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旅立てない理由

行きたいところがある。どうしても行きたい。
旅行代理店に行き先までの座席状態と料金を問い合わせてみる。
その日なら、その料金なら、なんとか行ける。
行きたい。行きたい。
でも、、、難関がある。
夫が許してくれるだろうか。
山陰より遠いところだから日帰りは無理。
となると、子ども達の世話を頼まなければならない。
連れて行くのは予算オーバー。
夫に電話してみる。
ほとんど望みうすと思いつつも。
案の定、一言で片付けられてしまった。
まあ、ね。
このところ経営不振だしね。
来月は住宅ローンのボーナス月だしね。
私は週末の外出が続いてるしね。
何の用事もないのに私一人が遊びに行くのは勝手すぎとも言えるわね。
でも、
でも、どうしても行きたいのに。
行けないなんて。。。
落胆。

行けない。行かせてもらえない。行く事ができない。
受身の表現になってるな、と思う。
気持ちはそう、受身。被害者的意識になってるかもしれない。
やりたい事ができなくされてるって。

どうしても、どうしても、死ぬ気で体当たりするなら、
出来ない事などないんだけどね。
それはわかってる。
だから、そこまでの思いが私になかっただけと見ればそうかもしれない。

何としてでも行くのなら、
引きとめる手を振り切って出かけるだろうに。
夫を捨て、子ども達を捨て、家も仕事も生活も全て捨てても行くだろうに。
お金がないなら、ヒッチハイクしてでもたどり着く。
行く方法がないなら、最終手段はハイジャック!!!

いいとか悪いとか、常識がないとか、犯罪だとか、そんなことどうでもいい。
どうしても、どうしても、やりたい事があるならそれくらいやんなきゃなんだよ。

でも小さい私は、枠をはみだす事ができずにいる。
よき妻、よき母か~。
私が私のやりたい事が自由に出来ないような家、ぶち壊そうかな。
なーんて事思っては、
まあ待てモチツケ。ドウドウ、と自分をなだめる。

だからそんな受身の姿勢が間違いの元。
どうしても行こうとするなら行けるのなら、
「行けない」んじゃなくて、「行かない」と自分が選んだ結果じゃないか。

自分の選択を他人のせいにするから不満が出る。
もっと理解があればとか、もっと金持ちならとか、
子供がいなければとか、子供がもっと大きければとか。
現実でない「たら」「れば」を持ち出してもしょうがないじゃん。

100%何もかもが自分の思い通りでないのがイヤだなんて、
任せてないな。受動じゃない。
与えられる環境に対して受身で「させられる」事が多いと感じると、
何でも選り好みしないで喜んで受けるという姿勢になれない物なんだ。
同じ「受ける」立場に違いはないのに、受身と受動は大きな違い。

分離感が被害者意識の元なんだな~、なんて所まで掘り起こして、
一人で納得するのであった。(暇だね~)


しっかし、行きたい。どうしても行きたい。
来年は絶対に行くぞー!!
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迷走回路

自分の感情を疑うのは難しい。
この場合はこんな感情。
ああ言われたらあんな気持ち。
原因に対する結果は、化学変化のように整合性があるように感じる。
自然こみ上げてくる物に理屈などあるものだろうか。
しかし、
あるのだ。
感情の理由は。

過去のある一点。
またはそれを元にした積み重ね。

復讐心の根っこ

「やられたらやりかえせ」そう教えられてきた。
それが当たり前だと信じていた。
こちらに害を与えてくる者は、同じような目にあわせられて当然。
相手の気持ちがわからずにやってくるんだろうから、
わからせてやるのが親切ってものだろう、と。
復讐は正当と疑いもしなかったのだけど、
はたしてそれは、私がやりたくてやっていた事だったろうか?
そんな事を考えると、グラグラと足元が揺らぐ心地になるのだった。


幼稚園の頃、私は泣き虫だった。
親は「泣くな!」「負けるな!」「そんな弱いことでどうする」とハッパをかける。
子供同士のケンカで泣いて帰ると、
「やり返して来い」と言われ、中に入れてもらえない。
「やった相手を泣かして来い。泣いて帰るような子はウチの子じゃない」

そこで、さっきまで遊んでいた公園に行って相手をたたき返す。
今度は、負けるわけにはいかない。
家に入れてもらえないのだから。命がかかってる。

ケンカの原因も私の気持ちもどうでもよくて、
勝てば誉められ、負ければけなされ、泣けば怒られた。

泣いたのは喧嘩して叩かれた事自体が悲しく悔しかったのは確かだけれど、
ただそれを親に受け入れて慰めてほしかっただけだったと思う。
最初は。
だから「やり返す」時の感情には、
相手のした行為への腹立たしさよりも、
親に拒絶される原因を作ったとしての怒りが加わっていたのかもしれない。

やられっぱなしは損。屈辱。それは許されない事。(誰に?)
損を取り戻し、屈辱をはらせば、自分の存在は認められる。(誰に?)
「やられたらやりかえせ」は正しい事だった。(誰に?)


数年前、次男が2歳児反抗期の時期、
4歳のお兄ちゃんにメチャクチャしていた時があった。
使っている玩具は横から取るし、お絵描きの邪魔はするし、
叩いたりカンシャクをおこしたりと、好き放題。
長男に「小さな子は弱いから優しくしてあげて」と制してきたため、
次男は自分の方が強いんだ、優位なんだと勘違いしてしまったよう。
しかしあまりにも目に余るので、
ここらで本当はお兄ちゃんの方が強いという事を教えようと、
私と夫で長男に「たたき返してよし!」と許可を出した。
長男はためらいながらも、おそるおそる弟の頭をポカリ。
次男は痛くはなかっただろうが、初めて叩かれた事で驚いて泣いた。

しかし、それを見た長男も泣き始めたのは誤算だった。弟以上の大泣き。
「タカが泣いた~~」と。

どうして? 悪さばかりする弟に困っていたのに?
手加減してやってても図に乗って、
自分の方が強いと勘違いしてるのに頭にきてたんじゃなかったの?
やり返せてスッとしない???
戸惑う中で、
「こんなんだったら、やり返さないほうがよかった~~~」
と言って泣く長男を見て、胸が痛んだ。
子供が望んでもいないことを無理にさせて傷つけた・・・?


今、あらためてその出来事を考えてわかったことがある。
子供にとって、自分が嫌な思いをしたことと、
自分が相手に嫌な思いをさせることは、まったくの別問題だったんじゃないかと。

やられた事をやり返してプラスマイナス0という計算など、
そもそもあるのだろうか。
相手に不快さを与える事がやはり不快なら、その行為は誰の益にもならない。

勝ちとか負けとかそんな基準は大人が勝手に当てはめただけで、
子供はただ、自分の気持ちに共感してくれる人さえいればいいだけなのだ。
本当の共感能力は、他人の感情に気分を左右されるような事とはまったく違う、
相手に責任を押し付けない気持ちの交流。

子供は私にいろんな事を教えてくれていた。
「思い出せ」「本心はどうなの」と常に問いかけて。
もっと早くに自分の内面を見つめることを知っていれば、
もっと多くの気付きと共に成長できたのだろうにと思うと惜しくなるけれど、
まだまだこれから、という気持ちで行く。

仲良しゴッコからの脱皮

最近、心と体のバランスをくずすほどに悩んでる友人が
よく電話をかけてくる。
ただ聞くだけで直接何かをしたりはもちろんのこと、
アドバイスも何もできないのだけれど、
それでもいいと、聞いてもらうだけで安心すると言うので、ただ聞いている。

彼女とも学生時代からの長い付き合いだ。
当時は知らなかった彼女の元の家庭内でのあれこれも、
今頃になって知って驚いている。
頻繁に互いの家に行き来したりしてたのに、
深いところでの繋がりはお互い持てて持ててはいなかったようだ。

その彼女が今日聞いた。
「ぽあんちゃんは、私がぽあんちゃんに相談するみたいに、
 悩みを相談している人、誰かいる?」

う、痛いところを。。。
「そうねぇ、今はあまり悩みないし、何かあったら夫に話すから」
とお茶を濁す。

「私は悩みを話せるほどの友達が少ないから、
 ぽあんちゃんはどうかなと思って」

「私も少ないよ」と答えたが、
本当のところ深い悩みを打ち明けるような友人は一人もいない。
今はたいした悩みを持ってるわけでもないし、
お喋りを楽しむ気安い人は何人かいるけれど。

自律神経を病むほどに追い詰められても、
私を信用して何でも打ち明けてくれる人にさえ、
私は自分の内面を喋った事がないんだな、と電話を切った後に思った。

知られたくないと隠してきたわけではなく、
「話してどうなる」「関係ないじゃん」という、
合理的でないものは排除しようとする冷ややかな気持ちがある。
聞いてもらっても、役には立たない。
実際のとこ、私はそう思ってるのだ。

そんな人間が「ただ聞いてもらうだけで安心する」と言う人を
理解できてるのだろううか。

単に相手の望むように自分を見せかけているのかもしれない。


また、彼女はこんなことも言っていた。
肉親を亡くしたばかりの時、ある人にひどい言葉を投げかけられて、
その傷ついた気持ちを話した友人に、
「それはあなたにも原因があった」と言われたのがショックで、
それ以来その人とは話をしていない、と。

「それは傷つくよねー」「気持ちわかって欲しかったよねー」と
相手の言葉を繰り返した上で、
「でも、違う意味だったかもしれないよ」と別の角度からの受け取り方を
示してみるのがいつの間にか身についていた、こんな場合の対処法。
これまで、とりあえず相手の気持ちを軽くするにはいい方法だとさえも、
はっきりした自覚を持つことなしにやっていた当たり前すぎる反応だったわけだが、
話している途中で「ん?」と違和感を感じてしまった。

私は本当にそう思ってるのか?と。

話の元の出来事の信憑性を疑っている上に、
相手とのやりとりの内容もまったくその通りとは信じていないくせに、
心にもない適当な言葉を返している自分に、はたと気付いた。

そして、もう一つの違和感。
彼女は私にこう言ってるのじゃないか?
「望みどおりの受け答えをしてくれない人は、嫌いになって当然でしょ」

そして私は彼女が望むであろう役を演じたのか?

気を使っているとも、自分を偽っているとも思わずに接してきた「友人」だったが、
この関係も変えなければならない時がきたようだ。

罪悪感という名の敵意、優しさの仮面の下の傲慢、
そしてそれらの裏に潜む恐怖と私は付き合い続けたくはない。

エデンの園に消えた友に・・・

深夜、一人で本を読んでいてコーヒーなど入れに行った時、
ふと、思い出す人がいる。
「会いたいな」と懐かしさが頭をよぎり、苦さの内にその思いを打ち消す。

中学・高校時代に共に過ごした友人。

毎日、毎日、学校で顔をあわせて、
一緒に帰って、送ってもらって、送っていって、
いつまでも尽きる事なかった他愛もない話。

卒業して私は専門学校へ、彼女は浪人しながらアルバイト。
やがて私が就職すると、彼女も大学入試を諦めて就職。
アフターファイブに時々あって互いの近況の話をすれば、
気持ちはいつでも学生時代に戻れるようだった。

だんだん疎遠になったのは、
思いがけない場所で顔を合わせたあの時から・・・。
ある勉強会と私は思っていた。
会社の先輩に教えてもらうまで。
私は二度と近付かず、彼女はのめりこんで行った。

それからも何度か会う機会はあったが、
居酒屋に行っても彼女は「目的を果たすまでは」とお酒に口をつけず、
向うから誘いがかかるときは、いつもある団体がらみのイベントだったりした。
私が「その話をするなら縁を切る」と言ったからか、
久しく会わなくなって、ある日突然、手紙が届いた。

下関から韓国行きの船に乗る直前にポストに落としたらしい。
今、自分がどれだけ幸福な気持ちでいるかが綴られていて、
「私が一番辛く孤独だった時期に側に居てくれたぽあんちゃんだから、
 どうしても今、この喜びを伝えたかった。
 この幸せを分かち合えないのだけが寂しい。」とあった。
必ず返事が欲しいとも。

私は返事を出さなかった。

なぜだったか、もう今は忘れた。
丁度、母の介護をしながら自営で忙しくしていた時期なので、
それどころではなかったのかもしれない。

結婚式から帰ってきた彼女は広島には住まなかったため、
長く会うこともなく、年賀状のやりとりだけ続いていた。
そして数年前に一度だけ実家に里帰りした彼女に少しだけ会って、それっきり。

もう気持ちは学生時代に戻れなかった。

会いたいのは、遠い日の私の友人。

私が引き止めていれば・・・、
もっと関わる勇気を持てば・・・と思ったこともあったが、
それはこちらの都合だなと思いなおす。
彼女が自分の意思で選んだ場所なら、最上の選択なのだろう。
たとえサタンでも、
望まぬ人に禁断の木の実を食べさせる事などできはしないのだから。
むしろ彼女の課題の邪魔をしないですんだとも言えるかな。

だけど、願わくば盲目の幸せよりも、
気付きが彼女に訪れますようにと祈るのだけど。

本屋で「あらしのよるに」を立ち読みして泣きました。
本は買いません。

とりこ

もてる呪文は、テンション上がってる人じゃないと効かないらしい。
それはどの口説き文句もそうだろう。

餌食になった女がまた新たな女を連れてくるという流れを見て、
吸血鬼ドラキュラにぞっこんのシモベたちが、
新たな花嫁を獲得する手伝いをする心理ってこんなかなって思ったりする。

一人で何かを決めるのは怖いけど、皆で一緒に一人の人を好きでいれば安心。
仲間が増えたらもっと安心。
「本当にこれでいいのだろうか?」と思うと不安になる。
しかし出て行くと他の女に負けたことになる。
「ただの醜いハゲおやじじゃん」と気付くと自己嫌悪になる。
おおおお、カルトの構図!

そんだけ、常識はずれの事をしていながら、
「結婚」という制度にこだわる不思議。
ここに至ってもワクから出られない「いい子ちゃん」なんだねー。

占い師のアシスタント募集に応募する人は、占いを信じており、
他人に自分の運命を教えてもらいたい依存心が強い人って誰か分析してた。
まあ、迷信にこだわる人やら、縁起好きな人やら、
宇宙人や霊を信じてワーワーキャーキャーやってる人だって
十分危ないだろうけど、
それを煽ってるテレビはぜーんぜん無関係ヅラか?、と突っ込み入れたくなるよ。

女達は「幸せにしてあげよう」と言われてノコノコついて行ったというが、
「幸せ」とは何か、明確なビジョンなんか持ってないからこんな事になる。
ハゲおやじの言う「幸せ」と、自分の「幸せ」がイコールなわけないじゃんよ。
だから「今がとても楽しくて幸せなんです」なんつーのも、
ラリってる人の妄言なの明白なんだけど、
成人が自分の意思でやってる事だから仕方ないね。

自己責任、自己責任。
連れ戻しに行って催涙スプレーかけられた親も、自己責任。

個性的な生き方

「人間には本当の意味での個性などない」と初めて聞いたとき、
私は反発した。
「私」を否定されたような気がしたからだ。

「私」は「私」。
誰でもない他の人と何も変わらず同じなんてはずない。

悔しいような怒りを感じて当然だと思った。

「個性」が私を私たらしめると信じて疑わなかった。

その私が信じていた「私の個性」とは、
単に過去によって形成された反応パターンにすぎなかったと知った。

私は本当に私の意思で何かをした事があったのか?
「この場合はこうだろう」という決まりごとが最初からありはしなかったか?

好きでもない人からさえ嫌われるのを怖れ、作っていた笑顔が「個性」。
やりたくもないことを頑張って実績としていたものが「個性」。
怠惰に流され、変化を恐れ、それを安全と安定だと言い訳しているのが「個性」。

さらに探っていくと、
弱さや自己中心的な物の考え方や依存を隠そうとするのが「個性」。
競争や勝負に負ける事を恐れて周囲を警戒しているのが「個性」。
という事がわかる。

自分だけ特別有利でありたがるのが「個性」。

まったく「エゴ」そのものだ。

私はそれを「私」だと信じていた。

これでは「エゴ」は抑えようがない。消えようがない。

これまで正しいと信じて疑わなかった事を疑い、
これまでしてきた事をせず、しなかった事をする。
居心地のよい仲良しを別の角度から見つめ、
敬遠しがちだった人を観察し、自分との相違を発見してみる。

そんなことやってられない、ことをやる。

揺るがない「個性」があったなら出来ない事がやれるか、やれないか。

試して、試して、試し続ける。
他人を試すためじゃなく、自分を試すために生まれたはずなんだから。

踊る阿呆の輪舞曲

♪ホントのことを云ったらオリコウになれない
 ホントのことを云ったらあまりにも悲しい (フランシーヌの場合は)

というわけで、まあ、ホリエモンファンってのはホンの軽いジョークですわ。
皮肉癖も私の悪いところだなと、ちと反省。
見ものとしては面白いのは間違いないですけどね。
つまりはさ、踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら・・・、
私は見るだけにしときますって事。

阿呆を躍らせてお利口ぶってたのがホリエモンで、
これも結局は、人、金、時代を操ってるつもりの自動操縦ロボットの成れの果て。
こうなって自動操縦解除するチャンスが来たわけだけど、そうできるか、
また総力挙げてより高度なロボット戦士を作り上げるのかは本人次第でね、
「ゼロになれはやり直す」の意味はどっちかな、ってのは知りたいなと思う。

それにしても、時代は繰り返すもんだ。

逮捕の前、強制捜査が入った段階での報道で
ライブドアの忘年会の様子を撮影した物が流れた時、夫が言った。
「おいおい、これはまるで・・・かつてのR社の決起大会のノリじゃないか」
R社とは全国規模の大企業で、夫の以前の仕事の母体だった所。
実は私もR社直の外注先として取り引きをしていた事があり、
その決起大会にも一度だけ参加した事がある。
当時はバブル期で、ホテルの広いパーティ会場を借り切っての立食パーティ。
ステージ上では社員の様々なかくし芸や、女性は超ミニの衣装でのダンスなど、
ギラギラのド派手な演出だったのを覚えている。
その、社員を乗らすテンションの高さがよく似ているらしい。
ライブドアはどうだったか知らないが、
R社のパーティでは、盛り上がりすぎて興奮した人が服を脱いでステージに上がり、
それに触発された女性までが脱ぎはじめて、皆が見ている前で
オッパイ丸出しなんて事もあったと、いまだに語り草になっている。

私がR社に通うようになって驚いたのは、社内の雰囲気。
何箇所にも天井から吊り下げられた長い紙に
「祝!達成!!○○○○様」とか書かれてあり、
誰がどこの契約を取ったとか、売上が目標達成したとかは、
リアルタイムに社内に放送され、太鼓がドンドン鳴らされるという、
凄まじい程の熱気が渦巻いていたものだった。
ほとんどが正社員ではなく契約社員で、
長いスパンで物事を見ることのない売上至上主義であったために、
強引な営業スタイルの問題をあちこちで耳にすることもあった。

今、自分が儲かればいい。
それだけ。
会社や自分自身に対する先につながる信用や、相手さんの為になるかどうかなど、
一切考えなくていいような教育を、若い時期にされた人は
それが標準になってしまうらしいのだ。

「儲ける事が幸せだ。」で、イケイケムードで人を踊らす。
時代がそういう雰囲気になった時、仕掛けられる罠もまた似てくる物なのだろうか。

ホリエモンの片腕が沖縄で「自殺」したという報道がされたとき、
夫と私は顔を見合わせて呟いた。
「やっぱ死人出たね・・・」
これもまたあの時とよく似ている。
R○○○○社の株をめぐって政・官・業癒着が暴かれた大事件。

だんだんと事実が明るみになってきつつある。
今回はどこまで出てくるのかわからないけど。
江○会長と同じく、ホリエモンをトカゲの尻尾きりにして終わりかな。

そういえば、死んでない方のもう一人のホリエモンの片腕は、
R社出身なんだよね~~~。

こんな面白いショーはないよ。

がんばれ!ホリエモン

いやー、逮捕されちゃったね。
みんな困ってるのが連日テレビで流されてなかなかの見もの。
内定決まってた人、オロオロ。
ある個人投資家なんて、初めての株取引で買ったその日に急落でパー。
「頭真っ白」とか言ってたけど、つぎ込んだのがコツコツ貯めたヘソクリ、
3万円弱なんて、泣かせる話じゃないか。
いい夢見たね、お父さん。
日本テレビはいかにも嬉しそう。
ライブドアに救いの手を差し伸べるのは考えるだけで気持ちいいだろう。
政治家は「参ったな」の表情の人は多いようだ。
色モンを選挙に利用して痛い目を見るのは今に始まったことじゃない。
サッチーを担ぎ出した時の事忘れたのかな。学習しない奴ちゃ。
いろんな商品開発はストップ。
販売されてた「ホリエモン」のネーミング入りの関連の物、すべて撤収。

何千億円が一夜で消える大マジックは見事、見事。
それ以前に、ない物をあるかのように見せかけられていただけだけどね。
利用しようとした人達が割りを食うのを関係ないところから眺めるのは楽し~い。

時代の寵児のホリエモンは、今は寒い留置所の中。
自殺なんて馬鹿なことは絶対に考えず、
ここは何とかがんばって乗り切って欲しい。
何てったって、私はホリエモンファン。
誰が何と言っても、あのキャラは気に入ってる。
だってめったにいないじゃん?
ダサダサのオタクっぽさ。生意気な口調。強引な手口。品のなさ。幼稚さ。
力になりさえすれば何でもありの野心。金がすべての経営哲学。
「俺は悪いよ。それが何か?」ってな感じの開き直りがいい。

私が特に気に入ってるのがホリエモン語録の中の、
「人間はお金を見るとひょう変します。ひょう変する瞬間が面白い」
「人間を動かすのはお金です」
という思想。
本当にね、的を射てると思うよ。だってそうだもん。

この騒動を見てもはっきりする。
ライブドアに強制捜査が入って、株暴落。
ホリエモン逮捕で、これまで関わりのあった人たち、ぜーんぶ掌返し。
ひょう変したじゃん。

金は力で、力がすべて。
それが世の常識だって事をよく表している。

それにね、日本人の多くがそのひょう変する瞬間が大好きなんだよ。
だから、ホリエモンの趣味は日本的スタンダードとも言えるかもね。
何でそう思うかって?
だってさ、
「水戸黄門」
あれ、すごい長寿番組だよね。好きな人多いよね。
印籠を出されると、それまで大きな顔をしていた悪者が、
ハハーッと平伏するシーンを見たいがばっかりに、
みんな毎回似たようなシチュエーションを我慢して見てるんだよ。
その証拠に印籠を出すシーンがなかったら、ジャンジャン苦情が入ったって言うじゃない。

見てる人は不思議とたいてい同じ事言う。
「水戸黄門が好きな人に悪い人はいない」って。
勧善懲悪ドラマだからってのがその理由らしいけど、
水戸黄門がただの越後のチリメン問屋だったら、何の解決もできないんだからね。
身分があるから正義の味方になれるんで。
身分は力。そして今の力は金。

ホリエモン語録には「倫理観は時代で変わる」ってものある。

このホリエモンショックでの、人々のひょう変ぶりの面白さは、
水戸黄門以上だったと思うよ。

「ひょう変する瞬間が面白い」と言ってたホリエモン。
留置所の中でそれを見て、
手を叩いて涙流して面白がってくれてるんじゃないだろうか。
まだ若いし、帰ってきたらもう一旗あげて欲しい。

ホリエモンは、「ゼロになれはやり直す」とも言っている。

がんばれ~、ホリエモン。

そういえば、「がんばれゴエモン」というファミコンゲームあったな、昔。
未来のロボット的ニュアンスから、大泥棒にイメージチェンジだね。ハハハ。

親の心、子の心

先日の参観日の後の懇談は、小5の次男の組のに出た。
そこで担任が面白い試みをした。
親が子供の事をどれだけわかっているかの参考にということで、
質問を書いたプリントにまず、親が記入。

1、お子さんの好きな食べ物は何ですか。
2、お子さんの好きなテレビ番組は何ですか。
3、お子さんの嫌いな食べ物は何ですか。
4、お子さんの好きな教科は何ですか。
5、お子さんが家族に言われて嬉しかった言葉は何ですか。

急に聞かれてもパッと思い浮かばないのだけど・・・、
他の方たちも頭を抱えている。
<私の答>
1、刺身、唐揚げ、ケーキ
2、世界丸見え、エンタの神様
3、トマト
4、図工
5、(クイズの正解が多いので)頭いいね、作ってくれたホットケーキ美味しいよ

先生が子ども達の書いた答えの用紙を配ってくれた。
<子供の答>
1、カレー、キムチ鍋、巻き寿司
2、ココリコミラクルタイプ、鉄腕ダッシュ
3、トマト
4、図工
5、(お兄ちゃんに)カードあげようか

好きな食べ物は外した。答えを見れば「ああー、そうかー」と思うのは、
どこのお母さん方もそう言われていた。
テレビ番組は、何個か思い浮かんだ中にあったので、オシイ!
トマトが絶対ダメなのはわかりきってる。
図工の熱中の仕方は先生に聞いていたので間違いないと思ってた。
ただ、言われて嬉しかった言葉にはガッカリ。
子供に自信を持たせたくて、いろんな場面でことあるごとに
誉める所を見つけるようにしてるつもりなのに、そんな事はいっそ関係ないようだ。
お前、そりゃ、言われて嬉しかった“言葉”じゃなくて、
カードもらえたのが嬉しかっただけだろうが、と突っ込みたくなる。
ま、いいとこを誉められるのが普通の事と彼が感じてるのなら、
それはそれで成功って事でOKだけどね。

親への質問にはなかった質問が一つ、子供の用紙には入っていた。

6、家族に言われて嫌だった言葉は何ですか。

にウチの子のは、「はやくゲームをやめなさい」だった。
嫌だと言われても、言わないわけにはいかない。
放っとくと一日中でもやりかねない。
言っても「ちょっと待ってー」と続けるんだから、ガミガミ言って丁度いいの。

他の方の答は、「他の兄弟と比べられるのが嫌」
「ゴミを出してきてといつも言われるのが嫌」なんてのが出ていたが、
中に言葉をにごされるような方もいたのは、割と親には堪える答えだったということか。


一人、気になった人がいる。
「文章にしたらきつく感じるけど、本当はそんなニュアンスじゃなくて」と
前置きをして子供の答を読まれた。
書かれていた言葉は、「お母さんの子じゃない」。
いう事を聞かない時に、
「そんな事をする子は、ウチの子じゃない。ああー、もうお母さんなんて呼ばないで。
 知らない、知らない。他所の子が何を言っても聞こえんよ」
と、軽く言うのだそうだ。

よくある光景。よくある母親が子供に言う言葉。
母親が子供に圧力をかける時の定番。
「あんたをそういう子に育てた覚えはないよ」
「ママを悲しませるような子は、ウチの子じゃない」

子供はこれには逆らえないからね。
母親の顔色見て、母親に気に入られるように、
母親を喜ばせる為にする行動しか認められない日常。
これは、強固なマインドコントロールの土壌と言ったら驚かれることだろう。

でも、本当にそうなのだ。
原理・原則で動く「いい子」を製造するには、最も効果的な言葉だから。

むしろそれを「言われて嫌な言葉」として感じるメンタリティが
子供に残っているのを喜ぶべきなのだけど、さあ、どう受け取られただろうか。


担任は、日頃、子ども達からいろいろな相談を受けたり、
家庭の愚痴などを聞く事も多いそうだ。
「なるほど・・・」と感じ入る物も、「それは我がままだ」と思う物もあるようだが、
一つ、いつも子ども達に言うのは、
「親はいつかいなくなる」という事だそうだ。
「だから親がどうだからとかというよりも
 『自分がこれから先、一人で生きていく為に今は何をすべきか』を
 自分で考えるように言って聞かせている」のだと、母親達を前にして言われる。

賢い先生だと思った。

勿体ないオバケを捨てる

毎朝、少しずつ、ふきだまりをなくしていくようにしている。

キッチンの奥のあかずの扉をあけて、中を磨く。
使わないお茶碗、皿、タッパ、全部捨てる。
いつか着るかもで持ち続けてきていた服も捨てる。
何かに役立つだろうととりあえず本箱にあった本も捨てる。
雑巾にしようとたまったタオルも汚れを拭いてはティッシュのように捨てる。
まだまだある「いつか使うつもり」の物。

勿体ない。

捨てるのと、ただ持っておくだけと、どちらが?
どちらも物を生かしていない事にかわりはない。
物を殺したまま、場所を殺したまま、流れを殺したまま、ただ溜める。

勿体ない。

置き場所足りずに収納の工夫。入れ物を用意し、棚を付けて出来るのは、
「とりあえず」のスペースばかり。
だって、いつか使うのだから。
無駄、無駄。同じ物が何個もあるのも無駄。

しかししかし、何と私は貧乏性なのか。
捨てる事に常に不安が付きまとう。
「せっかく買ったのに」と自分の判断力のなさを認めない。
「ないと困るかもしれない」そんな事は困ってから考えればいい。
「まだ使える」使う物は今すぐ使う。
そうでない物に置き場所を与えると居座ってしまうだけ。

「過去を捨て、未来を捨て、現在も捨てる」

それは、そういう意味じゃないんだろうけどサ。(笑)

でも、確かにゴミにはその人が表れる。
ゴミ箱に入れた物がゴミってわけじゃない。
死んでるものはみんなゴミ。

そうだよね。そうなんだ。

今朝は、冷蔵庫の裏がぴかぴかになった。
キッチン横と、流しの上の棚を取り外し、
居場所のなくなったモノ達には「ありがとう」「さようなら」。

ビビンバ

国際交流協会の国際理解講座
「韓国家庭料理ビビンバと豆もやしスープ作り」に行ってきた。

以前、市役所の民族衣装ファッションショーでご一緒した
韓国の方が今回の講師。
ファッションショーの後、韓国の風習や家族の話、
日本に嫁いで来てからの生活などを楽しく聞かせていただいて、
とても印象に残っていた方だったので、
友人からこのイベントに誘われたときに二つ返事で参加を決め、
楽しみにしていた。

これまでビビンバはすでにそれ用に出来ている野菜を買ってきて、
それプラスひき肉炒めと生卵という感じで簡単に作っていたのだが、
本場韓国の家庭の味は少し違った。

材料の大根、にんじんは皮をむかない。
皮に栄養も美味しさもあるということで。それを長切り。
それぞれごま油で炒めて
トウガラシ・ニンニク・塩・だしの素・すりゴマなどで味付け。
また、ほうれん草も付け根の部分まできっちり使う。
肉も野菜も熱を加えた時に汁が出ると
出来上がりがベチャベチャになるということで、中華なべで強火で炒める。
100-0021.jpg
そんな風に具材別に調理するのだが、日本流と違うのは、
最後に中華なべの中でご飯と混ぜて炒めてしまうこと。
また、石焼ビビンバというのは、最近そのマネをして作られたもので、
本場ではそんな食べ方はしていないのだとか。
すっかり石鍋は韓国古来の物だと思ってた。むー、騙されてた。

先生の手際があまりにもよく、味付けも彼女の手分量だったということもあって、
料理の作り方がいまいち組み立てられず頭に入らなかったが、
あれよあれよと言う間に、ビビンバともやしの茹で汁を利用した豆腐スープと、
さらに大根キムチまで出来ていた。
混ぜたビビンバの上に錦糸玉子。そしてコチュジャンでお好みで辛さを調節する。
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食べると汗が噴出す。本場のトウガラシには旨みがある。
同じグループには、小学校で英語を教えてくださってる先生と、中国の方もいらして、
国際交流協会でホームステイ等お世話のボランティアをしている知人と、
最近行った海外の話など英語を交えながらのお喋りに花が咲く。
(私はぜんぜん英語わからないけどね)
ニュージーランド出身の英語の先生はジェントルマンで、お茶の入ったヤカンを持って
各テーブルを回ったり、大柄な体格で小まめに動かれていた。

食事が終わると、講師の人が韓国の国旗の説明をされたり、
希望の人にご自分のチマチョゴリを着せてくれたりもしていた。
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なんでも、「美しき日々」でチェ・ジウが来たのと同じ衣装だそうだ。
私は韓流ドラマにはまったく関心がないので、こういう時のリアクションに困る。

残った物は持ち帰れるように容器を用意してくれた。
みんなキムチを残している。私も。
食べられなかったのではなくて、美味しかったので家族に食べさせたいわけ。
何も言わなくても思いは同じってのが面白い。

帰りに韓国のトウガラシを分けてもらったので、頑張って作ってみる。

しっかし、ニンニク臭いよ~~。

寒い子供を温める

夜寝るときに、一部屋に三つ布団を並べている。
以前は私と4人の子ども達が一つ部屋に寝ていたのだが、
子供部屋に二段ベッドを置いてから、上二人の男の子達はそちらに行き、
今は娘達と私の三人。
だけど、たいてい真ん中の布団には誰もいない。
なぜなら、そこで寝るはずのチビは私の布団にもぐりこんでるから。

チビは以前から私に触れて寝る癖があり、
特に冬は冷え性なのか、手足がなかなか温まらないようで
私の背中やお腹や胸で暖を取ろうとしてくる。
ヒヤッと飛び上がるほどの冷たい手で触られるのはもちろん不快ではあるが、
それ以上に可哀想さが先に立ち、
「まあ、お手々冷たいじゃないの。こっち来て。ヌクヌクしなさい」と
思わず手や足を包み込んで一緒の布団に入れてやってしまう。
次第に温まって、安らいだ表情で寝息をたてているのを見ると、
愛おしさで胸がいっぱいになる。

しかしそんな幸福感を感じようとすると、
いつも逆の方向へと引っ張る力が襲ってくるのだった。

「なぜ?」
「なぜ、私にはそれが許されなかったの?」
「なぜ、母は私にこうしてくれなかった?」

母と男と逃避行をしたことがあった。
母の前の男がヤクザがらみだったので、
危険を避ける為に話し合いをせずに行方をくらましたのだ。
当時私は8歳。小学二年生。

とる物もとりあえず、ボストンバッグと紙袋とわずかばかりのお金だけ持って、
東京へ行き、知人を頼って四畳半一間のアパートを世話してもらい、
最低限の生活に必要なものだけ買ってきて生活を始めた。
ガスコンロ、ガスホース、片手鍋、裸電球、三つ又ソケット、布団一組、小さなコタツ。
季節は冬だった。
大人は布団にコタツをして寝ていた。
私に与えられたのは毛布一枚。
寒くて足をコタツに入れると、冷たい足が男の足に触ったという事で怒られ殴られた。
「子供はコタツになんか入らなくてもいい!!そのうち温まる。静かに寝ろ!!」
母は何も言わずに男と一緒の布団で見ているだけ。

私は毛布に包まって震えていた。
手も足も冷たくて、いくら待っても温まらない。
いつまでも眠れない。
長い時間を寝たふりをして待ち続けた。
やがて母と男がすっかり眠ったと思われる頃に、
私は静かに近付いてそーっとコタツに足の先を差し入れた。
そのまま寝たら母や男に気付かれてしまうので、
足が温まったらまた離れて眠らないといけない。
もしもバレたら、二度と同じ手が使えないようにされるに決まっているから。
それが恐ろしかった。

寒さに震える中、また惨めさに唇を噛んで足先を温めている中、いつも思った。
「なぜ、お母さんは私が寒いとわからないんだろう?」
母は子供とは寒さを感じないものだと考えているとしか思えなかった。
私が眠れないほど寒いとは知らないに違いない。
普通の子供は寒さを感じないものなのだろうか。
だとしたら、寒がる私は悪い子なのか。
してはいけないと言われている事をこっそりしているのもきっと悪い。
でも、そうしないと寒くて耐えられない。とても眠れない。
そんな事を言って殴られるのも怖い。

「なぜ?」
「なぜ、お母さんは私が寒いかもしれないと思ってくれないの?」
「なぜ、お母さんは私が男に殴られるのを笑って見てるの?」

私は、私を殴る他人の男より、母が憎かった。

「なぜ、私の痛みをわかってくれない?」


今が幸福であればあるほど、二重写しに呼び覚まされるかつての記憶。
間違いなく今の私を形作っている過去。
だから時に、マイナス方向に向く感情を持て余す。
けれどそれは私の中で終わらせるべき課題。
私は私だ。
母とは違う。

今、「こうして欲しかった」を子ども達にしてやることで、
私は私自身を育て直しているように感じる。

私はもう「なぜ?」とは問わない。
問う必要がない。
答えは出てしまったから。

「私は母に愛されていなかった」

私がやることは、子ども達に同じ疑問を持たせないこと。
同じ答えなど出させてたまるものか。

主犯はイヤよ─ある保険金殺人計画

子供の頃のある日の夕暮れ、
私と母と母の彼氏との三人は、警報機の鳴る遮断機のない踏み切りで、
電車が通り過ぎるのを待っていた。
やがて目前を何両も連なった貨物列車が走っていき、
激しい風が巻き起こる。
それは、ただの日常のありふれたひとコマだった。

母とその彼氏との生活はさぼど長くは続かなかった。
母が私を連れて逃げ出したからだ。
働かず、金遣いが荒く、暴力的な男の元を。

後に母は逃げ出した理由をこう語った。

「酷い男だったよ。
 金がないからって、あんたに保険をかけて殺す計画があったんだよ。
 電車が来るたびに「今だ、背中を押せ、押せ」って耳打ちするんだから。
 イヤよね。
 ね、酷い男でしょ。

 何で私にやらせようとするんだろうね。
 自分の手を汚さずに、私に殺させようとするところが卑怯よね。

 だから、お母さんは「うわー、この男ダメだ」って思って、
 慌ててあんたを連れて逃げ出したのよ。

 あのままいたら、あんた、殺されてたよ。」


ということで、母が男を見限ったのは、
男が母を殺人犯にしようとしたという理由かららしい。

そして、その判断のおかげで、
私の命が危うく助かったと言いたいようだ。
母が自分の好きな男を捨ててまで私の命を救ってくれた事を、
私は感謝しないといけないのだろうか?
殺されるよりはよかったのは確かにそうだが、
どうも釈然としない。

これまで私は、そうは言っても母は、
私の命を守る為に男と別れてくれたのだと信じようとしていた。
だが、目をそらしたかった部分を受け止める覚悟をした時に、
見えてきたものがあった。
いろんな出来事の辻褄があってくる。

何より自分が男にとってどういう存在かが一番大切だったのだ。
自分が愛されてるか愛されていないか、ポイントはそこだけ。
男がどんな人間であるかなど問題ではなかったようだ。
そして、子供の命も。
心も。

あらためて、ゾッとした。

続続・ご機嫌いかが?

親しい人の不機嫌が許せない人がいる。

それは家族に対してだったり、恋人だったり、
友人だったり、部下だったり。

明らかに気分が悪そうなら心配するということもあるだろうが、
ただ明るくしていないというだけで、
「何だ、その態度は!!」と怒り出す事がある。
怒られた方は驚く。
たいてい、そこに何も意図するところはないからだ。

単に疲れてたり、ボヤッと普通にしていただけで、
それを悪意と受け取られてしまうのには参る。

「何かいいたい事があるのか?」

別に。

「それじゃあ、なんでそんな仏頂面してるんだ!?」

は? これが普通の顔ですが。

「ブスッとして辛気臭い。そんな顔されたらこっちまで気分悪くなる。
 なあ、そんな態度で人がどんな気持ちになるか、考えてみろよ」

何か悪い事をしたかのように言われる。
こんな事が何度もあったら、うかうかと考え事もできやしない。
普通にしてて、何か悪いの?
「オレ様が嫌な気持ちになるから機嫌よくしておけ」とは、どういう理屈だろう?

人の機嫌の良し悪しで気分を大きく左右されてしまう人は、不安だからだ。
他人の好意を常に期待しており、いつもニコニコと笑いかけてくれていないと、
自分がないがしろにされたように感じ、怒りがわいてくる。

それは好かれたいと願っていながら、
嫌われているんじゃないだろうかとの脅迫的観念に囚われているから。

もちろん嫌われる。
当然だ。こんな人を疲れさす人とは、同じ空気を吸うのもイヤになる。
それが普通の神経。
ただ、嫌いな人間に親切にもそれをはっきりと指摘するなんて人はいないから、
本人は自分の不当な要求には気付かない。

自分を怒らせる人が周囲に多いと感じる。
頑なで打ち解けない人ばかりだと感じる。
そして、自分は理解されないと孤独に思っている。
怒りの正当性を疑ってみる事はない。

まれに彼の言い分を受け入れる人もいる。
自分が彼を怒らせてしまったのだと罪悪感を感じ、いいなりになる人。

同じように不機嫌を許さない親を持った人だ。

片方の機嫌でもう片方の機嫌が決定付けられ、
双方、相手が自分の思い通りの感情を持ってくれると安心する。
この関係は固定化する。

好かれる価値

他人に必要とされたい人、他人に愛されたい人、他人に好かれたい人は、
自分がそのままでは他人に嫌われる存在だと頑なに思っている。

だから、人が好きになってくれると、
嬉しいと同時に、猛烈な不安に襲われる。

自分の何が好きなのかがわからないと怖くて仕方ないのだ。

顔が好きと言われても、もっと美人はたくさんいる。
頑張るところと言われても、もっと頭が切れて仕事ができる女性もいる。
家庭的なところと言われても、たいていの女性がそれなりに家事は出来る。
明るくて可愛いところと言われたら、内気な性格をわかってないと悲しくなる。

「私なんか、ぜんぜんいいところない」
「こんな私なんか、イヤになったでしょ」
「どうせ私なんか、誰にも好かれないのよ」

好きな人に自分を否定することばかり言うのは、それでも好きだと言って欲しいから。
一度や二度では安心できない。
昨日は好きだったかもしれないけれど、今日はもう嫌いになったかもしれない。
さっきまで好きだったかもしれないけれど、今嫌われたかもしれない。
どうなの? どうなの?

自分が自分ゆえに好かれるという事が理解できない。
一番美人で賢くて性格がよくてそつのないのが愛される資格のある人間であり、
そうでない自分を好きになってくれた人は、
本当の自分を知ったら嫌いになるはずだと思い込んでいるのだ。
しかし、本心ではもちろん自分が自分である事で愛されるのを望んでいる。

だから、確認。
「こんな私でも大丈夫?」
「本当に好き?」
「心変わりしない?嫌いにならない?」

そうして、ついに嫌われる。
心を疑われ続けて疲れ果てた人に。

「どうして? あんなに私を好きだと言ってくれたのに、嘘だったのね~!」
と不実な恋人に心を弄ばれた挙句に捨てられたと感じて一人泣く女。

こういうのは結構よくあるパターンみたい。


小さな目、上を向いた鼻、めくれた唇、たるんだ頬が好きな人もいるのだけれど、
自分がそんな自分を大嫌いなら、それが好きな人がいるというのは信じられないよね。

だから、どんな自分でも自分を好きであることは重要だと思う。

不美人であるにもかかわらず、自分の顔が好き。
一流ではないにもかかわらず、自分の仕事が好き。
家事が下手であるにもかかわらず、自分の暮らしが好き。
人付き合い苦手であるにもかかわらず、自分の性格が好き。
みたいに。

これは、斉藤孝先生の上機嫌の作法の一つ、
自己客観視でふっきる技にも通じる。
現状がよくなくても「・・・・・にもかかわらず上機嫌」ではいられる。

そうすれば、つまるところ、
「誰にも愛されないにもかかわらず、自分が大好き」にもなれる。
他人の評価は必要ではなくなるってこと。

そうなって初めて、自分が人を好きになる事が出来る。
他人に見られる自分に向けていた意識を、まっすぐ相手に向けられるから。

自分で自分を嫌って、頑張って完璧に近づけて見せても、
仮面を好きになってもらうだけ。
それじゃ満足できないんだからまったく無意味。

ならいっそ、誰にも好かれないでもいいじゃない?

この私の良さがわからない人に、合わしてあげる必要などない。
必要とされなくてもここにこのまま私はいる。
誰がどう見ようが、好きだろうが嫌いだろうが私は私。

と、まあ、私もこれくらいになりたいわけです。ハイ。(笑)

得になる友人

ある仲の良い友人を持つ人がいた。
親友だと思っていた。
相手もそう思ってくれているようだった。
何を話しても、何をやっても気の合う二人だった。
それが、ある日、たった一言で壊れたという。

なにげない雑談の中で彼はこう言った。
「俺は自分にとって得になる人としか付き合わないね」

これに相手は立腹した。
「お前はこれまで俺の事をそんなふうに思っていたのか」と。
「俺はお前が自分の得になるからとか、
 役に立つ人間だからということで付き合ってきたんじゃないぞ。
 見損なった!!」
そう怒鳴ってさっさと帰ってしまった。

残された方は唖然とした。
友人は何をあんなに怒ったのか。
自分は何か怒らせるような事を言っただろうか。
傷つける言葉だっただろうか?

「お前は俺にとって損をさせる人間だ」と言ったわけではない。
「嫌いだから付き合いたくない」とも、
「何か得をさせてくれ」と言ったわけでもない。

「一緒にいて楽しくて得るものの多い友人だから大切に思っている」と
誉めたつもりだったのに。

しかし、何かが気に食わなかったのは違いない。
言葉の意味がわかれば誤解は解けるはずだ。
これまでの長い付き合いで自分のことはわかってくれてるはずだから。
彼はそう思って、翌日、友人に自分が何を言いたかったかを伝えようとした。

しかし、友人は頑なだった。
「人間を損か得かで見るような人は信用できない。
 信じていたのに裏切られた」と。

そうしてそれっきりこの二人の友情は終わった。

泣く男

最近の男はよく泣くね。

別に男だから泣いちゃいけないってわけでもなくて、
「男泣きに泣く」なんてのがカッコイイ場合もある。

だけど、自分の可哀想さをアピールってのは見苦しい。

オジャマモンの涙。
「子ども達が孫を連れて皆出て行っちゃった」って、
「ものごころついてから、初めて年賀状を書かなかった」って、
はぁ? それが何?

姉歯建築士は、無表情だったけど泣き言のオンパレードだったっけ。
「断ると仕事がなくなるので・・・。」
「新しい構造計算のコンピューターに費用がかかった・・・。」
「家のローンの支払いがあって・・・。」
「家族が病気で・・・。」
関係ないだろ!!

やったことはやったこと。
罪は罪。
それは個人的事情など一切関係ないし、
ましてや、自分のしでかしたことの波紋は誰のせいでもない。

何を同情を引こうとしてるんだか。

悔し涙も憐れみの涙も、結局は自分だけ可愛いからでしょ。
ナルシストなの。
誰も狙ったようには見てはくれないけどね。

悪なら悪を貫けよ。
ドーンとハラ据えて、
「全部責任かぶってやるから、矢でも鉄砲でも持って来い!」ぐらい言え!

小市民面しやがって。
ノラリクラリ逃げる小悪党なんぞ反吐が出る。

マスコミも、個人的な話なんかテレビに映す必要ないだろうにとか思うけどね。
特に、姉歯の息子とか、小嶋の叔母のコメントとかいらないよ。
それこそその人達は可哀想なだけじゃん。
悪い奴の身内だからって、引っ張り出して当然って事はないよ。
これもやっぱり、没落貴族を晒すと視聴率稼げるってことなのかな。
「悪い事をしてお金を儲けてもああなるんだから、地道に生きるのが一番」
って安心を売ってるつもりだろうか。
少々きわどいことでも、バレないようにうまくやれるならやりたいと思いつつ、
そこまでの頭と度胸がない人の慰めか。w

発覚しようがすまいが、事情があろうがなかろうが、誰がやろうが、
罪は罪だからね。

そういえば、昨日、
ホリエモンも記者会見で涙ぐんでたね。
みっともなー。
「危険だが、実行しましょう」って、幹部のメール残ってたって?
錬金術は、やっぱりタネがある。

我が家のコーヒー係

日曜日に無事、町内のもちつき大会が終わった。
目玉のビンゴ大会では、うちは人海戦術でこれまで、
ハロゲンヒーター、ホットサンドメーカー、メロン、米、等を当てている。
しかし今年は夫と長男が先に帰ってしまって
残った4人には、大型豪華景品はとんと縁がなかった。
ビンゴになったのはチビひとりだけで、当たったのは缶コーヒー24缶入り。

チビは自分が当てたのが嬉しくて、重たいのを一人で運んで帰った。
そしてさっそく冷蔵庫の、いつもは缶ビールが入っている場所に入れて、
「コーヒーが飲みたかったらナナに言って」と自主的にコーヒー係となった。
自分は飲めないのだけれど、
自分が当てた自分のコーヒーだから、最後まで自分が管理したいというのが面白い。
私と夫にまず一本ずつ配ってくれる。
夫は「じゃあ、明日の朝食の時に、ナナのコーヒーをもらおうかね」と約束していた。

翌朝、朝食の時間。
・・・・チビは起きない。
幼稚園は9時過ぎぐらいに行けばいいから、お寝坊さんなのだ。
「ナナ、コーヒーは?」夫は何度も声をかけたのだけど、
結局起きないから、係に無断で飲むわけにはいかず、
私がインスタントコーヒーを作った。
夫が出かけてから起きたチビは残念そうだったが仕方ない。
夕方、おやつ時間にお兄ちゃんたちに飲みたいと言われて、いそいそと配る。

そして、今朝もやはりコーヒー係は起きてはこなかった。
夫が朝、美味しいコーヒーを飲むのは無理かもしれない。

思いどおりの自由

自分によって他人が機嫌よくなる、不機嫌になるとの強固な思い込み。

これは親との関係によって作られたもの。

親の言い付けを聞いたら、親は機嫌がいい。
これは思い当たる人多いと思う。

そしてもう一つ。
親の「思うとおり」に動くと、親は機嫌がいい。
というのが、自覚されていなくて染み付いている。

言葉通りとは限らない。
「AとBどっちを選ぶの? どちらでも好きにしていいよ」と言いながら、
Aを選ぶと機嫌が悪い。Bを選ぶとニッコニコ。
好きに選んじゃいけないんじゃん?

「自由にしてごらん」と言われて、自由に遊んでいると、
恐ろしい目で睨まれてたりする。
「やっぱり勉強するね」と言うと、
優しく「ホントにあなたは勉強が好きなのねぇ」なんて撫でられたりして。

自分の行動の一つ一つに親の機嫌がかかってる。

親の機嫌の良し悪しに、自分の居心地がかかってる。
更に言えば命がかかってる。

まだ一人では生きて行けない幼く弱き者には、
親が自分の世界の全て。神様みたいなもの。
そしてそれが、後々の人間関係の雛形になる。

気は抜けない。
注意深く顔色を見て、声質を聞いて、言葉の裏を読んで、
今自分がどういう行動をとるのを求められているかを判断しなければ危険なのだから。

人に嫌われると恐ろしいことになる。
世界の全てから見捨てられて、生きてはいけない。
そんな底知れない恐怖が根強く心の奥に植えつけられてしまってるのだ。

他人の感情に責任を感じる人は、
努力して頑張って多くの人に好かれていたとしても、
いつも孤独でビクビクと怯え続けなければならない。

続・ご機嫌いかが?

人の機嫌を損ってしまったとクヨクヨする人は多い。

どうにかして人間関係を回復させようと、
誤解を解こうとしたり、好意を示したり、あれこれ方法を考えて手を打つ。

「私があんな事さえしなければ」
「あの一言がまずかった」と自分に原因があると思っての行動。

それでも一度こじれてしまうと、元通りとはなりにくいもの。

ギクシャクした間柄と感じると今度は逆に怒りが湧いてくる。
「どうしてわかってくれないんだ」
「あいつは心の通じない思いやりのない人間だ」と。

これって、原因はひとつ。

自分が相手をコントロールできると思ってるからなんだよね。

自分の言動で、相手の機嫌を左右できるのだと自惚れてるわけ。
傲慢さに気付きゃしないだろうけど。

自分の行動・言葉が、他人に対して大きな影響を持つと「勝手に」思い込んでるだけ。
傷つけたり悲しませたり怒らせたりして嫌いにならせる事ができると思うからこそ、
反対に、許させたり喜ばせたり嬉しがらせたりして好きにさせる事もできると考える。

それは違うから。

同じ事をしても、人によって受け取り方はまちまち。
自分が失敗したと思っても、相手はそうは思ってないかもしれないし、
怒らせたポイントだと思ってることが、ぜんぜん的外れだったりもする。
だから、名誉挽回しようと立ち回っても、さほど意味はない。

他人の感情の責任なんか、負う必要なんかないのに、振り回されてキリキリ。

挙句の果てに、自分の感情の責任を相手に押し付けて悪人呼ばわり。

疲れるだろうな、そんな生き方してちゃ。
それでも他人をコントロールできない不安よりましなのかな。

これからもずっと、誰かのためにいい子ちゃんでいるつもり?

ふっくら美人と呼んで

子供の頃、食べたくても食べられない生活をしていた私は、
「食べれる時には食べておかねば!」という気持ちが根強い。
「眠れる時には寝ておかねば!」というのもある。

なもんだから、食うに困らない程度の暮らしになると当然太る。
その上、高校生ですでにほとんど毎日酒びたりだったので、
若い頃からデブだ。

私の体重は若い頃と変わっていない。昔から三段腹。ポーン。

二十代後半の、母の介護と仕事の独立と恋愛の悩みが重なった時だけ、
唯一、私がスリムだった時代がある。
10kちょい体重が減った。それでやっと「理想体重」。
(今何キロ?とか逆算しないでヨ。(^^;;)
当時はバブルでボディコンが大流行だったので、
それでやっとイケイケギャルっぽい恰好ができたっけ・・・。(遠い目)

立派なオバチャンになった今でも美しいスタイルに憧れはするから、
「ダイエットしなきゃ」とはよく言う私だが、
実は本気でその気はなかったりする。
おなか空いたの我慢できない。ご飯は美味しく食べたいし、
脂っこいもの甘いもの大好きだから、仕方ない。
最近では
「これが私が最も病気になりにくく、長生きできるベスト体重なの!」と
すっかり開き直っている。

けれど、努力して美しく保ってる人はやはり偉いなと思う。
人間、何かを成し遂げようと思えば犠牲にしなきゃいけない部分はある。

ただ、ダイエットをテーマに書いてるブログでは、
問題ありの人が多くみうけられるのが気になっていた。
一年も二年もダイエットしてるってのは不自然じゃない?
食事を抜いたり、不味そうな低カロリー食品を食べたり、
脂肪燃焼やら油を固めるみたいなもの飲んで、美容マシーン使ってって、
キリキリしてる割に体重が減ったり戻ったりって、どういうこと?
そして、めまい、吐き気、便秘、冷え性、肩こり、偏頭痛、肌荒れで悩んでは、
ビタミン剤をザラザラ飲んで、便秘薬にお世話になり、
マッサージに通い、高い美容液を使ってたりする。

美容の為に健康を損ってると私は見るんだけど、
やってる人にとっては、そこはつながってないようだ。

この人達、私の理想体重ぐらいなんだけどな~、と
まん丸元気なこのデブは、自分の健康を誇りつつも、
チョッとばかしやっかむのであった。

助け合い運動家と遊ぶ

誰かがあらかじめ使った耳障りのよい言葉は安心して使うことができるよね。
だって、もう他人にどう受け入れられるか実証済みなのだから。
それに、責任は自分にないから。

きれいな言葉、
元気が出る言葉、
プラス波動(何だ?それ)の言葉。
そんな物を並べて、悩める人を楽にして あ げ る んだと。
苦しみの中にいる人を 救 う んだと。

自分でも理解していないそれらしい言葉で。
心の中では違う事を考えていながら。

他人の借り物の言葉を使いながら、
「私は人に救いを与えられる」と言ってはばからない。

他人に認められて自分を保つが、その認められているのは、
どこかの誰かの言葉。思想。

それが虎の衣を借る狐っての。

救っているつもりの悩める人達は、
狐より強い動物かもしれないよ。

もしそうなら、それを喜べる?

人にどう見られるかを常に気にしている。
わかるよ。私もそんな所あるから。

化けの皮がはがされる恐れから、批判には弱い。
自己防衛、論点ずらし、無意味に自分を大きく見せたりして。

そして、いい人ぶりっ子も忘れない。

「苦しみをありがとう。試練の中で新しい自分を見つけることができました」
そんなセリフを吐けば、もちろん取り巻きのウケはいいさ。

新しい自分も何も、変わってなんかいやしないじゃないか。

いやいや本当。
こちらこそありがとうなんだけどね。
「他人は自分の鏡」でしょ?

報いを求める愛

好きな人が絶対に自分を幸せにしてくれるという確証を示してくれないと、嘆いている人がいる。
それでは到底、愛を信じられないと。

相手を責める責める。
「愛しているなら、どうして○○してくれないのか」と。
「普通はこうでしょ」「みんなはそうしているのに」
「だからあなたは私を大事にしてくれてない!!」と。

満たされない思いをまた別の人に向け、
自分とは、あなた以外の人にとっては、こんなに大事にされる存在なのだと当てつけたりもする。

望み通りに動くのが愛する事と思いこんでるから、
自分を見せたいように見てくれて、あらかじめ組み立てた通りのシナリオに沿って反応をしてくれるのが当然なのだ。
そうでなければ許せない。

他人に自分の妄想の登場人物たれと言ってるのに等しいのに、その無茶に気づく事はない。

愛を求めても、
相手の示す愛はそうは見えない。
「都合がいいように利用するつもりだ」とまた責める。
愛するふりをして人を利用するような人間だと思っているなら、
その人に何を期待する?

そんな事は間違いだから、正しく私を愛しましょうとでも言ってるつもり?

愛しても利用されて損ばかりだから、もう冷めてしまったと
被害者になりきっているけれど、
本当にそう?

自分は相手の望む通りに動いてあげたのだから、それで十分愛したのだと思っている?

愛されるためにいいなりになるのは、愛する事ではないんだよ。

狂い咲き宣言

私が夫と結婚に到るまでには多々問題があったわけだが、
それは置いとくとして、
実は、結婚前に母や、父親のように思っていた当時の師に
夫を紹介したとき、二人とも揃っていい顔をしなかったという事がある。

母の反対理由は、夫が以前会社をつぶしているので、
水商売が長く男性を見る目が出来ていると本人だけが思ってる彼女の経験からすると、
「また必ず同じ事をする」のが見えているという事だった。。
これは当たらずとも遠からず。
確かに結婚してからまた会社を興している。
そして、いつ潰れてもおかしくないような自転車操業が長く続いている。
そこは間違っていなかったが、「だから?」だ。
会社を興してまた潰れるかもしれないからなぜ結婚してはいけなかったのかは、
いまだに私にはわからない。
金がないのは確かに苦労だが、なんとかなるもんだ。

そして父とも慕っていた先生の反対理由は、
彼が先生の嫌いな人に似ていたからだった。
一緒に組んで仕事をした切れ者が金の支払いに汚い詐欺師のような男で、
多くの人が迷惑をかけられたその人に、
夫は顔も声も話し方も癖も、よーく似ているから、
性格もきっとそうに違いないという見られ方をしてしまったのだった。
結婚のはなむけに先生は
「2年もしないうちに別れるよ」との予言を下さったが、15年続いている。

この二人の予想を裏切って、私は結婚生活に満足している。
夫は金運はないが、働き者で真面目な人。
他人を騙したりするようなことは、これまでに一度もない。
(お人よしなので騙されたことは数多いが)

このいつも周りをキョロキョロする優柔不断な私が、
こと夫に関しては誰の意見も聞かずに突っ走った。
それは依存による執着だったかもしれないけれど、不安はなかった。
恋とは一時の熱病のようなもの。
落ち着いた今となっては「なぜあんな無茶をしたのだろう?」と思うのだけれど、
普段の私には考えられないほどの迷いのなさだった事を思えば、
気が狂ってみるのもいいのかもしれないと思ったりもする。

短い人生。
思いどおりにならなかったことを、誰かのせいにして悔やみたくはない。

ダメならダメでいいじゃない。
やらぬ後悔より、やる失敗!

後悔さえなければ、自分を嫌いになることはないのだから。

これからもどんどん恋をして、バーンと体当たりしてみようと思う。
男性以外にね。(笑)

事故責任

次男が交通事故にあった。

木曜日は仕事の締切日。
夕方、原稿を客に流して返事待ちをしていると一本の電話。
お向かいの奥さんから切羽詰った声で事故の連絡を受け、慌てて駆けつける。

まっすぐ団地を降りたところ。
道路を挟んで向う側の団地から坂道を下ってきて、車にぶつかったよう。
白いワゴン車が角の空き地に止まっていて人だかりができている。
遠くから救急車の音。
次男は車の後部座席に仰向けで横に寝かされていた。
会話もでき、感覚はあるようだし出血もないのでひとまず落ち着く。

車の持ち主の連絡先を聞き、救急車に乗って病院に向う。
時間が夕方5時半すぎだったので病院を探すのに大変だったが、
なんとか市内で見てもらえるところが見つかった。
レントゲンなどで検査した結果、ケガは右足の太ももを打撲だけだった。
不幸中の幸い。

すぐに相手の方に電話して怪我の状態を伝えると、後で家に来るとのこと。
向うにとっては災難だ。
急に飛び出した子供を避けようもなく加害者。車も破損している。
申し訳ない。
夜8時半に、相手は旦那さんと一緒にみえた。
お菓子を持って平謝りに謝ってこられて、恐縮する。

その後、警察から電話があり人身扱いにするかどうかを考えておいてくれと言われる。
即座に「そのつもりはありませんから」と返答したが、
「いや、怪我の経過もありますのですぐに返事でなくてもいいんです」と言われ、
はた、と躊躇する。
こういう場合、普通は相手に治療費を請求するものなのだろうか?
今はたいしたことないと思っても、後々、頭を打っていたとか、
神経を痛めているなんていう後遺症が出る可能性もあるのかも?
なら、今すぐ決めておかないほうがいいかもしれない。
そんな計算が一瞬でグルッと頭をかけめぐり、
後日返答をするということで電話を切った後、猛烈な自己嫌悪に襲われた。

怪我の程度が軽ければこちらの責任でいいけれど、
重症で精神的経済的負担が大きくなるなら、
何の落ち度もないと知っている相手の責任にする。
私という人間は、そんなあまりにも自己中心的なご都合主義者だと、
はっきりわかってしまったから。

責任は誰にある?
それは、私。
私が子供に自転車を与え、監督を怠っていたせいで、
子供にケガをさせ、他人に迷惑をかけた。
他の誰のせいでもない。

一瞬の躊躇は逃げ道を確保しておきたかったから。
「普通はこんな時どうするんだろう?」「一番損しない方法は?」
そんな事、どうだっていいだろうに。
判断の基準がまだ、他との比較と損得勘定にあったということ。

と、頭で考えてから腹をくくるのもおかしな話だが、
まず一歩。
どんな結果になろうとも、すべての責任を私がとると覚悟は決めた。

誰も知らない、心の中だけで生じた責任転嫁。
それを恥ずかしいと感じる事が出来てよかった。

怒る理由説明

  あなたが悪い子だからよ。
  良い子になって欲しいからこうするの。

  本当にどうでもいい子なら、怒らないよ。
  どうなってもいいなら放っておく。
  憎くて怒ってるんじゃない。
  あなたが好きだから、
  良い子になって欲しいから怒るんだからね。


親が子を叱る時に、
そういう説明は必要だろうか?
自分の心情を子供に理解させるという事が。

親が子に愛情を示す事はもちろん大切なこと。
好きだという思いを伝える言葉。
抱きしめたり、笑顔でのコミュニケーション。
そうやって心を通わせていくのは、当然必要だ。

だが、親が叱る理由は、
子供が叱られる理由でいいはずだ。
「これこれこういう事はしてはイケナイ事なのだ」と
子供が理解しさえすればいい。

前提はすでに成り立っていなければならない。

親は子供の為になる事しかしない。という揺るぎない大前提が。

怒りの感情と表現の理由を子供に説明したいとすれば、
それは子供に対する正当な指導ではない事への
「言い訳」が含まれているのではないかと疑ってみるといい。
また、
親の「私がこれだけ思っている」という押し付けによって、
罪悪感で今後の子供の行動を操ろうとしているのではないのか?

子供のためではなく、親のため。
「あなたに良い子になって欲しいから怒る」というのは。
今の子供を、良い子にしなきゃいけない悪い子と見ているのは、
他でもない親なのだから。

子供自身を直す?変える?
間違いや失敗ではなくて?

叱るべきは子供がした間違い、子供の失敗。
今度は間違わなければいいだけ、失敗しなきゃいいだけ。
間違っても間違わなくても、その子はその子でしかない。

「憎くて怒ってるんじゃない。」は、
厳しく叱られてもそれは自分のためになる、と
子供が信じていないのをわかっているから出る言葉。

それなら、まず先にやるべきことがあるはず。

「あなたが好き」に「だから~~なさい」の条件はいらない。

細心

好きな人が好きな人は好き。

だから、好きな人がニコニコとお話してた人と仲良くしたのに、
どうしてそんな不機嫌な顔?
ごめんなさい。

好きな人が嫌いな人は嫌い。

だから、次はもう仲良くしなかったよ。
どうしてそんな悲しい顔?
ごめんなさい。

次はどんな顔をしよう?
どんなお話しよう?
どうしたら好きな人を喜ばせられる?

きちんとご挨拶をする素直な良い子でいて、
でも、本当に親しくなってはいけなくて、
悪口なんか誰にも言いはしないけど、心の中では嫌ってる。

そんなふうに、ちゃんと見えるように、
気をつけて気をつけて振舞わないと。

失敗したら嫌われてしまうから。

とても難しい。

この人は好きなふりをしてもいい人?
嫌いなふりをしなくちゃいけない人?
間違えないように、気をつけて、気をつけて。


いつの間にか、
大嫌いな人にさえ嫌われたくなくて、笑顔を作る癖がついてしまった。

大好きな人にさえ心を開けなくて、身構えて試す癖もついてしまった。

そうして、
冷たい人には利用され、愛してくれようとした人は去って行く。
心通わぬ人に媚びへつらい、愛情豊かな人を傷つけるから。


どうすれば良かったの?
何が悪いの?
どうしてこんなに寂しいの?

フラッシュバックドラフト

年末に来た友人からのメール。
タイトルは「たいへん!!」。
内容は、子供の部屋でボヤが出て、後片付けが大変ということだった。
旦那さんは火傷と鼻血とか。
「手伝いに行こうか?」と返事を返すと、
「手伝いは断ってるから」とのことで、
年明けてから今日初めて電話があった。

火元はコンセント。
くすぶっていたのが、ドアを開けたときに入った酸素でいっきに発火して、
カーテンに燃え移り、大きな炎になったという。
映画で見た「バックドラフト」の場面が脳裏をよぎる。
うわ、もの凄く危険だったって事じゃない。それって。

彼女は、
「ああいう時って、男って役に立たないね」という。
慌てて「消火器持って来いー!!」と怒鳴ってただけだったらしい。
家にはないのに。
彼女は意外と落ち着いていて風呂場に駆け込んでタライに水を汲んで、
それごと放り投げたら、一発で消えたということだ。
ただ、カーテン丸焼け。部屋中すすだらけ。
熱された所いきなり冷えたのでガラスは割れてしまった。
そして、年末に修理をしてくれるところを探すのが大変だったとか。
お金は保険からおりるにしても。

「夜、眠れない事なかった?」と聞くと、やはり眠れなかったそうだ。
ナツメ球の電気を点けて寝ていたら、
その色が炎に見えてきてドキドキが止まらなくなったと。
わかる~。私もそうだったから。

実は私も十年前、ボヤを出した事がある。
天ぷら油を火にかけたまま、
ちょっとゴミを捨てに出てうっかり他の事をしていた。
ハッと思い出して中に入ると、扉のガラス越しに大きな炎の色が見えていた。
天井近くまでの火柱が勢いよく燃えている。
かがんでガスコンロを切るが、火は衰えない。
このままでは家が燃える。水は使えない。消火器はない。
町で備え付けの消火器を取りに行っていたのでは間に合わない。
咄嗟に毛布を被せてなんとか火を消す事ができたのだが、
私は顔と手に溶けたアクリル毛布で火傷を負うし、天井は真っ黒で
回ってた換気扇も金属が曲がってメチャクチャ。
夫に「まだ壁の中が燃えてるかもしれないから、すぐに帰ってきて~」と電話したが、
一人待つ間は恐ろしくてたまらなかった。
そしてもちろんその夜は眠れないし、しばらくは料理をするのが怖くて、
天ぷらは半年ぐらいできなかった。
炎のイメージがちらついて。
友人と「フラッシュバックよ」「フラッシュバックよね~」と、
慰めだかなんだかわからない会話になってしまった。

事に際しては冷静に動いた彼女が眠れなかったというのに、
慌てて怪我をした旦那さんは、当日の夜も高いびきだったとか。
年末どこも店を閉めている中で修理の手配をしたり、
後片付けをしたりも一人でやらなければならなかった彼女は、
「どういう神経してるんだか!」と、それに拍車をかけて腹を立てていた。
男脳と女脳の違いはこういう所にも表れるのかな?

火事の後はやたら火が怖くなった私だが、今はまったく平気。元通り。
経験は活かして、絶対に火には気をつけるけれど。

ショックや心の傷なんて、けっこう自然に癒えるものだ。
思いつめたり、いつもいつも考えて悔やんだりとかで反芻さえしてなければ。

それはどんな出来事でも同じだろうと思うのだった。
プロフィール

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Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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