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ひと目会ったその日から

ひと目見た瞬間に、
「いやだな」
と思う人がいる。

それが直感。

だけど、頭は否定する。
「いやいや、知りもしないで第一印象だけで決め付けるもんじゃない」

それは例えば、仕事上でどうしても関わらなければならない人であったり、
繋がりを持つことで有利になる可能性がある立場の人であったり、
家族がお世話になっている人であったりして、
どうにかして縁を繋いでおきたいとか、好意を持ってもらいたいという
打算が働いている事が多い。

そして話をしてみると、意外と“いい人”だったりする。
最初に持った嫌な感じは次第に薄れて、忘れてしまう。
その時、自分の頭の中で何が起こっているのか知りようもないのだが、
大抵が、“いい人”だという証拠集めをして、ストーリーを組み立てている。

ムカッ、モヤッ、イラッ、オエッ、ウワッ、ジクッ。
刹那刹那の違和感を心は敏感に感じていても、
それを理屈で封じ込めるということを無意識でやってのけるのが、脳の厄介なところ。
「きっと嫌な事があったのね」「体調が悪そうだから仕方ない」
「言葉がちょっと足らないだけ」「こちらの受け止め方が悪いのかな」
「正直な人だから飾らないんだよ」「それは本音じゃないはず」
現実を自分の都合の良いように歪曲して、あって欲しい像を作り上げる。

他人の言い訳を相手の知らぬところで自分がしてやっている。

当然、疲れる。
誤魔化しを重ねれば重ねるほど、ほころびが出てきて、
繕わなければならなくなるから。

クタクタになり、かばいきれなくなってやっと気が付くのだ。

最初から、わかっていた。
と。

こんなひどい回り道を、私は何度も繰り返してる。

いい加減、懲りてほしい・・・
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本気の音 ~ La Fiesta 134 東京

青山スパイラルホールには余裕を持って向かったが、すでに多くの人がロビーで待っていた。
開場時間となり、整理券の順に場内に入る。
前の数列は椅子ではなく小さめの座布団が詰めて敷いてあり窮屈そうなので、一旦は中ほどの座席に腰掛けてみたものの、やはり近いほうがいい、正面がいい。
ということで、「ごめんなさいよ、ごめんなさいよ」と人を掻き分け掻き分け、まだ空いてたスペースにでかい図体をギューッと押し込めた。
狭くて思うように身動きが取れない。自分の足が邪魔。
それでも上着を脱いで、ブーツを脱いで、なるべく楽な姿勢にしておく。
大阪の時と同じくコンサートの前の会場にバック・グランド・マンザイが流されるのは、何かのこだわりだろうか。
ムーディともお洒落ともほど遠いが、「いとしこいし」の名人漫談はポンポンとテンポが良いので、聞いて楽しんでもいいし聞かないこともできるというのが、待つ時間にはピッタリだ。

5時。いよいよ開演。
丁度ではなく、少し押して始まった。
ふいに、どこからか朗々とした男性の声が響く。
「会場の皆々様、本日は日野晃ドラムソロコンサート、ラ・フィエスタ134に、ようこそお越しくださいました!」
前には誰もいない。声の主を求めてあたりを見回すと、客席の真ん中にいつの間にか、ゴテゴテとした真っ赤な衣装の人が立っている。
道化回し? 赤の妖精?
演じるは、あの山の手事情社の山本さん。(キャー)
赤の精は前に歩み出て、日野先生の経歴やコンサートを開くに及んだ経緯・理念、注意事項から楽しみ方まで、はっきりと淀みなく説明される。
ちょっとしたミニミニ芝居を見るようだ。
そして、もう一人山の手の女優さんのリードで、観客は「さくらさくら」を歌い始めた。

さくら さくら
やよいの そらは
みわたす かぎり
かすみか くもか 
においぞ いずる
いざや いざや
みに ゆかん

二回、三回、四回、、、ライトが落ちていく。場内が暗くなる。暗く、暗く。  闇。
目を開けているのか閉じているのかわからない。
ひたひたと黒く重い空気に押し包まれて、手探りをするように声を限りに歌い続ける「さくら さくら」。

それははじめ、小さく入った。
大阪の時は、出だしに和太鼓のイメージが鮮明に浮かんだが、今回はまた全然違う。
かすかな赤い光が明るくなるにつれ、ドラムの音も高まっていく。
昇る太陽のように輝きを増し、きらめきを放つ。
「きたーーーー!」全身を電流のような波が走り、顔には思わず笑みが浮かぶ。
私の手は勝手にドラムを叩き出し、唇は勝手に歌いだす。
「バババババババ・・・ドドドド・・ブバッ、ダダダ・・・・ズダズダ・・・」
何でそうなるのか自分でもわからないし、もちろん先生の動きに付いていけてなんかいやしないのだが。
「フリージャズだから、客も自由に動いていい」と言われているので、身体の勝手にやらせてみることにしたら、本当に勝手にやってくれるとは。
先生が激しく動くとき、私も激しく動き、強く叩くと強く叩く、軽いと軽く、苦しげな表情には私も眉間にしわが寄って息が止まる。
入り込んでなりきって、遊ぶために遊ぶ。
日常から遠く隔てた場所にしかない澄んだ音が抵抗する殻を溶かし、それを可能にしてくれてるのか。
何もかもわからない。
ただ、わかるのは、「こうきたらこう」と期待される上を行く、予定調和を許さない裏切りの面白さ。
かと思えば、高く掲げたスティックの先端に観客の意識を集めて集めて、ここぞという瞬間の一点に見事に炸裂する爽快さときたら、たまらない。
会場全体が一体となった大きなエネルギーの塊がパァーーンッと弾けて、光の輪が広がるのが見えるようだった。
私は結局、一時間ずっと暴れっぱなし。
それでもたまに頭がボーっとして集中が途切れそうになる。
すると必ず先生が物凄い目でこちらを睨んで来るのだった。
「オイ!どこ見てる。こっちや!」そんなテレパシーの声がビリビリッと来るぐらいの、それはそれは怖い顔で。
そんな状況では、震え上がり、がむしゃらに向かうしかないではないか。
もちろん声も張り上げた。
「キャーー!」「行っけぇ~~!」「イエーーィ」、そして「アキラー!」
なんたって、先生を名前で呼び捨てにできる機会はこれを逃したら二度とないだろうから、「アキラ」「アキラ」と連呼しまくり。
いやー、気持ちよかった。(笑)

隣にいた人は、私が最初っから飛ばすから途中で倒れるのではないかと心配してくれていたらしいが、なぜかまったく疲れていない。
身体のやりたいようにやらせていたから。
そこが大阪で反応し切れなかった時との違い。

一部のドラムソロが終わったら、すぐに続けて二部に入る。
途中休憩なしなのは、勢いを切らない日野流だ。
ゲストの田中武久さんは、日野先生が敬愛するピアニストで御年74歳。
この方も、年齢と共に鋭く美しくなられた方のひとり。
指先でつむぎだされる旋律の優美さときたら、まるで天上の音色。
ソフトで、どこまでも広く深く、皮膚からしみ込み心のひだを甘くくすぐっていく大人の音楽。
たゆたう調べに身を任せれば、先ほどまでの熱気で火照った身体は静かにほどかれてゆく。
田中さんの優しそうな瞳に、時折のぞくいたずらな子供のような茶目っ気いっぱいの光。
日野先生も先ほどとはうって変わって、軽~く楽しそうな音楽のキャッチボール。
音で語り、目で語り、主張しすぎず、互いが互いを活かす関わりあいの中で新しいものを創り上げていく。
それは人間関係の基本にして到達点だ。
高いところで遊ぶこの方たちを前にして、「こうなりたい」と思わない人はないだろう。
なれる、なれないは別として。
だからこその日野武道。
だからこそ武禅がある。

祭りは本当に楽しかった。
良い位置で、良い音を十分に堪能し、満たされた。
しかし、それと同時にますます渇き、ますます飢える部分も感じる。
「それで、自分はどうなのか?」と。
求める気持ちは原動力。

確かに元気が湧いてきた!

祭りは終わった

La Fiesta 134 東京は大成功。
感激の熱が2日たった今でも冷めない。

ちょっと無理をしてでも遠出をして良かった、
大阪と東京と両方に行けて良かった、
さらに言えば、先生を知って良かった、
この時代に生まれてきて良かった、
これまで生きてて本当に良かった、と思うようなステージだった。

コンサートの最中は、ただ夢中。
メチャクチャ楽しいだけだったのに、
後で思い返すとジワッと涙があふれてくる。
何故だろう?
と、考えかけて、やめた。
感じている事がすべてじゃないか。

とんでもない所まで連れて行かれて、完全燃焼。
今、とても爽やかな気持ちだ。
名残惜しさも悔やみも一切残らずサッパリとして。
過ぎ去った二度とない時間を晴れやかに見送る心には、
一欠けらの寂しさも残らないものなんだなと、今更ながらの新発見。
それが、これまでの心で感じる経験がいかに浅かったかを物語っている。

ありがとうございました。
先生に。
準備やお手伝いをされた方々に。
あの場に居合わせた観客の皆様に。
関わったすべての人に。
心よりの感謝を込めて、どうもありがとうございました。

春一番

20080224110202
着いたー、着いたよ着きましたーーー。

も、揺れたのなんのって、気分が悪くなるくらい怖かった。
でも、無事に東京。

機内のアナウンスで言っていたけど、この強風は「春一番」なんだってね。

今日、この日、春一番が吹くなんて。
そして「さくら さくら」でしょう。
地球規模の演出、バンザ~イ!

よしっ、弾けるぞー。

小心者の下調べ

いよいよラ・フェスタ134東京公演。
私は新婚旅行以来、17年ぶりに飛行機に乗る。
しかし、この二・三日すっかり春めいてきていた気候が
昨日の夜から一挙に真冬に逆戻り。
大雪になっているのが心配だ。

一昨年のやはり二月、思いつきで急に
北海道の雪祭りに行こうとした時のことを思い出す。
広島市中心部から空港までの距離を読み違えてバスでは時間に間に合わないと
タクシーで12,000円もかけて行ったのに雪で飛ばなくて、
少しでも安くあげようと金券ショップで株主優待券なんか買ってたもんだから、
払い戻ししても半額近くは返ってこないし、
夫はそもそも旅行に反対してて大喧嘩の末に、「もう帰って来るな!」なんて言われて
家をおん出てた私としては、目的達成されないのに踏んだり蹴ったりの、
弱り目にたたり目って言うか
散々な目にあっちゃったりしちゃったりしたもんで。(広川太一郎風)

今回、その轍は踏まないぞと周到な計画を立てていた。
すべての乗り継ぎの時刻表から、
所要時間、乗り場の位置、料金などきっちりと調べて。
「うん、完璧!」と思ってたのに、この大雪なんだもんな。
ま、人生なんてそんなもん。思い通りになんて行きゃしない。
だから面白い。といつもなら思うのだけれど、今回はそうも言ってられない。
なんとか飛行機に飛んで欲しい。
ダメなら新幹線で4時間。
東京にたどり着きさえすれば、後はどうにでもなる。

さきほど空模様を見に外に出ると、
雪は降っているものの雲の間から少し星が見えたので
願いをかけた。
「どうかどうか、明日のコンサートが見られますように。
 帰りなら、飛行機落ちてもいいですから」
文字通り、運を天にお任せだ。

さて、どうなるか。
なんだけど、
それより、早く寝なくちゃね。

ビョーキの虫

↓今朝のパン。
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確かにパン作りははまる。
工程に手間はかかるものの、材料を混ぜ合わせたら、あとは発酵を待つだけなので
簡単といえば簡単。
なのに、変化していくのを見る面白さがある。
すぐに結果が出る。
そして、美味しいってのが何より。
次はウインナーパンにしてみようかな。チーズパン?チョコチップもいいな。

私にはビョーキがあって、いつも新しい事にすぐに飛びついてはこんな風にはまる。
やった事のない事、知らないものには好奇心がウズウズしちゃって、夢中になる。
そこで徹底的に入り込んで極めたならたいしたものだけど、
すぐ飽きるのが、ビョーキのビョーキたる所以なわけ。
恋の病とおんなじさ。ハハ・・・
今度のビョーキは無害というよりむしろ有益なものだから、
熱が冷めない間は、思いっきり楽しめるのがいいね。

だけど、ホームベーカリーを買って、いつでも手間なくパンができるとなると、
ピタッと全快しそうな気がするな。

パン作り

仕事が休みだったので、パンを作ってみた。

同僚に「ホームベーカリーがあると便利よ~」と言われ続け、ネットでさまざまなパンのレシピを調べるにつけ、家庭でのパン作りに関心は高まるものの、ホームベーカリーを購入する踏ん切りがつかず迷い続けていたのだけれど、まあとにかく作ってみようということで。
まずは基本のロールパン。
ドライイーストを一次発酵させ、強力粉に砂糖、バター、塩、卵と共に混ぜ込んで、調理台の上にバッタンバッタンと叩きつけること100回。
コタツの中で寝かせ、切り分けては寝かせ、丸めてまた寝かせと、なんとも時間がかかるものだ。
表面に卵を塗ってつやを出して、200℃のオーブンで10分。
初めて作ったにしては、上々の出来じゃん。
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学校の都合で小学生も中学生も返ってくるのが早かったので、丁度焼き上がりがおやつタイムとなった。
ちぎると中はふかふかで、紛れもなく正真正銘のパン。
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「おいし~い」
一人2個の小さなパンは、あっと言う間になくなってしまった。
まだ夫に食べてもらってないのに。
ということで、すぐに二回目にとりかかる。
で、できたのがこちら。一回目より丸々して、ちょっと艶が増したかな?
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今度は量を二倍にしたので、食べでがありそう。これは明日の朝食に。

手作りパンはとりあえず成功だけれど、これを毎日やるのはなかなかに大変なこと。
それを思うと、夜に材料入れてスイッチポンで、朝には焼きたての食パンが食べられるホームベーカリーは、やっぱりいいよね。
うーん、どうしよう、どうしよう。

この手で掴む

日野武道の生徒さんで、行くつもりのドラムソロコンサートのチケットを買いそびれた人がいるのだそうだ。
まだ売り切れる事はないだろうとのんびりしていたのか。
私もまさか当日券まですっかりなくなってしまうとは思わなかったが、予約受付段階から申し込んで早いうちに手に入れていた。
どうしてという理由はない。ただ早く決めておきたかっただけで。
年明けとともに飛行機とホテルの予約もし、交通手段も調べて、すでに準備万端だ。
少し前に東京のチケットの売れ行きが今ひとつと言われていた時に、
買っていなかった人はどうしてすぐ動き出さなかったのか、それが不思議だ。

そうしてみると、私は縁はあるもの、来るもので、わざわざそれを追いかけたり掴みに行ったりするものではないように感じていたけれど、そうでもないのかもしれないという気がしてくる。
「こうしたい」と思うから「こうする」というのがあまりに当たり前のことだったから、能動とも思わずにやっていたけれど、口をあけて「誰か持ってきてくれないかな~」と待っていたのでは、確かに何も手に入れることなどできはしない。

欲しいものを取りに行く。
それができるかできないか・・・いや違う。
それをするかしないか、がすべてを決めるのだ。

この手痛い失敗を良き糧にして欲しい。
最後の最後ギリギリまで足掻いて求めて、縁を掴めるかどうか。
そこはやはり、運次第ってことになるのかな。

時代

「時代が悪い」と言う人がいる。

「こんな時代じゃなかったら・・・」
「もっと良い時代に生まれたかった」
などと。

戦時下でもなく、飢饉があるわけでもない、
この現代の、世界で一番恵まれた日本でだ。

それではいつの時代が良かったのかということになるが、
ある人は、
「幕末に生まれたなら、坂本竜馬のような活躍ができたのに」と言い、
またある人は、
「自分は昭和の高度成長期の空気が合う古いタイプの人間なんだよ」としみじみ語る。

今の混乱や危機感のないつまらない世の中では、
自分の潜在する能力が存分に発揮できないのだそうだ。
だから「誰もわかっちゃいないんだ」と。

そんな彼らを人は笑う。
時代に恵まれない不出世の偉人と信じる人は誰もいないのだが、
当人だけは「わかっちゃいない」。

二重人格

私はこれまで、本気で願って叶わなかったことがない。
「こうだったらいいな」はまず駄目だが、
「これでなければならない!」「絶対にこう!」と決めたものは、
どんな手を使っても、どんなに人を泣かしても傷つけても、力づくで押し通す。

そんなことは滅多になくて、普通は人との摩擦がとても怖いし、
どう思われるか気にしてばかりなのだけど。
何かを決めるのが苦手で、何がしたいのかしたくないのか、
誰が好きなのか嫌いなのか、自分の気持ちさえはっきりわからない。
ある人が「右」と言ったら右に行き、別の人が「左」と言ったら迷って、
どっちが強そうか、どっちが数が多いかなんか考えてキョロキョロして。

でも、一旦本気で決めたら突っ走る。
誰に何を言われようと聞かない。
なりふりかまわない我執のかたまり。
ものすごくわがままな迷惑人間になってしまう。

どっちが本当の私なのだろう。

いや、どちらも本当の私ではあるが。

両極端だよな、と思う。

好奇心の差

La Fiesta 134大阪には、息子2人を連れて行った。

以前書いた通り、長男はワクワクと楽しみにしていたが、次男は仏頂面。
家でお気に入りのゲームをしていた方がよっぽど楽しいのだそうだ。
「関心のないものを無理に見せられても迷惑なだけ」と最後まで抵抗するが、
かまわず連れて行く。

1時過ぎに大阪駅に着いて、食事。
その後、少し時間があったので、何か大阪らしい見るものはと探し、
近くの空中庭園があるという梅田スカイビルに行ってみることにした。
まったく不案内なので、見える方向に進んで大きく遠回りしてしまった。
歩く道すがらも長男は風景や人の話す言葉の違いにはしゃぎ、
次男は「こんなに歩くなんて」と文句ばかり。

スカイビルとは、新梅田シティ内にある地上40階建ての高層ビルで、最上階に展望台がある。
3階からシースルーエレベーターで背筋を寒くしながらいっきに35階へ。
そこからシースルーエスカレーターでビルの間を横切って39階に。
そして階段を上がり、屋上展望台。
地上170mに視界360度のぐるりと大阪が見渡せる景観が広がる。
山を背にして瀬戸内海に面した街を見下ろすか、四方を山に囲まれ
こじんまりした広島市内の景色しか見慣れていない私たちには、
この見晴らしは新鮮で見るものが沢山あり楽しくなる。
特に長男はこの広さに感動したらしく、「いいわ~、ここ。すっげぇ」を連発。
そして、「うん、俺、がんばるよ!」と何かを決意したようだ。何かわからないけど、がんばれ。
しかし、次男はといえば、双眼鏡に飽きたらまた不機嫌な顔で「面白くない。もう帰ろう」とか言い出す。
すると私より先に長男が怒り出した。
「お前はどうしてそうなんだ!今を楽しめばいいじゃないか。何でも経験だろ!」
次男も負けていない。
「俺がどう感じようと俺の勝手だろ。何で楽しいか楽しくないかを決められなきゃならん。
 俺にとっては時間の無駄だ!」
地上170mで兄弟喧嘩勃発。
放っておいて、私は空中回廊をゆっくりと一周することにした。

親子、兄弟といえども自分じゃないから他人。
何をどう感じるかを強いることはできない。
面白くないものを面白がらせることはできないし、好奇心のなさを責めて好奇心が芽生えるはずもなし。
残念だという思いはこれまた私だけのものだしな、と考えながら。
戻ってきたら、長男は「何を言っても駄目だ、こいつ」とさじを投げていた。
単にそういうオトシゴロ(反抗期)だからであってくれたらいいけれど。

ドラムソロコンサートの会場でもそれは続く。
長男は「スッゲー!めちゃ、ヤバイじゃん!」とやたら興奮。
次男は「確かに上手いのは認めるし、この場は楽しいけど、関心を持つかといったらそれはない」
と冷めている。
演奏の間中、身体を揺らしたり、足を踏み鳴らしたりしていたのに?
本当はノッてたんじゃないの?と思ったのだが、
後で聞くと、前の人が頭を揺らしてほとんど前が見えなくて動いていたのと、
後ろの席の人にずっとリズムにあわせてドンドン椅子を蹴られていたのでムカついていたのだとか。
ああ・・・そうですか・・・。ガクッ。

自分の知ってる世界だけしか見ようとしない人間と、
大きな世界をもっと知りたいと求める人間の違いはどうしてできるのだろう。
同じ親から生まれて、同じ環境で育っても違うなら。
むしろ、何でもやってみたがりで無茶をしてきたのは次男の方だったのに、なぜ?という思いが拭えない。

とりあえず、私が良かれと思う水飲み場に牛を連れて行った。
水を飲まないのは、その牛の選択。
きっと彼は彼にとっての最適な水飲み場を見つけるのだろう。
喉をカラカラにして旅する中で。
それを祈ろう。

縁の〆切 2

巷ではよく、「人には宿命と運命がある」ということを言う。
宿命とは、人種・性別・環境・身体的特徴等の持って生まれたどうにも変えようのない運。
対して運命とは、自分の努力で切り開いていけるもの、というように。

「人の縁」は、そのどちらになるだろうか?

宿命はあらかじめ決まっていて、その上に運命を築いていくのだから、自分の選択によって生まれた繋がりはもちろん運命には違いない。
しかしその歩む道の要所要所に、やはり宿命はあらかじめ用意されているのではないかと最近考えたりする。

縁だけは、努力によってどうにかなるようなものではないからだ。

「もっと早くに知っていれば」「あの時こうしていれば」と、いくら悔やんで取り戻そうとしても、それはできない。
30年前の日野先生の伝説の阿部薫さんとの最後の北海道ツアーを私がいくら「見たかったー」と願ったって叶わないように。
そうしてみると、ほんの少しのすれ違いと、何十年単位の距離にタイミングという意味において差はないのかもしれない。

人が一生の間に出会う人の数は、全世界の人口からすればほんの微々たるものだ。
目の端にすら入ることのない人、同じ空気に触れることすらない人が大半と言っていい。
もしも出会えていれば、意気投合して深い付き合いができるかもしれない人の存在すら知らずに孤独に死ぬということもあるだろう。
「こんな人に会いたい」「こんな友達が欲しい」と願って、行動によってその通りにできたとしても、小さな小さな自分の周囲の世界に限られた中での話。
それが「縁」。
宿命と言わずしてなんと言おう。

だからこそ、出会えた縁は大切なのだ。
多くの偶然の重なり、縁と縁との絆がまた新たな縁を繋いでいく中で出会った人すべてが、宿命的な出会いをした人たちとすれば。

縁は繋げるものではなく、繋がるもの。
そして、繋ぎとめることもできない。
いつも今に生きるナマモノだから。

どんな宿命も運命も受け入れて活かしていくことしか私たちにはできない。
日常に起きる一つ一つの奇跡を大切にして。

縁の〆切

La Fiesta 134 東京のチケットは完売とのこと。

大阪のチケットが売り切れたのは2日前。
ギリギリになって申し込みが殺到したそうだが、当日券分はまだ少しあったと聞く。

今回、その当日券もすべてはけての売り切れがコンサート9日前。
大阪での反響は予想を超えて大きかったようだ。

定員オーバーしても座席数は多少増やせるのではないか、いざとなったら立ち見もできるかなとか私も考えていたけれど、そういうのは一切ないそうだ。

完売は完売。
チケットが手に入らなかった人は、それだけの縁。
と、ラインをきっちり引かれている。

行けない人は残念だろうけれど、断らなければならない先生方はもっと辛いと思う。
できることならより多くの人に来てもらいたいだろうし、熱烈にラブコールをしてくれる人の希望ならなんとかして聞き入れてあげたいと思うのが人情だから。
先生方は情に厚い。
しかしだからこそ、冷徹に一線を引かなければならない時もある。
早くから予約をしていた人たち、チケットを売りさばこうと様々な所で奔走した人たちの思いを大切にすればこそ。
なし崩し的に、ほんわかなあなあで皆仲良しをやっちゃえば楽でも、それはできない。
人と深く関わっていくということは、時にそれ以外の関係を切る決断を迫られることもあるのだ。

今回そんな場面に触れ、「それで、あなたは?」と、突きつけられた気がした。
私には厳しさがない。
ということは・・・・・・

アイスバーン

事故った。。。


一昨日の夜から粉雪が降り始めて出勤に支障をきたすかと心配したが、昨日の朝は路面にそれほど雪は積もっておらず、問題なさそうだった。
駐車場から会社まで歩くので、いつもは出社時間より一時間半前に家を出る。
昨日は、小学校でPTAの役員会の案内を配布する用事があったので、それより更に20分早く出た。
道路はまだ白っぽく凍っていたため、スリップしないことを確かめながら、のろのろと車庫を出て、団地内の急な坂道をブレーキの効きを試し試しゆっくりと下る。
もちろん、タイヤはスタッドレス。
そうして、団地を出る四つ角でそれは起こった。
今何が起きているのか信じられなかった。
一時停止で左右の安全を確認しようとブレーキを踏んでも、まったく機能しなかったのだ。
私の乗る大きなワゴン車は、抵抗もなくスーッと進み続ける。
ブレーキを踏みなおしても、ハンドルを左右どちらに切っても何も関係ない。
四つ角ではあるが道路は少しずれているので、目前にはコンクリート塀が迫る。
「ぶつかる!」
怪我? 下手すると、死? なすすべがない時は、あっさりと覚悟するしかない。
しかし、その手前でなんとか止まった。
が、ホッとする間もなく次の瞬間、後ろにガツンと衝撃。
交差する道路を通行していた車が避けきれず、突っ込む形になってしまった。
あちらからすれば、普通に走っている所に車が急に飛び出してきたのだから大迷惑だ。
すぐに警察に連絡。
折り返し最寄の交番から電話がかかってくるというのでその場で待っている間にも、登校する息子が自転車で通りかかり、同じところでスリップをして目の前でズッコケる。
もしもそこに車が通りかかったらと思うと、ゾッとする光景だ。
こんな凍結のしかたは、過去一度も経験したことがない。
しかしそうは言っても私のしでかしたことは私の責任で、逃れようはない。
双方に怪我はなく、物損として処理するために交番に来てくれということだったので、そちらに移動し、調書を取られた。
事故をした相手は常識的な中年の男性で、思わぬことで憤慨してはいるものの、冷静であったために助かった。
「まいったなー。仕事を片付けようといつもより30分早出したのが裏目に出た」と言われる。
本当に申し訳ない。
互いに事故をしたことがないので、どう処理をしたらいいかわからず途方に暮れていたところに、夫到着。
その場でテキパキと保険会社に連絡を取り、修理会社に手配を済ませ、今後の動きを決めていく。
トラブル対処をする男の姿はカッコいい。と、そんな事を言ってる場合ではないのだが。
結局、その方にはそのまま出勤してもらい、会社の方に修理会社が引き取りに行くという段取りでその場は収まった。
保険会社の方には、100対0で一方的にこちらの非という手続きをしてもらう。
相手さんは、誕生日だったそうだ。
「ついてない。最悪の誕生日だ」とガックリ肩を落としておられたので、「まあ、これで一年の厄が落ちたことになるようにお祈りしますから、元気出してください」とつい励ましてしまったのだが、よく考えたらあまりに能天気過ぎる言葉だったかもしれない。
それというのも、絶体絶命の恐怖の後だから、事故そのものは面倒なのが困るという感覚しかもてなくなってたからだ。
「死ななくて良かった。誰にも怪我がなくてよかった」が一番で、面倒とかお金の問題なんか、すごくちっぽけな事に思えて。
もう凍結路面はコリゴリ。
慎重の上にも慎重に運転をしようと思う。
息子たちにももちろん、そういって聞かせて。
今日、相手の方のお宅に菓子折りを持ってお詫びに伺う。

祭りなのに・・・

La fiesta 134大阪は、観客の完全なる敗北だ。

別に勝負しているわけではないけれど、そんなふうに思えてならない。

「祭り」のはずだった。

「祭り」だから盛り上がろうと思った。

現に、コンサートが始まる前に、司会者の方が
「どうぞご自由に立ってくださっても結構です。
 大声を出されてもかまいません。存分に楽しんでください」と言われていた通りに、
リオのカーニバル的にノリノリになるつもりだった。

たぶん、皆、即立ちで踊りだし、はしゃいでキャーキャーと騒ぎ、
走り回る人やステージによじ登る者とかも出て、感極まってハチャメチャに入り乱れて
とにかく熱く熱く、会場が一体となって、エネルギーの大爆発を起こすんじゃないか、
などと想像してたわけだけれど、それは大はずれ。

超メガトン級の爆発をしていたのは、先生ひとりだった。

動くに動けない状態になっていた人が多かったようで。

私もそう。

興奮し、感動し、凄まじい何かがグワッとこみ上げてくるのだけれど、
それが出せないのだ。
硬くこぶしを握り締め、グッと力を入れ、ひざを叩いたり肩をゆすったりするぐらい。
呼吸が荒くなり、思わず息を詰める時もあるが、口からこぼれるのは甲高い歓声ではなく、
「オッ」「グググ・・・」「ウクッ」「ン゛~~」といった怪しげなうめき声。
その緊張がほどけるのは、連打の嵐が過ぎ去り、調子が切り替わった瞬間ぐらいしかない。
そこでやっと声を上げたり、わずかな拍手ができるぐらいの自由が許される。
そう。
あえて隙を作ってもらわなければ、身動きも出来ない。
目も耳も先生のドラムに釘付けで。
それが心地よいという不思議。

音は、とにかくきれい。
お腹や胸に直接振動として響く爆音であっても。
澄んだ、鋭くとがった切っ先に面白いようになぶられていた。


打ち上げの席で先生がスタッフの人たちに
「もっとこっちに来てくれてもよかったかな」というような話をされてるのが耳に入った。
「ガーッと来てくれたら、こっちももっとその上行けたのに」というような。
(離れた場所から聞いたので、正確ではないけれど、だいたいそんなふうな感じ)
更に「500人では少ないな。その倍、1000人ぐらいいて丁度バランスがとれる」とも。
やはり弱かったんだ。

その事について他の人たちとも話し合ってみた。
皆やはり一様に、「動けなかった」と言う。
この感覚は、コンサート会場にいた人でないとわからないだろうか。
何かに例えられないかと考えて思い浮かんだのが、
刀を持って先生に切りかかっていった時に「エイッ!」と気合を入れられて動けなくなる感じ。
これに良く似ているような気がする。(私は直接したことはないのだけれど)
それが瞬間ではなく継続していると想像してみて欲しい。

決して拒絶されているわけではない。
こちらを無視して自分だけで突っ走ってるわけでももちろんない。
こちらに向かっている。私に聞かせてくれている。
ただ、強烈に関わった上で、待ってはくれないのだ。
絶対にこちらのレベルに合わせてくれようとはしない。
真剣だから。
自分の持てる力100%すべて傾けて、全身全霊で接してこられたのに追いつけなかった。
それだけの話かもしれない。

東京でリベンジだ。

あともう一押し。
誰かが一度突破口を開きさえすれば、
なだれの様に場内の空気が一変する可能性はありそうに思う。
その呼び水になる人が誰かいるといいのだが。
「われこそは」と思う、エネルギーの量も強さも半端じゃないと自信のある方は、
ぜひともコンサートに来て挑戦して欲しい。

時間を置いて熱湯を吹き上げる間欠泉という温泉は、出口と地下の温度差がとても大きい。
地熱でガンガンと熱せられているのに、細い穴を通って地表に近づくにつれ熱が冷めていく。
すると膨張していた湯の体積が減るのだが、下からはドンドン熱いお湯が上がってくるから、
ぬるいお湯が蓋をするという形で水圧は増し、熱も沸点を超えて更に膨張のエネルギーを溜める。
やがて臨界点を超えたときに、一気に爆発。

外からは静かに見えてても、見えない奥底では着々と準備が整いつつあるということもある。
冷めて固まって身動きがとれない不自由な身体。
しかし、何かが出たがっている。
激しく暴れて、その時を待っている。
だから、コンサートを聞いた後、気持ちよさと嬉しさで興奮して、
気分はやたらテンション高いのに、なぜか叩きのめされたかのような
モヤモヤした疲労感のようなものが残ったのではないだろうか。

まだか?

まだか?

La fiesta 134東京は、2月24日。

「ゴー傑P」の録音テープ入手!

1月19日深夜放送の笑い飯のラジオ番組「ゴー傑P」に日野先生がゲストとして出演された時の録音テープを、ドラムソロコンサート会場で、眠れぬ夜のJAZZのズージャさんからいただいた。
ブログに録音テープを持っていると書かれていたので、図々しくもダビングをお願いしていたのだった。
もう長いことカセットデッキを使っていなかったので音が出るか心配だったが、なんとか再生してパソコンに取り込んでmp3に。
ラジオ番組でも先生はいつもの先生。
カラッと明るく、それでいて熱く、わかりやすい言葉を選んで、相手を、聞く人を楽しませてくれる。
残念ながらテープは話の途中で終わっているのだが、それでもイントロ部分を除いて、ずっとトークが入っている。
聞けるとは思っていなかったから、とても嬉しい。

ズージャさん、本当にどうもありがとうございます。

聞きたかったけど聞けなかった人、聞きそびれてしまった人は多いんじゃないかと思う。

そんな方は、左の「メールフォーム」でコソッとご連絡を。

La fiesta 134 大阪 大成功!!!

La fiesta 134大阪は、「さくらさくら」の歌声から始まって、
真っ暗な闇を切り裂くドラムの音が、
やがて嵐のような音の渦へ、感動の渦へ高まり、
その場に居合わせた人たち全員の熱気と興奮のうちに終了した。

時間の感覚がわからない。
時計を見て、「もうこんな時間!」と驚くほど、あっと言う間。
それでいて、指先が冷たくなったり体中がカッと燃え上がったり痺れたりボウッとしたり、
思わずこぶしを握って体が揺れたり息が止まったり声が漏れたりと、
その時間内に納まらないほどの、みっしりと充実したさまざまな体感がかけめぐった事を思えば、
そうでもないのかもという気もするし。

音は、やはりぜんぜん違った。
クリアさ。力強さ。切れのよさ。
DVDを見て、イメージぐらいは多少なりとも掴めている気になっていたが、
本物の1%ぐらいだったろうか。
それくらいすごかったのだ。

(続きはまた明日)

太鼓のような

さきこさんからもらったクリスマスコンサートのDVDは、場所は最高なのだが、実は音が違うのだそうだ。
正面からとったものと。
横からだとバスドラムの音がほとんど入っていないと聞き、そんなことがあるんだと初めて知る。
円形ホールでは場所によって聞こえる音が違うのだろうか。反響の具合はどうなのだろう。
今日の香川でも、そんな話題が交わされていた。

「さくら さくら」で始まるコンサート。
どれだけ届けることができるか。響かすことができるか。絡んでいけるか。
もちろん日野先生の演奏を聞くコンサートではあるのだが、私たちの関わり方のウエイトは大きいと思う。

さきこさんが先日、面白いことを言っていた。
「あんな、先生のドラムはこっちがいっぱい出したら、いっぱい返ってくるねん。
 だから、出さな損やねん」

これを聞いて、ぱっと頭に浮かんだのは西郷隆盛。
坂本竜馬が西郷どんを評してこう言ったのだとか。
「西郷という男は大太鼓のような男、大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば小さく響く」

なるほど、先生は太鼓か!

太鼓とドラム。
すごいかけあわせだけれど、なんだかわかる。
日ごろからそうだから。

エネルギーは自分の中から出せば出すほど湧いてくるもの。
そして、エネルギーは相手にぶつければぶつけるほど大きくなって返ってくる。
だったら、出そう。出し尽くそう。
大きく大きく響かそう!

命の祭りだ!

オイディプス王 in 香川

噂に違わず、素晴らしかった。
日野グループの女性陣で客席最前列をずらりと占めて、大迫力を満喫した。

ギリシャ神話のオイディプス王は有名で誰もがそのあらすじぐらいは知っているだろうが、これはそれを現代の日本の女性が見る悪夢として組み立ててあり、とても幻想的な舞台だった。
ステージ上では三つの世界が交差する。
現代に生活する女性たちの世界、ソフォクレスの戯曲にあるオイディプス王の世界、そしてその両方をつなげ暗躍する運命たち。
女性は全員が「シアター・プロジェクト香川」で、白い服で現代人と神話の登場人物を演じ、男性は全員「山の手事情社」で、黒づくめで暴力的で恐ろしい運命たちをやっていた。
この対照的にはっきりと分かれているところがとてもいい。
基本的な型は、山の手事情社の色でしっかり統一して違和感はない。
しかし、違いはどうしたってある。
だが、雰囲気も動きも違うからこそ、むしろ効果的に際立って面白さが増していたようだ。

また、やもりこ先生から「山本芳郎さんは美しいから、ぽあんさんの好みかも」と言われていたように、本当にこの方はすごかった。
私は演劇の鑑賞もあまりしたことがなく、何も知らない素人なので、どこの何が優れているとか表現のしようがわからないのだが、とにかく目が行ってしまうのだった。
後ろの暗がりにじっとしていても、「あそこ」とわかる。
決して目立つのではなく、勝手に目が求める人というか。

公演が終わり、出演者の方たちがロビーに出てこられ、その山本さんにさきこさんが私を紹介してくれた時、思いがけず、「あ、広島の」と言われてビックリ。
やもりこ先生から聞かれていたのだろうけれど、それだけで大感激でウルウルしてしまった。
これはもう、今度、絶対東京にも見に行かなくっちゃ!
仕事に張り合いが出るったら。

時間がない時に限って

今、高松行きの高速バスの中。
「オイディプス王」は午後1時からなので、8時発のに乗る。
5時起きで朝食と夕食の支度をして、洗濯機を回し、身支度して家を出たのが6時半。
夫の会社の駐車場に車をとめて電車で駅に向かったら十分間に合うはずだったのだが、予想外のアクシデントにみまわれて、焦った焦った。
縦2台分の駐車スペースの手前側の方に、わけのわからない車が無断駐車していたのだ。
「うわー、参ったなー、どうしよう」
一人で大声上げてみたが、当然、気にする人などありはしない。
夫は自宅で寝ているし、マンションの住人一件一件に聞いて回るわけにもいかない。
警察呼んでも無駄だし、話がややこしくなる。
ということで、とにかく自分の車を奥に押し込もうと決めた。
駐車場は空き地にコンクリートブロックを置いて仕切っただけの簡単な物だし、幸いにも他の車はない。
横のブロックを20個ほど「うんせ、うんせ」と運んで避けて、何度も切り返しながら、やっとのことで車をねじ込み、ブロックを元に戻す。
そんなこんなで時間がなくなり、結局タクシー。
とんだ出費だったが、ともあれ、間に合って良かったよ。

これから、バスの車窓を見ながら、の~んびりお弁当。

シナリオはいらない

また勝手なシナリオを作ってその通りになぞろうとしていた。

先の日記でやもりこ先生の指摘を受けて、自分でも驚く。

そんな所からは脱したつもりでいて、まだまだドップリだったことに。

そういう意味じゃなかった、とは言わない。
言いたいけど、、、言わない。(笑)
間違いなく、そうなのだから。

  ○○のために、これをする。
  そうすれば、もっと○○になるはず。
  それにはもっと○○でないといけないし、
  ああして、こうして・・・・
と、そんなのは全部、現実でもなんでもない。
ただの妄想。

「こんな感じがあるはず。こうならないと本当に繋がったことにならない」という思い込みが、出来ていたはずの正面向かい合いをまったく出来なくさせていたと気がついたばかりなのに、また同じ事をしてしまっていたとは、心底ガッカリする。
だが、これが染み付いた「癖」というものなのだ。
根深くて、いくら矯正しようとしてもちょっとやそっとじゃ変わらない。
恐ろしいことだが。

今日、気付けてよかった。

ギリギリセーフ。

こんなことがあるから、間違いでもなんでも表現してみるものだなと思う。
一人自分の中で悶々と抱えていたら、絶対にわからなかったことだから。
恥ずかし~い。
痛い~。
だけど、一歩。

人生はいつもぶっつけ本番。アドリブの連続だ。
日野先生のドラムも、その日、その時限りの一度だけ。

ライオンは走る練習をしない。

私は明後日、ドラムソロコンサートを聞きに行く。

アホでマヌケな人種の存在

マイケル・ムーアの「アホでマヌケなアメリカ白人(原題:恐るべき真実)」という番組を少し見たら面白かったので、シリーズをレンタルしてきた。

社会的弱者の立場に立ち、時には反対側を誇張し擁護するように見せかけながら、超辛口で過激に体制を批判し糾弾するこの番組はアメリカ国内で何かと物議をかもしているらしい。

特に、ライフル協会による政治的干渉で、悲惨な事件事故がいくら起ころうと一向に進展しない銃規制を皮肉って作った、幼児からのスナイパー養成校の入学案内の回や、黒人が手に持つ黒い物が何でも白人警官には銃に見えて誤射されてしまう事から、防止策として財布の交換運動をした回などは荒唐無稽なおかしさで、お腹がよじれるくらい笑わせてもらった。
リアルに恐怖の中にいない私が笑うのと、アメリカ人の笑いが同じなのか違うのかは知りようもないまでも。

そんなふうにしばらく楽しんでいたのだが、見進めていくうちになぜか次第に気分が悪くなってきた。
腹が立ってくる。
雇用機会の不平等、労働条件の悪さによる“被害者”側の一方的主張から大企業への嫌がらせ取材を繰り返すのは、正義だろうか?
人間ではない物を地域の選挙に立候補させる番組、それに投票し当選させる市民に責任感はあるのか?
タバコには害がないとの宣伝を信じて吸って癌になった人達による声帯を失った喉と電子音声の合唱団が、フィリップモリス本社で歌うクリスマスソングのグロテスクなことときたら。
そんな思いが湧き上がってきて。

どれも「あいつが悪い!」「誰か何とかしろ!」と叫ぶものばかりだからだ。

さすが、個人主義と訴訟の国だけのことはある。
大衆は弱者で被害者というスタンスが大好きらしい。
それだけで清らかな善が確約されているかのように。天国に住む資格が与えられているかのように。
大企業や政治家、金持ちはモチロン悪に決まっている。
「成功者が不当に搾取していなくて、なんで自分が恵まれない境遇に置かれていようものか!」と外に言い自分に納得させるには、どうしてもそうでなくては困るのだ。
彼らの“巨悪”に対する攻撃への、無自覚、無反省な熱狂ぶりを見て、そんな感想を抱いた。

悪が必要から生み出されるとまでは言わないが、必要とする者がいるから存在し続けるということはあるのではないだろうか。
復讐の連鎖に終わりがないように。

そうだとしたら、変わるべきは・・・あなた? 私?

不自由から離れる

いつ何をしていても、誰といても自由でいることはできるはずなのに、
不自由を感じるときがある。

「やりたくないことをやってるな」

「思ってもないことを口にしている」

「好きでもない人に好きなふりを見せかけてしまった」

誰が悪いわけでもなく、間違ってるという事でもなく、
ただ、
「あ、これ違う」と感じる。

私は大嘘つきだ。

自分がそうしていながら、そうさせられてしまう相手や状況を苦しく思ってしまう。
仕方なかったことにして、納得するしかないと思い込ませて、
違和感や痛む部分を見ないように蓋をし、逃げて、「私」を作っている。

ありのまま、そのままでいればいいだけなのに、
素直であることがどうしてこんなにも“難しい”?

嘘をついてゴメンね。
騙しててゴメンね。
利用してゴメン。

正直でいられないのなら、せめて少しでも嘘をつかなくていいように、
今は離れるのが私の誠意。

またいつか、新しく出会えるといいね。

あと2日

日記を書こうと自分のページを見て、カウントダウンの日数に驚く。
あと、たった2日。

その前に、香川で先生方おすすめの山の手事情社という劇団とシアター・プロジェクト香川とのコラボ作品の「オイディプス王」を鑑賞する予定を入れているので、連日の高速バスでの移動となり、もう猶予はないといった感じだ。

先日の岡山でのワークショップ参加も、香川での演劇鑑賞もその他の事も、先生のドラムソロコンサートに向けての自分のコンディション作りになるのではと思いがあったのだが、今現在わずかでも受信装置が磨かれたかと問えば決してそうでもなく、受けきれずにもったいないことをしてしまうのではないかとの焦りにも似た気持ちが湧き起こっている。

コンサートという視点からすれば、単なる観客の立場。
だが、これは大いなる「祭り」なのだ。
囃し、踊り、御輿を担いでこその。

どうなる、La fiesta 134大阪。
いよいよ明後日。

誰もわかっちゃくれない

長男が父親に誤解されているのだと言う。
あまり活発に遊びまわる方ではなく、交友関係も広くないというだけで、
根暗な引きこもりタイプに対するようなアドバイスをあれこれされるので、
そのズレにどう対応したらいいのかと。
そうでないことをいくら説明しても決め付けられ、辟易している。
面白いので私も便乗してからかうと、すねてしまった。

「もういいよ。誰も俺のことをわかっちゃくれないんだ・・・」

大笑いである。

そりゃそうだ。
誰かに理解してもらおうなんて考えることが大間違い。
他人のことなんかわかるわけがない。
むしろ、わかってたまるか!ぐらい思っとけよ。

でないと、
「あなたの性格はこうですね」
「こういう仕事が向いています」
「あなたのこの世での役割は・・・」
なんてくっだらない話をする輩の術中に落ちちまうから。

思っている自分と違う自分、
それもそう見られるのが嫌な自分の姿を指摘してくれる人ってのは、
貴重なんだぞ。

60で一巡り

日野先生が60歳の還暦を迎えられた。
東京教室で用意された赤いちゃんちゃんこ、赤い頭巾、白い扇子の三点セットを着た先生の写真に大爆笑。
なにせ、そういう衣装はコントの中ぐらいしか見たことがなかったため、どうも現実感が薄くて、コスプレのようで。(失礼)
いつもの陽気な笑顔で赤い服だと本当に「めでたい!」という感じで恵比寿様っぽい。
この縁起がよさそうな写真は、しばらく携帯の待ち受けにすることにしよう。

それにしても、先生と還暦というイメージがしっくりとこない。
昔のように皆、一律に年を取るのではなく個人差が大きいから、今の60歳は微妙な年齢なのだろう。

私もあと15年。
30からこちら15年を思い返してもあっと言う間だったと感じるが、これから加速度的に時間の流れが速くなるだろうから、うかうかしてはいられない。
ではどうするかということになるが、どうしようもない、かな?
目指すところなし。目的もなし。
ただ、今の目の前のことだけに向き合い、一所懸命に取り組むのみ。
結果的に遠回りだったり、失敗したり、無駄になったりしてもかまわない。

一巡りして、新しい人生を踏み出すとき、どんな自分でいるだろうか。
願わくば、赤ちゃんのようにまっさらで無邪気な笑顔をしていたい。
この世を遊びつくすために。

魅力は潰せない

身近にも魅力的な人はいる。

たとえば、本当に周囲のごく小さな世界での話しだけれど、我が町の自治会の会長なんかそうだ。
男気あって一本ビシッと芯が通っていて少々の事では揺らがない。
それでいて情に厚く、誰の意見にも耳を傾けて受け入れる度量もあるから、当然のことながら惚れ込んで彼のためならと尽力してくれるブレーンも揃っている。
だからもちろん、それが気に食わない人も出来てくる。
これまでとんでもない妨害をされてきたと聞く。

誹謗中傷は日常茶飯事。
留守中に押しかけて体の具合を悪くしていた奥さんに暴言を吐いたり、あることないこと言いふらしたりもされたそうだ。
また、問題でもなんでもないことに難癖付けて大騒ぎしては筋が通ってないから結局やり込められて墓穴を掘っているのに、それをまた逆恨みして警察や役場の人間を巻き込んで嫌がらせをしてきたなんてこともあった。
自治会長なんかただの使いっ走りの雑用係みたいなもので、面倒くさいことばかり山積みで、そのくせ権限もなにもありはしないのだが、「横暴だ!独裁だ!」と何もしない人ほどがなり立てて、「もう抜けるからな!」とわけのわからない脅しをしてくるなど、幼稚で目も当てられない。
白髪頭のいいオッサン等が雁首そろえてやることか。
と私は思うのだが、「そうだ、そうだ、よく言ってくれた」と調子に乗らせる大アホたれもいるんだから、真面目に相手をするのもバカバカしくなってくるというもの。
それでも、会長は切れそうになりながらも抑えて淡々と対処し、責任を果たしてきた。

だが、それももう終わった。

いくら募集をかけても次の会長が決まらず任期が長くなりすぎたので、この一年でどうやってでも会長候補を立てて、円滑な世代交代をする心積もりで計画をしてきたこともすべてご破算。

アンチ会長派の中心人物が、「今の会長の自治会ならやめたいから、ぜひとも新自治会を結成して欲しいと頼んで来た人たちが20人以上いる」と言ってきたそうだ。
そのため、その言葉が事実かどうか詮議しても仕方ないことではあるし、町内を二分するわけにいかないので、会長は責任を取って今期で辞任することになった。

まだ立候補者は出ていないが、早急に誰かが立たないことには役員も決まらないし、方針も予算も立てられない。
分離して新自治会を結成するぐらいなら、自治会長に立候補してくれてもいいようなものだが、それが望めるような相手ではないのは誰もがよくわかっているという最悪の状況。
だけどこれは自治会にとって、という意味で。

現会長はこれで肩の荷を降ろして一自治会員として、自由に思ったことを発言できるというのでむしろ喜んでいるようだし、私としても来年度、夫が引き受けるはずだった書記の負担がなくなるということでホッとしている。
役員を退くということでダメージを受けている人は一人もいない。
ただ、これまで子供たちの故郷作りと災害時の炊き出しの練習もかねて、町内の交流を深めるために始めて続けてきた、夏のそうめん流しと冬の餅つき大会が続けられなくなるかもしれないという事だけは残念でならないが。

正面きって戦いもしないで引きずり下ろす人とは、結局、何がやりたいんだろう。
「あの強い独裁政権を粉砕してやった」と、そんなにもヒーローとして一目置かれたいのか。
アホらし。
個人的にゴチャゴチャ言うだけで、正式に会議の場に意見を上げてこないで「聞いてくれない」なんて、大人の言うこととも思えない。

だけど、もう終わり、終わり。
あとはどうぞご自由にということで、サッサと手を引こう。

そうめん流しと餅つき大会は、いざとなったら有志による地域研究会で、やりたい人たちだけ集めて気持ちよく楽しく盛り上げていくから大丈夫。
何も誰も困っちゃいないのだ。

口うるさく怖いから従っているという“子分”しか持ってない人にはわからないこと。
なぜ、何をやっても勝てないのか、ね。

魅力とは

アメリカ大統領選では、有力とされていたヒラリー候補が苦戦しているという。
彼女の周囲には常に、絶対的に支持する強力なサポーターと、親の敵みたいに毛嫌いする反対派が多数ひしめいて、両陣営ともが壮絶なアピール合戦を繰り広げている。
アメリカ初の女性大統領誕生なるか。
こういうのが面白い。

人間の魅力の種類には多々あって一概には言えないけれど、魅力的な人に共通している事が一つある。
それは、大好きだという味方と、大嫌いだという敵の両方が存在していることだ。
歴史を見ても、大きな事を成し遂げた人というのは、どれだけの人望を集めていたとしても、叩き潰そうとする勢力が必ず出来てくる。
多くの人に慕われているほど、激しい恨みもかっていて、あの手この手で妨害し排除しようとする力が働くもので、時には命さえ奪われることさえある。
それはその人がそれだけ影響力が強いという証拠。
人が関心を向けざるを得ない時というのは、自分に直に関係があるからなのだ。
そして、摩擦は明らかに異質なものとの間に生じるもの。
ということは、それだけ意思が明確で強いということに他ならない。
善人であるか、悪人であるかは関係ない。
「その人」がどういう人かがはっきりと表れている人に、人は何らかの反応をしないわけにはいかない。
それが、人間の魅力ではないかと思う。

さて、そういう視点でわが身を振り返れば、なんとつまらない人間であることか。
そこそこの人付き合い。特に誰かに好かれてもいなければ、嫌われてもいない。
みんなに愛想よく、波風立てないように他人に合わせて流して流れて、楽を求めて。
それで本当に楽かといえばそうでない。
「良い人」に見られたい、衝突したくないという思いこそがエゴの正体であり、常に外部のありように左右される不安定さの中では願望の達成のしようがないからだ。
それならば、自分はどんな人間なのか何をする人なのかを熟知すべく追求し、表現する生き方を選びたい。

他人の望む自分であろうとするな。
自分の望む他人にしようとするな。
自分の望む自分であれ。
人生が自分にとって魅力的でなければ、生きてる意味はないのだから。

殺虫剤の味付け

中国から輸入の餃子を食べて具合の悪くなった被害者はどんどん拡大している。
原因がわからなかった人たちが名乗りを上げているからだろうと思うが、日常的に口にするもので幼い子供が苦しむなど酷いものだ。
ここにきても中国の一部の人たちから「日本人は何でも中国のせいにする。虚弱体質すぎるのが悪い」という声が出ているとか。
バリ島で一般の人が食べてなんでもない食品で、清潔好きの日本人観光客だけがコレラを発症するのとはわけが違う。
毒が入っていれば倒れるし入院するし大騒ぎになるのは当然のこと。
そういう心無い人たちには、回収したまだどれほど毒が入っているかわからない冷凍食品を売りつけて、メタミドホスロシアンルーレットでもやらせるといい。
国の名誉のために命をかけろと。
そこまでやったなら、「なるほど、中国人は豪胆体質だ」と認めてやる。
が、天洋食品への糾弾と賠償請求訴訟はぜんぜん別の話だが。

しかし、日本側にまったく責任がないかといえば、そうではないと思う。
こういった事件はいつか起こると、皆、うすうすは感じていたのではないだろうか。
あれだけテレビで中国野菜の残留農薬のニュースが流されていたのだから。
スーパーでも中国産の野菜はしいたけ以外でもプンプン変な匂いがしているし。

私はここ数年来、食品の原産国は必ずチェックして、中国原産の野菜はもちろんのこと、加工食品も一切買わないように気をつけていた。
最初のきっかけは、末っ子が生まれた頃だったからもう8年も前になるだろうか。
やはり寒い冬のこと、鍋を家族全員がつついていた。
そこに入っていたのが、安かった中国産の白ねぎだったのだ。
いつものように作ったものをいつものように疑いもせずに食べていて、ネギを口にしたとき、私はゲッと吐き出した。
二つに分かれた又の部分から強烈なフマキラーの匂いがしたのだ。
野菜はもちろん丁寧に水洗いしていた。
「そんな?これ、ネギの匂い?まさか、まさか・・・」再度別のを口に入れて味を確かめる。
ヤッパリ間違いない。舌と口の周りがピリピリとしびれてもくるようで恐ろしくなり、「皆、食べるな!」と止めて、鍋の中身を流しにぶちまけて捨てたのだった。
まだ中国の度が過ぎた農薬使用の噂さえ流れていなかった頃の話。
以来、一切、中国野菜は買ってない。ニンニクでさえ、国産に限る。
ニュースで問題が取り上げられたとき、「やっぱり」と得心がいったものだ。

それなのに、冷凍野菜は残留農薬のチェック体制があっても、加工食品がチェックされないとは信じられない。
口に入るものに対して能率優先で安全性を顧みない農家がスタンダードなら、加工食品に添加物山盛りという常識を持つ工場があるだろうことも当然予見できるはず。
今回はそれ以前に、従業員に殺虫剤が毒物であるという認識さえなかったのかもしれないと言われていて、それはさすがに想像すらできなかったとしても。

あちらの常識は、こちらの非常識。
「こんな事はしないだろう」というこちら側の勝手な思い込みが被害者を出させた。
他人は何をしてくるかわからない。
それが前提。
この世はまったく一時も気の抜けないサバイバルだ。
担当責任者、企業、国、自治体、販売店、幾重にもチェックは欠かせない。
そして、なんと言っても最後の砦は各家庭。
母親の目と手と鼻と口が家族を守る。

心して、生き残ろうではないか。

今日という一日

休みだというのに朝から夕方まで何もしていない。
つまり家の事を、ということ。
朝食作って、子供たちを学校へ送って、仕事が忙しくて会社に泊まった夫に着替えを届けて、買い物をして、昼食食べて、また中学校まで迎えに行ってだけで、掃除も洗濯もしていない。
ずっと部屋にいた。
で、何をしていたのかというと、動画の編集。
オーサリングソフトをいろいろインストールしては削除してと使い比べていたのだった。
やりたいことは単純なのに、なかなか。
やっと使えそうなソフトが見つかった、ら、もうこんな時間!
とっぷり日は暮れてしまっている。早く夕飯作らなくっちゃ。
こんな毎日を暇に時間を無駄使いしてたら、私の人生は、あっと言う間に終わってしまいそうだ。
よく人には「長生きするよ」と言われるが・・・
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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クイズ紳助くん 2007年2月19日
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