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キラリをさがして・・・

ばんざーい!!小学校のおまつりが無事終了。
このところずっとこの準備で頭がいっぱいだった。
といっても、今回はこれまでと違ってまつりだけの委員も作って、
全員が参加して作り上げるという形にしたので、だいぶん楽だった。
それでも、小心者の私には責任ある係は荷が重い。
しかし何をやったかというと、お弁当の手配とプログラム・POP作りぐらいで、
あとはその辺をウロウロオロオロ歩き回ってただけだったのだけど。。。

小学校のこのまつりは今回が5回目。
前半は児童による各学年ごとの歌、演奏等の学習発表会。

後半がPTA中心のイベントの二部構成になっている。
今回のテーマは「キラリをさがして・・・」。
書記のTeddy-loveさんが提案して、役員全員一致の賛成で決まった。
もう一人の副会長さんが、第二部始まりの挨拶で
自分なりの説明をされた内容もまた素晴らしかった。
「誰もが皆、どこかにキラリと光るものを持っている。
 だけど自分で自分の良さにはなかなか気が付かない事も多い。
 だから、皆で一つの目的に向って力を合わせながら、
 お互いに他の人の中に一つでも多くのこれまで見逃されてきた
 新たなキラリを発見して教えあって欲しい。それが人にも自分にも自信となり、
 もっと大きく伸びていく力になっていくでしょう。」と、そんな感じの。
聞きながら、「おおー、そうだったのかー」と改めて感動する私。

オープニングイベントも素晴らしかった。
神楽で「牛若丸」。地元の神楽団にお願いした。

大天狗の元で修行をして兵法を伝授される若き日は小2、
弁慶と戦い家来にする場面では小5の二人の兄弟が牛若丸を演じ、
これが本当に子どもなのだろうかと思うほどに凛々しい舞を披露してくれて、
会場は大いに沸き立った。

その後の各クラスごとのイベントは今回はこれまでに増して、
親も子も全員が楽しませて楽しんでと、とても活気溢れるものとなっていた。

回を重ねるごとにどんどん良くなっていくと、皆が言うし、
私も確かにそう感じる。
教頭先生は「保護者の潜在的な力が表にあわられて、活気が出てきた」と言われていた。
その一番の要因はと考えた時に思うのは、
皆が、いい所を見つける天才だからではないかという事だ。
誰かが何かを思いついた、何か工夫した、何か作った、なんて時には必ず、
「これはいいねぇ!」「すごいよ!!」ととても喜んでくれるという空気がある。
人の喜びほど、嬉しい事はない。
いくらでも頑張れるというものだ。
親の元気、やる気は必ず子どもに伝わるはず。
いい学校、いい先生、いい保護者の方々との縁に本当に感謝したい。

私の周りは多くの“キラリ”で満ちている。
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収穫の秋

チビを連れて幼稚園へ行く途中の家の庭から「おいも食べて?」と声をかけられた。
はじめて植えてみたそうだが、丸々とした立派なサツマイモをたくさん頂いた。

せっかくなので、子ども達が一番好きな食べ方のスイートポテトを作ってみることにした。
まず、皮をむいて適当な大きさに切って茹でる。
お菓子作りはたまにしかしないのでうちには裏ごし器などという上等なものはない。
普通のザルで裏ごし。
あまりにも大量にあったので半分だけバターとクリームを使ってスイートポテト。

残りは芋羊羹にしてみる。

普通はグラニュー糖で甘味を付けるのだが、うちでは白いお砂糖は使わない。
きび砂糖は沢山入れても甘さ控えめで上品な大人の味になるのがいい。
普段は少ししか出来ずに不満げな子ども達も、今回は満足いくまで食べられたようだ。

強い人

強い人は、自分が強いとも思っていない。
「人間だれしも弱い部分は持っているよ」
そう言って笑って人を許せる人は眩しい。

傷は、
他人が付けるものではないんだよね。
わかってはいるけれど・・・。

母性

「私は優れた母親だ」と言う母と、
「私の子どもは良い子だ」と言う母と、
どちらの子どもになりたい?

「子ども達にとても好かれている」と言う母と、
「子ども達が好きで好きでたまらない」と言う母と、
どちらが好き?

子どもに愛を与え、子どもに愛を教える母と、
子どもを愛し、子どもと共に愛を学ぶ母と、
どちらが幸せ?

母は母であるだけで満ち足りる。
過分な愛を求める人は、母親役を演じてるだけ。

「強さ」の意味

小学校時代からの長男の友人に虐められ体質の子がいる。
小一の二学期から転校してきたのだが、前の学校で入学早々に虐めにあい、
その影響がずっと尾を引いている。
ちょっとした事ですぐ泣いてしまうので、
小学校時代の最初頃は、いわゆるやんちゃグループからよくからかわれた。
しかし、周囲の子たちが彼を庇っていたのでそんなに悪い雰囲気ではなかった。
それが高学年になると少し様相が変ってきて、
特に悪感情を持っていなかった人達も避けるようになった。
自分の思いどおりにならないと泣くという場面が繰り返されたためだ。
本人はわざと泣きまねをしているわけではなく、
感情を抑えられずに涙が出てしまうだけなのだろうが、
周囲には泣いてわがままを押し通そうとしているように見られてしまう。
彼の母親は常に「強くなりなさい」と言い続けていたそうだ。

中学になって、その友人と息子は別のクラスになったが相変わらず付き合いは続いている。
やはり、彼はまだ虐められているらしい。
虐めといっても暴力や嫌がらせといった積極的なものではなく、
無視や仲間はずれの類だが、される方のダメージはそれなりにある。
私は息子にそういった場を見たら注意をしなさいと言っていて、
息子も気をつけてはいたが、変える事は難しい。

友人が虐めにあう理由を息子はこう言う。
「あいつ、「強くなる」の意味を間違えてるよ。
 自分の言いたいことは遠慮なしに激しい口調で相手に言っておきながら、
 反論されたり違う意見を言われると耐えられずに泣いて話せなくさせるから皆嫌う。
 少し肩が当たっただけでもわざとやられたと思い込んで
 『なんで当たってくるんだ!』と責めてくるから頭にくる人もいるんだ。
 自分の弱点は泣いてしまう事だけだと思ってて、
 自分の言いたい事を言ったり、何かされたら黙っていない事で強く見せようとしてる。
 でもそれは、違うと思う」

息子はこれまでその友人に限らず、他でも虐めらしき現場に居合わせたら
すぐに注意して助けるようにしてきたようなのだが、
そうすると矛先が自分の方に向いて理不尽な思いをする事が多々あったらしい。
「何故かばうんだ?」と問い詰められたり、
うるさい奴だと息子も嫌われて無視されるようになっても、誰も助けてはくれない。
庇ってあげた人も知らん顔。
息子は「もう、嫌になった・・・」とポツリ。

こんな時、人間として美しくあるあり方がどうなのかはわかっていても、
私は息子にそうさせることをためらってしまう。
「これ以上はいいよ・・・」
そう言って、続けて出そうになった「ごめんね」の言葉を飲み込んだ。
立場を悪くして、人間への不信感を持たせてしまったのが私のせいだとしても、
彼がこれまでしてきたことを無意味だと感じてほしくはないから。
ここから先は、彼の判断に委ねることにする。

自分自身に忠実であろうとする事は、時に痛みを伴う。
乗り越えたい。
乗り越えて欲しい。

猛毒の後遺症

これまで色々と悪事を働いてきた私だが、悪いクスリの経験は一度もない。
けれどそれは強い意志で自分で避けたというよりも、たまたま運が良かっただけかもしれない。
若い頃、一時期荒んでいた私は毎日のように外人がたむろするディスコに入り浸っていた。
そこでは大麻やハッシッシのやり取りが普通に行われていて、私も何度か目にしたものだ。
しかし私が「見せて」と言っても誰も「あんたにはダメだ」と触らせてもくれなかったし、
覚せい剤の売人で前科持ちの人などは、私が「やってみたい」と言うと激怒した。
何故だかわからないが、そういうわけで私は今も健康でいられているわけだが、
落とし穴がつい身近にあるという事だけはよく知っている。


昨夜テレビでアンテナ22「ドラッグにはまった娘が見た天国と地獄」という番組を見た。
今は殆んどの薬物が錠剤で手軽に買えて手軽に使用できるようになっているらしい。
中毒者の症状とかを見るとおぞ気が立つ。
脳がやられてしまって普通の会話にならない。
成長が止まるので、言葉が子供のまま。衝動を抑えられず、時に凶暴になる。
取材の中心人物は「セックス依存症だった私」という本を書いたK子さんと、
更生団体「本気塾」の押川剛さん。
更生する為に頑張っているかに見えて、実は欲望を抑えられずに裏切るK子さんの口から出た
「ドラッグをやめたいと思った日は一日もない。繋がりたくもない。心は開けない」
というホンネに、塾長は打ちのめされる。
クスリは人格を破壊し、法を犯す罪悪感を失わせ快楽へと人間を駆り立てる。

K子さんは母子家庭で育ったが母親に十分愛されたとは感じていなかった。
常に心に寂しさと自信のなさがあり、それを紛らわすために援助交際をしたのだと言う。
他の人が3万円で売るのなら自分は5万円で売って、
高く売れたという事でやっと自信を持てたのだと。
それがあらゆる依存の入口であり、ドラッグに到るそもそもの原因だったのだ。
K子さんのこれからをどう考えたらいいか思いあぐねた押川塾長は、
母親と連絡をとり相談する事にした。

ここまで息子と一緒に「ドラッグって怖いねー」と言いながら見ていた私は、
次のシーンで怒りが爆発した。
この母親こそがK子さんの不幸の元凶だとありありと見えたからだ。

K子さんには悲しかった想い出がある。
小学4年生の頃、母親が怒りに任せて振り下ろした金属製のゴミ箱で頭をひどく切り、
バスタオルで押さえても止まらない程の出血をしたK子さんが母親に助けを求めに行くと、
「子供だから血が多いんでしょ」と言われただけで放置されたのだとか。

今回、押川塾長が娘が薬物中毒で苦しんでいるという話をした時に出た母親の第一声は、
「私は知らなかった」だった。
押川塾長は湧き上がる怒りを隠さない。
「どうしてそんな言葉になるんだ?
 娘が薬物中毒と聞いたら、普通は母親なら驚くんじゃないのか?
 『ええーっ、薬物中毒?本当ですか?』と取り乱すんじゃないのか」
すると母親はこう言った。
「私のリアクションがいけないとおっしゃるんですか?」
塾長はますます絶望的な顔になる。
知らなかったのだから私のせいではないと母親は言いたいらしい。
私がこの子にどうしてやりたい、はない。
どうすればこの怖そうな人の気に入るのか、責められずに済むのかを知りたがる。
そこに娘への愛情は微塵も感じられない。

押川塾長はさらに今後について母親に詰め寄る。
「あなたがこの子の面倒を見れますか?全責任を取れますか?」
母親は当惑気味に答える。
「わかりません。何とも言えません。
 自分のことで手一杯ですから、約束はできないですね。
 だってそうでしょ。誰も他人の人生に責任なんかとれないでしょ」と。
この母親にとって娘は、他人なのだ・・・。
押川塾長がたまらずに口に出した、
「あなたが母親だからこの子がこんなになった」というような言葉に、母親は言い返す。
「そんな事言うんだったら、私だって私の母に言いたいことは沢山ある!」
そして大声で泣き崩れた。
芝居がかったオーバーリアクションは、それ以前に画面に映っていたK子さんの言動と重なる。
母親はドラッグをやってはいないはずなのに。
K子さんは冷ややかに言う。
「お母さん、それやっても無駄だから。私もさんざんやった。通用しないよ」
そう。母親の言葉も動きもすべて計算された演技。
可哀想な自分を見せつけるための。
弱く哀れな被害者を苦しませる人が悪いという、これも攻撃。

どこまでも自分だけが大切な人。
「私は悪くない」「私のせいじゃない」「私だって苦しい」
「私だって愛されたい」「私をわかって!」
自己保身と自己欺瞞のみで成り立っている人間の形をしたモノがそこにあった。

K子さんは地面にうずくまり自分を嘆くばかりの母親を見下ろして言った。
「私は一人で生きていく」
期待を捨て、もう愛を求めないと決めたのだろう。
「もう二度と会うことはないでしょう」そう押川塾長は言って、
K子さんを支えながら立ち去るところで番組は終わった。

ドラッグは確かに怖い。
人間の心も身体も人生も大切なものすべて壊す。
だけど・・・
だけど・・・・・、
K子さんの心は、ドラッグに出会う前に既に壊れていたのではなかったのだろうか。
私にはそう思えてならない。
立ち直る事ができなくさせたのは、ドラッグであるのは間違いないとしても。


紙一重でこっち側の私には、他人事ではない話だった。
これから先もずっとこっち側でいられる保証はないし、
子ども達にもいつ魔の手が伸びるかわからない。
そしてそれは、誰にでも言えることのようにも思える。

穢れなき人々

純粋な者が純粋を見るところに、豚は汚れを見る
                 ・・・・・・アインシュタイン


このことわざに「その通りだ」と頷く人はほぼ100%。
その人達はまた「世の中の大多数は豚だ」とも思っている。


豚は自分が豚だとは知らない。

うらやましい国

パキスタンでの地震は大きな被害を出した。
そしてまだまだこれから死者は増えていくだろうと言われている。
重傷を負った人が亡くなったり、衛生面での不備が健康状態を損う為だ。
テレビで現地で医療活動をしている日本人の女性医師の元に、
連日多くの人達が詰めかけている様子が映し出されていた。
傷の手当てを求める人に混じって、地震で直接的に外傷を受けていなかった人も、
後になって身体のあちこちに痛みや具合の悪さを感じて診察を受けに来る。
それらの殆んどがメンタルなものだと言う。
どこも怪我はしていないのに激しい痛みがあり不安を訴えてくる。
薬品が足りなかったり医療設備も充実していない中では、
そういった症状はつい見過ごされやすいが、時にそれは命にも関わりかねない。
この医師は訪れる一人一人に向き合い、丁寧に訴えを聞いていた。

診察を待つ人々の中にいたある女性は地震で家と2ヶ月の赤ん坊を失った。
腕には2歳ぐらいの赤ん坊に近い幼児を抱えながら、彼女は悲嘆の涙にくれていた。
「あの子を思い出すと悲しくて涙が止まらない。眠れない」と言って。
見ているだけで悲しくてたまらない。

「あそこの国、いいね。羨ましい」
一緒にテレビを見ていた長男の呟きに、ギョッとする。
このひどいありさまが羨ましい?
「なにが!?どういう意味?」思わず激しい口調で聞き返す。
「だって・・・
 あの国では親が子供を殺したり子供が親を殺したりとかなさそうじゃん」
子殺し親殺し・虐待が連日報道される日本の現状と比較して言ったらしい。
「でも、あそこは今地震でメチャメチャに破壊されてるわけだし、
 そうでなくても貧しかったり医療が発達していなかったりで、
 子供の死亡率はもの凄く多いのよ。
 日本では何の問題もなく助かる命が、あそこでは助からない。それでも?」
「うん。それでも日本よりいい」

息子が何をどこまで考えての言葉だったのかはわからないが、
確かにそれも一理あるような気もする。

愛する子供の死を悲しむ親と、子供を愛せずに殺す親のどちらがより不幸だろうか。
幼い子供に心を残しながらも命が尽きる親と、子供に憎まれ殴られる親のどちらが。
生き難さを感じる人や鬱病患者が多い日本と、自殺する人がほとんどいないパキスタン。
どちらがいい国なのだろう。
どちらがいい人生なのだろう。

命が大切。人が大切。子供が愛しい。親がありがたい。
それが当たり前でないのなら、
いくら経済水準が高くても環境が良くても、豊かでもなければ平和でもない。
私たちはそんな一面を持つ国に暮らしている。

バーチャルな激情

BBSやチャットでの文字のやりとりだけで、
好ましく思ったり、嫌いだと感じたりはもちろんある。

しかし、恋したり、殺したいほど憎んだりする人もいるというのが、
私にはどうも理解できない。

実像・全体像もわからずに、また実益・実害すらないというのに、
大きく揺さぶられる感情。

足りない部分を想像で補ってしまう脳の働きが
欲しい刺激を作り出してでもいるのだろうか。

ときめきを求める人は、
好ましいと想定した相手が発する言葉の意味を理想化して読む。
うっぷんのはけ口を求める人は、
気分を害する口調の文から攻撃の意思をことさら強く受け取る。

それはリアルの場でもありがちではあるが、
ネットというバーチャル世界では、より強く現れるものなのかもしれない。

出会い系で知り合って会う会わないで盛り上がってる人の日記や、
意見の食い違いから喧嘩になり、
一晩中書き込み続けている人達のいる某掲示板を見てそんな事を思った。

「こんなに苦しい気持ちにさせられて、どうしてくれるのか」
どちらもそんな事を言っている。
いつの間にか被害者面なのは、はたから見て笑える。

ネット接続を切れ。
それで終わりだ。
GAME OVRE

週末の修理屋

近所の人から電話がかかった。
パソコンのCD部分が壊れたとの事。
夫に言うと、余っていたCD-ROMのハードを持って帰ってくれたので、
週末にパソコンを預かってきて、チャチャっと付け換えてもらい、修理完了。
またすぐ持ってって設置して動作確認。ほんの一時間もかからなかった。
ものすごーく恐縮されて、ものすごーく尊敬の眼差しを受けて、
かえって申し訳ないような気分。
「修理代は?」と聞かれたので、
どうせ使わない部品だったからいらないと言うと、
後で缶ビールを1ダース持ってきてくれた。
こんな割のいいバイトなら、毎週あってもいいな~と夫と二人で笑った。

煙草と女性

社会に出たばかりの頃、
別のデザイン事務所に入社した友人がタバコを吸い始めた。
清楚で真面目なイメージの彼女とタバコが似合わなくて理由を聞くと、
会社の女性の先輩に
「この業界は女もタバコを吸うのが当たり前」
「タバコぐらい吸ってないと
 取引先や組んで仕事をする他のクリエーター達になめられるよ」
と勧められたのだそうだ。
はったりも実力の内といった考えを持つ人はたまにいる。
“飛んでる女”を演出したとして、
イメージで人を値踏みしたりなめたりするような相手と
一体どれ程の仕事ができるというのだろうかと、
私は信じられないような思いで聞いた。
彼女は人に振り回され利用される事が多かったように思う。
上司や同僚からセクハラされるという事も度々あった。

ブログの「まえおき」に見る防御の姿勢

ブログで見かける前口上に
「不快に感じる方は読まないで下さい」とか、
「コメント歓迎ですが批判は受け付けません」というのをよく見かける。
あれは何だろう? とても奇妙だ。

他人が読んでは不快に感じるのはその人の勝手。
コメントを受け付けるなら
意見に賛同されるのも批判されるのもあって当然ではないか。
公開されたものを読む読まないももちろん受け手の判断で、
それを書き手が選ぶ事はできない。
見て欲しくない人がいるなら、こっそり日記帳にでも書いておけばいい。
それか仲良しさんにメールで送って読んでもらえと言いたい。

気に入らないコメントが入るからと、
「本当はしたくないのに」と言いながらコメント不可にする人もイヤラシイ。
なに他人を悪者にしているんだか。
真面目に取り合うほどもないひどい中傷ならサクッと削除すればいい。
話をしたくない内容の場合も回避の仕方はいくらでもある。
いちいち読んではムカッ腹を立てたり傷ついたりと
取り合ってるのは他ならぬ自分自身であり、コメント不可にしたのも自分。
誰かの圧力でさせられたのではない。

また、コメントに対する処しかたにも人間が表れる。
明らかに悪意を含んでいたり、無意味でくだらない文字の羅列に対してでさえ、
いつも思いやりを持って真面目に答えている人の文は読んで気持ちが良い。
その思いやりは相手にだけではなく、読み手全体に向かう大きな意識だからだ。
この場合、自分をよく見せようとするのと、人の気分を害さない配慮は違う。
似たような受け答えでも嫌な印象を与える人はいる。
それは大抵、自分を大きく高く見せて優位であろうとしているからだ。
そんな人はどう取り繕っても言葉の端々に他への侮蔑の意をにじませてしまう。

私がこれまで読んだブログの中で特に嫌な印象を持ったのは、
コメントした人の挨拶に対していちゃもんをつけていた人だ。
「よかったら私のブログにも遊びにきてください」
「これから仲良くしてくださいね」
そんな普通よくありがちな親しみの表し方に、
「どこに見に行こうが私の勝手。指図される覚えはない」
「よく知りもしない相手と仲良くできない」と返すのには、首をかしげてしまった。
自分にウソのない生き方を信条にしているらしいが、
何もそこまでヒステリックにうわべの付き合いを拒絶する事はない。
このように受け流す事が苦手な人というのは、
当たり前だが、他人を受け入れる事もできはしない。
孤独を孤高と置き換えて、
「これでいい!これが私なんだ!」と声高に叫ぶかのような論調が多いのが
印象に残っている。

人間誰しも痛いところは触られたくはない。
ガードするのは自然な事と言えるだろう。
しかし、ケガから目を背けてどこが痛むのかさえ知ろうとしない人は
そのいびつな防御姿勢でどうでもいい物を守っているようにしか私には見えない。
本当に大切な部分を引き換えにして。

ニコチンの操り人形

喫煙者は、ニコチンの禁断症状でのイライラを
タバコを吸いたい欲求からだとは認めない。
「難しい仕事や嫌な出来事でストレスが溜まっていて、
 タバコでも吸わないとやってられない」という言い方をする。
そして一服して落ち着きを取り戻す。

タバコを吸わないと能率が落ちるけれど、
吸うと仕事の能率がUPするなどということがあるだろうか。
それは正に、覚せい剤を使用すると
感覚が鋭敏になりいい音楽が作れると言うアーチストと同じ「いいわけ」だ。
物の作用によって自分以上の自分であろうとする段階で病んでいる。

かく言う私もタバコをまったく吸った事がないわけではない。
若い頃はカッコ付けと、自分が吸うくせに「女が煙草なんか吸うもんじゃない」と言う
男尊女卑なオヤジ達に反発を感じて人前でわざとふかしてたことはある。
ただ汚い煙を肺に入れるのには抵抗があったため本当に金魚で、そのうち面倒になった。
またつい最近、「煙草が旨い」という人の話で
味わいに関心を持って吸ってみた事もあるのだが、
一服で肺の中にべっとりとヤニの膜が付くような胸苦しさと動悸があり、
手足の指先の末梢血管が収縮して冷たくなるのを感じてすぐにやめた。
血流量の急激な変化は、確かに実感できる。

タバコを吸うと血行が悪くなるのはもちろん末梢血管だけではない。
全身の血管が収縮する為、血圧が上がり、血栓や動脈硬化ができやすくなる。
そのため脳も「酸欠状態」となってしまい、記憶力、判断力ともに低下する。

また、ニコチンは脳内の神経伝達物質の代用を務めるために、
本来なら自然に脳内で分泌されていたはずの神経伝達物質は作られなくなる。
結果、タバコがないと精神的に不安定な状態となる。

タバコとは人間の機能や能力を高めてくれるわけではなく、
健全な肉体と精神を損い、それを補う為に慢性的に必要とさせる薬物なのだ。

喫煙者はそれでも旨いから、好きだから吸っていると言う。
しかし、旨く感じさせているのもニコチンの作用。
「好きなんだから仕方がない」なら、そう、本当に仕方がない。
害があると知っていてもやめられない人を、他の誰も止める事はできないだろう。
それは、不倫・浪費・借金・ギャンブル・過度のメール・過食・アル中と同じ。
しかし、なかなかそうとは認めないのが、
この世に広く蔓延する依存症の恐ろしいところだ。

当たらず砕けずの完璧ライフプラン

失敗をしたことのない者が、失敗した人をなじっている。

あそこが悪い。
ここがダメ。

とてもご立派な意見。見事な理論の展開。
これからさぞや輝かしい人生を送られることだろう。

失敗を恐れてばかりで
まだ成功もしたことがない「これからの人」は。

喫煙はビョーキ

“愛煙家は患者”“喫煙は病気”と
日本循環器学会など9学会の合同研究班が認定したそうだ。
今更何を言ってるのだろう?と、私にはそれが驚きだった。

タバコには常習性があり、吸い続けている人は当然のごとくニコチン中毒なのは
これまでとっくに周知の事実ではなかったのだろうか。
禁煙する際に一切ニコチンを断つとイライラや集中困難などの禁断症状が出る。
それは麻薬と同じ。
症状に耐えられなくて挫折するケースが多いからこそ、
少量のニコチン入りの禁煙用製品や、
皮膚から吸収するパッチなんてのもあったりするのだ。

タバコ呑みの人にタバコのメリットを聞くとまず最初に「うまい」と返ってくる。
他に「気分転換になる」「落ち着く」「ストレス緩和」ぐらいだろうか。
女性なら「やせる」という答えも出るだろう。
けれどこれらは決して実質的なメリットでない。

通常、物を燃やした時に発生する煙とはケムイものだ。
にも関わらずタバコの煙に含まれるヤニの刺激的な匂い・味を「うまい」と感じるのは、
ニコチンを欲する体がその味と快楽を結びつけて錯覚を起こしているからにすぎない。
「気分転換になる」「落ち着く」「ストレス緩和」になるというのは、
裏返せばタバコがなければ「気持ちの切りかえができない」
「落ち着きがなくなる」「ストレスが溜まる」という事だ。
「やせる」のは、有害物質の排除に体内エネルギーが無駄に消費される為であり、
健康的なダイエットとは言い難い。

デメリットを上げればきりがない。
タバコは肉体的、精神的、金銭的に負担をかけるばかり。
まさに「百害あって一利なし」と言われる所以だ。

特に女性の喫煙は、健康面、美容面ともに問題が多い。
若い女性は妊娠してからタバコをやめればいいと思っている人が多いが、
それ以前に卵巣の卵母細胞や排卵された卵子の遺伝子を傷つけている事を知る人は少ない。
近年増加傾向にある月経不順・無月経・不正性器出血を引き起こす原因でもあり、
喫煙者は非喫煙者の72%しか妊娠能力を有さないという報告もなされている。

そしてもし運良く妊娠したとしても、妊婦の禁煙は通常時より困難だ。
ホルモンバランスの急激な変化で肉体的にも精神的にも不安定になる時期に、
強い意志を持ってこれまで続けてきた習慣を断てる人がどれくらいいるだろうか。
罪悪感や不安感を持ちながらも喫煙をやめられない母体が胎児に与える影響については、
私がここで書くまでもないだろう。
ここ最近、赤ん坊の出生時体重は減少し続けている。

また、美容面から見てもデメリットだらけだ。
肌荒れに悩んで高価な基礎化粧品を揃えたりエステに通っている女性が
ヘビースモーカーなんて話には笑うしかない。
タバコは大量のビタミンCを消耗するため、
いくらサプリで補おうとしても追いつくものではないのだが、
有害物質を取り入れながらもビタミン類を過剰摂取するという
イタチごっこに興ずる人には、その不自然さは見えていない。

タバコを吸う女性で美しい人を私は知らない。
どんな美人でも鼻から煙を出したり口がヤニ臭かったりすれば台無し。
それは私の個人的な思い込みでもないようだ。
ファイザー株式会社という所が出した
「「男女の恋愛における禁煙意識」に関する調査」によると、
男性の6割が女性の喫煙を好ましく思っておらず、
7割がタバコを吸わない人を結婚相手に選びたいと回答している。
また、教えて!gooの「女性の喫煙のイメージ」についての質問でも、
好印象を持つ人は少ないのがうかがえる。
“疲れきった女”“スレた女”“イラついてる女”との意見は辛辣だが、
ほぼ私も同じように感じている。

タバコに害があるといっても法律で禁止されているわけではないので、
私は吸いたい人を非難するわけではない。

ただ、ないと普段の自分が保てないモノがある人というのは、
それが何であろうと「お気の毒」と言うほかないなと思うだけだ。

喫煙常習者は、立派な依存症。
「男らしい」「自立している女性」「都会的」「ワイルド」「理知的」等々、
そんな宣伝広告によって作られたイメージに洗脳され踊らされている
哀れな患者達なのだ。

負け犬ドリーム

「絶対にこの人でなくてはダメ」が錯覚なら、
「こんな人ではダメ」も同じこと。

幸せをくれる人などいはしないのに、
不幸をもたらす人だけ存在するのはおかしな理屈。

“特別な私”につり合う白馬の王子様なら愛せるはずの
夢子の夜明けはまだまだ来ない。

生ニャッキ再び

仕事をしていると、子供部屋でチビが
何とも言えないような悲痛な叫び声を上げる。
慌てて見に行く。

泣きべそで小さな玩具を入れていたかごを指差して、
「幼虫が・・・」
見ると、頭だけ茶色いウジ虫がコンニチハ。
ゲゲッ。なぜ?
生ものとかこんなところにはないはずだけど?
や、や、や、や、
どんぐり、だ~~~~。
小さな穴が空いている。二つ。

すぐにティッシュにくるんで捨てる。
他にもないか聞くと、あちこちに入れているよう。
探させると、やはりそこにも虫がわいていた。
持っているのを全部捨てるように言って、掃除機をかける。

その後、仕事部屋に戻ってくると、
仕事用のゴミ箱にドングリがそのままザクザク捨ててあった。
ああああそんなにも・・・しかも・・・穴、空いてるよ・・・。
この中にニャッキが何匹いるんだろうか・・・(;´Д`)ウチュ・・・。

本屋のゆくえ

書籍をネット注文する人の増加と大型書店の出店ラッシュで
中小書店が立ち行かなくなって廃業する所が多いようだ。
私が子供時代から馴染みだった広島市本通りの本屋も
今は携帯ショップになってしまった。
それはとても残念だが、時代の波には逆らえない。

私は書籍のネット販売が伸びて行くのは予測はしていたものの、
リアルの書店の存在価値というものも大きいと考えていたので
これほどまでに急速に件数が減っていくとは思っていなかった。

何の気なしに立ち寄った店の棚で思わぬ出会いをする事がある。
並んだ本の背表紙をざっと横読みして、
「ん?」と食指にかかる物を見つけるのは楽しみの一つだ。
たまたま目に入ったタイトルでひかれる物、
装丁で手にとってしまうもの、そんなきっかけから、
まったく関心がなかったはずの分野に連鎖的に興味が移ったりもする。
ネットだと検索一発で目的の商品に行き着くので、「おすすめ」や
「この本を買った人はこんな本も・・・」という広がる要素もなくはないが、
売り手が用意してくれた中からでは、
胸躍るような冒険への扉を見つけるといった気にはなれない。

そんな思いもあって、
ここは既存の書店になんとか生き残って欲しいものだと思ってはいるのだが、
反面、このままでは淘汰されていくのも仕方ないかなという気もしている。
もはや本屋の店員はただの「物売り」になってしまっているからだ。

先日、ある専門誌を購入する為に書店に行った。
誌名と出版社をネットで調べて行ったにもかかわらず、
店員はその本を見つける事ができなかったばかりか、
いつ入荷するさえわからなかった。
一応、リストのようなものを調べてはくれたが
「ありませんねぇ」のひと言だけ。
昔はすぐ「お取り寄せしましょうか?」と来たものだが、それはない。
「すみません」と頭を下げられておしまいだった。
普通一般で売られていて特殊な本ではないし、
少し足を伸ばして遠くの大型書店に行けば手に入るものなのに。
私は帰ってネットで注文し、三日後に近くのコンビニで手に入れた。
ついでにバックナンバーも一緒に。

また、探している本があっても、場所をすぐに言える店員は少ない。
尋ねても「この辺になかったらありません」という返事をされるとガックリ来る。
本が好きな人ではないんだな、とよくわかる。

今は私は欲しい本はネットで購入するので、
本屋は、全体を見回してだいたいの売れ筋の傾向を知ったり、
ツマミ食いならぬツマミ読みをする場所となっている。

本屋はこれから先も生き延びる事ができるだろうか。
それ以前に紙媒体も怪しいしなぁ・・・。

聞くは一時の恥

夕食を作りながら小三の娘と話をしていた。
子供にもわかる言葉で話しているつもりでも、
時折「その○○って何?」と聞かれて説明する。
わからない事をすぐその場で聞くのはいい事だと思い誉めてやった。
娘は学校でも疑問に思ったことはすぐに先生に聞くようにしているらしい。
「そうそう。『聞くは一時の恥。聞かぬは一生の恥。』というからね」と言うと、
早速「何それ?」と返ってくる。
説明してやり、例に取り上げたのが
「飛ばんよなぁ」でお馴染みのApeos(アペオス)のCM。
「あのApeosが何かわからない人は、
 知ったかぶりをするから困った事になっているでしょ。
 最初から「そのApeosとは何ですか?」と聞いていたら教えてもらえて、
 CMはあの1回で終わったの。
 聞くタイミングを逃したから、今更聞くに聞けなくてもう3回も恥をかいてるよ。
 シリーズ化しちゃった。あれが一生続いたらどうする?
 CMの人は最近ではわからない自分を笑う余裕さえ出てきてるけど」
なんて話をすると娘は笑い転げる。
で、聞かれた。
「Apeosって何?」
・・・・・・はい。わかりません。
Webサイトで調べてみた。
たぶん、あのCMを見て検索をかける人は多いはずだ。
見事な戦略。
しかし、内容を読んでもやはり何の事だかわからない私なのだった。
Q&Aの最後の項目には笑ったが。

ホワイトバンドの簡単な説明

「よく見かけるけれど何だかわからない。」
「説明を読んでも意味がつかめない。」
という方の為の私なりの解釈。

ホワイトバンドとは、
> もともとホワイトバンドは開発途上国のNGOが
> 自国政府に対して貧困問題をアピールするために、
> 白い包帯やひもなどを手首に巻いて運動したことから始まった。
のだそうだ。

しかし、それが商売人の手にかかると
世界の貧しい人々を何とかして救いたい気持ちを表すシンボルになる。

「『よい心の持ち主』は持っている。」
そんな“おふれ”が出された国の国民は、どうするだろうか?
それがこの現代版「裸の王様」。

痛み苦しみを表す白い包帯を、
肥え太った人々が嬉々として身につける。
「世界を救えー!」「オオー!」
「貧困をほっとかないぞー!」「オオー!」

やってろ。

私には王様のきれいな服は見えない。

善意の仮面舞踏会

ホワイトバンドについて、
「問題や不明点は多々あっても、『やらない善』より『やる偽善』」
というご意見をお持ちの方もいる。

「貧困についての問題意識を持ってもらえることに
 貢献したんだからいいんじゃないの?」と言う方も。

確かに、ああだこうだと言って何もしない善意は意味がない。
しかし、偽善はどこまで行っても偽善。
発露が純粋な善意であるなら、偽善にはならない。

「大口たたく」より「小さな親切」というのが本当なんじゃないのか?

ほんの少しでも、たった一人でも助かる人がいるなら、それは「善」。

製造メーカー、運送業者、広告屋が儲かるように
イベント屋が仕組んだのは、「商売」。

対象とされた(宣伝に使われた)人達は、まだ誰一人助かってはいない。

それどころか更なる悲劇を招く恐れは大きい。
貧困は軽減されず、内戦の激化により
人々の命はこれまで以上に危険に追い込まれるシナリオ。
笑う武器商人・・・。


困っている人を助けたい気持ちは確かに尊い。
それがなぜこんな事になるのか。

目の前ではなく、
見たこともない誰かさんを助けようする気持ちに「偽善」があるからだ。
身近に問題意識を持てない人が、どうして世界を憂う事ができようか。

「愛とはこの人の為に何ができるか」

この人とは誰?
助ける為に何ができるの?

それがわからない行動は「善」ではない。

善を偽った「欲」だ。

金儲けしたい欲を持つ人達が、
いい人に見られたい欲を持つ人達を躍らせている。

ホワイトバンドの悩み

問題点への回答と思わしき記事にトラックバック。
→ホワイトバンド・プロジェクト公式HP
 「ホワイトバンドプロジェクト。」
消されても私の思想を表明したという事実は残るのでまったくOK。(笑)

貧困をなくすためにはどうすればいいのか。
一緒に考えてください。
この大切なお金をどう使ったらいいのか。
アイディアも下さい。

だそうだ。

つまりは「何をするかはこれから考える。」という事。

ホワイトバンドを購入して、「ほっとけない」意思を表明した人は。
そんな活動に賛同したのだ。

しっかり責任を果たせよ!

白い腕輪のたくらみ

TSUTAYAのレジ前に白いブレスレットがたくさんかごに入れて置いてあった。
安っぽさに何かの景品かと思ったが、そうではないらしい。
「ホワイトバンド・プロジェクト」という募金のようだ。
一つ300円。
何か嫌な感じがしてしまった。

いま、世界で
3秒にひとりの子どもが
貧困で命を落としていることを
知っていますか。


というコピーを添えて売られているちゃちな白いブレスレット。
象徴的なものを「買わせよう」という目的と、
物のセンス自体が私の美意識に反する。

そんなもの、いらない。
募金なら募金だけの方がよほどスッキリしている。
製品を作ったり配送するのに使うお金は無駄。
不自然に目立つホワイトバンドを腕にする人とは、どんな人なのだろう。
300円で買った物を身につけて、
世界の貧しさに立ち上がる心優しき善意の人に変身できる人物とは。

すごくひっかかる。何か気持ちが悪い。

そう思って帰ってネットで調べてみた。
「ホワイトバンドの問題点」
寄付金0。やっぱりね。

高尚な名目と有名人も参加してる活動という事でブームになっているらしいが、
ホワイトバンドを買おうかと思う人は、
自分が本当は何がしたいのか、本当にそれが必要な物なのか、欲しいのか、
よく考えてみるべきだ。

「世界の貧しさをほっとけない」のは、自分が持っていた気持ち?
「世界の貧しさをほっとけない」なら、自分がするべき事は本当にこれ?
「世界の貧しさをほっとけない」としたら、どうしたらいいか自分の頭で考えた?
どんな意味があるのか、何が役に立つのか。

安易に何かの仲間になって、お手々つないで「エイエイオー」の善意で、
何をどう「ほっとけない」決意を示すと言うのか。
騙されるとか、誰かが儲けるとか、そんな事が問題なのではない。
良い人の資格を金で買おうとしてる気持ちがないかということが問いたいのだ。
思いを人に伝えるなら、行動あるのみ。
その行動が目印を身につけるなんてのは、お粗末で話にならない。
(実際、話もせずに販売している:笑)
私は赤い羽根共同募金の赤い羽根でさえいらないと思っているぐらいだ。

世界同時リアクションで貧困根絶とは、何とおめでたい脳細胞だろう。
必要なのは思想メッセージの広告付き商品ではなくて、「教育」だ。
それも先進途上国だけでなく、むしろ先進国の。
自分達が何をやっているか知りもしないで、理念だけで世界が動かせると思っている。
日本の「ホワイトバンド・プロジェクト」は、
首相に国連で「世界の貧困を削減する」と言わせる事を目的としているというのだから驚きだ。
偉いさんを動かしたら変えてくれる?
自分達の生活はこれまでとこれっぽっちも変える気なくて?

世界の貧困はなにも遠い地域の出来事ではない。
すぐ隣に貧しく困っている人はいる。
それなのに、
その人達には何もできないホワイトバンド。
一人では何もできないホワイトバンド。

私たちの価値観を世の中に示すときは、いまです。

さあ、あなたも参加してください。
ほっとけない世界のまずしさ。


300円でどうぞ。

ここが地球の真ん中です

永六輔さんの講演を聞きに行った。
1時半開演で時間に合わせて行ったら、すでにステージに立って話をされていた。
早くから会場に来ていた人が多かった為、前座として話を始められていたのだ。
こんな講演会は初めて。

時間が来て、改めて紹介されて正式に講演会が始まった。
第一声の「はじめまして。永六輔です」で会場がドッと沸く。
お客にはお年寄りが多いので、そちら中心の話題が続く。
物忘れについて、年をとったと思う事リスト、
よい医者の十か条、野坂昭如さんから聞いた脳梗塞のリハビリの体験談等など。
面白おかしい語り口はラジオよりも冴えていて、笑い声がたえない。
年をとっても女性はよく笑う。
男性の姿もちらほらあったが、後ろからわかりにくいけれど
肩が上下している人はいないように見受けられた。

違うものだなと考えていたら、丁度、永さんが男女の平均寿命の話をしはじめた。
男性76歳。女性83歳。
長生きをしている人を調査した政府資料は極秘扱いされているらしい。
「なぜなら、女性で長生きしている人の殆んどは、
 夫が早くに死んでいるという結果が出たから」という所でまた大うけ。

うん、なるほど。笑いを解さないしかめっ面の夫がいないほうが、
こんなふうに奔放に笑うことができて長生きなのかな?なんて一人納得する私。

そこで永さんが出された、「早く未亡人になる方法」は以下のとおりだった。

1.食事は塩分・糖分・脂肪分たっぷりの物を多く食べさせ、
 アルコールも好きなだけ飲ませること。

2.孤独にさせること。家族団らんの場に旦那さんが来たら、ピタッと話をやめて、
 静かに嫌な雰囲気にして、旦那さんが部屋を出たら笑うという事を繰り返す。

3.趣味を取り上げること。ストレスを解消させないようにする。

4.寝不足にする。寝ていたら起こす。夜中にトイレに行くたびに踏む、など。

5.顔を見るたびに「顔色悪いね」と言うようにする。

6.聞こえるように子ども達と「お父さんがいなくなっても頑張ろうね」と言って
 不安がらせる。

と、三ヶ月でご臨終になるそうだ。

しかめっ面の男性方がますますしかめっ面になったかどうかわからないけれど、
永さんは、すぐこの話はなかったことにして撤回された。
そして、「夫を長生きさせる方法」を話されたのだった。
↑の逆。(笑)

そして、一番旦那さんにとって嬉しいのは嫁と姑の仲が良いことなのだと言われた。
嫁が「お母さん、ありがとう」と言えば、
姑は嬉しくて近所に「うちの嫁はいい嫁で」と触れ回り、
それがめぐって旦那さんの耳に入ったらこれほど嬉しいことはない。
「よーし、家族の為に頑張るぞ!」とバリバリ仕事に励んで・・・早死に。
もう、大爆笑の渦になった。

今回の講演のテーマである「ここが地球の真ん中です」については、
最後の最後にひと言だった。
「地球は球形なので、どこでも真ん中です。言った者勝ち」

永さんは、講演会のタイトルを書いたたれ幕の達筆の筆文字を誉められたり、
最後にご本人が手話通訳をされていた二人の女性を呼ばれて、労ったりされて、
とても細かい心配りをされていた。

話の内容も、進行も、そういった人への配慮にしても、すべてにおいて型破り。
いい意味で人の期待や思い込みを裏切る。
発想の転換の連続。それがとても面白い。
今回はとてもいい勉強になったと思う。

大掃除準備

来週の秋季町内大掃除に先駆けて、
私の班では一週間前に草刈りをする事となった。
全体で出ると草刈り機が足りなくなってしまうからだ。

今朝8時半に集合場所に行くと、皆すでにが集まっていたが、
草刈り機のエンジンがかからずに困っていた。
三台が三台とも何度スターターを引いても始動しない。

それを見た夫はすぐに「こりゃぁ、バラした方が早い」と工具を取ってきて解体し、
とりあえずその辺にある材料を利用して手早く直してしまった。
知識や技術だけでなく、機転を利かすのがうちの夫の得意技。
お金に余裕はないので日頃からあるものでなんとかする工夫は身に付いている。
見守っていた女性陣から「すごいね」「さっすが~」などと言われて、
私は鼻高々。別に私の手柄ではないのだけれど、気持ちイイ。

夫はいつも車庫でバイクをばらしたり、自転車をばらしたりしてて近所では有名で、
この辺の子供は自転車の具合が悪かったら皆うちに持ってくる。
まったく本職には関係ない、楽しくてストレス解消になる純粋な趣味だから、
夫は誰に何を頼まれても快く引き受けて嬉しそうにやる。
私は夫のそういう所がとても好き。
たまに手に負えないときには「ゴメン」ってあっさりしてるのも彼らしい。

今日は軽く草を刈るだけの予定だったのだが、
結局みんなが張り切って作業したので
掃除を終えてしまい、次の日曜はフリーということに決まった。ラッキー。

来週はよその班が、何事もなかったように草刈り機を使うことだろう。

来年度の方針

夜は自治会の運営委員会。
いつもの役員会と違って各班長も出席するので人数が多い。
議題は来週の大掃除の事と、
今年度はじめの総会で大揉めになった自治会費値上げの件。
昨年度予算から思い切った削減をして、
イベントを一切取りやめたとしても赤字予算。
どうあっても値上げは避けられない。
しかし「払えない」と言う人がいる。それをいかに説得するかに知恵を絞る。
「払えない」と言われても、必要なものは必要なのだ。

総会で新しく役に就いたばかりだった自治会長は強硬な姿勢に出て
猛反発を喰らったせいか、最近はだんだんと丸く穏やかになってきていて、
強気な発言をしなくなってしまった。
色んな立場の人の意見を聞く機会が増えて、
立場を考えるようになってこられたのかもしれない。
そうなると、代わりに私が過激発言をしたくなる。

「値上げ反対の方には、ぜひとも予算削減の代案を示してもらわなくては!」
「役員報酬が無駄だと言われるなら、
 その方が無報酬で役員をやってみればいい!」
「自治会を抜ける人には、実費で費用を請求するべきだ!」
「請求しても払ってもらえない? それでもいいから
 毎月きちんと請求し続けて、
 累計でいくら自治会が貸していると突きつけてやれば?」

自治会に入ってもらったり実費を払ってもらう事に強制力を持たないからと
頭を抱えるばかりの人達が、私からするとひどくもどかしい。
性悪の私は“イケズ”の方法ならいくらでも出せるから(笑)。

しかし会長は「そうは言っても・・・」とやはり及び腰で、
そういった対策はまだ保留にしたまま、
とりあえず自治会費値上げの根回しを各班長さんたちにお願いして会は終わった。


私はこの町に来て11年になるが、自治会の様子に関心を持ったのは去年からだ。
それまでは何もわからなかった。
たまたまあみだくじで育成会会長になったのと、
たまたま今年、持ち回りでブロック長に当たっていた人の都合が悪くて替わって、
二年連続で役員をする事になってしまっただけ。
それでも内情を知れば、何とかしなくてはという思いがわいて、
つい熱くなってしまう。
しかし、こういった活動も来年3月までの任期。
後は町内研究会にでも入って、お手伝いができる事があれば
させてもらうのもいいかな、なんて考えていた所、
会長に驚くような事をお願いされてしまった。
私に、
「来年度も、今度は相談役として役員に残ってもらえないだろうか」と言われるのだ。

何度も衝突してきて、絶対うるさがられてると思ってたのにとても意外だ。
相談役とはこれまでは前の自治会長とかがされていたような役職。
女性でまだ若輩者の私がなっていいものなのか戸惑ってしまう。
会長からは「ご主人とも相談した上で是非とも色よい返事を」という事で、
返事はまだしていないのだが・・・・・・まず、来年度も忙しい事、確定!

燃える闘魂はさらにさらに燃えそうだ。

今日買った本

街に出たついでにBOOK OFFに立ち寄って本を買った。
斉藤孝先生の「嫌われる言葉」
「働く気持ちに火をつける──ミッション・パッション・ハイテンション」
「喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!」(倉田真由美共著)。
ここ最近、斉藤孝先生の本にはまってて、全部揃えたいと思っているので
いい買い物ができたと思う。
安く買えるものなら安く買い、なければ取り寄せてでも読みたい。
斉藤先生は、ご自分が上機嫌だから人も上機嫌にしてくれるパワーを持ってる。
調子乗りの私は気持ちよく乗せられるって感じなのだ。
本を買っただけで元気が出た。(た~んじゅん)

変化

久々に広島市の中心地に出た。
小学校の祭りでステージにかけるPOPを作る画材を買いに。
子ども達四人も付いてきた。
田舎の子なので、特に用もなくても町に出たがる。
ゾロゾロと引き連れて電車に乗り、ゾロゾロ引き連れて買い物をする。
「疲れた、喉かわいた」なんて声は無視無視。

私は夜には用事があったため、
回るところを回ったらのんびりする暇もなく帰る。
また電車に乗って外を眺めていると、
久しぶりに見る町は、新しい店ができていたり、
いつの間にか大きなビルが建っていたりで大きく様相が変っている。
昔は「わが町」だったものが、今は遠い他人顔で一抹の寂しさを感じたりする。
けれど、何より変ったのは私かもしれない。

懐かしい気持ちはいっぱいなのだけど、
とても違和感を感じてしまう自分がそこにあった。
歩きながらもそうだったけど、あちらこちらが汚く見えてしまうのだ。
刺激的で楽しかったはずの雑多さが、古さの上に新しさをつぎはぎし、
薄汚れた上っ面にケバケバとした塗装を施しただけに感じて
ゴミゴミとしたアンバランスさばかりが目に付いて不快だったりする。
何だろう?この感じ?
そんな事を考えながら帰路についた。

一つ一つのビル、店舗が独自の世界を作って強く自己主張をしている中では、
視野を狭くして、ピンポイントで物を見る必要があるのかも知れない。
スポーツ用品店とメガネ屋の隣に、いきなり小粋な創作懐石料理の店が
舞台のセットのような存在感を放っていても、
「ここはそういう所なんだ」ときっぱり分離できる見方が必要で、
いちいち一つ一つを注視したり、全体を感じるセンスはむしろ邪魔なものなのだろう。
そこには現代人の心のありようが表れているようでもあるし、
逆に環境が精神に影響を与えているとも考えられる。

ストレス社会と言われるけれど、
ストレスに囲まれている事にすら気づけない状態では、
いくら「癒し」を求めても難しい。
敏感だから疲れるのではなく、感覚を誤魔化すように抑え込むから病んでしまう。
私はどうもそんな気がする。

かつての街と今の街、今の暮らしと対比してなんとなく見えてくる物があったりする。
それは、私が立派に田舎の子になっている証拠かな?

真夜中のギター

  街のどこかに 寂しがり屋がひとり
  いまにも泣きそうに ギターをひいている
  愛をなくして なにかを求めて
  さまよう 似たもの同士なのね
  ここへおいでよ 夜は冷たく長い 
  黙って夜明けまで ギターをひこうよ

  空をごらんよ 寂しがり屋の星が
  涙の尾をひいて どこかへ旅に立つ
  愛をなくして なにかを求めて
  さまよう 似たもの同士なのね
  そっとしときよ みんな孤独でつらい
  黙って夜明けまで ギターをひこうよ


私は幼い頃からひとりで過ごす事が多かった。
ひとりに馴れると、たまに人と一緒にいると疲れる。
なるべくひとりになりたかった。

けれど、眠れなくて真夜中に夜風に当たったりしていると、
電灯の消えた真っ暗な家々のシンとした佇まい、
時折通る車の音、冷えた空気の降りてくる匂いに、
たまらなく寂しさを感じる事があった。
「誰か!」と心で叫ぶ。
その誰かは誰でもないのだけれど。
本当に親や友人に側に来て欲しいわけではない。
でも「誰か!」なのだ。
私が、今、ここに、いるのを誰にも知られていない寂しさ。
誰にも意識を向けられることのない、漆黒の闇。

そんな時によく口ずさんだ歌だ。
闇の向うに同じ孤独をかかえた人がいるのを感じながら。

それは同じ魂を持つ「かたわれ」。
結局、めぐり会うことのなかったその人は、
今、どんな人生を過ごしてるのだろうか。
私と同じように家庭を持って、
昔、寂しい夜があった事も忘れているかな。
なんて、
秋の夜長には、そんなトンデモな幻想を追ったりする。

この曲はUAがカバーしてるらしい。
今度、聴いてみよ♪

うたげ

 えんのよひ  さいてはちりぬ  はなみだれ

               めぐりめぐるは  ひとよのえにし
 


宴の宵 咲いては散りぬ 花(話)乱れ めぐりめぐるは 人世の縁

艶の酔ひ 咲いては散りぬ 花(華)乱れ めくるめくのは 一夜の縁

プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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