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ご要望をどうぞ

隣のクラスの子からコメントが入っていた。
非表示だけど。

>別にどうでもよくない?
>ほとんどはこっちのクラスの問題だしw
(シナリオ通りにはいかないけれど)


>リコーダーを指で回したり落としたりする子など、もちろんいない。
>↑ほとんど変わってませんけど?
>○○くんはいっつもリコーダー指でまわしてますが?
(娘、問題児になる24「終焉」)

う~~ん? 
で、私に何を気付けって? どうしろっての?
ご要望をどうぞ。
非表示にしなくていいからさ。www

泣かすぞ!!
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CAPの限界

大人用CAPプログラムの後、折角なので講師の方に質問をしに行った。

「『No』と言う権利を子ども達に教えるのは大切なことですが、
 逆に、他人の『No』と言う権利を認める事は教えられないのでしょうか?」

私には今現在、小6の長女について困っていることがある。
困っているというか、面倒でうっとうしいと思っていることが。

娘ははっきりした性格で、嫌な事は「いやだ」と言う。
2年ぐらい前から、家が近所で昔からよく遊んでいた子が意地悪をするようになってきた。
それは特に誰と決まっているわけではなく、その時の気分次第で
ある誰かに対して嫌がらせをしたり、無視したり、悪口を言いふらしたりする。
そうして、友達にも同じ事をするように求める。
昨日まで一緒に帰っていた子が、今日はターゲット。
昨日無視され悪口を言われていた子が、今日は仲間で一緒に言う側。
虐めに加わらないと自分が仲間はずれ。
それが怖くて、皆でつるむ。
娘はそれが嫌で嫌で、悪口を持ち掛けられたら話題を変えたり、
その場を離れたりしていた。
当然、あちらにしてみればそんな態度は面白くない。
「なに、あいつ」ということで、無視されたり、ヒソヒソ悪口を言われるようになる。
「絶交よ!」と言われた事も数限りなくある。
というのも、しばらくすると向こうから擦り寄ってご機嫌取りをしてくるからだ。
そして同じことが繰り返される。
もう、うんざり。
ある日、いつものように
「なんであの人と仲良くするの。口をきいちゃダメって言ったでしょ」と言われた娘は、
「こんなことを続ける人とは付き合えない。あなたたちとは絶交する!」と言い切った。
娘の初めての絶交宣言。
あちらにしてみれば、そんな反応をする事自体が理解不能。
「ムカつく」とあることないこと、メチャクチャな噂を流し、
露骨に避けたり、目の前で悪口を言ってはチラチラと見るということをやってきた。
しかし、娘は腹立ちを抑えて、涼しい顔で無視を貫く。
するとどうだろう。今度は媚を売ってきだしたのだ。
「ねえねえ~」とニヤニヤベタベタすり寄ってくる気持ち悪さ。
娘はそれに対しても無視。
やっている事が変わっていないのは見えているから。
「Aさんが仲間はずれにされて可哀想だから仲良くしてあげてね」とBさんに頼んでおいて、
AさんとBさんが仲良くなると、Aさんに近付いてBさんを虐めだすというようなことを。
チヤホヤしてみても娘がなびかないことに業を煮やした相手は、とうとう泣き出した。
「どうして無視するの?どうして私をそんなに嫌うの?
 私が悪いところは直すから、仲良くしてよ~」と、サメザメと。
取り巻きを含めた大勢の女の子たちがいる前で。
「そうよ、可哀想じゃない!」「ひどいよ!」「泣くほど悲しんでるのよ!」
興奮し、芝居がかった声で口々に娘を罵る女の子達に娘は言った。
「泣けばやったことが消えるのか! 泣いたら正しいのか!
 人を思い通りに動かそうとするのはやめて! 私のことは放っといて!」
それでも彼女達は、今でも娘が気になって気になって仕方ないよう。
「あ~、うっとうしいな~。気色悪いし、学校に行くのが億劫だよ~」と娘は時々口にする。
しかし、事情を知ってる良い友達も沢山いるので深刻に悩んではいないのだが。


「親として、何がしてやれるでしょう?」
「CAPを学校でやる時に、こういったことがおこらないように、
 互いに他人の『いやだ』ということをしないよう教えられませんか?」
その問いかけに、講師の方はこう答えられた。
「CAPは、被害者のための犯罪防止プログラムなので、そこまではできません」と。

被害を受ける弱者として何ができるかは教えられても、
加害者になりうる可能性については教えられない。
それがCAPの限界なのかもしれない。
(本当に理解させられるとすれば、そういった内容も含まれてはいるのだが)

近年、被害を受けた弱者としての主張で加害する術に長けた人間が、
子どもだけでなく、社会的に増えてきているように思える。
皆、自分を被害者だと思っている。信じて疑わない。
何をされているのかに神経をとがらせるけれど、
自分が何をしているのかを知らないような人間ばかり。

どうすればいい?

CAPはCAPで無意味ではないけれど、
もう一つ別の角度からのアプローチが早急に必要ではないかと思っている。

それは何なのか?

大人用CAPプログラム2回目

小学4年生が受講する子供用CAPワークショップを前に、
保護者や地域の方を対象にした大人用CAPプログラム講習会があった。
前回は参加者が少なかったが、今回はどうだろう?
私がPTA執行部にいた時に学校に導入したということもあって、
その効果や反応、受け入れられ方に関心を持ち続けている。
だが、今年は去年より少なかった。
一般の人は10人ぐらい。
お世話をしてくれる地域コミュニティの人や育成会、PTA役員が約20人。
公民館のホールはがら空き。
見回すと、ほとんどが去年も来ていた人達だった。
なんだこれ?
問題の渦中にある子の親の顔はない。
きっと、それはそれ、これはこれで、根本は同じとは思ってもいないのだろう。

CAPプログラムの内容は前回と同じで、
最初に、人間には生きるために「安心」「自信」「自由」の権利があり、
それを脅かす行為にははっきり「いやだ!」と言っていいこと、
逃げてもかまわないということ、助けを求めようということを
どう子どもに教えるのかの説明がある。
そして、寸劇を使い実際の場面を再現し、考えさせる。
いじめ、不審者、性的虐待への対応が示されるのだが、
子どもの感情を考慮し、登場人物の名前が
受講するクラスの子と同じにならないように変えたり、
子どもに演じてもらうときは、本人が望んでも
悪役はやらせないということに気をつけている。というようなことを聞く。

犯罪防止プログラムなので、
すぐにめざましい効果が現れるものではないと知ってはいるが、
情報誌を見ると、年々、CAPの受講は子ども用も大人用も減っているようだ。
防犯ブザー、防犯ジャンバー、通学見守り運動、ステッカー等の
目に見えるものでも、その効果はどうかの結果は出ないものだが、
CAPは被害者側の意識の変化を狙ったもので、より地味だからかもしれない。
地域安全マップ作りも、一昨年全国的に盛り上がったが、今は誰も言わない。

本当に「継続は力」になるのか?
継続してみない事にはなんともいえない。
来年は末っ子が4年生でワークショップを受ける。
私も広報活動に力を入れてみようか。
学年の親達だけでも、自分の子どもが何を学んできて、
親に何を求めてくるかを知ってもらう必要があるから。

しかし、反面、「安心」「自信」「自由」の生きる権利など、当たり前のことで、
こうやって教えられなきゃならないものか?という気もしている。
言葉の概念だけが独り歩きして、実際とかけ離れたものになってるような。
「あなたが大切だ」と何百回言われたって、
大切にされてない人が「私は大切な人間」と信じれるわけがないのと同じで。

とにかく、できることをやっていくしかない。
何も変わらないかもしれない。何の役にも立たないかもしれない。
それでも。

第80回「武禅一の行」3─顔

「二人組み」、で適当に近くにいた人とペアになり、まず「雑談」。

私が組んだのは、初参加の気弱そうな男性。
一見しただけで内向的で人付き合いが苦手そうな印象の人。

雑談自体は別に難しい事ではない。
住んでいる地域、参加の理由、仕事、趣味、家族等について、
どこのペアも適当に無難なやりとりをする。
普段の生活なら、これで自分と相手との関係ができていると思うだろう。
そんなこと疑ってみもしないから。

しかし、目をつぶって声だけで他人の会話を聞くと・・・・・・、
そして、“相手に”向かってるかどうかに注意を傾けてみると・・・・・・。


「よっしゃ、ナマムギや!」

同じペアで「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ!」が始まった。
今回は経験者が多いので、最初から飛ばす雰囲気。
とにかく大きな声で、全身から押していく。
すると、なんだかよくわからない初心者の人も自然呼応して、
室内はいきなりヒートアップ。
私の相手も、結構負けん気は強かったのか、と思うようないい手ごたえ。

そしてまた雑談。
「え?」目をみはった。
さっきと同じ人、だよね?

顔が違う。

不安げな目、緊張した口元がホワッとほどけて、
柔らかい明るい表情になっているのだ。
顔色も良くなり、眉間やところどころにあった赤黒い血行の滞りは消えている。
「すっごいいい顔になってるよぉ!」
嬉しくなってはしゃいでしまう。
「そうですか。大きな声を出すと気分がいいですね」と彼も嬉しそう。
話す声も先ほどと比べると引っかかりがなくなってスムーズなような。
この顔なら話しやすい。
人付き合いが苦手な人との印象を人に与えない。
安心できる。親しみが持てる。感じがいい。

まだ武禅は始まったばかり。
かっちり正面を合わせたわけでもなくて、
「ナマムギ」を言い合っただけでこの激変。
スゴイ! スゴイぞ!

ずっとずっとその顔でいて欲しい。

第80回「武禅一の行」2─マジですか?

先生との向かい合いの後、参加者同士で木刀を使い、同じようにやってみる。
素手で立つ時には全身で向かっているつもりでいても、
木刀を持つ方になると、その相手の挙動不審さがよーく見えてくる。
ボサー、ヌボー、カッチコチ、あるいは落ち着きなくソワソワしたり、
やたら虚勢を張って怖い顔を作ってるのが丸わかり。

「プッ、なんだぁ?そのクッサイ芝居は。
 なめたマネしさらしとったら、ホンマにぶっ叩いたるゾ」
という気になる。

で、自分はそんなふうにはならないと、
精一杯の“本気”で相手に向かっては言われるのだ。

「簡単に突けますね」 と。

ガックシ・・・

どこまで行っても、“つもり”は“つもり”。

自分の思うことが本当ではない。
見えているそのままが、本当の姿。

第80回「武禅一の行」1─真剣向かい合い

武禅の一番最初は、刀を構えた先生の前に立つ真剣向かい合いをやる。

何の為にかとか、何に心がけたらいいか、注意点は、目線はどこ、どんな姿勢、
一切説明はない。
ただ、前に立つということをする。

これが私にはいまだにわからない。
単にそこにいればいいだけなのだが、いられないのだ。

先生が私に対して刀を構えて立つ。
私も先生の方を向いて立つ。
しかし、刀を構えた先生の前には立てないでいる。
つまり、そこに相手が居ても居なくても関係なく、
単独で存在することになってしまうから。

「どうしたらいい?」
「マズイ、マズイ、わかんないや」
「こういう場合、恐怖心を抱かなきゃいけないんだろうな」
「ふいの動きに対応できるように身構えるのが正解?」
「エネルギーが拮抗するように強い視線を出さなくっちゃ」
「さまになるような恰好いい姿勢ができるといいのに」
つまんないことばっかり考えて騒がしい頭。
完全に相手を無視。
全部、自分のことばかり。
先生は静かな目でそれを見透かされる。

・・・はぁ・・・、また今回も惨敗・・・・・・。


その後、今回で武禅をご一緒するのは三回目の大阪教室に通っているOさんが
先生の前に立った時、私は、ある奇妙な現象に気がついた。
手がブルブルと震えていたのだ。ゆるく開いたまま。
何かの発作?痙攣?チック?
今までそんな動きをされたのを見たことはないけどと不思議に思っていて、
帰りの車の中でその理由を知った。
なんと、先生と向かい合った瞬間に身体の芯からものすごい恐怖を感じ、
身体が勝手に震えだしたのだそうだ。
「あんなに怖かった事はない」と言うOさんは、その時、確かに先生の前にいたのだった。

抜いた刀を突きつけられている人の、これが正常な反応というもの。
実際に斬る斬らないは別として、「斬るぞ」の意思を持った姿の人を前に、
ボケーッと物思いにふけっている場合ではないのだから。
頭の中の出来事が優先されて、現実を見られない人間を不感症という。

「いいなー、Oさん、いいなー」と、羨ましがってみたって、こればっかりはどうしようもない。
誰かにどうにかしてもらえるものでもないのだし。
このとんでもなく鈍感な私が正常な感覚を取り戻せる日は、
いったいいつのことになるのやら。

なぜ行くのか

武禅をずっと楽しみにしているのに、
行く日が近付くと落ち着かなくなるのもいつものこと。

何も変わっていない、何もできていないという焦り。
底の浅い馬鹿な自分をさらけ出すことになる気の重さ。
痛いところを容赦なくえぐられてしまうだろう怖さ。
それらがズッシリとのしかかってくる。
他人と向かい合うということは、真に自分と向かい合うことになるから。

三日間、家を空ける用意に追われながら、
「なぜ私は行くのだろうか?」と頭に浮かぶことがある。
特に困りごとがあるわけでもない。
技術が身につくというものでもない。
資格がとれるわけでもない。
毎回、ほぼ同じ事をするだけ。
それなのに、家でのんびりできる時間よりも、
自分にとって厳しい時間を選ぶ理由は何なのだろう?

武禅では、セクションごとに、一つのテーマを繰り返しただただ稽古する。
やることはいつも決まっている。
それは本当に単純で簡単なことばかり。
向かい合って立つ。
「こんにちは」と言う。聞く。
声を届ける。身体を知る。人に触れる。人に従う。。。
そんなもんのどこが難しい?と、普通はそう思うようなもの。
「新しい事を習うんじゃないのに、どうして何度も行くの?」
武禅の事を知らない人に何をするのかを説明をした仲間が、そう聞かれたという。

なぜ行くのか。
その答えは、行く人にとっては決まってる。

できないから。

できるようになりたいから。

だから行くのだ。
「今度こそ!」と思いながら。

私は、まだ何一つまともにできない。
しかし、日常の生活には、とても役立っているという不思議。
武禅で稽古したことを日常で試し、日常で気づいたことを武禅で試し、
新しい発見の連続の面白さを知ったら、もう引き返せない。

焦燥、不安、恐怖の幻想は、
大きな喜びを引き立てるちょっとしたスパイスみたいなものかもしれない。

第79回「武禅一の行行会」3─変化の瞬間

前回の武禅では、実は奇跡のような体験をしたのだった。
あまりに素晴らしすぎて、すぐには文章には書けないほどに。
もう少し時間が経てばまとめることができるのではと思っているうちにもう半年。
明日から第80回武禅。
そこへ行く前に、やはり書き記しておきたい。

人はそう簡単には変わらない。
だけど、変わるのだ!
扉が開くように。
それは、今、思い出しても涙が出そうになる瞬間だった。

声を届けるセクションで、武禅初参加のFさんという女性と組んだ。
彼女はパッと見だけで内向的な印象の人。
「『こんにちは』を私に届けてください」と言っても、
初めての人がすぐにできるものではない。
もちろん私もまだまだ全然できていない。
だから、稽古をするのだが、
初めてだと、何をやるのかをわかるまで一苦労だったりもする。
ただ大きな声を出せば良いってものでもないし、
「全身で向かってきて」と言われても、「どう?」と戸惑う。
それはよく知っているので、「できない」「難しい」と言われるのを、
「大丈夫」「思い切って」と、
気恥ずかしさや自分の殻を取っ払うよう助言をしていた。
「バーンと出して!」「私に!私に!」
しかし、どうしても向かってくる姿勢が見えない。
また、反対に私が声を届けるときにも受け止めようとしてくれない。
演技でも何でもいいから、前に出てみてくれればいいのに、
シラッと引いているだけ。
そして、できない理由を説明し始めるのだった。
「どうしても壁があって、乗り越えられないんです」
「私の性格的にはこれは難しいですね」などなど。
できない理由なんかどうでもいいの!どうやったらできるかじゃないか!
と、次第に腹が立ってくる。
ツーンと遠くから眺めるような視線の人にどうやって向かい合えと?
しかし、彼女はその自分の姿にさえ気付いてはいないのだ。
「不愉快です!!」
私は声を荒げていた。
この人はダメだ、と、その時は思ったのだった。

セクション進んで、「歌を届ける」の時、
組んだ4人の中にまたFさん。
1対1でもできないのに、1対3になれば尚更難しい。
「届きません」「遠いです」「私を無視してます」「意識がとぎれてます」
誰が歌っても、そんな言葉が続く。
やはり・・・、重い空気が漂い始めるかとみえた時、
最年長で武禅の初期から参加されている女性の思い付きから、
思わぬ方向に進み始めた。
届かないなら、なにがなんでも届かせようと。
届かせるためなら、なりふりかまわず。
登場の仕方の演出から、身振り手振り、表情、なんでもあり。
それがまた面白くて、お腹を抱えて笑い転げる。
次第に手を叩いて皆でノリノリ。
「もっと、もっと!」と皆が飛び跳ねるように受けるようになれば、
歌う人は、いくらでも調子に乗れる。
もう、何が何だかわからないけど、行ける所まで行け~~~、
とばかりにはじけまくり。
その中で、分厚いガラスの向こうで頑なに自分の殻を守っていた
あのFさんが、全身で歌を、声を届けていたのだった。
笑顔で、まっすぐ人を見て、大きな声で、足を踏み鳴らして。

この騒ぎに他のグループの人達も皆、注目していたらしい。
私は後ろを向いていたので気付かなかったのだが、
Fさんの歌を届ける姿を見て、涙を流していた男性もいたとか。
Fさんの歌は、道場にいた全員に響いていたのだ。

「他人と関係するとはこういう事かとわかったような気がします」
たった半日でスッキリとした表情になったFさんの言葉。
ウン、私も!

私は本気でムカついたから、Fさんには、ここに書けないぐらいの酷い事も
さんざん言ってしまったのだが、
武禅を終えて別れの時、彼女は何度も何度も私にお礼を言ってくれるのだった。
「ぽあんさんが『不愉快です』と言ってくれたお陰で気付くことができました」と。
私じゃないよ。
こちらこそ、ありがとう。
他人と関わる事の素晴らしさをこんなにもまざまざと見せてくれた彼女に、
一緒にあの場で関わった仲間たちに、この出会いに、心から感謝したい。


この感激を家族に伝えたくて、家に帰ってから一所懸命に話をしたが、
「フーン」と、反応は薄いものだった。
しかし、そんなものだろうと思う。
あの場の、あの関係の中でだけ起こりえた奇跡の感動は、
体験した人だけのものだから。

Fさんはその後、すっかり見違えるほどの明るい笑顔で大阪教室に来られたそうだ。
また、いつか会えるといいけれど。
今度はもっとゆっくり話をしてみたい。


さあ、明日は新しい武禅。
新しい出会い、新しい体験。
新しい私になって帰ってこれるよう、全身全霊全力を尽くす!

中学校上空に乱気流

今日は夜から中学校へ。
中学もまた荒れている。
特に中二。
頭髪の乱れ、服装の乱れ、態度の悪さ、昼から登校、
化粧、暴力行為、窃盗、深夜の徘徊・・・・・・
学校でいくら注意をしても聞かない。
家庭に連絡しても改まらない。
それどころか、指導が行き過ぎなのではないかと不満が出る始末。

少し前の生徒なら、
「お前、いい加減にしろ!ちゃんと直せ!」と厳しく叱れば、
それなりに改善みられたものだが、今の子は、
「できません」と言うのだそうだ。

「髪を切ってこい」
「できません」

「授業に間に合うように学校に来い」
「できません」

「化粧をしてくるな」
「できません」

これを言われたら、指導のしようがない。
今は昔と違って、罰則を設ける事が非常に難しい。
バリカンで髪を刈る事もできないし、廊下に立たすことさえ体罰の域。
他の生徒に影響しないように別室に隔離しようにも
時間と人手が限られる教員の負担は大きく、とても対処しきれるものではない。
色々な学校を経験してこられた先生方も、お手上げの状態なのだ。

そこで、今夜の学年懇談会。
保護者の理解なくして、学校の指導の強化は図れないから。
これまでより厳しく言葉も強くなるかもしれないが、それらはすべて生徒を思うゆえ。
学校を信じて保護者の方も協力体制をとって欲しい、というような話をされた。

そこまで酷かったのかと、腹が立つやら呆れるやらの気持ちで聞いたので、
もちろんそれには大賛成。全面的に支えたい。
それは、その場にいた保護者の全員の思いだったと思う。

しかし、問題は、一番この話を聞いて欲しい人達が、
決してこういった場に来ようとはしないということだ。
荒れている子の親達。
たいてい、子供に無関心であったり言いなりだったりするその人達が、
学校の指導に反感を持っては、その批判的な雰囲気を広めていくというのに。
荒れる子供が退廃の気風を広めていくのと同じように。

そういった人達に対して、他の保護者達は何もできない。
そこがなんとも歯がゆい所。
せめて、中学も小学校のようにフリー参観を設けてもらい、
保護者が足繁く通って顔を見せることで、先生方を心強くできればと思う。

それにしても、中学生もやはり幼稚だ。
そして、弱すぎる。
悪い子に注意もできない。リーダーシップもとろうとする子はいない。
横を見てはみ出さないようにとそればかり。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の、そのまんま。

先生が子ども達に聞いたのだそうだ。
「どんな学校を目指すのか」と、その目標を。
すると、出た答え。
「みんなが笑顔でいられる学校」
「誰でも意見が言える学校」
だそうだ。
なんとも泣かせるじゃないか。
そんなの、当たり前だっての。
目指すものではなくて、普通そうなってて然るべきな事。
では、と、「そのためにはどうしたらいい?」と聞くと、シーーーン。
何も出なかったという。

本当にわからない?
とするなら、
ルールを守らなければいけない理由を、教えられてきてなかったのかなぁ?

ネコの脳の喜び

地域の小中学校の教育研究会があり、私はそれの講演会にだけ出席した。
演題は「子供が育つ家庭とは」。
講師は子を持つ母親でもある元小学校校長。
近年の若者の自尊感情の低さやヒキコモリの問題は、
親が子ときちんと向かい合えていない事がそもそもの原因であり、
殊に、テレビ、ゲーム、パソコン、携帯が生活に入ってきたせいで
他人との“かかわり”が薄くなってきたからではないか、
といった所をとっかかりに、信頼を築くにはどうしたらよいか、
子供に意欲を持たすには何を考えるべきなのか、
他社を悪者にして責任逃れをしていては何も解決しない、といった話をされた。
どこぞの書物で見かけるような情報や概念には興味はわかないが、
時折挟み込まれる、実際の経験の中で接してきた人達の生きた言葉や、
「こうやってみたらこうなった」との具体例はなかなかに面白いものだった。

終わりごろ、関わる方法として「読み聞かせ」の効用の話が出た。
「読み聞かせ」は子供にとても良い影響を与えるという事はよく耳にする。
本が好きになる。
想像力が豊かになる。
言葉が増える。
情緒が発達する。
表情が豊かになる。等々。
私は「読み聞かせ」には、大人が子供に「してやる」的ニュアンスを感じて
どうも諸手をあげて大賛成と言いがたい気持ちを持っているのだが、
今回はそういうことではなく、
脳に働きかける部位が違うのだという話だったので、これは新鮮だった。

普通、頭の良さである理解力・思考力は前頭前野の働きであり、
脳に良い影響を与える「読み聞かせ」は、
そこを刺激し発達させるものだとばかり思われてきたのだが、そうではないらしい。
ある研究機関で読み聞かせ最中の子供の脳のどこが最も活発かを調べたところ、
頭の前方、脳の表層ではなく、
もっと内部の生物として基本的な部分がより活性化している結果が出たそうだ。
原始的な脳が快感を感じる。
これが情緒を育み、その心地よさを与えてくれる人への信頼となり、
自分が大切な存在なのだという認識、即ち自尊意識へと育っていくのではないか、
そんな話をされていた。

「原始的な脳」
そう聞いて、私はある事を思い出していた。
人間の中にある「ヘビの脳」の事。
これは以前「ヘビの脳の悲しみ」という記事に書いた。
酷い虐めにあうと、生きるために必要な指令を受け持つ部分にダメージを受け、
生命維持が困難になることがある。
その大切な部分が「ヘビの脳」と呼ばれる脳幹部分。
それならば、脳が喜びを感じることによって、
その部分が活性化し、癒される事もありうるのでは?と考えたのだ。
早速、帰宅して調べてみた。
しかし、そうはうまくはいかないのだった。
読み聞かせによって心地よくなり活性化する部位は、大脳辺縁系とのこと。
ここは通称、「ネコの脳」。
喜怒哀楽を司り、「ヘビの脳」より外側のより進化した部分。
命にはダイレクトに傷を付けられるのに、
ダイレクトに元気付けることはできないということか。
しかし、それでもいくらかは近付いているような気はするのだが。

「ネコの脳」を喜びいっぱいにすることで、
「ヘビの脳」を守ることはできないものだろうか。
試してみても、損はないと思う。
それには、もちろん読み聞かせだけが有用な方法というわけではないだろう。
さて、ではどんなとき子供の脳は喜びを感じるのかだが、
本当はそんなこと、誰かに教えてもらう事ではないんじゃないかなという気もする。
いつだって、目の前のその子が求めてくれてるはずだから。

そんなことを言ったら、身も蓋もないか。(笑)

【参考】 親子の脳内活発化 「読み聞かせ効果」科学的にも実証

秋の1日

小川のほとりの岩に座って、おにぎりを食べた。

うららかな日差し。

水面に映る色とりどりの紅葉。

青空に飛行機雲が、ゆっくりと崩れていく。

せせらぎ、鳥の声、
対岸の野点の席から聞こえてくる笛の音。

そよ吹く風が木立を渡る。

「いいねぇ」
「いいねぇ」

「ここにこうしていると、嫌な事なんて考えられないね」
と娘に言われて、
「あ、そうだなぁ」と気付く。

うん、今、何も考えてなかったや。

「いいねぇ」
「いいねぇ」

本当に、気持ちいいねぇ。

ラスト オブ ヒーロー

最近、ある曲のフレーズがずっと頭の中に流れている。

 ♪もうこんなとこに いてもしょうがねぇ
   守るもんないし 飽き飽きした

   「ねぇ ヒーロー そんな事言わず闘っていてよ
    みんなの幸せ 誰が守ってくれるの?」

   そう言うならお前が闘え 人様に頼んじゃねぇ! 
(ラスト オブ ヒーロー/ポルノグラフィティ)

なぜかって?
我が自治会がまったくこの通りの世界なんだもの。

適当な運営をしていた自治会に物申した人が自ら立って会長になって4年。
様々な改革をやり、組織としてのあり方を強化し、
住民相互の連帯を深めるイベントも定着してきた。
特に地域の安全を守るという点には力を入れ、各所に消火器を配備、
市と交渉して街灯を増やし、このあたりの団地の中では一番明るい町になった。
少しでも経費削減のため、県内あちこちから不要なゴミ箱を運んできては修理したり、
地域コミュニティの仕事もこなし、休むまもなく働いているといった感じだ。
ボランティアなのに。

しかし、それだけやっても不満はでる。
それはいい。
不満があるなら班やブロックを通して役員会に上げてくれれば、
そこで何らかの方法は考えるから。

だけど、絶対にそうしようとしない人がいる。
陰で愚痴をこぼし、ある事無い事悪口を言いふらしては揉め事を作る人、
個人的な感情で直接役員の家に電話したり怒鳴り込みに行く人、
気に喰わないからと抜けて、会費を払いもしないのに備品を使う人、
特に考えも無いのに総会を引っ掻き回して自分の存在をアピールする人、
その様子が面白いと喜んで野次を飛ばす人など。

彼等は口先では、それらしい“正しい”ことを言う。
が、行動は伴っていないのは丸分かり。
そこを指摘すると逆切れという低脳ぶり。
それでも、そんなのが怖くて逆らえない人がいるというのが情けない。

やってもやっても批判がでるし、
「あいつが会長をやっている自治会にはいたくない!」とまで言う人がいれば、
うんざりしても当然だろう。
一緒に役員をやってきた人間だっていい加減疲れる。

しかしそれも、今年度でおしまい。
なぜなら、会長が今年もう一年続投をする条件が、
各ブロックからそれぞれ来年度会長と役員候補を出してもらうということだったから。
これだけ現会長や自治会が気に入らず、文句がある人がいるのだから、
誰か立つだろうと思っていた。
「おかしいじゃないか!」と言うのなら、正しいと思うようにやってくれればいい。

だが、誰も出ないのだった。

24の班がそれぞれ班会議をやって、候補者0。
その理由が、
「頑張った挙句、総会で吊るし上げになるのはゴメンだ」ということらしい。
誰も候補者が出なければ、会長はじめ役員は持ち回り制になる案がある。
すると今度は、「それなら、自治会を脱会する」と口々に言い出す。
この調子だと、来年度は
200数十世帯の町に自治会が存在しないという可能性大。
それなのに、「なくなったらなくなったで仕方ないんじゃないのぉ?」と
やはり皆、他人事なのだ。

こんな状態の中、
「このまま今の会長がやったらいいんじゃないの?」という声が出る。

「他の誰もできないよ」 「やってよ」 「放り出すなんて、無責任だよ」 と。

誰がだ?

誰が無責任だ?

誰の町だ?

誰が困るんだ?

 ♪生まれ見ぬ子ども達よ いずれ父に聞いてみなさい
   僕等の時代に なぜヒーローはいない?
   誰が殺したかと・・・・・・・


【参考】 ご指名はいりましたぁ  過激な議事録

ゆさぶられっ子の背景

泣いて困る赤ん坊はゆさぶると泣き止む、というので、
よくやる人が多いのだそうだ。

知らなかった。
4人も子育てしたのに。
夜泣きにはホトホト参ったものだったけど、
揺さぶるという手段は思いつきもしなかったナ。

泣き止むだけならいいが、吐いたり、ぐったりしたり、
場合によっては脳に後遺症が残ったり、死んだりすることもあるので
問題となっているのが、ゆさぶられっ子症候群。
2歳以下の乳幼児、ほとんどが6ヶ月以下の子がなっている。
それはそうだろう。
まだ首がすわったかどうかのふにゃふにゃのところへもってきて、
ガクガクと揺さぶるというのだから、正気の沙汰ではない。

泣くしか意思表示のできない赤ん坊の要求をきいてやるより、
すぐに静かにさせたい自分の要求を通す親とは、
なんとも恐ろしいではないか。

親に限らず、最近は、子供の声(泣き声だけでなく、はしゃいだ声にも)に
異様に我慢ならない、癇癪もちの大人が増えているように感じる。

そういう人達は、自分が赤ちゃんの時にも、
ずっと要求を無視され続けてきたのだろう。
さぞ、我慢を強いられる子供時代を過ごしたのだろう。
そのままの気持ちを残して、イライライライラ。
泣く子が悪い、泣かせる親が悪い、と信じ込んでいるから厄介だ。

赤ん坊を人間として見ていないようでもある。
それとも、人間すべてを、そのような“モノ”として見ているのかも?
スイッチ、ポン、で思い通りの。


添い寝を自立を妨げる悪としてきたアメリカでは、
ゆさぶられっこの事例は30年前から報告されていて、
今でも年間1000人以上が死亡しているという。

躍動を観た!

声もなかった。

息が苦しくなるぐらい、張り詰めた空気。

圧倒。

舞台の二人はとても大きかった。

くっきりと浮かび上がっていた。

光っていた。

目が離せない。

追っていく。

観たい! 観たい! 観たい! 喜んでいる。何かが。

クルクルと遊ぶ子猫のように、どこにも引っかかりのないキレイな身体。

しなかやにダイナミックに、全身が動く。

足の指先から、足首、すね、膝、もも、尻、腰、腹、背、わき、肩甲骨、
肩、腕、肘、手首、手のひら、指先、首、顔、頭のテッペンまで、
全部繋がってる。
全部、自由自在。

そして、コネクト! コネクト! コネクト!
目まぐるしい速さで火花がはじける。

・・・・・・

激しい動き、静かな流れ、どんな時でも繋がっている。
舞台の上、そして、観客。
落ち着いてリラックスなんて、とてもできやしない。
迫ってくる。連れて行かれる。

そんなステージだった。


ワークショップで習った事、確かに全部ここにあった。

正面、ねじれ、触れる、相手に従う・・・

だけど、全くの別物。

“あれ”なのか、“あれ”をするんだったのか・・・、という感じ。

できない、遠い、とはわかっていたけれど、
それよりももっと遥かに遠かったのだった。

すごいものを観てしまった。

しばし放心状態 。 。 。

明日は神戸

明日は神戸に行く。
秋塾「Real Contact in KOBE」のショーケースを見に行くために。

実はギリギリまで迷った。
木金は学校関係でバタバタとあわただしく、
土曜は朝から夕方まで学校祭、夜は自治会役員会と続き、
家事は溜まっているし、丸一日分の食事の仕度を思うとウンザリしてくる。
その上、今月は車検がくるし、もうすぐ武禅だしで金欠病。
どうしようかな、どうしようかな、どうしようかな・・・・・・
考え続けてきたけれど、やっぱりどうしても見たいという気持ちが勝った。

だって、
フォーサイスカンパニーのイオニス・マンダフニス(ヤニス)さんが見られるんだよ!
「今、一番美しい」と日野先生に言わしめる佐藤健大郎さんと組むんだよ!
これを見ずにして、何を見る!
また、いつか絶対に見たいと思っていた日野一輝さんの太鼓もある。

私は一回目と二回目の両方のチケットを予約した。
同じステージということはないはずだから。
一度目の緊張感、二度目の完成度のどちらも堪能できるのは楽しみだ。
日曜日で、一日に二度公演をするというのはコンディションの面や集客の面で
やる側からするとあまり望ましくないスケジュールらしいが、
平日休みがとれず、身軽に家をあけられない私からすると好都合。
たぶんこんな機会は二度とない。

明日は高速バスで4時間の旅。
早く起きなくっちゃね。
だけど、ワクワク、ワクワクして、なかなか眠れないゾ。

娘、問題児になる25「夜明け」

今日の学校祭をひかえて、昨日夕方から準備に行った。

問題が起こるたびに連絡を取り合っていた一人の保護者の人が、
「昨日、プリントを読んですぐにメールをしようかと思ったんだけどできなかった。
 なんだか気持ちが複雑で・・・・」と言う。

複雑な気持ち、それは私も同じ。

担任も含めて、学校、保護者、子ども達の皆で変えていきたかった。
変わっていきたかった。

それが担任には荷が重すぎたのか。

誰にもいなくなって欲しくはなかった。
誰かが欠けるという形で解決なんてことは有り得ないと思っていたから。
だから「先生を辞めさせて欲しい」と頼んでくる子ども達に、
「そんなことはできない」と言い聞かせていたのに、
実際は、それですべてがうまくいくようになるとは・・・。

いつか私は「先生を守ります」と言ったのに、守りきれなかった。
何かに負けたような気分。
悲しく、寂しい。
一人の背に、すべての悪い事の責めを負わせて去らせてしまったのだと思うと。
今頃、前の担任はどんな気持ちでいるのだろうか。
医者からの指示で、今は校長も連絡を取ることを控えているという。
ただ、業務上の引継ぎなどでまた会うこともあるだろうからと言われるので、
伝言だけ頼んでおいた。
「先生が変わろうと努力されていたこと、
 一人一人に目を配って良い面を伸ばそうとされていた様子は見えていました。
 休職されるのは残念ですが、ゆっくり静養されて早く元気になってください」と。
今はこんなことしか言えない。
私が追い詰めてしまったのかもしれないのだから。

なぜ、こんなことになってしまったのだろう。
5月のあの日
丁度参観の直前の大休憩に女子がサッカーボールを当てられるという事件が
起こらなければこうはならなかったのかも。
あれが、親達と子ども達の担任への不信感の発端だったのだから。
参観日に私が行ってさえいなければ、
泣いている子、遅れてきた子を気にしなければ、
ブログに書かなければ、
そして日野先生からのコメントで動き出さなければこうならなかったのかも?

いや違う。
初めて会った日に、もう、わかっていたような気がする。
この人とは通じない、と。
何も伝わらなかった。
何も伝わってこなかった。
互いが一度もかみ合うことなく、そのまま消えてしまった。
それが寂しいのだ。

しかし、大事なのはこれまでではなく、これから。
学校が正常に戻ったのだから、中学入学まであとわずかな時間、
精一杯、小学校生活を充実させて欲しい。

今日は学校祭。
子ども達の明るい笑顔を、何の心配もなく見られるようになった今を、素直に喜びたい。

(おわり)

娘、問題児になる24「終焉」

担任は「11月までに変わる」と言った。

しかし、担任は変わらず、担任が替わった。
別の人に。
冗談のような、ホントの話。

木曜にフリー参観に行き、朝、正式に生徒達に話をしたと聞かされた。
前の担任は心労のため、ご飯も食べられなくなり、
医者に出勤してはいけないとの診断書を出されたとのこと。
来年3月まで休職する。

替わって新しく担任になったのは、4・5年の算数を専門に持っていた先生。
これまで大抵の時間は職員室に居て教頭の補佐をしており、
5月からの一連の問題での話し合いの際には必ず同席してくれていたので、
事情はよくわかっておられる。
小柄で一見やさ男に見えるが、一本芯の通ったなかなかの人物と評判だ。
職員室中が萎縮する校長のパワーに唯一意見ができる人。
クラスのほとんどが授業ボイコットをした日も、
うろたえて生徒達に明確な指示ができない校長に言われてた。
「何時にどこに行けばいいのかはっきりしないと子供達が戸惑いますっ!」と。

授業を参観したが、「これがあの先週と同じクラスか?」と思うほど、
子ども達の様子はまるっきり変わっていた。

机は整然と並び、生徒達は前を向く。
クラスの半分が別室に移動する際も、抵抗無くすぐ動く。
残った子達の授業中の真面目な態度に、
初めて様子を見に来られた学校評議員(4年前の中学校PTA会長で顔見知り)が、
「荒れてるというのは別室に移動した組ですか?」と聞かれたほど。
改めて見回し確認すると、担任を無視して後ろを向きおしゃべりしていた子達、
いつも騒ぎを大きくするお調子者も、皆、ここにいるではないか。
その子らが、先生の問いかけに意欲満々でいいリアクションを返したりしてる。
授業が先生の専門の算数だったという事もあるだろうが、
私もその内容に引き込まれ、いつの間にか頷いたり笑ったりしていた。
それくらい巧みなのだ。
最近、学校に来る時は子供の態度にばかり注意をとられ、
授業など見てはいなかった事に今更ながら気付く。

発表会の練習も様子が違っていた。
練習不足で音が揃っていないということはあるが、
好き勝手に振舞う子は一人もいない。
リコーダーを指で回したり落としたりする子など、もちろんいない。

これはどういう事?

帰りがけ、教頭に挨拶のため一声かけると出口まで出てこられた。
この教頭は女性で顔立ちは優しげなのだが、表情が硬く、
これまでこわばった無表情で冷たい顔しか見たことがなかった。
それが、珍しく笑っていた。
「今朝、一時間目が体育だったんですが、
 子ども達が『遅れる~』と走って行ってたんですよ。
 あんな姿、本当に久しぶりに見ました。もう、嬉しくって♪」
と、自分の頬を撫でながら満面の笑み。
この人でもこんな顔ができるんだ、と驚いていると、
校長会から帰って来たばかりの校長もみえて、
こちらも朗らかな笑顔をされて、状況説明をして下さった。
教員の欠員は教育委員会に依頼してあり、
当面は教職員全体でフォローする体制にあると。

この日、娘は学校から2枚のプリントを持って帰った。
一枚は、学校からの担任交代のお知らせ。
もう一枚は、担任が出した学級通信。
これには、こんな一文が書かれてあった。

 今日、子ども達に話そうと予定しているのは、
 ○学校は、みんなの学ぶ場と生活の場であるということ。
 ○そのためには、集団ルールを守り、分担された仕事を果たすことが必要であるということ。
 ○凡事徹底。(当たり前のことを当たり前にやり切ること)
 ○最も大切なのは、これらのことをやるには、みんなの意欲と行動であること。
 こんな話を、たとえ話を交えながら伝えられたらと思っていますし、
 子ども達が行動で応えてくれたらと思っています。


この通りの方針に添って話をされているのを私は実際に見た。
全体に話した時に係りの仕事で抜けていた子には別にまた同じ話を丁寧にされていたのも。
とても細かい注意、指示。
すべて、壊れた規律を新たに組み直して行こうとする姿には感動を覚えるほどだった。

私はこれから学校側に伝えようと思っていた指針を、まだ何も訴えてはいなかった。
だが、求めていたものはこれだ。

思ったように事は運ばなかったけれど、願ったようにはなったということ。

しかしそれなら、このやるせなさは何だろう?
ほっとした以上に、悲しくなるこれは?

(つづく)

自分好きが自分を殺すか?

最近はあまりワイドショーなど見ないのだが、
新聞のテレビ欄に「大麻拡大 主婦がハマる理由とは」とあったので
ちょっと見てみた。

主婦の間で薬物が広まっているのだそうだ。
シロガネーゼの上品な奥様から、パチンコ屋に入り浸る女まで。
きっかけで一番多いのは出会い系。
暇で寂しいココロの隙間に忍び寄る黒い影。
中年太りで女としての魅力が失われつつある悩みに付け入ってささやきかける。
「簡単に痩せられるいい薬をタダであげるよ」
依存性が出てくる頃には、その薬はタダではもらえなくなっている。
徐々に値段が上がり、使用する量も増えてきて、
払えるお金がなくなると、また甘い誘い。
「稼げるいい仕事を紹介するよ」
風俗に身を落とし、身体も脳も壊れた所で、「ハイ、さようなら」。

馬鹿みたいだ。
というか、こんな話は今に始まったことではなく、
私が子供の頃からよくあった。
母でさえ「痩せる薬あげる」と声をかけられたことがあったし、
私の育った環境があまり良くないからだろうが、
腕に注射針の跡をつけて頭がイカレたような人間は周囲にゴロゴロいた。
闇の世界は当たり前にすぐ隣にあるのに、
無防備に罠に落ちる人は、これはもう仕方がないなと思うしかない。
馬鹿に付ける薬なし!
いや・・・、すでに薬漬けか。(笑)

番組でテリー伊藤が、いつか使ったのと同じ言葉をまた言っていた。

「自分を好きな人がネ、やるんですよ」
どうもこの人のこの言葉にはいつも引っかかりを覚える。

自分が好きで、自分に興味がある人だから、
自分の身体への関心度の高さゆえに、ヘンな薬にも手を出すという理屈なのだが、
んんんんん~~? それは「自分を好き」って言うのかな?
自分を好きで大切にする人が、出会い系にアクセスする?
どこの誰ともわからない人に付いていく? 
どんな薬品かわからないものを身体に入れる?
自分の身体と精神の変化に無頓着でいられる?
無駄なお金を使う?
セックス産業に身を投じる?
本当に自分を好きな人なら、そもそも自分を磨いてるでしょう。

彼が以前、「自分を好き」という言葉を使ったのは、
幼児虐待の事件の報道の時だった。
遊びまわったり男と暮らすのに子供が邪魔だから虐める、殺す。
そんな親をテリー伊藤は「自分が大好きな人だからそうなる」と表現した。

自分を好きな人が、自分の産んだ子を可愛くないってことがある?
自分の肉親、家族、環境を大事に守らないってことがある?
と、その時もすごく違和感を感じたものだった。

どうやら、テリー伊藤が言うところの「自分を好き」は、
自己の刹那的な快楽をのみ追い求める事を指しているようだ。
だがそれは、一般的に使われるところの「好き」とは大きく意味がズレていはすまいか。

しかし、誰も突っ込まない。
「そうか、自分を好きな人間はろくなことにはならないんだ。
 自分を好きになっちゃいけないな。自分に関心を持ちすぎちゃいけないな。気をつけよう」
と考えてるのかどうか知らないが。
いや、別に何を言わんとしているのか知りたくもないのかもしれない。
意味のわからない言葉をそれらしく飾って漂わせてれば時間はつぶせる。
そういうお約束の世界とすれば。

他人のことはよく見えるけれど、自分のことはわからないもの。
私も結構、適当な言葉を使っているのだろう。
そんな時、私は周囲の人には指摘をして欲しいと思っている。
人は一人では、自分が何を理解していて何をわかっていないのかさえわからないもの。
突っ込みを入れてくれる人はとても貴重だ。
同じ言葉を使っているのに意味が違っていたなんて嫌だから。
自分と他人は違うからこそ、自分を知るには他人の見え方、感じ方がどうしても必要となる。
自分に関心を持つ時、他人に無関心でいられるわけはない。

だから、
「自分だけが大好き」「自分のことだけに関心がある」は成り立たないと私は考える。
もしもそんな人がいるとすれば、その人は「自分が嫌い」なはず。
幸せになれないのがその証拠。


--------------
しっかし、番組内で誰かが言った
「薬物は、99.9%人を不幸にします!」には笑った。
そこは100%でしょう?
1000人に1人は幸せになる人がいるって言っちゃいけないよ。

薬物依存からの更正をサポートする活動をしている押川剛さんを久々に見た。
  (猛毒の後遺症)
とげとげした険しさが薄れてドッシリとした安心感を感じさせる風貌になられてるような。

娘、問題児になる23「不完全燃焼の嫉妬?」

小学校での出来事は兄弟や親達を通じ、当然、中学校の生徒の耳にも入っている。

娘が「中学校へ行くの、なんだか不安だな」と言い出した。

どうやら娘が一連の騒ぎの中心人物として、一学年先輩達に敵視されだしたようなのだ。
「アイツ、入学してきたら絶対に虐めちゃる!」などと言われているらしい。

なぜか。
それは、自分達が出来なかった事をやったから生意気だ、というのだ。
去年の6年生も悪かったから。

去年の6年生、今の中一が荒れだしたのは、5年生の頃。
集団での虐め、暴力、教師への反抗、授業の妨害、
もろもろの問題が噴出し、保護者はヒステリックに学校で担任を吊るし上げ、
担任教師は暗く落ち込むし、校長は神経を尖らせて頑なになって、
結局何の解決も見ず諦めムードのまま日々をやり過ごして卒業となったような感じだった。
   身近な問題
   いじめロシアンルーレット
この時の保護者達は、全ての責任を学校のせいにして、
校長のリコール運動で署名を集めたりに情熱を燃やしたりしていたが、
何も変えることはできなかった。
当時PTA副会長をしていた私は相談を受け、PTA運営委員会で話し合いを重ね、
「嫌な事は嫌だと言おう」「虐めを見過ごすまい」「大人を信頼し相談しよう」
ということを子ども達に教えるために、予算を取りCAPプログラムを導入したのだが、
その大人向けプログラム会場に、一番来て欲しかった人達が、
ただの一人も来ないという結果を見ている。
これでは、せっかく子供が学んだ事を信じて勇気を振り絞って相談をしようとしても、
意味がわからない大人が、
「なに?はっきりしないわね。今忙しいから面倒な事は後にして」と
無自覚なまま子供を拒否することになりかねないというのに。

自分の子供が虐められるの怖さに問題の核心に絶対に触れようとしない親の姿勢を
子供はちゃんと見ていて、それにしっかり倣っている。
しかし、親は変わろうとはしない。
他人が変わってくれることを期待する。
誰かにそうさせようとする。
そんな感じの、何がしたいのかわからない中途半端なガキと親どもだった。

それが、「あいつ、目立って生意気」と言ってるのか。
臆病者のくせに行動を起こす人間をやっかんでるんじゃないよ。
くっだらねえな。

娘には心配はいらないと安心させておく。
どうせ何もして来れやしないのはわかってる。
仕掛けてきたら、この超危険な私を相手にすることになるわけだから。

それに二学年上の兄も黙ってはいないだろう。
この喧嘩慣れした何をするかわからない暴れん坊は、幸いな事にまだ未成年だしね。(笑)

(つづく)

娘、問題児になる22「消えた担任」

担任は、「11月までに変わってみせる」と約束してくれた。
「11月になったら改めて皆に改善されたかどうかを問う。見てくれ」と。

11月になった。
どんな話になるのかわからないが、
いつも責められるばかりでは先生も自信をなくすし、
私が授業を見に行った時に気付いた努力しておられる点、
こういう所はいいなと思う点も何箇所かあったので、
機会があれば皆の前でそれを伝えて欲しいと娘に頼み、
結果報告を楽しみに夕方を待った。

しかし、担任は休みだった。
体調不良とのこと。
急に寒くなったし、私も風邪気味だからこういうこともあるだろう。

だが、その翌日もお休み。
「先生の風邪、酷いんですか?」娘が代理の先生に聞くと、
「風邪?・・・じゃあないんだけどね、うん、・・・まあね・・・」とはっきりしない返答。

あら?もしかして、
心の風邪?

これから良くしていくんだから、
親達に呼びかけて学校とスクラム組んで
クラスを学年を再生する方向に動き出すんだから、
先生にはもう少し踏ん張って欲しい。
嫌いな人間を嫌がらせで排除できるなんて子ども達に教えないで。

明日はどうかな。
私はまたフリー参観に行く。

(つづく)

娘、問題児になる21「幼稚な6年生」

先週木曜日、フリー参観に行った。
授業が授業にならない酷い有様。
一つのことを伝えようとするたびに、担任がいちいち
「聞いてください。おしゃべりやめて。こちらを向いて」と注意しなければならない。
しかも、注意しても聞かない。
完全に無視。
聞かない子にかかりきりになるといつまでも進まず、他の子がダレはじめる。
仕方なく、担任はほどほどの所で見切りをつけて次に行く。
するとその子らは、自分達の悪さにきつく叱る事もできない教師が面白いのか、
それとも腹が立つのか知らないが、ますます図に乗り傍若無人に振舞う。

頭ごなしに叱りつけてはいけない?
気持ちに寄り添って理解してやるべき?
そんなことを訳知り顔の教育者らが言うことがある。
それなら私も一度そうしてみようかと、
何度言われても指示に従わない男子に話しかけてみた。
「どうして今やらなきゃいけないことをしないのかな?」
「だって、~~が~~だから」
一応理由らしき事を言う。
しかし実はまったく理由になっていないのだが。
周囲の人間が、勉強をしようとする意欲をそぐような行動をするから
自分がやろうとしてもできなくされるといったような言い訳が次々出てくる。
「それならこうしたら?」に対しては、
「やったけどダメ」「できない」「もうやりたくない」と、受け付けず、
ダラダラと無意味なおしゃべりを仲間と続ける。
「それでも6年生?1年生の方がまだ真面目だわ。幼稚園児以下ね!」
と発破をかけてみても、
「あ、そんなこと言うからもう俺、やる気なくした」とふてくされた顔。
どっちにしろ、やらないんじゃん。

こんな、存在だけで害になる連中をなぜ野放しにしておくのか。
私はそこがわからない。

とにかく、簡単な一つの事さえまともにできないのだ。
教材を配って名前を書かせて回収しようとすると、もう出さない人がいる。
「集めて前に出してください」の指示の声と同時に、
机の中、かばんの中に隠す女子達。
担任は集まった教材に書かれた名前と名簿を照合しチェックして、
「○○さん、○○さん、出してください」と再三声をかけるが、それも無視。
近付くと嫌そうな顔で「うざい、放っといて」と反抗し、素直に出す子はいない。
なんで? と思ったら、
どうやらカラフルなペンでセンス良くデコりたかったようだ。
シコシコと頑張っていたよ。
授業中に・・・・・・

音楽祭の練習をやらせば、まともに揃って前を向けない。並べない。
演奏のふりさえできない。ゴソゴソゴソゴソ。
遊んで道具に足をぶつけてすりむいて痛いからと「保健室」。
・・・・・・そうだよね。怪我をしたのに手当てもさせないなんてのは横暴ってか?

子供の権利と自己主張が何よりも優先される場所。
それが学校。
いいのか、それで?

授業が終わって給食準備。
私は教室に行かずに廊下で、
このところ授業を見に来てくれている教育委員会の人と話をした。

立ち話をしている私達の傍らを、
食器を運び、給食の入れ物を運び、担任が何往復もする。
給食当番の何人かはいつものごとくこの時間は行方不明。
探してとっ捕まえて係りをさせると他の子が食べられない。
掃除もひかえていることだし、時間がずれ込むと不都合が多い。
ということで、担任が動くしかないのだろう。
子供は至れり尽くせりで何でもお世話をしてもらえるお客様か、っての!

そんなムカムカを胸に抑え込みながら、教育委員会の人にいくつか質問をした。

「授業を受けない子、他の子の妨げになる子を教室外に出して
 別室で指導という事はしてはいけないものなのですか?」
これには、「できる」「してもよい」との返事。

「充分に反省し、授業を受ける意欲があると教師側が判断するまで
 部屋から出さないということは可能ですか?」
これも「できる」とのこと。

「子供への指導が困難な理由に人員不足があるようなのですが、別室での指導には、
 教員の資格のある人しかあたることはできないものですか?」には、
「必ずしも教師でなくてもいい。
 ボランティアや民生委員がその役をやった例もある」そうだ。

親達は子供が荒れると、
教師に「毅然としてくれ。厳しく叱って欲しい」といつも要求する。
しかし、何が「毅然」で、何が「厳しい」のかを
親も教師もどうもわかっていないように思える。
駄々をこねるたびにご機嫌取りにおもちゃを与えられてきた子供に、
していいこと悪い事を教えるのに、泣かさないように
嫌な思いをさせないようになどできるわけがない。
しかし、そんなふうに言うと、すぐ、
「怒鳴っても聞きません」「叩くことは禁止されています」と返ってくる。
そういうことじゃないっての!! 親達も納得してるんじゃないよ!!

勉強をする気が無いなら、勉強をするための場所から出て行きなさい。
自分勝手なわがままのせいで他の人の権利を侵す事は許しません。
教師は生徒を指導する責任がありますから、指示には従ってもらいます。

学校と親がガッチリ連携し、これを貫き、決してブレなければいいだけの話だ。

そんな方針が、具体的方法が、なぜ一つも出てこないんだ?
たいがいにせえよ!!

(つづく)

娘、問題児になる20「情緒の暴走」

会社で仕事中、携帯メールが入る。
娘の友人の母親からだ。
「今、学校に来ているのだけど、大変なことになってて・・・」
また。。。今度は何?

毎日のように何かしらが起きている。
それらにはもはや娘は関わってはいない。
騒ぎを起こすのは、たいてい男子たち。
教師への反抗、生徒同士の喧嘩などが頻繁に起こって、
授業の体を成さない状態にある。
決してこれは今に始まったのではなく、これまでもずっとこうだったらしいが、
保護者には知らされてこなかった。

騒ぎが起きる発端にはいくつかパターンがあり、
中でも、情緒障害の子どもが原因になっているケースが多い。
ほぼクラス全員による授業ボイコットとなった日もそうだった。
男子達が嫌がらせに教室の鍵をかけて担任を中に入れまいとした時に、
たまたま外にいて一緒に締め出された情緒障害の子が、
自分への意地悪だと勘違いして暴れこみ乱闘となった。
その際、担任が殴ってきたその子を叱らずに、
殴られた方だけを叱ったというので「差別だ。ひいきだ」ということになり、
そのための話し合いの時間も持ってはもらえないときて、
興奮が極限に達した生徒達の暴走となった、というのが真相。
(なんという身勝手な理屈!)

しかし、学校側からそんな詳しい説明はなされないので、
知っている保護者はごく少数だろうと思われる。
ほとんどの子どもはなぜか、
学校であった出来事をあまり家で話さないらしいから。

先週月曜も授業ボイコットにはならなかったが、
それに近い状況があったと聞く。
給食時間、余った牛乳を誰がもらうかというささいなことから、
情緒障害の子が怒り出し、牛乳を投げつけ、潰して撒き散らし、
他の子らと殴る蹴るの大喧嘩となってしまったらしい。
周囲の子の給食は食べられなくなるし、
教科書や筆箱を給食のおかずに突っ込まれたりと、めちゃくちゃな状態。
午後も数人が保健室や校長室で騒ぎ続けていて、
それでまともな授業ができるわけがない。

翌日から、情緒障害の子は学校に来なくなった。
気持ちが落ち着くまでしばらく自宅にいさせるのだろうと思っていたが、
そうではなかった。
乱闘で足にひびが入っていたのだった。
その子の親が、もめた子の家に一件一件、怒鳴り込みに回っているらしい。
そこでどんな話が交わされているのだろう。
子どもからどこまで本当の事が聞きだせているのか。
そしてそれは、子供同士の問題なのか?
弱者への虐めとはまた違うような気がするのだけれど。

目に見える障害なら違いはわかりやすいが、見えない違いはわかりにくい。
人権にからむデリケートな部分を避けたい大人の弱点を、
子どもはみごとに突いて来る。

さあ、どうする学校?
どうする親達?

しかし私は、
この件が公に問題としてとりあげられることは、たぶんないだろうという気がしている。

(つづく)
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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