ポニョ、母としての見方
ゲリラ雷雨というこれまで聞きなれなかった言葉も一般化した。
この夏は、急激な増水による被害で、何人もの人が命を失ったのが特徴だ。
テレビやラジオで出され続ける各地の大雨洪水警報。
目を疑うかのような映像。
水は怖い。
そういったニュースを見ながら、私はこの夏の初めに娘たちと見に行った
「崖の上のポニョ」を思い出していた。
“子どもが喜ぶ、子どもの為の”をコンセプトに、
全編手書きに拘って作ったというこの作品は、
これまでの宮崎アニメファンの大人たちには少々物足りないという声も聞こえたが、
子ども達の反応は上々で、要所要所で小さな子らの笑い声が沸き起こっていた。
確かに面白い映画ではあった。
ただ、私は今回、どっぷりと話の中に浸って楽しむ事は出来なかった。
主人公が5歳と小さかったためか、どうしても親の視点で見てしまう。
5歳の子とその母親は仲の良い親子という設定だが、私には親子には見えなかった。
なにも子どもが親を「リサ」と名前で呼び捨てにしていたからばかりではない。
幼い子を持つ親にしては、あまりにも無謀すぎると感じたからだ。
豪雨と暴風の中を子連れで移動するというのがまず信じられない。
特に洪水で水没しかけの道をエンジンをふかして勢いつけて突っ切るなどとは。
車は排気口が塞がれるとエンジンが止まる。
水中でその状態になるのがどれほど危険な事かは、
今回の豪雨被害で車内での溺死者が出た事が証明している。
とんでもない大勝負だ。
しかも、それでなんとか家に帰り着いたというのに、
いくら仕事の責任感があるといっても、
深夜に子どもだけを置いて出かけられる、その神経がわからない。
どんなにしっかりしてるといっても、水に親しんでいて泳ぎが上手いとしても、
親なら絶対に出来ないはず。
「なぜここでこんな行動を?」と思う人間には感情移入できない。
ちょっとの油断で、すぐに命の危機。
それが子どもというものだと、子育て経験のある人ならわかるもの。
子供向けのアニメの世界だから悲惨な事は起きないという前提を差し引いても、
親は子を心配し徹底して守り、子は親に従い守られるという部分を欠いては、
親子の情愛そのものが怪しくなってくる。
可愛がるけれど、とても薄情な印象は、ポニョの両親にも共通する。
親と子が横並び。
5歳の子どもが大人と同じ扱いを受け、意思を主張できる世界は、
相当奇妙に思うのだが、そうでもないのだろうか。
たかがアニメ。
もっと気楽にただ楽しめばいいのかもしれないけれど、
進みすぎた“イマドキ”の親子関係は、リアルなんだかファンタジーなんだか曖昧で、
どうも気持ちがスッキリしない。
そんな印象を受けたのだった。
とにかく、自然は侮るまい。
そして、何が一番大事かを間違えまいぞ。
この夏は、急激な増水による被害で、何人もの人が命を失ったのが特徴だ。
テレビやラジオで出され続ける各地の大雨洪水警報。
目を疑うかのような映像。
水は怖い。
そういったニュースを見ながら、私はこの夏の初めに娘たちと見に行った
「崖の上のポニョ」を思い出していた。
“子どもが喜ぶ、子どもの為の”をコンセプトに、
全編手書きに拘って作ったというこの作品は、
これまでの宮崎アニメファンの大人たちには少々物足りないという声も聞こえたが、
子ども達の反応は上々で、要所要所で小さな子らの笑い声が沸き起こっていた。
確かに面白い映画ではあった。
ただ、私は今回、どっぷりと話の中に浸って楽しむ事は出来なかった。
主人公が5歳と小さかったためか、どうしても親の視点で見てしまう。
5歳の子とその母親は仲の良い親子という設定だが、私には親子には見えなかった。
なにも子どもが親を「リサ」と名前で呼び捨てにしていたからばかりではない。
幼い子を持つ親にしては、あまりにも無謀すぎると感じたからだ。
豪雨と暴風の中を子連れで移動するというのがまず信じられない。
特に洪水で水没しかけの道をエンジンをふかして勢いつけて突っ切るなどとは。
車は排気口が塞がれるとエンジンが止まる。
水中でその状態になるのがどれほど危険な事かは、
今回の豪雨被害で車内での溺死者が出た事が証明している。
とんでもない大勝負だ。
しかも、それでなんとか家に帰り着いたというのに、
いくら仕事の責任感があるといっても、
深夜に子どもだけを置いて出かけられる、その神経がわからない。
どんなにしっかりしてるといっても、水に親しんでいて泳ぎが上手いとしても、
親なら絶対に出来ないはず。
「なぜここでこんな行動を?」と思う人間には感情移入できない。
ちょっとの油断で、すぐに命の危機。
それが子どもというものだと、子育て経験のある人ならわかるもの。
子供向けのアニメの世界だから悲惨な事は起きないという前提を差し引いても、
親は子を心配し徹底して守り、子は親に従い守られるという部分を欠いては、
親子の情愛そのものが怪しくなってくる。
可愛がるけれど、とても薄情な印象は、ポニョの両親にも共通する。
親と子が横並び。
5歳の子どもが大人と同じ扱いを受け、意思を主張できる世界は、
相当奇妙に思うのだが、そうでもないのだろうか。
たかがアニメ。
もっと気楽にただ楽しめばいいのかもしれないけれど、
進みすぎた“イマドキ”の親子関係は、リアルなんだかファンタジーなんだか曖昧で、
どうも気持ちがスッキリしない。
そんな印象を受けたのだった。
とにかく、自然は侮るまい。
そして、何が一番大事かを間違えまいぞ。
好きな仕事
確かに、「自分の好きな事を仕事にできていいね」とよく言われる。
「私にも何か才能があったらなぁ」
「楽しいでしょ」とも。
「うん・・・、まあね」
そんな時、私はあいまいな笑顔で返す。
そう見えるんだろうな、と複雑な思いで。
私は仕事が“好き”ではない。
どちらかといえば辛い。
では、なぜ続けているのだろう。
18の時、「デザイナーになる!」と決めてから28年も。
才能なんか一欠けらもないのは自分が一番良く知っている。
いつだって七転八倒。胃が痛い。
どんな小さな仕事でも、まず、「出来なかったらどうしよう」と思う。
感性なくて頭は悪いし手は遅い。
四苦八苦の挙句になんとか仕上げても、
100%満足したことなどない。
長年やってるのに下手っぴい。
自信なんか持てやしない。
努力も嫌いだし、「もう辞めたい」と幾度考えた事か。
実際、何度か離れてもいる。
OLやったり、工場で働いたり。
しかし、2・3ヶ月もすると“次”の計画を立ててる私がいる。
なんだろな。
少し前も「もうやめた」「これからはやりたいことだけやるんだ!」と、
家中の仕事に関する本や資料、学生時代から集めたスクラップ、
描き溜めたイラスト等、全部捨てたはずなのに、
勤めに出た先がまた業界なんだもの。
手作業からパソコンによるDTPに変わった時期に自営だったから、
赤ん坊を背中にくくりつけて毎朝4時から
一人で練習して身に付けた技術やスピードが
どれだけ一般の会社で通用するか確かめてみたいってのはあったにせよ。
で、やっぱり、しんどいや。
わかんないなぁ。何でこうなってるのか。
どこかに私に向いてるいい仕事ってないだろうか。
ワクワクして楽しくって心が満たされるような大好きな仕事。
「これぞ天職!」と自他とも認めるピッタリの。
なんてネ。
あるわきゃないわな。
「私にも何か才能があったらなぁ」
「楽しいでしょ」とも。
「うん・・・、まあね」
そんな時、私はあいまいな笑顔で返す。
そう見えるんだろうな、と複雑な思いで。
私は仕事が“好き”ではない。
どちらかといえば辛い。
では、なぜ続けているのだろう。
18の時、「デザイナーになる!」と決めてから28年も。
才能なんか一欠けらもないのは自分が一番良く知っている。
いつだって七転八倒。胃が痛い。
どんな小さな仕事でも、まず、「出来なかったらどうしよう」と思う。
感性なくて頭は悪いし手は遅い。
四苦八苦の挙句になんとか仕上げても、
100%満足したことなどない。
長年やってるのに下手っぴい。
自信なんか持てやしない。
努力も嫌いだし、「もう辞めたい」と幾度考えた事か。
実際、何度か離れてもいる。
OLやったり、工場で働いたり。
しかし、2・3ヶ月もすると“次”の計画を立ててる私がいる。
なんだろな。
少し前も「もうやめた」「これからはやりたいことだけやるんだ!」と、
家中の仕事に関する本や資料、学生時代から集めたスクラップ、
描き溜めたイラスト等、全部捨てたはずなのに、
勤めに出た先がまた業界なんだもの。
手作業からパソコンによるDTPに変わった時期に自営だったから、
赤ん坊を背中にくくりつけて毎朝4時から
一人で練習して身に付けた技術やスピードが
どれだけ一般の会社で通用するか確かめてみたいってのはあったにせよ。
で、やっぱり、しんどいや。
わかんないなぁ。何でこうなってるのか。
どこかに私に向いてるいい仕事ってないだろうか。
ワクワクして楽しくって心が満たされるような大好きな仕事。
「これぞ天職!」と自他とも認めるピッタリの。
なんてネ。
あるわきゃないわな。
見えてしまう
昼にテレビを点けて、「おお、24時間テレビをやっていたのか」と知る。
コンビニで募金箱を見たら入れるが、番組には特に関心もなくなった。
くだらない馬鹿騒ぎをやめて、本当に伝えたい事と優れた内容を厳選して
6時間ぐらいに凝縮し、浮いたお金を寄付すればいいのにとさえ思う。
消そうとスイッチに指をかけたが、
障害者がその特性を活かしてダンスをしているというので
興味を引かれ見ることにした。
障害者のブレイクダンスグループの名は「イル・アビリティーズ」。
現在カナダを中心に活動し、各地で高い評価を得ているという。
不自由な足で松葉杖を使う人がリーダー、他に両足が極端に短い人、
片足の人、片耳しか聞こえずしかも難聴の人がいる。
それぞれ個性的で切れのある素晴らしい動きをする。
その彼らを今回番組の為に日本に呼び、嵐と競演させるという企画だ。
練習風景のビデオが少し流れ、そしてスタジオでの本番、生中継。
テレビを通して、「鬼気迫る」という表現がぴったりの
パワフルで躍動感溢れる凄まじいダンスが伝わってくる。
彼らは真剣。
彼らは命の全てを今このステージに賭けている。
それに比べて・・・・・・
ダラダラ、ノラノラして邪魔するこの若者たちは何なの・・・
映ってる画面がきっちり色分けして見えるのは気のせい?
そんなふうに思っていると、長女が「なんか・・・嵐って下手だね」と言う。
普段、ダンスなんか見る機会もない小学生でもわかるのだ。
プロがわからないはずがない。
わからないのならプロではない。
嵐のファンはきっと何がどうであっても「ARASHI LOVE
」なのかもしれないが、
ダメ出しする時にはダメ出ししてあげないと腐らせるよ。
私にはどうでもいいことだが、ただ、イル・アビリティーズの人達には
日本人として申し訳ないなという気持ちになった。
彼らだけでノビノビと演ってもらえたらどんなに良かった事か。
その機会がまたあることを望む。
youtubeで一つだけ見つけた動画。
コンビニで募金箱を見たら入れるが、番組には特に関心もなくなった。
くだらない馬鹿騒ぎをやめて、本当に伝えたい事と優れた内容を厳選して
6時間ぐらいに凝縮し、浮いたお金を寄付すればいいのにとさえ思う。
消そうとスイッチに指をかけたが、
障害者がその特性を活かしてダンスをしているというので
興味を引かれ見ることにした。
障害者のブレイクダンスグループの名は「イル・アビリティーズ」。
現在カナダを中心に活動し、各地で高い評価を得ているという。
不自由な足で松葉杖を使う人がリーダー、他に両足が極端に短い人、
片足の人、片耳しか聞こえずしかも難聴の人がいる。
それぞれ個性的で切れのある素晴らしい動きをする。
その彼らを今回番組の為に日本に呼び、嵐と競演させるという企画だ。
練習風景のビデオが少し流れ、そしてスタジオでの本番、生中継。
テレビを通して、「鬼気迫る」という表現がぴったりの
パワフルで躍動感溢れる凄まじいダンスが伝わってくる。
彼らは真剣。
彼らは命の全てを今このステージに賭けている。
それに比べて・・・・・・
ダラダラ、ノラノラして邪魔するこの若者たちは何なの・・・
映ってる画面がきっちり色分けして見えるのは気のせい?
そんなふうに思っていると、長女が「なんか・・・嵐って下手だね」と言う。
普段、ダンスなんか見る機会もない小学生でもわかるのだ。
プロがわからないはずがない。
わからないのならプロではない。
嵐のファンはきっと何がどうであっても「ARASHI LOVE
」なのかもしれないが、ダメ出しする時にはダメ出ししてあげないと腐らせるよ。
私にはどうでもいいことだが、ただ、イル・アビリティーズの人達には
日本人として申し訳ないなという気持ちになった。
彼らだけでノビノビと演ってもらえたらどんなに良かった事か。
その機会がまたあることを望む。
youtubeで一つだけ見つけた動画。
後ろの正面だ〜れ
昨日、ある人の講演会に出かけた。
この人も私の恩人。
2年前、執着でガチガチの心をフッと軽くしてくれたのが彼のブログ。
何かを検索して偶然たどり着いたページの一文になぜか感じるものがあり、
私は結構な量の過去記事を何日もかけて読み漁った。
以来、この方のメルマガとブログを毎回楽しみにしている。
しかし、これまで一度もメールもコメントも書き込んだことはない。
今回初めてお目にかかり、言葉を交わした。
文章を読む限りでは、クールで落ち着いた年配の方をイメージしていたのだが、
実際に会ってみると若々しくてとても気さくな方だった。
やはり人間が一番の興味の対象のようで、いつも人をとてもよく観ている。
見た目も雰囲気も違うけれど、マンガの「天才柳沢教授」タイプ。
そして、言葉には細心の注意を払われている。
広島での初めての講演会に集まったのは20名程度。
全ての人が初めて合う見知らぬ人であるのに、
講演の内容、そして雑談を通して見えてくるのは、
皆、共通のテーマを持っているという事。
講演2時から2時間、その後会場で立ち話1時間、
場所を移動して懇親会で飲みながら夜の10時ぐらいまで話をした。
こういう時の私のトークはスロットル全開フルパワーとなる。
内容はもちろん、自虐ネタ。 (あらら、まぁた、やっちゃってるか〜)
しかし、散々しゃべり倒して、終わり頃に姿を現してきたものがあった。
これまで自分が思ってもなかったもの。
人の“本質”。
自分とはどういう人間であるのか。
一体自分は何を求めているのか。
何がしたいのか。
わからないできたのだけれど、
出てきたそれは、「えっ?まさか!」と思うものであった。
まさに、これ以上ないと思うほど自分とは対極に位置するもの。
だからこそ、強烈にそこに引き付けられていたのかと、初めて自覚した。
自分が俗の中の最俗、悪の中の最悪、醜の中の最醜であると、
いくら打ち消してもぬぐえなかった思いは、だからだったのか、と。
今更ながら驚いているのは私一人で、
周囲の人からすると
「え?だってそうでしょ。そうだと思ってた」と言われそうなのだが。
私のブログ名が「ぽあん歩“庵”」であることも、
ダライ・ラマに会いに行ったということも、
お釈迦様が大好きだということも言ってなかったのになぁ。
常々から「60になったら出家する」が口癖であるとも。
なぜわかった?
というか、これだけ明らかなことしておきながら、なぜわからない?自分。
へーっ、そんなことを思ってたのか。
と、妙に腑に落ちた。
あとはそのズレをなくしていけばいいだけ。
でも、なくならないならそれもそれでいいのかも。
作為的にすれば思い込みの仮面を作るだけかもしれないし。
やっぱ、やりたい事をやってていいってことか。(と、都合のいい解釈:笑)
ちなみに、その方が最近知ったご自分の本質は「サムライ」だとか。
「それって家を守る武士?それとも剣を究める武人?」と尋ねて、
「宮本武蔵的な道を求める者かな・・・」との答えだったので、
もちろん日野先生をお教えしておきましたとも。
なんたって、正真正銘、ほんまもんのサムライだもの。
いやー、オモロイ!!
この人も私の恩人。
2年前、執着でガチガチの心をフッと軽くしてくれたのが彼のブログ。
何かを検索して偶然たどり着いたページの一文になぜか感じるものがあり、
私は結構な量の過去記事を何日もかけて読み漁った。
以来、この方のメルマガとブログを毎回楽しみにしている。
しかし、これまで一度もメールもコメントも書き込んだことはない。
今回初めてお目にかかり、言葉を交わした。
文章を読む限りでは、クールで落ち着いた年配の方をイメージしていたのだが、
実際に会ってみると若々しくてとても気さくな方だった。
やはり人間が一番の興味の対象のようで、いつも人をとてもよく観ている。
見た目も雰囲気も違うけれど、マンガの「天才柳沢教授」タイプ。
そして、言葉には細心の注意を払われている。
広島での初めての講演会に集まったのは20名程度。
全ての人が初めて合う見知らぬ人であるのに、
講演の内容、そして雑談を通して見えてくるのは、
皆、共通のテーマを持っているという事。
講演2時から2時間、その後会場で立ち話1時間、
場所を移動して懇親会で飲みながら夜の10時ぐらいまで話をした。
こういう時の私のトークはスロットル全開フルパワーとなる。
内容はもちろん、自虐ネタ。 (あらら、まぁた、やっちゃってるか〜)
しかし、散々しゃべり倒して、終わり頃に姿を現してきたものがあった。
これまで自分が思ってもなかったもの。
人の“本質”。
自分とはどういう人間であるのか。
一体自分は何を求めているのか。
何がしたいのか。
わからないできたのだけれど、
出てきたそれは、「えっ?まさか!」と思うものであった。
まさに、これ以上ないと思うほど自分とは対極に位置するもの。
だからこそ、強烈にそこに引き付けられていたのかと、初めて自覚した。
自分が俗の中の最俗、悪の中の最悪、醜の中の最醜であると、
いくら打ち消してもぬぐえなかった思いは、だからだったのか、と。
今更ながら驚いているのは私一人で、
周囲の人からすると
「え?だってそうでしょ。そうだと思ってた」と言われそうなのだが。
私のブログ名が「ぽあん歩“庵”」であることも、
ダライ・ラマに会いに行ったということも、
お釈迦様が大好きだということも言ってなかったのになぁ。
常々から「60になったら出家する」が口癖であるとも。
なぜわかった?
というか、これだけ明らかなことしておきながら、なぜわからない?自分。
へーっ、そんなことを思ってたのか。
と、妙に腑に落ちた。
あとはそのズレをなくしていけばいいだけ。
でも、なくならないならそれもそれでいいのかも。
作為的にすれば思い込みの仮面を作るだけかもしれないし。
やっぱ、やりたい事をやってていいってことか。(と、都合のいい解釈:笑)
ちなみに、その方が最近知ったご自分の本質は「サムライ」だとか。
「それって家を守る武士?それとも剣を究める武人?」と尋ねて、
「宮本武蔵的な道を求める者かな・・・」との答えだったので、
もちろん日野先生をお教えしておきましたとも。
なんたって、正真正銘、ほんまもんのサムライだもの。
いやー、オモロイ!!
パワーバランス2
懲りない私はそれでも尚、「強く優しく」なりたいと願っていた。
次に私がやったのは、すでに強く優しくある人に学ぶ事。
“その人”は私の理想だった。
腹が据わって、快活で、頭の回転が速く、繊細。
恵まれた愛情に満ちた家庭での育ちがにじむ品の良さ。
人間が好きで、素直で、
そして何より、より良く変わって行きたいという向上心に溢れていた。
そういったものは誰にとっても魅力的であるようで、多くの人が慕っていく。
彼の元には朝から晩までひっきりなしに悩み事の相談が寄せられ、
その一人一人にメールや電話で対応をしていくという生活をされていた。
もちろんきちんと仕事はしながら。
自分の無価値感、欠如感を埋めるために他人を必要とするのではない人は、
困難な状況を真剣に考える事はあっても、悩まない。
所詮、「人は人を救えない」。
対処療法的に痛みを取り除き、悩みの原因を目の前から消し、
願い事を叶える方法を彼は知っており、それを為すだけ。
その中で何か自分自身で気付くことがある人がいれば幸いだというスタンスで。
私も出来るようになりたくて、いろいろと教えてもらっていたはずなのだが・・・・
いつの間にか方向は大きく逸れ、
いつしか私は何も出来ないダメ人間として、
ただ、ぶら下がるだけになってしまったのだった。
やった→できた→褒められる、という快感。
やった→できない→励ましてもらえる、という快感。
やろうとした→やらない→叱られる、という快感。
言い訳→一喝、の快感。
裏切り→落胆、の快感。
謝罪→許し、の快感。
究極の「かまってチャン」は、どんどんどこまでも落ちる落ちる。
ただ、見捨てられるのだけが怖くて、最後には
「見捨てないで!捨てられたら死んでしまう。何でもする。
何でも言う事をきく。奴隷にだってなるから」
と、泣いてすがるほどにまでになってしまった。 (・・・オイ・・・ヤリスギ・・・)
ま、それが生活のすべてではない所が私の私らしい所なのだけど。
ドタバタの中でも仕事は順調、家庭は平穏、
PTAや自治会でも楽しくいろいろ動き回っていられて、
現実には何の不満もない。
とても奇妙な状態だ。
なぜ、“あの人”に対してだけ私はこうなる?
“あの人”が悪いから?
“あの人”が私をこうさせる?
では、私は“あの人”に、何をさせられているというのか?
何も。
何もない。
認められたいと願い、近付きたいと恋焦がれ、
叶えられない事に苦しみ、いっそ消えてくれないかとさえ憎む。
なんという自分勝手。
形は違えど、同じ事を繰り返してしまっていた。
この苦しさの正体はそこ。
無価値感の解消の為に、またしても他人を利用した。
わかったら、進まなくては。
そうして一つの季節が終わりを告げた。
強く優しい“あの人”など私の幻想にすぎなかったけど、
実在の彼はきっと今頃笑ってる。
いや、ずっと笑って見てくれてたっけ。
ありがとうございました。
「師匠、師匠」と呼んでいた頃には、
本当にはちっとも師匠とは思ってなかったわけだけど、
振り返ってみると、やはり紛れもなく素晴らしい師匠だったと思う。
さて、私はまた同じ事を繰り返さないと言えるだろうか?
ウーーーーーン?
「失敗するまい」と思う気持ちが失敗の元、とも言うからなぁ。
やるなら、よりド派手にスッ転びたいものだけど。
へへへ。
懲りないよね。
次に私がやったのは、すでに強く優しくある人に学ぶ事。
“その人”は私の理想だった。
腹が据わって、快活で、頭の回転が速く、繊細。
恵まれた愛情に満ちた家庭での育ちがにじむ品の良さ。
人間が好きで、素直で、
そして何より、より良く変わって行きたいという向上心に溢れていた。
そういったものは誰にとっても魅力的であるようで、多くの人が慕っていく。
彼の元には朝から晩までひっきりなしに悩み事の相談が寄せられ、
その一人一人にメールや電話で対応をしていくという生活をされていた。
もちろんきちんと仕事はしながら。
自分の無価値感、欠如感を埋めるために他人を必要とするのではない人は、
困難な状況を真剣に考える事はあっても、悩まない。
所詮、「人は人を救えない」。
対処療法的に痛みを取り除き、悩みの原因を目の前から消し、
願い事を叶える方法を彼は知っており、それを為すだけ。
その中で何か自分自身で気付くことがある人がいれば幸いだというスタンスで。
私も出来るようになりたくて、いろいろと教えてもらっていたはずなのだが・・・・
いつの間にか方向は大きく逸れ、
いつしか私は何も出来ないダメ人間として、
ただ、ぶら下がるだけになってしまったのだった。
やった→できた→褒められる、という快感。
やった→できない→励ましてもらえる、という快感。
やろうとした→やらない→叱られる、という快感。
言い訳→一喝、の快感。
裏切り→落胆、の快感。
謝罪→許し、の快感。
究極の「かまってチャン」は、どんどんどこまでも落ちる落ちる。
ただ、見捨てられるのだけが怖くて、最後には
「見捨てないで!捨てられたら死んでしまう。何でもする。
何でも言う事をきく。奴隷にだってなるから」
と、泣いてすがるほどにまでになってしまった。 (・・・オイ・・・ヤリスギ・・・)
ま、それが生活のすべてではない所が私の私らしい所なのだけど。
ドタバタの中でも仕事は順調、家庭は平穏、
PTAや自治会でも楽しくいろいろ動き回っていられて、
現実には何の不満もない。
とても奇妙な状態だ。
なぜ、“あの人”に対してだけ私はこうなる?
“あの人”が悪いから?
“あの人”が私をこうさせる?
では、私は“あの人”に、何をさせられているというのか?
何も。
何もない。
認められたいと願い、近付きたいと恋焦がれ、
叶えられない事に苦しみ、いっそ消えてくれないかとさえ憎む。
なんという自分勝手。
形は違えど、同じ事を繰り返してしまっていた。
この苦しさの正体はそこ。
無価値感の解消の為に、またしても他人を利用した。
わかったら、進まなくては。
そうして一つの季節が終わりを告げた。
強く優しい“あの人”など私の幻想にすぎなかったけど、
実在の彼はきっと今頃笑ってる。
いや、ずっと笑って見てくれてたっけ。
ありがとうございました。
「師匠、師匠」と呼んでいた頃には、
本当にはちっとも師匠とは思ってなかったわけだけど、
振り返ってみると、やはり紛れもなく素晴らしい師匠だったと思う。
さて、私はまた同じ事を繰り返さないと言えるだろうか?
ウーーーーーン?
「失敗するまい」と思う気持ちが失敗の元、とも言うからなぁ。
やるなら、よりド派手にスッ転びたいものだけど。
へへへ。
懲りないよね。
パワーバランス1
私は「強く優しくありたい」という気持ちを持っている。
そう思うということは、実はそうではないと知っているということ。
それで私は何をしたか。
私より「弱く暗い人」を集めてしまったのだ。
もちろんそんなことは明確に計画してしようとして企てた事ではない。
ただ、そうなっていた。
同類が集まっている場に入り、そして“敵”と戦う。
敵も、もちろんある意味において同類だ。
牙を持たない人達の気持ちを代弁し先頭立って戦う事は気持ちいい。
傷つき悩み苦しむ人を手助けし、癒す事は気持ちいい。
だからやっていた。
人は本当に嫌な事は絶対にやらないものだ。
だがその本心は、どっぷりとその中に浸かっていた時に表に出てくる事はない。
共に痛みを感じ、共に涙を流し、私も苦しんでいるつもりになっていた。
成果は上がらない。
戦えば戦うほど敵は大きく増えていく。
味方も一枚岩ではない。
助けても助けても状態は良くならない。
なぜ変わらない?
それはそうだ。
変わったら私が困るじゃないか。
戦う相手がいなくなったら、私の強さが示せない。
助ける人達がいなくなったら、私の優しさが示せない。
求めていたのは、他人による賞賛と感謝。
「もっと頑張らねば」という気持ちは、
裏を返せば「もっと褒められたい。もっと認められたい」という要求でしかなかった。
演じる仮面を信じる人への罪悪感と侮蔑。
仮面の下を見透かす人への恐怖と敵意。
どんな見方をされても、私は寂しくなるばかり。
私はなにをやっているのだろう?
無価値感を解消するために他人を利用して。
理不尽な怒りを爆発させて私は“そこ”を出て行った。
酷い事をした私をそれでも引きとめようとしてくれた“仲間たち”に私は言った。
「もしもこんな目的ではなくて、趣味のサークルか何かだったら、
あなたは私と友人として付き合いたいと思いますか?」
答えはなかった。
去るという選択だけが、私にできる唯一の誠意ある行為だった。
そう思うということは、実はそうではないと知っているということ。
それで私は何をしたか。
私より「弱く暗い人」を集めてしまったのだ。
もちろんそんなことは明確に計画してしようとして企てた事ではない。
ただ、そうなっていた。
同類が集まっている場に入り、そして“敵”と戦う。
敵も、もちろんある意味において同類だ。
牙を持たない人達の気持ちを代弁し先頭立って戦う事は気持ちいい。
傷つき悩み苦しむ人を手助けし、癒す事は気持ちいい。
だからやっていた。
人は本当に嫌な事は絶対にやらないものだ。
だがその本心は、どっぷりとその中に浸かっていた時に表に出てくる事はない。
共に痛みを感じ、共に涙を流し、私も苦しんでいるつもりになっていた。
成果は上がらない。
戦えば戦うほど敵は大きく増えていく。
味方も一枚岩ではない。
助けても助けても状態は良くならない。
なぜ変わらない?
それはそうだ。
変わったら私が困るじゃないか。
戦う相手がいなくなったら、私の強さが示せない。
助ける人達がいなくなったら、私の優しさが示せない。
求めていたのは、他人による賞賛と感謝。
「もっと頑張らねば」という気持ちは、
裏を返せば「もっと褒められたい。もっと認められたい」という要求でしかなかった。
演じる仮面を信じる人への罪悪感と侮蔑。
仮面の下を見透かす人への恐怖と敵意。
どんな見方をされても、私は寂しくなるばかり。
私はなにをやっているのだろう?
無価値感を解消するために他人を利用して。
理不尽な怒りを爆発させて私は“そこ”を出て行った。
酷い事をした私をそれでも引きとめようとしてくれた“仲間たち”に私は言った。
「もしもこんな目的ではなくて、趣味のサークルか何かだったら、
あなたは私と友人として付き合いたいと思いますか?」
答えはなかった。
去るという選択だけが、私にできる唯一の誠意ある行為だった。
スイッチを押すとき
パソコンテレビGyaoのドラマ、「スイッチを押すとき」にはまっている。
増加する青少年の自殺に終止符を打つべく、政府は2010年に
子どもの深層心理解明のための青少年健全育成計画を施行した。
無造作に選ばれた5歳の子供達が心臓にある装置を取り付けられ、
10歳になると“スイッチ”を渡されるというもの。
そのスイッチを押せば心臓が停止する。
多くの同じ年頃の子ども達が特別な施設に親元から離されて集められるが、
外界から遮断された無味乾燥な白い部屋で過ごす日々の中には、
わずかな楽しみもなく、希望すら持つことは許されない。
そこから出る方法は、スイッチを押して自ら命を絶つことのみ。
ほとんどの子が何年ももたない。
2030年、洋平は横浜センターへの異動を命じられる。
驚くべき事に、そこにはスイッチを渡されてから7年も生き続けている
少年少女4人が隔離されていた…。
という物語。
ちょっとバトルロワイヤルを思い出すような設定だが、
ここで扱われる死は、あくまで静かだ。
少年少女たちは自由を求めて行動を起こすが、
一人、また一人と命を絶つ状況に追い込まれるのがやりきれなく悲しい。
人の感じ方はそれぞれだと思うが、
私にはどうして子ども達がスイッチを押してしまうのかがわからない。
憎しみのパワーが少ないように思う。
私なら、大勢のためにという名目で自分を犠牲にするような国なら、
恨んで恨んで、絶対に復讐してやるという一念だけで生き続けることだろう。
「なぜ死ぬ?わかんないよ!幸せに暮らしてる奴ら皆殺しにしろ!」と、
憤ってしまう私は、もしかして危険思想だろうか?
だけど、絶望的であればあるほど激しく湧いて来る怒りこそが、
生きていさえすれば可能性は0ではないと信じる力になると思うのだが。
文句を言いながらも、つい続きを見ずにはいられないこのドラマは、
現在7話まで放映中。
公開期限は9月30日まで。
増加する青少年の自殺に終止符を打つべく、政府は2010年に
子どもの深層心理解明のための青少年健全育成計画を施行した。
無造作に選ばれた5歳の子供達が心臓にある装置を取り付けられ、
10歳になると“スイッチ”を渡されるというもの。
そのスイッチを押せば心臓が停止する。
多くの同じ年頃の子ども達が特別な施設に親元から離されて集められるが、
外界から遮断された無味乾燥な白い部屋で過ごす日々の中には、
わずかな楽しみもなく、希望すら持つことは許されない。
そこから出る方法は、スイッチを押して自ら命を絶つことのみ。
ほとんどの子が何年ももたない。
2030年、洋平は横浜センターへの異動を命じられる。
驚くべき事に、そこにはスイッチを渡されてから7年も生き続けている
少年少女4人が隔離されていた…。
という物語。
ちょっとバトルロワイヤルを思い出すような設定だが、
ここで扱われる死は、あくまで静かだ。
少年少女たちは自由を求めて行動を起こすが、
一人、また一人と命を絶つ状況に追い込まれるのがやりきれなく悲しい。
人の感じ方はそれぞれだと思うが、
私にはどうして子ども達がスイッチを押してしまうのかがわからない。
憎しみのパワーが少ないように思う。
私なら、大勢のためにという名目で自分を犠牲にするような国なら、
恨んで恨んで、絶対に復讐してやるという一念だけで生き続けることだろう。
「なぜ死ぬ?わかんないよ!幸せに暮らしてる奴ら皆殺しにしろ!」と、
憤ってしまう私は、もしかして危険思想だろうか?
だけど、絶望的であればあるほど激しく湧いて来る怒りこそが、
生きていさえすれば可能性は0ではないと信じる力になると思うのだが。
文句を言いながらも、つい続きを見ずにはいられないこのドラマは、
現在7話まで放映中。
公開期限は9月30日まで。
ズルい女たちのズル
「ヤバイ! 見つかる! 隠れろ!」って何?
背を丸めて、人の目を盗みながら小走りに逃げる所を見ると、
人に知られるとまずい事をしてるという意識はあるんだ?
隠し事が好きだね。
仲間内の秘密を作るのが好きだね。
他の人より得をするのが好きだね。
嘘が好きだね。
バレないように、バレないように。
いつのまにか紛れ込んで平気な顔。
目くばせ。
耳打ち。
クスクス笑い。
そんなに楽しい?
同じ隠れて何かをするのなら、陰徳でも積めばいいものを。
“隠匿”なんて、さえないね。。。
そばにいる親でさえ気付いていない子どもの本性。
そんなことばっかしてるから、顔がだんだん意地悪く歪んでいくんだよ。
いくら「これまでのことを言わないで」と人に念押ししたって、
これからもやってくんじゃ、せわないわ。
ズルい女
背を丸めて、人の目を盗みながら小走りに逃げる所を見ると、
人に知られるとまずい事をしてるという意識はあるんだ?
隠し事が好きだね。
仲間内の秘密を作るのが好きだね。
他の人より得をするのが好きだね。
嘘が好きだね。
バレないように、バレないように。
いつのまにか紛れ込んで平気な顔。
目くばせ。
耳打ち。
クスクス笑い。
そんなに楽しい?
同じ隠れて何かをするのなら、陰徳でも積めばいいものを。
“隠匿”なんて、さえないね。。。
そばにいる親でさえ気付いていない子どもの本性。
そんなことばっかしてるから、顔がだんだん意地悪く歪んでいくんだよ。
いくら「これまでのことを言わないで」と人に念押ししたって、
これからもやってくんじゃ、せわないわ。
ズルい女
人形介護ロボット
老人や身障者を介護する人の身体への負担を減らすために、介護サポートロボットの開発が進められている。
まだ実用には至っていないが、人間のように人を抱きかかえる事ができるようになったということで、その実験をテレビでやっていた。
抱きかかえられたのは、人と同じ大きさの人形。
丸みを帯びておもちゃのように可愛い顔のロボットがゆっくりと近づき、座っている人形の下と背中にこれまたゆっくりと腕を差し込む。
あまりにゆっくり過ぎて3倍速でもまだスローなぐらい。
ロボットだから当然だが、その動きは荷物を持ち上げるフォークリフトのよう。
人間を持ち上げたときどうなのだろうかと疑問が湧く。
人間は動くし、障害の具合によって人それぞれバランスの取り方が違うだろうから。
沢山のセンサーが働いているとはいえ、アームが当たる所は痛くないのかなとか、仰向け抱っこは結構怖いから緊張して急に動いた場合に対処できるのかなとか、ちょっと心配。
持ち上げたとき、後ろに倒れかかった人形の背中はロボットのもう片方の腕に支えられたというより、ぶち当たっていたし。
ここは是非とも人間で試して欲しいところだが、まだそこまでは至ってないらしい。
「介護する人に負担がかからないように」も大事だけれど、介護される人がどう思うか、どう感じるかが、まず一番。
ロボットが得意なこと、人間でなければ出来ない事を踏まえて、最適な使い方で誰もが気持ちよく暮らせる未来は、すぐそこに近づいている?
それとも、まだ遠いのかな?
![kdm060314T1416[1]](http://blog-imgs-27.fc2.com/p/o/a/poanne/20080812162051.jpg)
まだ実用には至っていないが、人間のように人を抱きかかえる事ができるようになったということで、その実験をテレビでやっていた。
抱きかかえられたのは、人と同じ大きさの人形。
丸みを帯びておもちゃのように可愛い顔のロボットがゆっくりと近づき、座っている人形の下と背中にこれまたゆっくりと腕を差し込む。
あまりにゆっくり過ぎて3倍速でもまだスローなぐらい。
ロボットだから当然だが、その動きは荷物を持ち上げるフォークリフトのよう。
人間を持ち上げたときどうなのだろうかと疑問が湧く。
人間は動くし、障害の具合によって人それぞれバランスの取り方が違うだろうから。
沢山のセンサーが働いているとはいえ、アームが当たる所は痛くないのかなとか、仰向け抱っこは結構怖いから緊張して急に動いた場合に対処できるのかなとか、ちょっと心配。
持ち上げたとき、後ろに倒れかかった人形の背中はロボットのもう片方の腕に支えられたというより、ぶち当たっていたし。
ここは是非とも人間で試して欲しいところだが、まだそこまでは至ってないらしい。
「介護する人に負担がかからないように」も大事だけれど、介護される人がどう思うか、どう感じるかが、まず一番。
ロボットが得意なこと、人間でなければ出来ない事を踏まえて、最適な使い方で誰もが気持ちよく暮らせる未来は、すぐそこに近づいている?
それとも、まだ遠いのかな?
![kdm060314T1416[1]](http://blog-imgs-27.fc2.com/p/o/a/poanne/20080812162051.jpg)
悪魔の炎
夕方、炊事をしながらTVニュースを見るともなくつけていた。
画面には今日あった平和記念式典の模様。
アナウンサーがナレーションを読み上げる。
「・・・・この1年間に新たに死亡が確認された広島での被爆者は5302人。・・・・・・
名簿が慰霊碑に納められ・・・
・・・今年で原爆死没者数は25万8310人になりました」
????
今年亡くなった人も、被爆者なら原爆死没者にカウントされるの?
不勉強な私は知らなかったのだが、どうやらそうらしい。
「70年は草木も生えない」はずだったヒロシマの63年目の夏。
街は何事もなかったかのように栄えているが、
見えない炎はまだ人の身体を焼き続けているのだった。
画面には今日あった平和記念式典の模様。
アナウンサーがナレーションを読み上げる。
「・・・・この1年間に新たに死亡が確認された広島での被爆者は5302人。・・・・・・
名簿が慰霊碑に納められ・・・
・・・今年で原爆死没者数は25万8310人になりました」
????
今年亡くなった人も、被爆者なら原爆死没者にカウントされるの?
不勉強な私は知らなかったのだが、どうやらそうらしい。
「70年は草木も生えない」はずだったヒロシマの63年目の夏。
街は何事もなかったかのように栄えているが、
見えない炎はまだ人の身体を焼き続けているのだった。

