復讐

やられたことをやり返すのだと言う。

破られた約束は守ってやる必要はない。
そこまではいい。

だけど、嫌な事をされたからと、
同じように嫌な事をして返すのはどうかな。


「正当防衛よ」

いいえ、それは防衛じゃない。


「やられなきゃ相手はわからないでしょ」

やったらわかるの? 
自分が何をやってるか。どれだけ人に嫌な思いをさせてるか。
今、わかってないと思う?
悪い事をしていると知らない人なら、
「私がやってきたことを誰にも言っちゃダメ」なんて言わないはずだよね。


「だって、やられっぱなしなんて悔しい」

やり返したら悔しさはなくなる?
そのことによって幸せになる人はいる?
あなたは楽しい? 誰か喜ぶ?


汚い人達のために、汚れてやることはない。
醜さに醜さで対抗したら、自分も同類。

他人を貶める事を考えるより、自分を高める方を向いていようよ。

ね。

俺について来い!

「ド根性」の時代は遠く過ぎ去り、軽く軟弱な人が増えている昨今、我が息子ももちろんその一人。
どんな仕事でも働くという事は甘くはないわけで、弱音も出る。
特に長男のバイト先は田舎ではあるけれど場所が良く、市内でも一二の売り上げがあると言われている所。
メチャクチャ忙しい上に仕事の種類も多く、またいろんなタイプのお客さんが来るので、体力的にも精神的にもキツイ。
不眠不休24時間365日営業のコンビニ。
店長はここ何年かの間、改築のため店を閉めた事はあっても休みをとったことはないそうで、自分に厳しい分、従業員にも厳しい。
息子は「あーあ、ここの店じゃなくて隣町のセブンだったら楽だったのに。お喋りしてても怒られないって言うし、仕事も少ないし。失敗したな・・・」などと、よく愚痴る。
しかし、そういう職場の方が人間的には鍛えられるので、親としてみれば喜ばしい。
楽して金が儲かるなどと最初に植えつけられた人間は、ろくな事にはならない。

息子は本音のところでは、もう辞めたいらしい。
しかし、あらかじめ店長に「辞めるなよ」と言われてしまっているので辞められないとこぼす。
これまで挫けやすく続かない若者と数多く接してきたであろう店長さんのこれまでの苦労が偲ばれる。

鍛えてやっと使い物になるかという時に辞めるパターンは、なにもバイトに限らず、企業に就職した正社員にでも多いと聞く。
ちょっと嫌な事があるとすぐ欠勤、プレッシャーですぐ鬱病、ストレスですぐ退職。
繊細な若手社員の心を傷つけないように、企業側の方で細心の注意を払いながら仕事をしていただく状態の所もあるとか。
冗談じゃない。
なぜそうなのか。それが許されるからそうなっているだけのこと。
鍛えなきゃ強くはなれない。
鍛えるには逃げ道を塞ぐこと。追い詰められる事。

店長さんは「俺がしっかり教えるから、ついて来いよ!」と言ってくださるそうだ。
「そんなこと言われたら辞められない」と息子。
いい学びをさせてもらっていることがとてもありがたい。

そんな長男の姿を見てか、次男が職場体験の行き先をコンビニに決めてきた。
よりによって、長男のバイト先の真正面のライバル店。
兄に少しでも近づきたい、そして出来うる事なら競いたい、の表れ?と笑ってしまう。
なんにせよ、長男は次男の憧れになっているようだ。
家では同レベルでくだらないゲームの話しかしないくせに。
むしろ次男の方が要領が良く成績もいいし、しっかりと自己主張もして大人びて見える程なのに、やっぱりお兄ちゃんはお兄ちゃんということらしい。
兄は弟に「ついて来い」とは言っていないけれど。

これから先どうなっていくのか、何をやらかしてくれるのか。
子どもが親の手から離れつつあるこの時期、ますます面白い。

沖縄WS最終日

沖縄WSの最終日は、予想していた通りというかそれ以上に駆け足で時間が流れて行った。
さっき始まったばかりと思ったら、あっという間に身体塾が終わり、質問が休憩時間に半分食い込み、表現塾はもっと加速。
何かが出来るようになるわけではないとわかってはいるけど、少しぐらいは進歩できるんじゃないかという期待はいつもあっさりと裏切られる。クー・・・。

最終日の身体塾は、人の身体の不思議あれこれを実感して驚きの声があちこちから上がった。
筋肉を使って力で動かそうとすると、抵抗がかかるし衝突を生む。
力めば自分も痛いし疲れるし、相手も力ませ「なにくそ」と感情を刺激する事もある。
しかし、身体の自然の流れに任せれば、何も力を入れずどこも無理をせずに大きな力が出る。
「ねじれ」を力を抜いて戻すだけで。
そこには作為的なものは一切ないので、相手は動かされながらも「えっ?」とあっけにとられる。
「今、何が起こったの?」と呆然とし、見事な手品で騙された時のように、「うわー、やられたー。面白い~」と喜びさえ湧いて来る。
タネもシカケもあるのだけれど、それはなぜかはわからない。
ただ、そういうふうにできている。
人の身体はほんの少しの微細な変化も見事にキャッチし、反応する。
身体は天才。だけど頭は馬鹿なので何も感じない。
ここの差はあまりにも大きい。

馬鹿な頭は賢ぶり「わからないこと」を一所懸命考える。理屈を探す。答えを求める。
「なぜか」「なぜか」「なぜか」
一生やっとけや。ということになる。
「そういうふうにできている」ものをいかに多く見つけるかが、自分をより深く知ること。
すでにあるものを受け入れて「それならどうする?」を考える人だけが、自分の取り扱い方法を獲得して行けるのだ。

「なぜか」を考える頭人間は多い。
自分なりに組み立てた理論に身体を当てはめるような動きをやって、本来の稽古の意味から外れてしまう人もいる。
「これはこうなるべきだ!」という頑なさもまた、自覚なくやる癖のうち。
そういう人を見るたびに、「こんな所にも私がいる」と可笑しくなる。

自然な身体の反応が許せなくて、動きに抵抗を試みる人もいる。
踏ん張って絶対に動くまいとする、又は、相手を動かすまいと力を込める。
そんなことをやっているのではないという事がわからない。
「絶対に頑張ったらダメや。踏ん張ったらあかん」先生は言われる。
「それは、死にます」
動きを止めようと力んだ身体はもう動けない。
容易く屠られ、息の根を止められる。
先生から指摘を受ける人を見て、私の胸がズキズキ痛い。
「あー、私もやりましたぁ」
はい、頑張っちゃう人です。自我の塊です。すぐ殺されます。


強い力は実は弱く、相手に従う無力さこそが強いというパラドックス。
だから武道は面白い。だから、人間は面白い。

そして、表現塾の方でも、私を発見。

正面を合わせて「どうぞ~」の誘導をやっていた時。
直前まで向かい合って「なまむぎ」の様々なパターンをやった人と組んで、なんとなくはできているような感じにはなっていたのだが、シビアに言えば違うというのを感じてきていた。
先生が何度も「ガッチリ合わせなければいけない」「ほんの微細な動きでも崩れる」と強調されているほどに、本当に合っているのかといえば決してそうではないのには気付いてる。
このままなごやかな雰囲気を保てば互いに気持良いし、楽。
しかし、それは本当ではない。
自分と相手を大事にしているか?
我々の時間とお金とチャンスは、ぬるい心地よさと引き換えになどできないものだ。
感じたこと、気づいた事を口にするようになると、相手は困惑し次第に表情を曇らせていく。
私も何がマズい、どこをどうしたらとかの指摘が的を射てるとは言えなくて、ただ、違うのだけは感じているという状態だから、工夫がすべてから回り。
努力してもうまくいかない状態は辛い。
周囲は皆できていて楽しく笑い合っているというのに。
ついにペアの彼女の口からこんな言葉が出た。
「私が何をやっても受け止めてもらえてない、拒絶されているような感じを受けます」
彼女の気持ちはとてもよくわかった。
それは時々私が感じてしまうことだから。
他の優しい人と組めばきっと上手くいくはずなのに、この相手だから出来なくされているという苛立ち。
何を求めているかがあいまいだと湧いて来る思いなのかもしれない。
この場で成功したいのか、本当に出来る自分になりたいのか。

出来る事を出来る範囲内で無理なくやっていたのでは稽古にならない。
限界を超え、出来ない事をやろうとするから進歩がある。
試行錯誤をすることがないのなら、それは何もやってはいないのだ。

今回は曖昧で態度を決め切れなかった私が悪い。
けれど、お陰で私の表にはっきり出てきていなかった思い違いと歪みに気付くことができた。
他人というのはどんなときでも、鏡であり、最高の師としてそこにいてくれる。
ありがとうございます。


先生、一緒に稽古した皆さん、充実した三日間をどうもありがとうございました。
次に来る時には、もっと肩と目の力を抜いて(笑)、もっとエネルギッシュになって来ますね。
沖縄、大好き!
みんな、最高!!
お元気で。
また会いましょう!!!
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沖縄の空気

 リクエストにお応えして写真です。





  
 
 

沖縄2日目

2日目身体塾は、昨日組んだ人の後輩の方と組んだ。
やはり同じ仕事をされていて、「こうしますよ」「ここの力を抜いてください」という言葉が身についているので、「なんだか頼れる~」という印象を受ける。
腕ふり運動の応用から、ねじれ、ねじれを逃がす、全身のねじれ等をやった。
身体に興味がある人はいろいろと工夫をする。
うまくいかない理由を考え、どうやったらと自分で試し、相手への力の伝わり方を確認し、同じ方法で逆の立場をとってみることによって検証する。
人へのアドバイスは、実は自分の動きを分析しているのと同じだから、自分が「こうしたら上手くいった」と思っている事が通用しない時は、何かが間違っていると気づける。
もしかしたら、上手くいっていないのかもしれない。
もしかしたら、注意して変えてみた部分ではない所が鍵かもしれない。
やっていると、自分が常日頃いかに自分の身体に無自覚であるかを思い知る。
それを自覚させてくれる他人の有り難さ。

表現塾では、「こんにちは」から「なまむぎ」へ。
大きな声を出せばいいわけではないが、とにかくテンションを上げるため、大声を張り上げ、オーバーアクションを心がけた。
初めて見て「ええっ、そんなにも?」と引いたり笑ったりしていた人も、やってるうちに「楽しくなってきた」と表情がどんどん明るくなってくる。
「もう、これ以上の声は出ない」はずだった人がいつの間にか、「あれ?出るね」

休憩を挟んで、次に組んだ人はまた前のメンバーとは違う人で、私が調子に乗って大声を出していると今度は怖がられてしまった。
「目が怖いです」「大声が怖いです」
目は日野先生からもよく注意をされる。それこそ無自覚に力の入ってしまう場所。
人の嫌がる事をしながら「私の声を聞け!」もないもんだ。
目をあまり見開かないように、声も抑え目にして、それでエネルギーだけ届けるにはどうしたらいいか。
これもまた工夫。
相手の方は、声が小さくて表情も硬いのだけれど、切実な真剣さをまっすぐ向けてくる人。
怖くない目にするにはと私が悩んでいると、「ちょっと目をつぶってやってみてくれませんか」と言われ、その通りにしてみる。
相手の目を見ないと、どこに向けているのかわからなくて私は不安でまったく自信はないのだけれど、それでも強いものは伝わってくると言われるので、しばらく続ける。
あちらからの「こんにちは」には、声をすべて包み込んで全身で受け止める気持ちを表しながら。
そのうち彼女の顔が柔らかくなり、笑顔がこぼれだした。
「なんだか、楽しくなってきました」
その顔を見て「私も楽しいです」
そして「目をあけて言ってみてもいいですよ」と言われ、そうしてみると、「この目は怖くないです」。
先ほどの力を抜いてやってみて駄目だった目と今の目と、どう違うのか私にはわからない。
だけど、「今は柔らかい目です」と言われる。
私からすると、表情が柔らかくなったのはあちらだと思うのだけれど。
正面を合わせるうちに、互いにほぐれて、互いに柔らかく、互いに楽しくなったのかなと笑いあう。
嬉しくてくすぐったい気分。

正面合わせての「どうぞ~」も、引き続きその彼女との稽古。
「ホンマかいな」と思うぐらい、スムーズにできる。
それを見ていた周囲の人が「お願いします」と次々にやってきては試してみる。
先ほど「なまむぎ」の応酬をやった人たちからは「ぽあんさんにパワーをもらいましたよ」と言ってもらうしで、「こちらこそ、こんな中途半端な私に対してそんなにも素直に受け止めてもらって」と、どうしていいのかわからなくなる。
純粋な心の人たちが私に教えてくれた事は今ここには書かないのだけれど、沖縄に来て良かった。
この人たちと接する事ができて良かったと思う。

沖縄ワークショップもあと一日。
きっといつものように、あっという間に終わるだろうと私は知っている。
どれだけ濃密な時間にするかが勝負。

よろしくお願いします!

沖縄初日

19日、キジムナーフェスタ開幕。
身体塾は13:00から。
会場のコザ運動公園までは私のホテルから少し歩くようなので1時間前に出発。
暑い。が、日中の温度は広島とあまり変わらないように感じる。
いつも強い風が吹いているので、かえって気持ちがいいぐらいだ。
・・・・・・・・と思ったのは最初だけ。
地図で見るのより運動公園ははるかに遠く、沖縄の日差しはあまりにも強かった。
武道館に着くころには、真っ赤っかの塩茹でタコの一丁上がり。
早く日野先生に挨拶に行きたいのに、汗がひかなくて参った。

初日の身体塾の参加者は80数人。
午前からのバレエワークショップから続けて受講する人も多いらしい。
また、当日かけこみでの参加者も10人ぐらい。
一般の人で何も知らなくても、とにかく「身体の動かし方を教えてくれる」というので興味を持って来たという話をされてる方がちらほら。
うん、確かにここでは「身体の動かし方」をやる。
だけどそれは普通に言われるところの体操とかテクニックとかではないんだよなぁ、と、ニカニカしてしまう。
初参加の人が自分が自分で思うような動き方ができていないという事を知った時の驚きを思うと、つい。
はたしてワークショップは、日野先生の「どうして身体は動く?」という問いかけから始まった。

日野身体理論の基本は姿勢。
まずは、背骨を伸ばす胸骨の引き上げから入る。
ペアを組み、片方に胃の後ろあたりからグーっと持ち上げてもらうと感覚がつかめる。
私は組んだ人が100キロ以上の人だったので、ちょっと無理がある(笑)。
そして、その背中に手を当てたままで歩くということをやった。
触れて歩く。
ただそれだけのことでも、触れられてる人には、その手の相手が自分を感じてくれているか、余所見をして自分勝手にしているかがはっきり伝わってしまうという実験。
私の組んだ人は大男ではあるけれど、人に触れる仕事をされているだけあって手はとても繊細で、緊張している部分をすぐ見つけてくれる。
こういう駄目出しをしてくれる人と組むと、「じゃあこうしてみようか、いや違った、こうか?」といろいろ工夫ができるので面白い。
ただ、行き過ぎると、とんでもない方向にそれて、ほかの人とぜんぜん違う事をやってしまっていたなんて事にもなりかねないので、気をつけなければならないのだけれど。(今までの経験上)

その後、いつもの腕ふり運動。
運動自体はこれまでと同じ動きだけれど、その時々において、先生の細かな指示に違いがあるのがこの運動の特徴。
いや、運動に限らず、すべてその時の相手に合わせて変えていくからそうなのだろうが。
関係は生き物で常に変化しており、こうしてただ皆で腕を振っている時でも関係をし続けているのだから。

先生からの指示の差は、「ここを感じて」「こんなイメージで」といった小さな所なのだが、何度かやっている私にはその都度新たな発見があり、また混乱もする。
休憩時間にその点について、和子先生に質問してみた。
「以前はこう言われていたのに、今回言われた事と矛盾するんじゃないですか」
「それは工夫せんとな。どうやったらそれができるようになるのか」
とにかく数をこなすしかないということだ。
やってやってやり続けたら、「あっ」とわかる時がくる。
先生方は、この腕ふり体操を徹底して4年間やり続けたそうだ。
先生方の「やる」は半端じゃないわけで、ぬるい私には20年30年してもたどり着けない所だろうと思う。
「腕ふりだけで一生仕事ですね・・・」と遠い目になってしまった私に和子先生は、
「この体操は奥が深いで」と、目をキラキラさせて言われる。
「これには大切なものが全部入っていると言ってもいいかもしれない。これさえできたら、あと、全部わかる」
ええええええ!!!!そんなにスゴイの?
そう聞いて「よーし、頑張るぞ!」とがぜんやる気になる私。
「意味があるからやる」という所からいまだ抜けられず。(自爆)


一時間休憩をはさんで、16:00から表現塾。
こちらでは人との関係性がより重視される内容となっている。
まず、相手に従うという事から入る。
腕を持って引く。それに従う。ほんの少しの抵抗も違和感もあってはいけない。
「難しい」「できない」という声があちこちから上がる。
「当たり前や。難しい事をやってんのや。そんなんできるか。できんで当然や」と、これもまたいつものように先生は言われる。
すると、ちょっと今までに無い反応をする人がいた。
「あ、そうか。これはできないってことがわかればいいんですね。うん。だったらそれはもうわかりました」
と終わってしまう人。
「は?」 だ。
いや、やってもできないんだけどさ、少しでもできるように稽古しようや。
というか、私はしたいんだけど、それは無視?

そうかと思うと、軽々とできてしまう人もいる。
「できてる」「わー本当だ」「一体感がある」「軽~い」
本当にそうかなぁ? 

さてさて、いよいよ正面向かい合い。
「正面が合ったら、センターのラインに何か感じるから」
という先生からの指示だけで、まずやってみる。
またしても「わかる」「わからない」「そうです」「ちがいます」がすぐ始まる。
あれ?と、私は奇妙な感じがした。
人と正面が合った時のセンターの感覚、これって、皆、初めてじゃないのかな?と思ったのだ。
「うわ~~~、なにこれ!」「ええっ、本当?」との驚きが聞こえてこない。
「ふんふん」「こんな感じか」と、淡々としてるというか。

淡々としているわりに、疲れてしまうという人もいる。
「やろう」と声をかけても、「今は無理。休ませて」と。
面白くて「もっと、もっと」とならない人もいるのだなと、それもまた新しい発見ではあるのだけれど。

沖縄の人には強かで逞しくて生命力にあふれたラテンのイメージも持っていたのだけれど、どうもテンションが低いような気がする。
きっと内に秘めた情熱はものすごいのだろうけれど、それがバーンと外に出てきてないような。

10人が輪になって、次々に正面をあわせていくのをやった時、私は全員からOKをもらった。
皆が言うのには私は「目力が強い」のだそうだ。
そう言われる事は嬉しくはあるのだけれど、武禅の仲間や日野武道を続けている人が見たらどうだろうなと思うと、とても手放しで喜べない。
彼らには私がそう見えるぐらいまだわかっていないし、エネルギーを出すことに慣れていないだけなのだから。

明日の声を出す稽古では、全員が殻を破りはじけて会場がエネルギーの渦となることを期待しよう。
そして私も、もっと盛り上げなくては。
ここでの私の役割は、何だ?!



沖縄入り

朝8時半に家を出て、夕方無事、沖縄に到着した。

広島空港からは一日一往復しかしていないので、時間の関係上、福岡発着というプランを組んだ。
何しろ我が家はド田舎だ。
朝一番のバスは6時半で、JRの駅まで30分。そこから30分で広島駅。リムジンバスで空港まで50分。
どうやっても8時10分発の飛行機には乗れない。
タクシーで出るぐらいなら、福岡を昼に飛び立つ便にしたほうが時間的には都合が良い。
広島駅から福岡空港まで1時間ちょっとだもの。

予定通りにスムーズに来れたけれど、今回は荷物が重くてそれがもう大変だった。
まだワークショップも始まってないのに、肩こりバリバリ。
重かったのは、ノートパソコンを入れていたせい。
宿が無線LAN環境にあるということだったので、前日急遽、HPスペースにチャットcgiを設置して娘たちとの連絡用に使おうと持ってきた。
娘たちはまだ私がいないと寂しがってくれるから。
しかし、夕方長話をして「また後で」と言いながら寝てしまい、気がつくとこんな時間。
まあ、仕方ないか。。。


さあ、明日からギジムナーフェスタ。
同じフロアに泊まりの女の子3人組もそれ目的だと宿の人に聞いたが、どこのワークショップに参加だろうか。
身体塾・表現塾だと面白いのだが、どうかな。

沖縄は、私は23年前に勤めていた会社から社員旅行で来た以来。
その時は駆け足での観光地めぐりだったので、町並みや人をじっくり見ることがなかったように思う。
改めて見回すと、ここの景色にも人にも独特の雰囲気があるのを感じる。
看板は日本語だし、見慣れた店も多いのだけれど、建物が違う。
作り、色、あせ方、落書きのセンス。
植物も違う。
街路樹にしても庭木にしても、どの種類の木も枝が曲線的で葉が若干肉厚なのか重みを感じさせる。
近いけれど、違う。
この感覚が楽しい。
「これはこういうもの」としてきた自分の思い込みを裏切られるのは、いつも新鮮で発見がある。

今回のワークショップでは、いくつの発見ができるだろう。
どんな衝撃的出会いがあるだろう。
何を感じ、どんな落ち込み方をするか(笑)。
目を皿にして、耳をダンボにして、皮膚を敏感に、頭を静かに。
鈍感な私はすぐに自分が何をしているか、すべきかを見失いがち。
それはわかってる。
だから、より注意深く人を見なくては。
自分を振り返らなくては。
照らし合わせなければ。

自分をぶっ壊す勢いで頑張るぞ~~~。

絶交ごっご

先日、夕方にスーパーに買い物に行くと、しばらく会ってないのでそろそろランチorお茶のお誘いでもしようかなと思ってた友人とバッタリ。
丁度良かったとばかりに2人とも買い物カゴを下げたまま、30分以上(もしや1時間近く?)も喋り続けた。(汗)
それくらい積もる話があったから。

小学校ではここのところの生徒の荒れ対策の一環として、保護者に気軽に学校の様子を見てもらえるよう、フリー参観日を実施している。
いつでも立ち寄っていいのだが、より来易くするためにとりあえず先々週は3日ほど日にちが決められてPTAだけでなく地域にも公開された。
友人の子どもはもう卒業してしまっているのだが、たびたび学校に来てくれていると娘たちから聞いていた通り、3日すべてに顔を出してくれていた。
問題の男子たちは最近は少し落ち着いてきていて、授業中も立ち歩く子はいなかったらしい。
しかし、そのかわり彼女が気になったというのが“女子”の様子。
「あ、やっぱりわかった?」
そう。
実のところ、男子の暴力も困ったものだが、女子の陰湿ないじめは更に深刻なのだ。
修学旅行前の緊急学年保護者会では、私は娘から聞いていたその問題にも触れ、保護者に対して「家庭で是非とも話し合ってみて欲しい」とお願いしたのだが、いまだ何も改善はされた様子は無い。

女子のいじめ。
それは「虐め」には違いないけれど肉体的虐待も含まれる強い言葉となるのを避ける為、私はあえてそれを「絶交ごっこ」と名付けて説明した。
娘から聞いていた話は以下の通り。

中心人物は一人。
顔も可愛いくないし、成績も普通、親も普通。
特に何に秀でているわけでのないのだが、底意地の悪さだけは天下一品で、そのわけのわからなさが周囲の子を翻弄し従わせている。
彼女は皆で仲良く遊ぶということを絶対に許さない。
人が3人以上寄ると、必ず誰かが仲間はずれにされる。
1人の悪口を言い、嫌がらせをすることでその他の人たちの結びつきは強くなる。
いつも誰かがスケープゴート。
だが、それは誰とも決まってはおらず、理由もない。
女王のご機嫌しだい。

「あの子、ムカツクと思わない?」の一言がゲーム開始の合図。

うっかり「え?そんなことないよ」とでも返してしまうともう大変。
ターゲット変更。女王の指令への反逆は重罪だ。

そうなると登下校も一人、休憩時間も一人、給食も一人、 誰も話しかけてもくれない。
そのくせ、ちらちらとこちらを見ては、わざと聞こえるように「ブスのくせに」「キモイんだよ」「わっ、バカが見てるよ」と悪口を言い、反応を見る。
授業中に悪口を書いたメモが席から席に回される。
「こんなことはやめて!」と直談判しても無駄。
「やっていない。言っていない」で押し通し、それが通しきれなくなると「ゴメンね。許して。もう責めないで」と泣き伏して同情を買う。
それ以上、何もできないのを承知の上で、涙の下でペロリと舌を出して逆に被害者を装うえげつなさには誰も敵わない。

虐めに加わらなければ自分が虐められる。
虐めに加わってても安心はできない。
虐めたら虐めた分だけ後で仕返しが来るのはわかってても、少しでも女王様のご機嫌をとっておいたほうが有利かもしれないと、やり方はより陰湿に執拗にエスカレート。
汚いのは、先生や親たちの前でだけでは急に仲良しになることだ。
ニコニコと親しげに話しかけてくる。楽しく一緒に遊ぶふりをする。
振り払えば、そうした方が悪者になる。
かといって仲良しのふりに乗ると、後で「いい気になって」「嬉しそうにしやがって。馬鹿じゃね?」と、これも悪口のネタにされるのはわかっている。
だから居心地悪く、唇を噛んで耐えているしかない。

こういった流れは5年生の頃から始まっていたという。
娘は仲間はずれも悪口を言うのもしたくなくて加わらないので、再々嫌な目にあってきた。
どうにかこの人たちと離れたいと、6年になる春休みの間中、「クラスが別になりますように」と毎日毎日祈っていた。
その願いが天に届いてか、意地悪グループは全員もう一つのクラスに振り分けられ、今は気持ちいい人たちに囲まれて楽しい学校生活を過ごしている。

クラスは離れても虐めの女王とは同じ町内で家が近いので、これまでの調子で奴が擦り寄ってくることはあったそうだ。
「ねえねえ、私☆☆と絶交したんじゃ。だから一緒に帰ろう」
誰と絶交しようが関係ないが、方向が同じだから並んで歩いた次の日、
「今日は☆☆と帰るから、あんたとは帰れん」と、わざわざ言いに来る。
????
「ねえ、私と遊んでも□□とも仲良くしてあげて」と、
別に仲が悪くもない人の名前を唐突に持ち出して頼んできたかと思ったら、
翌日には手のひらを返して「どうして□□と遊ぶの!」と怒ってる。
????
用事があって隣のクラスに入ると、「どうしてこっちにおるん」「ブスゥ」「キモォ~イ」と例によってヒソヒソ。
!!!!
そして、娘を逃すまいとしてか、あろうことか「△△って調子にのってるよね。絶交しようや」とまた持ちかけてきたのだ。

我慢の限界にもほどがある。
娘は怒った。
そして、絶交を宣言した。
意地悪グループの女王に。その取り巻きたち全ての子に。

その話を聞いた時、私は正直言って少しばかりがっかりした。
相手がやってくる同じことをして、同じ土俵に乗ってやることなんかないのに。と。
しかし、娘がこれでケリがついたとしてサッパリとしている様子を見ると、これが一番いい方法だったのかなと思う。

意地悪グループの子達は、同じ町内の同学年の女の子の全員。
だから、先週の自治会のそうめん流しでは、娘は一人でいた。
堂々と。最後まで。
私は自分の立場上、どの子にも同じように接しなければならないし、育成会の親との付き合いもあるので胸が痛んだのだが、娘の強さが誇らしかった。

ある時、意地悪グループの一人がこっそり娘に打ち明けたことがあると娘が教えてくれた。
「私だって、嫌な事を沢山やられてきたよ。
 人の悪口を言うのも本当は嫌だけど、やらないとやられるからするしかないでしょ。
 私は一生懸命に頑張ってきて、そうして今こうして仲間でいられてるのに、
 それなのに、あんた○○だけ抜けるなんて、そんなのズルいよ!

可哀想な子たちだと思う。

グループの子たちには、元はきれいな目で可愛い顔立ちの子もいたが、今は皆、人相が変わってしまった。
それは私がそんな目で見るからそう感じるのではなく、事情を知らなかった友人が見ても「これが本当に昔のあの子なの?」と驚くほどの変わりようだという。

「絶交ごっこ」の話は全てではないが、あらかたを保護者には伝えた。
中には「うちの子も関わってるのは知っている」と言う親もいたが、だいたいはあまり深刻には考えていない。
そもそも、家庭で会話が無いのかもしれない。

5年生の頃の担任は厳しいがハートのある人で、こういった兆候にいち早く気が付いて、仲間はずれを作りたがる子たちに「どうしてこんなことをするのか?」と問い詰めたこともあったようだ。
答えはなかった。
どの子も「わからない」。
たぶん、5年の担任はその原因を知っていた。
だから親に「もっと子供に関心を持って欲しい」と訴え続けていた。
しかし、親にも「わからない」のだということには気づいていただろうか。

誰かを悪者にすることで平和と連帯が保たれる人間関係を常識として植えつけているのは、家庭なのだ。

稲妻

久々に雨が降った。
午後になって急に雷の音が響き、土砂降り。
私の仕事が終わる頃には上がっていたのだが、娘たちの下校時間には丁度一番ひどい降りだったらしい。
そして、驚いた事に、娘2人の丁度間に雷が落ちたのだと言う。
坂を上るグネグネ道で、2人とも傘を差していたし、すぐ横に車もあったというのに、よりによって何もないアスファルトの道路の道にドンと白い閃光が走ったと。
そんなことってあるの?
しかもその稲妻は直径数センチぐらいの細い光線。
あたりが一瞬真っ白になり、下の娘は驚いてヒャーヒャーと駆け回っただけで何が何だかあまり覚えていないとか。
雷は金属とか高い場所に落ちるものではないのだろうか。
昔、稲光を見て失明したという設定の映画があったが、それは嘘?
と、謎は多いが、とにかく怪我がなくて良かった。
こればっかりは「気をつけなさいよ」と言ってもどうしようもないから。
日常って結構、スリリング。

ラン猫のお手柄

昨夜、布団を敷いてそれを座布団代わりに↓のブログ記事を書いていると、ラン猫がやってきて、私の部屋でやたらと騒いでいた。
飛んでいるハエでも追うように、箪笥の上に飛び乗ったり、クローゼットと壁の間をしきりに気にしたり。
しかし私には何も見えない。
「うっとうしいからあっちに行って」と追い出しても、また戻ってくる。
そして、私のおしりの下をチョイチョイっと。
ん?・・・・・・!!!!!ムカデ!
「きゃ、やだもう。殺虫剤!新聞!何か!早く早く、逃げる!」もう大パニック。
逃げ込んだ隙間に、ムカデキンチョールをシューシュー。
ムカデたまらず出てきてのたくる。しかし、逃げようとすごい勢いで移動。
逃がしたら一晩中、見えない恐怖と闘わなくてはならない。そうはさせじ!
そんな切羽詰った私がとったとっさの行動は、ムカデキンチョールのスプレー缶の底で トンッ と。
あわれムカデは真っ二つ。
長男がすぐに新聞紙で包んで捨ててくれた。
ホーーーーーッ、刺されなくて良かった~~。
ラン猫、お手柄。
PA0_0000.jpg

と、それはそれで終わったが、今朝方、もう一騒動あった。
私が目覚ましの時間より早く目が覚めて、もう一眠りしようかどうか布団でウダウダとしていると、急に天井から怪しい音が聞こえてきた。
何かが移動している音。
「すわっ、ムカデか?」と飛び起きるも、天井裏からなので姿は見えない。
ムカデにしては、大きいような。でも、蛇なら足音はしないはず。ネズミならもっとチョロチョロ動くだろう。鳥なら羽ばたきでもしそうなもの。猫や犬ならもっと重い音。イタチ?それにしても、せわしない足音だけで、ウンともスンとも泣き声一つしやしない。
やっぱりムカデか? 音から察するところ、ゆうに50センチはありそうな。。。。そんなバカな!
夫を起こして来てもらっても、やっぱり正体はわからない。
棒で天井をつつくと隣のリビングに移動して、やはりゴソゴソ何かしてる。
音だけでは、さすがのラン猫も手の出しようがない。
真ん丸い目でじっと音の行方を追うばかり。
もう、こうなったら、天井裏にラン猫を放り込んで退治してもらおうかと思っていたら、ふいに音はやんで、二度と聞こえなかった。
一体、何だったのか、謎だ。

また不眠症の夏がやってきた。

夏だねぇ~

毎年、夏のこの時期になると団地の公園整備とそうめん流しがある。
今年は自治会休会という事態もあり、どうなることかと心配されたが、無事この日曜日に開催できた。
前日の準備の日ともどもお天気にも恵まれもしたし、育成会と消防隊の協力体制もバッチリ。
これまでで最高のまとまり方だったのではないかと思う。
去年のゴタゴタが嘘のよう。
連日誰がどうした何を言った言わないで揉めくりかえして、トラブルは続くし、人間模様と力関係のどうでもいいような問題ばかりが「これでもか」というぐらい噴出していたというのに。
その人達は今はもういない。
消えた。
見事なまでに、ややこしい人達が一掃されているのは不思議な感じだ。
変わらず団地に住んでいるし、挨拶はするけれど、自治会には出てはこない。
誰も何をしたってわけでもないのに、勝手に騒いで引っ掻き回して自爆、もしくは疲れ果てたか。
おかげで今年は楽な事。
大人の気分を子どもは敏感に察知する。
そうめん流しは、子どもに故郷を作ってやりたいとの熱い思いに溢れた人が5年前に企画したもので、その彼は毎年、丸かじり用のトマトを用意してくれていた。
しかし、かぶりつくのは私の子達をはじめとしてほんの数人ぐらい。年毎に徐々に人数は増えてはきていたが、まだまだ多くの子は食べているのを羨ましそうに見ていながら手を伸ばそうとはしなかった。
どうも、自治会や消防に仕事を押し付けられている意識で苛立っていた母親の顔色を伺ってビクビクしていたようなのだ。
それが今年は、「トマトあるよ~」と一声かけただけでワッと皆が押し寄せて、たらいの氷水で冷やしたトマトやすももを頬張ってニッコニコなんだから。嬉しいのなんの。
そんな感じのまま、そうめん流しも大盛況。
そうめんながし1
そうめんながし2 そうめんながし3
子どもが喜ぶのも嬉しいが、今年初めて参加したという大人の人が「こんな美味しいの食べたの初めてだ!」と感激の声をあげてくれるのもまたたまらない。
続いてよかった、関わってこれてよかったと心から思う。
そうめんが終わってひとごこちついたら、今度はスイカ割り。
最初は普通にスイカを叩いていたはずが、いつの間にやらスイカの横に人が並ぶようになって・・・・
すいかわり1  すいかわり2
↓こうなると、あきらかに、狙ってるもの違うだろ! 
すいかわり3 すいかわり4
ちなみに、叩いてるのが私の娘たち。
で、叩かれてるのが義光さんだったりする・・・。スンマセン。いつもこんな役させて。

夏休みは目前。
ラジオ体操やら、陶芸教室やら夜回り、カレー、花火大会と盛りだくさん。
まだまだ楽しくなりそうだ。

車の中でやることといったら

「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴッ!!!」

通勤は夫の車と公共交通機関を利用するので、このところあまり車を運転していなかったのだが、新しい車に慣れる為に、昨日はプレオで会社に行った。
バイパスを飛ばしながら車内で久方ぶりに大声を出す。
気持ちいい。でも、ケホケホ・・・ 胸骨上げて、さあもう一度。
エネルギーが湧き出て体中に廻るのを感じる。
かけるCDはもちろん「狂い咲き」。いい空間だ。
会社に駐車場がないからコインパーキングを利用するしかなく毎日の通勤には使えないのが残念だが、山奥の温泉にドライブがてらに行く時にでもできるし、気兼ねなく大声を出せる場所というのはやはりいい。

「ナマムギ」も「コンニチハ」もいいけれど、そういえば背骨を床につける運動も最近はやっていなかったと思い出す。
こちらは部屋で静かにできるのに。
やってみる。イテテ、イテテ・・・うん、相変わらずぎこちない。
岡山WSの時はお尻に赤剥けができたっけ。
また今度も赤剥けと筋肉痛、骨痛とハスキーボイスは覚悟しとかなくっちゃだな。
沖縄ワークショップまであと一週間。
時間とお金の関係で、とても複雑な旅行プランを組んでしまっている。
はたして私はたどり着けるのだろうか。

しかし、それ以前にまず4日分の家族の食事のメニュー作りと下ごしらえもやらなくては。
休日の間に車でごっそりまとめ買いに走り回りながら、
「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴッ!!!」

気合入れろ! 全速力だ!

ああ、洗濯物が洗っても洗っても山積みだけど。
家の中、片付けても片付けても散らかるし、掃除機かけたばかりですぐ猫の毛と埃が積もるけど。
学期末の懇談会ラッシュだけど。
新しい取引先増えて仕事も手一杯だけど。
それがどうした!

愛車♪

家族全員で移動するために必要だった大きな車デリカスターワゴンもガタがきて、丁度6月で車検も切れることだしということで買い換える事にした。
ガソリンが値上げして、燃費が悪い車だと気軽に買い物にも行けないという理由もある。
デリカは夫がオークションで買ってきた車で夫の会社の名義。
しかし、今度は私に自分で探して自分のお金で購入しろと言われた。
燃料を注ぐ時に使っていた会社のカードも今年から取り上げられてお財布が厳しいのに、またしても追い討ち。ガーン。。。
上の子達も大きくなりあまり一緒に行動しなくなったことでもあるし、この際、燃費がよく車検も税金も安い軽四にしてもいいかもと、適当な金額のものを探していた。
しかし、私は車に疎い。どんな車が好きというものもない。
動いて安全で長持ちで燃料食わない、そして何よりここが大事→安ければ安いほどいい!
それが私の車選びの条件。
人に頼み、ネットオークションを見、中古車情報誌を読み、としていたがどれがどの程度なのかサッパリなので絞りきれない。
そのままずるずると時間は過ぎ、いよいよ車検切れ目前に迫った頃、ようやく「見つかりました」と連絡が入った。
荒れる学校の件で色々と相談に乗ってもらっていた中学校のPTA会長から。
実は彼はこのあたりでは一番の自動車整備士で、販売店兼整備工場で勤めている。
早速夫と見に行き、候補の2台を比べて決定。
古い車を車検切れ直前に下取ってもらい、代車に乗って整備終わるのを待つこと10日。
車が上がってきた。
傷んでいた部分をきれいに直し、ベルトやブレーキ回り、マフラーの部品も交換したりとこまごま手を入れてくれた上に、先に付いていたMDプレーヤーを会社に内緒で今年発売されたばかりの高性能なCDプレーヤーにチェンジしてくれたという。
mp3やWMAまで聞けるとは、めっちゃ嬉しい。
お金は、あてにしていたマイカーローンがパート勤めでは組めないとのことだったので、仕方なくヘソクリからなんとか捻出して50万円キャッシュで支払い、めでたく私名義の車とあいなった。
これがそのプレオ!



おまけに冬用スタッドレスも付けて貰った。



色は私のテーマカラーでもある深緋。乗り心地は上々。
「小回り利くし、内装も軽っぽくなくて普通車みたいなんだよぉ♪」と夫に言うと、「いや、そんなことはないって。そりゃお前、自分で金出して買ってるからそう感じるんだ」と笑われた。
ム、なーんか悔しい気はするけれど、その通りかもしれない。
“私の”車だから特別可愛いんだよね。
これからよろしく

ネガティブメッセージ

昔好きだった司会者が昨日のニュース番組で洞爺湖サミットに苦言を呈していた。
人それぞれ色んな見方があるだろうが、どうも最近の彼は本当の突っ込み所からズレた批判のための批判が多い。
きっとその方が視聴者のウケがいいのだろう。
スパッと気持ちよい切り口は消えて、代わりに赤ちょうちんのサラリーマン親父の代弁者的発言が増えた。
短期間でコロコロ意見が変わってたりすることが多いのは、世論の風を読む彼なりの計算なのかわからないが。

そして今日、私が目にしたこのニュースを題材のいくつかのブログ記事には、昨日の彼が口にした言葉が踊っていた。
多くの人が、まるで自分で考えた自分の言葉のように書いている同じ感想。
他者への批判のための批判。
自分はどこにもいない。
テレビの影響力は大きいものだと感じる。

各国首脳の会食のメニューを質素にし、お土産なしだと「世界で貧困にあえぐ人達」がどれだけ救われるのかわかる人いる?
遠路はるばるお越しいただいた客人に対する礼儀を怠るのは、日本人として恥ずかしくない?
成果のでない無意味な会議なら開くべきではないとすると、成果の出る会議を開かなきゃならないわけだけど、結果が決まっているものならむしろ開く必要ないんじゃないの?
と、私には疑問だらけだったが。

そういえば、以前うっかり口にして自民党に叱られた「よく笑ってられますね」も、あの時、あちこちで自分の言葉として使ってる人を見かけたっけ。

ダメさを身に染みる

長男はバイトのシフトを朝から夜に変えられた。
お客さんからクレームがついたらしい。
朝の急がしい時に、保温ケースのから揚げやフランクフルトとかを用意するのに時間がかかりすぎだとかで。
やる気や真面目さはあっても、要領が悪いのが奴。
朝はもう少し慣れてからということで、今は夕方からと土日祝日に働いている。

夜は10時までということになっているがいつも延長気味。
昨夜は帰宅したのが11時半近く。
さすがに心配する。男の子でも何があるかわからない。交通事故の可能性もある。
クタクタになって帰ってきた所で「時間通りに上がらせてもらえ。電話一本ぐらいしろ!」と父親に叱られる。
息子は「そうはいっても・・・」と不満げだ。

覚える事が沢山ある。知らないことだらけだから。
忙しい中で教えられて覚え切れなくて次もモタつくらしい。
「働くってこういうことだから、いいんだけどさ・・・」とため息をつきながらなにやらメモを何度も読み返していた。

役に立たない自分は辛い。
頑張っても空回りの焦りは痛いほどよくわかる。
いまだに私もそうだから。
とにかくやるしかない。続けるしかない。
頑張れ、頑張れ!

道なき道

道を探してた。
何がしたいかばかり考えていた。

道を進もうとした。
何ができるかばかり考えていた。

何も見つからなかった。
何処へも行けなかった。

歩いている。
何をすべきかばかり考えながら。

ホントの話

ホントはこうしたいのだけど…

ホントはこれが正しいと思ってはいるんだけど…

ホントはこっちの方が好きなんだけど…

ホントはこんな事なんかしたくないんだけれど…

と言ってばかりの人ほど、
「ホントの私を誰もわかってくれない!」と嘆く。


わかるわけないじゃん。

死に場所

都会では人身事故でJRに遅れが出るのが日常茶飯事になっている。
自殺者は後を絶たない。
自宅マンションやホテルで毒ガスを発生させて死ぬ人のこともよく報道されている。
鉄道が止まることでどれだけの他人に迷惑をかけたり損害を与えるかや、硫化水素を使うことで無関係な周囲の人を巻き添えにする危険など、お構いなしにやる。
死ぬほど辛いのは、てめぇの勝手だろうがよ。
こういう奴らはテロリストと呼んでいいと思う。死んでても犯罪者として晒せばいい。。
室内で首を吊ったり手首を切たり屋上から飛び降りる人も同じく。
場所を汚されることは、信用して部屋を貸してくれた人にとって大打撃となる。
最後まで自分の事しか考えてない。
いや、自分の事しか考えていないから死ななきゃならなくなったのかもしれないが。

しかし、それでは他人に迷惑をかけずに死を選ぶ方法として最善なものなどあるだろうかと考えた。
一人静かに一瞬で苦しまずに死ねるには。
高い断崖絶壁から飛び降りて砕けて魚の餌になる? 真冬の樹海で睡眠薬?ぐらいしか思いつかないが、準備に時間もお金も熱意も必要そうだ。

それならいっそのこと「死に場所」を作ってはどうだろうか。
死にたくなったらそこに行けば、簡単に楽に死ねて後始末もきれいにしてくれるという施設。
病気の苦痛に耐え切れない人が安楽死を選べるのなら、生きることが苦痛な人にとっても適応されていいはず。
行って身分証明を提出し書類に必要事項を記入。一応カウンセラーは待機していて希望者とは話をしてそれ以外の方法も探ることはするが、あくまで本人の意思尊重。
好みの部屋でお気に入りの服を着て穏やかに旅たつのもいいし、この世の恨みつらみを叫んだり書き残したり気の済むまで暴れ続けるのもOK。
ベッドに横になってボタンを押せば、自動的に薬物が注入されて気持ちよくこの世とおさらばできる、という仕組み。
死因は表向きは病死とされて、人目につかず普通に処理されるので報道を騒がせて連鎖がおきることもない。
そういう場所があってもいいんじゃないかなと思う。

本当は自殺など絶対あってはいけないことだけれど、やむにやまれずどうしてもあるものならば、それに対してどうするかを考えなければ。
赤ちゃんポストという子どもの捨て場所がそうだったように、命の捨て場所も必要悪として。

もしも本当に止めたい人がいるのなら、その施設の前に張り付いて、他人の人生丸抱えするぐらいの気持ちで止めてみればいいしね。
自殺防止ってのは、そういうこと。

だけど、「死んでもいいよ」と言われると、意外と自殺者は減ったりして。

大阪弁をやめろ!とクレーム

ドラマ新番組「モンスターペアレント」を見た。

親バカ通り越した馬鹿親列伝。
ドラマを面白くするための誇張と笑い飛ばしたいけれど笑い事ではすまないのは、似たような話を身近でも耳にしたことがあるから。

子どもの教育上よくないから大阪弁をやめろと関西出身の教師に迫る親。
これは実際にいる。

今現在も大荒れの小学校だが、実は二年前にはもっとひどい状況があった。
その頃の5年生の学級に少しばかり多動の気がある男子児童が2人ほどおり、それがクラスメイトにちょっかいをかけるので落ち着いて勉強できる状況ではなかったと聞く。
その上に、女子を中心とした“いじめロシアンルーレット”。(過去記事参照 1 2 3
何度か保護者が集まっての話し合いが持たれたが、校長は学校にいても絶対に参加しようとせず、保護者はカンカン。その怒りの矛先も一緒に担任に向かい、ほとんど毎回つるし上げ状態だったらしい。
保護者側も有用な手段を持っているわけでもなく煮詰まった状態の中で、話は次第に互いに知恵を絞って解決策を見つけていくという方向から逸れて、教師への個人攻撃へ向かうようになっていった。
授業中に机の上に乗って騒ぐ子をなぜ引き摺り下ろしてぶん殴らないのか。泣いて逃げる子を追い掛け回すのをなぜ首根っこをひっ捕まえて柱にでもくくりつけておかないのか。意地の悪い嫌がらせをする子になぜ気が付かないのか。なぜ徹底的に叱らないのか。なぜ問題児の親に厳しい事を言えないのか。
その怒りは確かによーくわかる。
けれど「やる気があるのか!」「教師失格だ!」「教師をやめろ!」とまでなると行き過ぎだ。
保護者間で校長をやめさせるための署名活動が始まり、それを知った校長はよりガードを固くして担任を締め付ける。
以前は毎日のように出ていた学級通信も校長の検閲が入るので書けることが少なくなり、不安がる保護者からは「もっと情報を出せ!」と突き上げられと担任は追い詰められるばかり。
前年まで明るく面白かった先生は、別人のようにドンヨリと暗い雰囲気を漂わせる無口な人になってしまった。
女は一度何かが気に食わないとなると、とことん全てが嫌になるという傾向がある。フラストレーションの塊となった保護者たちはその感情をなんとかして晴らそうと、そちらに情熱を傾けるのだ。
なんといっても集団虐めをやったりやられたりを繰り返す子ども達の親だけのことはある。

そういった中で出たのが「そもそも大阪弁が気に食わない」という発言。
「子どもにうつるのが困る」「真面目に話をしているのにふざけているように聞こえる」といった理由はたぶん後付け。
そんなことまで受けて悩まなければならないのだから教師もたまったもんじゃない。

結局問題は解決しないまま、5年生は6年生になり、今中学1年生。
中学校では教員と保護者と地域とが密に連携をとりながら対応してくれているおかげで、危ういところではあるけれど、より酷くなったという話は聞かない。
中学の校長はとても精力的な人で、小学校の現状を知ると即座に出向いて校長同士で話もしてくれたという。
しかしそれすら「誰が話を大きくして広めているのか」という言葉となって出てくるのだから残念という他ない。
「誰が」じゃない。皆知っているのに。

「学校が悪い」「校長を辞めさせろ」「担任を変えろ」と騒ぎ立てた親たちがいたという事実が今の現実をややこしくしている。
今回の騒動で保護者側が何を求めているかがなかなか通じなかった理由のひとつがそこではなかったかという気がする。

モンスターなペアレントを見たことがあると、ペアレントは全部モンスターに見えてしまうのか?
やめてよね。

テーマ : モンスターペアレント
ジャンル : テレビ・ラジオ

誰かこの子に勉強させて

次男が「中学の親って馬鹿じゃけぇね」と言う。

試験期間はテストが終わると昼で学校から帰る。
その早く帰った子どもが遊んでばかりいて困ると保護者から学校に苦情が来たそうだ。
すぐに中学では全校生徒を集めて、「早く帰っても遊ばずに翌日のテストに備えてしっかり勉強をするように」と注意。

「そういうことは学校に苦情を言うようなもんじゃないだろ。
 なんで自分に子どもに直接言わない? おかしいよ」とぶつくさ言うので、
「ほほーぉ、中学生の君でもそういう親はおかしいとわかりますかね」とからかうと、
「『でも』って何?『でも』って。当たり前じゃろ」とむくれる。

しかし、「で、あんたは勉強しとったんじゃろうね?」と聞くと
「するわけないじゃん」だもんね。

「ちいたぁしんさいよ」
「へいへい、そのうちにね」
そう言いながら息子は、先日BOOK OFFで100円で買った「少年A この子を生んで」を私の本棚から取り出して、「これ借りるね」ととっとと退散して行った。

いや、だから勉強しろよ。

こまっしゃくれた14歳め!!
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ぽあん

Author:ぽあん
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のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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