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なければ作る

牛乳はあるんだから、どうしてもって時は、バターを手作りしてもいいよね。
生クリームをジャブジャブジャブと。
参考
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品不足

スーパーの売り場から、バターが消えた。

牛乳も、チーズも、ヨーグルトも、生クリームもある。
バターブレンドのマーガリンはある。
レーズンバターもあるのに、バターだけがない。

牛乳余りの為、乳牛の頭数調整をした所に、オーストラリアの干ばつのあおりで輸入できなくなったというのがその理由と言われているが・・・
釈然としない。

消えたのは、テレビのニュースで「バター不足が深刻で台所にも影響が出るのでは?」と流れたとたんだから。
たぶん、「すわ一大事!」と買いに走った人がいて、少なくなったのを見て心配で買っておく人がいて、なくなってから焦って探し求める人がいるからだろう。
オイルショックのトイレットペーパー不足や、米不足の時もそうだった。

朝、二週間前からある最後のバターをタップリ使ってホットケーキを食べた。
しばらくはパン作りには、ケーキ用マーガリンを使う。


4月1日からは、ガソリンが値下がりするからガソリンスタンドに客が殺到するのではとの報道が盛んだ。
なんだかな~、いろんなことに右往左往しすぎじゃないか?

宇宙のモノサシ

Universcale

すごい。

これらすべて、見えない“ひも”から成ってるのか・・・・

選ぶと捨てる

何かを選ぶということは、
その他を捨てる、諦めるということ。

では、「あれも欲しい、これも欲しい」というのは無理?
いいえ。両方選ぶことも可能は可能。

例えば、二兎を追うものは、一兎を追う倍の労力が要るし、結局手が回らなくてオケラになるリスクをも負う。
二足の草鞋を履くのなら、裸足でのびのびと寛ぐ時間はなくなる。
それを良しとするのなら。

何も失いたくない、損したくない、絶対失敗はできないとなると、選ぶのが難しくなる。

「間違ったら誰が責任とってくれるのよ~~」と叫んだって、自分の他に誰も責任をとれるはずもない。

どんな結果も引き受けるという覚悟ひとつ。

それが「選ぶ」。

選ばなければ、選ばないを選んだ道。
成り行き任せ、状況任せ、他人任せ、運任せに流されて、自分で自分の責任をとらない生き方をする。
やりたい事をやる人生を捨てて。

八雲立つflash(改)

不具合直しました。 (3/24 20:40)
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神社の写真フラッシュです。

自宅にいながら参拝気分?

作りなれていないので、超重くなりました。
音が出ますので、ボリュームを下げてください。

神魂神社

熊野大社

美保神社


出雲大社は、残念な事に改修工事が入っていて場が乱れていましたので、
写真を少しだけ。
P1040047.jpg  P1040054.jpg  P1040059.jpg
P1040068.jpg  P1040072.jpg  P1040113.jpg

神社めぐり

恒例の山陰神社めぐりの今回のお供は長女と長男。
長女はいつものことだが、最近、長男があちこちよく付き合うようになった。
どういうわけか、以前の反発・しらけ・無気力体質から、好奇心旺盛タイプに変わってきたようで。
面白そうなもの、新しい事を体験したい気持ちがあるのは良い事だ。
今回、ちょっと足を伸ばして出雲大社まで行く計画を立てた。
美保神社とは松江を挟んだ真反対。
「無理かな?行けるか?」考えて考えて、悩んで悩んで、前日はドキドキして眠れなかった。
結局、長男が寄り道を徹底的に排除してくれたおかげで無事、帰りのバスにも間に合ったのだけれど、それはそれでちょーっと味気ない旅になった。
お魚センターでカニと甘海老も買えないし、島根ワイナリーの前を通ったのに、寄って試飲三昧も許されなかったんだもの。
「今日の目的は何?神社めぐりでしょう!
 それに、時間に余裕をもって焦らないようにした方がいいから」と息子。
結構頼もしい。
私に計画なんてあってなきがごとしなんだから、アバウトでいいのになー、とちと窮屈ではあるのだが。

行きたかったのは、去年回った時、時間がなくてじっくり観れなかった神魂神社と熊野大社。
神魂神社は入り口から空気が清浄で素朴でありながらとても清々しかったのが印象に残っている。
そして熊野大社は、荘厳で力強く、ピリピリとした緊張感が迫ってきた。
あれをもう一度、今度はじっくりと心ゆくまで味わいたい、そんな思いを胸に向かったのだが・・・・・・
「本当にここだったっけ?」と、何度も去年撮った写真と見比べるぐらい、違って感じた。
軽く小さくなったような・・・?不思議な事に。
「私の御神気を感じるセンサーが鈍っちゃったのかな?」そんな心配すら湧いてくる。
しかし、美保神社で、それは消えた。
ここの神様はとても優しく親しみがもてるのだが、その分、人間に近いような感じがこれまでしていた。
それが今回、とてもサッパリしていたのだ。
より清らになって、混じりけのない優しさとぬくもりに包まれる境内。
丁度、お昼ということもあって、日差しであたりがキラキラと輝き、涼しい風が木立を揺らして、気持ち良いのなんのって。
ずーっとここに居たい。いつもより増してそんな気になる。

同じ場所、同じ神様でも時によって見せる顔は違う。
それは人間関係と同じだなと、そんな事を思う。
「あの時の、あの感覚を」と求めても、それはその時だけのもの。二度と同じ時は来ない。
以前の感覚を追っていて、私はちゃんと新しい出会いをしたのかな?
いつでも、どこでも、何に対しても「一期一会」なんだよね。

「できてないよ」「直ってないよ」と神様から教えてもらっちゃったってわけか。

神様写真

金色に輝く神様の写真を見せてもらった。
人の形ではなく、エネルギーの輝き。

あーー、いいなぁ~ぁぁあああ。

ということで、私も明日行ってきます。
降りてきていただけるか、写真に撮れるかわからないけど、
今年は春分過ぎての初詣。
行きたいところ多すぎて、またまた強行軍になりそう。

きざし

ここ数年で私の周囲の世界が変わってきたという気はしていた。
そのまま行くのかな~、と思っていたが、どうやらそうはいかないらしい。
どうも今年は何か違う。
リズムが、タイミングが、流れが、動きが。
まとめようとしたものが崩れ、雑多なかかわりが整理されてゆく。
動かないもの。加速されていくもの。はっきり分かれる。
あてが外れる。思いがけない事が起きる。
それなのに、落ち着いていられる事に自分で不思議だった。
今やること、目の前の対応すべき事を感情を交えずにこなせる事も多くなったし、
比例して頭の中でゴチャゴチャとつまらぬ妄想を湧かせる頻度はずいぶんと減った。
もちろん、これまでの私と比べると、との微々たる変化でしかなく、
何かが出来るようになったとか、どこかに達したというわけでは全くないのだが。
そう感じるようになったのが、ついここ最近のこと。

今日、その理由を知った。
去年までの私なら、聞き流しただろう情報。
だけど今は、いろいろな事がその兆しだったように思えてならない。

もうあまり時間がない。
何をどう準備しても安心はできない。誰も何も頼れはしない。
だからこそ、備えるべきは心の安定。
慌てず、騒がず、正しく観て、正しく動く。
激動の只中で。
これはこれで面白い時代だ。
そう思うしかない。

かすれ声

今週は木曜日が休日ということで、印刷の〆切が一日早い。
それプラス、同僚2人の子どもの卒業式が水曜日に重なり休みをとっているため、
ほとんどの仕事は火曜日中に片付いて、水曜日は私ひとり、昼間での出勤となった。
会社の社員さんが出勤しない日だったので夫が「駐車場を使えば?」と言ってくれ、
久々に車通勤をすることにした。
車の中でやることといったら、やっぱりアレ。
「なまむぎ なまごめ なまたまご!」
思いっきり大きな声を前を走る車に向けて出してみる。
アレ?
調子がおかしい。
にごってて前に出ていかない感じになっている。
もう一度。もう一度。
しばらくやらないうちにちょっとパワーが不足してきたのかな?
目の前にさきこさんの「もっと、もっと」の姿をイメージして繰り返す。
武禅では、もう限界、精一杯と思っても、彼女がそう言うと本当にもっと出るから。
不満足なまま会社に到着し、帰りの車の中でやっと声が戻ってきたかな~?といったところ。

しかし翌日の今日は声がカサカサ。
あれしきのことで。
なまってる。
通勤途中にナマムギが出来ないなら、何か別の方法を考えなきゃ。

10秒ルール

子育てのコツに、カッときて子どもに対して感情的になってしまいそうな時に、
10数えて深呼吸してから怒るようにする、というものがある。
子どもは馬鹿なのが当たり前、失敗して当たり前、悪くて当たり前。
だから親は教えてやればいいだけなのだが、
子どもと同じ土俵に立っていちいちキーキーわめき散らしていては何も見えなくなるし
伝える事も出来はしない。客観性が必要ということで私もよくやっていた。
例外は、危険なことをしようとした時と他人に迷惑をかけた場合かな。
これは骨の髄まで思い知らさないといけないから、
感情むき出し、鬼の形相、怒鳴り声、場合によっては鉄拳。

で、まあ、それは置いといて、

私は最近、この「10数える」というのが、
子育てだけでなく日常にも使えそうだなという気がしている。
何かの出来事に対して感情の波が押し寄せてきたとき、
それに目いっぱい浸りきるための時間制限に
10秒というのは丁度いいんじゃなかろうかと。
クヨクヨ、ムカムカ、イライラに線引きしてスパッと気持ちを切り替えれば、
今やるべきことだけに向かえる。
できるかどうかは別として、そう心がけておくのは悪い事じゃないと思う。

そんな事をつらつら考えていたところ、偶然、
タイガーウッズに「10秒ルール」なるものがあるとの記事が目に飛び込んできた。
彼はミスをしたら、地面を叩き罵声をあげるなど激しく感情を爆発させるが、
10秒後にはきれいさっぱりリセットして次のプレーに影響させないのだそうだ。

やっぱり「10」か。

心理学的に、あるいは脳生理学的に何か理由があるのかどうかは知らないけれど、
感情が湧いて去っていく時間の目安として、とりあえず私的認定を下しちゃいましょ。
激怒も10秒、号泣も10秒、苦悩も10秒、心配も10秒、
「嫌な感じ」も10秒、「面倒くさい」も10秒、
「私ってダメな奴~」も10秒、「穴があったら入りたいー」も10秒。

自分の感情と同じ土俵に立たずに客観視。
できたらいいな。。。
いや、やるんだ!

スロースローライフ

このところ、ブログの更新が滞っている。
書きたい事は多々あれど、時間はめまぐるしく流れて行き、
夜になると「まあ、いいか」となって早々に寝床に入ってしまう毎日。

今月になって、夫の事務所の駐車場が使えなくなったのと、
夫の会社の経費で落としていたガソリン代も個人持ちになったということもあって、
通勤に車を使わず、バスとJRと市電を乗り継いで行きと帰りそれぞれに
2時間ずつかかっているということもある。
が、交通機関は時間が決まっているので、
その合間を縫って手早く買い物を済ませるため却って帰宅は早くなっているのだが。
それでは何に時間を使っているのかというと、
特に何ということもなく、ただゴソゴソしているだけだ。
パンを焼いたり、080306_2304~0001  石鹸を作ったり080306_1835~0001
とかして。
大きなパンは膨らみにくいということがわかったので、ロールパンが多いが、
たまに080310_2345~0001ぶどうパンやウインナーロールにしてみたり、
先日はコーヒーカスタードクリームパンにチャレンジしたりもした。
080313_1604~0001080313_1605~0001080313_1620~0001
生地を伸ばしたら、カスタードクリームを入れて、閉じる。
はい、出来上がり。080313_1742~0001
チョコチップパンも作ってみた。
チョコチップは買うと高いので、ガーナチョコをみじん切り。
そこでネットのレシピに、
「普通のチョコレートは熱で溶けて形が残らないので、
必ず調理用のチョコチップを使用すること」と書いてあるのを
見つけたが、もう遅い。


できたのはこんな感じ。
080315_0107~0001 これがパリパリと
 なかなか
 美味しいんだな。
 形に難があるのは
 ご愛嬌ってことで。








昨日の昼には、手打ち(足踏み)うどん。粉をこねて足で踏んで寝かせて切ってゆでる。
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    080315_1527~0001
しこしこの麺。日高昆布とかつおの荒削りをたっぷり使った出汁。
これで美味くないわけがない!
三時間かけて作った10人分のうどんは、20分もかからずきれいに平らげられた。
なんでもない日の、なんでもない食事を丁寧に作って食すのは、
お金に換えられない贅沢さだ。

今日はピザを焼いてみた。某ピザ屋の真似をして、耳までチーズを入れ込んで。
ソースもすべて手作り。
080316_1338~0001
昼にのっそり起きてきた息子は一口食べるなり、
「え、これお母さんが最初から作ったんじゃないんでしょ?」と言う。
「だって、本物みたいな味がするから」
って、どーいう意味だ?
こっちが本物!!!!

気がつくと

気がつくと、かつてしつこく私を悩ましていたわけのわからない苦しさ、
寂しさ、苛立ち、ひりつく焦燥感がずいぶんと薄まっていた。
もちろん感情のモヤモヤは日々の中で次々と湧いてくる。
たびたび我良しのエゴの声に振り回されて痛い目を見るのも変わらない。
けれどそれらはサラサラと流れていく。
私は何も変わっていないのに、ただ、楽になった。
ずぼらな私は相変わらず何をやっても続かない。
ゆるめる体操も時々思い出したようにやってみては毎回息を切らしているほど。
“正面”もよく忘れてる。
ただ、心の真ん中にいつも“あの人たち”がいる。
それだけで毎日が新しく、楽しい。

呼吸法、いろんな技法、イメージ、意識の持ち方、そんなもの何の役にも立たなかった。
宗教やっても、除霊受けても、特別なエネルギーを浴びても、人を頼っても無意味。
「私は私のままでいい」「すべては一つ繋がってる」「無駄な事などおこらない」
「不都合ありがとう」「無限の成長を目指す」等など、
自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど辛さは増していたように思う。
何も変わらない自分に腹を立て、なりたい像との大きな落差に嫌気が差し、
「どうしたらいい?どうしたらいい?」と、常に外から得られる解決法を求めていた日々。

今は何もやっていない。
胸骨あげて、声出して、身体と心の喜ぶ方に向いているだけ。
悩ませなければ悩まない。ごく自然の理だ。

「どうしたらいい?どうしたらいい?」と問いかけていたあの頃の私に言ってやりたい。
「やりたい事をやりたいようにやったらいいよ。私は何だってできるんだから」と。

贈る言葉

中学校の卒業式は9日にあった。
式自体はごく普通だったが、卒業生代表として生徒会長が三年間の思い出や皆との取り組みへの想いなどを自分の言葉で20分以上にも渡って述べた答辞には、生徒も教員、保護者も胸を打たれ、とても感動的なものだった。
感極まって壇上で涙声になる生徒会長。それを見て、袖口で涙をぬぐう女子学生たち。
学校生活を精一杯充実させてきた子らの熱いこと。
ちっとはうちの子にも見習って欲しいもんだと思う。
式の後は、教室で最後のホームルーム。
最後のホームルーム

今度は先生がしんみりと語る。
三年の担任になった当初、張り切って毎日のように出していた学級通信のこと。
それがめっきり少なくなったのは、終わりが近づいてくるにつれ、子どもたちと離れたくなくて教室で過ごす時間が増えていったからだと。
そして、「テレビドラマは全然関心もないし見てもなかったけれど、この歌を今日どうしても君たちに聞いてもらいたい」と、やおら歌い始められた。
  ♪暮れなずむ町の 光と影の中
          去りゆくあなたへ 贈る言葉~

途中歌詞を忘れたり間違えたり、自分の世界に浸って急に声が大きくなったりしながら3番まで歌われたその歌はとても下手だった。
歌としては。
だけど、この日、この場でこの歌を歌ってくれたこの先生の“あり方”に、私は胸が熱くなるのだった。
「卒業してもずっと君たちは僕の生徒だし、出来る事なら何でもするから、いつでも相談してくれ」
そう言って送り出してくれる先生のなんとありがたい事か。
子どもたちは、ちょっと白けたところがあって今はあまりわからないようだったが、いつかこの光景を懐かしく思い出す日が必ずくるだろう。
自分が人を育てる立場になったときにわかる、時限装置付きのプレゼントなのかも。

HRが終わった後は、全校生徒が校庭に集合。
運動会で踊って以来、この盛り上がりの火を消すなということで生徒たちが自発的に続けてきた「ソーラン」を、PTAが応援しようと始めた募金で購入した新しいハッピのお披露目も兼ねた、卒業祝い演舞がこれ。

(携帯の動画なので荒いし途中までなのが残念)
二度目の踊りには、サークルで練習をしていない一般の生徒も学生服のまま混じり、大漁旗が駆け回りと、山間の小さな学校は大いに沸き立った。
こんな素敵な学校に通えて良かったと私はしみじみ思うのだが、当の本人は後ろの方で友達とおしゃべりしてばかりで、参加しないだけでなく見てもいなかったんだと・・・。(ハァ~)
080309_1239~0001

サクラサク

まだ桜の開花時期には早いけれど、とりあえず長男は公立高校に合格した。
本人は合格が決まった後では「俺、別に落ちてても良かったのに」などと言うけれど、発表を見に行く車の中では「高校に入ったら、バスケ部に入って、バンド活動もして、勉強もがんばるから」なんて言っていたのに?と可笑しい。
「祝合格」とプリントされた紙袋の中には、様々な入学手続きの書類と一緒に、さっそく宿題が出されていた。中学時代の簡単なおさらいだ。
帰ってすぐ取り掛かる息子。
このところ一応は受験勉強をしていたので、やることがあるなら早めに片付けておかないと落ち着かないといった心境だろうか。
このままそれが癖化してずっと続いてくれるといいのだが・・・。
とにかく彼は勉強しなかった。中学時代はやる気0で、遅刻、忘れ物の常習犯。宿題はやっていかない、提出物は出さない、授業の話を聞いていない、クラブはやめる、勝手に早退して帰ってくることたびたび。
当然、成績はどんどん下がる一方で、とうとう三年の二学期には「1」がついてそれがそのまま内申に。
よくまあ、合格できたものだ。
尻に火が点いて机に向かいだしたのが、年が明けてあけてから。それでも普通にテレビは見るし、ゲームもネットもしていたしで、いつやってるのかわからないほどだったのだが。
教科書類を常にそばに置いていて、たまにわからない所を聞いてきたりするのが、それまでと違うところだっただろうか。
平方根の方程式の解き方とかを質問されて、一瞬「ヤバッ!」と思ったものの、結構わかるものだ。
問題集などはやってみると遊び感覚で面白くなる。
学生時代には私も勉強が大嫌いで、わからない事が多くて苦痛以外の何者でもなかったはずなのに。
それが「やらなければならないことをやらされる」のと「やらなくてもいいことをやる」事の違いかな、と思いながらも、30年前にこれくらい出来てたら人生変わったのにと悔やまれる。(笑)
長男は切羽詰ったやっつけ仕事ではあっても、この受験勉強のおかげで、ずいぶん学力が上がった。
回答速報を見て、間違った所にショックを受けるぐらいには。(レベル低~~)
「やればできる」とはよく子どもに向けて使われる言葉だが、まさにその通り。
やってみて、わかる所が増えてみると、「え、こんなに簡単な事だったの?」と愕然としたようだ。
「わからない、わからない」「どうせ馬鹿」「やっても無駄」「勉強苦手」「勉強大嫌い」と苦しんできた事が、この3ヶ月であっさり氷解。
それだけでも、この受験の価値は大有りだ。
どうせやる気になってるのは今だけだろうけれど、できることなら目いっぱい充実した高校生活を送って欲しい。
大人になるまで、もうあとそんなに時間はないんだから。

言われて嬉しいコトバ

母親が我が子に言われて嬉しい言葉のアンケート結果が発表されていた。

たしか、一位が「ありがとう」で、二位が「大好き」だったかな。

どうもよくわからないのは、「かわいい」と言われて喜ぶ親が多かった事。

子が親に「かわいい」?
子供が大人に「かわいい」?
で、それが嬉しい?
仲良し横並びのオトモダチしてるんだねぇ、と、思っちゃった。

私が子供に言われて嬉しい言葉は何だろう。
考えてみたが、何も思い浮かばない。
何を言われたいとも思わないし、言われて特にどうということもない。
親は有り難いものだし、子が親を大好きなのも当たり前だもの。

うちの子がもし「お母さんって、かわいいね」なんて言ったら、
「やかましいわ!誰に向かって口きいてる!」って、はたきたおすだろうな。

NOと言えない

私は断る事が苦手だ。
「嫌だな」と思っても、「NO」と言えない。
それでいつも厄介ごとを抱えてしまう。
そうさせられたと恨みを持ち、相手を悪者にしてしまう。
ただの通りすがりでよく知らない人を安易に信用しては綱渡り。
痛い目に何度もあっているにも関わらず、繰り返す。
馬鹿だ。
そして、また今度も・・・

あまりのお粗末さに恥ずかしくて、とてもここには書けない事をやらかしてしまった。
「ヤバイ!」と気付いて対処して事なきを得たけれど、
一歩間違えば大金を騙し取られるか、大きなトラブルに発展したかもしれなかった。
押しつぶされそうな不安の去った後に残る、モヤモヤとした嫌な気持ち。
自己嫌悪。
何の関係もない赤の他人との関係でも、守ろう壊すまいとする臆病さ。
あるわけのないうまい話を、それでも逃すまいとするさもしい損得勘定。
そんなこんなが理由をつけて、自分の本心を偽らせた結果だ。

一言「NO」と言うだけで、どんなに清々しくいられただろう。

私はいったいどんな人なの? 何がしたいの? したくないの?
それを見失しなっちゃ、ダメじゃないか。

ゴミはゴミ箱に

あれあれ?

「コイツは俺のもんだ」と口にもするし、そう振舞っていた人が、
去っていく相手に、
「オレを捨てるのか」と責めてるよ。

誰が誰の持ち物だったの?


親子、友人、恋人・夫婦、いろんな所でよく見る光景を、また見た。

明日は明日の風任せ

今週の木曜・金曜が長男の高校受験。
この差し迫った時期だというのに、奴は卒業したら集まれなくなるからと
週末、友人と遊びまくっていた。
真面目に考えてるのかいないのか、現実逃避なのか気分転換なのか、
私にはわからないし、本人にもわかってないんじゃないかなってぐらい、チャランポラン。
どうなることやら。

今日、会社で「入学式はいつ?」と聞かれた。
はて、いつでしょう?
まったく気にしてなかった私。
だってまだ合格するかどうかわからないもの。
でも、休まなければならなくなるのだったら仕事の都合もあるし、調べとかなくっちゃね。うん。

「で、1校しか受けてなくて、もし落ちたらどうするの?」とも聞かれた。
うーん、どうしよう?
落ちてから考えようと思ってたけど?

「先に身の振り方考えて手を打っとかないと不安じゃない?困るかもしれないよ」
と言われるけれど、
困ったら困ったとき考えたんじゃダメかしら?

この親にして、この子あり。
私も相当なチャランポランだよね。

またいつか

人と仲良くなるなんて簡単だ。「こんにちは」を伝えればいい、聞けばいい。
・・・とまでいうのは短絡的過ぎるかもしれないが、
武禅で向かい合って正面から「こんにちは」を言い合った人たちというのは、
普段の生活の中で身近であったり親しくしている人たちとはまた違う、
とても深い部分で触れ合った特別な結びつきを感じるようになる。
それまで見も知らぬ赤の他人だった人が、たった二泊三日、
顔を付き合わせていただけで、ずっと昔から良く知っていた人のように思えるのだ。

私はよく、自分の部屋の壁に貼ったこれまでの集合写真を見ては、
「この人、どうしてるだろう。また一緒にやれたらいいな」と思ったりしている。

このたびの、大阪と東京のドラムソロコンサートでは、
そんな懐かしい人たち何人かと再会できたのが、とても嬉しかった。

大阪には、昨年秋や岡山WSで一緒だった人たちの顔があったし、
初めて武禅に行った時のメンバーの一人にも1年3ヶ月ぶりで再会した。
そして東京では、S教授が奥様を連れてみえていたり、
1年3ヶ月ぶりの他の人にも会うことができた。
武禅は確かにそれぞれの中で活かされて続いている。

再会ではなく、新たに出会えた人もいる。
「会場で」と約束していた人や、このブログを読んでくれていた人など。
初対面でも、やはり日野武道をされてる人は懐かしく感じるのが不思議なところ。

「では、また」
どの人とも、そう言って別れた。
いつかまた会える。一緒に稽古できる。
それが大きな励みになる。
この人に恥じるような事はできないと、自分を律する支えになる。

得がたい出会いに、感謝。

いつもと違う私

「どうしたの? 今日の昼、元気なかったね。
 何か心配事でもあるんじゃないかと、皆心配していたよ」
夜に自治会役員会に出た際に、育成会会長から言われた。

昼は、卒業を控えた6年生を送る会として、集会所でお楽しみ会があった。
そこに私は例によって、特に何もすることはないのだが参加して、
ちょこちょことお手伝いをしたりしてたのだが、昨夜夜更かしをしたせいか、
ポカポカと暖かい日が差す部屋では、どうも眠たくてたまらなかった。
といっても、そんなに積極的に動かなかったというだけで、普通にしていたつもりなのだが、
中学校のPTAとして明日の公民館の祭りの準備があるため一足先に抜けたことも相まって、
「いつものぽあんさんじゃない」
「あまり口もきかなかった」
「一人で何か考え込んでいるみたいだった」
「身体の具合が悪かったのかも」
「子供の交友関係について悩んでるんじゃないか」
と、後で相当、話題にされていたようだ。

ちょっと気を抜くとこれだ。
他人に心配をかけさせているようじゃあ、ダメだよね。
不機嫌にしているつもりはなくても、不機嫌に見えてるのなら、そうしてるってこと。
自分勝手に振舞っていて、気配りをまったくしていなかった。

だけど、「いつもの私」ってどんなのだったっけと、改めて考えるとわからなくなる。
いつもどんなふうに動いてたっけ? どんな喋り方してたっけ? 今日は何が違った?
思い出せない。
日頃も自分勝手だからなんだろうな。

今、何をやってるか。
自分に何を求められているか。
思いはどうあれ、実際他人の目にどう映っているか。
注意を怠らないようにしなくては。
無意識に迷惑かけてる存在にはなりたくないから。

気を引いてかまってもらいたい甘えんぼちゃんみたいなことをやっちゃったな。
恥!

役回りの向き不向き

ここ数年、役員をやることが多い。
PTA役員、広報副委員長、PTA副委員長、執行部書記、
育成会会長、自治会役員、相談役、etc.・・・
回ってきた役に、ちょっとお手伝いのつもりで関わったが最後、
引っ張り込まれて持ち上げられて、1年で済むはずが、
より重い役目をずっと続ける羽目になってしまっている。

昔の私からしたら考えられない事だ。
私は対人恐怖症で、人付き合いが大の苦手、
おまけにぐうたらな怠け者で、働く事も大嫌いだから。

しかし、役をやるからにはそんな事は言ってられない。
やるべき事はやらないと、他人に迷惑がかかる。
そして、どうせやるからにはこれまでより少しでも良い方向に変えていかないと、
私が関わった意味がない。
私としたら、普通の事を普通にしてきただけだ。
ただ、ちょっと他の人より得意分野が広かったので、
任される仕事が増えてしまっただけ。

だが、夫はそうは見ないようだ。
家を空けがちな私が気に食わない。
知り合い(特に男性の)が増えるのが面白くない。
役員の仕事に手をとられて、家の中の事がおろそかになるのが腹が立つらしい。
「断れよ」というようなことを平気で言ってくる。
引き受けてしまうのは、私が「いいかっこしい」だからだそうだ。

以前、ネットで知り合いだった人にも似たような事を言われたことがある。
「皆がやりたくないことをやるのは馬鹿だ」
「自分の無価値感を補おうとしている」「自己顕示欲が強い」

私は他人に必要とされたいだけの、勘違い大馬鹿野郎なのだろうか?

経済的にも時間的にも精神的にも余裕があって、仕事の処理能力も高く、人間好きで、
心から楽しんで役員をできる人でなくては引き受けるべきではない、とでも?
どこにそんな人がいる? 連れてきてくれ、と言いたい。

PTAの役員決めの時期には、皆なんとか逃れようと
「仕事が忙しすぎる」「母子家庭」「父子家庭」「障害がある」「通院中」
「要介護老人がいる」などという免除の理由を書いた申請書が殺到する。
中には「心が弱いので」というものも。
そう書いてくる自体、十分心臓に剛毛が生えていると思うのだが。(笑)
とにかく、全部聞き入れていたのでは、役員のなり手がない。
程度の差こそあれ、誰もが皆、忙しい。皆、何らかの問題は抱えている。
言ったもの勝ちでは不公平になるので、執行部は心を鬼にしてその大半を却下する。
不思議な事に、誰が見ても本当に大変そうな状況にある人ほど、
免除の届けを出さないものだ。
決まってしまったら、「できる事が少なくて迷惑かけるかもしれませんが」
と言いながらも、着実に仕事をこなす。
うまく立ち回って逃げおおすのは、特に何もせずに家にいる暇そうな人。
ペロリと舌を出して、役員となった人を「よくやるよ」と笑い、
文句ばかりつけてくるタイプ。
こういう人は無理に役員に据えると仕事を放り出して連絡取れなくなったりして、
迷惑するので性質が悪い。

小さな社会ででも他人のお世話をするのは、大変だ。
やって当たり前。失敗すると責められる。あちらを立ててば、こちらが立たず。
頭を悩まし、体を使い、時間をとられ、時には身銭を切る事もある。
だけど、自分もそういう人たちのお世話になって快適に過ごさせてもらってきたのだ。

誰かがやらねばならないことが、たまたま自分に回ってきたら、
全力でもってそれに当たるというのが、そんなにおかしな事だろうか。
「やりすぎ」って、何?

私を知らない人が、影でどんな悪口を言っていたってかまわない。
もしかしたら、私一人、役に立ってるつもりで実はそうではないかもしれないが、
それならそれで下ろしてくれたらいい。
しかし、一番理解して欲しい人の無理解は、結構凹む。


笑顔でいると、笑っているとしか人は見ない。
だけど、泣けないんだよね。
それが、私のプライドだもの。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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