落ち着いても居つかない

感情を出すことが出来たと思ったら、後には酷い落ち込みがやってきた。
危機的状況の時は臨戦態勢だから、ダメージは響かないが、
落ち着くと傷は痛み出すものだ。

頬と体中のあちこちに、黄色く青く黒く、痣が浮かび上がってくる。
いろいろ考えていると気分が悪く吐き気がこみ上げてきて、寝床に入ろうと動くと、頭の後ろがしびれてめまいで立てない。
息苦しく、ため息ばかり。間違いなく欝状態に突入。

何もできず、ただ寝転がって一時間、二時間、三時間過ごす。
部屋が汚れている。猫のトイレがくさい。
流しに洗い物がたまってる。洗濯物の山。玄関ゴチャゴチャ。
車は壊れているし、クーラーの調子がおかしく使えない。
やらなきゃいけないことは沢山あるのに、どうでもいい。
誰にも会いたくない。口もききたくない。子供たちの世話も面倒。
世の終わりまで一人で閉じこもっていたい。
こんなブログ書かなきゃよかった。
馬鹿さらして、恥さらして、笑いものになって。。。
そんなネガティブ思考の連鎖。
時間を無駄にしているということが更に拍車をかけて言い訳を作り出していく。

「立ち上がらなきゃ、動かなくちゃいけないよ」
と、自分に言うと、
「でも、動けない。こんな辛いのに。欝に浸っててもおかしくないでしょう。『頑張らなきゃ』という気持ちが自分を追い詰めて、余計具合を悪くするんだよ。だから、このまま休ませて」
と、動かなくていい理由が10も100も返ってくる。

おお、なんという素晴らしき自己正当化!!自己憐憫!!!!

「わかった。じゃあ、いつまで? いつまで休んだら十分なの?」

一日と決めたら一日中ゴロゴロして、明日立ち上がろうと思った。
一週間と決めたら、仕事を休む連絡をして一週間分の買出しをして引きこもってもいい。
それが一ヶ月でも、一年でも。
私が決めれば、やりたいようにできるのだ。

「さあ、どうするの?」

「・・・・・・時計の長い針がもう1回12を指すまで」

10分待って飛び起きて、フル回転で動き出す。

吐き気がなんだ、めまいがなんだ、欝がなんだってんだ。
治るまで待ってられるか。

動け、私。
動いて動いて、クタクタになってぶっ倒れるまで動きまくれ。
やる事何もなくなったら休んでよし!

夫婦善哉

夫婦とは不思議なものだなぁ、と思う。
もともと他人。
長く一緒に居ても結局他人だし、どうしてもこの人でないといけないという根拠も何もない。
「好き」だけで結婚したのなら、「もっと好き」な人が出ればそっちに乗り換えたっていいってことになる。
三高なら、「もっと高収入」「もっと高学歴」「もっと高身長」の人。
統計等でいつも条件トップの方にくる「優しさ」「頭のよさ」など、よくわからないような基準だから、より怪しい。
人間なんて、気分によって優しかったり優しくなかったりするものだし、賢い人が馬鹿なことをしたりもままあること。
価値観の一致なんてのも、ほとんどが錯覚だ。
そんなのでなぜ、「この人!」と決められるのか。
たまたま近くにいて、たまたま気が合い、性欲が刺激されることを「恋愛」と呼んでるに過ぎないのに。
いろんな欲が満たされて心地良いことを「幸せ」と言い、自分をそうさせてくれる人を「愛する」。
そんな身勝手な判断が一生継続するとしたら、それこそ奇跡的ではないか。
自分自身ですら正確につかめもしないのに、相手を理解など出来ようはずもない。
それでも一緒にいる。
なぜ?
自分を好きでも嫌いでも付き合う以外しょうがないように、夫婦も次第に好きとか嫌いとかどうでもよくなっていくようだ。
別れようと思えばいつでも簡単にそうできる赤の他人同士。
それが、なぜ一緒にいるのか?
なぜ「この人」なのだろう?
それはたぶん、生きる意味を求めて生きていくのと同じく、その答えを見つける為に。

だから、もう少し、もう少しだけ、頑張ってみようか。(笑)

心の手触り

昨日は携帯を忘れて行った。私は携帯を携帯してないことがよくある。

帰って見たら、かずこ先生からメールが来ていた。
忘れて行ってて良かったと思った。
もし昼休みに会社で読んでたら、その後仕事にならず周囲に不審に思われただろうから。

事態としては結構深刻なはずだけど、どこか他人事のように冷めた部分もあって、
感情がさほど大きく揺らがないのを変だなと感じていた。
「心をガードして閉ざしているのなら解放しなくては」
と自分の中を探ってもそんなふうでもないし、
「ものすごく鈍感になった?」
「それとも肝っ玉が据わってきたということかな?」とか思っていたのだが、
メールを開けた途端、涙が堰を切ったように流れ出したのだ。

人に言えぬ過去、夫婦の歴史、思い。
それらの積み重ねで今日があって、決して理屈で割り切れるものではないということを知っている人が、心に寄り添ってくれている。
それが私を素直にしてくれたのだろう。

どんな時でも、一人で生きているんじゃないんだから、
捨て鉢になどならずに、本心をしっかり見据えて進まなくては。
大切なものを大切にする。ただそれだけ。

受けた痛みは、私が与えた痛みそのものだったと気付く。
本当に夫婦って、合せ鏡なんだなとつくづく思う。

回復

どうしたらいいか、どうしたいか、全然わからない。
普段どおり仕事をして、ご飯作って食べて、家族と団欒を持って、眠っての
忙しい日常が流れていく。
どんな時でも、何があっても上機嫌を貫くと決めてるからだけれど、
もっと気持ちが激しく揺らいでもいいものなのに。

自分はどうするか、家庭をどうして行くかはまったくまとまらないまま、
頭に浮かぶ考えといえば、この最低に格好悪くなった夫を
どうやってカッコいい夫に戻せるかという方法ばかり。

酷い目にあって一番傷ついているはずの人には申し訳ないけれど、
彼よりも、実は夫のほうが心配。

「他所の女房を寝取った」という噂は、ある“人種”の間では男の勲章になるけど、
「寝取られた」というそれは、最低最悪のレッテルになるからだ。

「よくもウチの亭主をコケにしてくれやがったな!」との怒りが何より大きい。

自治会活動に夫婦揃って協力してるような所はウチぐらいのもの。
他は本当に夫婦間で意思の疎通があるんだろうかと思うぐらい、
互いに相手の行動に無関心だし無理解で、それがこの育成会と消防隊の
いがみ合いの火種になってるというのに、
私が目立つからか、自分達に理解できない程のお人よしに何か理由をつけたいからか、
よりによって、そんな低俗な話を作って言いふらすなんて。

どんなお返しをしてやろうか、と、そればかり。

一番、相手にダメージが大きいのは、と考えに考えた。
どう暴れてやろうか。
ハチャメチャに何もかもぶち壊して、思い知らせてやろうか。

そして出した答え。

何もしない。


私がダメージを受けてるって見せ付ける幼稚な攻撃手段など、
本当に私のやりたいことではないんだもの。

夫婦仲の良さ、元気さ、夫のスマートさをやっかんで言いたいこと言う奴らに目に物見せるとしたら、「あんた達じゃ、相手にならないよ」って所に立つのが一番でしょう。

平気でいてやる。

私次第で、夫の株が上がるか下がるか。
それなら、どうしたいかは簡単だ。
75日ぐらい耐えてやる。

ぶっちゃけ

「経緯」は、やはり削除しました。
それこそ、「つもり」「つもり」の列記なだけだから。
下書きに残してればまた、ろぐみちゃんでいつでも読み返せるしね。


役員を外してもらおうと自治会長に電話をしたら、
今度の役員会で全部ぶっちゃけて話をすればいいといわれた。
他にも消防がらみで色々揉め事が起きてるので、
会長も投げたくなっているらしい。

いろんな膿が出てるんだろうな。
組織も、私も、夫婦関係も。

ぶっちゃければいいと思う。
でも、夫は逃げ腰。
ガンガン責めるかな。そしてまた殴られるのもいいかも。

もう、全部壊れろ。
面倒臭いったら。

つもり

目の前の人に向かい合ってるつもりだった。
その人が何を言っているか聞き、私に何ができるかで動いてきた…つもりだった。
男女関係なく。

だけど、そう出来てなかったから、こんな事態を引き起こした。
一人よがりだったんだな…

頭に感情が追いつかない。

いきなり家庭崩壊

夫に数発殴られて唇を切ったので、派手に血がふき出して、顔面と胸元が血まみれになった。
理由はつまらない嫉妬。
どこかの馬鹿がしょうもない戯言を吹き込んだらしい。

夫が見たくないと言うので、一度シャワーできれいに流してから話し合いに行った。
が、
お話にならなかった。

私が誰彼構わずケツを振るので、皆が勘違いしたのだそうだ。
自分に気があると思っているのに、特に構われる人が居るのが気に喰わなかったのだそうだ。
それで、「あいつとあんたのカミサンとの仲はどうなってるんだ?」と邪推され、
それが夫の猜疑心と合致したもんで火がついたらしい。

もともとは、感情的になって自治会の調和を乱している人をいさめに行ったはずなのに。

「お前は不倫をしている!!!」とご近所中に聞こえるように大声で言いながら暴力を振るわれた後では、疑惑一つ一つを説明して潰すのも馬鹿らしくなってくる。
努力はしたけれど。

「ケツを振るとはどういう行為をさすのか」
「私が誰にどんな思わせぶりな行動をしたのか」
「そうしないためには何に注意したらいいのか」
「私はこれから何を改めたらいいのか」
聞いても彼には何も答えられない。

「わかっているんだ」と言い、「わからない」と言う。
「お前を信じてる」と言い、「疑いは間違いないと確信した」と言う。
ああだこうだと言われる人の電話番号も私は知らないのに。
連絡はいつも携帯メール。
だから、私は「私の携帯もパソコンも今すぐ全部見てくれればいい」と言った。
けれどもそれは「しない」。
混乱していることは彼も認め、「これ以上殴りたくないから」と部屋から追い出された。

私には何もやましい事はないけれど、周囲も夫もそう見ていないのなら、そう見えても仕方ない行動をしたのだろう。
他人は見せたい自分は見ないで、見せてる自分を見るのだとすれば、これも全て自己責任。

では、次は。どうしよう?

とりあえず、私はもう殴られるのは嫌だし、変なうわさを立てられるのも嫌。
子供たちに見せたくないし、聞かせたくない。

何もかも私次第。
そこが自由でもあり、責任の重さでもある。

右を選ぶか、左を選ぶか。
どちらにしても、後悔と悔いのなさの両方の可能性は五分五分。
としたら、新しい、これまでやったことのない事にチャレンジしたい気持ちに傾くんだよね。

REAL CONTACT in Tokyo

東京夢の島bumBで、表現者のための夏のワークショップが27日から始まる。

もちろん私なんぞはお呼びじゃないわけだが、どんな事をするのかにはとても興味がある。

押切伸一さんが、フランクフルトのザ・フォーサイス・カンパニーに日野先生が招かれて技術指導した時の模様を記した「ウィリアム・フォーサイス、武道家・日野晃に出会う」という本は、バレエやダンスの事を何一つ知らない私にも読み易く、面白く、心に沁みるものだった。
ダンサーへの指導なのだけれど、一般の日常にもそのまま置き換えられる内容が満載の。

日野先生が、YouTubeに2005年のワークショップの模様をアップされている。
今年のフォーサイスカンパニーでのシーンも少しあるそうだ。

http://jp.youtube.com/watch?v=hA37h1-nYPc
http://jp.youtube.com/watch?v=ADoNbkOJFjc

ものすごい活気、熱気、真剣さ、そして明るさ。
身体の動きのしなやかさや機敏さは、さすがダンサー・アクター達だ。
先生の動きに驚きどよめき、そしてどうにか自分の物にしようと稽古する姿は、一般人の私からしたらレベルが高すぎてため息しか出ない。
「いいな、行きたいな」「私もダンサーに生まれたかったな~」と、ないものねだりをしたくなる。
自分を高める手段が明確な人たちが、とても羨ましい。

しかし、表現者だけでは世界は成り立たない。
「見せたい」「伝えたい」人がいる一方には、「見たい」「受け取りたい」という人が必要だ。
発信と受信が相互の関係であり、ともにその場を作るのなら、私だってレベルの高い観客であることで参加は出来るのではないか。
そんなふうに思うのだ。
というか、ぜひそうしたい。

見る目を磨かなければ。

なかなか舞台を見る機会も少ないのだけれど、私にとっての舞台兼稽古場は日常なのだから、そこをフルに活用するしかない。
基本はいつも「正面向かい合い」。

いつか最高の舞台に触れられるように、最高の観客を目指そう!

イジメドラマ「ライフ」

子供たちが見ているテレビドラマを、時々見るともなしに目にし耳にしていた。
えげつないイジメがテーマの「ライフ」。

こんなのドラマの中だけで、現実にはまずないだろうなというのが感想。
この手の主人公の定番は、「耐える」と「隠す」。
ブチ切れて暴れて、大声で騒いで暴き立てて周り全部を巻き込んだら解決だ。
こんなもん。

ドラマだから、こんな展開でないと面白くないんだろうね、なんて話を子供たちにはしていた。

これが視聴率高く話題になっているらしいと知ったのはつい先日。
ネットで雑誌で新聞で、立て続けに「ライフ」についての記事を読んだ。
その中の一つに、今イジメを受けている子の意見があった。
自分も辛くて死にたいと思うことがあるが、ライフを見て「あそこまでは酷くない」と勇気をもらった、というもの。

現実と混同してる人もいる。
それは当然だったかもしれない。
なにしろ、人生経験の浅い、世界の狭い子供のことなのだから。
こんなものに共感してしまうぐらいの。

今、そんなことも踏まえてドラマを見ていて、堪らず消してしまった。
「警察を呼んで調べてもらえ」と声を荒げたのは虐め首謀者である自分の娘に騙されている馬鹿親。
そうさせまいとする教師は、まああるだろうから良しとして、わからないのは「恥をかくのはそっちですよ」と御進言する正義の味方気取りの男子生徒。
主役もぐずぐずしてる。「負けたくない」なんて言いながら。

イジメと言っているけれど、立派な傷害・恐喝だってのに。
どんどん自分で事態を複雑に深刻にしていってるんだよ。

それは、強さじゃない。
奇妙なこだわり。歪んだプライド。

危険な所になんか、なぜ行かなきゃいけない?
クソ馬鹿の立場なんか、なぜ守ってやらなきゃいけない?
自分の身を守るのが最優先だろう。

「そうは言っても難しい」と、現実の虐められっ子や、その親や教師はよく口にする。
「時間がかかる」「相手もあることだから慎重にしなければ」とも。
それは、命より立場を守りたい保身だ。
恥をかくのを恐れ、社会的立場を悪くするのを恐れても、子供が傷ついたり命の危険にさらされる痛みは感じないから、のんきに構えていられるとしか思えない。

親に心配をかけてもいい、周囲を騒がせてもいい、嫌な所から逃げてもいい、相手を思い切りぶちのめしてもいい。
自分の身を守るのが一番大事。
日頃から、そう子供に教えていれば、虐められっ子にも、虐めっ子にも、ならないはずだ。

私は甘いだろうか?

ドラマを楽しむには不向きだということだけは、はっきりしているが。

過去ログ置場

以前の「ぽあんぽ庵日記(2005/5~2006/2)」のログ置場を作った。
削除した物もあるが、ほぼそのまま。
やはり今も昔もたいして変わらぬことを書いている。
ああだこうだと言ってるばかりで、何も進んでなんかいやしない。

それでも、「あ、これはもうないな」と感じる部分がたまにある。
テーマ本筋の、物の見方捉え方とは限らず、
文中の何でもないほんの一言とかにあったりもする。

確かな答えを見つけたというわけではないのに、もはやどうでもいい。
何を解そうとしてたのか、どう納得したかったのか、すでにわからない。

「しゃあないやん」で片付くんだもんな。

「ほな、どうすんねん」で次の行動だもんな。

分析や意味づけは、それに値する対象にしなければ、無意味以前に害になる。
・・・ということも、延々と遠回りしたり、迷路をグルグルめぐったり、
袋小路で立ち往生したりしてからやっと、わかるものかも。
そして、「わかった!」と思った次の瞬間にまた、わからなくなったり。

所詮、アホ頭なんだもんな。
しゃあないやん。

サル真似、サル知恵、サルの……

人間は真似をする動物だけれど、どうしてこうも真似をして欲しくないものばかり真似たがるのだろう。

一昔前の日本の真似をする韓国の暴走族のブサイクなこと。
ドラマやマンガの影響で、日本ではもうすっかりお目にかからなくなった時代の遺物がゾンビのごとく甦ってきている。
「反日反日」と言いながらこれだから、彼らの屈折した感情が知れようというもの。
しかも「日本の暴走族ほどは悪くない」「あそこまで危ないことはしない」とヘラヘラしている軽薄さ。
おぞ気が走る。
迷惑行為に違いないものを、ここまではOK、ここからはヤバイと自分勝手に判断して、周囲に許されようとするなど、そんな最初から尻が引けてる姿勢のどこが「カッコ良い」ものか。
同じことをやっていながら同じに見られたくないなんて、自分の都合で世界が回ると錯覚してる赤ん坊並みのオツム。
まだ悪を自認している分、くだらないことに命をかける日本のチンピラの方がマシに見えてくる。
むろん五十歩百歩だが。

中国は昔、自転車天国だったものが、今は自動車天国になっていると言う。
公害垂れ流し、農薬撒き散らし、過剰な食品添加物に、偽卵みたいな気持ち悪いものまで作って、後の事も他人の事も知ったこっちゃないとばかりの歯止めない儲け主義。
これも高度成長期時代の日本の後追いらしいが、酷いもんだ。
中国といえば、4000年の歴史。漢方薬の本場。気功の発祥の地。
人体を徹底的に研究し積み重ね今に受け継がれる智慧は人類の宝とも言えるものなのに、全てを破壊しかねないこのていたらくは何?

しかし日本も見事に、犯罪大国、少子高齢化社会、格差問題の後追いをしているし、既に多くのものを失ってきているのだから偉そうなことは言えないのだが。

気持ちよいこと、楽なこと、カッコいいことを追いかけて、他人が美味しい思いをしてるように見えたらすぐ真似をする。
或いは力ずくで奪い取る。
良い事だけを取り入れられればいいけれど、物事には必ず明があれば暗もある。
そうして見事に同じ轍を踏んで痛い思いをしても、まだ懲りずに次を追いかける。
いったいいつまで続けるのか。

まるで、人間を、世界を、歴史を使い捨てしてるかのようだ。
一時の快楽のために。

「サルのオナニー」のごとく、“自己だけ”満足の追求は、自滅へと向かう。

他人の失敗から学ばない他人の失敗が、多くの事を教えてくれている。
進化は、何を選択するかで決まる。

手作りの暮らし

■手作り石鹸■

初めて作った純オリーブ石鹸は大成功。
使ってみると泡立ちよく感触も気持ちよく、汚れ落ちもバッチリ。
ただ惜しいのは、溶けやすいこと。
子供たちにお風呂に持って行かせたら、私が入る頃には表面がどろどろになっていた。
これはまだ熟成が若いからかわからないが、牛脂を加えると硬い石鹸になるらしいから、次はそれを試してみようと思う。スーパーでお肉を買ったついでに沢山貰ってきて。

片チンにできた石鹸をあげると約束してたので渡したら、使わずにお部屋のインテリアにされてしまっているらしい。
長期熟成するほど良い石鹸になるというから、いいかも。

第二弾は、一ヶ月半お茶を漬け込んだオリーブオイルで作る緑茶石鹸。
手順は前回どおりだが、気温が高いおかげでトレースが良く進む。
紙パックに入れる際にふいに思いついて、抹茶を入れてみることにした。
薄緑の石鹸に濃い緑のマーブル模様とかになると美しいかもと思ったのだが、、、失敗した!
予め溶かして混ぜればよかったものを、粉をそのまま入れたからダマになってしまったのだ。
哀れ、さわやか緑茶石鹸は、色の悪い芋羊羹のごとく様相に。


ま、使い心地がよければそれでいいんだけどね。
そこもちょっと不安だったりする・・・。

次は、マルセイユ石鹸作りに挑戦するつもりだけれど、猫の手の届かない場所が確保できないので、ちょい待ち。

今ある石鹸は、お風呂場に置けないので洗顔専用になっている。
夏場は洗顔だけでしっとり。
化粧水も何もいらないよ。


■手作りアイス■

卵と砂糖と牛乳を入れた密閉容器を紐をつけた空き缶に入れ、自転車に結わえてガラガラと引っ張り回した後、冷凍庫へ。
そんな子供の体力を使ったアイスクリーム製造法を教えてもらったので、盆休み中にやってみたかったのだが機会がもてなかった。
どうしても食べてみたくて、少々反則だが、ハンドミキサーを使って作ってみた。
ボウルに卵4個(卵黄卵白分けません)、砂糖100g、牛乳500cc(特濃)、バニラエッセンス3滴。
ガーッとかき混ぜると、それだけで美味しいミルクシェーク。
だけど、ここで誘惑に負けて飲んじゃわないで、冷蔵庫で固めること一時間。
ボウルごと入れたのでまだ半冷凍。そこをハンドミキサーで再度混ぜ、もう一時間冷凍すると出来上がり。


昔懐かしアイスクリンと、シャーベットの合いの子みたいな味。
こくのある牛乳の風味も甘さも、口に入れるとサッと消えるアッサリ感。
本当にアイスクリームになるのか半信半疑だった子どもたちは初めての味に喜んで、ペロリと食べて、物足りなさそう。
やっぱり今度は、小さな容器を自分らの思い思いに振らせて作らせて見るかな。
誰のが一番美味しいか対決。


■手作りアロマキャンドル■

廃油処理剤でキャンドルが作れる?!

廃油で台所石鹸が作れないかと調べていたら、そんな情報をみつけた。
いつもは固めてそのまま捨てていたが、そんな手があったとは。

濾してオイルポットに溜めていた食用油をてんぷら鍋に入れて加熱。
80℃を越したぐらいで火を止めて、処理剤を混ぜる。
いつもより量が多いし硬めにしたいので3袋使用。
ここで色を着けたいときは、クレヨンを刻んで溶かすといいらしい。
私は色はそのままで、レモングラスのエッセンシャルオイルを入れてみたが、ケチったので意味なかったかも。
キャンドル用には、100円ショップで売っている人工香料のアロマオイルがよさそうだ。
荒熱がとれたあたりで、取っておいた小さ目のインスタントコーヒーのビンに注ぐ。
あらかじめ短い鉛筆に料理用のタコ糸を結んでビンの口から真ん中辺りにたらして芯にするのを忘れずに。
朝、作業をして、夕方帰るとできていた。
早速点火。
炎は小さいものの、グラスを通してキャンドル全体がボウッと明らんで、いい雰囲気。


花火の時など使えそうだ。

夏が残していくもの

毎年、夏の終わりに残るもの。

1・2度使ったっきりでほとんど残る日焼け止めローションと虫除けスプレー。

今年は虫除けはないけれど、海水浴に行ったので日焼け止めは買ってしまった。
結局、私が顔に2回うっすら塗っただけで終わったんだけど。

「もったいないなー」と思うものの、もっと使おうという気にはなれないんだよ。
普段、化粧をしない私には、肌に膜をはったみたいに重くて窒息しそうな上に、害がある金属的な匂いがするから苦手。

じゃあ、何で買うのかって話なんだけど、ガンガン照りつける紫外線に無防備なのも危ないかなって思って用意しちゃうんだな。これが。

で、ちょっと使っては、「もう気持ち悪いから嫌」って投げてりゃ世話ないね。

お陰で顔も身体もこんがり赤茶色。皮膚がんの危険性増しちゃったかな?

だけど最近では、日焼け止めローションのSPFはあてにならないとか、紫外線吸収剤は肌に与えるダメージが甚大とか、成分に環境ホルモンや発がん性物質が含まれているとか、いろいろ有害性が露呈し始めてきちゃったから、どうなのかわかんない。

日焼け止めを塗っても塗らなくても癌になるんなら、どうすりゃいいんだ?
黒くなってしみ・そばかす有りで癌になるのと、白くてガサガサしわしわ肌の上で癌になるのと、どっちがいいかの究極の選択。
いっそ日焼け止め塗らずに、日陰にいるのが一番でしょうかね。

いやいや、日焼け止めクリームも手作りしちゃえばいいんでないの?
ということで、調べてみたらありました。
簡単手作りコスメレシピ。
なんだ、もっと早く知っとけばよかった。

来年の日焼け止めはこれでバッチリ。
真夏の炎天下色白美人(美人かどうかは置いといて)ってなれたら、嬉しいな。

バイバイ、コパトーン。

ワイルドピッチボール

会話は言葉のキャッチボール。

「おーい、いくよ」「よし、こいっ」

投げて、受けて、投げて、受けて。

相手の正面に、取りやすい球を投げてやり、
来た球をよく見て追って、確実にキャッチする。

話が弾み、深まり、進む、そんなひと時を誰かと共有できるのは、大きな喜びだ。


だが、話をしても会話にならない人もいる。

一応、面と向かって言葉を交わしはしてても、
上の空で聞こうともせずに、こちらの用意も都合もお構いなしで、
明後日の方向へ大暴投をやらかすような、そんな人。

自分勝手にただ、話す、話す、話す。
それも自分の話だけ。
持ち物自慢、身内自慢、交友関係自慢、経歴自慢、苦労自慢。
一対一でも、多人数でも同じく。
流れに関係なく割り込んでは「私は」「私が」「私の」のオンパレード。
「へぇ~、すごいね」「さすが」「うらやましい」「大変だったね」と無意味な相槌ででも、
中心の座に着ければ上機嫌。
やんわりと軌道修正され、彼女のペースにならない場合は、
ふくれっ面で暗くなるという、わかりやすい不機嫌さで存在アピール。
そこにいるだけで気流を乱し、他のキャッチボールの邪魔にもなる。
どちらにしても疲れる人だ。

どれだけ人に気を使わせてるか、どれだけ人の迷惑になるか、
絶対に感じられない鉄壁のハート。

家庭は円満、友達沢山と言ってるけれど、「本当かな?」と思ってしまうよ。

全てが道場

それほど活発に意見のやり取りはなされないが、深い内容を持っている掲示板がある。

それは普通に、質問があれば答え、意見が出れば応じる流れ。

私はその間に「自分」を介在させてみるのが好きだ。

「私がこの人だったら、こんな考え方をするな」
「同じ内容でもこう表現するだろう」

対する返答も想像する。

「いつもならこう言われるはず」
「たぶんポイントはここにある」

だから、早い回転よりのんびりペースの進行が望ましい。

すると実際と答え合わせをする度に、いつも新鮮な驚きを得る。
「あーっ、やられたー!」と、良い意味で裏切られる面白さ。

結果としての方向には揺らぎなき確固とした一本の理念を貫くも、そこに至る道筋は限りなく多様で柔軟。
相手の呼吸に応ずるがごとく従い、添い、導く、妙。

常に違い、常に新しい、人と人の生の触れあい。
そこに言葉だけのやりとりでなす武道の組み手を見るのだ。

そうして私は、自分が何者であるか知っている人が、かくも鮮やかで美しいものだと知る。

繰り返す泥沼

妹は常にトラブルと共にある。

彼女の近くにはなぜかいつも常識的には考えられないほどのおかしな言動をする人間が入れ替わり立ち代り現れ、周囲にはなぜかいつも通常ならまず起こり得ないような奇妙な出来事が続く。

彼女と親子ほど年が離れた私の夫の、長い社会経験を持ってしても出くわさなかったトラブルが集中して頻発するその異常さに、「事を大げさに受け取りすぎるのではないか?ちょっと嘘つきの気があるんじゃないか?」と疑われてしまったりもする始末。

だが、少々オーバーな表現はありはしても、まったくのデタラメではない事は、これまで私が実際の人物を見て確認している。
知る限りでは、確かにおかしい奴ばかり。

バイト先の店長、恋人、結婚相手、舅姑、友人たち、勤め先を変わるたびにそこの同僚・先輩・上司・経営者等ことごとく。

思い起こせばどの人も、最初は優しく親切に接してくれてたはずだった。
「こんなにも良くしてもらってありがたい」と嬉しそうにはしゃいで語っていたものが、ある時を境に一転し、とんでもない責め苦を味合わされてしまうのだ。
出来事はそれぞれ全部違っても、浮かび上がるのは同じパターン。
そして決まって吐かれる同じセリフ。
「可哀想だと思って優しくしてやったのに、生意気な!」
もちろん、今回の場合もそうだった。

結婚相手に「可哀想だから結婚してやったのに」と言われ、
勤め先に「可哀想だから雇ってやったのに」と言われ、
友人に「可哀想だから付き合ってやってたのに」と言われるとは、一体何故?
何がそんなに可哀想?
生い立ちが? 境遇が?

哀れんで優しくし、蔑んで支配する。
そんな歴然とした力関係で結ばれた絆なら、逆らう事は許されないのかもしれない。

たぶん、人との近づき方を間違っている。
信じる相手を間違っている。
見せたい自分を人は見ない。見せてる自分を見られてる。

言ってわかることじゃなし。

私は黙って待つしかないか。

ドラマチック好きとの距離

タイトル「マジやばい!」

本文「○○ちゃん尋常じゃなくおかしくなってる…旦那も
   (中略)逆恨み
   刺されるかも
   私に何かあったら、彼女をまず疑って…」

今日の昼に来た妹からのメール。
○○ちゃんとは、同じマンションに住む妹の友人。
ゴタゴタの経緯は数ヶ月前にあらかた聞いていたが、いよいよ末期的にこじれたよう。

「わかった。それで、私に何かできることは?」と返そうとしたが、やめた。
ほうっておく。

これまで数々あったからね。
「またか」というのが正直なところの感想。

これが、
「危険なので、一時身を隠させて欲しい」と頼んできたのなら、受け入れるだろう。
「どうしたらいいか相談したい」と言うのなら話をする。
しかし、そうではないのだ。

いい加減、大人になれよ。

もし、本当に取り返しのつかない事件が起きたとしたら、
その痛みも後悔も私は私の責任として受け止める覚悟を持って、動かない。
今の家庭が何より誰より大切だから、そこを犠牲にするリスクは徹底して避ける。
劇場型の人間が作るドラマで踊らされるのは、もうまっぴらだ。

妹は今、とても不安で寂しいだろう。
だけどね、それは自分でそうしてるんだと気付かなくちゃ。

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(追記)19日AM10:11
妹からのメール。
 「おさわがせしていてすみません!
  とりあえず身の危険はなくなりましたm(_ _)mと思います?」

いや、騒いでないから。
心配はしてるよ。一応ね。姉妹だから。
ヤレヤレ。。。。

おにぎりの系譜

パンを切らした朝、早めに起きてご飯を炊く。
炊き上がったら蓋を開け、手早く混ぜて風を当てる。
茶碗に水。天然塩。
手を濡らし、塩を付け、
おっとその前にパンパンと柏手みたく掌に気合い。
しゃもじですくったご飯を手に乗せて、
ぎゅっと包むと、アツアツツツツ……
ふっと昔の記憶が甦る。

幼い私が台所で母の手元を見つめてる。
炊き立てご飯を握る手を。
「お母ちゃんは熱くないん?」
尋ねる私に、
母は「ん?そりゃ熱いよ」と笑って答えて、
まだまだ握った丸い塩むすび。
私はよけいに不思議になった。

さあ、朝ご飯。
みんな揃って「いただきまーす」
子供達が丸いむすびにハフハフとかぶりつく。

こうして続いていくんだねぇ。

望まれて生きる

「鈍感=身体と心の強さ」として肯定する「鈍感力」はいいけれど、周囲に全く気が回らず傍若無人に振舞う、無神経極まりないという意味での「鈍感」はいただけない。

私は昔から自信がなくオドオドしているせいか、気が効かず愚図な自分が嫌で、なんとかテキパキと動けるようになりたいと頑張ってきた。
どこに行ってもなぜか近くには、いつも細かな気配りをさりげなく当たり前にやってのける人がいて、当然そういう人は周囲から信頼されるし、好感を持たれていた。
比較されて「あの人に比べて、同じ女でどうしてこうも違うかね」言われているかと思うと私はいたたまれない。(もちろん面と向かっては誰も言わないのだが)
出来る人の真似をしようとしても、ドン臭いのでタイミングは悪いし、ギクシャクとしてはかどらず、結果ドジばかり。
頑張れば頑張るほど空回り。そんな自分にいちいち落ち込む。

だから「もういいや!愚図でのろまで気が利かない鈍感人間、それが私らしさだ」と開き直って、「もう、気配りはできる人にやってもらって、私は言われたことだけやっていよう」と決めてもみたが、それであっさりと割り切れるはずもなく、劣等感はいや増すばかりだったのだ。

今、改めてその部分を引っ張り出して眺めてみると、最初っから目的と方向を間違えていたことに気付く。
なぜ気配りできる人になりたかったか。
それは、「私が」気の効かない人だと見られたくなかったから。
出来る人のように「私が」信頼され好感を持たれたかったから。
そんな理由であったように思う。
「私はうまくできているだろうか。間違ってないだろうか。これでいい?」
それしか頭にないのなら、当然ギクシャクもしようというもの。
自分の事ばかり。
相手が気持ちよくなれるはずがない。

自分を度外視した所で、相手を心地良くしてあげようという気持ちが、私には全く欠けていた。
相手の立場になり、相手の気持ちに寄り添って、今一番望まれている事をするという想像力が全く働いていなかった。
「私はどう見える?」に全力注いでいたせいで。

人目を気にし、理想とする人を追いながら、実は誰のことも見てはいない。
恐るべき無関心さで、一人の世界に閉じこもって生きていた。
それが辛さの理由だったのだ。

子どもを持ち、またそれによって色々な場での役目も得て、扉は徐々に開かれつつあるのを感じる。
気が利くとか利かないとか、もはやそんなレベルではない。

「今ここで、何ができる?」
私の目の前のこの人が、私の住むこの世界が、私に何を望んでいるか。
目を開き、耳を傾け、さあ、しっかりと応えなければ。

歯の弔い

長女の歯を抜いた。
幼い頃強く打ち付けたせいで歯茎の中で逆に伸びていった永久歯とは、これで本当にお別れ。
取り出された前歯が、もう一本の前歯と同じく白く大きくきれいだったのが悲しい。
やはり根はほとんどなかったのだが。
確かにこれでは、最初に説明を聞いた別の矯正歯科に勧められた、針金で無理やり引っ張り起こして正しい場所に収めるというやり方では、使い物にならず、すぐに抜け落ちてしまうような無駄な治療になったであろうことは納得できた。
しかし、それでも根が伸びてくれるかもしれないという万が一の可能性に賭けて敗れたやりきれなさというのはどうしょうもない。

予定では今日、歯を取ってしまったら、来週には矯正の器具を付けて、失った前歯の代わりの仮歯を入れ、見た目だけでも歯が揃った状態で二学期を迎えられるはずだったのだが、そうもいかなくなった。
抜歯だけの簡単な手術のはずが、埋まっていた歯が横の永久歯の根に絡んでいて、とんでもなく厄介な事になってしまったのだ。

麻酔が効いてしまえば痛くないはずの手術中に、待合室に座っていても娘の息遣いが聞こえてきた。
しゃくりあげるような。そしてかすかな悲鳴とうめき。
周りを囲む看護婦さん達の「もう少しだから頑張って」という励ましと共に延々と続き、私は居ても立ってもいられない。

やっと終わってそばに駆け寄ると、娘の口の周りは血だらけ。
ぐらついているので針金で固定してあるという隣の歯からは、まだ出血が止まらない。
そちらにはあまりしっかり麻酔が効いていなかったらしい。
娘の目には涙がいっぱいたまっている。
むご過ぎ。。。
隣の歯を一ヶ月はしっかり固定させて、矯正治療はそれからということになった。
それまで絶対に何かに打ったりするような事は避けてくれということで、二学期入ってすぐの運動会も出られる種目は限られるかもしれない。

娘の歯に関しては、すべてが裏目裏目に出るように感じる。
期待はことごとく裏切られ、思いも寄らないような事態が続く。

本当にこれで良かったのか?
歯が一本足りないぐらい、見た目がどうであれ、後にガチャ歯になる恐れがあったとしても、そのままにしておいてもよかったんじゃないだろうか。
こんなに痛い思いさせるぐらいなら。しかもそれで他の歯まで失う危険を冒すぐらいだったら。
と、思っても今更どうにもならないような事が浮かんできてしまう。
私が良かれと思ってした事は、本当に娘のためになっているのだろうか。
私が苦しめているという辛さを、誰かが力強く「いや、そうじゃない。これが最善なんだ。これしかないんだ」と言い切って、迷いと共に取り去ってくれたらどんなに楽か。
けれど、そんなこと誰も出来ない。
娘に対する責任を負う私の判断の責任もまた、私にしかとれないのだから。
迷いも不安も飲み込んで、決めた方へ進むしかない。

予定は一ヶ月延びたけれど、それだけの事。
娘がきれいな歯並びで屈託なく笑える日は確実に近づいているのだと信じて。

今夜は長女だけ、私の隣で寝かせている。

日野武道夏合宿のみなさまへ

3泊4日の夏合宿、お疲れ様でした。
今年はとても充実したものだったようで、良かったです。

写真を送っていただきました。
朝一番でメールを開いたら、あの場面がバンッと目に飛び込んできて、
「わあっ!」と、嬉しいやら恥ずかしいやらで、布団の上で転げまわってしまいました。
みんな、すごく楽しそう。
中には武禅でご一緒した方もいらして、私は武道塾には通っていませんが、
グッと身近になったようで、一人一人の方に親しみを感じました。
いずれどこかでお会いできるような気がします。
どうもありがとうございました。

今年は格別の酷暑ゆえ、お体には十分お気をつけて、
これからも合宿で掴んだ手ごたえを活かし、日々歩まれることをお祈りしています。


両先生方も、お気遣いありがとうございました。
こんなに嬉しいことはないというぐらい嬉しくて、ずっと涙ぐんでいます。

どうか今後ともよろしくお願いいたします。

あやかし

二週間ぐらい前、会社の同僚から奇妙な話を聞いた。

前日、私達はいつものように4時半に仕事を終えて帰宅した。
同僚が帰り道にあるディスカウントストアーで夕食の材料を買って、
預かり保育の幼児を連れて家に帰り付いたのが5時10分ぐらい。
室内に居るはずの二人の子ども達は、マンションの玄関の鍵を開けたまま
どこかへ消えていた。
「あの子たちったら、鍵を閉め忘れて遊びに行ったのね」
腹を立てた彼女は、しばらくして帰ってきた二人を叱りつけた。
「家を空ける時には、ちゃんと鍵を閉めないと危ないでしょう!
 それに遊びに行くなら行くで、
 どこに行くかメモの一つも書いておきなさいよ。心配するでしょ!」
しかし、子ども達はキョトン、としている。
「え、だって・・・・・・お母さん、家にいたじゃない」
「?」
「遊びに行ってきますって言ったよ、僕たち」
「どういうこと? お母さん、いま帰ってきた所よ」
すると子供達はクスクス笑い出した。
「ウッソだ~」
同僚はますます腹を立てた。
こっちが本気で怒っているのに笑ってごまかそうとするなんて、と。
「嘘とは何よ! 仕事が終わって買い物して保育園に寄ったら
 いつもこの時間になるのは決まってるでしょ!」
その剣幕に、子ども達は母親が冗談を言ってるのではないと気付いたのか、
顔を曇らす。
「だって、だって、ねぇ」
二人の子ども達は互いの目を見交わし、困惑している様子。
「お母さん、『ただいま』って言ったじゃない」

二人の説明はこうだった。
いつものように夏休みの宿題をやった後は、
ゲームをしたり本を読んだりでのんびり過ごして退屈していた二人は、
夕方、玄関のドアの鍵が開く音を聞いた。
そして、人の気配は廊下を通って奥のダイニングキッチンへ向かい、
「ただいま」と聞きなれた声がしたという。
ゲームに夢中になっていたので返事もせずにいると、
声は「ただいまー」「ただいまぁー!」と繰り返す。
「もう、お母さん、うるさい。しつこい。ウザイ!」
反抗期にちょっとかかってるので、そんなふうにイラだって、
意地でも返事をしなかったらしい。
そのうち、ゲームにも飽きた二人は近所の子の所へ行こうかという話になって、
「遊びに行ってきまーす」と家を出た。
それが5時少し前ぐらい。

「何言ってるの。お母さん帰ってないわよ。
 ほら、その証拠にスーパーのレシート、買い物した時間」
つきつけたレシートには、その日買ったもの、その日の日付と共に、
はっきり5時を回ったところの時間が記されている。
「ええーっ、じゃあ、あれは誰だったの?」
二人は青ざめて泣きそうな顔になり、それを見て同僚もこれは冗談ではないと、
三人でその後しばらく「怖い、怖い」と震えていたのだそうだ。
結局、部屋に誰かが入った形跡はないし、誰も姿は見ていない。
しかし子ども達は尚、「絶対、お母さんの声だった」と言い張っているという。

「何なんですかね?」
聞かれても、私は「さあ?」と首をひねるしかない。
もう一人の同僚は「ドッペルゲンガー?」とか言っていたが、それとて説明にはならない。
この手の話は「不思議なこともあるもんだ」で終わらすより他にない。


そんな話も忘れかけてた昨日、お盆なので恒例の百物語を見ようと
某掲示板を読んでると、こんな話があった。

ある人が大熱を出して寝込んでいた時、
父親と母親と姉の三人が彼を残して買い物に出かけた。
しばらくして玄関の開く音がして、誰かが部屋に入り彼の顔を覗き込み、
「寝てるの?」と聞いたが姉の声だったので、だるくて目も開けないまま無視。
しばらくして帰宅した家族が「具合はどうだ」と聞きに来た時に
姉も一緒だったので不審に思い、
「あれ?姉ちゃんは先に帰っていたよね」と聞くと、
「いや、皆、今帰ったよ」との答え。
では、あの顔を覗き込んで「寝てるの?」と聞いたのは誰?

というもの。
「熱でもうろうとしていたから夢だったんだろう」とのレスが多かった中に、こんな一言。
「もし、返事をしていたら・・・」
それを読んだ途端、急に同僚の話を思い出し、今更ながらにゾッとした。

もし、姿を見ていたら・・・
もし、話しかける声に応えていたら・・・

妖(あやかし)は、何の変哲もない日常の中に、そっと忍び込むのかもしれない・・・

なーんちゃって。

虫除けスプレーのお値段

「不快と害」のトラックバックのおかげで、農薬・殺虫剤・合成界面活性剤・香料・防腐剤・保存料を一切使用しない、害虫忌避作用のある精油で出来た無添加虫除けスプレーの販売価格を知ることができた。

だいたい一本1,200円~1,500円。

商売にしようかしらん。手作り石鹸と一緒に。
高級すぎてジャブジャブ使えないよ~。(笑)

私を許さないで

「許します」は、「ありがとう」に次ぐ、最近大人気の言葉らしい。

人を許すにも8つのステップがあり、きちんと台詞も決まってるというのだから面白い。
なんでもかんでもマニュアル通り。お勉強大好きなよい子ちゃんらしい。


  ステップ1:許せない人をリストアップして、対象を一人決める。
  ステップ2:自分の感情を吐き出す。その人への感情を紙に書き出す。
  ステップ3:相手がその行為をした動機を探り、理解する。
  ステップ4:感謝できることを出来るだけ多く書き出す。
  ステップ5:言葉の力を借りる
        「私は、私自身の自由とやすらぎと幸せのために、
         ○○さんを許します」と宣言する。
        「○○さん、ありがとうございます」と繰り返し唱える。
  ステップ6:謝りたいことを書き出す。
  ステップ7:学んだことを書き出す。
  ステップ8:「私は○○さんを許しました」と宣言する。

これは今、ネットから拾ってきたもの。
なんと面倒臭いことだろう。
だが、何かに似てるのにお気づきだろうか。

リスト作りからターゲット決め。問題点の列記。原因の分析。
他方面からのアプローチ。解決への対応。反省。次にどう活かすかの指針作り。
そして、総括としての目的達成の確認。

そう。ビジネスの流れをそのまま置き換えている。


こんなに努力してまで、誰かを許さなきゃならないとはご苦労なことだ。
嫌いなら嫌い、憎いなら憎いでなぜ悪い?
「一生恨んで恨んで恨み続けて、死んでからも末代まで祟ってやる~~」
ぐらいの勢いで呪ってたっていいんじゃないのかと、私なら思うが。

いくら頑張ってみたってそんなに長くは憎み続けられるものではない。
どんな辛いことがあってもいつか悲しみから立ち直るように、どんなに恨んで「絶対に許せない」と思っても、生きてる限り、一つの感情にいつまでもかかずらってるわけにはいかないのだから。

結局、その人を許すか許さないかが問題なのではない。
今、自分がどんな行為をするか、どんな感情を持つかも一瞬一瞬選択してるのだから、今の事だけやってればいいものを、「あいつを許せない気持ち」がある限り出来ないと思うこと自体が、その状況では向き合うべき物に向き合わなくていいという言い訳を握り続ける執着となっているのだ。

リスト全員許すのに何回こんな大仰な「儀式」を必要とする?
嫌な人間が出てくるたびに幾度も繰り返すのか?
わざわざ嫌いな奴のために、自分の時間を割いてやるとは、お人よしにも程がある。
自分自身の「自由とやすらぎと幸せのため」なら尚のこと。
憎みたいなら憎めばいい。それが自由だ。
そして、安らかな時を持てばいい。
そいつがいようがいまいが、何を仕掛けて来ようが自分の幸せには無関係。

誤解をしていようがされていようが、相手が何を思って自分にとって嫌な事をしてきたかの事情があろうが、そんなのどうでも知ったこっちゃない!
嫌なことをされたら嫌。腹は立つ。
それを無理やり捻じ曲げて感謝なんかした日には、ジンマシンなんて軽いもんじゃない。
肩はガチガチ、血はにごり、胃に大穴開いて、体中にがん細胞がボコボコと音を立てて噴出しまくろうというものだ。

「憎むのは害のあるイケナイコトだから憎まないようにしましょう」
と言われて出来ると思うのが、現代教育を象徴している。
「自信を持ちましょう」と言われて、「はい」と答えるのと同じで。

また、「許す」事によって、運勢や他人を都合よく変えようとするのは、ひどい驕りだ。
自分自身だって、うっかり他人に嫌な思いをさせていたり、知らず裏切ったりで、どんな迷惑をかけているかわからないものを。
そこを踏まえて「お互いさま」で助け合い譲り合う人には、わざわざ「許します」を言葉にする必要はすでにない。


それでも実際に、「8つのステップを踏んで許して、スッパリ気持ちを切り替えられた」という人がいるのなら、良い事だし効果を認めよう。
だが、多くは、この方法が載っている本を買い求めた前も後も、似たような「心が軽くなる方法」のテキストを血眼になって集めているだけじゃなかろうか。
私はそんな気がする。

病んだ子羊

思い起こせば、バブル期から人々の関心は心理学や精神世界に向きはじめ、
それまで存在していなかった新しい言葉や思想が欧米から続々と取り入れられてきた。
代表的なのが「アダルトチルドレン」。
社会不適合の原因がわからずに苦しんでいた人を認知し、
その治療法まで示した書物が数多く発刊され、
それらはまるで救いの福音のように受け入れられたものだった。
例の「生きにくい」も、その頃に発生した台詞。
多くの人がその時、
「これまで自分が悪いと責めてきた辛さの原因がはっきりして楽になりました」
と言っていたはずだった。
あれから20年余。
どれだけ改善していっただろうか?
心に焦点を当てれば当てるほど、どんどん人は「傷つき」易くなるばかり。

名前をつけ、意味を持たせ、ああでもないこうでもないといじくりまわして悪化させる。
それがどこかの病院システム。カルト宗教。自己啓発セミナー。
高い金だけむしり取ったら、用は済んだと放り出し、患者、信者は流浪の民に。

症状に当てはまる名前なんぞは必要ない。
取扱説明書よりも、人間を観ろ!
目の前の相手を観ろ!
自分自身を観ろ!
それなしに、何をどうできるのか。
従順であるな。
問え!

フツツカモノでございますが

  「“自分を好き”、西洋的な言葉ですね。」

先日、かずこ先生にそう言われ、またまた私の目から鱗がポロッ。

そうか。
言われて見れば確かに。
これも古来からの日本人の感覚にはない言葉かもしれない。

「自分を好き」ではないというわけではなくて、
それを言葉にするようなメンタリティではなかったように思う。
「好き」と言わないからといって「嫌い」なのではなく、
そもそも好きだの嫌いだのと意識するようなものではないんじゃなかろうか。

好悪感情は快・不快と密接に結びついているから、人は発達段階の早い時点で、好きと嫌いの判断ができるようになる。
食物の好き嫌い、居場所の好き嫌い、玩具の好き嫌い、そして人見知り。
では、どの段階で自分自身に対して好きだの嫌いだのと感じるようになっただろうか?
私には覚えがない。
確かに、何をするにも自信がなくてオドオドはしていた。
その弱さを知られたくなくて強がるような歪み方もした。
他人に好まれるような自分であることで安心しようともした。
「ダメ人間」だからと、優れた能力や容姿の人を羨みもした。
でも、「自分が嫌いだ」とは浮かんでこなかった。
「親が嫌いだ」は歴然とあっても。もちろん「親が好き」も同じ位だが。

私が「自分を嫌いだ」と思ったのは、
誰かから私の状態がそれに当てはまると言われたからではなかったか?
その上で「自分を好きにならなきゃいけない」と信じたのでは?
そうすれば上記のぎこちない自分の欠点が解消するかのように思って。
ということは、結局これも観念だったということ。

自分が自分を好きだの嫌いだの、それが何だというのだろう。
どんなに嫌でも一生付き合っていかなければならないから、
それなら好きであった方がせめて道行きも楽しかろうと、
その程度の気休めみたいなもんじゃないか。
ハ、アホらしい。

いい奴だろうが、いけ好かない奴だろうがこれが自分だ。諦めろ。
いっちょ覚悟を決めて、
「どんなことがあってもトコトン付き合ってやるぞ!」と腹をくくるのみ。
それっきゃないでしょ。

今年最後の海~~

20070811162303
ブログの流れに伴うように、今日は二年前に来てブログに書いた同じ海岸にいる。
大島の別荘のプライベートビーチ。
ただし、縁もゆかりもない人のだけど。(笑)

やっぱ、いい所だわー。

蝉の声、打ち寄せる穏やかな波の音、絵に描いたような瀬戸内の島と雲。
木陰にそよぐ柔らかな風。潮の香。はしゃぐ子供ら。
ビールも、うんまいっ!

夫が「ツブ貝がいるぞ」と言うから、「採って採って。帰って湯がいて、マチ針で刺して食べよ」と子供達に集めさせたのはいいけど、なんと全部ヤドカリだった。
もー、どーすんのよぉ!

海の水は、この間の倉橋島より美味しいということで、私と子供達の意見は一致。
が、鼻に入るとやっぱり痛いよ。
20070811162306

わかる人にだけわかる呟き

じっと自分の中の怖れを見つめ続けていると、使えない言葉が増えてくる。

それを口にする動機を知ってしまったから。

他人の怖れがヒシヒシと痛い。
どうすることもできないけれど。

こんなふうに私への哀しみを感じてくれてた人もいたのだろう。

気付かずにいた事に、ごめんなさい。

そして、ありがとう。

過去記事参照

K-Hyodoさんが公開されてる「MT Log Reader」を使って、
過去ログの中から同じような事を書いていた記事を発見。
スゴイよ!
これはとても便利な秀逸ソフトです!

しっかしまぁ、、、、いやー、二年前も同じこと考えてたんだ。
人は変わらないというか、こだわり続けてるっていうか、
ぜんぜん進歩してなーい。(笑)

ということで、アップしときます。

しかし、恥ずかしすぎるー。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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