわけではなさそうなのが残念だ。
組む相手によって、違う事になる。初めて同士だと少し難しい。
今回わかりにくかった人も、次はきっと。
私はもっと精度を高めなくては。そしてより強く。
ムラがありすぎ。

「こんにちは」攻撃

押しても動かないように立っている人の肩に、髪の毛1本をハラリと置く。
それだけで踏ん張る力は弱まり、簡単に動く。
ワークショップではそんな実験をした。
去年は髪の毛を踏んだ。
それも同じ結果。
足の裏に髪の毛ぐらいのものを知覚できようはずがないというのは思い込みで、
実際は、脳がなんと思っていようが身体はちゃんと感じてる。
特に嫌いでもなんでもない人が近づく、前に立つ。
それだけでストレス。
バランスが崩れる。
嫌いな人に「嫌いだー」「いやだー」と感じるのはまだいい。
自分でわかるから。
人は認識できない微細な不快感が積み重なって病気になるという。
では、どうしたらいいのか。

2日目のワークショップの後、先生方と何人かで食事に行き、
そこで更に興味深い展開となった。
「『バカ』と悪い言葉をかけたわけでもなく、前に立つだけでストレスなら、
 『こんにちは』ならどうなりますか?」と一人が尋ねた。
「『こんにちは』でも同じや」
そこで実験。
座ったまま押しても動かないように踏ん張った人に、隣から「こんにちは」。
そして押すと・・・、グラリ。
「ええっ、どうして?」驚きの声が上がる。
「ほんまに言うてないからや」と先生。
相手に言ってない声、届いてない声は、それだけで違和感となり人を損なう。
たぶん言葉が「ありがとう」とかであったとしても。
何度試しても同じ。
そこで、本当に相手に届いたらどうなるかで先生が「こんにちは」。
言われた人は、しっかりと力が入ったまま揺らがない。
「おお〜〜〜!」
「な。だから皆、こうならんといかんのや」

我々は、普段なにげなくしている事でも他人を傷つけているらしい。
一人が、「それなら嫌いな奴に『こんにちは』と言いまくったらいいですね」と冗談で笑わせる。
目を合わせず上の空でぶっきらぼうに「こんちは」「こんちは」。
その度に力が抜けてズデーンドゴーンとすっ転ぶ周囲の人間。
そんな光景があったら、まるで吉本新喜劇だ。
誰にも気づかれず効果テキメン。
これぞまさしく最強の武器!
と思ったのだが、そうは問屋が卸さない。
ダメージは、言われた側だけにあるのではないのだった。
相互の関係ということで考えれば当然ながら。
踏ん張りながら適当に「こんにちは」と言った方も、グラリとなった。
言えば言うほど自分も損なう両刃の刃。
出したものがそのまま自分に返ってくる仕組みは、こんなにもダイレクトに見える物だった。

一声を自他共に降り注ぐ元気のシャワーにも自爆テロにもできるのが人間。
どっちにしたい?
そうなっている?

積極性のスイッチ

ワークショップの期間中、主催者の香月さんのお宅に泊めていただいた。
武禅仲間のさきこさんと0さんと4人揃えば話は尽きない。
撮影したビデオを見ながら反省会をしたり、
武禅でのことや、教室での話、
バガボンドと日野武道の類似点についての考察などで盛り上がり、
気がつくと連日深夜3時を回っていた。
楽しい時間は早く流れる。

2日目の夜、私は昼間消極的だった事でOさんに意見をされた。
振っている腕の動きに従いながら一緒に連れて行くという稽古の時、
腕を振る先生に皆がチャレンジする中、私は前に出なかった。
「どうしてぽあんさんは行かなかったんですか!先生待ってはったのに」
Oさんの指摘が痛い。
どうして。どうしてって、わからないけれど、怖かったのだと思う。
私は根はものすごく臆病なのだ。
腕をどうにかしようと出される手が次々振り払われるのを見て、やる前に諦めていた。
そして、そういった姿勢はその時だけということはない。
「緊張しなくても、こうして今、話している時みたいに普通にしてたらいいのに」
皆が言ってくれるが、それが私には難しい。
「昼と夜の人格は別だもん。酔っ払ってる時だけ脳の鎧が取れて無邪気になれるの」
適当な苦しい言い訳。
すると、誰かが言った。
「それじゃ、どこかに切り替えスイッチを付けたらいいよ」

ということで、耳たぶに酔っ払いスイッチを付けて、3日目は連打しまくり。
途中、「今日は頑張ってますねー」とOさん。
そりゃあね。
同じダメ出し受けるわけにはいかないから。
仲間っていいね。

第2回 岡山ワークショップ

帰って来た。
全身筋肉痛。声もガラガラ。もうクタクタ。
けれど心地よいだるさ。
今回もメチャクチャおもろかった!!
「知っている」「もうわかった」と思ってることが、いつもひっくり返される。
やればやるほど何も出来ない事を思い知る。
だけど、それがいいんだな。

胸骨運動はそこそこやってきているつもりだった。
しかし、参加者が二列に並んで前の人が10カウントづつで回して行くのをやった時、
半分を過ぎたあたりでもうハチャメチャな動きになってしまうのだった。
胸よりも肘が動いているようで直そうとした瞬間、
身体のどこをどう動かしたらいいのか全くわからなくなり、腕は動く、お腹は動く。
膝の屈伸でなんとかリズムを保ってるような状態。(胸骨の運動に膝の屈伸は使いません)
後で日野先生と助手をされたダンサーの佐藤さんが
「皆、すごかったなー」「どれだけ種類があるんだと」と笑われていたけれど、
お恥ずかしい限り。
先生方は我々と一緒に倍の回数をこなされても、
柔らかく軽やかに、最初から最後までニコニコと楽しそうに歩き回っておられたというのに。
これが圧倒的量の差。
まだまだ全然足りないということ。

取り組むテーマを終える毎に、参加者から質問がいろいろ上がる。
初めての人は特に、「どう考えたらいいのか」「何を意識すべきか」を聞きたがる傾向がある。
「意識なんかいらんのや」「考えてる間があったら、やったらええ」と先生。
「そもそも、“意識”って何や?」改めて問われて答えられる人はいない。
それほど人は言葉に振り回されている。
「言ってる意味わかるよな?」と聞かれて、ほとんどの人が頷くが、
それすらも、どこまでかはわからない。私も含めて。

「人に従う」の稽古の後の休憩時間、さきこさんが「折角だから二人でやる稽古をしよう」と、
後ろから腕を持って前の人を動かす稽古をした。
あいかわらず、違和感バリバリの私の手は、引っかかりまくり。
触られている時の気持ち悪さはわかるから、申し訳なくてしかたない。
どうにかしたい。少しでも本当に触れるところに近付くために、ピタッと当てて人を感じて。
ふいに、ドッと汗がふき出してきて、奇妙な感覚。
その時、気付いた。
私は手で何をしようとしたのかということを。
手で情報を受け取ろうとした。手で伝えようとした。手で感じようとした。
そうじゃなかった。
受け取ってる、伝わっている、感じているのだ。もう既に。
それも「わかっている」と思っていたこと。
「頭でわかるのと、本当にわかるのとは違うから」と和子先生。
「いつもいつも、わかっていたはずの事をわかっちゃいなかったと気付いて
 また“0からの出発”かと思うと進歩なくて嫌になっちゃいます」と言う私に、
「“0から”なんて言葉を持っているのが、もうあかんわ」とキッツイ一言。
「収集癖というか」
・・・はい。まったくもうその通りで。
何をやっても私は私。
我執でいっぱいのこの頭が邪魔でしょうがない。

第80回「武禅一の行」7─丁寧な武禅

「なんや今回の武禅はいつもより丁寧やな」と日野先生。
そう言われれば確かに今回はセクションとしてはいつも通りのメニューではあっても、
進み方は遅かった。
それだけ一つ一つのテーマに時間をかけていたから。

武禅では、簡単に「できました」ということは、まず有り得ない。
それはいつもそうなのだが、出来ないままでも“そこそこのところ”で次に進んでいく。
より高度な事にチャレンジして、あるいは応用したゲームに熱中して、
前の段階に戻ってくると、もちろんそれで出来るようになってるというわけではないが、
何か感触というか、手ごたえというかそんなものを感じられたりする。
何のために何をやっているかを具体的に言葉で教えてもらっても意味は無く、
その自分が感じた「あっ、これ?」だけが、自分を導く道しるべになりうるのだ。
合っていても、たとえ間違っていたとしても。
なので、割と速いペースで飛ばすこともあるが、
今回は“そこそこ”のラインが高かったのか、スローペース。
その時々によって、人によって変化するのも武禅が生きているからだろう。
決められたカリキュラムを消化していくだけのマニュアル教育とは違う。

面白かったのは、一つの事をやりこんでいくと、
その動作そのもの以外のところで思わぬ発見があったということ。

例えば、身体の使い方の最初にやる腕振り。
先生はごく簡単な指示をされた。
「足を肩幅に開いて、ちょっと内向きに」
「お尻を後ろに少し突き出して手を後ろに持っていく」
「そのままブラーンと自然に腕を振る」
皆で前に後ろに腕を振りはじめた。
10回、20回、30回、50回、100回、・・・・・・
いつもならここで、「足の裏を感じて」「膝をカクンとさせて」
「足の筋、お腹の筋の張りを感じて」「胸骨を上に引き上げるように」
「手を前に伸ばして飛んでいくイメージ」とか徐々に指示が入ってくるのだが、
それはなく、ただひたすら黙々と腕を振り続ける。

そこに先生からチェックが入った。
「おい、それ違うで」目に付いた人を指摘。
言われた方は戸惑い、直そうとするのだが直らない。
そこで先生は別の人に「教えてやれ」と振られる。
指名された人は、相手を見ながらどうしたらいいかを自分なりに、
色々な角度から比喩も使ったりしながら細かく教えていくのだが、
それに従う人の動きは直るよりも、ますます怪しくなっていくようでもある。
先生は次々に何人かの人に「違う」とダメだしをされては、
他の人に「どうや」と聞かれるということを繰り返された。
いろんな指示が飛ぶ。
だが、それによって「ああ、そうだったのか」と改善されるということにはならない。

私はといえば、見ているうちにわからなくなっていた。
ちゃんとできているのだろうか。あの人と私は何が違うのか。
先生と私の動きは同じになっているのか。
違いは何?
わからない私はできているつもりだけかもしれない。
ダメだしされたらどうしよう。教えてやれと言われたらどうしよう、と気が気じゃない。
ドキドキしながら、頭の中ワヤワヤのまま腕を振り続ける。

「肩の力を抜いて」「腕を放るように」「顔の向きは・・・」
ギコチナイ動きの人をなんとか変えたいと、飛び交う指示はさらに具体化。
すると先生、
「ちょっと待てや。俺、そんなこと言ったか?」

一同、ハッとする。
そうだ。確かに先生はそんなことは言われていない。

「な。これが人間や」

最初の情報が、人から人に伝わる時に、
自分なりの解釈を通して全然別物に変化していく事がある。
これが色付けをしていく、肉付けをしていく伝言ゲームの恐ろしさ。
つい、今さっき指示されたばかりなのに、
そして立派なお手本を目の前にして見えているのにもかかわらず、
歪んで一人歩きしていくという、まざまざとした実証。
これで何かが出来るようになるわけがない。

「身体を知る」のセクションでも、知るのは身体だけでなく「人」そのもの。
我々は、心も身体もクセだらけ。
流してしまってうっかり見過ごしがちな点を浮き上がらせてくれる、
「ゆっくり丁寧な」稽古には、こんな良さがある。

第80回「武禅一の行」6─重い沈黙

一日目の夜、いつものように風呂から上がると、皆が集う居間に向かった。
なにしろここのところ急に寒くなったので、体調を崩してはいけないと、
神戸のショーケースからの2週間は、アルコールを断っていた。
久々のビール。
「さぁて、飲むぞぉ!」と、ルンルン気分で中に入っていったのだが・・・・・・

「うっ!」

何?この張り詰めた静けさは。
つい先ほどまで、時々ドッと笑い声に湧いていたはずの部屋なのに、
誰も笑っていない。
ただ事ならぬ雰囲気の中、皆の視線は、ある二人に集まっていた。
sakikoさんの車に同乗して一緒に行ったOさんが、
武禅初参加のO田さんに対して、ひどく怒っている様子。
Oさんは、短気で怒りっぽいような人ではないのに、どうして?

そもそも何が発端で、どういう展開になっているのかはわからない。
しかし、Oさんが激昂して問いかける事に、
O田さんは考え込むそぶりのまま、何の反応も返さないというのが、
余計に癇に障り、そして更に声を荒げさせてしまっているようなのだった。

「何とか言ったらどうなんですか!」
「・・・・・・」
「これだけ言われたら何か言い返したいことあるでしょう!悔しくないんですか!」
「う・・・ん・・・・・・」
「僕は真剣に向かい合ってるんですよ。なぜ返してくれないんですか?
 それって僕を無視してるんですよ。失礼じゃないですか!」
「・・・・・・」
こんなことが延々と続き、Oさんは怒りが沸点に達してO田さんを突き飛ばしもした。

「こんなことをされても黙ってるのか!」
「・・・・・・」
「よしっ、それじゃ、腕相撲しよう」
なぜか唐突にOさんから腕相撲の提案。言葉が出ないなら身体で語ろうということか。
しかしそれにもO田さんは煮えきらず、
「・・・・・・」

「さあ、やろう。早く、早く」
構えて何度も誘うOさんに対してO田さんからやっと出た言葉は、
「いや・・・、まだ腕相撲ができるような状態じゃないから・・・」
次の瞬間、O田さんは後ろに吹っ飛んでいた。
Oさんが思い切り突き飛ばしたから。
(ヒー、暴力は嫌いだよ〜)こういう光景を見ると、私は怖くて髪の毛が逆立ってしまう。
「できる状態じゃないって何?ここまでされてまだ向かってこないのか。お前、男だろう!」
その声にO田さんもようやく、「よし、やろう」と動き出した。

結果は、Oさんの勝ち。
しかも、やっている間も終わってからも、
「そんなものか。それで本気?全力?フン、弱い弱い」と、挑発しまくっていた。

揺さぶりをかけ、「その感情をぶつけて来い」とばかりに訴えかけるOさん。
対して、固唾を呑んで見守ってくれてる周囲への配慮もなしに
ひたすら自分の中にこもっているように見えるO田さん。

こういったやりとりを見ていると、ウズウズしてしょうがなくて、つい乱入。

「自分の感情でしょ。
 何を考え込む事があるの?思った通りを言えばいいじゃない!
 どんな気持ちなの? 何を考えているの? 聞いてるんですよ。答えて!」
それは、私としては至極当然の事を言ったつもりだった。

しかし日野先生が、理学療法士をされているAさんに意見を求められ、
そこで聞いたのは、意外な言葉だった。

「相手が答えられないのは、答えられない質問をしているからであって、
 質問のしかたが悪いです」

!!!

Oさんが悪い?私が悪い? 
ええっ、そんな。。。そうかなぁ?

先生も言われる。
「自分の気持ちを言えと言われても、自分のことは自分ではわからんもんや。
 感情が湧くはずだと思うのは自分であって、相手がそうとはかぎらん。
 『わからない』と、ちゃんと答えているのに、『そうじゃないはずだ』と
 こちらの望む答えを引き出そうとしてこられたら、そら、黙るしかないやろ」

思ってもみなかった事だった。
“自分と他人は違う”
“他人は自分の思うようには動かない”
“コントロールをしようとするから対立する”
それはわかってて、いつも気をつけているつもりだったけれど、
全然わかっちゃいなかったということ。

また、前回の武禅で、先生からレポートでいただいた一文も脳裏に蘇る。
「正論を並べるクセ」「そのまま人に当てはめる」
「一般的な会話には適しません」

読んだ時には、漠然とだいたいこういうことかな、ぐらいしか捉えられていなかったが、
今回の実場面で行き詰ってしまったことで考えると、確かにそうなっていた。

クセとは、自分にとって無意識でやってしまう自然な行為だから、
ひとりで気付くことは、まず無理だ。
初めて気が付いた。
自分のやっていること。やってきたこと。

そういう目で見れば、あの時も、この時も、と、
様々な場面で他人から誤解を受けたり、会話が成り立たなくなったり、
避けられたりした時には、大抵このクセが出た時ではなかったかと思い返されるのだ。
「石頭」「なんと無理解な」「性格悪い」「レベル低い」と、相手のせいにしてきたこと、
全部、私のせいだった?


武禅の夜は、笑い転げる日ばかりではない。
重い時間が流れる夜も、人と人の間で見つかるものは、やはり大きい。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
40代。
4人の子持ちパートタイマー主婦。
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

PON◆POANNE

チャットルーム再開しました。
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クイズ紳助くん 2007年2月19日
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