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部屋の中の武禅

武禅での三日と私の日常は落差が大きい。

帰った数日は「よーし、頑張るぞ!」と気合が入っていても、
水が高きより低きに、行いが難きより易きに流れる世の常に違わず、
いつしか楽に楽にダラリ~ンとゆるみっぱなしになってしまう。

別段、何をするということもないのだけれど、
いつも正面向かい合ってるか?
声を届けているか? 聞いているか?
自分は何をしているかが明確か?
と自問すると、「あや~、うっかり~」となっている。

それはそれで注意し続けていくしかないのだが、
少しでも生活の中に武禅の雰囲気を持ち込めればと思い、
4月に行った時に写した建物内の写真を、今部屋に貼ってある。

そのフレームの中には、大きめにプリントした数子先生の写真も。
食事の後の片付け中にいきなりキッチンに押しかけて
「写真撮らせてください」とやったにも関わらず、
先生は「はい」と振り返って「こう?」と即座に自然なポーズ。
さすがいつでもどこでも隙がない。
その上、出来上がった写真がまたスッゴクいいんだわ。
生活感ある明るいキッチンをバックにした輝く笑顔。

娘たちに「ほら、この人、先生の奥さんよ。きれいでしょ」と見せたら、
「この人、お母さんより若いんでしょ?」ときた。
やっぱりそう見えますか。
なので、
「日野武道やってると年を取らないんだろうね。お母さんも頑張らないと」
ということにしておいた。
これで次の武禅には少しは行きやすくなった、かな?(笑)

部屋には他に、ドラムソロコンサートの大ポスターと、
数子先生撮影の日野先生と私のツーショット写真、
そして、毎回の武禅の集合写真が飾ってある。

ポスターは以前、数子先生が冗談で「いくらで売ろうかな?」と言われていた時に、
「壺までは無理だけど、印鑑セットぐらいの値なら
 買う大ファンはいるんじゃないですか? σ(゚∀゚ 」
と半ば本気で言ったことがあるのだが、なんと、タダ!でいただいてきた。
しかも、日野先生の直筆サイン入り!!私の名前も書き添えて。キャッホーイ!!!
SOLD OUTのものと2枚を並べて
玄関真正面にドーンと飾ろうと思っていたのだけれど、
一人暮らしではないというのはなかなかに不自由な面もあり、
仕方なく、超強力魔よけポスターは自室でにらみを利かせることになった。

壁には武禅の写真ビッシリ、本箱には日野先生の本ズラリ、かけるCDは「狂い咲き」。
どこからどう見ても立派なフリークだ。

だけど一つ心配なのは、
どうも、コレクションで満足して本来の目的はどこに?って事になりそうな。

何をどうやっても、この私だもんな。

武禅みやげ1
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正論

夜中の3時を回った。
今の今まで夫と議論。
私が突っ込み過ぎると夫は言葉をなくす。
そんなことはこれまでもよくあった。
その上、今回はいつもなら残しておく砦を崩しにかかったもんで、
完全に彼の感情を害してしまった。
そもそもの議題は他愛のないことなのだけど。
「ボキャブラリーが少ないから、思いはあるのだけど言いようがない」
そんな台詞で終わりにされるとやたらムカッ腹が立つ。
しかし、その後、彼が続けた言葉が先月の武禅の後で送っていただいた
日野先生からのアドバイスの一部と同じだったのには、正直言って、マイッタ。
やっぱりそうですか。アイタタタ・・・・という感じ。

さらに、その事をそのまま話しちゃったのもマズかったかな。
完全にへそ曲げちゃったもの。
こんな場合、もっと突っ込んでも良いのかしら?(笑)

アクリルモールドとマーブル石鹸

アクリルモールドは石けん作りに便利な道具。
だけど買うと高いので、これも手作りしちゃいました。
200mm×300mm、厚さ3mmのアクリル板、880円を3枚。
これをアクリルカッターでカットして、アクリサンデーで接着。
不器用なので傷は入るし接着剤をたらしまくるしでボロっちいけど、
なんとか完成。
せっかく計算したので設計図も載せときます。これで2個分。
アクリルモールドカット図
これから作る人は参考にどうぞ。

アクリルモールドで作る第一作目は、ガスール入りのマーブル模様石鹸。
香りはローズとラベンダー。
うーん、中途半端に混ざって、イメージよりずいぶんボヤけた印象かな。
出来上がりを待つとしよう。
080524_0001~0001

基本は家庭

なぜ急に問題が出てきたのか。

これまでは、指導力のある教師がいて抑えが利いていたものが、
歯止めを失い、いっきに暴走し始めたと私は見る。

「怖い大人は絶対に必要だ。
 子どもは大人には敵わないんだ。大人は強く、賢く、頼れる存在なんだ。
 と子どもに信じさせられるぐらいの毅然とした態度をとって欲しい」
そのように担任の先生方に何度も申し入れをしているのだが、
どうものらりくらりとかわされてしまうのはなぜなのだろう。
そして保護者たちと話してても、どんどんあらぬ方向へずれて行ってしまうのは。

泣き喚いて大人を思い通りに動かせるとなれば、
子どもが大人をなめてかかるのは当然だ。
そんなことは、2歳児の反抗期の時に当然経験済みでわかっているべきこと。
しかし、教師も保護者もその道理がどうやら理解できないよう。

何が
「子どもが心に抱えているものを受け止めてやりたい」だ。

さぞかし泣かせないように泣かせないように子育てしてきたことだろう。

「本当はいい子なんです」?

いい子がこんな事をするものか。
ガキなんて、野獣と同じ。
ルールは痛みで教えなければ性根に叩き込めない。(体罰とは限らない)
身につけねば、いずれ自分や他人の身を危険にさらす可能性があるのだから。

「怒ってもますます反抗的になるばかりで、心の繋がりさえ危ないかもしれない」

ご機嫌とらなきゃ切れてしまうような心の繋がりなんぞ、切ってしまえ!
気色悪い。

「興奮して切れてしまいそうな時は何を言っても無駄なので避けて、
 日を改めて比較的安定して落ち着いているときに話をするとわかってくれます」

切れて暴れるのなら暴れさせとけばいいんだ。もちろん閉じ込めて。
壊れるもののない部屋で。思う存分、ひとりで暴れさせておけ。
切れても逃げられない、思い通りにならないと教えなきゃ、何度もその手を使うだろう。
そうして何時間でも、何日でも待ってやればいい。
恐れてどうする。
子どもの都合に合わせてどうする。

ホンマに人生経験長いのか?と疑いたくなるような事のオンパレードだ。

話したり考えてきたりするうちに、奇妙な感覚になってきた。
私はDV家庭や家庭内暴力、ニートの問題について考えているんだったっけ?
そんな気がしてきて。
学校内での虐めの問題から突っ込んでいったけれど、どうやら根っこは同じらしい。

誰もが触れない部分。
それは、
幼少期からの家庭のあり方。親子の関係。
そこが全ての根源だ。
他人がどうこうしてやることは出来ない。
出来る事は、押え付け、世の中はお前の思い通りにならないのだと示すぐらいのこと。
それでどう感じるか、どう考えるかが本人が変わる唯一の手段なのに、
機会を奪っている無責任さに私は腹が立つのだ。
本音を言えば、他所の子なんかどうでもいい。
ただ、うちの子にそんな大人の姿を見せてくれるなと、私はその一心だ。

「どうしたらいいかわからない」なんて、
親が、教師が絶対に言うべきではない。
心でべそをかきながらでも歯をくいしばって、笑顔で「任せとけ!」と胸を叩けよ!
そして、身体を張れよ!
命、懸けろよ!

問題は時を変え、形を変えてまた現れるだろう。
親も子も教師も、苦労はずっと続きそうだ。

そして私も、子どもにこうなりたい大人の像、家庭の姿を見せているか?と
自問自答の日々がまだまだ続く。

いつから変わったのか

小6の問題の子達は、サッカーボールを人に当てるだけでなく、
毎日のように傘を壊したり、クラスの女子全員の上靴を外に投げ散らかしたり隠したり、
教室のドアの換気窓を蹴破ったり、窓を割ったり、プールにゴミを投げ込んだりと、
やりたい放題やっていると聞く。
学校のシンボル的な大木に上リ、先生に注意されると「うるせえ!クソババア!」。
制服があるのに私服で登校。
授業をボイコットしてフラフラ歩き回り、他所のクラスを覗いて笑う。
叱ると切れて手が付けられなくなる。
本当に12歳か? 2歳の間違いじゃないか?と疑いたくなるような所業だ。

その上、傍若無人ぶりは校内にとどまらず、
校外でもあちこちから苦情や心配の声が入ってきているということもわかってきた。
「数人で団子になって車道を自転車で走るので危なくて仕方がない」
「公共の施設に毎日のように集団で来ては大騒ぎをしたり、散らかしたりして注意を聞かない。
 物の扱いも乱暴で壊れたりもするのでどうにかして欲しい」
「休日の量販店で大きな黒いサッカー部のかばんを持ってうろつく小学生グループがいる」
「別の駐車場にその量販店の値札シールが貼られた商品のパッケージが散乱していた」
等々。

学校に苦情を入れた公共施設の人の所には、子ども達が翌日すぐに謝りに来たという。
「迷惑かけて、ごめんなさい」と素直に頭を下げた姿を見て、
その方はいたく感激され、「実に良い子たちですねぇ」と学校にすぐその事を伝え、
ホッと胸を撫で下ろしたのだが、次の瞬間に聞こえてきたのは、いつもの馬鹿騒ぎ。
飲食禁止の場所に食い散らかしたお菓子のクズ。放置されたゴミ。
「ついさっき謝りに来たのは、一体何だったのか?」
頭を抱える。

はたして、この一連の異常行動を説明できる理由というものがあるだろうか。

学校側は彼らが「6年になって急に変わった」と言う。
「確かに1・2年生の頃は、元気すぎて乱暴な所もありましたけれど、
 落ち着いてきて、昨年までは何の問題もなかったんです」
けれど、昨年までの担任もクラブの顧問も転任して、もうこの学校にはいない。
長年、本の読み聞かせボランティアとして子ども達に関わってきて
様子をよく知る人に言わせると、
「いやぁ、4年生の頃からすでに悪かったよ」らしいのだが。

それならば、ずっと悪かったんじゃないのか。

急に変わったのではなく、エスカレートしていっていると捉えた方が自然だ。

「急に変わったその原因を探っています」と言うけれど、
急に変わったのでなければ、原因などあるはずもない。

本当はわかっているはず。
だけど、触れてはならない部分から目を反らせるために
わざと偽の宝地図を作っては砂漠を掘り続けている。
そんなふうに私には見える。

いまどきの教師

問題の中心人物に教員たちはずっと
「なぜそんなことをするの?」と根気強く尋ね続けているのだそうだ。
原因がわからないと対処のしようもないから。
しかし、本人もはっきり言わないし、親にさえわからない。

 「何かを心に抱えているのはわかるのですが、それが何か掴めずにいます。
  不満やストレスがあるなら、それをどうしてやれるかを考えたい。

  厳しくすれば反発を買うだけ。
  時々、機嫌の良い落ち着いたときには、
  子どもらしい素直な側面も見せてくれていますから繋がりはまだ保っています。
  この細い糸を切ってしまわないように慎重に注意しながら、
  この子達の心に寄り添い、本来の優しい子に戻すよう指導を続けます。

  悪い事は悪いときちんと教えるのは当然ですが、
  ただ怒るだけでは子どもは『どうせ自分なんか』と劣等感を持つようになります。
  現に怒鳴ったりすごんだりしたこともありますが、それでも言う事を聞かないどころか
  余計に反発をして荒れるので逆効果でした。

  悪い事は悪いと毅然とした態度を示しながらも、
  一方で、この子達にも良い所は必ずあるんだから、そこを見つけて褒めて、
  自信を持たせてやるのが、心を開かせる鍵になるのではないかと思っています。」


どうやら教師たちは荒れる子ども達の心理にとても詳しいらしい。

一部保護者(やられてる側ではない)にも、同じような話を熱弁する人がいた。

 「誰が悪いからという話ではなく、今やってる側がやられる立場になることもある。
  やられてる子がやる側に立つこともある。
  仲間に加わらないと自分が次のターゲットになるわけだから。
  やる方にもやられる方にも理由はある。
  だから、そういった子どもの気持ちを汲み取ってやらないと。
  子どもはこの現代のストレス社会の被害者みたいなものなんです。
  抑え付けたらもっと歪みます。
  悪い子と決め付けて追い出せば解決といったことではなく、
  全体の問題として、皆で取り組んでいかなくては」

心優しく正しく大きな視点からの立派な論だ。

意味不明だが。


だから?

だから、どうしてくれるのか。
という話だ。


悪ガキ達の荒んだ気持ちに寄り添い、繋ぎとめるために褒めそやすのもいいが、
それでは、痛い思い、怖い思い、悲しい思いをしている生徒の心は置き去りか?
「何があったか」の聞き取り調査はしても、
誰も「どんな気持ちだったか」を聞いてくれてはいないではないか。
迷惑を受ける側として、教師も生徒も横並びのつもりでいるこの奇妙さ。
注意した、逆らった、わがままが通らなかったなどのちょっとした刺激で暴走し、
他人を傷つけ、物を壊し、騒いで注目を浴びたがるトラブルメーカーを
教師と生徒とで協力して立ち直らせていこうというこの一大事業に、
私はいつ、わが子を参加させると言ったのだろうか?

今日も明日も明後日も、
いつ爆発するかわからない爆弾の側で暮らせと強いているのだと、
その無神経さになぜ誰も気が付かない。

いまどきの大人

ある保護者からは、
「人にボールを蹴るのをやめさせることができないのであれば、
 ボールを管理して一切使わせないようにしてはどうですか」
という意見も飛び出した。

「山があるから登るんだ」と同じ動機と捉えているらしい。
「ボールがあるから人に向けて蹴ってしまうんだ」?

問題の生徒にだけボール遊び禁止にできるのならそれが一番いい。
しかし、そんなルールを作って従うぐらいなら、とっくに迷惑行為をやめているはず。
結局その方法をとろうとするなら、児童全員の休憩時間に犠牲を強いる他はない。
「危険の可能性があるから我慢しなさい」と。

安全を守るためにはやむなしか?


武器があるから戦争するんだ。
原爆があるから脅威になるんだ。
凶器があるから人殺しがあるんだ。
酒があるからアル中があるんだ。
タバコがあるから肺癌になるんだ。
サラ金があるから借金地獄に落ちるんだ。
携帯があるから出会い系犯罪に巻き込まれるんだ。
中絶医師がいるから堕胎をするんだ。

そんな理屈が大手を振って垂れ流されてる社会にどっぷり浸かった考え方。

「これさえなければ」で問題解決と本気で思ってるのが恐ろしい。


今、自分たちは、「誰が」「何を」するから困っているのか。
どうしてすぐ見失う?

間違っても、子ども達がボール遊びをするから困ってるわけではないぞ。

いまどきの子ども

「虐めがおこったとき、
 一緒になってはやし立てるのか、
 困っている仲間を助けるのか、
 自分はどうするのかを正しく判断するのが大切なんだよ」

「虐めている人達には、はっきり『やめろ!』と注意をしよう」

そう先生が指導してきた成果として、
何人かの男の子たちは「やめろ」と声を出し、
止めてくれるようになってきたそうだ。


今回、
彼らは“止めた”のだとという。

急にサッカーボールを蹴りこまれ、
顔面やお腹、腕、足と所かまわず当てられ逃げ惑う女の子達、
かけより友達をかばう子、
抵抗してボールを奪おうとする子などを遠巻きに眺めて。


女の子をトイレに追い詰め騒ぐ集団の中に、上の小窓を指差し、
「おい、あそこからなら中の様子が見えるぞ。ボールを当てて壊せるんじゃないか」
とリーダー格の子に教えたある男の子は、
その場で「先生は止めなさいと言われてるでしょ!」と女子たちに咎められると、
「だって、俺、一回止めたよ」とシレッとして答えていた。

事後の聞き取り調査や親への報告では、こういった子達が、
「僕は止めた」と言っている。

教師も親も、「止めた」と受け止めている。認めている。

彼らは、本当に止めたのか? それが止めるということか?

問うても、意味は通じない。

なぜなら、それはいつも教師や親自身がやっていることだから。
本気で働きかけていないのを、
カタチだけやって見せかけているのを、
子どもらはちゃんと見て、学んできているのだ。

そして、その通りに模倣して褒められる経験を積んだ。

これが今の教育。

緊急学年保護者会

修学旅行前日の緊急学年保護者会が終わった。

事は、当初私が思っていたよりも、ずいぶんと深刻だった。

泣いていた人もいた。

ずっと悩んでいた人、苦しんできた人もいれば、
初めて知った事実に目を丸くする人もいた。

子どもは親に話していない。
親も子どもに話を聞かない。
だからずっと見過ごされてきた。

今日も私はあまり喋らなかったし、何もしていないのだが、
疲れた。とても。

皆で話し合う機会が設けられた事について、被害があった人だけでなく、
最初無関心だった人も「知ってよかった」と言ってくれた。

動いてみてよかった。

迅速に対応してくれた学校側にも感謝。

心地よい疲労感。

まだ先は長いかもしれないけれど、今夜は、おやすみなさい。。。。

解決はしない

数人の保護者と6年生の担任3人、そして教頭先生とで、
9時過ぎまで話し合った。

一番怒っているのはボールを目に当てられた子の母親。
「なぐってやりたい!」と、矛先は加害者の男子に向く。
これはまあ当然かなと思う。

人を的にしてのボール蹴りは、今回が初めてではなく、
すでに何度も繰り返されていたのだという。
教師が注意しても聞かないどころか、喜んでますますエスカレートする。
中心人物は3人。
加勢する一クラスの大半の男子がケラケラと笑いながら楽しそうに、
逃げ惑う女の子達目掛けてボールを蹴る図。
想像しただけでゾッとする。

身体機能に障害のある児童の、その障害を手術した部分を狙ってボールを蹴るので、
何人かの女の子達で必死に守ったという話も聞いた。
1年生の胸ぐらを掴んで虐めていたので止めた人もいたらしい。
だが、そのために「あいつムカつく」と標的にされるようになったのだが。

担任も手をこまねいていたわけではなく、指導はしてくれていた。。
しかし現に、「助けを呼んでも来てくれない」「言っても無駄」
という空気が蔓延していたのは紛れもない事実。
そこをどう考えているのか。
これからの生徒の安全について、
何をどうするからもう安心と思わせてくれるのか。
と、私は主にその部分を追求した。
明確な答えが返ってくるはずもないとは知りつつも。

担任たちはお手上げだ。

そして、今日の昼に学校に呼ばれていた
加害少年のリーダー格の親たちもお手上げらしい。
「わが子ながら、わからない」と言っていたとか。
どうすればいいのか。
もしも私の子ならと考えて浮かぶ方法はいろいろある。
だが、それを「このようにせよ」とさせても無意味だろうとも思う。
なぜならそれは他人の考えなのだから。
親と違い、“その子”にはまったく責任のない。

こちらとしたら、
そんな性根の腐った子どもをどう立ち直らせるかなんかどうでもいいのだが。
とにかく、学校が安心して過ごせる場所であって欲しいだけ。

はっきりとした策が欲しい。
「方法」や「理想」ではなく、「いつまでに」「何を」「どうしてくれるのか」。
聞いても、聞いても、答えは出ない。

進展?それとも…

今日は仕事を30分早く上がらせてもらって、6時半から個人的に数人の保護者と担任、管理職とで話し合いをします。
そして明日は、修学旅行直前ではありますが、急遽、学年全体の保護者会となりました。\(^_^)/

保身の教育

「あまり事を大きくしないほうがいい」

「子どもの事を一番に考えてから行動に移すのが一番ベスト」

「学校に喧嘩売っても返ってくる代償は大きいですよ」

と、ご親切にもしょうもない忠告をしてくれるPTA役員がいる。

また、同じクラスでも、

「今回はやられたわけではないから」と無関心な親も多い。

この人達は子どもへの責任をどう捉えているのだろう。

この人達には義憤というものがないのだろうか。

明日はわが子が犠牲者になるかもしれないとは考えもしない。

子どもの環境が他人事とは。


保身する教師。

保身する保護者。

それを見て保身を覚える子ども達。


そちらの方が“代償”は大きいのでは?



キモイ言の葉

会社からの帰りにJRを利用している。
先週は試験前だからだろうか、やけに学生が多かった。
つり革につかまって車窓を見ながら揺られていると、
聞くとはなしに若者達の話が聞こえてくる。
他愛もない友人同士の会話。
誰と誰が付き合ってるとか、好きなんじゃないかとか、
テスト範囲、教師の噂、自分について、家族のこと。
若い子は視野が狭いので周囲への憚りもなく、つい声が大きくなる。
仲間内の世界だけでキャピキャピと騒いだり、ドッとうけていたりするのは
見ていてあまり気持ちの良いものではないが、
私自身も通ってきた道とちょっとばかり懐かしくもある。
度が過ぎなければ注意するほどの事でもない。
しかし、声や会話の中身よりも、その言葉使いが気に障るのは、
私が歳をとったせいだけだろうか。
皆、やたらと「キモイ」「キモイ」と連呼するのだ。
「あー、あの人キモイよね」「やだ、キモッ」「えーそうなの?キンモ~イ」
とにかく、話のどこかに必ず「キモイ」が入る。
次に多いのが「ウザイ」。そして「ムカつく」。
それを女の子達が男顔負けの乱暴な言葉で喋っていたりする。
皆、不愉快の塊か?
だが、きつい言葉を共有しながらも笑いあっているのだから不思議な光景だ。
これが今の若者のごく普通に交わされる一般的な言葉となっているらしい。
「ちょっと変わってる」も、「おかしいんじゃないの」も「あまり好きじゃない」も、
全部「キモイ」らしい。
そして聞いた方もどこをどう感じているのか不確かなまま「キモイよね」で同意。
盛り上がる。
それでいいのだろう。
あまりに頻繁に使うものだから、本来持っている意味も薄れがちなのかもしれない。
相手に対しても平気で「キモイ」と言う。
それが今の高校生、大学生なのだ。
中学生、小学生だけの問題ではない。

ちょっと注意してテレビ番組を見ていればわかる。
テレビは過激な言葉の洪水だと。
バラエティでは他人を貶め、攻撃しては笑いをとる手法ばかり。
ドラマではヤクザやヤンキー上がりのヒーロー・ヒロインが、
汚い口調そのままでいっぱしの事を言って正義漢面。
それを楽しい、恰好いいと刷り込まれて育ってきているのだから、
こうなるのも当然といえば当然かもしれない。

全部、大人の責任。
ウケだけを狙った製作者側もだが、
子どもが喜ぶから、他の皆が見てるからと番組選びをしなかった親の責任は大きい。
もうすでにその言葉が不快だと感じる感性に欠けていたのかもしれないが、
それにしては、自分に向けられる言葉にだけは敏感なのはどういうことだろう?

傷つけ易く、傷つき易い。
奇妙で、キモイ・・・いやいや、気持ちの悪い世の中になったものだ。

暴力教室で打ち上げ花火

昨日は参観日だった。

小6の娘からは隣のクラスが荒れていると聞いていた。
授業中に立ち歩いたり、乱暴な事をする男の子がいて、その被害はこちらのクラスにまで及ぶのだと。
もちろん先生の言う事など聞きはしない。
また、女の子も意地悪な子が多く、おとなしそうな虐めのターゲットを見つけては、「きもい」「うざい」「きしょい」「ばーか」「しね」「みるな」「そばくんな」と、数人で酷い言葉を浴びせかけるという。
娘が友達をかばって立ち向かっても、ケラケラと笑って余計にエスカレート。
娘は「あー、ムカつく!」と机をバンバン叩いて私に怒りを訴えていた。

どんな子が虐めをしてるのだろう。よっぽど悪い顔をしてるのだろうか。
その子らの顔と、ついでに親の顔を見てやろうと興味津々だったのだが、実際はそれどころではなかった。

参観の授業中に泣きながら帰ってくる女の子がいたり、また、それと入れ違いに
泣きながら倒れそうな足取りで保健室に向かう子もいたり、他の子達もどうも様子が変。
授業の終わった懇談会で担任によって話されたその原因に保護者は困惑した。

休憩時間に、隣のクラスの男の子がこのクラスの女の子目掛けてサッカーボールを蹴ってきて、身体や顔面にも強くぶつけられた子が保健室に行くという事態になったということだった。

担任は言う。
「いろいろと起こっている問題については、学校としては事実確認が出来ているものには対応はしているんですよ」

保護者からは「もっと情報が欲しい」という意見が当然出てくる。

しかしそれには、
「実際に見たとか、多人数が言うものについては聞き取り調査をしてですね、事実確認をとれたものにだけ対応はしています。
そうでないと、「らしい」というだけではちょっと動けないですし、噂が尾ひれをつけて一人歩きするのが一番困るんです。
学校から情報を出すと、個人が誰かを特定されかねないですし、プライバシーの問題にもなりますから、難しいところなんです」という答え。

担任がこの話題に突っ込まれたくないのが丸わかりの姿勢なので、結局、出来事のおおまかな部分と学校としての取り組みだけでもプリントで知らせてもらうという所に落ち着かざるを得なかった。
なにしろ、たぶん学校側で用意した“対応マニュアル”だろう手元の書類から目を離さないのだから。

そして、その文言は聞き覚えのあるものだった。
前年度最後のPTA役員会で、私が執行部としてクラス委員の代表に、「なぜか記入されなくなった懇談会の記録を復活させ、それを他クラスや他学年の参考として残して活用できるようにして欲しい」と求めた際の返答とまったく同じだったのだ。
「個人が特定される可能性があるので、前年度のはちぎって捨てなくてはならなくなる。プライバシーに関わるので難しい」と、その一点張り。
そのちぎって捨てられたノートというのは以前、酷い虐め問題があったクラスでの記録の事であるのは周知の事実。
そして学校側では最後まで虐めは把握していないという立場だったということも。
そこでは2人で30分ぐらい、ほとんど口喧嘩のような勢いで喧々諤々やりあったのだが、校長はこの時ばかりは黙って一切口を挟まなかった。
PTA同士の意見の相違という事にしておきたいのだろう。
誰にとっての不都合かというのはわかりきっているというのに。


懇談会では担任が、家庭での注意してもらいたい事というのをいくつか挙げていた。
いや、読み上げたといった方が適切だろう。マニュアルを。
「まず親が子どもに規範意識をしっかり持たせるように・・・・・・」
何項目か挙げていたが、悪いけれど私は何も覚えていない。
言葉は聞こえているはずなのだが、何を言っているのかさっぱりわからなかったからだ。

いったい、今、それが何の関係があるのか?
具体的にどうせよと言っているのか?
全く意味がわからない。

「何か質問とかありますか?」と聞かれたが、全部だ。全部。
しかし、「言えない」事ばかりのマニュアルロボットを問い詰めても仕方ない事。

「今回の件では、私が子ども達を守ってやれなかったのが悔やまれますが、子ども達には日頃から、まず自分がどうあるべきかを考えるように指導しています。
一緒に悪ふざけをするのか、黙って見ているだけなのか、友達を助けるのか、自分はどうするのかというのが大事なんだよと。
今回、「やめろよ」と言う男子がいて、少しは違いましたから、そこはもっともっと全体でそうなっていけるようにしていきます」
と、最後にそんな事を言っていた。

無茶をする子を教師がガツンと抑え付けるのではなく、クラスの子ども達のそれぞれの良心でどうにかして欲しいというのは、完全なる逃げ。
責任放棄だ。

現に、昨年度の担任だった胆の据わったベテラン教師の前では、暴れん坊も借りてきた猫状態だったという事実がある。
彼には校長さえ一目置いていて何も言えなかった。
自分の方針を持っているから、他からあてがわれたマニュアルなど必要なかった。

今の担任からマニュアルを取ったら何も残らないのではないだろうか。
目の前にいない人、向かい合ってくれてない人が何を言おうが、
子どもが聞くわけもない。


娘はもう完全に担任を小馬鹿にしている。
「親が教師を軽んじる事を言わない」というのが我が家の教育方針ではあるのだが、今回ばかりは難しいかもしれない。

帰って娘に本当はどんな事があったのかを聞いた。
皆と校庭で遊んでいると、いつもちょっかいを出してくる隣のクラスの子達が近づいてきた。
そこで隣のクラスの女子の一人が、リーダー格の男子に「あの子とあの子にボールを当てて」と2人の女子を指差し命令したのだそうだ。
力いっぱい蹴られたボールは狙われた子の足や顔面に直撃。
他の男子達も次々に見境なしに女の子を狙い大騒ぎとなり、娘はボールを当てられながらもすぐに教室に担任を呼びに走った。
「先生、校庭でボールを人に蹴る人がいて大変なんです。すぐ来て下さい!」
しかし担任は、「ああ、そう」とあしらって、仕事を続けていたという。いくら呼んでも。
その仕事とは、参観の授業の準備。
ひどくボールを当てられた何人かは保健室に行き手当てを受けて午後の授業に出たが、一人戻ってこず、遅れて来た子がいた。
ボールを蹴るのをやめさそうとボールを持って逃げた子だった。
男の子達に追いかけられて直接暴力を振るわれ、トイレに逃げ込んで篭っていたのだ。
そして授業中に保健室に行った子は、友達が酷い目にあっているのを止めようとしても何もできなかったと自分を責めて責めて泣き続けていたのだと娘が話してくれた。

「まず自分がどうあるべきか」を生徒に指導した結果がこれだ。
子ども達は肉体のダメージだけでなく、心にも大きな傷を負ってしまったのだが、学校はいったいどこまでを事実確認できるというのだろう。
多人数の合致した証言が揃わないとなかったことにされてしまうのなら。


学校と話し合うべきことはない。
私の覚悟は決まってる。
もし、私の娘が暴力を受けてかすり傷一つでもついたら、即、刑事事件。

また、せっかく先生が「まず自分がどうあるべきか」を生徒に任せると言ってくれてるのだから、
娘にも思いっきり暴れて来いと言ってある。
ムチャクチャ腹が立つなら、学校中の窓ガラスをブチ割るぐらいしてもかまわんと。
そうしたら、その“事実”は、なかったことにはできないのだから。

「お母さんと一緒に戦争しようや!面白いでぇ」
「おー、やろうやろう!」
大げさに過激に騒いで、弱いもの虐めしかできない小物がブッタマゲルぐらいのどでかい花火を打ち上げてやるという気持ちはいつでもある。

学校ができないことをどこまで親ができるか、するか。
子どもにできないことをどこまで大人ができるか、するか。
結局、それを子どもは見ている。

見られていることを、忘れるな。

どこで一発カマしたるか、それを考えるとにやけてきていけない。(笑)

「必要」が人を育てる

かずこ先生の言われるとおり、子は親の背中を見て育つもの。

そういえば“子供は親のいう通りにはしない。親のする通りにする。”
なんて格言?も聞いたことがある。

私と夫のありようを手本にしたら来る嫁さんが苦労しそう。
いや、今どきの娘は苦労したくないから、はなから来ないか。

さてさて・・・

よし、路線変更。
夫をこき使おう。
そして、夫から子ども達に指示を出してもらう。
女王と領主と小作農のシステムで
妻の理想郷を築く一大プロジェクトを発動だ!

しかし、いずれはそれぞれ自国を統治しなきゃなんないんだから、
いつまでも指示待ちじゃ困る。
だけど、やってくれる人がいる限り、
なかなか「自分がやらなくちゃ」とは思えないもの。
かく言う私もそうだった。
必要こそが人を育てる。

ということで、「必要」を作ってやるのも母の愛。
やってくれる人がいちゃいけないのよ。
たまに私が家を空けて不自由すれば、どうしたって動かざるを得ない。
空気のように当たり前に思ってたものが、当たり前じゃないって知らなくちゃ。
夫は自分が家事が不得手なのを、
「やり慣れてないからたまにやると大変なだけで、
毎日やって慣れてる人にとっては造作もない事だろう」
なんて言うけど、とんでもないから!
だったら慣れるまで、
片手間でチョチョイノチョイっと出来るようになるまでやってみろってんだ。
「男と女は違うから」なんて言い訳は聞かんからな!
・・・ああ、いかんいかん・・・。つい怒りが込み上げてきて興奮してしまった。

話を元に戻して、と、
必要こそが人を育てる。
そして、必要を作ってやるのも母の愛。

だから、私はお出かけするのよ。
年二回、和歌山に。
そして大阪、東京、岡山、香川にも行ったな。
この夏は沖縄行けるかまだわからないけど、来年は運が良ければフランスとかね。
これもすべて、深く大きい母の、妻の、愛ゆえの行動。

お出かけする私の背中を見て育ってちょうだい。子ども達よ。
自分がイキイキできる場所を見つけて、やりたいことやって、
自由に羽ばたいてねえぇぇぇ~~~。

結局、そこに持ってきたかー!!(笑)

誰の生活?誰の家庭?

生活自体を趣味として楽しんでるったって、
共同生活者の無理解には、やはりむかっ腹が立つ事多し。
時折、「誰の生活なんだ? 誰の家庭なんだ?」とブチ切れそうになる。
全部を私がやって当たり前だと思ってるから。

夕方、食事を作りながらあれしてこれしてと気忙しくしてて、ハッと気が付くと、
ジェンダー教育のテキストなんかでよく見かける、
男女の役割分担が不平等になっている例の図みたいな事になっている。
私一人が全部して、夫はビールを飲んで、子供達はそれぞれテレビを見たり、
ネットをしたり、本を読んだり、絵を描いたり。
まんまじゃん!
それで、「いちいち言わなきゃやらないのか、あんた達は!」と
指示することになるんだけど、
この家庭を作ったのは他でもない私なんだよね。

子ども達は「他所に行ったらちゃんとする」と言うけれど、いやいや、普段が出るよ。
日常は身に染みてるから。
まずいゾ。「親の顔が見たい」って言われる可能性大。
そうでなくても、本人が困る。
不便なく、一人で社会生活できるように躾け直さなきゃと思ってる今日この頃。

だけど、夫の躾け直しはもう諦めた。
昔、脱サラした夫と一緒に市内に事務所を借りて、子連れで通っていたことがある。
上の子は3歳、下の子は1歳。まだオムツをしていた頃。
私は隣の部屋で遊ぶ子どもに目を配りながら仕事して、
お昼は持参したご飯とおかずを食べ、夕方に買い物、
一緒に帰って食事の仕度をするのが日々のパターンだった。
パソコンを買ったばかりで、仕事に使えるように毎朝4時起きで勉強もしていた。
家事は負担ではあっても、やらなければならないこと。
会社を共同経営なのと同じく、家庭も共同運営のつもりだったのだが・・・
買い物に行く前に「今夜、何を食べたい?」と声をかけたら、
「仕事中につまらん事を聞くな」なんて言うし、
仕事場に子どもがいるとやりにくいってことにもなってくるし、
「それじゃあ、仕事もして子育てもしてる私はどうなの?」って事になるじゃない。
「男と女は違うから」ってのが彼の答え。
そこでもう諦めた。

子ども達には自立させる責任があるけれど、夫には責任ないもの。
私が死んだら、後を追ってちょうだいねってことで。
まあ、いなきゃいないでなんとかするんだろうけど。
結局、これも私の趣味の問題なのね。

主婦の一日

【仕事のある日】
朝、7時起床。
朝食準備。高校生の弁当の仕度。
ざっと片付け。洗濯物を外に干し、5分で身支度。
夫の車で出勤。
4時半退社。
電車に飛び乗り、駅からJR。バスを待つ間にスーパーで買い物。
6人分の食材の入ったレジ袋を両手にバスに乗って約30分。
下車して徒歩で坂道を上がり家に帰りつくのが6時20分頃。
子どもに洗濯物たたみと風呂掃除を指示して掃除機をかけ、夕食の仕度。
手間がかからない料理の時にはパンを作る。
8時過ぎから食事。子どもに片づけを任せてお風呂。
洗濯機を回して、あれやこれやで12時近く。
就眠。

【仕事のない日】
朝、7時起床。
朝食準備。高校生の弁当の仕度。
夫を見送り、庭木の手入れ、雑草取り。
食器洗い、布団干し、洗濯、風呂みがき、トイレ掃除、エアコン内部の掃除、
アルバムの整理、縫い物・繕い物、部屋の模様替え、etc.
やればやるほどいくらでも家事はある。
その他、銀行や役場へ手続きに行ったり、頼まれた買い物等、もろもろ雑事。
その合間に、自治会の仕事、育成会の仕事、PTAの仕事。
石鹸作り、パン作り、果実酒作り、ゆかた作り。

毎日毎日脱衣所は洗濯物の山。
気が付くと散らかっていて、部屋の隅に埃と猫の毛。
湿気の多い家は、カビとの戦い。
害虫退治と予防もなかなか大変。
貯金は貯まらないのに、ゴミばかり溜まる。
ご近所付き合いも気苦労が多い。

どんなに頑張っても完璧さには程遠い。
だけど、やらないならやらないで、なんとかはなる。
忙しいといえば忙しいけれど、暇といえば暇?
充実していてお気楽な、そんな主婦の暮らしが私はけっこう気にいっている。
趣味で生きてる道楽者だもの。

今日は、コタツ布団を丸洗いして圧縮袋で収納したら、家中の衣替えをする予定。
バターも手に入ったことだし、美味しいアンパン作りに再チャレンジだ!

何をやってる?

今日、日野先生からの武禅の写真とアドバイスが届いた。

A4用紙に、個人宛ての気付きと注意と今後の方向。
これを何度も読み返し、噛み締めている。

先生の文章はいつもシンプルで平易だからとても読みやすい。
しかし、中身はとてつもなく濃い。
難しい言葉などいっそ使われていない短い文面に、
的確で深い内容が綴られ、強い力で迫ってくる。

問題を、欠点を目の前に突きつけられるのは、
何度味わっても、いくら覚悟してても痛い。

「私は一体何をやってるんだろう・・・」

ため息、なみだ目。
ズーンと地の底まで落ち込む落ち込む。。。

いろんな感情が湧いてきて、心がクルクルと様変わり。

   もう、やめちゃおうかな・・・

   だって、別に困ってないし・・・変われないし・・・

   ダメさにトドメさされるばっかで、いい事ないし・・・

   やっぱ私には無理っぽい・・・

   鈍感で愚図で臆病で孤独でも、もういいよ・・・

弱っちい弱っちい私の頭に、ウダウダと後ろ向きな事が浮かぶ。

もちろん本気ではない。
自分で自分に愚痴をこぼし、自分で自分を慰め励ます一種の儀式のようなものかな。

なんたる無意味。なんて低レベル。ああ、アホくさい!
本当に「何をやっているか」をまったくわかってないじゃないか!!
どこまでいっても“自分だけ”かい!!!!

今夜は布団を頭からかぶってもう寝よう。

そして明日は「では どうするか」で飛び起きるんだ!

タケノコの食べ方

武禅で食べたかずこ先生のお手製の筍の煮物は、とても美味しかった。

私が住んでいる所は田舎なので毎年5月初旬には筍がゴッソリ採れる。
しかし、どうも私の作る筍料理はエグさが残ってしまうのだった。
ゴールデンウイークには夫が子供達と遊びに来てた甥と姪を一緒に山歩きに連れだして、大小の筍を15本も持って帰ってくれたので、あの味を子ども達にも食べさせてやりたいと思い、初めてエグくならない正しいあく抜きの方法を調べてみた。
どうやらこれまで私がやってた方法は間違いだらけだったようだ。
皮を剥いてたのが×。
茹でる時間が×。
すぐに水で冷ますのが×。
料理下手な母に教わったのが敗因だったと、この歳になって気付くとは。
とりあえず精米機でガンガン米を精米して糠を作り、家中の鍋を総動員(といっても、4つしかないけど)して、今回きちんと正しい手順であく抜きをしてみた。
たけのこ
何本かを妹に持って帰らせて、我が家ではまずは煮物を作る。
これまでになく柔らかく、エグみもなく、しっかり味が染みている。
娘は「これまでの100倍美味しい!!」なんて言う。
すかさず「じゃあ、これまでは100倍不味かったということか」と突っ込みを入れる息子。
そう言われても仕方ないから苦笑するしかない。適当自己流では出せなかった味だもの。
何事も基本は大切。
筍はその後、炊き込みご飯、てんぷら、酢豚と姿を変えて、全部きれいになくなった。
タケノコ料理

ご指名はいりましたぁ

町内で“困ったチャン”がわけのわからないゴタゴタを引き起こしたせいで、
自治会はしばし休会状態になっていた。
先月末にあった総会では新会長が決まらず、土曜の夜に再度の臨時総会。
しかし、やはり立候補は出ないし、推薦もない。
続く膠着状態。無意味な沈黙。重い空気。誰も動かず時間だけが過ぎる。。。
誰かが何とかしなくては・・・・でも、誰も何もしない。
で結局動くのは、前会長しかいないんだよね。
条件付でなら、もう一年会長をやってもいいと提案。
その条件というのは、指名した役員は引き受けるか、
断る場合はその人が代わりを引っ張ってくる事というもの。
他に方法はないんだから反対の出ようもなく、賛成者多数で可決。
それは良かったのだけど、
しかし、また私が役員に指名されてしまうなんて・・・
しかも今度は特にやる事の決まっていない相談役ではなくて、書記。
聞いてないよ~。「ゴメンのぉ」じゃないよ~。
今年はやっと解放されると思っていたのに、まだまだ楽をさせてもらえないみたい。
ま、そんな予感はしてたんだけど。
しゃあないな。
もう一年、頑張るっきゃないわね。
080512_2053~0001

ろくでもない性格

エゴグラムによる性格診断をやってみた。
私というのは、こんな性格らしい。

1.性格
責任感や使命感の薄さが目立ち、興味本位の生き方をしている傾向の強いタイプです。好奇心や本能的欲望に振り回されやすく、自分は今何をすべきかと云う事が、良く掴めていないタイプであるとも言えます。人は人、自分は自分と割り切っていて、他人の言動には、殆ど干渉しないでしょう。又、一寸変った面白い事でも有ると、すぐに付和雷同する傾向がある、御祭り好きの楽観主義者です。今後は、もう少ししっかりした目で、社会機構や自、他の言動と云うものを見直して行く必要が有ると思います。

2.恋愛・結婚
趣味や嗜好、ギャンブルなどの延長線上に恋愛や結婚もあると云ったタイプです。うっかりすると、一体何が本命なのか、見当の付かないような事になり兼ねませんので、いい加減な考えで、恋愛や結婚をしない事が、貴方の為でもあるし、相手の為でもあります。貴方の場合は、恋愛や結婚を深刻なくらい真面目に取り組んで、丁度良い按配だと思います。

3.職業適性
無味乾燥な堅い職業を避ける事が、先ず第一です。例えば、警察官、刑務官、検事、判事、弁護士などのような治安や法律関係の仕事。キーパンチャー、オペレーター、単純労働者のような仕事です。貴方に向いていそうな職業は、落語家、漫才師、コメディアン、漫画家、エロ文学作家などに代表される、軟派の芸能、芸術、文芸家とか、企画宣伝などの仕事のように思えます。

4.対人関係
人付き合いにおいて、最も心すべき点は、人を騙したり、騙されたりしない事だと思います。自、他共に甘い点と、正義感に欠ける面が有って、自由奔放で我儘な貴方のようなタイプが、最も陥ち入りやすい弱点だからです。

ろくでもない奴っちゃ。

続きを読む

影と語る

やあ、久しぶり。

また出てきたね。

知って欲しい
   理解して欲しい
      慰めて欲しい
         味方について欲しい・・・・・・の気持ち。

誰にも言わずに済んで良かった。
ギリギリ危ないところだったけど。(笑)

うん。
誰にもわかってもらう必要なんかない。

この胸の痛みは私が知ってればいい。

一人で抱きしめていてあげヨ。
じっと見つめて、大事に大事に。

他の誰でもない、私のコトなんだもの。

オーブンが小さくて

葡萄みたいなブドウパンができちゃいました。
ぶどうパン
こちらはシュガーツイスト。食べると手がギトギトになります。
シュガーツイスト
丸い型なら膨れても大丈夫かと思ってやったらやっぱり焦げた、黒糖パン。
黒糖パン

半額商品大好き!今日はクリームチーズを買ったので、チーズケーキを焼きました。
大成功~~~!
チーズケーキ1  チーズケーキ

自然に意味を付ける者たち

宗教の人、曰く
「こんなふうに自然に、木があって、葉があって、花が咲いて、虫や鳥やさまざまな動物達がいて、というのが偶然に出来たものだと思いますか?」
「それを見て人間はなぜ『美しいな』と感じるんでしょう?」
「人間だけが感じる心を持っているのって、不思議だと思いませんか?」

だから、あんたはそれが神の摂理だと仰りたいわけね?

偶然ではなく、必然。
この壮大なる大自然は、全てが神が計画して作りたもうたものなれば、我々人類は、神がその長たる者として特別に愛で恩恵を授けられていることに報いて、神に感謝し、敬い、シナリオに従って生きていくのが幸せである、と、そういうことでしょ?

でもさ、

人間が自然を見て「美しい」と感じるなんて、当たり前じゃん。

だって、人間も自然の一部なんだから。

過酷な環境を取り込み、慣れ、自らを改良し、時には戦い制圧し、命を繋いできた物の一形態として、自己や仲間を肯定しなくって、どうして次に続ける事ができる?
そういうふうにできているからこうしていられるだけで、そうなってなかったらこうなってないという、単なる偶然の産物でいいじゃない。
「それじゃいやだ」という不満の裏に何がある?

それに、人間だけが感じる心があるってのも間違い。

生命維持に必要な部分を中心に、それを取り巻くように脳を重ねてきたのが生物の進化。
とにかく生きるのが一番で、「いかに」というのは、ずーっと後になって備わった新機能なわけよ。
自然淘汰に任せるのでなく、有利な条件を探して行動する知恵で、そこに感情も芽生えた。
言語野が発達しているのは人間だけなので、「美」という言葉にするけれど、要はそれを見ると「心地いい」ってだけのことでしょ。
「快」よ、「快」。わかる?
どの生き物も持ってるの!

神が創ったからありがたがるんじゃなくて、命の存在自体の神秘と神々しさの前に我々はひれ伏し、感謝し敬い大事にすべきなんじゃないですか、と私は問いたいんだよ。

どこかの誰かさんがこしらえた洗脳ツールのテキストなんか頼んでもないのに配ってくれるな!

進化論を否定して人類は6000年前に神が土くれをコネコネして作ったなんて説はとっくの昔に論破したはずなんだけど、次々新しい奴がくるから嫌になっちゃう。
同じ話をするのも面倒くさいからもうしないけど。

宗教はキ印だから、同じ団地に何人かいることもあって怒らせるわけにもいかないしね。
困るんだよね。

“むしんろん”でございます

時々、宗教が回ってきては小冊子を置いていく。
面倒なので適当に受け取ってはゴミ箱にポイ。一瞥もしない。
郵便受けに入れておいてくれれば簡単なのだが、どうも話がしたいらしい。
どうしてこういう奴らは他人の貴重な時間を平気で奪って当然みたいな顔をしているのだろう。
良い事を教えてあげてるんだからいいでしょ、という驕りか。
「お話できて嬉しいです」と言われても、私は嬉しくない。興味ないもの。
「聞いてくださってありがとう」と言うけれど、
「お時間をよろしいですか?」の一言すらなくての感謝の言葉は空しい。
勝手に喋って勝手に満足して帰ってくれればまだいいが、たまに質問されるのがうっとうしい。
昨日は、「これから世の中が良くなっていくと思われますか?」とか、
「科学的な常識、例えば進化論とかの情報を信じていらっしゃいますか?」などをいきなり聞かれた。
私は家族や友人同士でこういう話をするのは嫌いじゃない。
しかし、なぜどこの誰べえとも知らない人と玄関先でそんな会話をせにゃならんのだ。
奴らが「信じられるものがない世の中で神だけは絶対」と持って行きたいのは見え見え。ゲーッ。
「何も信じてませんから」と言うと、
「無“神”論ですか?」と聞かれたので、
「ええ、無“信”論です」と答えた。
奴らにはその違いはわかるまい。わからせたいとも思わないが。
信じてないのは神だけじゃない。
自分自身すら、明日の私がどうなってるかわからないのに、誰かや何かを信じるなんて無理。
常識なんかコロコロ変わる。
良いと言われてた物が害だったり、悪いとされていたものに益があったり。
信頼は裏切られ、ブランドは地に落ちて、絶対の安心安全確実なんかどこを探したってありゃしない。
“信じられるモノ”など何もない。
唯一の真実はただ、今、感じていることだけ。それをどう選択するかだけだ。
ということで、私に腹立たしさという疑いようもない事実とゴミを残して神の使いは帰って行った。

第79回「武禅一の行行会」2─ほどける場所

日野武道研究所の前にあるしだれ桜はまだ咲いていた。
前々から、これが見たいと思っていた。
もう葉も出て終わりかけだが、春の風情を残す色が
始まる前の気負いや恐れを和らげてくれる。
P1040216.jpg

「こんにちは」 「お世話になりますっ!」
玄関に足を踏み入れると、懐かしい空気に包まれ、
「ああっ、帰って来た」という気になる。
私はいつもそう思うのだ。なぜか始めて来た時から。

中に入った途端に身体の感覚が変わるのに気付く。
前々日のバスツアーで凝り気味だった首、
前日の靴擦れした足で歩いた筋肉痛などは感じていたのだが、
心地良さに、ふうっと力が抜けるとそれらは薄れ、
むしろ背中の筋肉が突っ張っているのを感じた。
雑多なストレスに慣れていた大雑把な感覚が、
隅々まで気を配られた清浄な空間の中でほどけ、
身体センサーの感度がアップでもするかのごとく。

見るもの、聞くもの、触れるもの、その全てのほんのちょっとしたことに、
我々に自覚がなくても、身体は自然に違和感を察知しストレスを受けるもの。
しかし、慢性化すると変化を変化として感じられなくなる。
雑の中では神経も雑になってゆく。
ここはそれをリセットしてくれる場所。そんな気がする。

これが私にとって非日常ではなく日常にできれば
どんなにか心静かにして鋭敏でいられるだろうか。
訪れるたびに自宅を少しでも近づけたいと決意を新たにするのだけれど、
気がつくと散らかっている。
頭の中も心も身体も乱雑だからそうなり、
その環境がまた自分に影響してくるといった具合に、切り離せない。
P1040226.jpg P1040232.jpg P1040236.jpg

住まいを見ると、その人がわかる。
この建物は、そのまま日野先生と数子先生お2人のカタチ。
その中での二泊三日だ。
全身をスポンジのようにあらゆることを吸収しないと勿体ない。

波動エネルギーって何?

よくスーパーなどに水を汲む場所がある。
専用の容器を持っていって、カード会員なら無料とか、2ℓが50円とか。
アルカリイオン水、電解還元水、ピュアウォーターとか種類はいろいろあるけれど、
先日行ったスーパーではまた違う、なんちゃら活性水ってな名前のものが置いてあった。
他の水との成分の比較表が貼られていて、
この水は、トリハロメタンはじめ有害な科学物質から菌まで除去した上に、
ミネラル分などのおいしさ成分は残した体に良い水とのこと。
それはまあ「ふーん」って感じで見ていたのだが、目が留まったのは一つの項目。

「波動エネルギーが豊富に含まれています」

はて、波動エネルギーって何だ?

スピリチュアルな人がよく「波動」「波動」と言うけれど、あれか?

機械で水に添加できるのか?

それとも能力者が「ム~~~~ン」と込めるのか?

それを飲むと何かいいことあるのか?

疑問に思ったことは即、調べるが私の信条。

ネットで検索したところによると、
波動とは、もともとバイブレーション(振動)という意味の一つにあった
「いい感じ・悪い感じ」という使われ方が、
訳す際に「良い波動・悪い波動」と誤訳されたために
ニュアンスが変わって広まったと言う経緯があるらしい。

日本にはもともと東洋的な「気」という概念があったので、
それに西洋科学のお墨付きが得られたかのように誤解して、あるいはこじつけて
利用したかった人たちがいたのだろう。
(いろんな新興宗教や自己啓発セミナー真っ盛りの80年代ぐらいかな)

以来、波動エネルギーという言葉をあちこちで耳にして、
すっかり定着しているような気になっているが、
どうもその明確な定義は今のところはないというのが実態のようだ。
ある人は宇宙から降り注ぐエネルギーだと言い、ある人は土地のエネルギーだと言い、
ある人は鉱石から出ると言い、生体の放つエネルギーと言う人もいるといったふうに。
波動エネルギー測定器というものも数多く販売されてはいても、
何を測定しているかはまちまちで、結局謎、というのが笑える。

確かなものは、物理的な波によるエネルギーだけなのだが、
それを水に込めるとは、さぞかしよく振ってあるのだろう。(笑)

参考
>あと200年ほど待つと、イスカンダルから技術移転がある予定です
は、ナイス!!

さてと、「いい感じ」のお茶でも飲もう。

第79回「武禅一の行行会」1─やらないことリスト

私が武禅に参加するのはこれが4回目。
これまで毎回、自分の中で「これをクリアしたい」「ここをわかるようになりたい」とのテーマを持って行って行くようにしていたのだが、この度からそれはやめた。
その代わり、「これだけはしないでおこう」と決めていたものはいくつか。

・こうあるべきとの思い込みはしない。

・過去の体験を再現しようとしない。

・出来ない理由を探さない。

・出来た事を否定しない。

・自分に求められる役目から逃げない。

それら全部がこれまでの苦い失敗を踏まえての上。

とにかく今、今の生の体験をしなければ意味がない。

頭空っぽ。
目指す方向はなし。
立ち位置ニュートラル。
そんでもって、おもろければなんでも有り!

さあ、真剣に遊ぼうやないか!

生徒の責任

なんだか急にアクセス数が増えてる?と思ったら、なんと、日野先生の日記「サムライなこころ」からリンクを貼っていただいてました。
山の手事情社さん、青山繁晴さん、息子の一輝さんのページの中に、ここの武禅体験記が並べていただけるとは、感激至極!!
だけど、責任重大!!
小躍りしつつも、胃が痛い・・・、と。(笑)
ドラムソロコンサートのお手伝いに行かれた大阪と東京の武道塾の生徒さんたちも、自分達の一挙手一投足が「日野武道」の評価に繋がるとの誇りと責任を持って任に当たったと聞いていますが、それに近い感じかもしれません。
緊張してガチガチになっても仕方ないから、私の場合、このまま等身大で行くしかないのだけれど、自分のあり方の「型」を持てるのは人として幸せなことだなと思います。

おはし

昨日からまた妹の子どもたちが泊まりに来ている。
夕食に焼肉をした。
姪っ子が焼肉プレートの溝に挟まって落ちかかった肉を取ろうとしている手元がどうも奇妙だ。
「お箸の持ち方、おかしくない?」と聞くと、
「そうなの。私、こんな持ち方になってしまうの」と見せてくれた手は、指が伸びておらず、人差し指と中指の間に親指が入っているような理屈に合わない変なものだった。
それでは小豆なんか到底つまめないだろうと思うのだが、「結構上手」と言うのだから、器用さには感心する。
慣れとはそうしたものだろう。箸を使う事においては不便はしていない。
しかし、やはりそのままにはしておけないので、正しい箸の持ち方を教える。
ぎこちなく難しそうだが、それを注意して繰り返し慣れさせていくほかないのだ。
「ほら、指がきれいに見える。すごく上品!」と褒めて頑張る気を誘いながら、
「お箸の持ち方が悪いと大きくなってから恥ずかしいからね。育ちが悪いと印象付けたら、損するよ」と話をした。

しかし姪っ子は素直に聞いてくれているのに、なぜか次男が反論してくるのは意外だった。
「そんなの関係ないじゃん。お箸の持ち方がどうだろうと、本人がやり易ければそれでいいじゃない。他人がどう見るかなんて勝手にさせとけば?どうでもいいことだよ」と口を挟んでくる。
「それは違う!」
大人には子どもへの責任がある。なぜ細かい事に注意するのか、なぜそれが大事なのか、社会に出て判断されるのはどこなのかを徹底的に言って聞かす。
むろん奴には返す言葉などない。
「そんなもんですかねぇ」「どうでもいいじゃん」で応戦して、遂には「はいはい」と反抗心は残しつつも白旗がいつものパターン。
「『はい』は一回!!」と言ったが返事なし。
こんのぉ、クソ餓鬼が!

と、思わぬところで横槍が入ったが、奴との会話を聞いて、姪っ子がより改善していく必要性を感じてくれたとしたらいいのだが。

「○○(私の妹)の箸の持ち方も悪かったよね?」と姪っ子に聞くと、
「うん。お母さんの持ち方は私と同じ」と言う。
親が持ち方間違ってるんだったら、正しい持ち方を教える事はできないのも当然だ。
そういえば、我々の母も箸の持ち方が変だった。そう、まさに彼女の手のように。
同じ親から育てられたのだが、私の場合、母が自分のようにはさせまいと半端なく厳しく育ててくれたのが良かったのかもしれない。
ご飯の時は必ず正座。ひじをついたりしたら即座にピシャリ。箸の正しい持ち方もうるさかった覚えがある。
「お母さんはもう直らないけど、子どもには同じ思いをさせたくないから」と言いながら。
妹は私と10歳違いで、可愛い可愛いだけで育てられた。
幼い頃は、私の時の育て方とのあまりの違いに不公平感を持ったものだが、今となっては、妹は可哀想だったのかもしれないと思う。
そうやって甘やかされて育った妹は、親が大嫌いだと言うし。

今夜は妹も泊まりに来る。
久々に一緒に酒を飲む。
箸の持ち方を特訓してやろう。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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