前のページ ぽあん歩庵

アクセルとブレーキ

アクセルとブレーキを同時に踏んでいるのに気付く。

「行け行け〜」と勢いよく走ろうとする自分を、
「待て待て、こんなことして、こんなこと言っていいの?大丈夫?変じゃない?間違ってない?」と押し止ること多し。
何をするにしても、たいてい揉めている。

何だろねー。これは。
気持ちざわつく上に、頭は先手の防御に回るから、進まない割に疲れるばかり。

これを「どうしたらいいのだろうか」と、また考える。
「ダメじゃん、私」と自分を責める。

それが要らん事なんだってのに。(笑)

ブレーキ自体は悪くはないけど、無自覚にやっているのは問題だ。

考えるなら考えればいい。
その上で下した判断に悩まないこと。
失敗したら、次を考えるだけでしょ。

わかっちゃいるけどやめられない?
そりゃ、わかってないんだよ。

仕方ないから付き合ってあげよう。
労多くして実り少ない空回りあがきの一部始終に。
貴重なエネルギーと残り少ない時間の無駄な浪費に。

気が済むまで、やってごらんよ。

私はずっと観てるから。

2007年05月02日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:2

自由人の自由を保障しろ〜

寄ってらっしゃい見てらっしゃい。
哀れな哀れな、現代日本社会の犠牲者達の行列、大行進だよー。
「自由を勝ち取れー!」
「おー!!」
「生存権を認めさせろー!」
「おー!!」
と言ったかどうだか知らないけれど、とにかく、「自由と生存のメーデー」として、派遣労働者やフリーターの若者らによる300人のデモ行進があったという。
実際に叫んでいたのは、「非正社員を使い捨てにするなー!」「交通費をよこせー!」だったらしいが、だったら正社員として働くなり、交通費支給の条件の所に行けばいいんじゃないの?
そう思わない?
どこの経営者が、たいして能力もない、いくらでも取り替えのきく人間に、成果以上の賃金を支払いたいよ?
必要な時にだけ使えるというのがメリットだから雇ってもらえてるのに。
自分が人を雇用する立場だったら、要らない人間に手当てを出して、会社に損失を与えるのか?この人たちは?
そんなふうに置き換えて考える事もできないんだろうなぁ。
だから、フリーターだし、だから、苦しい生活が続いてんだろうな。うんうん、納得。

人権派の政治家や、テレビのコメンテーター達は、同情的な言葉で世に訴えかける。
「努力が足りないと思われがちだけど、そうじゃない。
雇用がグンと落ち込んだ時期に社会に出たこの人たちは、本当に気の毒なんです。
働きたくても、働く場所がないんですから。」なんて言う。
嘘つけ〜〜〜。
働く場所なんか、いくらでもある。
選り好みさえしなければ。
格好良くて楽で高収入ってことなら、そりゃ絶対ないよ。
地べた這いずり回って辛酸舐める中からでも頭角現してこその若さだろうが。

親が過保護に育てたものを、そのまま過保護にチヤホヤしちゃってどうすんの。
「そうだよねー。僕ちゃんが悪いんじゃないんだもんねー。
 よしよし、僕ちゃんは一所懸命ガンバったよ。偉かった。
 いけないのは、それをわかってくれない社会だよ。
 イヤな事はイヤって言っていいんだもんねー。
 どんなに辛いか悲しいか気持ちをみんなで集まって声を大にして伝えたら、
 きっとわかってもらえるよ。
 だって、平等じゃないといけないんだから。
 フリーターだというだけで、
 生涯賃金が正社員の1/4だなんて、そんなひどい不公平があっていいはずがない。
 自由は何より大切だよ。
 何人たりとも、僕ちゃんたちの生存を脅かす権利はないんだから。
 だから、僕ちゃんは胸を張って、このまま歩いていいんだからね。
 こら〜っ、日本社会〜、何とかしろ〜!!」ってか?

そう言う人はさ、是非とも率先して、ご自分の事務所にフリーターを高賃金で雇ってくださいませな。
家賃や食費を払っても、十分にゆとりを持って生活をエンジョイできるだけの収入を保証するとしても、条件付けはしないでね。
何しろ、皆、平等でなくてはいけないんだろうから。
運良くいい時代に生まれて、楽々いい仕事をして、いい地位につけた恵まれた人なんだから、いくら努力をしても報われない不遇な人たちにそれくらいしてくれたって、バチは当たんないでしょ。

間違っても、路頭に迷おうと野垂れ死にしようと保証のない個人経営者の家族に、しわ寄せがくるようなことはないようにしてよ。
私だって、いつ首を切られても文句の言えない、交通費なしのパートタイマーなんだからさ。


久々に吼えてみた。たまにはね。

2007年05月01日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0

非公開日記を公開

書いたものの気に入らなくて、アップせずに下書きのままにしておく日記がたまにある。
何が言いたいのか自分でもわからない文章は寝かせておくに限る。
いつか何かのきっかけで目覚めるかもしれないし、
熟成されて完成するものなのかもしれないし、
そのまま時の浄化を待って消えるのかもしれないし。

今回、そういったものの二つの日記を下書きから公開にした。
4月15日と16日の日記。

一連を続けてみると、流れが読みやすいかもしれない。
正念場
ムッの理由
位置
聞く耳
裏切り者
革命は最初のひとりから
ファシリテーター

これらは狭い場所でのごく小さい個人的な出来事だけれど、私の中では、40数年生きてきた中で幾度も繰り返し問われ続けた課題が、解けたとまでは言えないけれど、突破口が見えてきたように感じる出来事だった。
あの時も、この時もと遡って行くと、何の理解力も行動力もないはずの物心ついた頃にはすでに直面していた課題だったのだ。

そんなのあり?

あんまりじゃないの。と不平を言いたくなるけれど、それもそれで、しょうがないよねー。
そんなふうに生まれてしまったのだから。(笑)

2007年05月01日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0

人は何の為に生き、そして死ぬのか

「人は何の為に生き、そして死ぬのか?」それを一番一所懸命考えたのは、多くの人と同じく、中学生ぐらいの頃。
本を読み、議論をし、理屈をこねくり回した末に、「その答えを求める旅が人生」という、わかったようなわからないような所に一応落ち着けて、それ以降は日々の変化に追われて、考えてる暇はなくなった。

次にその問題に出会ったのは、カルト宗教脱会者の不安や悩みのメール相談なんかをやっちゃったりなんかしてた時。
そのカルトのセミナーに魅力を感じるのだけれど、迷ってると言う三十代半ばの自営業の男性が、そんな事を聞いてきたのだった。
「あんたねー、いい年してガキみたいな事をウジウジ考えてんじゃないよ!
何の為に生きるか、どう生きたらいいのかを考える暇があったら、とにかく懸命に生きろ!生きる為に生きろ!
金を儲けさせてくれと神に祈るよりも、あんたが稼げ!」
てなことをまず思ったし、言いたかったのだけれど、それはできなかった。
なぜなら、その頃、私は悩める人に優しく共感をもって接して心を回復させる導き手という役が気に入って、そのキャラクターを演じていたからね。
まあでも、それなりに、自分が決めた人生に納得するしかないんじゃないかなんて、ごくごく当たり前の話はしたのだけど、迷ってる人というのは、大抵、本当に迷ってるわけじゃなくて、自分が逃げる言い訳を認めてもらいたいだけだから、意味はなかった。
カルトを否定できる程の歴然とした力を示せる秘術でも教えたら、また違ったかもしれないけれど。
霊能者を使って前世を見たり、予知したり、オーラ鑑定でもしてあげたら、カルト宗教から救えたかな?(爆)


その後、紆余曲折もろもろあったわけだが、もしも今、「何の為に生きるのか」を問われたら、とふと考えた。

今なら、とっても簡単に答えるだろう。

「だって仕方ないじゃん。生まれてしまったんだから。」と。

私は、何の因果かわからないまま、なりゆきで生きている。
もちろんこれからも、なりゆき任せ。

消極的?
いいえ、最大級の積極人生だよ。

だって、その答えも、今よりもっともっとシンプルにしていくつもりなんだから。

2007年05月01日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:2