けん玉パフォーマー

毎年、私が住む地域では、7月の最後の土曜日に「水まつり」というイベントがある。
これのメインはなんと言っても、間近で見れる打ち上げ花火。
規模は小さく凝った物はないのだが、大規模な所と違って、無理して押し合いへしあいしなくても
余裕で座って見れるというのが子供に負担をかけずにすむのでとても楽しみにしていた。
しかし、去年は台風で祭り自体が中止。
今年は近辺から苦情が出ているのと、市との合併で予算上の都合もあったのか花火はなしになった。
せっかくこの為に東京から夫の友人を呼んでいるのに、と残念に思いながらも、
とりあえず祭りは楽しもうと、今回は花火の時間に合わせなくていいため昼から出かけた。

行った時、丁度ステージの演奏は終わったばかりだったが
ステージとは違う広場の真ん中あたりに人が集まっていた。
何だろう?と近付くと、青年が一人音楽にあわせてパフォーマンスをしている。

けん玉!! 

しかし、これまでのイメージを覆すほどの切れとノリのいいアクション。
お喋りをしながら、まるで生き物と戯れるように全身を使って楽しむ姿は、
ヨーヨーよりもだんぜんカッコいい!
しかも、すごく男前。
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SASUKEにも出た事があると言われていた。
トランクの中には、様々な大きさ、色、種類のけん玉が沢山。
紐の長さも違うよう。紐なしのでは、足の下をくぐらせたり、背中に回したり、高く飛ばしたり。
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はぁ~~~っ、こんな事も出来るんだ。と私はただただ感心するばかり。
いっぺんにファンになってしまった。

最後にご自分の名前とウェブログのアドレスを書いたものを出されたので、すかさずメモ。
彼の名前は「岩田和真(いわたかずま)」。
ブログは→若いが、けん玉職人!!
検索して紹介ページも見つけた。中国新聞  西広島タイムス

職人さんとしての顔も素敵~~。

水まつりでの出来は、ご自分では25点とか書かれているが、なんのなんの。
あれで充分、このオバちゃんのハートはワシヅカミされてしまった。
ということは、100点満点のワザとはどんなのだろう。
目が離せない。この人。

ぜひぜひ来年も水まつりに来て欲しい。
花火の代わりに、けん玉パフォーマンスをメインにしよう!!

心から話せる人、いますか?

中学時代からの友人からメール。

精神的にまいってて、負けてはいけないと頑張ってはいるけれど
ポキッと折れそうでとても不安。
ぽあんちゃんには、心から話せる人いますか?
 

痛いところを突いてくる。
そう。
私にも心から話せる同性の親友はいない。
上っ面だけの付き合い、しがらみの付き合い、損得がらみの付き合いでない、
何もかも心の底からわかりあえて共感してくれる魂レベルでの親友と出会える確率は、
奇跡のようなものだとも聞く。
そんな親友がいれば、悩みや不安に押しつぶされることなく安定するらしい。
彼女は悩みに悩んで、自分の孤独に気が付いてしまったようだ。

私はとりあえず彼女にすぐ電話をした。
魂レベルでの交流がどうとか以前に、30年来の友人であることは間違いないから。

だけど驚いた。「ぽあんちゃんでも悩んだり落ち込んだりする時あるの?」
なんて聞いて来るから。(笑)

悩みは彼女自身ではなく家族におきた事なので、具体的な解決策を提示するまではできず、
胸を繋いで話を聞くだけになったが、吐き出せたという事で、
声のトーンが変わってくるのを感じた。
誰にも話せないというのは、事実的な事態の重大さの大小に関わらず、
心理的にどんどん深刻さを増す要因になるようだ。
私には何もできないけれど、すきま風程度にでもなればよかったが、と電話を切って思っていた。

少ししてまたメールが来た。彼女から。
なんと、ビールの懸賞でDVDテレビ(たぶんポータブルプレーヤー)が当たったというのだ。

いっぺんに疲れと嫌な事が吹き飛びました。 

だって。
思わぬことだったが、なんにしても良かった良かった。
これで少しでも元気になれたなら、問題の捉え方変わるからね。

社内営業マン

夫がまだ会社勤めをしていた頃、上司から「社内営業は大切だ」と言われた。
しかし、夫はそういう考え方はできなかったという。
社外営業はもちろん算盤尽くで動く。
先方を読み、計算し、攻略法を頭をフルに回転して考える。
夫はどこに行ってもトップセールスマンになる人だ。

だが、社内の人に対してはそうではない。
なぜなら、仲間だから。
同じ会社の、特に同じ部署の人間は仕事上の「家族」と彼は考えている。
目的を同じくする者同士で、腹を探り合い、気持ちを隠し、上辺を取り繕い、
脅したりなだめたり賺したりして動かす必要など一切感じない。

自分を大きく見せかけたり、逆に下手に出て機嫌を取ったりしないから、
誰にでもオープン。部下にもざっくばらん。
上司や先輩にでも気にくわない事があると食って掛かる。
責任を取りたがらない上司の代わりに自分が全責任を負って部下に指示した事もあった。
それを好ましく思う人がいる反面、もちろん嫌う人もいる。

計算至上主義できて、上にペコペコ、下に威張りっで来た人にとっては、
我慢をせず、下を押さえつけない彼のやり方が信じられないらしく、
自己の存在が揺るがされると感じるのか、徹底的につぶしにかかってこられた事もある。
裏で汚い方法で。

私は無茶苦茶腹が立ったが、夫はそれでも飄々としていた。
罠に陥れられ会社を辞めるように持っていかれても、これまでのネットワークを生かしてすぐに起業。
以前の同僚や部下達は彼の為の協力を惜しまない。

なんとか軌道に乗り始めたとき、その罠にかけた人が接触してきたという。様子伺いに。
邪魔な人を排除して上に取り入り上手く立ち回っても結果が物を言う世界。
結局、人事異動で閑職に飛ばされてしまった可哀想な人だ。
人を呪わば穴二つ。
その人はいまだに上司風をふかした話し方をしてくるのだと聞いて笑った。
今や、夫の会社が客の立場だと言うのに。

その人の失敗は「社内営業」にあったのだろうか?
いや。それだけではないだろう。
顧客を騙して自分だけが益を得る、そんな営業スタイル自体が間違っていたのだ。

使用上の注意



元気になる薬。

明るくなる薬。

心が楽になる薬。

希望がわく薬。

前向きになる薬。

自信がつく薬。

優しくなる薬。




重大な副作用がある事がわかりました。


わるい男

口説き上手な男は魔法の言葉を持っている。
「大丈夫だよ」
「安心だから」
「僕に任せて」

女性の心をゆるませてしまう、優しい頼れるコトバ。
デートの約束から、ラブホの入口、禁断の××にまで使える。

根拠はない。
しかし、それでいいのだ。
女は自分への言い訳を与えてくれる人に騙されたい生き物。

それで本当に大丈夫で、安心できて、優しいだけの人だったら、
ガッカリする。

いや、ダメです。私、そんなつもりじゃ・・・。でも。だって。やめて。
こんなのイヤ。許して。ちがう。たすけて。もう、死んじゃう。。。


信じてないのに信じてるふりをして、
嫌がってないのに嫌がるふりをする。

いい女は悪い女。
いい男は悪い男。

いい人はいい人止まり。

心の宇宙遊泳

スペースシャトル「ディスカバリー」の打ち上げは、
夜、夫と一緒に大興奮してテレビ画面を見守った。
遅くまで起きている長男と次男も一緒に。
エンジンの温度が急上昇する際に色が変化する瞬間がたまらなく美しい。
広がる煙の中にまばゆい輝き。本当に絵のような幻想的な光景だ。
時間を追って、今中がどうなっているかを解説する毛利さんの話も興味深い。

宇宙飛行士は宇宙から返ってくると人間が変わると言う話しを聞いた事がある。
地球を外から見ると、一つの大きな生命として生きている実感を得るのだとか。
外部からの知識や刺激からではなく、内側から湧き上がってくる悟りという感じだろうか。
ある精神世界に詳しい人は、人間が大気圏から出ると
生存本能や思考のエゴによって閉ざされていた通路が通って、
本来の魂の声を聞けるのではないかとも言っていた。
「地上で厳しい修行を何年もしなくても、宇宙に行くと悟れるならそれがいいよね」
なんてお手軽な事を考えている私に夫は、
「宇宙に行くまで何年も厳しい訓練をすなければならないからな」と言う。
それもそうだ。
宇宙飛行士への道は修験道より厳しい修行の積み重ねかもしれない。
その上、ミッションを成功させる為に全神経を研ぎ澄ませているのだから、
感受性も通常人と比較にならないほど高まっているだろう。
魂の目覚めに必要なのはやはり状況ではなさそうだ。

打ち上げから約9分後、宇宙の周回軌道に近付いて外部燃料タンクを切り離す映像が映った時、
なにげに「あれ、また後で網ですくうんだろうね」と言うと、
「今、俺もまったく同じ事言おうとしてた」と夫が笑う。
ピン、と話が通じるのは楽しい。
私たちは宇宙のデブリ漁も楽しみにしている。

女王のルール

「ルールを教える」←トラバってます。

★「しつもーん。何でルールを守んないといけないのぉ?」 
○「皆が嫌な思いをせずに楽しく暮らせる為ですよ」
★「でもあたしはぁ、好き勝手にするのが楽しいしぃ」
○「それで他人に迷惑をかけてはいけないですね」
★「そんなの関係ないしぃ」
○「逆の立場になったら嫌ではないですか?」
★「ならないしぃ」
○「例えば、あなたの物を盗まれたりするとあなたはどう感じますか?」
★「チョーむかつく!絶対許せない!」
○「では、ここに一つルールが成立するでしょう?」
★「うん。あたしは盗られたんだから、あたしも人のを盗る」
○「いえ、そうではなくて・・・」
★「盗った奴をボコす」
○「そういう意味でもなくて・・・」
★「も、うっさい!いいの。マイルール!」

危険思想

一番理解できない不倫←トラバってます。

恋のトキメキは一時の熱病だと知っているけれど、
私は安全な場所をキープして遊ぶなんて事はできない。
手に入ろうが終わりになろうが、
私は全部捨てる。全部壊す。
私は0になる。
相手も0にする。
とりあえずそこから。
それが私の恋愛。

倫理も道徳も親子の情愛も家族の絆・信頼、安定も
激情に駆られる私を止める力は持たない。

なので私の不倫観は誰にも何も参考にならないな、と思うこの頃。


夫は私のこの性格を身に染みてよく知っている。
私が夫と暮らしているのは、単に夫が大好きだからだ。
今は。

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ひとまる

23日に行った教育講演会は広島県立安西高校の山広康子校長先生の講演だった。
安西高校はこの山広校長が教頭として赴任してくる数年前まで、酷い有様だったと言う。
県内の落ちこぼれが行く学校。試験に自分の名前さえ書いてあれば合格する学校。
登下校自由、服装髪型自由、どこで何しても自由。地域の迷惑学校。
何をやらせてもダメで小・中から邪魔者扱いを受けてきた奴等の吹き溜まり。
カツアゲ、窃盗、万引き、リンチ・・・犯罪の温床。
しかし、山広校長は「やればできる」を合言葉にして、自分が率先して行動する事により
教員の意識、生徒の意識、保護者の意識、地域の意識を徐々に変えて行き、
かつてゴミ溜めのようだった校内に美しい花を咲かせ、
物置のようだった教室や職員室をきれいに整理整頓して、
現在の生徒が落ち着いて学習できる環境へと改革していったのだった。
詳しい内容は著書「やればできるんよ─女性校長・学校改革1000日」に書かれてある。

この日は1時間半の中でさまざまな興味深いエピソードが語られたが、
その中でも特に印象に残っているのが、山広校長が一番腹が立つと言われる保護者の話だ。
学校を変える手始めに、校門の所にテントを張り登校する生徒の遅刻の取り締まりと
服装チェックをやり、ちゃんと教室に入るように指導するようになると、
保護者から思わぬ大反発を受けたのだそうだ。
「学校は刑務所ですか!?」と。
学校に時間通りに来ましょう。来たら自分の教室に入りましょう。勉強をしましょう。
当たり前の事を当たり前にさせようとすると「強制だ」「横暴だ」「自由がない」と、
生徒達からだけでなく、保護者から怒りの声が上がったのだった。
いったい、学校とは何をする所だと思っているのだろうか。

また、廊下でたむろしていた生徒の背中を押して教室に促した教師に対しては、暴力を受けたとして、
わざわざ他地域の病院で取った全治3日の診断書を添えて訴えを起こされた事もあるのだそうだ。
親は子をどうしたいのか、学校に何をさせたいのかさっぱりわからない。
どうも、子どもが悪くなるのも頭が馬鹿でも構わないが、
教師に指導されたり叱られるのは耐え難い屈辱と受け取る人もいるらしい。
なんとかやり込めて、頭を下げさせて自分が優位に立ちたいという屈折した感情だろうか。
親子ともども。
そんな人をも相手にしなければならないわけだから、教師とはつくづく大変な仕事だと思う。

しかし、誠意に敏感に反応を見せてくれたのは意外にも生徒達だったと言う。
幼少期から「どうせダメだ」と諦められて、「邪魔するな」「あっちに行って静かにしてろ」と
相手にもされていなかった子達が初めて、「やればできるんよ」と何かをやらせてもらった。
信じてもらった。
それはごくごく些細な当たり前の事を当たり前にやるという事だったけれど、
「やればできた!」という自信が次の意欲に繋がる確かな手ごたえになったのだった。

山広校長は大学5年の時、交通事故で頭蓋低骨折の重体となった入院中に、
「自分に何が出来るのだろうか」を徹底して自問して教師の道を見出した。

学校の建て直しも教師を目指したきっかけも、どん底からの再起と言えると思う。
原点を見つめるチャンスとは、きっとそんな場所にあるのだろう。

山広校長の現在のスローガンは「一丸」と「本気」。
「一丸」を「ひとまる」と読んでしまう子ども達の為に、
心を同じくする人達が一丸となって「本気」で取り組んでいると語られていた。

やる気どんな木?トホホの記

中一の長男の通知表を受け取りに行ってきた。
「今回、やる気なかったから悪いよ」とは聞いていたが、予想以上に悪かった。

私は成績について子どもを叱った事は一度もない。
しかし、「やる気がない」というのは放ってはおけない。
テストで好成績をあげる為にとか、先生の覚えめでたくなろうとして頑張れと言うのではない。
やるべき事はやって当たり前なんだから、そこで「やる気がないからやらない」は通用しない。

子どもの夏休みの計画を先生と一緒に見ると、まず、目標が立ってない。
一日のスケジュール表には学習時間が組み込まれておらず、
ずーっと「遊び」の時間になっているのを見て愕然。
「やる時にはやる」のやる時間がないじゃないか!
「あ、忘れた」じゃないぞー!、と火を噴きそうになるが、
先生の前で角を出すわけにはいかず、穏やかに微笑みながらもハラワタ煮えくり返り。
しかし、何もかもこの調子でここまで来させてしまったのは私の責任でもある。
廊下で知り合いのお母さんを偶然見かけたので、
とりあえず「お宅、どうでした?」なんて互いの話で緩和して帰路につく。

この夏休み中に私のやるべき事は、子どもに「やる気」を出さす事。

まこも

お昼のテレビで堀氏のコメントが流されていた。
彼の宗教団体は真光元(まこも)神社というのだそうだ。
私はこの「まこも」には数年前に聞き覚え、というか見覚えもある。

ワイドショーの一般の方からの日常的なお悩み相談室のようなコーナーで、
「夫の実家がお風呂の水を何年も取り替えずに入り続けていて、汚いのでやめさせたい」という
主婦の方からの相談が紹介されていた。
テレビ局が取材に行くと、本当にお風呂の水を何年も取り替えていないと言う。
見ると浴槽の中は真っ黒のドロドロ。
しかし、「まこも」という粉を入れているので、
細菌が一切繁殖しない清浄な状態を保つ事が出来ているのだとその家の老夫婦は語る。
水の色が黒く見えるのは「まこも」の色であって汚れではないのだった。
肌にも健康にもよい水だとその黒い水をコップに汲んで飲んで見せるほど。
番組では水の成分を調べたり、細菌を測定したりまではしていなかった。
一般家庭にそこまでする権利はないのか、まあ、他所の家の事だから勝手にしてればいいのだけれど、
最後に、まだ首も据わらないような赤ん坊とおじいちゃんが一緒に湯船につかり、
手で黒い湯をすくって顔を洗ってやっていた。あ~あ。
赤ん坊は抵抗力がないので、きれいな湯できれいなガーゼを使って顔を拭いてやるにしても、
片目ずつ別の場所でしてやらなければならない程デリケートなのに・・・。
あの子、結膜炎にならなかっただろうか。。。とずっと心配で記憶に残っていたのだ。

先日、真光元を入れた水は日に当てるときれいになると言われながらも、
取材の人が見た水槽は真っ黒だったという話を聞いて、この「まこも」を思い出したのだが、
やはりそうだったのだろうか。

日本神道を全国に布教する活動をするのだと言う「真光元神社」の主祭神は「真光元(まこも)」。
日本にそんな神様はいない。

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ガッツポーズと和の精神

横綱朝青龍のガッツポーズがスポーツ紙の一面に載っている。
恰好悪い。
外人だから仕方がないのかもしれないが、
それを何とも思わない日本人が多いのにはガッカリする。

高校生の剣道の試合で勝った際に、
仲間に合図の小さなガッツポーズ(下げた腕でちょっと拳を握ったぐらい)をしたのを
審判に見咎められて武道の精神に反すると一本を取り消された青年もいるのに、
横綱が大々的にそれをやっても違和感を持たれないのは納得がいかない。
勝てばいいだけなのか。
そこに品性、精神性は問われない時代になってしまったとすれば、残念な事だ。

千のナイフで切り刻む月

一昨日、昨日、今日の夜 頭上に大きな丸い月
月の魔力は過ぎし日の 遠い記憶を呼び起こす

とても奇妙に感じていた
私に月はどう見ても 白くにしか見えないが
皆は黄色に描くのだ
「あれが黄色に見えるのか?」
幾度指さし尋ねても
「月は黄色」と口揃える

私にとって太陽は まぶしい黄色に感じるが
皆はいつも赤く塗る
「どうしていつも赤い色?」
聞いた私に呆れるように
「真っ赤に燃える太陽だ」そんな答えが返される
それでは夕焼けどんな色?

かまわず私は月を白 日を黄色に描いてみた
それ見た大人は注意する
「もっと自由に描きましょう」
私は何か間違えた

異質な私に皆、困る
私も泳ぎが難しい
だから私は見回して 皆と同じに見せかける 擬態の術を身につけた

鈍い暗赤月明かり 今宵、私を解き放て

香ばしい

次世紀ファーム研究所で12歳の女の子が死亡した事件から、色々な事が発覚してきた。
そこが取り扱っている「真光元」という健康食品には菌は入っていないが、
人体に取り入れると大腸菌の1/10のサイズの自然界には存在しない「光合堀菌」が発生する。
無から有である。
人間はついに命を作り出せるようになったのか。
しかし、人の心に反応し信じる人を好み疑う人から離れるという意識を持つ神秘の菌なので、
存在しては都合が悪いと思う人が多い学会では認知されていない。
見た人はその生命体の生みの親の、200万円で薬学博士号を買った堀洋八郎氏ただ一人。
それでも病を治し、空気を浄化し、排泄物となっても下水・河川・海水・大地をも浄化する優れもの。

ここで素朴な疑問がわく。信じる人の側では存在して信じない人から離れるなら、
何も知らない人や動植物の近くに存在できるのかどうかを、どうして誰も疑問に思わないのだろう?
あ、堀氏の言葉自体を疑ってはいけないわけね。なるほどなるほど。

堀氏はテレビの取材で「光合堀菌とはどういう仕組みなんですか?」と問われて、
「太陽エネルギーを凝縮したようなものです」と答えていた。
太陽エネルギーといったら、核融合エネルギーだ。(爆)
それがどう病気治しや浄化と関係があるのだろう?というか、そもそも浄化という意味がわからない。
汚染された水や大気・土壌をクリーンにする崇高でスケールの大きな目的があるなら、
ちまちまと個人に販売するのは何故なのか。高い金を取って。
ああ、ダメダメ。疑問はタブー。菌が離れて行くから。(大笑)

会員が集まってとり行われた少女の葬儀では、全員が指で印を結んでいた。
堀氏は「宗祖さま」と呼ばれているという。やはり新興宗教団体だ。

「信じる者は救われる」と言うが、信じて死んじゃった。。。

販売ページのQ&Aには
Q 真光元は特定の宗教団体と何か関係しているの?
A なぜかよくある質問ですが、特定の宗教団体とは全く関係ございません。正直、名前を変えたほうがいいのではと私も思ったくらいです。
とあった。

崇教真光はいいとばっちり。同情しないけど。

お悩み相談占い

旦那の実家の揉め事と
子どもの学校のPTA内での嫌がらせによる精神的ストレスから
鬱病になってしまった友人からメール。
「どこかいい占い師を紹介して」

・・・・・・とうとうそこまで行っちゃいましたか。
困ったな。

気持ちが元気なら、占いは良い結果だけ信じて悪い結果は信じないし忘れるものだけど、
鬱の気持ちが後ろ向きになってる時は、その逆。
開運方法より、身の回りの出来事と悪い予言の関連付けで頭を一杯にしてしまう人は多い。
不安を煽って各種ヒーリンググッズを買わせるタイプの占い師に当たったら大変。

やめておいた方がいいよ。

夏休みにはラジオ体操!

今日から夏休み。
朝、6時半からラジオ体操。

私が子供の頃にはラジオ体操は行くのが当然だったものだが、最近は事情が違うらしく、
子どもは別にどうしても行かなくてもいいとか、誰それも行ってないとか言って行かずに済ませようとしてくる。
ウチでは当然そんな事は許されない。
夏休みとラジオ体操はセットの風物詩。季節感を体で感じるのに欠かせないからだ。

しかし考えてみれば、そういった会話があること自体、
「やらなくてもいい事をやるのは損」といった風潮に毒されているように思われる。

例えば子ども会。
昔は小学生になったら自動的に子ども会入りで、強制かどうかなど考えもしないほど当たり前だった。
しかし今は「任意なんでしょ?なら面倒なので入りません」「子どもが行きたがりませんから」
「○○さんも、○○さんも入ってないんだったらウチもいいです」と無駄扱いされる。

深刻な虐めや心の病の子どもに向けた「無理に学校に行かなくてもいい」というメッセージを
都合よく利用する甘えた引きこもりや登校拒否児童もいる。
行かなくてもいいなら行かなーい。と。

学校崩壊だってそうかもしれない。
授業を真面目に受けなくてもいいのなら受けない。
喋っていいならお喋りするし、立ち歩いていいなら勝手に動く。
咎められたら「だって、あの人も・・・」「なぜ私だけいけないの?」

楽な方へ楽な方へ右ならえ。高きより低きに流されるまま。
しなければならないならする。しなくてもいいからしない。
してはいけないならしない。してもいいならする。
怒られるからする、しない。他の人がどうだからする、しない。

そういう生き方を選ぶのも自由意志と言えるのだろうか?
「自由」も「意思」も感じられないが。

他人の口

そうめん流しの後、消防団の人に「飲み会にお宅の旦那さん、ちょっと借りるよ」と声をかけられた時、
私は「それは構わないですが、また暴れますよ?」と答えた。
というのも、以前、やはり何かの打ち上げで消防団中心の男の人達で飲んだ際に、
その中心的人物に食って掛かって、大騒動したという事を聞いていたから。
翌日、さすがに本人も反省して詫びの電話を入れていた。
珍しく自己嫌悪で落ち込んでいたから、よっぽっどだったのだろう。
「いいからいいから。わかってるよ」そう言われれば私には別に反対する理由もなく、
夫は飲み会に行ったのだった。

昨日、夫が今更のように「いやー、俺、前の飲みで相当暴れたみたいだ」と言いだす。
「うん。でも電話で謝ったし、皆、わかってるからよかったんでしょ?」
「いや、その後にもう一回、更にやったみたい。あまり覚えてないけど」
なんですと!?

何人かから「あの後、大丈夫だった?」と聞かれたそうだ。
夫がいつも噛み付くのは集まりの中心人物。
それは数年前までの消防団長であり、現自治会長。
仕切りたがりで強引なところが何か夫を刺激するようだ。
それでまあ相当酷い事を言ったらしい。人の話によると。
夫は感じたまま思ったままをすぐ言う人だから。

・・・だからなのか。自治会長が私に対して何かよそよそしい感じがしたのは。
そして私自身も総会で彼にガンガン意見をぶつけて大荒れにしてしまったのだった。
ワンマンさにカッチーンときて。似た物夫婦だ。。。

周囲の心配を他所に、私たちは別に何てこともなく大きな顔をしている。

数人が夫にこっそり「よく言ってくれた」「ずっと同じ事思ってた」と言いに来たそうだ。
「そういうのってさ、腹が立たない?」と聞くと、「嫌だね」と言う。
私もそうだからよくわかる。
「ずっと同じ事思ってた」んなら、自分で言えばいい。応援するならその場でしてくれ。
黙って安全圏に隠れてはっきり意思表示しないような人に味方だと言われても嬉しくも何ともない。
逆に鬱陶しい。
人の期待に応えるつもりはない。
言いたい事を言い、やりたい事をやるだけ。
だよね~、と似た物夫婦は笑いあうのだった。

水のこわさと楽しさと

PTAの連絡メールで水の事故の報告が回ってきた。
4年生が近くの川で溺れて意識不明になったそうだ。
幸い対処が早く大事に到らなかったが入院中。
浅くて流れが穏やかなので多くの家族連れでいつも賑わっている川なのに。
身震いしてしまう。

水の事故は一分一秒が勝負。
呼吸が4分以上止まると蘇生率は極端に低くなる。
何が怖いかといって、溺れる時によく漫画やドラマであるように
バシャバシャアプアプしてくれればわかるのだが、子どもは静かに消えてしまうから。

小さい子と浅いところで一緒に遊んでて、ほんの一瞬、後ろを向いている間に、
トプ・・・と足をすべらせて仰向けのままビックリした顔で水に沈んでいたりする。
「ああっ!!」と引っ張り上げると、ゲホゲホ咳き込んで呼吸が一旦落ち着いてからワッと泣き出す。
こっちの心臓が止まりそう。

長男は、小学校低学年の頃、溺れかけたのに助けてもらえなかったと、
いまだに恨み言を言ったりする。
本人は苦しくてもがいて助けを求めているのに、見えている場所にいる私たちは気付かないのだ。

生きているから笑えるが、他にも水でヒヤリとした事は多々ある。
それでも、事故を恐れて一切水辺に近付かないなんてのは愚の骨頂。
危険を知った上での遊び方はある。

子どもを持つと、大人はどんな時も気が抜けない。
しかしそんな心配や苦労を補って余りある楽しみも与えてくれる。
一緒に過ごせる夏は一生の間でもほんのわずか。

どなた様もどうかお気をつけて、楽しい夏休みにしてください。

ぜひとも見たい

お昼前に幼稚園から電話がかかった。
手足口病になってしまったようなのだ。
迎えに行くと、丁度年少さんが水遊びを終えて着替えているところで、
娘は羨ましそうにそばで見ていた。
今朝、家を出るときに張り切って水着を持って行ったのに。

近くで先生を待っている間に年少さんのモタモタしたお着替えを見ていて、
つい「可愛い水着ね」と声をかけた。
幼稚園の水遊びは去年まではパンツだったのだが今年から水着持参になった。
チビちゃんのくせに皆、それぞれ色とりどりでオシャレなデザインのを持っている。
すぐに子ども達が集まってくる。
「私のはね、いちごがついてるの」「わたしふりふり」
いいね、いいねと言っていると、すでに着替え終えている一人の男の子が、
バッグから水着をだして「俺の見せてあげようか?」と広げてくれた。

「見て見て」じゃなくて「見せてあげようか?」なんだ。(*^m^*)
そこが気に入った。
チビちゃんのサービス精神。
自分が人を喜ばせられるという自己肯定力だよね、これ。


手足口病は伝染病なので通園停止。明日までだったのに。
でも、今なっておけば週末にある園の夏祭りには治って出られる。
まあ、ラッキーだったのかも。まったく元気だし。

あぶないベッド

いとこ会に出かけた夫は翌昼すぎに帰ってきた。
久々に会ういとこ達と詳しい近況を語り合い、とても楽しんだようだ。
旅館ではアワビの刺身、海老の踊り食い、50センチぐらいある平目の刺身なども出てたとかで、
「やっぱりお前も来ればよかったな」と言ってくれる。
予定していた人数が減った際に誘われていたのだが、嫁の参加が私一人では気働きに不安があり、
しっかり者の次男の奥さんに一緒に行く都合がつかないと聞いた段階で断ったのだった。
それに子ども達のいない所で美味しいものを食べると
「これあの子が好きなんだよなー」「ここにいたら大喜びだろうなー」などと
一箸食べるごとに浮かんできて存分に味わうことはできそうもない。
「今度、家族みんなで連れてって」と夫に頼んでおいた。


夫は、朝、目が覚めたら40センチの幅しかない堤防の上で一人で寝ていたのだと言う。
向うはすぐ海。。。
前夜、豪華な料理で気分よく飲んで騒いで酔ったところで皆で夜の海を見に行こうという流れになった。
ちょっと用を足してくるとはぐれた夫がなかなか帰ってこないので皆はあたりを探したが
暗くて見つからず、朝になって弟が探しに来て見つけたのだそうだ。
「あんな所でよく寝れたよのぉ。よお落ちんかったモンじゃ」自分で感心する夫。
うっかり寝返りをして海の方に落ちたら帰って来かたが違っていただろう。
無意味に危機一髪。

少年サッカーの応援の仕方

妹と飲みながら話すといつも怒りのボルテージが上がる。
あまりにも「それはおかしいでしょう」と思う事ばかり。
昨夜は妹の息子が入っているサッカークラブの話。

保護者の負担は大きいし不透明。
顧問の先生をとにかく優遇して至れり尽くせりの世話をすると言う。

他地域での試合への移動は基本各自。
仕事を持つお母さん方も多く、相互協力でなんとか都合を付ける。
その調整がなかなかに難しい。時には仕事を休まなければならない人もある。
しかし先生は一人で現地に向う。
「先生に子どもを乗せてもらっては?」と聞くと、役員は「そんな事できるわけない」の一点張り。
ガソリン代は保護者が負担していても。

お弁当も保護者が用意する。保護者や子どもより豪華な特別の弁当。
先生には誰かが付きっ切りでお世話をしている。お茶を入れたりおしぼりを出したり。
早めに来てテントや先生の席をセットする係もいる。子供の試合どころではない。

試合の予定はさし迫ってから急に発表されるので、
全員に連絡を回したり、その日の段取りをするのがいつも大慌てになる。
勤務予定を組み替えなければならない事が重なり、仕事を辞めた人もいるそうだ。
試合の年間予定は決まっているから早めに先生に教えてもらえばいいだけだが、それもダメ。
「先生は当面の次の試合で頭がいっぱいで、それ以外の話をすると怒ってしまう」のだそうで。

とにかく先生のご機嫌を損ねない事だけに神経を尖らせている。
飲み会などでも当然、先生は飲み代タダ。先生にお酌をしようと皆が群がる。
派手な薄手の服を着てしなだれかかる人、腕を組む人もいるというから驚く。
お母さん方がいい印象を持って名前を覚えてもらうのにそこまで懸命なのは息子のレギュラー入りの為。
そんな少年サッカーもあるのだ。

高学年保護者から毎年申し送られる馬鹿げた慣例に堪り兼ねた妹の友人が訴えて行った先は学校だった。
校長に電話をかけ現状を詳しく説明し、学校側から改善を図ってくれないかと要望したところ、
少年サッカークラブは学校教育の中に組み込まれておらず、顧問もボランティアでやっているので
学校とは無関係だと返答されたという。
「公共の校庭を練習に使用し、学校教師だから顧問をしているのにそれは違うだろう」と詰め寄ると、
返答に窮した校長は、「話し合いの場をもうけるのでそちらの名前を教えて欲しい」と言う。
以前、サッカークラブ内で問題提起した人の子どもが酷く冷遇され、
結局は辞めざるをえなくなった経緯を知っていたその人は頑として自分の名は言わなかった。

そして翌日からは、サッカークラブの改革ではなく、犯人探しが始まった。
サッカークラブはますます顧問の先生の機嫌が悪くなり、会計も不透明にされてしまったのだった。

「もう、そんなサッカークラブ、やめてしまえ!!!」

思い立ったら先立つものが

夫がお泊りで出かけて、妹とその子ども達が泊りに来ている。
しこたま飲んでしゃべくり倒して今日はグッタリ。

夫はいとこで作ったいとこ会での旅行に行っている。
当初12人集まる予定が病気やケガ、都合で結局来られるのは6人だけになった。
そのうち集まろうと以前から言ってはいても、子どもの手が離れたら、仕事が順調に行って余裕ができたら、
そんな事を言っているうちに、今度は体にガタがきてしまうものだ。
たぶん、次回はないだろう。

以前から夫の兄弟の「嫁連合」で旅行に行きたいね、という話が出ていた。
盆や正月や法事で集まると必ずといっていいほど、旅行や食事が話題になる。
しかしまだ、それぞれまだ家の事があって具体的な所まで話を持っていけてはいない。
夫は「行ってくりゃいいよ」と気持ちよく言ってくれている
が、問題がある。。

夫は私を自由に出してはくれる。
だけど、自由なお金は出してくれないのだった。

お仕事頑張りましょ。。。

悩めるテレアポレディ

夫の事務所に面白い電話がかかってくると話してくれた。

ある日、大手の金融会社のテレホンアポインターの女性から
「事業主向けビジネスローンカードを作りませんか?」との電話を受けた夫は、
「うちには必要ない」といつも通りに断った。利息の高さはよく知っている。
しかし、一度で引き下がってはいけないというマニュアルがあるのか、
「そこを何とか」といった感じで食い下がってくる。
夫は忙しい時にはこんな電話はサッサと切るが、その日はたまたま暇だったので聞いてあげたのだそうだ。
基本的に人間好きな人なのだ。
テレアポレディは「たとえば社員さんにお給料が払えない時などに一時金としての借り入れもできますが・・・」と
カードの利便性を説明するつもりで言うので、
夫は「そんな会社に金を貸して、あんたの所は大丈夫なのか?」と質問で切り替えしてみたと言う。
すると相手は「あはっ、そうですよねー」と笑い始めた。まだこの仕事の経験が浅い人なのだろう。
そこからなぜか彼女は一気に打ち解けたような雰囲気になって、
「実はここだけの話ですが、うちの会社はよそと比べて利息が高いんです」という話までしはじめた。
その上、職場での裏話や自分の苦労話まで。

電話は翌日もかかってきた。
「これ、一応言わないといけないんで言いますけど、カードをお作りになりませんか?」
「いや、作らない」と夫が返すと「そうだと思いましたー」。
そしてまた昨日の続きを話し始めた。ノルマがきつくて大変とか、自分には向いていないとか。
埼玉の事務所からかけていると言う彼女に夫が「うちに面接に来て見る?」と冗談で言うと、
「行ってもいいですか?」となかば乗り気になる。
焦って「面接しても採用するとは限らないがそれでもいいなら」と言うと、
「あ、そうか」とガッカリした声だったらしい。
電話を切る時に「またかけます」と言っていたそうだから、またかかってくるのだろう。

「何なんだろうね?」と首をかしげる夫。
何なのか、私にわかるはずもない。
ただ、うちの夫にはそういう事があっても不思議はないような気はする。
なぜか多くの人が用もないのに夫の事務所に遊びに来たがる。男も女も。
仕事の取引なんかめったになくても来ては無駄話をしていく。情報収集や様子探りでもなく。
でも、見ず知らずのセールスの電話の人までファンにしてしまうとは。
うーーむ、ますますパワーアップしているみたいだ。
本人には何にも自覚ないようだけど。

腹筋を鍛える本

齋藤孝の「上機嫌の作法」で上機嫌列伝の中に出ていた「板谷バカ三代」の話が気になっていた。
多くの人がよく知る物だから例として取り上げてあるのだろうが、私は全く知らなかったのだ。
家が火事になってるにもかかわらずテンション高い上機嫌な家族の様子が紹介してあって非常(異常)に印象に残っていた。
のわりには、特に注文してまでも読みたいとも思わなかったのですーっかり忘れていたが、書店で見かけて即買い。

昨夜、寝苦しいので麦茶を飲みに降りてきた長男が私の部屋を覗いて一言。
「おかしいんじゃない?」
と呆れ顔。

私は布団の上で笑い転げていた。
「板谷バカ三代」は、本当に馬鹿だ。真面目で真剣な馬鹿だ。
作った話ではこうはできないだろう。実話ならではの鬼気迫る馬鹿さ加減がある。
一ページに一回は笑う。そしていつしか笑いの波状攻撃で爆裂的笑いに持っていかれてしまう。
ククク・・・、ププッ、ブワッ、ハハハ、アハアハ、ウヒ、ヒーーーッ、
ああお腹が痛い。
深夜に本を読みながら涙を流して一人笑う40代主婦。
読む人をもまたマンガにしてしまう恐ろしい本だ。

そして余韻はさわやかだが、ほの哀しいのだった・・・。
ゲッツ板谷Web

どこまでも高い恋愛観

「健康」と同じで、「恋愛」という言葉も明治以前にはなかった。
西欧から入ってきた概念を日本語で新たに作ったのだ。
ということは、江戸時代まで日本人には恋愛はなかったということになる。
恋愛がないのだから、なるほど自由恋愛もあるはずもなく、
もっぱら結婚するにはお見合いをするしかなかったはずだなぁ、などと納得しててはいけない。

草津の湯でも治せないのは恋の病。八百屋お七は恋狂い。
許されぬ恋を描いた近松心中物は大流行。井原西鶴「好色一代男」七歳で恋いはじめ。
いったいこれは何と見る?

江戸に「恋」はあった。しかしそれは「愛」とはまったく分けて考えられていたのだ。
そして恋をする事を「色事」と呼び、精神的な物と肉体的な物との区別はなかったようなのだ。

ストーンとね。恋は情欲であり肉欲であるからすべて色事。
清い交際もどこまで許すもなく全部「恋」。
何しろ、売春・姦通・男色・セクハラ・性犯罪までもひっくるめて「恋」だと言うから驚く。

よくわからないような、わかったような。
複雑怪奇なようで、単純明快なような。

「色事」よりも「恋愛」の方が崇高でロマッチックに感じるが、
やること(目指すもの)は結局は同じ。恰好をつけるかどうかの違いだけ。。

自分の恋愛を「運命の恋」「真実の愛」だと言ってはばからない人は今度から、
やってる中身が「運命の色事」になってるか考えてみるといい。
「運命の色事」凄い怒涛の迫力をもって迫ってくる濃厚で重い言葉だ。

あいさつ抜きの家族

小学校低学年の子どもが挨拶をしないので困っているお母さんがいた。
聞けば、旦那さんが無口な人でもともと挨拶の習慣がなかったのだった。

朝、黙ってリビングに来て黙って朝食を食べて黙って出かけていく。
それを子どもも真似ている。
いくら頼んでも注意しても旦那さんも子どもも一向に改まらないそうだ。

んん?
何か不自然。

起きてきた旦那さんに毎朝明るく「おっはよー」と大きな声で呼びかけている?
「いただきます」を言う言わないの前に、食事は家族揃って席に着いてるの?
玄関外まで出て「いってらっしゃーい」と見えなくなるまで手を振り続ける?

いまさらそんなことはできない夫婦かぁ。
なら、子どもに挨拶の習慣をつけさせる以前の問題だな。

生きる力とエゴ(虐められ体験から)

私は小学校2年から3年にかけて東京の学校で過ごし、虐めのターゲットになった事がある。

「わたしの妹」風に言うと、
   言葉がおかしいと笑われ、
   いつも同じ服で汚いといじめられ、
   「くさいくさい」と言われ、
   「ビンボー人」とさげすまれ、
   勉強が遅れていたので馬鹿あつかい、
   笛や体操服などの持ち物が皆と違うと仲間はずれにされ、
   クラスでひとりだけ机を離され、
   誰も口をきいてくれず、
   当然、遠足も一人のお弁当
という感じ。

時に子どもは残酷なものだ。
先生も「仕方ないな」といった感じで見て見ぬふりをしていた。

その上、当時はうちは本当に極貧で家でご飯が食べれなかったので、給食だけが命の綱だった。
しかし虐められているので給食係がわざとおかずをくれない。
ニヤニヤと笑って「これ食べたい?」と聞かれ「うん」と答えると
お玉の先の一滴の汁をお皿に垂らされるだけ。
そこで私は時々、「嫌い」「入れないで」と言うようにした。
すると楽しそうに入れてくれるのだった。
私は「嫌だー、ウエー」と顔をしかめてホクホクと食べる。
あまり頻繁にやるとばれる恐れがあるのでそれは気を付けていた。
「カレーだけは本当にダメだって!!」と必死に抵抗して、
お椀に溢れんばかりに入れてもらったときは嬉しかった。
カレーが嫌いな日本人がいるわけがないのに、そこは子どもの浅はかさ。
美味しくてつい微笑んでしまい、給食係が悔しそうな顔をしていた。
してやったり!といった気分。

私は体にあざが付くような暴力は受けたことはない。
やられたら倍にして返す主義で、取っ組み合いや怒鳴りあいでは負けていないからだ。

毎日が真剣勝負。
人への怒りと憎しみに燃えても、私は悩むことはなかった。
こちらは何も悪くない。

何をやっても自信のない私だが、生きる力だけは半端ではないぐらい強い。
それが今の厚く固いエゴの殻に結びついているのだから実際、困ったものなのだが。。。

ヘビの脳の悲しみ

テーブルの上に乱雑に散らかされたプリント。要る物と要らない物を分けていく。
その中に「わたしの妹」というタイトルの詩の様な文章があった。小5の次男の物だ。

「わたしの妹」
この子は、わたしの妹。
向うを向いたまま
ふりむいてくれないのです。
妹の話、聞いてください。

(→全文)

ひどい話だ。
これを教材にして道徳の授業を受けたのだろう。
裏には虐め問題についての設問に息子の意見が書き込まれている。

夕方、パソコンを触っていてふと思い出して検索をかけてみた。
小学校での授業の流れを記したページを見つけた。
それによると、人間の脳は
脳幹・・・生命を司る→ 呼吸、食欲、排泄、睡眠 など・・・ヘビの脳
旧皮質・・感情面を司る→ 喜び、怒り、悲しみ、楽しさ など・・・犬・ネコの脳
新皮質・・知恵を司る→ 考える、覚える、言葉を話す など(生まれた後で育つ)・・・人間の脳
のように三重構造になっていて、
虐めは心を傷つけるといわれているけれど、実は脳への攻撃となっていて、
ダメージを受けるのが生きるために絶対に必要な部分であるヘビの脳だと解説してあった。

虐めは思考や感情を飛び越えて、生命の力を奪う直接的な行為だったとは知らなかった。

食べられない、眠れない、呼吸困難、自傷・自殺への志向、
それらを個々人の意識の持ち方の問題として改善策を図っても難しいわけを今はじめて理解した。

しかし、虐めにあっても耐える人と自力や他力で解決する人がいる。
耐える中にも、後遺症を残す人と乗り越える人がいる。
この違いとは何なんだろう?

それを今、学校で盛んに教えているのだろうけれど。
「生きる力」を付けさす、育むということがどうやったらできるのだろうか。
知識を付けるのは人間の脳、大脳新皮質。
感情に訴えるのは犬猫の脳、旧皮質。
では、生きる力の源、ヘビの脳にはどうやって元気を与えるのだろう?

生きる快・・・・・・心地よさ・・・・五感・・・
安心できる人がそばにいる心地よい環境で、美味しいものを食べて、いい香りに包まれ、
美しいものを見て、きれいな音楽を聴く?
基本はそこだろう。

そしてたとえ今が最悪だとしても、明日を楽しみにできれば今日を生きられる。

そんな事を考えた。

おとなのぬりえ

大人の塗り絵がブームだと言う。
書店に行って偶然目にした。
どんなものか手にとって見る。
完成図と下絵が本になっている。
図案どおりに刺していけば作品になる刺繍キットのお手軽版といった感じだ。
31520303.jpg
すでに絵になっている物を、どうしてまた絵に描かなければならないのだろう?

人には二種類ある。

絵を描く人と
上手な絵が描きたい人。

醜い美しさ

私は虫が大嫌いだ。
なのに、ムカデの鮮やかな赤い足が整然と並んでいるのを美しいと思う。
女郎蜘蛛の黄色と黒のコントラストが美しい。
蛾の細かな触角が美しい。
毛虫の波打つ毛の動きが美しい。
甲虫の光沢が美しい。

そんな事を言うと子供たちは
「じゃあ、お母さん、虫が好きなんじゃない?」と聞くのだが、
嫌い・気持ち悪いと感じるのと、美しさは私の中では別なのだ。
その伝わりにくさを考えていたら、
岡本太郎著「今日の芸術」にこんな記述があった。

「美しさ」は、たとえば気持ちのよくない、きたないものにでも使える言葉です。
みにくいものの美しさというものがある。
グロテスクなもの、恐ろしいもの、不快なもの、いやったらしいものに、
ぞっとする美しさというものがあります。
美しいということは、厳密に言って、きれい、きたないという分類にはいらない、
もっと深い意味をふくんでいるわけです。


そう。
ひきつけられ、いつまでも印象に刻まれる美しさと、
目をそむけたくなるほどの醜さは両立する。
それは感性の別の次元での捉え方であり、
そもそも先入観を取り払えば、この世に醜いものは存在していないことになる。
「不潔、害がある、危険」を「悪い、怖い、汚い」と結びつけ不快なものとして認識する。
ただそれだけの事。

昔、原爆でのきのこ雲を「美しい」と生徒に語った教師が不謹慎だとして糾弾された事がある。
あの雲の下に被爆して亡くなった方、苦しんでいる人がいるのに、と言うのである。
それとこれとは別だろう、と私は憤る。
原爆は人類の脅威。許すべからざる物。
だが、きのこ雲を美しいと感じ表現したのは純粋な感性だ。

また私は、原爆ドームの形を美しいと思う。
被爆前のきれいな産業会館よりも、破壊され崩れて骨がむき出しの今の造形に魅力を感じる。
原爆ドーム=怖い・グロテスクとすぐ結びつける人が多いが、
私の見ているものは、その次元にはない。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
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座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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