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見えてしまう

昼にテレビを点けて、「おお、24時間テレビをやっていたのか」と知る。
コンビニで募金箱を見たら入れるが、番組には特に関心もなくなった。
くだらない馬鹿騒ぎをやめて、本当に伝えたい事と優れた内容を厳選して
6時間ぐらいに凝縮し、浮いたお金を寄付すればいいのにとさえ思う。
消そうとスイッチに指をかけたが、
障害者がその特性を活かしてダンスをしているというので
興味を引かれ見ることにした。

障害者のブレイクダンスグループの名は「イル・アビリティーズ」。
現在カナダを中心に活動し、各地で高い評価を得ているという。
不自由な足で松葉杖を使う人がリーダー、他に両足が極端に短い人、
片足の人、片耳しか聞こえずしかも難聴の人がいる。
それぞれ個性的で切れのある素晴らしい動きをする。
その彼らを今回番組の為に日本に呼び、嵐と競演させるという企画だ。

練習風景のビデオが少し流れ、そしてスタジオでの本番、生中継。
テレビを通して、「鬼気迫る」という表現がぴったりの
パワフルで躍動感溢れる凄まじいダンスが伝わってくる。
彼らは真剣。
彼らは命の全てを今このステージに賭けている。
それに比べて・・・・・・
ダラダラ、ノラノラして邪魔するこの若者たちは何なの・・・
映ってる画面がきっちり色分けして見えるのは気のせい?
そんなふうに思っていると、長女が「なんか・・・嵐って下手だね」と言う。
普段、ダンスなんか見る機会もない小学生でもわかるのだ。
プロがわからないはずがない。
わからないのならプロではない。
嵐のファンはきっと何がどうであっても「ARASHI LOVE」なのかもしれないが、
ダメ出しする時にはダメ出ししてあげないと腐らせるよ。
私にはどうでもいいことだが、ただ、イル・アビリティーズの人達には
日本人として申し訳ないなという気持ちになった。
彼らだけでノビノビと演ってもらえたらどんなに良かった事か。
その機会がまたあることを望む。

youtubeで一つだけ見つけた動画。
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後ろの正面だ~れ

昨日、ある人の講演会に出かけた。
この人も私の恩人。

2年前、執着でガチガチの心をフッと軽くしてくれたのが彼のブログ。

何かを検索して偶然たどり着いたページの一文になぜか感じるものがあり、
私は結構な量の過去記事を何日もかけて読み漁った。
以来、この方のメルマガとブログを毎回楽しみにしている。
しかし、これまで一度もメールもコメントも書き込んだことはない。
今回初めてお目にかかり、言葉を交わした。

文章を読む限りでは、クールで落ち着いた年配の方をイメージしていたのだが、
実際に会ってみると若々しくてとても気さくな方だった。
やはり人間が一番の興味の対象のようで、いつも人をとてもよく観ている。
見た目も雰囲気も違うけれど、マンガの「天才柳沢教授」タイプ。
そして、言葉には細心の注意を払われている。
広島での初めての講演会に集まったのは20名程度。
全ての人が初めて合う見知らぬ人であるのに、
講演の内容、そして雑談を通して見えてくるのは、
皆、共通のテーマを持っているという事。

講演2時から2時間、その後会場で立ち話1時間、
場所を移動して懇親会で飲みながら夜の10時ぐらいまで話をした。
こういう時の私のトークはスロットル全開フルパワーとなる。
内容はもちろん、自虐ネタ。 (あらら、まぁた、やっちゃってるか~)
しかし、散々しゃべり倒して、終わり頃に姿を現してきたものがあった。

これまで自分が思ってもなかったもの。
人の“本質”。

自分とはどういう人間であるのか。
一体自分は何を求めているのか。
何がしたいのか。
わからないできたのだけれど、
出てきたそれは、「えっ?まさか!」と思うものであった。
まさに、これ以上ないと思うほど自分とは対極に位置するもの。
だからこそ、強烈にそこに引き付けられていたのかと、初めて自覚した。
自分が俗の中の最俗、悪の中の最悪、醜の中の最醜であると、
いくら打ち消してもぬぐえなかった思いは、だからだったのか、と。

今更ながら驚いているのは私一人で、
周囲の人からすると
「え?だってそうでしょ。そうだと思ってた」と言われそうなのだが。

私のブログ名が「ぽあん歩“庵”」であることも、
ダライ・ラマに会いに行ったということも、
お釈迦様が大好きだということも言ってなかったのになぁ。
常々から「60になったら出家する」が口癖であるとも。

なぜわかった?
というか、これだけ明らかなことしておきながら、なぜわからない?自分。

へーっ、そんなことを思ってたのか。
と、妙に腑に落ちた。
あとはそのズレをなくしていけばいいだけ。
でも、なくならないならそれもそれでいいのかも。
作為的にすれば思い込みの仮面を作るだけかもしれないし。
やっぱ、やりたい事をやってていいってことか。(と、都合のいい解釈:笑)


ちなみに、その方が最近知ったご自分の本質は「サムライ」だとか。
「それって家を守る武士?それとも剣を究める武人?」と尋ねて、
「宮本武蔵的な道を求める者かな・・・」との答えだったので、
もちろん日野先生をお教えしておきましたとも。
なんたって、正真正銘、ほんまもんのサムライだもの。

いやー、オモロイ!!

パワーバランス2

懲りない私はそれでも尚、「強く優しく」なりたいと願っていた。

次に私がやったのは、すでに強く優しくある人に学ぶ事。

“その人”は私の理想だった。

腹が据わって、快活で、頭の回転が速く、繊細。
恵まれた愛情に満ちた家庭での育ちがにじむ品の良さ。
人間が好きで、素直で、
そして何より、より良く変わって行きたいという向上心に溢れていた。

そういったものは誰にとっても魅力的であるようで、多くの人が慕っていく。
彼の元には朝から晩までひっきりなしに悩み事の相談が寄せられ、
その一人一人にメールや電話で対応をしていくという生活をされていた。
もちろんきちんと仕事はしながら。

自分の無価値感、欠如感を埋めるために他人を必要とするのではない人は、
困難な状況を真剣に考える事はあっても、悩まない。
所詮、「人は人を救えない」。
対処療法的に痛みを取り除き、悩みの原因を目の前から消し、
願い事を叶える方法を彼は知っており、それを為すだけ。
その中で何か自分自身で気付くことがある人がいれば幸いだというスタンスで。

私も出来るようになりたくて、いろいろと教えてもらっていたはずなのだが・・・・
いつの間にか方向は大きく逸れ、
いつしか私は何も出来ないダメ人間として、
ただ、ぶら下がるだけになってしまったのだった。

やった→できた→褒められる、という快感。
やった→できない→励ましてもらえる、という快感。
やろうとした→やらない→叱られる、という快感。
言い訳→一喝、の快感。
裏切り→落胆、の快感。
謝罪→許し、の快感。
究極の「かまってチャン」は、どんどんどこまでも落ちる落ちる。

ただ、見捨てられるのだけが怖くて、最後には
「見捨てないで!捨てられたら死んでしまう。何でもする。
 何でも言う事をきく。奴隷にだってなるから」
と、泣いてすがるほどにまでになってしまった。 (・・・オイ・・・ヤリスギ・・・)

ま、それが生活のすべてではない所が私の私らしい所なのだけど。
ドタバタの中でも仕事は順調、家庭は平穏、
PTAや自治会でも楽しくいろいろ動き回っていられて、
現実には何の不満もない。
とても奇妙な状態だ。

なぜ、“あの人”に対してだけ私はこうなる?
“あの人”が悪いから? 
“あの人”が私をこうさせる?
では、私は“あの人”に、何をさせられているというのか?
何も。
何もない。
認められたいと願い、近付きたいと恋焦がれ、
叶えられない事に苦しみ、いっそ消えてくれないかとさえ憎む。
なんという自分勝手。

形は違えど、同じ事を繰り返してしまっていた。
この苦しさの正体はそこ。
無価値感の解消の為に、またしても他人を利用した。

わかったら、進まなくては。
そうして一つの季節が終わりを告げた。

強く優しい“あの人”など私の幻想にすぎなかったけど、
実在の彼はきっと今頃笑ってる。
いや、ずっと笑って見てくれてたっけ。

ありがとうございました。

「師匠、師匠」と呼んでいた頃には、
本当にはちっとも師匠とは思ってなかったわけだけど、
振り返ってみると、やはり紛れもなく素晴らしい師匠だったと思う。


さて、私はまた同じ事を繰り返さないと言えるだろうか?
ウーーーーーン?
「失敗するまい」と思う気持ちが失敗の元、とも言うからなぁ。
やるなら、よりド派手にスッ転びたいものだけど。
へへへ。
懲りないよね。

パワーバランス1

私は「強く優しくありたい」という気持ちを持っている。
そう思うということは、実はそうではないと知っているということ。

それで私は何をしたか。

私より「弱く暗い人」を集めてしまったのだ。

もちろんそんなことは明確に計画してしようとして企てた事ではない。
ただ、そうなっていた。
同類が集まっている場に入り、そして“敵”と戦う。
敵も、もちろんある意味において同類だ。

牙を持たない人達の気持ちを代弁し先頭立って戦う事は気持ちいい。
傷つき悩み苦しむ人を手助けし、癒す事は気持ちいい。
だからやっていた。
人は本当に嫌な事は絶対にやらないものだ。

だがその本心は、どっぷりとその中に浸かっていた時に表に出てくる事はない。
共に痛みを感じ、共に涙を流し、私も苦しんでいるつもりになっていた。

成果は上がらない。
戦えば戦うほど敵は大きく増えていく。
味方も一枚岩ではない。
助けても助けても状態は良くならない。

なぜ変わらない?

それはそうだ。
変わったら私が困るじゃないか。

戦う相手がいなくなったら、私の強さが示せない。
助ける人達がいなくなったら、私の優しさが示せない。

求めていたのは、他人による賞賛と感謝。
「もっと頑張らねば」という気持ちは、
裏を返せば「もっと褒められたい。もっと認められたい」という要求でしかなかった。

演じる仮面を信じる人への罪悪感と侮蔑。
仮面の下を見透かす人への恐怖と敵意。
どんな見方をされても、私は寂しくなるばかり。

私はなにをやっているのだろう?

無価値感を解消するために他人を利用して。

理不尽な怒りを爆発させて私は“そこ”を出て行った。
酷い事をした私をそれでも引きとめようとしてくれた“仲間たち”に私は言った。
「もしもこんな目的ではなくて、趣味のサークルか何かだったら、
 あなたは私と友人として付き合いたいと思いますか?」
答えはなかった。

去るという選択だけが、私にできる唯一の誠意ある行為だった。

かげふみ

すきなもの


夜のにおい

雨に濡れながらの散歩

冬の寒さ

ひとり


悲しみの愉しみ。

スイッチを押すとき

パソコンテレビGyaoのドラマ、「スイッチを押すとき」にはまっている。

増加する青少年の自殺に終止符を打つべく、政府は2010年に
子どもの深層心理解明のための青少年健全育成計画を施行した。
無造作に選ばれた5歳の子供達が心臓にある装置を取り付けられ、
10歳になると“スイッチ”を渡されるというもの。
そのスイッチを押せば心臓が停止する。
多くの同じ年頃の子ども達が特別な施設に親元から離されて集められるが、
外界から遮断された無味乾燥な白い部屋で過ごす日々の中には、
わずかな楽しみもなく、希望すら持つことは許されない。
そこから出る方法は、スイッチを押して自ら命を絶つことのみ。
ほとんどの子が何年ももたない。
2030年、洋平は横浜センターへの異動を命じられる。
驚くべき事に、そこにはスイッチを渡されてから7年も生き続けている
少年少女4人が隔離されていた…。

という物語。

ちょっとバトルロワイヤルを思い出すような設定だが、
ここで扱われる死は、あくまで静かだ。
少年少女たちは自由を求めて行動を起こすが、
一人、また一人と命を絶つ状況に追い込まれるのがやりきれなく悲しい。

人の感じ方はそれぞれだと思うが、
私にはどうして子ども達がスイッチを押してしまうのかがわからない。
憎しみのパワーが少ないように思う。
私なら、大勢のためにという名目で自分を犠牲にするような国なら、
恨んで恨んで、絶対に復讐してやるという一念だけで生き続けることだろう。
「なぜ死ぬ?わかんないよ!幸せに暮らしてる奴ら皆殺しにしろ!」と、
憤ってしまう私は、もしかして危険思想だろうか?
だけど、絶望的であればあるほど激しく湧いて来る怒りこそが、
生きていさえすれば可能性は0ではないと信じる力になると思うのだが。

文句を言いながらも、つい続きを見ずにはいられないこのドラマは、
現在7話まで放映中。
公開期限は9月30日まで。

誰でもできるミラクル

お盆に夫の実家に行ってきた。
いつもは兄弟の奥さん子どもも皆揃うのだが今回は予定が合わなくて、うちの家族と男連中だけの集まり。
墓参りを終えて、オリンピックをつまみに酒を飲んだ。
柔道を見ながら、「日本人がきれいに一本取ると気持ちがいい」「外人がやる最近の柔道はもう“道”じゃなくなってる」「ほとんどレスリングじゃないか」「武の心なんか関係なんだろうな」なんて話になってくると、なんだかワクワクしてしまう私。
「実は、武道の先生にある技を教えてもらってね、私でもちょっとしたことが出来るんだ~」
と、義弟たち相手に後ろからグッと締め付けられた状態からの脱出をやってみせた。
もちろん、彼らはキョトーンだ。
「嘘だろぉ、ちょっと代われ」と代わったところで同じこと。
どうにも身動き取れないぐらい力いっぱい抱きしめて、しゃがもうとしても足が浮くほどなのに、スルリと抜けちゃうんだから。
腕をねじって、肩、ひじ、手首で返していくのも実演。
これらは、誰でも簡単にすぐできてテクニックも能力も一切要らない。
だけど、日野先生以前に誰も教えたり説明したり出来る人はいなかったという所が何よりスゴイのだ。
義弟たちは、攻撃しない脱出、敵意のない反撃といったものに初めて触れて大いに興味を持ってくれたようなので、すかさずここで来年の岡山ワークショップの宣伝をしておいた。
「一日だけでもいいから」と。
「面白そう。行ってみるよ」と言ってはいたけれど、はたして酔いが醒めた時に覚えているかな?

おやすみ ルナ爺

今、うさぎが息を引きとった。

昨日から餌も水もあまり取らなくなっていて、
今朝も水をほんの少し飲んだだけで、じっと横になっていた。

ジタバタと足を動かす音がして行くと、もう口をパクパクしていた。

何もしてやれず、ただ、撫でながら最後の呼吸を看取る。

よく頑張ったね。
ゆっくりおやすみ。

ズルい女たちのズル

「ヤバイ! 見つかる! 隠れろ!」って何?

背を丸めて、人の目を盗みながら小走りに逃げる所を見ると、
人に知られるとまずい事をしてるという意識はあるんだ?

隠し事が好きだね。
仲間内の秘密を作るのが好きだね。
他の人より得をするのが好きだね。
嘘が好きだね。
バレないように、バレないように。
いつのまにか紛れ込んで平気な顔。
目くばせ。
耳打ち。
クスクス笑い。
そんなに楽しい?

同じ隠れて何かをするのなら、陰徳でも積めばいいものを。
“隠匿”なんて、さえないね。。。

そばにいる親でさえ気付いていない子どもの本性。

そんなことばっかしてるから、顔がだんだん意地悪く歪んでいくんだよ。


いくら「これまでのことを言わないで」と人に念押ししたって、
これからもやってくんじゃ、せわないわ。

ズルい女

人形介護ロボット

老人や身障者を介護する人の身体への負担を減らすために、介護サポートロボットの開発が進められている。
まだ実用には至っていないが、人間のように人を抱きかかえる事ができるようになったということで、その実験をテレビでやっていた。
抱きかかえられたのは、人と同じ大きさの人形。
丸みを帯びておもちゃのように可愛い顔のロボットがゆっくりと近づき、座っている人形の下と背中にこれまたゆっくりと腕を差し込む。
あまりにゆっくり過ぎて3倍速でもまだスローなぐらい。
ロボットだから当然だが、その動きは荷物を持ち上げるフォークリフトのよう。
人間を持ち上げたときどうなのだろうかと疑問が湧く。
人間は動くし、障害の具合によって人それぞれバランスの取り方が違うだろうから。
沢山のセンサーが働いているとはいえ、アームが当たる所は痛くないのかなとか、仰向け抱っこは結構怖いから緊張して急に動いた場合に対処できるのかなとか、ちょっと心配。
持ち上げたとき、後ろに倒れかかった人形の背中はロボットのもう片方の腕に支えられたというより、ぶち当たっていたし。
ここは是非とも人間で試して欲しいところだが、まだそこまでは至ってないらしい。
「介護する人に負担がかからないように」も大事だけれど、介護される人がどう思うか、どう感じるかが、まず一番。
ロボットが得意なこと、人間でなければ出来ない事を踏まえて、最適な使い方で誰もが気持ちよく暮らせる未来は、すぐそこに近づいている?
それとも、まだ遠いのかな?
kdm060314T1416[1]

老兎の介護

長年飼ってきた兎のLUNA-爺も、とうとう足腰が立たなくなった。

このところめっきり痩せて小さくなり、
横になって寝る事が多いなと思ってはいたが、
少し前までは、檻の前に行くと起き上がって餌をねだり、
野菜など飛びついて食べていたものが、
一週間前、急に息も絶え絶え瀕死状態となった。

ぐったりと身体を横たえ、うつろな目で荒い息をするだけ。
触るたびに毛がゴッソリゴッソリと抜け、毛並みはよれよれボロボロ。
お尻周り、前足、後ろ足は濡れている上にガビガビで地肌が見える。
首の下に垂れ下がった皮膚の中と、下腹部のこれは睾丸だろうか、
そこに大きく腫れ上がった何か塊ができている。
もしや癌?
「これは、たぶんもうダメ」そう思った私は、
兎をゲージからそのまま埋められる適当な大きさのダンボールに移し、
私の部屋に運んだ。
少しでも涼しく、気持ちよい場所で
皆に看取られて最後の時を迎えさせてやりたいとの思いで
静かに最後の時を待つ。

・・・・・・が、

なんと、そのままの状態で落ち着いてしまうとは。

翌日も、その翌日も生きている。

ずっと撫で続けているうちに汚い毛が抜けた毛並みは整いだし、
足も口の回りも乾いてふんわりしてきた。
手で支えてやると身体を起こして水を飲む、野菜も食べる。
垂れ流しだけれど、おしっこもする糞もする。
その度に敷いている新聞を取り替えてやる。
目はほとんど見えていないみたいだし、耳も悪くなったようで
触れるたびにいちいちビクッとするし、ほぼ一日中寝ているのだけれど、
生きている。

部屋で放し飼いにすると電話線や電気コードをかじって危ないので
ずっとゲージに入れっぱなしの放ったらかしにしてきたが、
こうなってやっと“ペット”という気がする。
子ども達は、可愛くないし遊べない兎には興味がないようだけど。

LUNA-爺、現在10歳2ヶ月。
だいたい兎は8歳から10歳が寿命というが、
ギネス記録は18歳10ヶ月とか。
よーし、こうなったら寝たきりでもいい。
ギネス記録に挑戦だ!

ただ一つの心配は、この好奇心旺盛いたずら猫なんだよね~。
080808_0646~0001

悪魔の炎

夕方、炊事をしながらTVニュースを見るともなくつけていた。
画面には今日あった平和記念式典の模様。
アナウンサーがナレーションを読み上げる。
「・・・・この1年間に新たに死亡が確認された広島での被爆者は5302人。・・・・・・
 名簿が慰霊碑に納められ・・・
 ・・・今年で原爆死没者数は25万8310人になりました」

????

今年亡くなった人も、被爆者なら原爆死没者にカウントされるの?

不勉強な私は知らなかったのだが、どうやらそうらしい。

「70年は草木も生えない」はずだったヒロシマの63年目の夏。
街は何事もなかったかのように栄えているが、
見えない炎はまだ人の身体を焼き続けているのだった。

原爆の日の黙祷

8月6日8時15分。
サイレンの音と共に1分間の黙祷。
子どもの頃から続いている儀式。
私は爆心地のすぐ近くの小学校で平和教育を叩き込まれて育った。
夫は被爆二世。
自ずと子ども達は被爆三世ということになるのだが、
本人たちにその自覚はなく、多くの今どきの若者と同様に、
遠い過去の、自分とはほど遠い世界の物語としか思ってはいない。
それについて特にどうこう言うこともないのだが、
この日ばかりは面倒くさそうにしている子らを半ば強引に黙祷させる。

あの日、姑は一瞬で親兄弟を全て失った。
自らも火傷を負い、記憶を頼りに遠縁に身を寄せてなんとか生き延びた。
しかし遠縁と信じていた人は実はそうではなく、
身寄りのない娘を案じて受け入れてくれていたのだった。
食料難の上、被爆者差別が酷かった時代でも心ある人はいる。
その後、舅と出会い、親族一同の猛反対を押し切って結婚。
何もなくなった野原に廃材をかき集めて建てた小さな家で始まった暮らし。
そうして夫がいて、今、子ども達がいる。

多くの命と想いが形を変えて息づいている事への感謝、
そしてそれが受け継がれていって欲しいとの願い、それが私の黙祷の意味。
世界平和の主張や戦争反対運動とは違う、とても個人的なこと。
だが、何処から来て、何を背負っているか、いったい何をする人間なのか、
という個人と個人の集合体が、この社会なのだ。

「関係ない」「昔の事」とする人はそれはそれでいいと私は思う。
それぞれバックボーンが違うのだから。
何をしろ、何をするな、と強制されることはない。
ただ、当たり前のように踏みしめているこの大地が何を礎としているかを
知る知らないは、やはり違ってくるのではないだろうか。

(過去記事)しゃあないもんは、しゃあないやん

ラジオ体操先生

スーパーで買い物をしていると、「こんにちは」と可愛らしい声。
最近団地に引っ越してきた小学校1年の女の子が駆け寄ってきた。

「ラジオ体操の先生ぇ~」とニコニコと。

え?

σ(゜。゜)わたしのコト?

「うん!」

「おばちゃん、ラジオ体操の先生じゃないよ。○○と○○のお母さんだよ」
と言うと、

「え~、毎日来てるから先生かと間違えちゃった~」
だって。

昔は毎朝、親や近所のお年寄りが出ていたものだけれど、
今は自分の当番の日だけ出てくるという人が大半だから。
それでも今年は去年までと比べると大人の参加者が増えてはいる。
2人→5人ぐらいには・・・
子ども達の体操もダラダラだったのが、学校で指導があったらしく、
低学年は割りとまともに動いてくれてて、やっとらしくなってきたのは良かった。
それでも恥ずかしいのかなんだか知らないが、
ペチャクチャ喋ってたり手だけヒラヒラさせてる6年生もいるのだが。
みっともないからやる気ないなら前に立たなきゃいいのに。

盆明けからは、私も前に立って見本を見せようかな。
ラジオ体操先生として。

体操は運動神経いらないからイイよね。(笑)

あこがれ

「この人」と強く心に決めた人のことを、

「もしも万が一、彼が偽者で、大ペテン師で、
 自分が信じているものが全て嘘っぱちだったとしても構わない」
と言う人がいた。

「騙されてもいい」
そう語る瞳は、どこまでもまっすぐでどこまでも澄み切っている。

その美しさに、私はただ見とれていた。

目で人を倒す達人

少し前に日野先生の日記に南海キャンディーズの山ちゃんが
テレビの取材に来たということが書いてあった。
関西ローカルで放映された番組を見て興味を持った人は多かったようで、
私のブログも検索で引っかかるのか一時アクセス数が増えていた。
ここ広島では当然ながらその番組は見られない。
残念だなと思っていたところ、
ラッキーにも、youtubeにアップされているのを見つけることができた。

番組名は『今ちゃんの「実は・・・」』。
前半Hino Akira 1/2  後半Hino Akira 2/2

『実は・・・目で人を倒す達人がいる』
そんな話を聞いても普通は「嘘だ~」と思うよね。
当然、山ちゃんも最初は疑ってる。
だけど、紛れもない本当の話。


私はこれとはちょっとちがうけれど、
腕を軽く持って「どうぞ~」で連れて行かれちゃったことがある。
「ええ~~~っ、ウソ~~?なんで?だって何にも引っ張られていない!
 まったく力を感じないのに、勝手に動いちゃった!すごい!すごい!」
と、わーわーキャーキャー騒いでいたら、
「あたりまえや。何を稽古しとる思うとんのや」と、
またしても呆れられてしまったっけな。(汗)

あ、手足を掴まれた状態からの脱出で、ダンサーのSさん発見!

こんなはずでは

自分に都合よく他人は動かない。

自分に都合よく事は運ばない。


「こんなはずじゃなかった」

どんなはず?


「騙された」

それでは、騙したとされる人の思い通りになっているの?

なぜあなたにそれがわかる?

他人の心が読めるわけ?


騙されなかったらどうなっていた?

もしもの世界が見えるんだ?

現実の未来は見えなかったのに?


いったい誰が決めたというの?

今のあなたを。

信じる者は救われない

「カルト宗教に騙された」と心を病んでしまった人がいる。
「あんな宗教にさえ入らなければ」と同じ話を繰り返す。

そのうち、お金が増やせるという話を信じて株を買わされ大損。
「絶対に儲かると騙された」と病状は悪化。
「あんな人を信じさえしなければ」とため息ばかり。

苦しくて苦しくて藁をもすがる思いで入った占いの館。
お告げと水晶で開運するはずが、
一番の理解者の肉親を失う不幸に見舞われてどん底へ。
「占い師に騙された」
「あんな占い師の所へ行かなければ呪われることはなかったのに」

「あんな病院にかからなければ・・・」

「あの薬を飲んだばっかりに・・・

「子どもを産むんじゃなかった・・・」

「結婚なんかしちゃいけなかった・・・」

「あの人に出会いさえしなければ・・・」

「あの日、あの場所に行ったのが間違い・・・」

何もかもが後悔の種。


幸せになろうとすればするほど、幸せになれない人。
人が「いい」と言うものを信じては、その度に裏切られる事を繰り返す。

何がいけないのか、どうすればいいのか。

あんなにも人を信じやすい人が、そこだけは決して耳を貸そうとしない。
聞こえていても、聞いてはいない。

人は人を救えない。


「誰が悪い」か本人が気付くまで、何度も何度も騙され続けてしまうのだろう。

しあわせですか?

「今、幸せ?」

川土手に座って祭りの打ち上げ花火を待っている時、唐突に娘が聞いてきた。

「お父さんとお母さん、今、幸せ?」

瞬間戸惑い、チラッと私を見てから「ううん、どうかな…」と答える夫。

あらあら、それはオカワイソウに。
つい、笑ってしまう。

「お母さんは?」
「もちろん幸せよ」と私は即答。
「今がこれまでで一番幸せ。私の人生は右肩上がりにドンドン良くなってくからねー」
だって、これだけ好き放題勝手させてもらって幸せじゃないなんて言えないでしょ。

「あなた達は?」聞き返すと、
「幸せ」「しあわせー」の輪唱。

夫はちょっと悔しそう。

しょうがないよ。
誰かに幸せにしてもらえたり不幸にさせられたりするわけじゃないんだから。

私には他人を幸せにさせるなんて出来はしない。
出来るのは幸せのおすそ分けぐらいかな。
だから、もっともっと自分を幸せにしなくっちゃ。


大小の色とりどりの花火が頭上に咲き乱れては消える。
その一つ一つの美しさが幸せ。

ズルい女

他人の悪口を介して繋がりを深めるグループに今後一切の関わりを持たないと絶縁宣言をした娘だが、一人でも平気な顔をしていると向こうが落ち着かないらしく、最近いろいろとちょっかいをかけてくるようになった。
普通の仲良しとしてなれなれしく話しかけて来られるたびに、娘はあからさまに怪訝な顔をして愛想のない対応。
事情を知らない人から見れば娘の方が意地悪に見えることだろう。
下手だなと思うが、なにも上手になる必要もないとも思う。

娘の一抜けたに「そんなのズルい」と言った女の子に娘は、「自分が悪口を言われて仲間はずれにされるのが怖いから人を苛めても仕方ないなんて言い訳をするアンタの方がよっぽど“スルい”じゃないの!」と言い放ったそうだ。

いいぞ~、頑張れ!

こんな問題は子どもだけじゃなく、大人になっても起こること。
上手く立ち回ろうとする人ほど結局は心を病んでしまうのだ。
自分がないから。
他人に嫌われたくないからと、自分で自分を嫌いになってちゃしょうがない。

本当の姿を知られないように隠し事をし、良い子を演じる子ども達。
時にはターゲットにされ泣いて帰ることもあるそうだが、親たちは実は「ウチの子もやる側に回ることもあるみたい」とは知っていて、「仕方ないよね」で流している。
彼女たちもその世界の住人らしい。

確かに他人が誰を嫌おうが悪口を言おうが意地悪しようが、その人の勝手。
その人の問題だから仕方ない。
だけど自分が誰を嫌いか、悪口を言うか意地悪をするかしないかは自分次第。
仕方なくやらされることなどあるわけがない。

他人に嫌われても、どう悪く言われても自分の価値に影響はない。
自分の行動でのみ、それは決まるのだ。

本心が嫌がる事を無理強いしているのはいったい誰?

「私は悪口を言うのが楽しくて楽しくて、人が嫌がることをすると心が躍り、怒らせたり泣かせたりすることに喜びを感じます。そんな私に嫌われまいと、チヤホヤしてくる人達を内心『バッカじゃないの』と思いながらも気持ちいいから、この遊びはやめられません」
と言うのだったら、それはそれで筋が通ってて、むしろ小気味好いぐらいかもしれないけどねぇ。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

★★応援しています!★★
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武禅一の行

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移転しています
日野晃の
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9日間のワークショップを10分で紹介
http://jp.youtube.com/watch?v=hA37h1-nYPc
http://jp.youtube.com/watch?v=ADoNbkOJFjc

クイズ紳助くん 2007年2月19日
「なにわ突撃隊 こころを鍛えろ!武道研究家に学ぶ!!」
オープニング映像有



やもりこ先生のブログ
峠より

八幡 謙介さんのブログ
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