登校拒否の意思表示

「明日休んでもいい?学校に行きたくない」

長女が言う。

こんなとき、親としてはどう答えればいいのだろう。

1. 「行きなさい!」

2. 「休めば」

3. 「どうしたの?何かあったの?」

全部頭に浮かんだので、全部言ってみた。

学校に行きたくない時があったっていい。
学校に行きたくないと言ったっていい。
私はそう思ってる。


だけど、マジで学校を休もうとしやがったら、
蹴つっておん出すだけだけどね。

娘も知ってて言っている。
言いたい気分を受け止めて欲しくて。

正直な夢

私の見る夢は正直だ。
想いがそのまま形になる。

漠然とした不安、心の奥底の恐怖、抑えている怒り、
仄かな期待、隠していた気持ち。

見たくないものほど
顕わに具体的に見せてくれる。

あまりの悲しさに本当に泣いていたこともある。
叫んだ自分の声で飛び起きたことも。
ひどく動揺するような夢の場合など、
目覚めてもまだ続いているようで動悸が収まらなかったりもする。
だけど、そんな嫌な夢はいい。
「ああ、夢でよかった」と安堵し、現実のありがたさをかみ締められるから。
怒りを爆発させる夢なども、現実ではないにしても割とスッキリする。

だけど、隠していた気持ちを見せられるのは辛いものがある。
本当は知っていた。だけど認めたくなかった願望。
それが叶う事によって、どんなに自分が喜ぶかをまざまざと実感してしまうのだから。
喜びに浮き立つ心は、目覚めとともに一気に消沈。
現実ではなかったという落胆もあるけれど、
「こんなこと願ってたんだ」という自分の馬鹿さ加減が嫌で嫌でたまらない。
嫌だけれども、確かにそうだし。

絶対に叶えられない。
叶えようとしてはいけない事だから、夢に見る。
正直すぎる私の夢。
苦しいなぁ。
でも、もう一回、見たいような・・・。(どっちなんだ?:笑)

寝込む

土日は風邪でダウンしていた。
軽く鼻かぜ。熱はない。
しかし、動くと頭がガンガンに痛い。
こういうことが私は二年に一度ぐらいある。
今回は頭が痛いだけで他はぜんぜん元気。
動くと痛いので動かないと決めて、ずっと寝ていた。
丸一日断食。
たまにはこういうのもいい。
ちょっと怠け病も入ってるかもしれない。
家事や心配事を全部一人で背負ってるみたいな気分で
最近イライラ気味だったから。
「動いてくれない」「わかってくれない」ってのがムクムクしてるの感じてた。
私が寝てれば、家人で自分たちのこと適当に何とかするだろうと思ったが、
本当に奴らは適当だった。
布団の中から「ご飯炊いて」「お風呂洗いなさい」と指示しないと動き出さない。
夫はこの日ばかりは率先して食器を洗ってくれてたけど、いつもやれっての。
皆、家の仕事を自分の仕事とは考えてないんだものな。
「誰の家なんですか? 誰の生活なんですか?
 自分のことさえやっておけばいいと言うのなら、お母さんだってそうするよ。」
何回言ったことだろう。
熱が上がらないのでスッキリと治ってはくれなくて
もうちょっと寝ていたいところだけれど、今日からまた一週間が始まる。
朝食作って、弁当作って、仕度して、仕事に行かなくちゃ。
さあ、起きろ。
ガンバ!

偶然に感謝

私はたまに、夫が出張の日などに、車通勤をすることがある。
昨日もそうだった。
朝、近隣のコインパークに車を置いて行き、終わったのがいつも通りの4時半。
清算しようと機械のボタンを押したのだが、なぜか料金が表示されない。
あれれ?と思いながら何度か押していると、
「おかしいなぁ」と声が聞こえた。
その方は私の車の隣に停めていた初老のご夫婦で、
料金を入れたにもかかわらず、板が下がってないらしい。
「もしかして、お間違えでは?」と声をかけると、やはりそう。
そこの番号を押すと料金が表示された。
800円。
お金を投入すると、無事、板は下がった。
「先ほど、いくら払われましたか?」と聞くと、「1400円」だそうで、
その差額を払おうとしたのだが、丁度10円足りなくて、
「いいよ、いいよ」とのことで、まけてもらった。
その方達は、このジャストタイミングの偶然に非常に驚かれていて、
「良かった、良かった」と何度も言われていた。
私は朝から停めて、7時間。
あちらは800円ということは、4時間駐車していたことになる。
番号を間違えたその相手がたまたま同じ時間に戻ってくるという偶然は
確率にするとどれぐらいだろう。
もし私が来なければ彼らは1400円を丸損していたわけだし、
私もこの偶然がなかったら、支払いに10円足りなくて、
コンビにまで万札をくずしに走らなければならなかった所だ。
ということで、お互いにとって本当に、“丁度”良かった偶然のできごとだった。

永遠の若さ

女は幾つになっても綺麗でありたいもの。
美しさを求める心は、女の必須条件。

とはいうものの、ここ最近、
女性の美意識は大きく劣化していっているのではないだろうか。

「若さ」=「美」という風潮が大きく幅を利かせ、
大人が少女達に媚びている姿を見るに付け、どうも痛々しくてならない。

先日も、ピラピラしたミニスカートを穿いて、
キャピキャピと幼さをアピールする50代がテレビに出ていた。
有名女優の母親で、600万円以上もかけて全身整形をし、
これから女優デビューをするのだそうだ。ヌード写真集も出していた。
「若いですねー。とても50代とは見えません」と言われて嬉しそうにしていたが、
それは本当に褒め言葉なのだろうか。

中年向けのファッション雑誌には、一卵性母娘の特集。
「親子に見られないんですよ」「同じ服を共有してます」とはしゃぐ元気な母親。
子ども世代の流行に乗っかれる事が自慢になる不思議さ。

若さは確かに大切だが、20代には20代の50代には50代の
相応の若さというものがあるのではないだろうか。
50代が20代の真似をしたところで到底敵うわけはないが、
その年齢としてのあり方や振る舞いにより、
20代より若い50代というのも充分にありうる。

昔の日本には着物という素晴らしい文化があったおかげで、
その辺を間違う人はいなかっただろうと思われる。
着物は年齢、場所、身分によってはっきりと分かれているので、
例えば中年女性が若い娘のような恰好をするといった、
自分の立場から外れた着方をしていれば、
容赦なく指を指して笑われるか、眉をしかめられたことだろう。
また、格調高いものは若い娘の憧れの象徴として、
「いつか私も」との励みになることもあったかもしれない。

今の日本は正反対。
年齢を重ねた人は若さを好み憧れ、追従する。
若い人は年長者を軽んじ、疎んじ、自らも年を取ることを嫌悪する。

いったい人生において重ねる年月とは何だというのだろう。
美とは?
失われ行く儚いもの?

私は育て続けていきたい。
永遠の若さを。
美しい皴を刻みたい。

幸・不幸のバリエーション

「人の幸福は似たり寄ったり、不幸は人それぞれ」と誰かが言っていた。

若い私は頷いて聞いた。

思い浮かぶ幸福とは、面白おかしく遊ぶリッチな生活ぐらいで、
それに対する不幸とは、貧困、病苦、対人摩擦、無価値感、孤独、恐怖・・・
いくらでもあるようで。

しかし、
いつしかそれは逆転した。


今は思う。
人の不幸こそ、どれも似たり寄ったりで、幸福は人それぞれと。

だから、「こうすれば幸福になる」とは誰にも言えない。

幸福になる方法とされるものは、
どれも「こうすれば不幸を避けられる(かもしれない)」と言っているに過ぎない。

不幸がないのがハッピーと思ってると、不幸を取り除く一生になる。
しかし、それが好きな人はまた、それでいいのだ。

皆さん、お幸せに。

幸も不幸も、死ねば終り。
それだけのこと。

テーマ : 幸せになる考え方
ジャンル : 心と身体

何もできない

虐待を受けているという子に、
先週の木曜に家に遊びに来るよう誘ってみたが来なかった。
「もう、良くなったから」と。
かくまってもらっていたお祖母ちゃんの家から自宅に戻ってもいるらしい。
娘が「何かあったら話してね。いつでも来ていいから」と伝えてはいるものの、
それ以上は何もできずにいる。
本人が話してくれないことには。

ここを読んでいる私の友人には、「あの子?」とすぐにピンと来た様で、
先日、家庭環境などの詳しい話を聞くことができた。
家が近い事もあり、彼女はその家族を昔から見知っている。
虐待については家庭の中での事なので、実際のところはわからないものの、
夏休み中に何度かその子を見かけたときに、普段通りにしているにもかかわらず、
どうも妙な感じがして気にかかっていたのだそうだ。

お兄ちゃん達が中学にいるので、
小学校と違って親身になって動いてくれる中学のPTAや校長に
相談をするということもできるのだが、
それがその子にとって良い結果に結びつくのかどうかがわからない。
もしかしたら、望んでいない方向に行くこともありうるから、
やはり、直接話を聞いてみないことには・・・・・・

娘は、「そんな虐待するような親なら、いらない。私だったら出て行く!」と言い、
なぜその子が両親を庇おうとするのかがわからないと憤る。
わからなくて当然だと思うが、そういうものでもないんだよ。

悲しい。

どうして苛める?
どうして自分の不幸を誰かのせいにする?

毒入りパンダ

「毒入り危険! 食べたら死ぬでぇ~」 
と菓子の袋に書いておいてくれた脅迫事件の犯人は、
結構イイ奴だったのかもしれないと思える今日この頃。

ほんまのワルは、素知らぬ顔して、
あるいは「美味しいよ~」「健康にいいよ~」と言いながら、毒を売るのだから。

喰っちまったよ。

クリームパンダ。

食品売り場に並んでいたパンダがあまりに可愛かったので、買ってきておやつにした。

私も知らずにとはいえ毒を子ども達に食べさせた加害者の一員だ。

テレビで女性のコメンテーターが
「消費者が勘を養う他ないです。ちょっとでもおかしいと思ったら食べてはいけない!」
と言っていたが、その通り。お恥ずかしい話です。
メラミンに味があるのかどうかわからないが、おかしいと感じなかった私の負け。
別段、変な味はしなかったと思う。

無防備は罪だ。

どこで何があるかわからない。
だれが何をしてくるかわからない。
それを前提にしてないと、死ぬよね。
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全国の病院や福祉施設の給食で出された業務用のクリームパンダからは、
問題のメラミンは検出されなかったという検査結果が昨日出た。
市販の商品については、明日明らかになる。

食べてませんように。( ̄人 ̄)

一億総探偵時代

「やっぱり犯人は母親だったか。そうだろうと思ってたよ」
そんな多くの人たちの声を聞く。
ネットでも、テレビでも、周囲でも。

はぁー、皆さん、すごいもんですねー。
推理力。
第六感。
真実を見抜くチカラ?

私なんぞは、「まさか…」だもの。

でも、私はそれでいいと思う。

グロテスクな異常事態をデフォルトに据えたくはない。

はたして人間は、経験則で賢くなって行ってるの?

血液型でわかるあなたの性格

何度となく科学的に否定されても、必ず復活してくるのが血液型占い。
膨大なデータを分析した結果に基づいているとのことだが、「統計は嘘をつく」と知らないのだろうか。

確かに、遊びの小道具としては適してはいる。
人との会話の糸口とかには。
それで私も、占いを人を集めに利用した腐れカルト宗教に騙された人がトラウマになったとかで、占いを信じる人に対して過剰に攻撃的になってたりしてたのを「まあまあ」となだめたりなんぞしたこともあるのだが、しかし、内心では信じてる人も信じて傷ついたとする人もひっくるめて「バカじゃん」と思ってたのが本音。

私は占いを信じない。
当たったためしがない。というか、当たってたまるかと思ってる。
占い通りに運ぶなら、わざわざ経験する意味がないではないか。

で、まあ、一般的な(といっても何が一般かわからないのだが)、大多数の平均的社会的生活を営んでいる人もそんなもんだと思っていた。
お遊び(暇つぶし的娯楽)はお遊び、現実は現実、と。
だが、そうでもない人も意外といるらしい。
血液型で採用不採用を決める会社の話を聞いたのはもう随分と昔の事だが、一昨年前も、テレビでB型の性格を悪し様に言ったのが子どもの学校での苛めのネタに使われ、根拠なく安易に性格を決め付けるメディアのあり方が深刻な差別に繋がりかねないと苦情が入るという問題が起きて、意外と常識のように浸透していたのだと改めて知った次第だ。
情報を流す方も流す方だが、真に受ける方もおかしいと認識しなくては、こういったトラブルは繰り返すと思われる。
どっちもどっち。

しかし私はこうも考えるのだ。
血液型で人間の内容や適性、能力、将来性が読めると信じてるアホな会社はアホを貫いたらいい。
テレビの不確かな情報を悪意の道具に使うような人間は、それがなくても他で何かしらいちゃもんをつけては人を苛めようとするものだから、付き合う必要などない。
「ちゃんとこの目の前に居る私を見てくれ」「勝手に作られたレッテルを貼らないで」と、言うべきことは言わなくてはならないが、逆の見方をすると、そういう人なんだとわかって良かったとも思えるかもしれない。

騒動以来、テレビはめっきり血液型を扱わなくなったが、最近、書店に行くと「○型の取扱説明書」なる本が火付け役となって、類似本がズラリと並んでいるのを目にする。
売れ行きは上々らしい。
買う人はどんな使い方をしているのだろう。
本で自分の性格を知る? まさか。

血液型でわかる性格の信憑性は低いが、血液型占いの捉え方にある程度その人の性格が出ているという事はあるのではないかと私は思う。
研究して、本にまとめてみようか。
「血液型占いの取扱説明書」なんて。
誰か買う人、いるかなぁ?

蟹工船をなめんなよ

新聞の特集記事に「踏みにじられる弱者」代表として31歳の男性がとりあげられていた。
高卒、上司とあわずに4年で会社を辞めて以来、臨時雇いのような形で食いつなぎ、今は派遣でネットカフェでバイト。
正規採用の職を探しても、30歳を過ぎたら面接で即はねられる。
手取りで月に17万円の収入では、家賃・食費・保険を払うと残るお金もない。
そんな自らの境遇を、過酷な労役に耐え忍ぶ人々の蟹工船に重ね合わせ、「強い者が弱い者を踏みにじる。まさに今の日本」と社会に憤っている。

新聞は彼らを擁護し、「ワーキングプア」「負け組」「格差社会の犠牲者」として、社会や企業のあり方に、さも問題があるような論調だ。

だが、本当にそうだろうか。

こういう生き方を選んだのは、彼自身ではないのか。
会社を辞めたのも、雇用保険のないような職場を転々としたのも、17万円のバイトをすることに決めたのも本人。
昔は若くて雇用条件もそう悪くはなかったはずだし、なにも今急に思ってもいなかった31歳になったわけでもない。
何をしてたんだ?
と、思ってしまうのだ。

しかも、その年齢が不採用の理由ということもありえない。
40も過ぎると確かに厳しくはなるが、まだ外回りでも何でもして動ける30代は使い勝手はいいはず。
20代ほど軽く見られもしないし。
「いらない」のは、“30代の人間”じゃなかったんじゃないの?

一人身で17万の手取りなら充分でしょう。
私なら楽々暮らしていける額。
それで蟹工船って、どこまで甘いのか。

今年の5月には、フリーター達による、生活の安定を将来の保証を求めるデモ行進があった。
「仕事をよこせー」「(高い)給料を払えー」「使い捨てにするなー」「生活を保障しろー」と、恥知らずにも馬鹿面さげて練り歩く奴らに、どうして物の道理を教えてやれる人がいないのだろう。

あのね、役に立たない人にお金を払ってたら、会社が危なくなるの。
会社には雇用している人やその家族、取引先、また社会に対しても責任があるから、シビアでなければいけないのね。
あなた達は、人手が必要な時だけ雇えるというのだけが唯一の魅力なんだから、それをしないと言うのなら、来なくていいから。
絶対的安泰な企業なんか存在してる? 誰が将来を保障されてる? 
会社だっていつ潰れるかわからない。
正社員だって職を失うかもしれないし、リストラの危機感だって抱えてる。
管理職になると残業手当が出ない会社も多いし、安月給で深夜まで働いて過労死スレスレ。
そういう人を蟹工船とだぶらせるなら、まだわかるけど。
なんにせよ、今はそんな時代とは比較にならないほど恵まれている。
生活も安全も。権利の主張は特に。

ブツブツと文句を垂れ流していれば誰かが何とかしてくれると思ってる人達に、望み通りの人生を送れる可能性はないだろう。
自分のあり方に企業も社会も責任はとってはくれない。
「自己責任」という言葉に拒絶反応があるか、ないか。
そこがどう生きるかの分かれ目かもしれない。

競争原理

競争は何も悪い事ではない。

他人と競う事によって自分の枠・限界を超えられたり、
違うやり方を見て学ぶ事も多い。
力は拮抗している方が面白い。
切磋琢磨して互いに伸びていければいいのであって。

しかし、そうならない競争もある。
「頑張れ!負けるな!」と競わせ出来た優劣の、
優を残して劣を排除し続けていったらどうなるか。
例えば企業。
さぞかし作業効率は上がるだろう、
顧客が増えて業績がUPするだろう、と考えがちだが、
仕事の種類によっては、そうとばかりは言えないようだ。
それどころか逆の結果になる事すらある。
それはなぜか。
社員同士が身内ではなく、敵になるからだ。
限られた仕事の奪い合い、客の取り合いになりがちなのは、
数字の見込めない開拓のリスクを回避するため。
その上、足の引っ張り合いまでも?
個人の数字は上がっても、会社の得にはなっていない、
なんてことが往々にしてある。

「頑張れ」と言う人も、頑張っている人も気付かない。
苦しさのわけ。

いったい誰と何を競っているのか。
何のために?

まぬけ

「簡単に人を信用するもんじゃない」
「世の中はそんなに甘くはないよ」
「簡単に考えちゃいけない」
「もっと厳しく真剣にならなきゃ」

常日頃からそう言っている人ほど、実は正反対なものなのか。

信用したね。
甘く見たね。
簡単に考えた。
どこまで真剣だった?

信じられる人を遠ざけて、信じてはいけない人を信じてしまった。

確かに、やりたいことを邪魔してくる人は鬱陶しいよ。
細々と指摘される一つ一つが不愉快だったのは、
自分の中の赤信号に目をそむけていたからなのだろうに。
それにひきかえ、いいのいいのとヨイショしてくれる人のやり易いことといったら、
面倒な事は全部任せて、ただ楽しい夢に心を躍らせていればよかったものね。

危険は全身の毛が教えてくれる。だから毛嫌いという言葉がある。
周囲の誰もが感じてて「ダメだ」と止めたにもかかわらず、
突っ走ったそのツケは大きかった。

ひっかぶるのは一人だけ。
得をしたのは何処の誰?

それでもまだ、何とかしてくれると思ってる?
相手が無理なら裁判とか。
そんなの全部計算の上。
故意の証拠はどこにもない。

なんだって。
ずっと以前にも痛い目にあって大借金を背負った事があったって?
それも同じ人がらみとか・・・・・・

ああ・・・・・・まあ、ね。
弱肉強食の世界だもの、馬鹿が餌になるのはしょうがないね。

ハイエナの舌

ある種、独特の同じ臭いをまとっている人達だなと思っていた。
それまで互いに面識がなかった風を装っていたけれど、限りなく怪しくて。
快活に自信満々で淀みなく喋る大きな声。
特徴のある抑揚。
疑問には答えにならない答えで煙に巻き、
不安を請け負う頼もしさを強調し、弱気な部分の背中を押す。
おだてに酔った所で差し出される甘い汁。
「さあ、さあ、今がチャンスです」
なんのことはない。
すべて整っていたお膳立て。
仕組まれた罠だった。
気付いたときにはもう遅い。
ハイエナたちは一仕事終えて、今頃舌を出して笑ってることだろう。
食い物にされた人は、ゴミを買った金を一生かけて払っていく。
犯罪にならない犯罪。
私はどうやら詐欺の現場を見てしまったようだ。

La Fiesta DVD完成!

待ちに待った日野先生のドラムソロコンサート「La Fiesta134」のDVDが完成したと、
日野武道研究所のHPにあった。
なんと、大阪と東京の二枚組み。これは嬉しい。
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私は実は当初、大阪は大阪、東京は東京と別々に販売されるのだと勘違いして、
それぞれの会場で両方に予約をしてしまっていた。
すぐに和子先生から「大阪で収録された1枚だけですよ」と
連絡を頂いて返金してもらったのだが、
東京での盛り上がりも素晴らしかったので、ちょっと残念な気がしていた。
それが、完成が遅れたお詫びにと2枚組みに。
怪我の功名というかなんというか、ものすごく得した気分。
嬉しい!嬉しい!
早く届かないかな~。
あのスーパーライブから早7ヶ月。
感動と興奮の記憶は残っているものの、
演奏がどういうものだったかずいぶんおぼろげになってきている。
しかし、DVDを観ればきっと蘇る。
細胞の隅々まで響き渡った音の追体験。
楽しみだ!!


CDとDVD発売のお知らせ

La Fiesta 134  -祭り-

虐待、どうしたら

娘から、クラスメイトが家庭内で虐待を受けているという話を聞いた。
本当のお母さんはもう亡くなっていて、再婚した継母から暴力を振るわれる事があるのだそうだ。
実際、よく、あざを作っていたという。
父親は仕事の忙しさを理由に動こうとはしない。
「お母さんは病気なんだから仕方がない」と言いながら、ヒステリックに「どうせ私なんか邪魔なんでしょう。入院させて厄介払いするつもり?」と病院に行く事を拒む妻に対して説得も出来ないでいる。
今、その子は見かねたお祖母ちゃんの家で暮らしていて、すぐに危険があるというわけではないのだが、兄の方はまだ家に残っている。

学校では明るく活発で親切。友人も多く頼られるタイプで、まったくそんな悩みを持っているなど想像もつかないような子だという。
皆が相談を持ちかける彼女自身は、誰にも相談できなかったという皮肉。
それが、偶然校外で娘と会った時に何の拍子かその話をポツリポツリと語りはじめ、涙を流していたと、娘は大きなショックを受けていた。
何とかしてやれないものだろうか。

何年か前のことを思い出す。
長男が小学校6年生の頃、同級生の男子で、やはり両親による虐待を受けていた子がいた。
当時の校長先生はしっかり一人一人と向き合い真剣に問題に取り組む素晴らしい人だったので、そのことで両親と幾度も夜遅くまで話し合いを続けて、子どもを両親から離し、守りきることができたのだった。
その子はもう親を見限っていたようで、喜んで一人で施設に行き、今は落ち着いた生活をしていると伝え聞く。
あの校長なら、と思わずにはおれない。
今の学校で頼りに出来そうな人は誰一人いないからだ。
PTAも。

どうしたらいいのだろう。
何が出来る?
とりあえず、虐待相談窓口に足を運んでみようと思う。

娘には、「いつでもうちの家に来てもいいからねと、その子に伝えて」と言ってある。
しかし、しっかりしている子だから、「うん、ありがとう。でも大丈夫。迷惑はかけられないよ」と、やはり明るく答えるのだそうだ。
お兄ちゃんも、真面目で優しいいい子らしい。
本当のお母さんがどれほど愛しんで育ててきたかがわかる。
天国からどんな思いで見守っている事か。

自分が歪まなければ絶対に良い方向に向かうから、決してやけを起こして手を汚さないで欲しい。
汚れないで欲しい。
急がなければ。

女の痛み

同僚が寝ていると、旦那さんに何度も腰を蹴られて、激痛のあまりに「痛い痛い」と転げまわっている・・・・・という夢を見て目を覚ましたという話をしていた。
目覚めても激痛は本物。
それは酷い生理痛のためだった。
隣を見ると何も知らずにスヤスヤと安らかな寝息をたてている旦那さんの顔。
「こいつのせいで!」となんだか無性に腹が立って仕方なかったと言う。

「そんなに痛いの?」と、生理痛を知らない私にはわからないのだが、苦しんでいる女性は結構多いようだ。
鎮痛剤をバッグの中に常備しているという話も複数人に聞く。
どの薬がどんな効き目とか、驚くほど詳しかったりする。
そして、大抵、生理痛だけが酷いということはない。
頭痛・腰痛・肩こり・冷え性・便秘・肌荒れのいずれか、或いは全部とも付き合いがある。
温泉やマッサージ、針灸に通っても、一時的に痛みを取り除くだけで完治はしない。
女同士で辛さを話し合っているのを見ると、そんな症状を持たない私はそれだけでものすごく幸運なのかもしれないと思う。

以前、ある人に生理痛とはどんな痛みなのかを尋ねたことがある。
その人は「出産の痛みみたいな」という表現をし、私はゾッとした。
あの、ものすごい痛みですってぇ?
出産の時、私はそれまでの人生で見舞われたことのない種類の猛烈な痛みに大騒ぎしたものだった。
しかし、叫びまくってお医者さんや看護婦さんに失笑を買った私と反対に、彼女は声も出さなかったという。
生理痛に慣れていたので、それと比べて「これくらいならまだ我慢できる」「まだ我慢できる」「まだ」と思っているうちに産まれて、「え?こんなものなの?」と拍子抜けしたぐらいだったと。
痛みには耐性がつくのだろうが、それほどまでとは恐ろしい。

それにしても、本当にこれは女性だったら仕方ないことなのだろうか。
昔から女はずっとこの辛さを諦めてきた?
調べてみるとそんなことはなく、昔の女性に生理痛はなかったらしいのだ。
東洋医学では、痛みはどこかに異常が生じているからとされるとか。

では、今のこの慢性化した状態は何なのだろう?
原因はどこに?
私たちは何か間違った情報を信じ込まされている?

痛みは人をイライラギスギスさせてしまう。
女性が本来の健やかさを取り戻していければ、家庭や社会も健やかになっていくのでは、と、そんな気がする。

女性はもっと大事にされなければ。
それは男性がという意味ではなく、女性自身に対して特にそう思う。
自分の痛み、自分の身体なんだから、安易にストレスというわけのわからないものに蝕まれて良しとしないで欲しい。
薬はストレスを取り除いてくれはしない。
それは誰もが知ってる事のはずなのに。

30年前と今

中学校の体育祭。
私は今年度役員ではないのだけれど、PTAのドリンク販売のPOPを作った。
長男の幼稚園時代から、そういった頼まれ事がよく来る。

公告デザインを生業としているので仕事以外ではなるべくそれ系の事はやらない方がいいだろうと思っていたのだが、当時、幼稚園のバザーのPOP作りの担当になった人が描けずに悩んでいたのにうっかり手を貸してしまい、以来、「POPならぽあんさん」ということになってしまった。
それが小学校、中学校と続き、今では自治会や市の子ども育成連合会からも頼まれる。

なんにせよ、私の作るもので喜んでもらえ役に立てるのは嬉しい。
作っていくと「見せて、見せて」と人が集まってくる。
それで労力は全部報われる感じだ。

ふと思った。
私って、昔からそうだったなと。

子どもの頃から私は漫画が好きで、よく読んでいたし描いてもいた。
中学時代には、クラスの皆が私の漫画を回し読みしていたし、イラストを欲しがる人も多かったので、材料費としてモノクロ10円、カラー20円もらって毎日毎日描いていた。
普段話したこともない男の子まで「妹が欲しがっているから」と頼んできた。
暗くて友人も少なく、いつも一人でポツンとしている私が、その時だけは人気者。

結局、私はずっとそうありたくてこの職に就いたということだ。
そして、仕事は仕事としてあり、今は身近な顔の見える人達のために出来る事もある。
これって結構、理想的かもしれない。

本当に人って変わらない。
変わらないけど、より良くなっていくためにどうするかで動く事はできる。
そうして生きていくのだろう。
身の丈に合った自分の居場所で。

もう30年後は、私がどんな“同じこと”をしているだろうか。

直線系連動トレーニング

「全部がここにある」と和子先生が言われた腕ふり(本当にゆるむ運動)を何とかモノにしたいと思っている。
だいたい1000回で50分ぐらいになるので、それをとりあえず3年続けてみれば何か見えてくるだろうと。
わからなければ、もう3年。
それでもダメなら、また3年。
それどころか、10年、また10年とかになるかもしれないが。
とにかく少しでも何か見つけられれば、という気持ちでやっている。

たかが腕ふり、されど腕ふり。

誰でもできる容易い動きだが、基礎体力のない私は少しの時間でも息が上がる。
少しずつ回数を増やしてきて、やっと先日1000回達成したばかりといったところ。(でも、だいたい500回)
しかも、いつも2・300回目あたりから身体の動きがバランバランになっていき、何をやっているのかわからなくなる。
出来てないのは自分でもわかる。
たぶん嘘をやっている。
「こうしたい」と思うとおりに身体はなかなか動かない。
これまで武禅やワークショップで日野先生が注意された一言一言が脳裏に浮かぶ。

「ええか、足の裏を感じるんや」
「足に力をいれたらダメ。踏ん張らない」
「膝は曲げるんやないで。曲がるんや」
「膝カックン」
「胸骨をグッと上に引き上げる」
「胸や!腹を出すな!」
「頭はあまり振らん方がええ。気分が悪くなるで」
「出来る範囲でやってたら何にもならん。ただの体操とちゃうで」
「安定してたらあかんのや。バランスは崩れな」
「体重は大きく移動する。コケそうになってええんや」
「伸びた時の足の筋肉」
「胸骨を上げたときにお腹から張る感じ」
「足の裏全体で板の目の感触から温度からしっかり感じる」

回数を重ねると、楽なようにやりやすいようにいつの間にかバランスを取っている自分に気付く。
雑に、適当になる動き。
膝の曲げ、胸の持ち上げ、足の筋肉、お腹の張り、部分部分を注意すると足の裏を忘れてる。
鏡に映る不細工な身体。何やこの動き。胸骨関係ないじゃん!
足から上体にかけて、波のようにしなやかにうねって見えた日野先生の動きとは全然別物。
ああ、情けない。
同じことやってるはずなんだから、ちょっとぐらいどこか似てても良さそうなもんなのに。

単純な動きの中に私全部が出てしまう。
何やってるの? 何がしたいの?
しんどくなってる。やめたくなってる。どうせできないと諦めている。
数だけこなしたって意味ないのに、辻褄は合わせようとするんだな。
やり易さに逃げるから、いつの間にか違う事になってるよ。
足の裏、ベッタリと床に居着かせて上体だけ振り回す、そんな動きだったっけ?
「何かつかめてきた」と思い、「いや、間違ってた」と立て直す。
「感じてるか?感じなきゃ」と思いすぎて作った感覚を負うあまりに、身体の声を聞いてない。
胸を突き上げすぎて腰を痛めるなんてアホ過ぎでしょう・・・

そんな感じで、鈍くて、適当で、余計な事ばかり考えてしまう自分にとことん向き合う腕ふり体操。
こんな頭はいつか静かになってくれるだろうか。
運動する割には、リラックス効果は半端なくあるようで、寝つきは更によくなった私の無我の境地は、まだ夢の中にしかない。

思い出に変わるまで・・・

少し前から、どうも不自然な気がしていることがある。

「ん?」と引っかかることしばしば。

それは最初、小学校のPTA新聞を作った時に感じた。

子ども達は作文の中に「思い出」という言葉をよく使うのだ。

遠足に行った感想文、運動会の感想文、修学旅行の感想文、etc.
どれもこれも「いい思い出になりました。」で締めくくる文章の多い事。

だけど、
まあ、小学生だから。
それに、そういった例文が教科書か何かにあるのかもしれない。
締めくくるのに一番使い勝手の良いフレーズとして重宝されてるんでしょう。
ぐらいに、思っていた。

しかし、中学になってもその傾向は抜けないとはね。

素手・素足での一所懸命なトイレ掃除の体験発表で、
やはりそれは多用された。

「最初、嫌だと思ったけれど、きれいになったので良かったです。
 いい思い出になりました」
「すごく頑張ったので、いい思い出になりました」
「普段できないような体験をして、いい思い出になりました」
などなど。

まだ掃除が済んで1時間ぐらいだよ?
もう「思い出」?
終わったこと?
現在とは違う、記憶の1ページ?
すっかり完了形?

またやりたいとか、ここをもっとこうしたかったとか、次はこうするとか、
自分の生活に役立つ発見があったとか、もっとこうした方がとか、
そういったところには繋がっていかないんだ?

言わないだけで自分の中にはそれなりの気持ちは持っているのかもしれないけれど、
何にも驚かしてくれるような発言もなく、適当に無難に流してる彼らを見ると、
「ホンマに若者か?」と言いたくなってしまうぐらいだ。

間違ってもいい、「アホちゃうか?」と思われたっていいじゃない。
過激に熱く語らんかい!

すっごい経験をしたんだから、すっごい感動があったっていいはずなのに、
なぜ抑えるのだろう。
自分の感じたことを。

勿体ない。勿体ないぞ、キミたち!

と、オバちゃんは心配の仕方も半端なく熱いのであった。

強盗事件解決

昼で仕事を終えて帰宅し、ゆっくりしようと座った瞬間に電話が鳴った。
小学校の緊急連絡網。
すぐ近くの町で民家に刃物を持った強盗が入ったのだという。
犯人は2・3人で、現在も逃走中。
学校に児童を待機させているので迎えに来てくれとのことだった。
隣の奥さんが庭掃除をしていたので事件を伝え、町内の自衛消防隊の隊長にもメール。
すぐに学校にかけつけると、すでに多くの親たちが迎えに来ていて不安そうにしていた。
家に戻り、窓も開けられず続報を待つが、何の連絡もないまま5時になり、今度は中学に迎えに行く。
学校に着いたとき、緊急連絡メールが入った。
「虚偽だったと判明」
生徒の集められた体育館の前に詰め掛けた親たちは皆、安堵したものか腹を立てていいのか、複雑な表情。
子どもを連れ帰る車が列をなす夕暮れの道。
のどかな田舎町が騒動にゆれた一日だった。

掃除道

日曜日は中学校の奉仕作業の日だった。
いつもは外の雑草取り。
参加する子どもは運動部の子が中心で、部活をしていない子はほとんど行かない。
なので私も行ったり行かなかったり。
しかし今年は夫婦揃って参加した。
というのも、イエローハット創業者・鍵山秀三郎氏の「掃除道」に感銘を受けた人達の集まりである「広島掃除に学ぶ会」とトイレ掃除をする機会があったからだ。
トイレの数に限りがあるのと、グループに分かれる都合上、参加したい人は事前に希望を出す。
以前から興味があった私はもちろん申し込み、ついでに勝手に夫も申し込んでおいた。
当日知って、「家の掃除はなんともないが、赤の他人のトイレ掃除なんか冗談じゃない!」と夫はめちゃくちゃ不機嫌になったが、なんとか最後まで掃除はやり終えてくれたよう。
閉会式には出ず、昼食に用意されてたカレーも食べずににサッサと帰ってしまったが、まあ良しとしよう。(笑)

「掃除に学ぶ会」のトイレ掃除は、靴も手袋も使わない。
素手・素足が基本。
また、デッキブラシとか長い柄のついた掃除用具も使わず、スポンジ・タワシで丁寧にこする。
一人一便器を割り当てられ、徹底的に磨き上げる。壁も床も。
水を流すのはそれが終わってから。
そしてちょっと変わったやり方で雑巾で最後の一滴まで丁寧にふき取る。
掃除を終えたトイレはピカピカ。臭いもなくなり、深呼吸すら出来るぐらい清々しくなった。

素手、素足でやるのは、“感じる”ためらしい。
「嫌だ」「汚い」と抵抗する心。
便器に向かう時の気持ち。
作業を終えてきれいになった達成感。
それらを五感で受け止める。

学生の中にはどうしても素手、素足になれない子もいるという。
どうも、汚さに対する恐怖感は若い子ほど大きいようで。
決して無理強いはぜず、そういう場合は長靴・手袋の着用もOKだが、「エイヤッ!」と勇気を出した子はやはりそこで何か変わるようなのだ。
嫌々やらされた面倒な事で終わるか、熱心に取り組んだ面白い経験とするかの違いは、そんなものなのかもしれない。

私はあまり汚さへの恐怖感がない方だと思っていたのだが、やはり裸足でトイレの床を踏むとムズムズとした気持ち悪さを感じるのは否めない。
便器にスポンジを突っ込み水を出すのもムズムズ。
だが、やりだすと夢中になる。
こすってこすってこすりあげると取れないと思ってた汚れが落ちる。
まだ汚いところはないか。裏の裏は?見えない部分は?見逃してないか?もっときれいになるんじゃないか?
そうこうしていると、時間はあっと言う間に過ぎる。
「あのこびりつきがまだ取れてない~~」「隅っこの方にくすみがある~~」と心残りはあれども終了。

掃除の良さは、手と足を使って感じて一所懸命になれる所だ。
余計な事は一切頭に浮かばない。
終わった後の爽快感は、場所がきれいになっただけでなく、心の無駄も洗い流されたからではないかと、そんな気がする。

「運が良くなる」「お金に不自由しなくなる」「自信が付く」「仕事がうまくいく」など、掃除の効用が言われたりもするので、おかげ信仰っぽくって胡散臭く見る人も少なからずいるようだが、そんなことはどうでもいいと私は思う。
やって楽しくて気持ちが良くて喜ばれたら充分だ。
そして、気付いた事はそれぞれが胸の内に大事にすれば。

やった人だけわかること、あるよね。

よもつひらさか

死んだ人が、この世からあの世に渡るのが49日目だと言われている。
(本当の意味は、死んだ人云々ではなくて、残された人の気持ちの整理が付く目安らしいが)

私の母は生前からよく、「死んだら化けて出る」と言っていた。
「蛇年で執念深いから、絶対に出るからね」と。

それで、そこまで言っていたのだから出てくるだろうと、私も恨み言を聞くぐらいの覚悟は決めて待っていたのだが、一向に出てきやしない。
通夜、葬式、初七日過ぎても気配すらない。
母の財布からお金をくすねていたババアの家には、窓から入って行ったらしく騒がれていたが、こちらには全然。
仏壇の前で「あれだけ化けて出ると言ってたのに、出ないじゃないか」とブツクサ言っても現れない。

49日もとうに過ぎ、「やっぱりね。霊なんかありゃしないんだ」
と、諦めかけたある日、私は夢を見た。
それは死んでから半年ぐらい過ぎた頃だった。

夕方、見知った町の八百屋に買い物に行くと、母が買い物カゴを持って品物を見ていて、偶然バッタリ出会ったという感じ。
どこも不自由そうではなくて元気な頃のまま。いや、それよりも若返って明るい表情になっていたかも。
「何してるの?こんなところで」と聞くと、
「それがね、意識がないまま死んだものだから気が付くまで時間がかかっちゃった」と言う。
へえー、そんなもんなんだ。
そう思ったという、ただそれだけの夢だったのだけれど、「やっとあっちに行けたんだな」となんだか安心した。


夢といえば、もう一つ母についての夢を見た。
母が亡くなってから3・4年経った頃、金縛りになった夢の中で私は、怖くてもがいて這うようにして隣の部屋に逃げ込んだ。
するとそこには昔のように母が眠っていて、助けを求めて布団に差し入れた私の手を握ってくれたのだった。
ふっくらと柔らかく暖かいその手は紛れもなく母のもの。
目が覚めてからもその感触は残っていて、それは私を嬉しい気持ちにさせた。
私は母の手を覚えているんだなと、わかるんだなと、そしてこれからも忘れる事はないんだなと思うと心が温かくなって。

無茶苦茶酷い娘だったけれど、それでも母は許してくれていると思う。
もう死んでいるし、本当の気持ちがどうであったかは今更わからないけれど。
わかってくれてる、許してくれてると思いたい私は、どこまでいっても甘えているのだろう。
だけど、それでいいんじゃないかな。
年を越えていったとしても、やはり母は母なのだから。

母は化けて出てはくれなかったけれど、ずっとここに居るのだった。

悔いと糧

録画していたTBSの番組『有名人壮絶介護日記(2) ~生きてさえいれば~』を観た。
私は介護についてとても関心がある。
特に経験者の話に。
私はその昔、TVタックルに出ていた頃から舛添要一さんが好きで、お母様の介護の日々を綴った本「母に襁褓をあてるとき―介護 闘いの日々」が出版された時もすぐ買って読んだものだった。
彼ほどの有名でお金がある人でも介護ということになればそれは大変で、現在の医療の矛盾などにも随分歯がゆい思いをされたようだ。
しかし、ハードな仕事をこなしつつ介護に積極的に関わり、また、結婚されたばかりだった奥様も献身的に尽くされたのだから、お母様は幸せだったと思う。
悔いのない介護が出来た人が私は羨ましい。
私は母を幸せにはできなかったから。

私の母は、今の私と同じ年の45歳で脳血栓を発病した。
当時、私は24歳。
身体が動かなくなったので深夜に病院に担ぎ込んだのだが、本人に意識があり、入院は絶対に嫌だと言い張ったため連れ帰って手当てが遅れ、右脳を完全に死滅させてしまった。
以来、左半身は麻痺。歩く事もままならない状態。
状態が落ち着くまで付き添いが必要だったため、私は会社を休ませてもらって病院に泊り込むことに。
蓄えのない母子家庭は、いきなり生活に困る。妹はまだ中学生だった。
生活保護を申請するも、役場の対応は冷ややかで、どれほど悔しい思いをした事か。
しかし、知り合いから議員さんを通して話をしてもらうと、態度はコロッと変わった。
医療費から付き添いの家政婦費まで出してもらえることになり、おまけに住んでいた市営アパートに専用の手すりまで作ってくれるというのだから。
愚直な者ほど馬鹿を見るのいい例だ。
市からお金が出るとなると、病院は急に親切になり、さまざまな提案をしてくる。
色々な物を買わされた。
重たくて全く役に立たない金属でできた特注のリハビリ用器具、やけに高額の杖、高い靴、等々。
患者は言われるままになるしかない。
また、家政婦はいつも不機嫌でブツクサと文句ばかりを言っていた。
「市からの仕事なんか請けるもんじゃないね。安い金しかもらえない。貧乏人は嫌だね。あ~あ、損した、損した。隣の付き添いなんか、見舞い客がよく来るから果物やお菓子ももらえるのに、ここはろくな物がない。この人(母のこと)は、やっかいばかりかけるし、割に合わんわ」と平気で口にする。
私のいない所でも「キチガイ」だの「牛のようにオシッコをする」「汚い」と暴言を吐きまくっていたようで、夕方私が仕事を終えて病院に行くと、母は堰を切ったように泣くのだった。

容態が落ち着き、病院にていもこれ以上の回復の見込みがないとなると帰され、自宅療養となった。
通院と時折のケアセンターの催しに送り迎えが必要で、丁度仕事上の転換期でもあったことも重なって、それならば時間が自由になる自営の方が良かろうと、私は自分の事務所を持った。
しかし、それは当初の思惑とは大きく外れる事になる。
まずは収入を安定させなければならない。
その為には、仕事を取りまくる。来た仕事は絶対に断れない。
自由になる時間が増やせるどころではない。
自転車で自宅と事務所を往復し、朝早くから深夜まで私は働いた。
外に出られない母の話はいつも同じ。テレビの話題、病気の愚痴・・・
次第に私は家にいる時間が短くなっていった。
「私は今、大事な時期なんだから、お母ちゃんも辛抱して週刊誌やお菓子なんかで適当に暇をつぶしておいてよ」と、そんな感じだった。
本当に仕事が忙しかったからかというと、それだけではなかったように思う。
私は母が煩わしかった。
そして自分の運命が呪わしかった。
なぜ、私だけがこんな目に?と思わずにおれなかった。
母がいる限り、私に自分の幸せはない。気ままに遊べもしなければ、恋愛も結婚もできない。
母のせいで私の一生が台無しにされたような、そんな気すらしていたかもしれない。
母は寂しさから昔の知り合いに電話をかけ、それはしばしばトラブルを引き起こし、私を怒らせた。
かいがいしく世話を焼く優しい人のふりをして家に訪ねてきては、財布からお金を抜いていく人もいた。
それを知っていながらも来ることを喜んでいるような所も、私を苛立たす。
私はひどく疲れていた。

ある日、重い身体を引きずって家に帰ると、母が泣いていた。
「死ねない、死ねない」と。
差し出された腕には沢山の傷がついて血だらけだった。
包丁で何度も何度も動かない左腕を切ったらしい。
「もう、生きていてもしょうがない」と泣きじゃくる母を見て、私は逆上した。
こんな母は見たくなかった。本当に悲しかった。本当に情けなかった。
だから、可哀想にと思うよりも何よりも、「それでも親か!」という怒りの方が先に来てしまったのだ。
「何をやってるの。こんなことしたら迷惑でしょ!そんなに私を困らせたいわけ?
 親なら、何より子どもが可愛いんじゃないの? 子どもの幸せを一番に考えるんじゃないの?
 親なら、私に迷惑かけるな! 死ぬなら、見えない所で勝手に死んでくれ!」
怒鳴って自分の部屋に閉じこもった。傷の手当てもしてやらないで。
私も結局、母に甘えていたのだ。
母ならわかってくれるはず、母なら許してくれるはず、と。
そうではなかったことが、ただ、辛かった。

それからしばらくして母は死んだ。
原因はくも膜下出血。
倒れる前日、私と母は大喧嘩をしている。
勢い余って放った言葉が今も私を苦しくさせる。
「あんたが私に子どもの頃からしてきたこと、言ったこと、私は全部覚えている。
 これからそれがどんなに辛かったか思い知らせてやる。一生、いびり抜くからね!」
もちろんそれは本気ではないのだが。
若くして子どもを連れて離婚した母の歩いた道は決して平坦ではなかった。
心細さと不安から、時には子どもに当たることもあった。
それが私を傷つけたのは確かだけれど、何もこの日に言わなくてもよかったものを。
それとも、最後に本人に全部ぶつけることができてよかったのか。。。わからないが。

次の日、私が仕事に行っている間に、母は仲直りしようとわざわざ寒風吹く中を時間をかけて歩いて酒屋にビールを買いに行ったという。
「一緒に飲もう」と声をかけると、「気分が悪いから」と先に寝て、深夜、猛烈な頭痛に襲われた。
救急車で病院に運び、すぐに緊急手術となったが、一週間後に意識のないままその生涯を終えた。

手術室に入る直前、今度は左脳がやられて言葉もしゃべれなくなった母が私の目を見ながら、手の甲でトントンと私の手に触れて何かを訴えかけてきたのが最後の会話だった。
暖かく柔らかい手だった。
励まそうと「怖い?でも、大丈夫よ。治るから。頑張って」と無理に笑顔で見送ったのが、まさか最後になるなんて。


私は図体ばかり大きくなった子どもだった。
病で身体も心も弱っている母に、「それでもしっかり親をやってくれ」「私を甘えさせろ」と要求するほどに。
私がしてしまったこと、私がやってあげられなかったことがいつまでも悔いとして残り、痛み続ける。
どうすればよかったのかをいくら考えても、やり直せはしない。
それでも私は考え続ける。
今なら何ができるだろうか、と。

今なら、悲しい思いはさせない。
今なら、たとえ病気や障害があっても互いが幸せでいられる方法をつかめる。
何が出来るかを探るために、私はこれからも多くの人の「介護」を参考にさせてもらうつもりだ。

悔いは糧となるためにある。
そう信じて。

ポニョ、母としての見方

ゲリラ雷雨というこれまで聞きなれなかった言葉も一般化した。
この夏は、急激な増水による被害で、何人もの人が命を失ったのが特徴だ。
テレビやラジオで出され続ける各地の大雨洪水警報。
目を疑うかのような映像。
水は怖い。
そういったニュースを見ながら、私はこの夏の初めに娘たちと見に行った
「崖の上のポニョ」を思い出していた。

“子どもが喜ぶ、子どもの為の”をコンセプトに、
全編手書きに拘って作ったというこの作品は、
これまでの宮崎アニメファンの大人たちには少々物足りないという声も聞こえたが、
子ども達の反応は上々で、要所要所で小さな子らの笑い声が沸き起こっていた。

確かに面白い映画ではあった。
ただ、私は今回、どっぷりと話の中に浸って楽しむ事は出来なかった。
主人公が5歳と小さかったためか、どうしても親の視点で見てしまう。
5歳の子とその母親は仲の良い親子という設定だが、私には親子には見えなかった。
なにも子どもが親を「リサ」と名前で呼び捨てにしていたからばかりではない。
幼い子を持つ親にしては、あまりにも無謀すぎると感じたからだ。

豪雨と暴風の中を子連れで移動するというのがまず信じられない。
特に洪水で水没しかけの道をエンジンをふかして勢いつけて突っ切るなどとは。
車は排気口が塞がれるとエンジンが止まる。
水中でその状態になるのがどれほど危険な事かは、
今回の豪雨被害で車内での溺死者が出た事が証明している。
とんでもない大勝負だ。
しかも、それでなんとか家に帰り着いたというのに、
いくら仕事の責任感があるといっても、
深夜に子どもだけを置いて出かけられる、その神経がわからない。
どんなにしっかりしてるといっても、水に親しんでいて泳ぎが上手いとしても、
親なら絶対に出来ないはず。
「なぜここでこんな行動を?」と思う人間には感情移入できない。

ちょっとの油断で、すぐに命の危機。
それが子どもというものだと、子育て経験のある人ならわかるもの。

子供向けのアニメの世界だから悲惨な事は起きないという前提を差し引いても、
親は子を心配し徹底して守り、子は親に従い守られるという部分を欠いては、
親子の情愛そのものが怪しくなってくる。
可愛がるけれど、とても薄情な印象は、ポニョの両親にも共通する。
親と子が横並び。
5歳の子どもが大人と同じ扱いを受け、意思を主張できる世界は、
相当奇妙に思うのだが、そうでもないのだろうか。

たかがアニメ。
もっと気楽にただ楽しめばいいのかもしれないけれど、
進みすぎた“イマドキ”の親子関係は、リアルなんだかファンタジーなんだか曖昧で、
どうも気持ちがスッキリしない。
そんな印象を受けたのだった。

とにかく、自然は侮るまい。
そして、何が一番大事かを間違えまいぞ。

好きな仕事

確かに、「自分の好きな事を仕事にできていいね」とよく言われる。

「私にも何か才能があったらなぁ」
「楽しいでしょ」とも。

「うん・・・、まあね」
そんな時、私はあいまいな笑顔で返す。
そう見えるんだろうな、と複雑な思いで。

私は仕事が“好き”ではない。
どちらかといえば辛い。
では、なぜ続けているのだろう。
18の時、「デザイナーになる!」と決めてから28年も。

才能なんか一欠けらもないのは自分が一番良く知っている。
いつだって七転八倒。胃が痛い。
どんな小さな仕事でも、まず、「出来なかったらどうしよう」と思う。
感性なくて頭は悪いし手は遅い。
四苦八苦の挙句になんとか仕上げても、
100%満足したことなどない。
長年やってるのに下手っぴい。
自信なんか持てやしない。
努力も嫌いだし、「もう辞めたい」と幾度考えた事か。

実際、何度か離れてもいる。
OLやったり、工場で働いたり。
しかし、2・3ヶ月もすると“次”の計画を立ててる私がいる。
なんだろな。

少し前も「もうやめた」「これからはやりたいことだけやるんだ!」と、
家中の仕事に関する本や資料、学生時代から集めたスクラップ、
描き溜めたイラスト等、全部捨てたはずなのに、
勤めに出た先がまた業界なんだもの。
手作業からパソコンによるDTPに変わった時期に自営だったから、
赤ん坊を背中にくくりつけて毎朝4時から
一人で練習して身に付けた技術やスピードが
どれだけ一般の会社で通用するか確かめてみたいってのはあったにせよ。

で、やっぱり、しんどいや。

わかんないなぁ。何でこうなってるのか。

どこかに私に向いてるいい仕事ってないだろうか。
ワクワクして楽しくって心が満たされるような大好きな仕事。
「これぞ天職!」と自他とも認めるピッタリの。


なんてネ。

あるわきゃないわな。
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