スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

マジメ

女性数人とお茶をしていた。
皆、タバコを吸うのでもらい煙草とか、ライターが行き交っていた。

一人が私に聞いた。
「ぽあんさんは、タバコ吸わないの?」
「うん。吸わない。」

別の人が聞いた。
「じゃ、パチンコは?」
この人はハマッていて時間があったら通っているらしい。
「しない。」

「へ~~、マジメね。」と言われる。
私には子供のころからお馴染みのレッテルだ。

その人はこう続けた。
「私がタバコを吸うようになったのは結婚してからなの。
 それまでは全然吸ったことなかった。
 パチンコもそう。やり始めたのは最近のこと。
 ここなら実家から遠くて親の目もないからね。
 好きに羽を伸ばせていいよ。」

どうやら親が生真面目で厳しい人らしい。
彼女は私と同い年なのだけれど。

そんな彼女には「へ~~、“いい子ちゃん”ね。」と言ってあげよう。
スポンサーサイト

聖職者の選び方

医者にかかる時、あるいは教師につく時、弁護士に依頼する時、仕事のために体調を崩して、顔色悪く、「食事する暇もない」「眠ってもいられない」とボロボロにやつれた人に好んでお願いしたい人は、まずいない。

それは特にこういった職業に限ってでもなく、一般のどんな仕事・役割であってもそうだろうが。

病気がちであるとか、障害を持っているとかは別にかまわない。
体を大切にして折り合いをつけながら目ざましい成果をあげる人はいくらでもいる。

しかし、仕事のために無理をしている姿、“あなた”のために身を粉にして犠牲になっている姿を、これみよがしにアピールしてくる人というのはどうも胡散臭くて気持ち悪い。

「何か裏がある」と大抵の人は感じるし、そもそも「自己管理のできない不摂生な人に大切な事は任せられない」だろう。

だが、「私たちのためにこんなに親身になって無理してくれてありがたい」と感激して喜ぶ人たちの集まりというものも存在する。

それが宗教依存という病。

信者は教祖が無理をすればするほど熱狂する。
大病を吹聴する教祖様の多いこと。

世のため人のため何日もに渡って神に不眠不休の真剣な祈りを捧げ、強力な霊障にやられ、妨害しようとする「魔」の攻撃と闘い健康を損なうのが聖人の証とは、どこをどう脳内変換したらそうなるのか。
おまけにその病人が信者の病気治しもするというのだから、わけがわからない。

教祖に「私はこんなになるまで世のために尽くしているのに、皆の誠意が見られない。信仰心が足りない。」と叱責されながら無理してお布施をする信者たち。

則を知り人々を導く立場の者でありながら、不幸で怒りをあらわに恩着せがましいというのは、「私にはその資格はありません」と自ら公言しているようなものなのに。
自分を他人の犠牲にして見せる人なら、他人の犠牲も求めて平気なのだから。

誰かのために苦しむことには何の価値もありはしない。


医師も教師も弁護士も、ある意味人の人生を左右する職業だから「聖職」と呼ばれている。
心を癒し、生き方を教え、規範を示す宗教者はその全ての要素を持つ最たるもの。
そうした見方で照らし合わせてみることで、その人が何者なのかもしかしたら見えてくるものがあるかもしれない。

何がしたくて、どうなりたくてそこに行くのか。
それを見失った人が「被害者」になる。

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

なにしに

夕方、長男が揚げ物している私のそばにきて、つまみ食いしながらこう言った。

「俺、週に二日も休みはいらんよ。」

どうやら家にいると、することなくて退屈らしい。

意外に思い、「じゃあ、学校が好きなわけ?」と聞くと、

「うん。授業以外は。」と答える。

なにしに学校行ってんだか。ε-(ーдー;)

全肯定

「自分の過去は全部肯定せなあかんぞ」

日野晃先生は武禅の夜にそう話をされた。

すぐには納得できない私。

「えっ? でも、でも、つらい過去も?」

「そうや」

「悪いこといっぱいしたことも?」

「そうや」

「他人を傷つけたり、汚れたことも?」

「うん」

「あ、それって、今は過去の私のせいで誰も苦しんでいないから、もういいってことですね?」

「いや、そんなことはどうでもいいんや。
 した事がどうでも、今そのせいで誰がどうなっていようとも関係ない。
 とにかく過去は全肯定や」


・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、そうか、そうなのか・・・。
その時、何かが溶けていくのを感じた。
解けたのではなく、溶けた。

わかっていたはずだった。

“過去を許す”“自分との和解”“自己肯定”“過去があるから今がある”
そんな言葉としては。
だから、「過去を肯定しなければならない!」とも。
知っていた。
一生懸命、そう し よ う としてきた。

私の身の上におきた出来事の意味を探して。
してきたことの結果を今に結び付けて。
「あれはこの為にあった。
 私のしたことが今こうなったから結果として皆にとって良かったんだ。
 すべては必然。意味のないことなんかおこらない。
 うまくいくようにできている!!」
そんなポジティブシンキングで固めて固めて。

これを守ろうとしていた。
崩されることを恐れていた。
それがいくら明るいほうを向いても拭い去れない罪悪感と無価値感の元だったのに。

すべての過去を全肯定。
「良かったことにする」のではなくて、もはや「それでいい」のだ。
今が幸福でも不幸でも、過去はすべて「それでいい」。
もし誰かが私のせいで泣いているとしても、殺したいぐらい憎まれていようと「それでいい」。

何も解決してないとしても、汚れたままでも、いずれ報いがくるとしても「それでいい」。

過去を全肯定とは、すべてを引き受けるということ。

肩に乗っかる重荷のように思っていたものが、実は踏み台だったってそんな感じ。

どんなものであっても、これは私の人生なのだ。

先生の言われた意図と合っているかどうかはわからないが、そう遠く外れてはないと思う。
私にとっての今の正解。
いつか間違いってことになったとしても「それでいい」んだから。

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

指の長さ占い

おしゃべり好きのヤクルトお姉さんの今週の話題は、某超有名女性占い師の説。

なんでも、手をまっすぐ広げて小指が薬指の第一関節に届かないぐらい短い女性は子供を産む数が少ないのだとか。

ヤクルトお姉さんは三十代半ばで二人の子持ち。
「小指が短いからもうこれ以上は無理みたいです」と手を見せてくれた。
なるほど短い。

では私は?
と指を見てみると・・・、もっと短かった。
手自体が小さい彼女と比べてそれぞれの指は長いのだが、割合的に見れば、薬指に比べて小指は短い。

「ああそっか~、だからたった4人しか子供ができなかったのか。
 小指が長ければ今頃10人以上は産めてたのに~~」
と言って二人で笑った。

そういえば、小学生ぐらいのとき、片手でもう片方の手のひらのした部分を押して手首にできる小さな盛り上がりの数を将来できる子供の数だとする占いが流行ったことがあったなと思い出した。
「私一人」「私三人」なんて遊んでたっけ。
占いなんてそんなもんだ。

今、自分の手でやってみたら右手2こ、左手2この計4つ。
おお、当たってる!(笑)

それはそうと、某超有名占い師は手相見だったっけか?

テーマ : 日々のつれづれ
ジャンル : 日記

子どもを守る最も有力な手段

昨日はお昼までで仕事が終わったので、帰りがけに市役所に併設してある図書館に立ち寄ったのだが、あいにく図書の整理週間とかで閉まっていてガッカリ。
ついでなので二階ギャラリーで開催されていた絵画展を見て、出ようとしたら何やら人だかりができている。
大ホールで催し物があるらしい。
何だろうかと近づいて見ているうちに行列に流されて、暇すぎるぐらい暇だったもんでそのまま会場内に。
席について、入り口で手渡されたレジュメを見て初めてここが企業向けの人権についての講演会が開かれる場である事を知った。

講師は、エンパワメントセンター代表の森田ゆりさん。
この方は、アメリカと日本で過去25年間、子ども、女性への虐待防止専門職の養成に携わってこられて、日本にCAPプログラムを導入した人でもある。

私の子どもが通っている小学校でも近頃イジメの問題が浮上し、PTAとして何か出来ることをと協議した結果、CAPプログラムを問題が起きている学年対象に受けさすのが最適であろうと、つい先日、実施したばかりだった。
ワークショップは子供達に確かに変化を与えたようで、相談コーナーにはドッと多くの子供達が押し寄せ、終了時間を大幅にオーバーする場面も見られたという。
「こんなの嫌だ」「このままじゃいけない」と思っていた子がそれだけ多かったということ。
子どもが内に閉じ込めていた思いを人に話せたのは大きな一歩だ。

そのCAPプログラムを日本に持ってきた張本人の話しが期せずして聞けるとは、なんというタイミングだろう。

講演での話は、お父様の幼少時に先の人生に勇気と自信を与えてくれた人との出会いをしたという体験談の紹介から始まり、人権とは、生きる力とは、と徐々に内容を深めていった。

「生きる力を子どもにつけさそう」「生きる力を取り戻そう」とのスローガンは教育の場では近年さいさい耳にする言葉だが、ではいったい「生きる力」とは何なのだろうかとは、ずっと考えていたことだった。

かつて文科省のどなたかは、
「いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性」
というようなことを言っていたが、わかるような、わからないような、何とも歯切れの悪さを感じるのは私だけだろうか。
自他を高める優れた人格が、即ち生きる力?
どうも違うような・・・そう思っていたのだが、そんなモヤモヤが、今回、森田さんの話でスッキリと整理された。

生きる力は大きな二本の柱でできている。
呼吸し、飲み食いし、排泄し、眠る「生理的力」。
そして、自身の状態や要求を他者に訴えかける「人とつながる力」。

人は“人として”人とつながって初めて生きて行ける。
その力を破滅的なほど損なうのが、“モノとして”の扱いだ。

“モノとして”扱われた人は、まず他者へ働きかける能力を失い、自分を守れなくなり、やがて生理的力も衰えていく。
食べれず眠れず動けず硬直して沈み込んだ闇に一筋さす光。
それが死であっても、それより他に選ぶ道は見つけられない心理となるのは、多くの人が立証してくれている。
引っ張り上げようとすればするほど逆効果。

自殺は極端な現われだが、健康だと思いながら思われながらゆっくりと死んで行っている人も多いような気がする。


話の中に、人が人権を侵害された時にどんな心の状態になるかとの問いかけがあった。
三つの状態になるという。
1:恐怖・不安
怖くて怖くてたまらない。ある場所には近づけないし、連想させるものに触れるのも嫌という恐怖は時がたっても薄れない。どこにいても不安から逃れることもできない。
2:無力感
どうせ自分はダメなんだ。何もできない。何をしても無駄。
3:選択肢がなくなる
どうするかを自分で考えたり選んだりは不可能。
ちらりと死が浮かんだらそれしか方法はなくなってしまうのがこれ。

私は3番は「怒り!」と思ったのだが、違ってた。
どうして自分がこんな目にあわなきゃならないんだと怒り狂って相手も周囲もめちゃめちゃにしたくなる破壊衝動というのが私には馴染み深いから。
しかし、よく考えてみれば「どうして自分が?」も怒りも自信だし、恐怖に身がすくんでいたら他人を傷つけ恐れさせる事ができるわけもないのだから外れて当然ではある。
また、私のように、ちょっとしたことでワーワーと大騒ぎして周囲に助けを求めまくるのは、意外と良い方法だったとも知った。
(はたには大迷惑で、毎度毎度申し訳ないことなんだけれど:汗)

逃げていい。助けを求めていい。
そういうのも自然と身に付くのではなく、わざわざ知識として教えられる時代になったのかと思うと、何だか変な感じがしてしまう。

走り回り、大声を出し、ぶつかり合って理不尽な目に遭い、我慢したり、意地悪をしたり、後悔して仲直りしたり。
拒絶する人がいれば、受け入れる人もいる。虐める人もいれば、優しい人もいる。好いてくれる人もいれば、嫌う人もいる。
そんな中で、自分の場所を築いていくんじゃないだろうか。
昔の日本ではそれが普通にできていたはずなのに。

そんなことを漠然と考えていたら、最後に森田さんがそれに近い事を言われていた。
「今、日本では偏った報道のあり方によって、過剰な不安に覆われて子どもが常に大人の監視下にあるという異様な状態になっている。
 日本の子どもから放課後とみちくさが消えた。」という話。
(詳しい内容はこちら)
「子ども見守り、防犯ブザー、そんなもので子どもは守れない。
道の真ん中で起こる犯罪はほとんどない。家の中とか見えない所でおきているのが実際。
子どもはいつも知って欲しがっている。異変を感じて欲しがっている。
それを大人が受け止めていないだけ。
子どもを守るのに一番有効なのは、子どもの声を聞くこと。
ただ、話を聞いてください。

やはり、ここに行き着くのだった。

テーマ : 不安定な心
ジャンル : 心と身体

携帯クンにおまかせ

  お母さんと喧嘩しました。
  顔を見て謝りにくい時は、最近は携帯クンにお願いしています。
  (ピピピピ・・・メールを受信した携帯画面に
   ハートに囲まれた「ごめんなさい」の文字)
  お母さんも同じみたい。(笑)


ある携帯会社のコマーシャル。

こういう使い方は、実際、増えているようだ。

息子が遊びに行った友人の家でも、部屋にいる子どもに母親からメールが入ったと言う。
「そろそろご飯よ。」と。
声が届かないような大豪邸でもないのだが、口を使うより携帯を使う方が早いらしい。
その家では日常的に何でもメールで伝えていると聞いて「へえ~~」と思う。

すぐ側にいる人との会話にメールが多用されるようになると、遠くの他人と交わす際には、よほど注意しないと距離感に狂いが生じ易くなるような気がしてならない。

文字の情報と、実際に目の前にその人を見て話す時に受け取る情報とは、比べ物にならないほどの圧倒的差がある。
表情、顔色、目の動き、声のトーン、間、呼吸、しぐさ、それら目に見え耳に聞こえる物の他に、体温や匂い、実のところ発するオーラまで人は感じ取っているのだ。(そうとは知らずにでも)

デジタル機器での表示で伝えられるのはあくまで文字。
そこに想いを込めることは可能だが、届くのは言葉だけ。
大切なものは、それ以外が伝えている方が断然多い。

携帯メールで伝えられる「ごめんなさい」は、どこまでの「ごめんなさい」なのだろう。

今、出会い系サイトが問題になっているが、携帯メールを通じての愛の言葉は一日に何万も飛び交っている。
正体のわからない人の打った言葉だけの情報で組み立てられた人物像に好感を持ち、恋をする。
さまざまなHPやBlogもあり、その中で交友関係を広げる人も多い。
困りごとを相談すれば、ワッと集まり盛り上がる様はどこでも見られる。
無責任な場所からかけられる励まし、慰めや救いの優しい言葉。言葉。言葉。

何が信じられるのか。

汚いところ悪いところもむき出しで触れ、鬱陶しいぐらいずけずけと踏み込んでくる、時にこの上もなく腹立たしいほどの邪魔な存在というのが、本当に正面きって関わりを持つ時の人間の姿なんじゃないだろうか。
ぶつかれば必ず摩擦がおきる。
それが違和感であり、自分を見つめ自分を知るための手がかり。
それを避けるのは、他人に対する無関心であり、とりもなおさず自分への無関心ということだ。

今、何をしたいのか。
誰に自分の何を伝えたいのかは、押さえておかなくては。

“都合”ばかり先立つと、そこを見失う。

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

「いただきます」は誰に言う?

学校給食を食べる時に合掌させて「いただきます」と言わせるのは「宗教的行為の強制だ」とか、「親が給食費を払って食べているのだからおかしい」とクレームをつける親がいるらしい。
不思議な世の中になったものだ。
家族がてんでバラバラに黙ってモソモソと食べる「個食(孤食)」も珍しくない時代だからこそ出る話なのだろう。

合掌は何のために。
「いただきます」は誰に言っているか。
そんなの口で説明するようなことじゃないけれど、今の親の世代で、その親から伝えてもらえてない人が少なからずいるようだ。

命をいただいている。命がつながっていく。
その実感が持てるか持てないかは、ここが大きく左右する。

人間は一人で存在していない。
物は買えても縁や恩はお金に換えられない。
伝えるべきはそういったこと。

家庭で出来なくなった躾を学校の責任になすりつけておきながら、ごく普通の事を普通にやってもクレームならば、どうすりゃいいのか。

ある学校では保護者からの苦情に配慮して、給食はじめの合図にピーッと笛を鳴らすように“改善”したという話もある。(オイオイ:汗)
文句を言う親も親だが、まじめに取り合う方もどっちもどっちだ。

ま、この手の話はどこからどこまでが事実で、どこからが面白おかしくした誇張なのか真偽の程は定かではないのだけれど、傾向としてはありうることだろうとは思う。

「食」は、生命と直結する人間にとって最も重要な要素。
大切なことは大切なように心を配りたい。

おいしい生活

「しあわせ~」
「あー、生まれてきてよかった~」

長女の口癖。
毎日必ず一回以上は口にしてるような。

どんな時に言うのかというと、美味しいものを食べた時。
とろけるような顔をして。
きなこパン一つで幸せになれるんだから安いもんだ。

「生まれてきてよかった~」とまで言われたら、
「生んでよかった~」と思わないわけにいかないよね。
きっと食べ物たちも「この人に食べられてよかった~」だろうな。

食べ物の好き嫌いがどういう仕組みでできるのか知らないのだけれど、嫌いなものがある人にとっては、健康のためにと無理に食べさせられるのはものすごい苦痛だと聞く。
その点、好き嫌いがないと、そういうストレスもなくていいし、何でも美味しく食べられるのは一つの才能かも。
こだわりないから決してグルメじゃないんだけどね。

同じご飯でも、美味しく食べる人と食べると美味しいし、不味そうに食べる人と食べると不味くなるのはあると思う。

子供達のおかげで私は毎日ご飯が美味しく食べられて、
「しあわせ~」

今日の食卓

境港で買った蟹。
一人一匹ずつお皿に出したら、なんか可笑しいのよね。

kanikaigi.jpg


蟹味噌もたっぷり。おいしくたらふく食べました。


旧暦初詣

2月18日は旧暦の正月でもあり、今年はチベット暦の正月にもあたるということで、この日を山陰神社巡りの日と決めた。

今回のお供は娘二人。
朝5時半に家を出て、広島から7時にバスに乗り、3時間半かけて松江駅に到着した。
駅前で初のレンタカー体験。
ついでにカーナビの案内を使ってみるのも初。
方向音痴の私だが、これさえあれば大丈夫そう。

まず目指すのは、やはり美保神社。
雨の中車を走らせたが、いつも神社に着くと小降りになってくれるので助かる。
美保神社は恵比寿様の総本宮だが、素朴で女性的な優しい佇まいだ。
空気が柔らかい。
本宮内はバスツアー客らしき大勢の人たちが祈祷を受けていた。
私は年始に郵送で祈願をすませたので、この度はご挨拶だけのチャリンコ参り。
お賽銭をして祝詞奏上。大切な人の事を祈る。

タクシーの移動ではないので、ちょっとゆっくりしようと、神社を出てすぐの青石畳通りに入ってみた。
昔の風情を残す町並みは情緒がある。一軒のお店でしょうゆアイスなるものを食し、みやげ物やでイカ焼きをほおばる。
子ども連れだとどこに行っても食べ物を買うようになる。

次は佐太神社。カーナビのおかげで楽々行ける。
こちらは美保神社と比べて硬い雰囲気。
厳しい顔のおじいちゃんといった感じ。
手を清め、さあ行こうとしたところでチビが急に「トイレトイレ」とバタバタしだすので大変だった。

今回はこの二つの神社の他に行きたい所があった。
八重垣神社。
スサノオノミコトとクシナダヒメが結婚して新居を構えた場所で、縁結びの神様として有名どころ。
私は独身時代に友人(女性)と二人で来て恋愛成就を祈り、
そして結婚後は夫と二人で子宝に恵まれるようにと訪れた。
今の暮らしをぜひご報告に行きたかったのだ。

15年ぶりに目にする神社は記憶とは大分変わっていた。
きれいになったのだけれど、こじんまりしたような。
名物のオチンチンの形をした飴とか売ってないし、多くの人になでられてテカテカ光っていた子授けの巨大男根もなくなってるし。
原因はどうも、新たに建てられた結婚式場のようだ。
夢とロマンに満ちた若いカップルは、そういうのは苦手なのかもしれない。
私は古来のおおらかな性のありかたを今に伝えるみたいなのが結構気に入っていたのだけれど。(笑)時代の流れだから仕方ないか。
以前、駐車場にあった食堂には、夫に「女が蛇になるか菩薩になるかは男しだい」と意見してくれたオバちゃんがいたのだけれど、そこもつぶれてしまったようだ。
その頃いた犬だけが今もいて、人恋しげに懐いてくる。
ちょっと寂しさを感じる。

恋占いができる鏡の池だけはあの頃と変わらない。
占っている人たちはチェーンをじゃらじゃらつけた若者や、金髪セクシーな女の子達だが。
娘二人も占ってみた。お姉ちゃんよりチビの方が結婚は早いと出た。

八重垣神社は意宇六社のうちの一つで、六社すべてを回る六社参りというものがあるらしいと聞き、チャレンジしてみることにした。

まず近場の六所神社。
ほんの小さい神社でひっそりと隠れるように建っていた。
そこから少し先に神魂(すがも)神社。
こちらは国宝だけあって、境内も広く社殿も大きい。
本殿の正面にきれいに磨かれた鏡が置いてあり、不思議な印象を受けた。
その次に行ったのが熊野大社。
これはまた堂々とした構え。神社だけでなく、周囲の山全体が神域の荘厳さに満ちている。
長女はやたら「緊張する」と言いっぱなし。他では聞いたこともないのに。
そんなすごい所に行っておきながら、もう時間切れ。
駆け足で回る。

残り二社、真名井神社・揖夜神社にはとうとう行くことはできなかった。
帰りのバスの時間があるから。
また今度、ということで。
次は泊まりでのんびり落ち着いて回りたいものだ。

最後の熊野大社で引いたおみくじは、
私の願いへの返事であれば、最高に嬉しい歌だった。

命の対価

夜回り先生の講演会に一緒に行ったPTA会長から、
その時買った本を借りた。
タイトルはまんま「夜回り先生」。

それまでに関わった5000人の子供達の中から、
講演会で話された物も含めて十数件の事例が書かれており、
水谷氏の生い立ちも少し触れられていた。

身体を張って、命を削ってとはこのことかと思うような、
子どもを引き戻すための壮絶な闘いの記録。

ある時は、子どもをやくざの世界から足を洗わせるために、
自分の利き手の小指をくれてやったりも。
それを、
「なかなか痛かったが、安い買い物だった。」と言われている。

私だったらできるだろうか。
目の前で命が危ないかもしれない“よその子”のために。
自分の子でも、なんでもない時の想像で
指でも腕でも目玉でもと思いはしても、
いざその場になったらどうだかわからないのに。

こういう人が存在する。
その事実だけで、勇気が湧いてくる。

人間は捨てたもんじゃないって。

「苦労は買っても」と言うけれど

若い頃の苦労は買ってでもしろという。

苦労しただけ成長するから。

涙の数だけ優しくなれる、という歌にもあったように、
人は自分が体験した苦しみの分、
他人の境遇に共に涙し、痛手を負った心を思いやれるようになる。

・・・と、されているのだが、
しかし、それなら虐待の連鎖はどうして起こるのかという疑問が持ち上がる。

親に虐待されて育った子は、同じ事を我が子にする。
会社のストレスの腹いせに男が妻を殴れば、妻は子を殴る。
姑にいびられ続けた嫁はいずれ息子の嫁をいびる。
先輩に虐げられた後輩は、次の後輩に地獄のしごき。
家に自分の居場所がない子どもは、学校で弱いものイジメ。
イジメられっ子も状況しだいでコロッとイジメっ子の立場。
どこにもやり場のない子は遂に小動物を殺す。
貧乏で辛酸を舐めた人が金の亡者となり貧しい人々を食い物にする。
抵抗力の弱い老人、女性、子どもを狙う悪質犯罪は増えるばかり。

他人の苦しみを思いやるどころか、
自分も苦しんだんだから、他の人はもっと苦しめとばかりに、
エスカレートする一方だ。
それも虐められた相手への復讐ではなく、弱者に弱者に牙が向く。

自分がやられて辛かったことを、なぜ他人にできるのか?
かつて恐怖と憎悪の対象だったものになぜ自らが変わってしまう?
当然のごとく。

苦労が人の性格を歪めるばかりなのなら、
格言は嘘なんじゃないかという気もしてくる。

だが、中には確かに苦難を血肉にする人もいる。
環境の悪さから一旦荒んだとしても、
そこから立ち直った人は人間的魅力的にあふれ、
たくましい上に、他人への本当の優しさを示す。

何が違うのだろう。
「やられたらやり返さなければ損だ!」とばかり新たな犠牲者を求める人と。

苦労をしたからって偉いわけじゃない。
苦労したからって可哀想なわけじゃない。
苦労したからって、特別扱いされる所以は何もありはしないのに、
そんな人は、自分の行為を正当化する。

理由のない辛さをなぜ自分だけが耐えなければならないのか。
やられたんだからやったっていいじゃないか。当然の権利。
苦しまない人間が存在するなんて不公平だ。
と。

そう考える人は確かに「損」をしている。
自分に与えられた環境から何も学べていないのだから。
自分がここで何をすべきか、何をしたいのかを考えたなら、
「こんな目に遭ったのだから、○○をしたって仕方ない」などとは言えない。
それではまるで、自動反応ロボットだ。

彼らが後生大事にする「損」に対する「得」とは何なのか。
自分を傷つけた人に対する憎しみ。
助けてくれなかった周囲や社会に対する怨み。
何も知らずに幸せな人たちへの嫉み。
同情されるべき自分への憐憫。
それらを合わせて、他人を傷つける権利を有する特権とするのか。

それが「お得」な生き方か?
いつまでも過去に縛られ被害者であり続ける自由無き行き方が。

どうしたかったのか、どうなりたかったのか、
どう接して欲しかったのか、どんな環境だったら良かったのか、
他人との比較ではない本心からの願いに目を向けてみるといい。

かつて叶わなかったその願いは、今も叶わない夢でしかないのかどうか。
無力だった自分は、今も無力なままなのだろうか。
制限を作っているものは何?

人がすることで、仕方なくやらされる事なんかない。
過去も他人も環境も変わらなくても、確実に変えられるものが一つだけある。

「あの時こうだったら」その望みを叶える鍵は、望みを持ったものに託されている。

暗い過去の悲劇は、今の自分がいないからおきたのだ。

怒りをもって壊すべきは、他者ではなくて輪廻の輪。

時代が悪くなっているように見えるけれど、
現代は負の連鎖が明るい場所にさらけ出され、
わかり易くなってきているのかもしれない。

苦労を手かせ足かせにするか、糧にするかはその人しだい。

どうせなら、昨日と同じ繰り返しの今日にはしたくないものだ。
折角、生きているのだから。

テーマ : 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル : 心と身体

理由なき反応

痛み、苦しさ、辛さ、悲しさを感じる必要があって感じていたら、
その感覚にまつわる記憶を呼び覚まして、
心臓が激しく鼓動し、涙が溢れ、思考がものすごい勢いで回り始めた。

意思を持ち、感情を湧かせたら、勝手に身体が反応する。
そして頭がその理由付けを探す、といった具合だ。

えっ? おいおい、待てよ。と慌てる。

これは今の現実ではない。

何かのきっかけがあって自然に心が動いたわけでもない。

私が意図的に感情を持ち上げたら、その感情の要素がついてきて、
あたかもそれが原因で私が揺さぶられたかのような錯覚をさせたのだ。

何もなかった白紙にみるみるうちに書き込まれていく筋書き。
そうやって私をこんな気持ちにさせる“ニクイあの人”の出来上がり。

嘘つけ~~ヾ(~∇~;)

はいはい、もうおしまい!

わざと自分で盛り上げた感情だとわかっているから、切り替えるのも簡単。
雲をかき消すように霧散する。

こだわりとは、こんな風にできていたのかもしれないな、と思う。

私のこれまでの感情のうち、本当に目の前の現実に即しての
生のものは、どれくらいあったのだろうか。

脳内メロドラマに忙しくて、ほとんど見てなかったんじゃないの?

それって、すごくもったいない。


感情を湧かせてみた理由については、また明日。

特別なオンリーワン

 「今や時代はオンリーワンだ!
  ナンバーワンを目指す競争の時代は終わった。
  これからはそれぞれがオンリーワンでなければならない!
  どうすれば世に認められる素晴らしいオンリーワンになれるのか。
  そもそも、オンリーワンというものは・・・・・」

という考え方をする方も、
彼なりの素敵な花を咲かせていらっしゃるようで。

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

聞けない私

相手の話を「聞く」を心がけている。

が、聞けない自分を観るばかりだ。


「さあ、今日こそはちゃんと聞くんだ」と向き合うのだが、
数分後に疲れてしまっている。

気負い過ぎなのかもしれないが、面白くない。
以前なら興味津々だったはずの話題に
めっきり関心が持てなくなっている。

どーでもいい。

「聞いて、聞いて」とばかりに熱を込めて訴えかけてこられても、
中身がまったくわからない。

「この人ってああなのよ、こうなのよ」
「そう・・・」

「普通こんなことまでしないといけないもの?」
「さあ・・・」

「どうしたらいいと思う?」
「うーん?・・・」


上手に返事をする人もいる。
「そりゃあ、へんな人だね」
「普通はないよ。あなたはよくやってあげてるよね。すごいよ」
「そういう人にはね、~~してみたら? こう言ったら?」
会話は弾んで楽しそう。

ちょっと前まで私もそこにいたのだが、もうできない。

なにしろ本当のことが言えないのだから。

「それ悪口?」
「自慢?」
「いいわけ?」

私ときたら相当意地悪だ。

嘘はつけない。
本音は言えない。
だとすると、黙るしかない。
黙って自分から湧き出る反応を流しながら、ただ聞いている。

それでも無言のうちにしっかりと語ってしまったようで、
「ぽあんさん、疲れてる?」
と、聞かれた。

聞けない私でゴメンね。

メロンライスにガムライス

次男がふいにボソッとつぶやいた。

「メロンライスにガムライス・・・」

私はニヤリとしてこう言う。

「あなたはどちらがお好きですか? 私はもちろん・・・」

「えっ!お母さん知ってるの?」次男は目を丸くする。


もっちろ~ん。
だってその話しが載ってる本は私のだよ。

「いつか“同志”に出会った時のためにね」とウインクすると、
「それは絶対にないって!」と息子は笑う。

私が中学の頃にはまって集めまくった星新一の本。
その中の「おのぞみの結末」にある秘密結社ジャックポット教の合言葉がこれ。
私が読んでいた本を、30年の時を越えて今、子供達が読んでいる。
何だか嬉しい。

星新一の本はほとんど持っていた。
「ボッコちゃん」「殺し屋ですのよ」「肩の上の秘書」「味ラジオ」など、
彼の作品はどれも印象深く面白いが、特に心に残っている一つの話しがある。

若者と老人が宇宙船で旅をしていて事故で帰れなくなる。
地球で待つ家族への最後の手紙をそれぞれ書くのだが、名前が記されていない。
その理由は・・・?
というもの。
これはタイトルを忘れたのだけれど、作品に流れる優しく静かな物悲しさを覚えてる。

今、星新一全集「ショートショート1001」が欲しいなと思ってる。
でも、31,500円。
ちょーっと高い。

同悲・同苦を私なりに

同悲・同苦を私なりに考えてみた。


「痛いよ」

「痛いね」

これに尽きると思う。(現時点では)


私は今の自分の一番の関心事でも有り、人間関係の基本でもあると思うので、
何でも子育てに関連付けて考えてしまうのだけれど、
常にこの受け止め方ができているかを自分に問うようにしている。

転んで怪我をして、
「あーあ、まったくあんたはドジだね」

うっかり茶碗を落として割ってしまって、
「何してるんだ!気をつけろ」

頭をぶつけてタンコブできたら、
「ほら、ボサーッとしてるから。馬鹿!」

成績が悪くて落ち込んでいる所に、
「どうしてお前はこうなんだ。頑張らないとダメじゃないか」

こんなシーンはどこででもよく見かけられる。
誰もが一度は言われた経験、言った経験を持つのではないだろうか。

人はなぜか、他人の失敗にひと言言いたくなる傾向がある。
悪気なくても、親しみや励ましのつもりでつい。
しかしそれは「傷口に塩を塗る」と言う。
失敗は他の誰に言われなくても本人がよく自覚していて辛いのだから。


また、こんな人もいる。
泣いている子に、
「それくらいで泣くな!」 「そんなもん、痛くない!」
なぜ痛いか痛くないかを他人が決める?
その人の感じ方を否定する?
それで痛くなくなったとしたら、驚きだ。


「かわいそう」と声をかけるのはどうだろう?
優しい慰めとして、一見、救いになりそうなこの言葉だが、
憐れむ立場と憐れまれる立場を分けて、レッテル付けになることもある。


それでは、どうしたらいいのだろう。

どうにもできない。

どうにもできない自分を知るのみだ。


人が人にできるのは、物理的な手助けだけ。
心に対しては、その痛み・悲しさ苦しみを認め寄り添うことしかできない。
なくすことも、代わりに感じてあげることもできないが、そばにはいられる。
責めずに、逃げずにそこにいる。
それが人の唯一できる事、私はそう思っている。

他人のやることなすこと、自分の身にふりかかる諸々の出来事に対する、
分析、批判、罵倒、嘲笑、追及、諦め、失望、拒絶、憐憫、
そんなありとあらゆる「反応」は、自分が辛さを感じたくないが為の単なる防御。

相手を、事象を「なんとかしよう」としたいのは、「我」が「まま」を通すことに他ならない。

痛む人、苦しむ人が現にいるのなら、それがあってならないことはない。
ならば、痛いなら痛いままで、苦しいなら苦しいままで付き合っていくだけだ。


「痛いよ」

「痛いね」

私もそう寄り添って欲しいから。

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

チョコの日

今日、2月14日は待ちに待ったチョコレートの日!
仕事終わったら即、会社近くのディスカウントストアに走った。
去年のこの日には1500円ぐらいの高級チョコが2・300円で売られていて、すっごくお得だったと同僚から聞いていたので楽しみにしていたのだ。
けれど今年はちょっと品数が少なくて、値引きもそこそこだったみたい。
とりあえず目玉のブランデーチョコとマカダミアナッツチョコ、各1000円相当を400円でGETしたぐらい。
ついでに他のチョコや関係ないお菓子なんぞをいつものごとく買いまくって帰った。
お菓子の山を作って「これでたった○○円だよ!」と、子ども達にエッヘンして見せるのが好き。

今夜は夕食後にチョコパーティだ~。

なのに夫はさっき電話があって、仕事が忙しくて今日も帰れないみたい。
しょうがない。

「妻と子供達の幸せのためにお父様が身を粉にして働いていらっしゃるんだから、
その労に報いて、思う存分みんなで美味しくいただきますからね~」
と言って、甘いチョコを頬張った。

これが私流、バレンタインなのでした。

20070214220141.jpg


不孝者の不幸

長女をくすぐって遊んでると、末っ子がすっ飛んで来る。

「ナナも~~」
「もー、またー、いつもナナばっかりずるい~」
「いいの!ナナのお母さんよ!」
「ナナだけのお母さんじゃないでしょ。みんなのお母さん!!」

さすがにもう上のお兄ちゃん達は参戦しないけれど、
私を求める子供達は、親としての幸せをシミジミ感じさせてくれる。

もう何十年かして、私がヨボヨボボケボケになっても、
「私のお母さんよ!」「いや、俺のだから俺が看る!!」
なーんて取り合いしてくれると嬉しいのだけど。。。どうかなぁ?


看護婦をしている友人が言っていた。

病院では、入院している老人とその家族との関わりに、
人によって明らかな差が見て取れるのだと。

病院ほど、人間がむき出しになる所はない。
その人の性格もそれまでの生き方も、すべて顕わになる場所だから。

家族に惨い扱いを受けている老人は、子どもを虐げていた過去を持ち、
迷惑がって誰も近づかないような人は、
かつて子どもに無関心で冷たかった人だったりする。

「なぜこの人がこんな目に?」と思うような人はめったにおらず、
大抵は他人が見ても「ああ、この人ならそうだろうな」と、
人柄でなんとなくわかってしまうほどらしい。

明るく和やかな家族に取り囲まれたお年寄りもいるすぐ近くで、
残酷なほど違う世界が存在するのだと言う。

したことがわが身に返ると考えても悲しすぎる負の連鎖。

自分の子どもにする事がいずれ自分に返ってくると知っていたら考えただろうか?

自分の親にしている事をいずれ自分にするように子に教えているとわかったら?

ループの中で、それぞれの人にそれぞれの学びの段階。
目を向ければ見えるのだけど。

また、その人たちはそうやって知らず知らずのうちに、
他の人にとっての教え手にもなってくれているのだろう。


さて、今夜も娘達に挟まれて川の字に寝ようかな。
真ん中長いから、小の字か。(笑)

20070214022522.jpg

愛を語るなら

「I LOVE YOU」を軽く(或いは強迫観念的に)口にする国の
離婚率は高く、すさむ子ども、心を病む人も多い。
それに倣う男女のいる国もまた、同じ道をたどってる。

「言わなきゃわからない」と言うけれど、
言えばわかるような簡単な事がなぜ大問題?


現れた問題に対処するために、
多くの人は相手を変えようとするけれど、
まず自分を観ることじゃないのだろうか。
自分が何をしているか。
何ができるか。

言えばいいってもんじゃない。

伝えたい想いがあったのか。
それだけが問われるのだ。

言葉とは素晴らしく、また恐ろしいものでもある。

「愛の言葉」にすがって夜の闇に堕ちる人、
「愛の言葉」を信じて苦境に耐え続ける人も多い。

軽々しくは扱えない。
そんな思いを強くした。

やたらぎこちない自分を感じる。

愛の言葉

本当に愛している人は
「あなたを愛している」とは言わない。

本当に信じていれば
「あなたを信じている」とは言わない。

本当に大切にしているなら
「あなたが大切だ」とは言わない。

と、
「愛している」「信じている」「大切だ」を
ウンザリするほど言われて育った私は、そう思う。

お尻に見えない「~から」「~のに」が付くような、
こんな言葉から伝わるのは、「想い」ではなく、「重さ」。

相手に言って聞かさなければならない必要は誰のためなのか。
それを感じていても気付かない振りをするところから人の孤独は深まる。


愛は一方的に与えたり受けたりするものではなく、
人と人との結びつき、つながりだ。

それは優しい言葉や、心配の表現とは違うもの。


ただそばに寄り添って、共に泣き、共に笑う。
その人のためにできることがあればする。

ふれあいと、実際にする行為以上に「想い」を伝える表現はない。

伝わらないとしたら、そうしていないのだ。

ある意味、問題解決や目標達成とは一番遠いものなのではないだろうか。
そんな気がする。


私は子供達に「愛してる」「信じてる」「大切だ」と言った事は一度もない。
「可愛い可愛い」「好き好き」とは毎日毎日百万回も言うけれど。
これは単なる私の感情。

一緒に笑える人がいるのは幸せだ。

やらぬ後悔の味

きました。選んだはずの「やらぬ後悔」

「やればよかった。やればよかった。やろうと思ったのに。やりかったのに。」

やれやれ。

やったらやったで、
「やらなきゃよかった。やらなきゃよかった。しちゃダメと思ったのに。やりたくなかったのに。」
となっただろうに。

何がおこったわけでもなくて、誰かに何かいわれたわけでもなくて、
しなかったことに当然ながらどこからも反応の返りようもなく、
自分ひとりただ、面白くない感情を湧かせている。

何もなくても最低の気分。
おかしな人だ。

とりあえず三回乗り越えた。
まだまだ「やらぬ後悔」継続中。

「後悔」なくなるまでね。

テロリストのサンクチュアリ

節分の日に丸かぶり巻き寿司を買いに行ったら、魚コーナーに普段見かけない鯨肉が売ってあった。
なんでも山口県では節分の日に大きなものを食べるといいとして、鯨を食べる風習があるからだそうで。
ここは広島なんだけど、すぐお隣だから倣っちゃえということで、調査捕鯨ミンククジラのお刺身とオバイケを買って来て食した。
子どもの頃は給食の竜田揚げが硬いし臭いしで大嫌いだったが、食べれないとなると懐かしい。しかし、ブロックはあまりに高価ゆえ、今回は見送り。
クジラの刺身は子ども達も大好物で、テーブルに乗った次の瞬間には消えてしまった。もちろん私の分はしっかり食べたけど。


南極海で調査捕鯨中の日本船がアメリカ環境保護団体に襲撃され、薬品をかけられて二人負傷したというニュースが今朝の新聞に載っていた。
無茶をする。

「無理にクジラなんか食べなくったって、食料は他にいくらでもあるじゃないか。
 数が少なくなって絶滅が危惧されるクジラを食べるなんて、野蛮だ。
 こんなに頭がよくて可愛い動物を殺すなんて、鬼だ、悪魔だ!」
というのが彼らの主張なのだろうけれど、油をとるためだけに世界中の海で大量虐殺してきた国の人間がどの口で言えるのか。

日本人は古来から鯨と共に生きてきた。
小さな船で近海に漕ぎ出し命がけで闘って持ち帰った鯨の肉を食べ、ろうそくを灯し、ひげも骨も皮もすべて生活の中に活かして。

その文化を、ただ自分達は食べないというだけで否定し、増えすぎて逆に環境のバランスを壊しているミンク鯨の実態を認めず、攻撃的手段に出る「正義」。

もう、テロはやめてくれ。

正しく心優しく勇敢な人ってぇのは、困ったもんだよ。まったくね。

テーマ : 食べ物 漁業/水産/食肉/野菜
ジャンル : ニュース

オルゴールとブーブークッション

「頭のよくなる音」が紹介された番組は、私も子ども達と一緒に見ていた。

脳の“集中力”を示す“アルファ波”をよく発生させるのは、
虫の声、鐘の音、オルゴール等。
変わったところで、ブーブークッションとか。

勉強に集中できないせいでテストの点が30点しかとれないという
小学校5年生の女の子が実験台として出ていた。

オルゴールが鳴る中で勉強にとりかかると、なるほど、
脳波測定器にそれまでになかったアルファ波がしっかり出ている。
しかし、「これは」と期待されたものの、結果、点数はさほど変わらなかった。


我が家はこういう番組にケチをつけながら見るのがだーい好き。

次男なんか、
「集中を表す証拠とかいったって、勉強に集中してるとは限らないだろ。
オルゴールの音に集中してしまって、むしろ勉強の邪魔になったんじゃないのか。」
と、なかなか鋭いことを言う。


だいたいアルファ波はリラックス状態を表す脳波で、
楽しいこと好きなことをやる時に出るものだ。
そりゃ、集中もするし発想も豊かにもなるだろう。
好きな人、物に関することならいくらでも記憶できるし。

だから、
「好きなことをやる→夢中になる→アルファ波が出る」はあっても、
「アルファ波を出させる→集中する→成果が上がる」は
どう考えたってちょっと無理無理。

頭の良くなる食べ物、頭の良くなるCDなんてのは、
少し探せば巷にいくらでもゴロゴロ転がっている。

楽して痩せたいのと同じで、楽して賢くなりたい人は多い。
楽してモテたい人、楽して金持ちになりたい人もこれまた然り。

「これさえ飲めば」「これさえ食べれば」「これさえ身につければ」
「これさえやれば」「これさえ唱えておけば」「これさえ・・・」

それで大成した人なんて古今東西いやしない。
商品のCMに出てたって、実際使っていないから。

垂れ流しにされるメディアの情報を有り難がって鵜呑みにしてたら、
自分が何をしてるかわからなくなるばかり。

オルゴールを聴きたくて聴いている?
お馬さんごっこしたくてロデオボーイ?
苦味大好きで毎日青汁?

何がしたくて、何をしてるの?

なんてのは、わかんない人にはわかんないんだろうけど、
ともかく我が家ではそんな感じでワイワイと話は弾む。
テレビをネタに。
いい教材じゃないのかな。使い方しだいではさ。
これが「頭の良くなるテレビの見方」だ。
なんて言うつもりは、さらさらないが。

いまさら、やらせ番組に怒るのはどうも滑稽なんだよね。

テーマ : あるある大事典
ジャンル : テレビ・ラジオ

考えるゲーム脳

息子達に聞いた。

「ゲームに長時間夢中になっている子どもがいて、
 その子のお母さんが『もうやめなさい』と言ったら、
 『わかってる!うるさい!言うな!』と反抗してきたんだって。
 それで厳しく叱ったら、逆切れして暴れるわ物を壊すわで
 どうしたらいいかわからないと悩んでいるって話聞いたんだけど、
 これ、どうしたらいいと思う?」

息子達は二人揃って、「はぁぁっっつ?何やそれ!」

「そんなの、ゲームぶち壊せばいいだけじゃないん?」
「だいたい、誰がそのゲームを買ってやったわけ?
 親だろ。何しよるんや。馬鹿か。んなもん壊せ壊せ!」
だそうだ。

ふむふむ。
貴重なご意見どうもありがとうございます。
たいへん参考になりました。

んじゃ、
「君達も、もうそろそろゲームやめなさいよ。やりすぎ!」
ってことで。

ムカデのあしなみ

ムカデは百本の足を巧みに動かしてどこでも自由自在に歩いていた。

ある日、他の虫が聞いた。

「ムカデさん、そんなに沢山足があると難しそうですね。
 歩く時、いったいどの足から最初に動かしているのですか?」

ムカデははたと考えた。
  そうだな、そんなこと考えたこともなかったけれど、
  私はどの足から動かしていたんだろう。

足を意識したとたん、ムカデは一歩も歩けなくなった。
  この足か?いや、こっちの足の方が先だったような。
  いやいや、それではぎこちない。こうか?あれ?あれぇ???

考えれば考えるほどおかしくなっていき、前に進めもせず、
整然と揃って動いていたはずの足はもはやてんでバラバラ。
ジタバタとのたくるばかり。

もう、どの足が先かなんかどうでもいい。
  私はどうやって歩いていたんだっけ?
  歩くにはどうしたらいい?

ムカデはどんなに頑張っても歩けない。
焦って足掻いていろんな事を試しても歩けない。

途方にくれるムカデの頭上に、天敵の鳥の黒い影。

ムカデは危機一髪。寸でのところで木のうろに逃げおおせた。


ムカデは思った。
  そうか! 歩こうとしたらダメなんだ。

  歩けばいいんだ!!

あたたかいベッド

こんなことしたり
20070208185343.jpg

私のひざではこーんなポーズ20070208185409.jpg

ゲームと反抗期と親の心配

ある女性から子供のことで悩んでいると相談を受けた。
息子さんがゲームのしすぎで性格が変わってきているのだそうだ。

好ましくないゲーム友達の家に遊びに行って6時すぎまで帰ってこない。
家でもゲームに夢中。ちょっと油断すると持ち出す。
成績はがた落ち。
ゲームで負けたりうまくいかないと、イラついて周囲に八つ当たり。
注意すると反抗的な態度。文句を言う。にらむ。
言動も顔つきまでここ三ヶ月ぐらいで激変したらしい。

「ぽあんさんのところでは、子供、ゲームしない?」と聞かれるので、
「するよ。もうはまりきってる」と答えた。
「ぽあんさんだったら、うちみたいに子供がものすごい剣幕で反抗してきたらどうする?」重ねて聞かれるので、
即座に「ぶちまわすよ」と身振りを交えて答えたら、
「それはやったけど、余計にひどいことになったからもうやめた」と言う。
「怒ると手がつけられなくなるの。物差しなんかバキバキ折っちゃうし暴れて」
それはひどい。
「うちの子は私を怒らすとどうなるか知ってるからかしないね。
 もし子供が物を壊すなら私はそれ以上壊すし、
 暴れるなら私はそれ以上やるからね」
とは言っても、したことはないのだが。そんな状況にならないから。

「でも、うちの子は半端じゃないから。
 もうどうしたらいいんだろう。胃が痛い。」
彼女があまり落ち込んでるもんだから、
「時期的なもんでしょ。そのうち落ち着くよ」と
とりあえず希望的観測を述べておいた。

「どうしたらいいんだろう」と問われても、
私の「こうする」は無理なんだから仕方ない。

こうなるまでに子供は様々なお試しをしてきているはずだ。
「ここまでは大丈夫。ここからはやばい」顔色を窺いながら、
微妙な手ごたえを探り、弱点を見つけ出そうとする。
哀れな顔で「わかってくれない」なんて泣けば罪悪感を与えられるとか、
怒声と暴力でビビラせられる、物を壊して悲しませられる、
外へのアピールで恥をかかせられる、等々。

そういったものにいちいち振り回されてきたなら、
いまさらどうにもならないだろう。
子供が自分で気付くのを見守るぐらいのことしか。それで十分だし。

彼女はこんなことも言っていた。
「子供が怒ると家の空気が変わるから、私も気分が悪くなる。
 黒い邪悪なオーラというか、そういうのに影響されて辛い」と。

家の雰囲気を作るのは、太陽である母親なのだが、
ここでは子供のエネルギーが母親を上回っているようだ。

「そんなふうに変わり者でやんちゃな方が将来が面白いかもよ」
本当にそんな気がしたから言ったのだが、
「そうかな。悪い方に行ったらとことん悪くなるんじゃないかと心配」
なのだそうだ。

うん。お母さんには面白くないかもね。

問題があるから自分が悩まされてると思ってるうちは解消しない。


彼女には言わなかったけど、
一日のゲーム時間は、我が家の長男次男も相当なものだし、
彼女の家では「必ず一定時間勉強をさせる」そうだが、
うちでは宿題だけやったら、誰も机の前に座らない。
しかし私に心配はない。
困れば自分で何とかするものだ。
先回りして失敗しない道を作るなんて誰がしてやるもんか、って感じ。

困れ困れ、挫折しろ。
その方が人生は、だんぜん面白い。

テーマ : 子育て・教育
ジャンル : 学校・教育

シーッ、静かに

「シーーーッ」
今日一日で何回口にしただろう。
誰にでもない、自分に対して。

引き戻しても引き戻しても、意識は空を舞う。
過去へ未来へ。そこかしこへ。
そして私はお留守になる。

「シーーーッ」
頭の中のざわめきを静かにするおまじない。
無駄なお喋りはおしまいにして、
帰っておいで、ここにおいで、私。

何を見てる。
何が聞こえる。
何を触っている。手は、足は。
姿勢はどう。
体重はどこにかかっている。
何を感じる。
何をしている。

・・・・・・ところで、あれどうしたっけ。
こんなことあったよな。
どうしてそういうことになるんだろう。
ごちゃごちゃわやわやぺちゃくちゃざわざわ・・・

ああ、また!また!!
「シーーーッ」

いま、ここ、いま、ここ。
私は今ここ。

テーマ : 自己探求
ジャンル : 心と身体

プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

★★応援しています!★★
最近の記事
武道なリンク

日野武道研究所


武禅一の行

ほぼ毎日更新
(ぜひブックマークに!)
移転しています
日野晃の
さむらいなこころ


YouTube
[SRS伝説の武道家 達人 日野晃]

YouTube
[コンサートに向けて(ドラム)]

YouTube
[2005年のfeel&connect]
9日間のワークショップを10分で紹介
http://jp.youtube.com/watch?v=hA37h1-nYPc
http://jp.youtube.com/watch?v=ADoNbkOJFjc

クイズ紳助くん 2007年2月19日
「なにわ突撃隊 こころを鍛えろ!武道研究家に学ぶ!!」
オープニング映像有



やもりこ先生のブログ
峠より

八幡 謙介さんのブログ
ギター教室講師のブログ

香月章伽さんのHP
香月ダンスファミリー

館兄さんのブログ
ボディーアーキテクト公式サイト

北村成美さんのHP
なにわのコリオグラファー“しげやん”

たてまるさんのブログ
たてまるの日記

やましろ整体さんのブログ
女整体師の 出張めがね日記

怪談師夜魔猫GINさんのブログ
オカルト酒場の片隅で

星が見える名言集100
カテゴリー
最近のコメント
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QRコード
RSSフィード
最近のトラックバック
ブログ内検索
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。