感嘆・・・・そして放心・・・

今、私はパソコンの前で、深い息をしている。
全身の力がいっぺんに抜けた。
それなのに、血がかけめぐって指先まで熱くなっているのがわかる。

さきこさんから送ってもらった、クリスマスコンサートのDVDを見終わったところだ。

うわ~、まいったな~。

初めてデモDVDを見た時以上の驚きと興奮。

身体が自然に動いてしまう、踊りだしてしまう音ってこういうことか。
楽しくて楽しくて、一人部屋でご機嫌でリズムをとっていた。音楽に乗っていた。
だけどやがてノリというよりも、グングン引き込まれ、
次第に音は研ぎ澄まされて、張り詰めていく感じになっていった。
軽やかなのに芯のあるクリアな響き。
ピアノやベースとの掛け合いもすばらしい。

馴染みのあるジャズナンバーもこれまで私が聞いた中で最高に素敵だと思うけれど、
なにより圧巻はドラムソロコンサートのリハーサル。
youtubeに置いてあるのは、ほんのさわりで、その後が物凄いことになっていたのだった。

うわ、動きが見えないよ?
スティックの先とかの話ではなく、腕の位置が、身体の向きがコマ送りのような速さで、信じられない。
もはやハチドリ級。
かと思えば、ゆっくりと溜めて溜めて勢いや力を凝縮するかのようにして迸らせる場面もあり、まるで壮大なドラマを見ているかのように飽きさせることがない。
ドラム一つでなぜこれほどまでに多彩な表現ができるのか。
そう、まるでシンフォニー(交響曲)のよう。

どこまでもピュアな漆黒の音と評されるのも、なんとなくわかるような気がする。
もちろん、マイクを通して録音された音と直接聞いたものとは違うだろうが、それでもこんな透明感のある音は聞いたことがない。
本番の日に向けて、まだまだ進化するんだろうし、もう、どうなっちゃうんだろう。

それにしても、さきこさん、いい場所から撮ってる。
先生にかぶりつき。全部映ってる。
これから、このDVDは私の部屋で環境ビデオのように流しっぱなし。
クリスマスコンサート

さくらさくらを歌い継ぐ

ドラムソロコンサートは、会場にいる全員での「さくらさくら」の大合唱ではじまるという。
昨年のクリスマスコンサートでも歌われたが、そこで困ったことがあった。
みんなの歌詞がバラバラでまとまりがなくなってしまったらしい。
それで、コンサート本番では皆で声を合わせて歌えるように、歌詞のプリントが配られることになっているそうだ。

「さくらさくら」の歌詞の種類があるとは知らなかったので、調べたところ、昭和16年に音楽の教科書が全国で統一されたときに変えられたとあった。
昭和16年といえばずいぶんと昔だが、私が古い方の歌詞で覚えていてそれ以外を知らなかったのは、学校で習ったのではなく、母に教えてもらったからかもしれない。

夕方、よく歌を歌いながら手をつないで銭湯に行っていたことを思い出す。
「赤とんぼ」「靴がなる」「夕日」「赤い鳥小鳥」「あめふり」「カナリアの歌」・・・・・・
そういえば子守唄も、物心ついた頃から母が歌ってくれていたのを、私も子供たちに歌って聞かせていたのだった。(なぜか江戸の子守唄)

「さくらさくら」の他にも、古い言葉が改められて歌詞が変わった歌は多く、その戸惑いの中で、親から子へ歌い継がれる歌が減ってきているということはあるのかもしれない。

  さくら さくら 
  やよいのそらは みわたすかぎり 
  かすみかくもか にほいぞいずる
  いざや いざや みにゆかん

コンサートでは新旧どちらの歌詞での合唱になるのかわからないが、この美しい歌詞は消えることなくずっと残っていて欲しいと思っている。

興味の枠を踏み出して

大阪でのドラムソロコンサートには、息子二人を同行させることにしている。
元気がないわけではないが、若いくせにどうもいまいち覇気がない息子たちがどんな反応をするかを見たいという、これは私の好奇心で誘った。
意外なことに、何をするにも中途半端で中学生活をダラダラと過ごしてきた長男が「面白そう」と乗り気であるのに、割とやることはやるタイプの次男が「俺、興味ないから」と行きたがらない。
「ドラムにぜんぜん関心がないのに、無理に行って聞いても楽しいわけがない」とにべもない。
ちょっと当てが外れたように感じたが、よく考えたらこれも彼の性格のうちだと思い当たった。
彼は、何事に対しても好むか好まなざるかを最初から決めてかかるところがある。
いつかの日記にも書いたように、勉強もそう。人間関係もそう。
好きな教科だけはしっかりやるが、興味が持てない教科は最初から取り組まないで投げる。
好きな友人とは会話を楽しみ親切にするが、そうでない人には無関心で冷淡。
自分で「これはこういうもの」と決めてかかり、好き嫌い、役立つ無駄、という判断の外の可能性を確かめようともせず、頑なに拒む傾向にある。
まだ13年の人生経験で枠を決めてしまっているとは、なんともったいない。
そのカチコチの頭をぶち壊してやりたい、という思いがメラメラと湧いてくる。
これも親のエゴなのかもしれないが、なんの、価値観の押し付けができるのが子供に対する親の特権だ。無理やりにでも引きずって行ってやる。
どう受け止めるかまで、私が決めることはできないのは承知の上。牛が水を飲むか飲まないかは牛の勝手だから。
それでも、日野先生の音に、動きに、エネルギーに、そしてこれまでにない経験に、ショックを受けるぐらいの感性は持ってて欲しいのだけど。

不登校と親の愉しみ

聞いた話。

ある不登校の子供がいたそうだ。
ちょっとした事で学校に行かなくなって、先生や親があれこれ手を尽くしても改善せず、どうしたものかと思案に暮れていた頃、ふいに母親が姿を消した。
父親が心配して行方を確かめると、韓流スターの追っかけをして東京まで行ってしまっていた。
子供はそれから学校へ行くようになったという。
理由は、「こんな親には頼れない」からだったとか。


問題は問題。やりたい事はやりたい事。
何かのせい誰かのせいで自分が犠牲にならなきゃいけないなんて考えもしないこの母親の姿勢、いいと思う。
だから子供も見習ったんじゃないかな。自分ではそうと気付いてないだろうけれど。
それと、いくら自分が暗くなって凹んで不幸のどん底にいようと、関係なく地球は回る。
構われないことで「何やってんだ?俺」と自己中心的な幼児性から抜け出せることもあるかもね。

(追記)-------------------------------------
たぶん真似をしても無理ということは言っておきます。一応。

騙そうとする言葉

現代は何でも言葉で伝えようとする。
「あなたが好き」「愛してる」「信じてる」「大切に思ってる」と言葉がけをすることで、心が伝わるというのが通説。
あちらこちらで、他人に価値を認められることによって自己肯定感が持てるというような事を教えられている。
しかし、言われなきゃわからないのだとしたら、それは一種の騙しのテクニックにすぎないのではないだろうか、という疑問を私は常々抱いている。
足らないから、不足分を言葉で補おうとしているだけなのではという気がしてならない。
人は誰でも他人に好かれたい、大切に思われたい、必要とされたいという欲求を持っているのは確かだ。
欲求を満たされるのは快感だから、それらの言葉をかけられることはもちろん心地よく嬉しいに違いないだろうが、そもそも実感があったなら言葉にそれほど有難みはないもの。
言葉にすがることによって心を強く持てるのは、よもやそんなふうに思われていたとは知らなかった人ということになる。
そういう人たちが実感を伴わない言葉を納得させられる。
それを恐ろしいとも何とも思わない不感症の人たちによって、この社会が構成されているのだから、そりゃあ自殺者が年々増加していくはずだ。

日ごろ相手の気持ちに無関心な人が苦虫を噛み潰したような顔で、あるいは情けない困った顔で、「あなたを愛してるんだよ」と言う。
その意味することは、本当に愛の表現だろうか?
むしろ「私の気持ちをわかれ」という、要求ではないのか。
「だから何?」と突っぱねられる人なら問題ないが、そこに拠り所を求める人は信じようとしてしまう。
「あなたが好き(だから元気を出せ)」
「愛してる(から立ち直れ)」
「信じてる(から迷惑かけてくれるな)」
「大切に思ってる(から言うことを聞くいい子でいなさい)」
言葉は口にされるまで伝わらなくても、口にされない要求はちゃんと伝わる。
かくして、交換条件付で愛してもらえるという奇妙な関係が成立する。

言われなければわからない。欲しい言葉を言ってもらえたら、それだけで生きていける。
──なんて馬鹿なことがあるとされるのが、現代。
「愛されている、大切にされているんだとわからせてやろう」なんて意図で何かをされるのを気持ち悪いと感じられない人は、どんどん心も身体も病んでいくだろう。
では、どうしたらいいのか?
それは簡単。
「自分は何がしたいか」に忠実であることだ。
騙しなどいらない。

恋愛運上昇中

運転中にラジオをつけると、「金運と恋愛運どっちが欲しい?」というテーマで番組進行をしていた。
リスナーからの意見は、既婚者はたいていが「恋愛は地獄行きなので絶対金運」と答え、恋人募集中の人や現在ラブラブ中の人は「恋をしてる時は仕事も何もかも楽しいから、だんぜん恋愛運」という人が多い。


さて、私はどちらでしょう?

それは、迷うことなく恋愛運だ。

お金はどうにかして稼ぐことができる。がむしゃらに働きさえすれば貯められる。
欲しいものがあれば尚更頑張りはきく。

だけど恋愛はそうはいかない。
天からパーッと降ってくるものだから。
好きになろうとしてなるもんじゃないし、愛されたくてもそうなるとは限らない。
努力でどうにもできない所だから運頼みってわけ。

いい恋愛をしたいと思う。
情熱的に激しく恋焦がれて求めて、命を燃やし尽くすような恋愛。
これぞ生きてる!生まれてきて良かった!という実感があふれて、周囲の人まで嬉しくなるってぐらいの本物の。

とは言っても、誤解なきように。

相手は男じゃないかもしれないよ。
特に一人とも限らないし、更に言えば、人間ではないってこともあったりして。(謎)

お金が物質や労働力を数値に換算できるエネルギーとすれば、恋愛は数値化できない衝動と言えると思う。
理由や理解、理屈は必要ないし無駄。誰が何をしようとも、まったくもって歯が立たない。
抑えることも、邪魔することも、変えることも、動かすことすらできないパワー。
それくらいの大恋愛なら、どんな地獄もパラダイスになるだろう。

もちろん私はただ今、恋愛中。
きっと、死ぬまで恋する瞳を持ち続けているだろうな。

子供好きにはなれなくて

受験シーズンまっさかり。
同僚の息子が中学受験ということで、彼女はひとりキリキリしている。
受けるのは競争率10倍以上と、難関をもう二校。
毎回、試験が終わって家に帰り着く頃合を見計らい電話し、様子を聞いて慰めたり励ましたり。
合格発表の日は朝からソワソワと落ち着かない。
「待つのは生殺しみたいでイヤ~」とため息ついては、さいさいメールチェック。
時間がきたらネットですぐに合格者の受験番号を確認。
「胃が痛い」「ストレスで髪の毛がパラパラ抜けてる」と騒ぎながら、受験生の親という役回りを十二分に堪能している。

そういうことは私にはこれからもなさそうなので、面白いものだなと思って見ている。
私にとっては子供が勉強ができようができまいが、別にどうでもいい。
だから今回息子の高校受験の結果がどうでようと、どちらでもいいような気でいる。
合格すれば、そのまま普通に通ってそこそこ一応高卒の資格が得られて楽でいいかなと思うし、落ちれば、次にどう動くかを考えればいいだけ。
むしろ落ちた方が、いきなり選択肢が無限に広がって面白いんじゃないかなと期待してたりして(笑)。

子供の将来を案じて全力を傾けて環境を整え応援するのが「子供のことが大好きな親」なのだとしたら、きっと私はそうではない。
子供のことがそんなに好きではないのだろう。

病気・怪我・犯罪以外のことだったら、はっきり言ってどうでもいい。
成績が良くて褒めることもなければ、悪くて叱ることもない。それより毎日どんな経験をしたのかに関心がいく。
子供なんか悪くて当然なんだから、必要あればバシバシぶっ叩いて、迷惑かけたところに頭を下げたら、それで終い。
問題なぞ、放っておいたら一番良い所に落ち着いているもんだ。
子育てで唯一ストレスがあるとすれば、PTAや子供会の面倒くささぐらいか。

こんなに楽々やってけるのも、私が子供を好きでないが故。
もしも子供が好きで好きでたまらなかったら、子供のためにやってやりたいことが山ほどあるだろうし、心配も多くておちおち夜も寝ていられないかもしれない。
そう考えたら、私は誰一人大好きな人はいないようなのだが。

岡山ワークショップの二日目、やもりこ先生に「家に電話した?」と聞かれて、一瞬「えっと・・・何かあったっけ?」とキョトンとしてしまった私。
「そうか。普通は気になって電話するもんなんだ」と知って、翌朝電話してみたが誰も出なかったのでそのまんま。
家に帰ってそのことを子供たちに話したら、「まだ布団の中にいた」と言う。
「用があるならまたかかってくる」と。
この子らも何も心配していない。
ということは、たぶん私のことをさほど好きではないのだろう。

成長の不思議な道のり

昨夜、NHKスペシャルの「赤ちゃん 成長の不思議な道のり」を見た。

赤ちゃんというのは、見るだけで楽しい。
表情、しぐさ、やることなすことすべてが可愛らしく面白く興味深く、そして非常に懐かしい。
目が離せないし、思わずほほが緩んで話しかけたくなる。かつて子供たちにしたように。

しかし、見慣れた動作も研究すると意外なことがわかるものだ。

たとえば手足のバタバタとした動き。
新生児の時は活発で、やがて以前と比べると範囲が狭まり動きが鈍くなったかのような状態に一旦なってから、更によく動くようになる時期への移行など、日常接していても気付くことはできない。
自分の身体なのに思い通りに動かせなくて不自由そうだったのが、手や足を不思議そうに見ていることが多くなったと思っていたら、いつの間にか意思を持って動かし始めていたと知るぐらいがせいぜい。
それが情報を整理する時間だったとは。
成長は必ずしも右肩上がりではなく、後退するように見えて、次の飛躍に備えているというのは、赤ちゃんだけに限らないような気もする。

また、一日の大半を眠ってすごす赤ちゃんが、寝ている間にも人の話し声に脳の言語認識の部分が反応をみせているというのにも驚いた。
無意識無反応でぐっすりと深い眠りについているものだとばかり思っていたのに、聞き耳を立てて学習していたなんて。
そうするうちに、環境に合わせて生きてゆくのに不必要なものはジャンジャン捨てて、必要なものだけを強化していく作業をセッセとこなしているのだから、「のんびりと無心に寝てすごせて、一生のうちの一番いい時期かもね」などと微笑ましく思っていたのは大間違いだったということか。

赤ちゃんは成長しようと思って頑張っているわけではもちろんない。
ああしよう、こうしようなどと一切何もないのに、せざるを得ない、するようになっている。
成長とは、命がただ生きていくための能力を獲得する道のりであり、「より良く」など考える必要すらないのだろう。
やってることは「BEST」に決まってる、というか。

番組の中で私が一番面白く感じたのは、赤ちゃんがどういう時に一番学習効果が出て、成長(出来なかったことができるようになる)するかという状況が明らかになった事だ。
こんな実験をしていた。
まず、生後9ヶ月の赤ちゃんにテレビモニターを通して、普段使っていない言語である中国語の教育ビデオを1回25分間ずつ4週間かけて12回見せる。そこには中国人のお姉さんがキャラクターのぬいぐるみ人形を使って子供向けに優しく楽しそうに語りかける映像が流れている。
次に同じ人物に直接部屋に来てもらい、同じぬいぐるみを使い、テレビでやったのとまったく同じしぐさで同じ台詞をしゃべってもらう。
そういった体験がどれだけ学習効果として脳に記憶されたかを調べたところ、意外な結果が出た。
テレビ画面を通じての学習は、赤ちゃんがとても興味を持って熱心に見ていたにもかかわらず、何もしない場合とほぼ同じ。
片や直接に人物を目の前にした場合は、倍の正解率となって現れたのだった。
情報だけでは学べない。人と接することによって身につけることができるというこの結果は、何を意味しているのだろう。

赤ちゃんは、他の赤ちゃんと会って一緒に遊んだすぐ後に発達の段階を上がることが多いという。
ハイハイが出来なかった子が、してる子を見てやるようになった。立てなかった子がつかまり立ちをしたとか。
近づきたい、関わりたいという欲求は、どうやら生まれつきのもののようで、それによって能力を獲得してゆける仕組みになっているらしい。

それはなにも赤ちゃんに限らないだろう。

人は生きていくために、他人を必要とする。
社会的な人との関わりによって、生き、学び、成長していくようになっている。
それならば、より多くの人とより密度の濃い時間をどれだけ持てるかが、自分を高め、人生を味わい深くする鍵といえる。
本を読んだだけで知った気になってたり、ネットやメールのやりとりだけで会話してる気になっていては、そこは望めない。
人とは直にふれあわなくては。

人はひとりひとり裸で生まれて何も持っていないけど、人と人との間には、限りない豊かさがあふれている。
大切にしたい。

パタリと

朝、目覚ましの音で起きると、部屋の電気が煌々と点いていた。

なぜ?

そして、手の中には、蛍光灯のリモコンが。

あ、

またやっちゃった。


布団に入って枕に頭を乗せた瞬間に眠りに落ちてしまって、ボタンを“ピッ”と押すまでも保たなかったんだよな。


副交感神経の働きを促す「あの体操」をやると、よくこうなる。

そのガッカリは

ガッカリしたり、ショック受けたりしたなら、さ、
それは期待があったということ。
こうなるはず、あの人はこんな人、というアテが外れたんでしょう?

これが、現実。

認めなよ。

理由探しはやるだけ無駄。

決闘シーン

映画「椿三十郎」を見ての帰りにレンタルショップに寄って昔の映画を借りようとしたが、あいにくとレンタル中。
そこでネットで動画を探していて、丁度いいものを見つけた。
youtubeにあった決闘シーン
当時、この血しぶきが派手に吹き上がる描写は話題になり、その後の映画に多大な影響を与えたという。
私は黒澤映画は大昔に見たきりで、三船のギラギラとした存在感がやたら印象に残っていただけで、細かいところなどはほとんど覚えてはいなかったのだが、こうして改めて見て思ったのは、見詰め合って一瞬にけりがつく所はまるでウエスタンのようだなという事。
対して日野先生のアイデアが盛り込まれたリメイクの方は、人間味あるリアリティで見せる。
そして・・・・・・
こんな決闘シーンも前代未聞ではないだろうか。
両方に共通しているのは、相手が斬ろうとしてくる時に、椿はすでに斬っているという決着のつき方。
先に動き出すのは相手なのに、遅い。という。
日野先生の気配を感じさせない抜刀術を見たことがある人は、動画と比べてみると面白いかもしれない。

ツバキ30

広島では上映館が少なく時間も難しいのでなかなかいけずにいたのだが、今日が「椿三十郎」の最終日だったので、遠くまで足を延ばして見に行った。

感想は、・・・う~~ん。
言いたくない。

ま、三船敏郎に踊る大捜査線は演れないからね。
現代はやっぱり現代だなと感じたな。

やるときとは

正面向かい合いでも、たまに目を合わせられない人もいる。
私の目を見よう見ようとはしていても、視線が泳いでしまうので集中が途切れる。
捕まえ直しても、また外される。
わざとではないのかもしれないが、逃げている。
当然、真正面にはならないから、だいたいこのあたりというポイントをジリジリと手探りするばかりで、ドンぴしゃり「ここ」とは絞りきれない。

少し雑談をしてみると、やはりその人は、人の目を見て会話というのが苦手だった。
自信なさそうに「あまりすることがないので・・・」と言う。
それでも大事な面接の時などには、良い印象を持ってもらうためにしっかりと相手の目を見て受け答えはしているのだそうだ。
普段は普段。
やる時はやる、ということらしい。

しかし、「やっぱり、目を見て話をするのは基本だよね。そこで人の評価って違うものだから」という話をしているそばから、一向に私の目を見てはくれないのは、どういうこと?
私には理解できない。
視線だけわずかにずらすのならまだわかる。
横を向いてうつむいたまま、口をきいているというのは何とも不可思議。
大事なときにはちゃんとやる、良い印象を持ってもらうためならちゃんとやるというのなら、私など大事じゃない、良い印象など持ってもらわなくて結構というボディランゲージか?
そんなに私が嫌い?うっとうしい?苦痛?あっち行け?
と、悪く思えばそう受け取れもする。
たぶん本人は気付いてはいないのだろうが。

「普段はやらなくても、やるべき時にはちゃんとできる」とは私には思えない。
その時だけ頑張っても、やってるつもり、できてるつもりでどうしても普段そのままは出てしまうものだから。
他人はそれほど鈍感ではない。特に社会経験豊富な大人は人を見抜くものだ。

眉をしかめ首をかしげていたのだけれど、その人が私の表情を見ることはなかったので、注意しそびれてしまった。
子供にするように、顔を覗き込んで無理やりにでも視線を合わせて教えてあげればよかったのに。
それが心残り。


「ナマムギ」とドラム

毎朝元気に車の中で声を張り上げる。
「ナマムギナマゴメナマタマゴ!」

バイパスを走らせながらだから、いくら大きな声を出しても人目を気にしなくてもいい。
力の限り
「ナマムギナマゴメナマタマゴ!」

だけど、ワークショップで体育館の端から端に届けたのと比べたら、何だか迫力がないような?
声は大きいことは大きいのだけれど、周囲にだけこもったこじんまりとした感じ。
一人だと、やっぱり難しい?何が違う?どうしたらいい?

何度か繰り返しているうちに、ふと思ったのは、あの時の距離って前を走ってる車ぐらいだったかなということ。
そこで、前のドライバーの後頭部をめがけて
「ナマムギナマゴメナマタマゴ!」

あ、ぜんぜん違う。
声の質が。
周囲にとどまってなくて、突き抜けた感じ。張りがある。鋭くなった。
もう一回。
もう一回。



やっぱりそうだ!!
どこに届けるかという目標を持つのと持たないのとでは、こんなにも違うのか。

もちろん車は密閉されているし、高速で走っているのだから相手に声が聞こえるはずはない。
それはいい。
私がどこを目指しての働きかけをするかというだけの問題なのだから。

いろいろターゲットを変えてやってみた。

何台か前を走る車。周囲のビルの窓。遠くの山。
残念ながら、それらに対しての違いはまだ私には実感できないが、きっとあるような気がしている。

日野先生のクリスマスコンサートの感想を、やもりこ先生は、
「彼のドラムにはもう狭すぎる」
「すでに、500人キャパの会場がふさわしいドラムになってしまっている」
日記に書かれていたけれど、もしかしたらそういった所に通じてくるのかな?

「メジャーの音」
うん。ますます、楽しみ。

日野晃と酒を飲む

WSの打ち上げにはもちろん参加。
どうせ帰っても深夜帰宅になる。
それならもう一泊して出来るだけ長く先生と過ごし、朝、新幹線で会社に直行したほうがいい。
一日目、二日目も夕食に同席させていただいたが、座った場所が悪くて先生のお話があまり聞こえなかった。
そこで打ち上げでは絶対に先生の近くに陣取ろうと決めていた。
打ち上げの参加者は総勢39人にもなり、店に用意されていた席も料理も足りない状態だったが、大いに盛り上がった。
盛り上がりすぎて、狙ったのにもかかわらずやはり少し離れた席になった私は耳をダンボにしても途切れ途切れにしか話が聞こえない。
だが、そういう場合こそオバチャンパワー。伊達に年はとってない。
ビールを持って、お酌に行ったついでに先生の隣に割って入り座り込み攻撃~~~。
若い子らは、そういうことにも頭が回らないらしく、一所に座ったら動かない。
もったいないことだが、私としてはシメシメだ。
だが、先生はやはりできるだけ若い人に機会を与えたいと考えておられるので、時間の都合で何人かが帰って少しスペースが楽になった頃合に、「離れたところに固まってないでこっちに来い」と、自ら学生達に声をかけ呼び寄せられた。
その中にちょっと面白い男の子がいた。
「僕は、日野晃と酒を飲みたかったから、このワークショップに参加したんです」と言う。
酒は重要なコミュニケーションツールとの論には、私もおおいに賛同するので、「とんがれ!」「喰らい付け!」「突っ込め!」と心で声援を送って見ていたのだが、どうも酔っ払って中身のある話にはなっていかない。
仲間内で楽しむのと、こういった学ぶ機会との違いがわからないのか。
はたまた、先生も彼にとっては「オトモダチ」なのか。
それでも黙ってたり無関心でいるよりは、よっぽどましではあるのだが。

店は早々と閉店時間となり、場所を変えて二次会。
少し歩いてショットバーに向かう。
数人が途中ではぐれて、少し遅れてやってきた。
日野晃と酒を飲みたい彼もちゃんといたので、ここで積極的に動くことを期待したがやはり同じ。
若者達でまとまってしまう。もっと関われよ!

ここでの先生とパリ在住のハーフの女性との会話は本当に面白かった。
彼女は、沖縄の歴史から、民族紛争、着物について、ダンサーの話題、知る人ぞ知る有名人のラストステージの話、友人のミュージシャンの事等々を、流暢な日本語で目の前に情景が見えるかのように聞かせてくれた。
世界は広いし、体験を通して自分で物を考えているから、引き出しはいくらでもあるといった感じだ。
私はただただ感心して「へえ~」と、相槌を打つばかり。
これを終わってるオバチャンでなく、ダンサーやダンサー志望の若者が聞いたらどれほど勉強になったか。
先生も日記でそれを惜しんでいらっしゃった。
>このチャンスを逃してしまったのだ。
>そして、このチャンスは二度と来ない。

とあるように、彼らは取り返しのつかない手痛い大失敗をした。
先生はWSの中で「失敗を沢山しなさい」と言われていたのだから、もちろん失敗はしてもいい。
だが、失敗を失敗と気付いてこそ、それが活きる。
「ああーーしまったーー、失敗したーーー!!惜しい!悔しい!自分が歯がゆい!!!」
そう心から後悔し、歯噛みし、のた打ち回れるかどうかだ。

自分の価値、他人の価値をどこに置いているのか。
それだけが、人生を決めるのだから。

岡山WS終了

岡山ワークショップは大感動、大興奮のうちに幕をおろした。
鳴り止まない拍手、歓声。
日野先生へのアンコール。
最後にということで見せていただいた刀を使った、絶体絶命に追い詰められたシチュエーションからの抜刀術に続いて、プロのダンサーの助手の方とのコネクトされた動き(なんと言っていいのかわからない)。
身に着ければこんなことができるんだ!と実際を見せていただいたのは、大きな励みになる。
「これが欲しい!」と思うなら、なんとしてでも掴み取るべきだ。
“できないこと”なのは、やればやるほど身に沁みる。
が、そこをそれでもやるのが醍醐味なわけで。

ペアを組んだ相手との「ありがとうございました」の挨拶を、最終日の最後には、その場の参加者全員とする。
何人いただろうか。
最初から最後まで通しで参加した人。何コマか選んで参加した人。最終日だけの人。最後の1コマのみという人もいたかもしれない。
顔を見知った人とはもちろん、知らなかった人とも正面から挨拶をして目を見交わせば、互いに笑みがこぼれて胸が熱くなる。
場を共有して一つ事に取り組んだ人々は、もうただの通りすがりではない。
その中でも、初日に組んだ若者の顔の変化には目を瞠った。
すっきりさっぱり明るい印象になっていて、思わず「顔、変わったね~」と口に出していた。
言っては悪いけど、どんよりと薄汚れたベールを脱ぎ捨てたかのように感じて。
改めて見回すと、皆、美男美女になっているような?
それだけ、相手を本当に見る、相手を本当に感じる、相手に本当に伝えるという事が、本人の輪郭を明らかにさせる必然を持つからだろう。

みんな、これからもずっとピカピカでいよう! そして、また会おう!!
ありがとうございました!!!!!

オイ!!

ホテルの部屋の窓ごしに外を見下ろすと、隣の低い建物の屋上に犬が日なたぼっこをしにヨタヨタ出てきた所だった。
ちょっとしたイタズラ心が起こり、窓を閉めたまま声を出さずに指差して「オイ!!」とやってみた。
犬はフッと顔を上げてキョロキョロ。
そこでもう一度、「オイ!!」。
こちらを見た。

ウソ。ホントォ!?

犬は落ち着かなくなり、少しグルグル歩き回っていたが、しばらくして見たら、また寝そべっていた。

面白~い。

澄んだ瞳の輝き

日野先生のご家族や何年も武道教室に通っている人達は、どことなく似ているように感じる。

漂う清々しく凛とした雰囲気。
そして物を真っ直ぐに見る澄んだ目。
己への厳しさ。
謙虚さ。
所作の美しさ。

つい「きれいだな~」と、目が吸い寄せられてしまう。
ずっと見つめていたいような。

この人に少しでも近付きたい。

そう思える人達がいるのは幸せだ。
そう思う自分であるのも。

WS2日目

2日目、時間の流れはノロノロと始まったが、先生の「終わり」の声に驚く。
もう、身体塾の部終わり?前半じゃなくて?
そこから窓の外はいきなり暗くなり、あっという間に表現塾の部も終わり。
1日が短すぎる。
まだ何も出来てないのに。取っ掛かりすら掴めてないのに。


また今日も、自分の「関われなさ」を思い知った。
人に対してももちろんそうだが、事にあたっても取り組めないでいるのだと。
「何をやっているのか」を自分でわからなくしてるから、他人に伝わるわけがないのに、「やりにくい」と勝手に思う。
心で相手を責めているのと同じこと。
そしてそういった事だけは、バッチリ伝わってしまう。
要領は確かに悪いのだけど、それは何故かを突き詰めていけば、要らん事を考えすぎだからなのだ。
自分としては真面目な“つもり”、真剣な“つもり”でも、実際そうではないから、「何をやっているのか」と問われるのがとても恐ろしい。
ぎこちない動きでペアを組んだ相手を戸惑わせながら、出来なさの理由(理屈)を探すこのひねくれた腐った頭をどうしたらぶち壊して捨てられるのか。
私も無垢な赤ちゃんとして生まれたはずなのだけど。

ライオンは走る練習はしない。

赤ちゃんは何かをやろうとはしない。

ただ、やる。

私は何をやっている?

ついでに岡山観光

筋肉痛はますます酷い。
さて、どうしよう。
とりあえず食事。
ホテルの利用者コメントで朝食の良さを書いていたのが多かっただけあって、バイキングの品数は確かに豊富。
昼食代を浮かすために、和食も洋食も全種類山盛りに取って平らげたら、お腹パンパン。
うう・・・く、苦しい・・・。
そこで腹ごなしに、歩いて15分の岡山後楽園まで散歩に出かけた。
朝の空気は冷たくて気持ちいい。
園内は、パンフレットに載っているような、緑や紅葉ではなく、乾いてセピアがかった風景が広がっていたが、これはこれで趣深いものだ。

胸骨をグッと上げて歩き回っているうちに、身体がほぐれてきた。
よしよし、いい感じ。

さあ、今日も完全燃焼するぞ!!
20080113115307
 20080113115207

WS1日目

岡山ワークショップ1日目が終わった。
先生方、先輩達、今回のスタッフ、参加者の若者達と食事をし、ホテルにチェックインしたのが12時近く。
もうバテバテで座り込んでしまったが、最後の力を振り絞ってシャワーを浴び、一人晩酌をしながらこれを書いている。
初日からハードだった。
動き自体は武禅でもやった事があるものだったが、やった事がないくらいまで動いたから。
胸骨を思い切り前へ、そして後ろへ。
胸筋が背筋が腹筋が肩が肋骨が背骨が悲鳴をあげるほど。
今回ばかりは筋肉痛は遅れを許してはくれないみたいで、すでに痛い。
それに、尾てい骨の上のあたりが赤剥けに。まったく気付かなかったが、シャワーのお湯が触れて飛び上がった。
腰から背骨一つ一つを感じながら胸骨の裏まで繋げていった時になってたらしい。
明日はまた、未知の領域。
どうか身体がもってくれますように。
20080113080403
ホテル9階の部屋からの眺め。

今日から三日間

今日から三日間、日野先生による岡山ワークショップがある。
身体塾と表現塾。
その全コマに参加する。
ダンサー達の中に私のようなずぶの素人が混じっててもいいのかなとの心配は拭えない。
なにしろ私はメチャクチャ運動音痴。
硬いわ、鈍いわ、トロイわ、力ないわで身体能力の低さときたらトンでもないから。
丈夫だけが取り柄。
不安で不安で昨夜はほとんど眠れなかった。
というのはウソ。
楽しみで楽しみでワクワクして眠れなかった。遠足の前の日状態。
初めてのことだらけ、わからないことだらけ、挑戦することだらけだから、思い切り動いてこようと思っている。
こうなると老化が強み。
遅れてくる筋肉痛が出る前にすべてのクラスが終わってくれるのを祈ろう。
後は野となれ山となれ、だ。

ええと、忘れ物はないよね。
体操服入れた。上履き入れた。おやつも入れた。と。
では、いってきま~す。

カンタン肩こり解消法

会社の同僚が重い肩こりに悩んでいる。
彼女は偏頭痛持ちの上に、生理痛、腰痛持ちでもあり、いつも痛み止めは手放せない。
先日、あまりに肩が痛かったので子供にもんでもらったのだそうだ。
気持ちよくもんでもらったのはいいけれど、その後、もみ返しなのか物凄く痛く立てないぐらいになり、回復に時間がかかったという。
「どうしたら肩こりが治る? やっぱり温泉? マッサージ? 針? 整体?」と本気で悩んで聞いてこられても、私には答えようがなくて困る。
肩こりの原因は知っているし、どうしたら肩こりしないかも知っているのだけれど。

実は以前、日野先生に尋ねたことがあるのだ。
「肩こりのひどい友人がいるのですが、肩こりってどうしてなるんですか?どうしたら治りますか?」と。
先生の答えは簡単。
「姿勢が悪いからや。姿勢をよくしたらええ」

え?と思うでしょ。普通。
だから私も食い下がって、
「でも、姿勢を崩したら痛くなるからと、いつもキチンとしてるんですよ?」と聞いたところ、
「その姿勢が悪いのや。だからなってるんやろ」で打ち切られてしまった。
先生からすれば、胸骨を上げる基本姿勢ができている人が肩こり知らずなのは常識でも、それを私から人に説明するのは難しい。
今やって、すぐに楽になるものを求められているのだから。
一般には疲れやストレス、血行の悪さが原因で、薬や外的治療が効果的とされているのに、普段の姿勢とはね。癖だもの。


参照:胸骨トレーニング
実際のトレーニングの運動は、書籍「達人主義」に写真入りで紹介されています。

ひとつの存在

得たものは、やがて失う。

形あるものは、やがて壊れる。

生じたものは、やがて滅する。

この世で宝に囲まれても、あの世に持っていけはしない。

うつろいゆく時の中、どんな確かなものがあるだろう。


だけど、ただ一つだけ。

得て、失うことのないもの。

壊れても尚、輝きを放つもの。

生じて、決して滅せぬもの。

この世に残せないから持って行くしかない宝がある。


これだけで、もう十分。

テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

歩こう歩こう

今年から、経費削減のため会社の駐車場が使えないので、夫の事務所に車を置いて、そこから歩いて通勤している。
家から夫の事務所まで40分、そこから歩いて会社まで30分。
これを往復なので、一日24時間のうち、2時間以上が通勤時間だが、朝の空気は清々しい上に、寒い日でも会社につく頃にはポカポカで熱いぐらいになっているという恩恵もある。
このところ運動不足で、帰りに公園でウォーキングでもしようかと思っていたぐらいだから、丁度良かったのかもしれない。
会社の同僚には「よくやるわね。私ならとても続かない」と言われるけれど、私はいつも暇だから別に苦でもない。
朝はこれまでより30分早く出て、帰って食事の仕度も超特急。
使える時間が少ない方がむしろ効率が上がるという不思議。
「無駄をなくす」というテーマに沿って、いい滑り出し。
ではあるのだが・・・、そこはほれ、私のこと、それはそれでやっぱり無駄を作ってしまう。
会社帰りの誘惑の多いこと。
ケーキ屋、本屋、100円ショップ、古着屋、ディスカウントスーパー、etc...
身軽な分だけあっち寄り、こっち寄り、フラフラと彷徨って気がつくと暗くなってたりして。
だって、お買い物好きなんだもん。
無駄のない人生なんて味気ないじゃん。無駄も必要よ。むしろ無駄こそが大切だわっ。
と言い訳をしても空しいか。(笑)
何をするのも暇つぶしなんだけど、どうせならもっとオモロイことで時間を使わないとね。
そうだ、寄り道も超特急でしよう!

身体の不調

正月にぐうたらゴロゴロと寝そべってばかりいたら、腰が痛くなった。
ひじの関節もだるくて痛い。
冷え性ではなかったはずなのに、手先が冷たくてぬくもらない。
もう、年だから仕方ないのかな。
とか思っていたが、
散らかった部屋を片付けて、たまりにたまった洗濯物をやっつけて、
台所の半分を占拠していた年末からのゴミを出してと通常の家事をこなして仕事始めを迎えたら、
なんのことはない、身体の不調などケロッとなくなっていた。
休むより楽はないと思っていたけど、身体は動いてほぐれるようになってるみたい。

何がキレるのか

「最近の10代は危険だね」
「いやいや、むしろ50代の方がキレ易いというデータがある」

いつも事件が起こるたびにそんな話題で巷はワッと騒ぐ。

キレる子供、キレる大人。
マジギレだの、ブチギレだの、猫も杓子も「キレる、キレる」と口にする。

昔は「キレる」とは、シャープという意味で使われ、「あいつはキレ者だ」というのはほめ言葉だったものだが、今はアブナイ人物との評価と受け取られかねない。

「キレる」とは、何が切れるのかを理解して使っている人はどれくらいいるだろう。
どうも、多くの人は、怒りで頭の血管が切れるようなイメージで使っているような気がする。
テレビでコメントしているそれなりの年齢の有識者でさえ。
頭に青筋立てて怒ることはあっても、血管が破れたら暴れるどころではなく、即病院行きだろうに。

本来、「キレる」とは、「堪忍袋の緒が切れる」から来ている。
ならぬ堪忍、するが堪忍。
我慢して耐えて耐えて耐え抜いて、「もうこれ以上無理だ!」という時に、抑え切れなくなった堪りに堪った物が一気に噴出して荒れ狂う様を言うのだ。

だが今、キレる若者はどれだけ耐えているというのか。
自分の責任において感情を抑制し、不遇や誤解、理不尽な目に耐えながら努力を積み重ね、それでも現状を破壊しないと前に進めないという状況に追い込まれた末にというのは、知る限り皆無に等しい。

簡単に暴走する。
奇声をあげ、暴れ、凶器を振るった挙句、他人を脅かし、傷つけ、殺す。
理由はといえば、ほんの些細なことだ。
人間関係がうまくいかない、会社で嫌なことがあった、借金で汲々としてムシャクシャしてるからなど。
自分が辛さを感じている物には決して立ち向かわないのだから解決しないはずだが、それが凶行の理由になるとは、どういう思考回路なのか。
訳知り顔で「現代人はストレスが多いから」などと解説する人もいるが、そういう人の頭の中こそ、血管切れてるんじゃないのかと思う。

でかい図体してても、反抗期の2歳児からなんら成長していないから容易に「キレる」のだ。
砂場でおもちゃを取られたからと、突き飛ばしたり頭から砂をかけたりするガキと同じ。
ほしい物を買ってもらえなくて駄々こねてひっくり返って泣き喚いているガキと同じ。
物を壊したり嫌がらせをして他人にかまって貰いたがるガキと同じ。

我慢をさせてこなかったから、我慢ができない人間になっているだけだ。
それをこれ以上ストレスをかけさせないようにと更に甘えさせてどうする。

わかってやる必要などない。
むしろ「わからん!」「そんな屁理屈は通じん!」と、キッパリと断じて押さえ付けてやるぐらいの方が真人間になる可能性は高いだろう。

堪忍袋がなくて自分の問題を他人に当り散らすのだから、堪忍袋を作らせればいい。
人は、辛さ、悔しさ、悲しさ、痛み、涙、どこにもそれらのやり場がない時、グウッと飲み込んで腹の中に抱え込む。誰の腹でもない自分の腹に。
そうして何年もかかって溜まったそれらが、いつの間にか違うものになっているのを知る日まで。

言葉は事象を記号化して、「そういうもの」として植えつけ思考停止にさせてしまう作用がある。
「今の若者はキレ易い」「ストレスのせい」
そんな安易な形容で安心してしまわないように、口にする言葉には注意を払いたいものだ。

笑い事じゃない

正月に久々に妹に会った。
頂き物を持って行ったりぐらいはしてたけれど、都合のあう日がなかなかなかったり、ちょっと考える所あって遠ざかっていたので、ゆっくり話をするのは一年半ぶりぐらいだろうか。
「もう姉ちゃんは私のこと忘れてしまったのかと思ってたよ」と言われたが、忘れてはいなかった。思い出しもしなかっただけで。(笑)
元気そうな顔を見て安心しかけたけれど、やはり中身は変わっていなくて、まだまだゴタゴタは続きそうに思う。
夜遅く飲みに出ることがしばしばあるようだ。
つい帰れなくて深夜を回り、時に朝帰りになることも。
「もうすぐ帰る」と言ったきり電話も通じなくなったら同居の彼は心配して眠れもしない。
そうして明け方にへべれけに酔って、しかも、お金がないからと歩いて帰ったせいで足の豆をつぶして血だらけで倒れこんで、彼がひどく驚いて怒るどころじゃなくなったという話に、私はどういうリアクションをしたらいいのだろう。
また別の日には、セーターの締め付けがきつくて伸ばしているうちに破れて、びりびりの服で帰宅して度肝を抜いてセーフだったとか。
「もう、ヤバイ。彼に捨てられるかも。『君は子供がいるでしょ。仕事もあるんでしょ。そんなことしてちゃいけないよ』と、すごく叱ってくる」って、そりゃ当たり前だって。
私も気分が悪くなって、「夜、外に出るな!」と言うと、「遊んでるんじゃないよ。単発の仕事をもらうための付き合いなんだから」と返ってくる。
何をやっているんだか知らないけれど、目的がわからない。
やってることも、私に話をする意味も。
相談や困りごとの愚痴でもないのなら、やはり笑い話なのだろうか?私にはちっとも楽しくないが。
「良かったジャン」「ラッキー」なんて言えるはずもないが、それがどうしてそうなのか理解できない所を見ると、彼女の周囲にいる人たちは、そこで笑うのかもしれない。
私は悲しい。
そして更に悲しいのは、言っても無駄とも体験的に知っていること。
妹はいつも困っていることはいても、それを何とかしたいと思わないし、何とかしようと動きもしないのだから。
子供に悪影響、恥ずかしい、自分を損なう等々いろいろ言って聞かしたところで、言われた事に反応するだけで本人がそう感じていないのなら、どうしようもない。
いつも話をすると不愉快になる。良い所もたくさんあるんだけれどね。
またしばらく遠ざかろう。
彼女から「こうしたい」が出て、私に手伝えることがあるようならその時には力になるつもり。
子供にやるみたいに、ぶん殴って「ああしなさい、これはするな!」と強制できれば簡単だけど、そうはいかないから。

新しいパソコン

かねてよりの懸案事項、新しいパソコンをついに導入。
パソコン
青い光がきれいで一目惚れ。
さすが2Gはサクサク動く。テレビも見れて、DVDも作成できて、ワイヤレスのキーボードマウスでデスク周りもすっきり。うれしー。
夫には事後承諾なので何か言われるかなと思っていたら、私よりウキウキしてるの。
まず部屋を掃除して、怪しいDIYで作った机の足と天板をねじ止めでしっかり固定して、とやってたら、「まだ組み立てないの?」とうるさいうるさい。(でも、セットアップやってもらったけど)
なんかこれからもいろいろ口出し・手出しされそうだなー。

嫁連合会議

夫の実家の新年会に、久しぶりに3人兄弟の家族が揃った。
男たちは姑交えてコタツで飲んで、子供たちは別テーブルで料理やお菓子を食べ、女たちはキッチンでおしゃべりと、そんな棲み分けがいつの間にかできている。
私が子供たちのテーブルでまず腹ごしらえをしてキッチンで話しに花を咲かせている嫁二人に加わると、開口一番、「ぽあんさん、大丈夫?」と聞かれた。
大丈夫って何が?と意味がつかみかねていると、「お義兄さんと何かあったんじゃない?」ときた。
何かって・・・「うん、まあ」と言葉を濁しつつも頷くと、「やっぱり」と言われる。
どうやら、盆に集まった時にどうも雰囲気がいつもと違って変だったため、私や子供たちも顔を出さないし、これは何かあったんじゃないかと心配してくれてたらしい。
そこからはもう、「そうなのよ。実はね・・・」と洗いざらいぶちまけての怪気炎。
そばの男たちなんか無視して、ガオーーーー!!!!ってなもんで、吼えまくっちまった。
もちろん私だけではない。
「この家の男は我が強いのよ!」「女が外に出るの嫌がるよね!」「気に入らないことがあるとムスッとして口もきかないんだから!」「一度言い出したら聞きやしない!」とまあ、似たような話が出るわ出るわ。皆さん、苦労されてるようで。
よく当たる占い師に見て貰ったら、「大変でしょうが、女の人がグッとこらえて我慢して男を支えて行くように」と力を込めて念押しされたなんて話も聞けた。
だけど互いによく似た夫への愚痴を吐き出したら、何だか軽くなったみたい。
それぞれの実家の両親の夫婦関係の話もちょくちょく出て、その中には、私が自分では見えてなくて夫は気づいてた部分もあったのかなと、参考になるものもあったりと。
女は個人である前に、妻として、母としてのあり方を求められるものなんだなと、妙に納得。
「こちらの気持ちをわかれ」と夫婦が互いに言い合っていても埒は明かない。
片方が押し切れば、片方に不満が残るだけで再燃するに決まってる。
舵を取るのはやっぱり女。そこが腕の見せ所なんだよね。
三男の嫁さんは、おっとりとした家庭的な雰囲気がにじみ出ている人で、夏に夫がやたら三男夫婦を羨ましがっていたという。
笑っちゃうけど、その辺、ヒントかもしれないな。

妻として常に夫を見つめ、母として常に子供たちから目を離さず、尚且つ自分自身としての生き方を見据えて行く。それが矛盾しない方法は、きっとあると思う。
頑張ろ!

テーマ : 家族
ジャンル : 結婚・家庭生活

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Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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