スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

私は天国を信じない

昔、とある霊能力者が、
好き放題して周囲に迷惑掛けまくってた旦那さんと、
その尻拭いのために我慢と苦労続きの人生で、
皆から「よくできた人」と言われた奥さんとの夫婦の
死後の霊層を霊視した話を聞いた事がある。

二人は同じところには行けなかった。

その霊能力者の見える霊界は
層が幾重にも別れていて単純な物ではないらしいが、
簡単に言えば、傍若無人のご主人は天国に行き、
自分を犠牲にしてまでも旦那さんに尽くしてきた奥さんは
地獄に行ったのだと言う。

そんなのあり?
不公平じゃないの!!
とは思わないでもないけど、
結局それって、生きてる間にどんな思いでいたかが
そのままあの世で形になるとして見たら、そうかなって思う。

「他人に迷惑をかけてごめんなさい」なんて罪悪感をみじんも持たずに、
好き放題、好きな物を食べて、好きな人と過ごして、
好きな所に行って、好きな遊びをしまくって、
誰も憎むことなく、恨むことなく、妬むことなく、悲しみもなく、
楽しいばかりの人生なら、もうその時点で天国界の住人。

反対に、自分の好きなことなど何も出来ずに、言いたい事も言えずに
他人に謝り続け、自分を犠牲にするだけの人生なら、
「どうして私ばかりがこんな目に」と、旦那さんを恨み、世を憎み、
他人を妬み、悲嘆にくれて、すでに生き地獄。
周囲がどんなに「よくできた人」と感心して褒め称えても、
それは苦しみに対しての評価であって何の役にも立ちはしない。

この世で悪い事をしていい目を見た人は、死んだら地獄で苦しむ。
この世で何も悪い事をしていないのに不遇だった人は、死んだら天国で楽ができる。
なんて話が出来たのは、かっちり身分制度があって、、
人々が疫病や飢餓、戦乱などに脅かされる暮らしが続いていた時代の事。
悪を行わず念仏をとなえて信心すれば死後、極楽浄土へ行けるというのは、
たった一つの救いだったんだよね。
その世界観はそのまま現代に持ってきても、意味はないような気がする。

悪い事をしても罪悪感がなければいいのか、といえば、
そうなんじゃないかな。

良い事をしても被害者意識とか、自己顕示で他人からの評価に期待があるなら
それは嘘だし。


だから、自分がやりたい事をやらなきゃ生まれた意味はないんだよね。

そして、もっと言えば、これは良いとか悪いとか、
こうしたら天国に行けるとか、地獄に行くかもとか、
そんな事もどうでもいいと私はこのところ思うようになった。

自己観察してると、この行動には嘘があるからマズイ、とか、
人にどう見られたがってるな、反応がイマイチだから腹立てちゃったな、
なんてよく感じるようになったけど、
それを「直そう」ともしなくていいんじゃないかとかね。

いいじゃん。
私は嘘つきでごまかしばっかで、人の目気にして生きてるんだから。
そうしたいからそうなってるんなら、
「悪い自分がイヤだ」なんてのももういらない。

後に悪い事が起こって私に知らせてくれるなら、
それをジタバタして逃れようとするのは受動じゃない。
来るなら来てもいい。
どうせ気付きのチャンスとセットなんだし。

「こうあるべきだ」の逆の「こうあっちゃいけない」も同じことなら、
私はその時々の「どうしたいか」で動けばいい。

頭も胸も軽くして、「今、何ができる?」だけがあればいい。
身を入れて。
スポンサーサイト

優しい人

優しい人は好き。
心地よいから。

冷たい人は嫌い。
不快だから。

だけどそれは自分にとってどうか、だけの判断。

それがいけないわけじゃないけれど、
それだけを追ってたから、
うわべだけ優しいふりの冷たい人間を
「いい人だ」なんて思うようになってしまったんだ。

笑顔で近付いて、親切にしておだてておいて、
私から何かを得ようとする人。
「あなたのために」「あなたにだけ」「あなたは特別」
そんな言葉でこちらに好意を見せる人の気持ちに背くのは
ひどい罪悪感を感じてしまう。
それと比べれば、
ちょっとの不利益、ちょっとの我慢は何でもない。

こちらの機嫌を取る人の機嫌を損ねる怖れは、
なぜこんなに重苦しく辛いのだろう?

深く付き合ってもいないのに嫌われるのが怖いとは?

自分にとって「いい人」に見える人に、
だれかれ構わず「いい人」であろうとする八方美人は浅い。

優しい人は「あなたのために」なんて言わずに、
自分のできることを普通にする人。
暗黙の取り引きを持ちかけてこない人。
好意を見せるから好きになってくれるのではない人。

最初から好きじゃない

別れの前の修羅場の中で、
「あんた(お前)なんか、最初から好きじゃなかった!!」という台詞。
言われたって話何度か耳にしたけど、あれ、なんだろね?

好きでもないのに付き合ってしまうことはあるかもしれない。
誰かそばにいて欲しい。誰でもいいから温もりが欲しい。
優しくして欲しい。自分を認めて欲しい。
そんな心細い時はある。

手近な誰か。
それは別に“その人”でなくてもよかった。とか。

そんな気持ちを歌った歌が実際にあった。
松たか子の「君じゃなくてもよかった」って曲にはガビーン!!
正直すぎ!

♪君じゃなくてもよかった
 そういう恋をしてしまった
 ぜんぜん胸が痛まなくて
 かなしいような恋だった

♪君じゃなくてもよかった
 本当は誰でもよかった
 そんな恋をくりかえして
 錆びついていく・・・勇気が

それはそれでいいんだけどね。
自分の中で「好きでもない人と付き合ってたんだー」と気付いたのならいい。

でも、でも、もしも相手に向って言うとしたら、それはちょっと意味が違う。

最初から好きじゃなかった。
別に君じゃなくてもよかった。
本当は誰でもよかった。

それは、ホンネでも言っちゃいけない言葉、
というか、本当にホンネなら口に出来ない言葉だと思う。
自分の弱さの証拠なだけなんだから。

なのに、相手に言う人って、攻撃の意味で使うんだよね。
「好きじゃないけど可哀想だから拾ってやったんだ」
なんてのも付けたりして。

悔しがって欲しいってのは、甘えだよなぁ。
未練たらたらの。
好きなのは、自分だけだからそんな事が言えるの。

ヤフオクで本を売る

本をBOOK OFFにドサドサと持ち込むのだけれど、
資料的価値の高い物ほど値段が付かなくて
処分してもらうことになってしまう。
それではあまりにもったいないと思う物を、
Yohoo!オークションに出品していた。
お金にならなくても、誰かが役に立ててくれればと思ってだから、
300円とか500円から開始。
今日の昼までにしていたら、8件出品していた中の7件が落札された。
4件が500円で、1件が760円、宮田雅之さんのきりえ画集は2100円。
そして意外なことに、まったく思いもつかないほどに値段が高騰したのが、
サンリオSF文庫アートカバー集の「神という機械への夢」。
薄いしむかーしのだから300円で出してたのが、大接戦で5750円まで行った。
何で、何で???
だって、もとが1800円だよ???
いいんだろうか。何か間違ってないかな。とかドキドキしてしまう。

たまにあるんだよね。
おもいがけずに高値がつくことって。
以前、大きいサイズのパンプスを売った時もそうだった。
デカ足の私が通販でデカイサイズのを買ったんだけどそれは大きすぎたので、
オークションかけたら元値に近い金額で売れたことがある。
それだけ出すなら通販で買えばいいのにと思うけど、
取り引き後の評価もしないでくれと言われたところをみると、
それさえ恥ずかしいのかもしれない。
いろんな人がいるもんだ。

先ほど、落札者の方々に取引方法のメールを出した。
いっぺんに7件は混乱するけど、なんとか。

あーーーー、BOOK OFFに持ち込んだのもネットで売れば
もっとそれなりの金額になったかもー、と今更ながら惜しく感じる。
でもそうしたら、いつまでたっても片付かなかったかも。
さ、それでは発送の準備して、
それがはけたら、またまた次の出品。

過ちと謝罪

今日は中学校は期末の前なので授業の終わるのは早い。
しかし3時半に下校のはずなのに、
長男は6時を回って、ひどく怒りながら帰ってきた。

同級生への虐めに関わったとして残されてしぼられていたのだ。
先生から関係した各保護者に電話がかかるらしい。
「俺、何もしてないのに。何で呼ばれなきゃいけないんだ!!」
声を荒げる。

クラスの男子生徒がお腹の具合が悪くて失敗した時に、
はやしたてた人達がいたり、後々までからかわれたりしたために、
その子は学校に来づらくなり、問題が大きくなったという。

長男は腹を立てて、
「俺は当日に避けたけど、当然じゃない?
 わざわざよってたかって行く方が悪いだろ?そいつらは何で呼ばれんの!!」
「他の子何人かとその話題で喋ったりはしたけど、本人に悪く言ったり、
 虐めとかそんなの絶対にしてないから!!」と言う。

「ま、でも、本人の見てないところでも嘲ったりはよくないよね。
 知らなかった人が知る事になったのなら、それも可哀想でしょ。」と私。
「だけど、もっと酷い事をした人沢山いるのに、
 たまたま担任が適当に選んだ人間だけ呼んで怒られるんだから、
 わけがわからん!!」息子の怒りはおさまらない。

“ぬれぎぬも自己責任。”とは言うけれど、
やはりこれも日頃の行いが響いてるのか。
出来事から何か学びがあるんだろうな、と思ってると電話が鳴る。

担任から、明日、今日怒られた子達に先方に謝りに行かすという話だった。
学校から全員を連れて夕方6時半に行くと言うので、
用もないのに待つ時間が勿体ないから、息子は一旦家に帰してくれと話をして、
そのようにしてもらうことになった。私は先生に謝りはしない。

息子は、その虐められたという子と、実は仲がいい。
その子は、息子が虐めたとは思ってはいない。
しかし、学校の方で「影で噂を広めた」として罪に問われたので、
明日はそれをその子に言って謝罪しなければならない。

「そんなふうに知った方があいつ傷つくと思うよ。
 俺、もう友達でいられないかもしれない。」
息子は悩んでいる。

たとえ「ぬれぎぬ」でも自己責任なんだから、
何にしろやった事実があるのなら、
当然、責任は自分が引き受けなければならない。
さあ、息子はどうするだろう。
そして相手との関係はどうなるのだろう。

私は黙って見ているつもり。

フィギュアママ

テレビを見てたら、ニュースで「フィギュアママ」の特集をしていた。
オリンピックでの日本代表の活躍のおかげで、
今、我が子を未来のフィギュア選手にしようと
猛特訓に取り組ませる親が急増中なのだそうだ。

5、6歳の幼い子供をリンクに通わせ、その動きをじっと見つめる母親。
自分が滑れなくても「もっと高くジャンプ」等と叱咤激励。
衣装は特注でラインストーン付きで6万円。
「子供がやりたがるから」やらせてるんだそうだ。

11歳の子は、月に13万円かけて指導を受けている。
通うのも大変だがちゃんと親が付きそう。
父親は「押し付けるようなのはどうかと思う」と言うが、
母親は「親が子供の才能を伸ばしてやらないと」と揺るがない。
なかなか成功しない三回転を何度も練習する娘。
4時間も滑り続け冷たい氷の上で転倒を繰り返す。
それを厳しい視線で追うビデオカメラを持った母。
インタビュアーの「可哀想だと思わないんですか?」の質問に
「思いませんね」ときっぱり。
「コケルと痛そうですよね?」「ああ、痛いでしょうね」と笑う。
父親はちょっとはまともな神経あるのかと思ってたら、
夫婦二人の会話では、
「今、投資して将来は子供に面倒見てもらうから」と言う母親に、
「投資か。そうだな」と嬉しそうに同意。
「たとえ家を売ってでも、子供が望むならさせてやる」のだそうだ。

よくあるパターン。わかりやすー。
誰の望みだ。誰の!!って言ってもわかんないだろうね、この輩は。

投資になるのかな。
そのうちツケをはらわされる可能性のほうが大きいと思うけど。
って見ていた。

コメンテーターの誰も何も突っ込まないのが面白い。

北斗な阿部寛

往年の名作「北斗の拳」が劇場用アニメで復活!!

ケンシロウの声は、阿部寛だよ。うれぴー。

私、阿部寛大好き。
ハンサム。長身ですらっとして知的でそれでいてワイルドさもあって、
コミカルなボケ方も自然で、めちゃカッコイイ。

この人がテレビに出てくるたびにキャーキャー言ってるので、
子ども達が「お父さんとどっちが好きなの?」と聞いてくる。
なぜだか何にも気にしてない夫のかわりにヤキモチを焼いてくれるみたいな。
私の答えはいつも決まってる。
「何言ってるの。お父さんに似てるから阿部寛が好きなんじゃないの。
 ほら、そっくりでしょ」と。
子ども達は「そういうことなら」と思うのかどうか知らないけど、納得する。
実際、似ている。ちょっとだけ。
贔屓目で見ればなので、実物を知る人からは「ええーっ、違うでしょお?」と
お叱りの声が出るかもしれないけれど、そゆことにしといて。波風立てないように。

でね、アニメ「北斗の拳」も好きだったんだー。昔。
ケンシロウもカッコイイ。
そして、私はこの時の声もスゴク好きだったの。

神谷明。

名声優。
この人の声、とても素敵で、「勇者ライディーン」で初めて聞いたときに惚れて、
憧れて憧れて、どんなにカッコイイ人かと胸をときめかせていたの。
私が恋するのはたいてい声からだったりするからね。

で、声優のショー「アニメージュ・キャラバン」に行って、大衝撃を受けた。
私のヒーロー様はどこ? どこなの? 
声は響いても、ステージの上には不細工なオジサンしかいないけど?って。

あの顔で、あの声。
詐欺だ。。。。騙された。。。。
いたいけな少女はいたく傷ついて三日三晩熱にうなされたとさ。(ウソ)

今は名探偵コナンの毛利小五郎の声してる。
シティハンターの冴羽リョウ以降、ハンサムなヒーロー役やってないな。

神谷さんは、以前、インタビューに答えていたとき、
ケンシロウの「アタタタ・・・・」の声を出しすぎて喉をいためたので、
録音して充てるようにしたと言われていた。

あの高音域の独特の声、阿部ケンシロウはどうするのかな。
同じ声出して見て欲しいような、イメージ崩れるからやめて欲しいような。
いずれにしても、楽しみ♪

生命力

<質問>
もうすぐ隕石が落下して地球が破滅するとして、あなたならどちらを選ぶ?

 1:怖い思いや悲しい思いをせずに、何がおきたか知らないまま早く死にたい。

 2:あきらめずに逃げて戦って、最後一人で生き残ってでも地球の終わりを見届ける。


心理テストじゃないので、どちらを選んだらどんな性格なんて答えはないんだけど。
ただ、私だったら
「壮大な一つの星の歴史に幕を下ろす大フィナーレを見ずに死ねるか!」って感じで、
何が何でも最後まで生きていたいと思うんだ。

てっきり、みんなそうだろうと考えてたの。
生きるの好きで、死ぬのイヤでしょ。
面白いことは見たいという好奇心あるでしょ。
だから。

でも、そうでもないのね。
危機がせまってくる怖さを味わうより死んだほうがまし、
親しい人たちが死ぬのを目の当たりにするより死んだほうがまし、
誰もいないところで一人だけ生き残るより死んだほうがまし、
って思う人は、意外といて驚いた。

いや、死ぬのが怖いんだから、怖いより死ぬ方がましってのがわかんない。
自分が先に死んでも後に死んでも、人が死ぬ時は死ぬんだし、
誰かと一緒でも一人でも生きるのは自分だし、
いつかは必ず死ぬんだから急ぐことはないでしょうに。

1と2の答えの選び方の差が生命力かなって思う。

だけど、頭で考えるのと実際にその場になったらとは違うから、
「私、怖くて想像すらできない・・・」と倒れそうなほどか弱い人が、
いざとなったら石にかじりついてでも生き延びて、
威勢のいいこと言う私のような奴ほど「もうダメぽ」って
あっさり逝っちゃうかもしんないけどね。

オーラの大きさ

一昨日、新聞のテレビ欄を見ていて、
「夜遅くにオーラの泉がある」と何の気なしに言ったら、
次男がいきなり「お母さんのオーラってでかいよね」と言い出した。
長男も長女も「うん、うん、ボワッとすごい大きいよね」と言う。

「なーに言ってるんだか。みんな私と同じ零能力者で、
 いっそそういうの見えもしないくせに」と笑うと、
「でも、絶対大きい。わかる。そんなイメージなんだから」と言い張る。

私は子ども達とオカルティな話はしないし、
「イメージ」がどんな意味を持つかとか教えた事もないのに。

長女は、寝るときに
「それと、お母さんのオーラは明るくピカピカしてるよ」とも言ってくれた。

ありがと。
実際の私がどうかというよりも、子供たちがそう見てくれてるというのは嬉しい。


能力を持つ知人が見ても、本当に私のオーラは大きいそうだ。
でも、「ピカピカ明るいか分からないけど(笑)」の、
(笑)が気になるぅ。

ま、大きさと人格の良し悪しはあんまし関係ないと言う人もいるしね。
また、周囲への影響力の強い人、アンテナが発達した敏感な人、
ポジティブな人、強運の持ち主、なんてのが
だいたいオーラが大きかったりすると言われたりしてるけど、
私はそういうタイプでもないんだよね。(地味、鈍感、ネクラ、ドジ)
なーんだろ。

それでも、生命力だけは強い方とは思うけど。

自信

私が若い頃から長く苦しんできた最も大きな悩み。
それは、自信がないこと。
何をやるにしても自信がない。
常に不安で不安でたまらない。

だから自信をつける為に努力をしてきた。
仕事のスキルを磨くとか、
成功体験を重ねるとか。

社会に出たての頃に毎日のように通っていた先生がいる。
仕事の取り組みや、物の考え方、将来的な設計など、
ご自身の経験や、多くの門下生達から入ってくる情報を交えながら
根気強く教えてくださっていた。

私は作品を持ち込んで評価していただくことはあったけれど、
ほとんどが会社や家の愚痴ばかりだったかもしれない。

どうしていいかわからなかった。
それなりに、形にはなっていたのだけれど。

先生は「どうしたらこいつに自信を付けさすことができるかなぁ」と
頭を抱えていた。
仕事上のアドバイスを頂いても、高度なテクニックを教えてもらっても、
書籍に作品と名前を載せていいただいたりしても、
確たる自信とはならなかったからだ。
自信がない人間は、前向きなやる気よりマイナス思考が先に立つ。

自分でサブリナミルテープを購入して使ってもみた。
波の音の中に知覚はできないが、
潜在意識には働きかけるというメッセージが含まれているものだ。
効果はまったくなかった。

私の自信に見える物とは、あがいた時の足跡だけ。
作品と経験という過去の実績は作れたが、
それがこれからには通用しないのではないかと常に怯えていた。
失敗したらどうしよう。
実力のない私は誰にも相手にされなくなるのでは。
そんな恐れをハッタリで隠し、仕事を続けてきたのだった。

自信など持てるはずなかった。

好きなことではなかったのだから。
やりたくもない事に必死にしがみついていたのだから。
他人が認めようが、それなりの物が出来ようが、
その一時だけの安心にはなっても、心底からの喜びにはならない。

「やらねばならない事」を努力して続けていたから苦痛だった。

疲れて離れようとまったく別の職種の仕事をしていた時期もあった。
不安だった。とても寂しくなった。
それで「私にはやはりこの仕事しかない」と思って戻ったのだが、
今思えば、費やしてきた時間や苦労を無価値だと認めたくないという、
単に執着心だけだったのかもしれない。

無駄をいくら積み重ねても、やはり無駄なのだ。
頑張る努力から実る物もあるけれど、それは情熱に裏づけされている事が前提。
世の中から見捨てられる不安という恐怖を発露にした努力は、
たとえ成功したとしても、さらに不安を増大させ精神を圧迫していく事になる。
他者との比較で勝った負けたと一喜一憂。
卑屈になったり高慢になったり。
ゴールのないラットレースを続けるばかり。

だからもう、リタイア。
勝ち負けで言えば、負けた。負けを認める。
私には何の才能も適性もなかった。
無理していた。
私のこれまでの人生は、失敗だった。

失うと思っていたものが最初からなかったと気付けば不安も消える。
恐怖とは、ただの幻想だからだ。

何もない自分、何もできない自分。
それだけが、ここに確かにある信じられる自分。

処分処分

ものすごい量の本があった。

私が専門学校時代から集めた資料。図案。
普通の本も多い。
カラーボックスに10個と、本箱4杯。
これでも一時に比べて随分と処分してたのだけど。

仕事関係の本はもういらない。
たくさん、夫の事務所に持っていってもらった。
ブックオフにも何往復も持っていくが、
高い貴重な書籍ほど値段が付かない。
紙袋に4つもどっさり持ち込んで5,6百円。
売れない本はもったいないが処分してもらう。
どこか古書店に売ってくれるのを期待して。
捨てられるにしても、自分が捨てるのでないから心が痛まない。

カラーボックス6箱空にした。あと4箱。
捨てられない・・・。

息子に「本を捨てられなくて」と相談したら、
無造作に「こんなのいらんだろ」とポイポイとゴミ箱に入れられた。
「やめてーー、触るなーー、放っといてーー」と叫んで元に戻したら、
「そんなんだから減るわけないじゃん」と呆れられた。
わかってるんだけどねー。

押入れに入れていた本箱は実は祖父の食器棚だったりするから、30年もの。
カラーボックスも昭和最後の年からだから、19年か。
空いたものからブチ壊していく。
大型ゴミは処分料がかかるので、30センチ以内にばらしてごみ袋で捨てる為に。
これがまた、力いるけど、結構快感だったりする。
ビデオテープのコレクションしてたケースも粉々に叩き壊す。
ビデオもほとんど処分。

毎回、山のようなゴミを出してるんだけど、
家の中、あまり片付いた感じがしないのはなぜ?

まだまだまだまだ、ゴミがある。

ためたもの、宝物のように思ってたものには価値がなかったと思い知る。

本を全部買ったときの値段に出来たら何百万円になるだろうか、
なんて考えたりして、頭を振って打ち払う。
またまた「たら、れば」の悪い癖。妄想妄想。

そんなものかもしれないな。と、
ふと、どこかの宗教の壷みたいなものを連想してみる。
あるいは、高いお金を出してとった資格とか。
何の役にも立たない物をありがたがって、価値を他人に認めさせたがるみたいな。

嘘だったー、自分にはいらないものだったー、と気付きたくないものだよね。
でも、気付いたらしがみ付かずに捨てられるし、新しいモノの見方ができるはず。

ってね。

まだまだまだまだではあるけれど、
目に見える環境が少ーしずつ前進してること教えてくれるから、
もうちょっと行けそうって思うんだ。

七つの子

♪からす なぜなくの からすは山に
 かわいい ななつの 子があるからよ

昨日PTAで行った教育講演会の講師は、ヴィオラ奏者の沖田孝司さん。
トーク&コンサートで、和やかな時間を過ごした。

そこで
「童謡『七つの子』の『七つ』とは、どちらの意味なのでしょう?」
とのクイズを出された。
1番、七羽の子
2番、七歳の子

多くの人が一番に手を挙げる。私も。

しかし、正解は2番だった。
作詞した野口雨情の子供が七歳の時にからすの鳴き声を聞いて、
「かわいい、かわいい」と鳴いていると言ったのを歌ったものだそう。

昔は医療が今のように発達していなくて幼い子供の死亡率が高かった為、
七五三の風習で知られるように「子供は七歳までは神の子」として、
もうこの上もなく大切に大切に育てられてきていた。
なんとか七歳を過ぎればそれなりに抵抗力もついて、生きていける。大人になれる。
その喜びと子供への愛おしさをこめた歌だそうだ。

七歳といえば、今の小学校一年生から二年生の頃。

「小学2年生までは母親のエネルギーの傘の中。」と言われるけれど、
そういう意味も含まれているのかな、などとも思ってみる。

赤ん坊や幼児というまだ“人間じゃない”時期の子供は、
母親の肉体の一部としての感覚は濃い。
そして、神様の預かり物。
神様にお返ししなければならないかもしれない大切な宝物。

母親に最も近く、それでいてまったく思い通りにも
希望通りにもならない、いつ失うかもわからない不確かな存在。
そんな子供への愛情のかけ方は、今の比ではないかもしれない。

そして今は医学が発達して、胎教だ、幼児教育だで、
子供は思いどおりに育てるものだと思われてるけれど、
だからといって、人間として扱われているかどうかは疑問だ。
お人形のように「良い子」であるなら愛されるとすれば。

子供は昔も今もかわりなく、神の子なんだろうけど。


今日はチビの幼稚園最後の発表会だった。
もうじき小学一年生。
あと1年は私のエネルギーの傘の中にあるが、
大きくなったなー、としみじみ思う。

ちなみに、ネットで調べたところ、
からすは卵を7つも産まないし、七歳まで生きないらしい。

熟年離婚の危機チェック

昨日なにげなく見たテレビで、
来年4月に離婚の際に夫の厚生年金を妻に分割する法律が成立するので、
それを待ってる奥様方が多いのだという特集をやっていた。

なんでも、これまでだったら年金を月に4万円程度しか受け取れなかった人が、
法律施行後は、11万円に増額になるのだから、(例)
「今はもうちょっと辛抱しようかな」と思ってる人や、
「これなら別れた後もなんとかなるわ」と決心したりする人もいて、
一気に熟年離婚夫婦が増えるんじゃないかと言われている。

夫婦の絆も金次第ってわけか。
ま、わからないこともないけどね。(謎)

その番組で熟年離婚の危機チェック表があって、
10問中6個以上当てはまると離婚の危険性大といわれていた。

メモをとってはいなくてよく覚えてないのだが、
ネットで調べたのと照らし合わせて、
こんなんだったようなと思い出してみたのが以下。(ウロおぼえだよ)

熟年離婚の危機チェック

1:夫は近所付き合い、親戚付き合いが下手だ。
2:夫は私がいないと何がどこにあるかわからない。
3:夫は私が外出することにうるさい。
4:夫に話しかけても返事がない。
5:夫の好物を出す気がしない。
6:夫には言いたいことがあっても喧嘩になるのが目に見えているので我慢する。
7:趣味に没頭している時間は何よりも楽しい。
8:私が体調を崩しても夫は無関心だ。
9:一緒に食事や旅行に行くより、友人と出かけたほうがいい。
10:夫と二人、向かい合うのは苦痛だ。


・・・・・・6個もいらんだろ。
というのが私の感想。
どうでもいいのと、人間としてヤバイというものとが同列ってどうなの?

1は、まあそんな内気なひともいるよね、というレベル。
2も、教えてもらってないことがわからなくても仕方ないでしょ。
3とくると、寂しがり?ってちょっと鬱陶しいかもしれないけど、まあまあ。
4は、私的には×。もうこれ一つで×。
5、美味しいものを食べさせてもやりたくないぐらい嫌いなら、すぐ別れたら?×。
6、言いたい事言わずに怒りを溜めるのも自己責任だからねー。×。
7、趣味があるのはいいことだよね。夫婦仲とは関係なしに。
8、×。人間失格。
9、どちらも楽しめるのがいいけれど、一緒に外出したくないほど嫌いなら別れろ。×。
10、家族でいる意味なし。×。


離婚とは関係ないと思われる質問4つと、
私なら一つでもう我慢できないと思うのが6つ。×つけたもの。

嫌いで嫌いで仕方ないのに、我慢してまで夫婦をやる打算。
ヤダネ~。

来年4月以降、熟年離婚に踏み切る愛情を持たない計算高い女が
どれくらい出てくるもんだろうか。
でも、離婚しない人でも遺産狙いもあるから、
添い遂げてかいがいしく介護する妻が愛情深いとも限らないんだよね。これが。

我慢はね、しない方がいいよ。ホントにね。
明日死ぬかもしれないのにさ。

好き・嫌い・好き

「すごく好き」と「すごく嫌い」は同じ事、ってどう思う?

とても腹が立つことがあって、「憎い、憎い」と恨み続けてるとして、
それが「好き」と同じなんて事あるだろうか。

実は「すごく好き」も「すごく嫌い」も、
関心を持ってそれで心を占めているという点で同じなのだ。
だから、「好き」の反対は「嫌い」ではなくて、
「無関心」。
遠く遠く、思い浮かべもしないほどに遠くに心を離しちゃうってこと。

それはそうだ。
「あの人は悪い」「ここが嫌いだ」「こういうところが嫌だ」
「こんな事をされた」「あんな事を言われた」「私は傷つけられた」
なんてのを延々と言い続けているのって、ものすごいエネルギー量だから。

どこがどんな風に嫌いかを考え続けるのと、
「スキ、スキッ!」と目をハートにして思い続けるのと、
たいして変わりはないと言われればそうだ。

そして、他人への「好き」は簡単に「嫌い」に転じるのも事実。
可愛さ余って憎さ100倍だもんね。
好きな人が自分の思い通りにならないからって、嫌いになるってのは、
あまりにご都合主義なんだけど、経験ある人は多いはず。

憎しみも心を満たし、ある種、情熱にさえなる。怖いよね。

「こんなにこんなに好きなのに、どうしてこの気持ちを受け取ってくれないんだ!!」
って怒りは、誰の為?
いったい誰が誰を好きなんだ?

「あんなこともこんなこともして尽くしたのに、裏切られた、捨てられた、ひどい!!」
なんてのは、誰が誰に何をしたっての?

その人を心底好きで、その人の立場になって思いやるのであれば、
自分がどう思われようと、相手さえ幸せなら自分も嬉しいはず。
その人の心の自由を認めず、「こう思ってくれなきゃイヤ!」なんてのは、
単に自分が気持ちよくなりたいだけに相手を利用しているに過ぎない。

「好きになってあげるから」「これこれのことをしてあげるから」
で、他人の「好き」な気持ちを買おうとする取り引き。
しかも勝手な押し売り。
迷惑な話。

それが本当に「好き」?

期待通りに応えてくれないと、途端に被害者としてふるまって、
相手を悪人に仕立て上げるのが「好き」の本質?

また、最初から「嫌い」であっても、
自分の希望に反するからなのだから、それも期待の裏返し。
あって欲しい形にないのが、嫌いの正体。

なーんて事考えると、確かに「好き」も「嫌い」も変わりないなと思える。


期待なく、自分に都合がいいかどうかの判断でなく見返りを求めない、
ただ「好き」であるだけの「好き」が、本当の好き。

好かれた人が幸せなんじゃない。
好きな人や物がある人が、幸せなんだよね。

心が満たされる「好き」を見つけたいよ。

たからをこめてかえさんしょ

今年度の地区の子ども会育成連絡協議会主催の催しが
日曜に小学校体育館であった。
今年は劇団風の子中四国による
「たからをこめてかえさんしょ~おっきょちゃんとかっぱ」。

去年は劇団風の子北海道の「どんぐりと山猫(宮沢賢治の三作品)」が
とても良かったので楽しみにしていた。
急な旅行の予定を入れたので見に行けないはずだったのが、
飛行機が飛ばなかったおかげで見れて、それだけは良かった。

チケットは、私がパソコンでプリントした物。
カッターで裁断し、半券切り離し用のミシン目をミシンでダダダと入れて、
600枚手作りした。
当初、コンビニで販売していたのが売れなくて役員の人たちは慌てていたが、
各育成会単位の個別の手渡しに切り替えて、
何とか会場は大入り満員になったようだ。

劇団風の子さんは、音を効果的に使うのがとても面白い。
自然の材料を使った手作りの楽器で、右に左にと注意を引く。
去年は耳と目で風をイメージさせてくれたが、今年は水。
どちらも「流れ」を感じさせる。
ただの閉じた空間に、流れが出来ると、
観客は自然とその世界に引き込まれていく。



ストーリーは、女の子が、カッパの子に水の世界のお祭りに招かれて、
水底の村で楽しく遊び暮らすようになるのだけれど、


ある日、人間の世界を思い出してどうしても帰りたくなってしまい泣いてばかり。
その姿に心を痛めたカッパの子は・・・、というお話。

女の子が大好きでずっと一緒にいたいけど、それでは幸せにはしてあげられない。
やっとの事で教えてもらえた返す方法を使うと、女の子とは二度と逢えない。
思い出も消える。
悩むカッパの子。でも、そこは子供向け。決断は早い。
「哀別離苦」だわねぇ・・・。と大人の目線で勝手に一人シミジミしてしまう私。


見終って、余韻でウルウルしている私とは対照的に、
小5の次男はふてくされてる。
こいつは来る時からはぶてていたのだ。
「家でゲームをしている方がいい」と言うのを無理やり引っ張ってきたから。
車の中で
「今度から俺のチケットは買わないでよ!
 映画なら行ってもいいけど、何で芝居なんか見ないといけないんだ。
 幼稚っぽい。つまらん。面白くない」と、あまりにもブツクサ言うから、
私もつい、
「ゲームなんかよりよっぽどいいよ!!
 あんたね、生身の人間の動きを目の前でリアルに見るという経験ほど、
 力強い感動を得られる物はないんだよ!!
 テレビ画面とかゲームとか、そんな作り物にはまる方がよっぽどくだらんわ!!
 お母さんは、あんたに悪い物をみせようとしてるんじゃないんだからね。
 ゲームなんかいつでもいくらでもできるじゃない。
 何で、今しか楽しめない事を精一杯吸収しようとしないかね。
 もうゲーム脳で、頭が馬鹿になってるんじゃないの?!!!」
と、強く言ってしまった。
これに子供が反論できるわけはない。

「これって強制かな。。。抑えつけてるかな。。。
 子供の自主性を無視してるかな。。。親のエゴ???」
とも思い、
「いいや!私は間違ってない!!」
とも思う。

“手放すのが、大切な人の幸せなら、喜んで手放す”は、
「たからをこめてかえさんしょ」のテーマでもあったけど、
幸せを感じる心を育てるのが親の勤めなら、それ以前の部分。

・・・でも、本当にそう?
私は過干渉か、否か?

と母が悩んでいる事など知りもせず、
次男は家に帰るとすぐにゲームを始めるのであった。

ソニータイマー

息子がゲームだけでなく、
ネットをしたり音楽を聴いたり読書したりと
フル活用で、ここのところ肌身離さずいたPSPの調子が悪い。
ソフトを読み込まなくなったらしい。
昨日は、それにずっとかかりっきり。
ソフトや記録面をきれいにしたり、軽く叩いたり、電源を入れなおしたり、
できる事はすべてやったようだが直らない。
今朝になって、
「これ、修理してもらえるんかねぇ?」と聞くので、
「保証期間内ならやってもらえるんじゃないの?
 でも、電化製品なんか三年の保障期間切れ直後に壊れるって
 有名なソニータイマーの話もあるから、期限切れかもしんないよ」
と笑って答える。

息子が保証書を確認してみると・・・、【購入日2005年2月2日】
で、保障期間一年間。
昨日までかよ・・・・・・。
さすが、ソニータイマー。
狂いはない。

10時になったらサポートセンターに電話する!!

嫁の道 姑の誕生日編

昨日は姑の誕生日だった。
プレゼントとケーキを持って子供たちと夕方から実家に向う。
何歳なのか、あえて聞かない。

プレゼントに選んだのは、
しっとり落ち着いた薄いピンクのブランケット。
肌触りが柔らかくて軽いので、ひざにかけたり、
うたた寝に肩にかけたりするといいかと思って。
姑はふんわりと花のような人なので、地味な色は似合わない。

実家に行くと、テレビの上にやはり色んな種類のピンクを取り混ぜた
ミニ薔薇の華やかな花かごが飾ってあった。
これは次男の嫁さんとピンとくる。
そもそも誕生日など気にもしてなくて気まぐれに祝う適当な私と違って、
彼女はテキパキしっかり者の几帳面な人なので、
毎年きっちりと花を贈っている。
(もしかしたら私の名前も連名になってるかも:汗)

姑の指には琥珀色の立体的なビーズのリングがはめられている。
たぶんこれは、三男の嫁さんっぽい。
彼女は手芸全般、何でも小物作りが大好きな家庭的な人で、
最近はビーズのアクセサリー作りに凝っている様子。

実家に来られない息子達からももちろん電話が入る。
姑の「いいよね。あんた忙しいんだから、気にしんさんな」という話で、
だいたい内容はわかる。

持参した手巻き寿司とオードブルとお刺身でパーティ。
夫はまだまだ仕事が忙しい中、1Fと2Fの事務所と実家を行ったり来たり。
食事の後は、ケーキタイム。
いつもウチでやるように、「♪ハッピバースディ トゥーユー」と皆で歌うと、
姑は嬉し恥ずかしいような表情をして「まあ、まあ、、、」。

というような楽しい時間を過ごしての帰路、
次男がブツクサ言う。

「お母さん、ひど過ぎ。あれじゃ、お祖母ちゃんが可哀想」
姑の誕生日の祝いというのに、皿を持ってきてもらったり、
コーヒーやお茶を入れてもらったり、後片付けまでしてもらったりと、
忙しく動いていたのは姑で、私は殆んどドッシリ座って動かず、
食べるだけ食べたらダラダラ横になったりしていたのが、目に余ったようだ。
そう、それが私の実家スタイル。
無理しなーい。自分を作らなーい。いつも通ーり。
およそ長男の嫁らしからぬ振る舞いだけど、気にしなーい。

「だいたいお母さんは、いつもそうだから」と、長男まで言いはじめ、
男の子達の私への猛攻撃。

「はいはい。言いたい事はよーくわかった。STOP、STOP」
と制して私は言う。
「なら、君達が動けばいいじゃん? 
 お祖母ちゃんが大変そうで可哀想だと思うなら、君達が手伝いなさい」

「人に『ああしてくれない。こうすればいいのに』と不満持って、
 文句を言う前に、どうして自分で出来る事をしないかねぇ?」

子ども達は言い返せない。
「わかった。そうする」と一言。
はい。よいお返事。

「いいのいいの。お祖母ちゃんは人を喜ばせるのが好きなんだから、
 お母さんは、してもらう事をありがたく受けて喜んで親孝行してるの」
と言うと、
男の子達は顔を見合わせて、本当かいな?という複雑な表情をしていた。
本当にそうなんだよ~ん。


姑が「すぐ読めるから読んでみて」と貸してくれた本。
ミヤコ蝶々の「女ひとり」。波乱に満ちた人生が面白いらしい。
060202_1715~01.jpg

虹を追って

昨日の朝、空模様が悪く子ども達を車で送っていったので、
中学校の長男を4時に迎えに行った。

中学前についたとき、
まだ下校している生徒の姿が見えなかった。
待っている間に買い物でもしようと、少し先の市場に向う。
駐車場に車を止めて、ふと空を見上げると
・・・・・・大きな虹!!

山に向う道のをまたぐようにくっきりと鮮やかなレインボー!!
これは、写真に撮らねば。
と、思ったもののカメラを持っていない。
携帯で撮影。

ああ、ダメだ。
見た目はきれいなんだけど、
電柱やら電線やら標識やら看板やらがやたらと多い。
電柱と電線を避けて。

でもダメ。入る。
もう少し前に行って。

まだダメ。
もっともっと先に。
携帯のレンズを虹に向けたまま、
小雨の中をタッタッタッタと走る。
まだか、ここなら、どうだ、いや、もうちょっと。

としてるうちに、虹が薄くなり始めた。

「ああ~、ちょちょっと、もう少しだけ待って、消えないで。」
もう真ん中あたりはほとんど見えない。

虹のかかる元は山のこちら側で、とてもファンタジックなんだけど。

と、最後の一枚にやっと、
電線も電柱も看板も入らない写真が撮れた。

振り返ると、相当の距離を走っていた。
「何をやってるんだろうか。私ってば。」と一人で笑う。

車に戻るともう迎えに行かねばならない時間。
慌てて中学校へ。
結局、買い物できず。

長男はすでに学校前で待っていた。

やろうとすれば、できる!

「やろうと思えばできたのに。」
そんな愚痴で終わる人生なんて虚しい。
生まれた意味ない。
生きてる価値ない。

だから、私は私のやりたい事をやりたいようにする。
「○○したいけど、でも・・・○○だから無理。」
これが私のこれまで。

これからは、「したい」のなら「する」人間。

もちろん、今できるか、時期を待たねばならないかはある。
しかし「そのうちに」「あとで」とも言わない。
「○○をするために、今、これをやる!」のだ。

「どうしても」とは、
それくらい強い意志との自覚があるのかどうかを自分に問うたもの。
実際に犯罪をおかすとか、家族を捨てるという意味ではなくて。

警察に捕まって犯罪者になるから罪を犯さない。
世間に白い目で見られるし経済的に不安なので家庭を捨てられない。
ってな事はどうでもいい。

私はやりたいようにする。

だから、夫も子ども達も、誰かの期待にこたえようとするのではなく、
自分のやりたいことをしてくれていい。

行く手を妨害する障壁なんか、実在してはいない。
すべて自分が作った枠。
自分が作った制限。
それは幻想。

私は誰のものでもない自分の人生を生きる。

法律に触れるからやりたくないのではなく、
やりたくない事がたまたま犯罪だっただけ。
そして、私が家族を好きで一緒に暮らしたくて暮らしてる。

私の旅行は家族に少しの不便をかけるけれど、それでも私は行きたい。
だから行く。
誰にも強制されないし、誰の犠牲にもならない、自分の選択。
自分の責任。

どう思われようと、どうなろうと、結果はもちろんすべて私が引き受ける。
そう覚悟を決めさえすれば、人生は思いのままなのだ。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

★★応援しています!★★
最近の記事
武道なリンク

日野武道研究所


武禅一の行

ほぼ毎日更新
(ぜひブックマークに!)
移転しています
日野晃の
さむらいなこころ


YouTube
[SRS伝説の武道家 達人 日野晃]

YouTube
[コンサートに向けて(ドラム)]

YouTube
[2005年のfeel&connect]
9日間のワークショップを10分で紹介
http://jp.youtube.com/watch?v=hA37h1-nYPc
http://jp.youtube.com/watch?v=ADoNbkOJFjc

クイズ紳助くん 2007年2月19日
「なにわ突撃隊 こころを鍛えろ!武道研究家に学ぶ!!」
オープニング映像有



やもりこ先生のブログ
峠より

八幡 謙介さんのブログ
ギター教室講師のブログ

香月章伽さんのHP
香月ダンスファミリー

館兄さんのブログ
ボディーアーキテクト公式サイト

北村成美さんのHP
なにわのコリオグラファー“しげやん”

たてまるさんのブログ
たてまるの日記

やましろ整体さんのブログ
女整体師の 出張めがね日記

怪談師夜魔猫GINさんのブログ
オカルト酒場の片隅で

星が見える名言集100
カテゴリー
最近のコメント
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QRコード
RSSフィード
最近のトラックバック
ブログ内検索
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。