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わからん子

家では大人しい良い子なのに、学校では悪さのし放題。
「そんな我が子がわからない」という親がたまにいる。
そんな親が私にはわからないわけだが。
親の手を離れて暮らしているわけでもなし、
一つ屋根の下に住んで何を言っているのかと。
理由なんぞどうでもいいだろ。
どうやったらやめさせられるか教えて欲しい?
は?寝ぼけてんじゃないぞ!アホたれが。
親がどうにもできんで、誰に何ができるってんだ!
と、腹が立ってしまう。

しかし私にもとうとう先日、「我が子がわからない」と思う出来事があった。

年末、朝から私一人がバタバタと家中を大掃除する中、
子ども達はこたつでちょっと宿題をしただけで、
あとは読書、パソコン、テレビゲームとダラダラ好きな事をしている。
誰一人、自分から「お母さん、手伝おうか?」と言いださない。
イライライライラ・・・・
「もー、あんたたち、いい加減にしなさいよ!動け!」
遂に声を荒げる事になる。
「えー、いいじゃん、掃除なんかしなくても。面倒臭い」「あー、ウザー」
文句を言いながらふてくされたようにノロノロと動き出す子ども達。
「遊んでるぐらいなら、ちゃんと家のことをしなさい!」
イライライライラ・・・・
息子達に窓ガラスを磨くよう指示するが、日頃やらないから拭き方もなってない。
「どうやったらキレイになるか、ちょっとは頭を使いなさいよ!」
教えながらもイライライライラ・・・・
「うっさいなー」「だから俺、家がいやなんだ。バイトの方がよっぽどまし」
そうやって二人して憎まれ口を叩いてるがいいよ。クソガキが。
イライライライラ・・・・
そのまま私は外に出て、庭の掃除にかかる。
しゃがみこんで山から飛ばされた枯葉を拾い、雑草を抜いていると、
玄関から長男が下りてきた。
「あー、疲れるー、面倒臭い、もう嫌だ」などと、まだグズグズ言ってやがる。
イライライライラ・・・・
「何?」キッと振り向くと、差し出されたのはポテトチップスの袋。
「まあまあ、お一つどうぞ」
え? 拍子抜けというかなんというか・・・・
「いや、今、手が汚いから」と言うと、
それじゃと一枚つまんで「あーん」と食べさせてくれた。
そして、「いやー、ポテトチップスはいいよ。和むね~」と中に入っていった。

????こいつの頭の中、わからんわ。

庭掃除を終えて部屋に戻ると、ガラス拭きも終わるところだった。
「ゴムの部分の汚れも白くなるまで完璧に取らないといけない?」と聞いてくる。
しつこい汚れと悪戦苦闘していたらしく、
爪楊枝にティッシュを巻いてこすってもくれてたようだ。
あんなに文句言ってたのに。
うーむ、わからん。

我が子ながらわからんってのは、私の場合はこんな感じ。
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第80回「武禅一の行」7─丁寧な武禅

「なんや今回の武禅はいつもより丁寧やな」と日野先生。
そう言われれば確かに今回はセクションとしてはいつも通りのメニューではあっても、
進み方は遅かった。
それだけ一つ一つのテーマに時間をかけていたから。

武禅では、簡単に「できました」ということは、まず有り得ない。
それはいつもそうなのだが、出来ないままでも“そこそこのところ”で次に進んでいく。
より高度な事にチャレンジして、あるいは応用したゲームに熱中して、
前の段階に戻ってくると、もちろんそれで出来るようになってるというわけではないが、
何か感触というか、手ごたえというかそんなものを感じられたりする。
何のために何をやっているかを具体的に言葉で教えてもらっても意味は無く、
その自分が感じた「あっ、これ?」だけが、自分を導く道しるべになりうるのだ。
合っていても、たとえ間違っていたとしても。
なので、割と速いペースで飛ばすこともあるが、
今回は“そこそこ”のラインが高かったのか、スローペース。
その時々によって、人によって変化するのも武禅が生きているからだろう。
決められたカリキュラムを消化していくだけのマニュアル教育とは違う。

面白かったのは、一つの事をやりこんでいくと、
その動作そのもの以外のところで思わぬ発見があったということ。

例えば、身体の使い方の最初にやる腕振り。
先生はごく簡単な指示をされた。
「足を肩幅に開いて、ちょっと内向きに」
「お尻を後ろに少し突き出して手を後ろに持っていく」
「そのままブラーンと自然に腕を振る」
皆で前に後ろに腕を振りはじめた。
10回、20回、30回、50回、100回、・・・・・・
いつもならここで、「足の裏を感じて」「膝をカクンとさせて」
「足の筋、お腹の筋の張りを感じて」「胸骨を上に引き上げるように」
「手を前に伸ばして飛んでいくイメージ」とか徐々に指示が入ってくるのだが、
それはなく、ただひたすら黙々と腕を振り続ける。

そこに先生からチェックが入った。
「おい、それ違うで」目に付いた人を指摘。
言われた方は戸惑い、直そうとするのだが直らない。
そこで先生は別の人に「教えてやれ」と振られる。
指名された人は、相手を見ながらどうしたらいいかを自分なりに、
色々な角度から比喩も使ったりしながら細かく教えていくのだが、
それに従う人の動きは直るよりも、ますます怪しくなっていくようでもある。
先生は次々に何人かの人に「違う」とダメだしをされては、
他の人に「どうや」と聞かれるということを繰り返された。
いろんな指示が飛ぶ。
だが、それによって「ああ、そうだったのか」と改善されるということにはならない。

私はといえば、見ているうちにわからなくなっていた。
ちゃんとできているのだろうか。あの人と私は何が違うのか。
先生と私の動きは同じになっているのか。
違いは何?
わからない私はできているつもりだけかもしれない。
ダメだしされたらどうしよう。教えてやれと言われたらどうしよう、と気が気じゃない。
ドキドキしながら、頭の中ワヤワヤのまま腕を振り続ける。

「肩の力を抜いて」「腕を放るように」「顔の向きは・・・」
ギコチナイ動きの人をなんとか変えたいと、飛び交う指示はさらに具体化。
すると先生、
「ちょっと待てや。俺、そんなこと言ったか?」

一同、ハッとする。
そうだ。確かに先生はそんなことは言われていない。

「な。これが人間や」

最初の情報が、人から人に伝わる時に、
自分なりの解釈を通して全然別物に変化していく事がある。
これが色付けをしていく、肉付けをしていく伝言ゲームの恐ろしさ。
つい、今さっき指示されたばかりなのに、
そして立派なお手本を目の前にして見えているのにもかかわらず、
歪んで一人歩きしていくという、まざまざとした実証。
これで何かが出来るようになるわけがない。

「身体を知る」のセクションでも、知るのは身体だけでなく「人」そのもの。
我々は、心も身体もクセだらけ。
流してしまってうっかり見過ごしがちな点を浮き上がらせてくれる、
「ゆっくり丁寧な」稽古には、こんな良さがある。

キツイ言葉

子ども達をやっと散髪に連れて行った。

男の子達は学校で再三「切った方が良い」と注意されても切りたがらず、
髪が目にかかり、耳も隠れるぐらいもっさり伸びていている。
それなのに、「正月前に散髪行こうや」と声をかけても、「俺はいい」。
「良くないでしょ。学校で言われてるのに。不潔に見えるから」と言っても、
「俺がいいって言ってるんだから、いいじゃないか」
「放っといて。うるさいよ」と二人揃って反抗的。
むー、こいつら、私に逆らうか。
「きったなげな頭して何を言いよるんじゃ!
 毛先もバサバサで変な伸び方して、お前らは浮浪児か!
 そげなホームレス頭は見とるだけで気分が悪うなるわ!」
すると、二人とも嫌~な顔をしてショボくれて、やっと、
「いいよ、わかったよ・・・。行けばいいんでしょ・・・」。
そうそう。最初から素直に言うことを聞いておけばいいのよ。

次男が言う。
「お母さん、言葉がキツイよ」
「キツくないよ。本当のことだもん」と返すと、
「言葉というよりも、言い方がキツイんだって!」だとさ。

なーに言ってるんだろうね。
いつも『キモイ』だの『死ね』だの平気で口にする人がねぇ。
もちろん親に向かっては絶対に言わない、というか言えないけど。(笑)

母子手帳の恐怖

ネットを見て回っていると、たいていの人が名前を知っているであろう超有名人が
セミナーで発言した内容を紹介したページがあった。
この人は「幸せ」や「運」についての研究においては日本では先駆け的な人で、
本も何百冊も出している。
セミナーで話された事をはしょって簡単に記されている中で、
私が「えっ?」と目を留めたのはこの一文。

詳しいことはいえないが、母子手帳をもらった半数がまともに子どもが生まれない。

これを読んで私は、「母子手帳、コワ~」と思っちゃったね。
母子手帳をもらうと流産とか死産とか奇形児が生まれちゃったりする可能性が高まるの?
じゃもう、妊娠しても母子手帳をもらいに行くまい、とかかんがえたわけだけど、
「なんかおかしいぞ」と思って調べると、そういうことじゃなかった。(アホや)

その方が言われているのは、
腰ポケットに入れている携帯電話の電磁波が胎児に悪影響を及ぼす、ということ。

更に調べると、その根拠がフランスのBastideという所での
1998年の鶏卵を使っての実験にあるということもわかった。
これは受精卵に24時間、21日に渡って電磁波を照射するというもの。
その結果から、近年増えている中期以降の流産・死産・奇形は、
どうも急速に普及した携帯電話のせいではないかと推測されたようなのだ。
Oリングテストの反応が動かぬ証拠ってのは、なんだかな~、だけど。

「そうか、そんなにここ最近、流産・死産・奇形が増えているのか」と、
私はそこにも衝撃を受けて、流産率の推移のような資料を探そうとしたのだけれど、
見つからなくて、代わりに出生数の年次推移を見てみた。
しかし、そう特に出産数が激減しているようでもなく、どうもわからない。
数はわずかに減少傾向だが、特殊出生率においては昨年は増加しているし。
とはいえ、不安があるなら妊娠中は携帯電話を遠ざけておいた方が無難かも。

それと、胎児に及ぼす影響でいえば、タバコやコーヒーのカフェイン、
パソコン、電子レンジ、経皮毒 、環境ホルモンも
流産を倍増させたり、発育不全の低体重児が生まれる可能性が高いと、
それぞれデータにより指摘している機関もあるからね。
“まとも”に子どもを産もうと思ったら、妊婦さんは大変だ。

だけど、なんといっても最悪なのがストレス。
あれやこれやと考えて、心配しすぎが一番の毒なわけで。

もー、そんなこと言われたって、どないせいっちゅねん!って感じ?
私はネットとかケータイとかなくて、
情報が今のように手軽に手に入らない時代に出産を終えといて良かったよ。

「寂しい」気持ちはどこからくる?

例年より賑わいが少ないクリスマスとはいえ、やはりカップルの姿は普段より多い。
恋人たちにとっては特別な日というのは変わらないらしい。
車の窓から外を見ながら長女が
「私ももう少ししたらあんなふうにクリスマスを過ごすのかな」とつぶやく。
「そうだろうねー」
「クリスマスの夜に家に帰ってこなくなったりして」と言うから、
「ああ、なるだろうね」と返すと、
「ええっ、いいの?」と聞く。
「仕方ないよ。『ダメ』って言ったって聞きゃしないよ。恋愛にとち狂ったらね」
「そんなことないよ・・・」
とまあ、その話はそこで終わったのだけど、娘はこんなことも言う。
「でも、彼氏は欲しいよね。同級生でももう付き合ってる人がいる人がいて、いいなと思うもん。
 私は何歳で彼氏できるかな。中学かな、高校かな。
 できなかったら寂しいな。恋人のいないクリスマスなんてさ」
馬鹿ガキ!
当然、「あんたね、そういうところがアホだっつーの!」ととっちめたけど、意味わかったかな?

同じような言葉を口にする若い人は多い。
私が若者だったバブルの昔からそんな雰囲気だったが、
クリスマスに彼氏がいないと寂しい人ってのは誰が決めたんだ?
そこをずっと疑問に思っていた。
付き合っている人がいないと可哀想な人、
恋愛していないと異常者のように言われてしまう風潮を当たり前にしているけど、
本当にそう?
それは自分の寂しさ? 実感してる?
寂しく感じる前から寂しいだろうと決めてかかってない?
だとしたら根拠は何?
その胸の感情は、恋人がいないせいではなく、
恋人がいない自分が他人からどう見えるかの不安ではないの?
と。

いまや結婚年齢が上がり、
誰も25過ぎた女を「売れ残りのクリスマスケーキ」とは称さなくなったが、
そう言われたくないばっかりに焦って結婚相手を探すような時代と今とで、
何も進歩していないような気がする。
自分の価値を低く見られたくないがために誰かが欲しいとするならば、
それは人と人との関係を築くこととはならないのだ。

私自身、未熟なエゴの塊なので、どうあるべきなんて言えるようなものを持たないが、
だからこそ子供たちには、若いころからそういうことを
徹底的に考えるようであって欲しいと思っている。
自分で何を感じ、どうしたいかぐらいはね。
だって、本当に好きな人とじゃないと、どんな御馳走でも美味しくないから。

クリスマスの雰囲気

クリスマスイブはチキンとケーキでお家パーティ。
個人懇談を終えて夕方から買い物に出かけた。
予約をしておけばいいのに、いつも忘れて
バタバタケーキを探し回る事になるのも恒例。
なんとかケーキは買うことができたが、チキンは高い。
鶏足1本400円とか、舐めてんな。ブラジル産で充分だよ。
大人数だとどうしても質より量。

それにしても、本当に今夜がクリスマスイブなのだろうか。
そんな雰囲気がぜんぜんない。
街がキラキラしていない。
人がウキウキしていない。
夕方なのに、スーパーは通常の閉店間際の地味な感じ。
繁華街も寂しい限りだと聞くし、テレビもしょぼい。
皆が皆、首を斬られた派遣の人ばかりじゃないだろうに。

人って本当に「空気」に弱いと思う。踊らされるばかり。
景気が良ければ浮かれ騒いで馬鹿になり、不況で落ち込み不安になる。
今みたいな苦しさの競い合いのような、そんな空気なんぞ読めなくていいんじゃないの?
対策を真剣に考える事と、気持ちを沈ませるのは別だよね。

ま、なにはともあれ、メリークリスマス!
サイレントナイトに乾杯!

あゆみ渡し

小学生組のあゆみをもらった。
二人とも健闘。
成績上がったし、下の子も「もう少し」がなくなっていた。
学習面も生活面も特に何もないから、あっさり終わっちゃってつまらない。

小3の下の子の担任が、お姉ちゃんが小2の頃に受け持ってくれていたことがあったので、
「あれから落ち着かれました?」と聞かれる。
あまり話すこともなかったのだが、心配してくれていたよう。
「学校の体制も悪いんですよね。
 これまであの子達の担任をした事のある先生方で様子を見に行ったり、
 話を聞くことができれば良いのだけれどという話は教員の間で出てはいましたが、
 それぞれ自分の担任も持っているし、次々に行事もあって、
 どうしても時間が取れませんでした」
そういう話がされていたというそれだけで嬉しい。
皆、気にかけてくれてたんだ。

小6のクラスの様子は今は落ち着いている。
担任によると、ようやく掃除や給食当番ができるようになったとのこと。
「給食係の白衣を着せるというというだけで大変ですからね」
そうだろうと思う。
先日配られた学級通信には、今は子ども達から出る
「人を傷つける言葉、聞きたくない言葉」に頭を悩めているとあった。
幼すぎる6年生に、先生の苦労の種は尽きない。
卒業まであと50日を切った。
残り少ない日を、一日一日を大切に過ごさせてやりたいという想いに、
こちらの胸も熱くなる。
ありがとうございます。

さて、と。
次はこれから長男の高校に成績表を受け取りに行く。
今学期も赤点どっさりあったよう。
兄弟の中で、こいつだけとんでもなく頭が悪い。
こわいな~~。

人間関係のシーソーバランス?

私が学校や地域の役員をするようになって、
つまり、多人数と関わりを持つ必要ができてから一番変わったと思うのは、
夫が人付き合いを避けるようになってきたということ。

もともと私は対人関係がひどく苦手だ。
ほとんど恐怖症。人間嫌い。
何を話していいのかわからない。
一言口に出すたびに、「変なこと言ってないだろうか」
「ひとり浮いてないだろうか」「間違ってないだろうか」
「おかしな人と思われたんじゃないだろうか」「嫌われたかもしれない」
「どうしよう、どうしよう・・・」
そんな気持ちが渦巻き、動悸は激しくなるし、胃は痛む。
しかし「誰も私に話しかけないで。私を見ないで」と隅っこにいるのも寂しすぎる。
そんな思いをするぐらいなら、最初から関わりたくない。
家に閉じこもって、何も求めてこないテレビや本に囲まれているのが一番安心。
それが本来の気質。

ただ、現実社会で生きていくためにはそんなことは言っていられないので、
心臓バクバク、胃をキリキリさせながらも、
外に出て人の間で働きながら、なんとかかんとか生きてきた。

子どもが生まれても、たぶん他の親達と交わる事はできないだろうと思っていた。
どこに住んでも、地域に溶け込み、ご近所と親しくするなんてありえないと思っていた。
私には絶対に無理!と。

対して夫の方はといえば、
これがまた何で私と結婚したのか不思議なのだが、人間が大好き。
明るく、冗談ばかり言っていつも人を笑わせる。場をなごませる。
初対面の人にも気軽に話しかけるし、
通りすがりに困っている人を見かけると、サッと手助けする。
外人だろうが、コワそうなアンちゃんだろうが、すぐ仲良くなってしまう。
人と関わる営業という仕事は“天職”と自分で言ってたほど。

そんなわけだから、今住んでいる町に引っ越してきたときも、
「誰にも会いたくない」と言う私に、
「よし、近所づきあいは俺が全部やってやるから任せとき」
と胸を叩いて請け負ってくれていたはずだったのだが・・・・・・

いまや、PTAも自治会も彼は一切ノータッチ。
何か頼んだ時だけ気が向いたら協力してくれるぐらいで。
全体を考える組織運営よりも個人的に動く方が性に合っていると
勝手な動きはしても、中に入って深く知ろうとはしない。

一昨日は、私が音頭を取って、この団地で初めて育成会保護者の忘年会をやってみた。
消防隊の方たちにも声をかけて。
予想通り参加者が少なくて、ほぼ役員だけみたいな形になってしまったのには、
ちょっとガッカリしたが、まあ、最初からうまくいくはずもない。
まず、第一歩。これから時間を掛けて徐々に盛り上げていければいい。

しかし、「手伝う事があったら何でも言ってくれ」と夫はいつも言ってくれるので、
当然、夫も参加してくれるものだと思っていたら、
「俺、行かんよ」とは、どういうこと。
「この団地のことには関わりたくない。人間関係が面倒くさい」と言うのだから。

あんた、そりゃ、私の台詞だったでしょ?

昔から夫は私に
「他人に興味を持て」「もっと人と関わらなきゃいけない」と再々言っていたはずなのに。
それが私が学校や自治会の仕事で忙しくなると、
「やりすぎだ」「何で引き受ける」「そんなに外に出たいのか」になり、
そして、遂に「関わりたくない」になってしまうなんて。

それでも、なんとか頼み込んで忘年会に顔を出してもらったら、今度は自治会役員と喧嘩。
双方の話を聞くと、どうでもいいことでお互いが感情的になってるだけだったりする。
そんなの軽く往なせる人だったんじゃないの?

私が内にこもっていたときは、彼が外にバンバン出てくれてたのに、
私が外に出だすと、彼は出るのを嫌がるようになってしまったのは、なぜ?
私が人と接するのに抵抗がなくなったら、
どうして、人間好きだったはずの彼が人を遠ざけるように?

人間関係には、片方がポジティブだと、もう片方がネガティブになって、
自然にバランスを取ろうとする作用が働くということを聞いた事があるが、それだろうか。
そんな陰陽の法則、いらないけどな。
ああ、面白くないったら。

いつか、私が子育てが終わり役目もなくなって引きこもり生活にでもなったら、
また彼は社交的に戻るのだろうか。
どうしても、心を一つに同じ方向を目指すということが難しい夫婦なのか。

スピリチュアルの江原さんは常々、結婚は魂の修行と言われているが、
「そうなのかもな」と、最近になって特に実感する事が多い。

流転の双六

小学校は、担任が替わってから授業は成り立つようになったとはいえ、
相変わらず女子は意地悪、男子は乱暴。
ちょっと叱る人がいなければすぐ悪さをするし、
自己主張ばかりで、他人の立場になってものを考えることができない。
やるべきことをやらない。言い訳をする。
自分の気持ちが一番で、「ムカつくから」を理由に何をやってもいいと思っている。
自分の行動の責任は全て他人にあるという姿勢の貫き方は、そりゃあもう、みごとなもの。
当然、毎日何かしらのいざこざは起きている。

「なんとかできんの?お母さん!」
連日、娘に言われるが、あれだけ騒動を起こして話し合いを重ね、
担任まで替わったにも関わらず、この現状なのだから、私もため息しか出てこない。

しかし、「もう、どうしようもないよ」とは、口が裂けても言えない言葉。
親だから。
“黙って我慢してさえすれば嵐は通り過ぎるものだし安全"というくだらない価値観、
奴隷根性は絶対に持たしたくないとするなら、ここが正念場だ。

では、どうすればいいのか。

昨夜、中学PTAの忘年会でも他の保護者、先生方にいろいろ聞いてみたが、
やはり答えは出なかった。
先生方は先生方で、中学で規律を乱す子ども達に手を焼いておられる。

それでも、サッカー部の顧問のコワモテ先生は、1学期に荒れる小学校の話を聞き、
保護者からの依頼で問題の子の一人を夏休みに預かってくれていたのだそうだ。
どうりで、あの子だけ2学期から急に落ち着いたと思ったら。

その先生は言われる。
「家庭で十何年かかって育てあげられてきた子どもを、
 たった三年の、しかも限られた時間の中でどうできますか?」
学校よりも断然家庭での躾けのウエイトが大きいという認識は、
その場にいる保護者間では共通のものなので、皆、大きく頷く。
「しかも、親は『間違えました』と簡単に言えるけどね、
 僕等教師は絶対に『間違えました』とは言えんのですよ。
 『すみませんでした』では済まされんのですよ」
これまで色々なことがあったのだろう事が察せられる。表情に苦悩がにじむ。

もがき苦しみながら手探りで進んでいくしかないというのは、いずこも同じ。
正解はないのだ。
いくら指導力のある先生として評判の人であっても。

今、親として何ができるか。
続けるしかないのだろうと思う。
静かな改革を。
見守り、気付いたところを注意し、
子どもが迷わなくていいようにその都度示してやるということを繰り返しながら。
小学校からの現況の報告は、このところ出されていない。
どうなっているのか、これからどうして行くつもりなのかを知るために、
まず、聞きに行ってみようと思う。

ゴール間近と思ったら、ふりだしに戻った。
それだけのこと。
また賽を振って、コマを進めよう。

家計のシェイプアップ

私のパート先も不況で仕事が激減。
おまけに、お得意さんだったところに未集金を残したまま更に仕事を受け、
それも払ってもらえず、出るものは出ても、入ってくるものが入らなくて大赤字。
私も、冬のボーナスがないだけでなく、基本給1万円カットの上、
先月1日休んだということで日割りでそれも減額され、
クリスマス・正月をひかえて懐が寒くて寒くてしかたがない状態だ。
家計はどんぶり勘定で、結構浪費をしてきた私だが、
さすがにこれではいけまいと、ケチケチ大作戦を決行する事にした。
まずは、携帯料金の見直し。
あればあったで使ってしまって月の支払額が6~7千円にもなっていたのを
新機種でシンプルプランに変更。これで-5千円。
ヤクルト、一週間に1500円をやめて-6千円。
ビールを焼酎に切り替えて、-8千円。
おお、割と切り詰められるじゃない。
この際だから、新聞もやめようかな。
あとは、他所の家庭と比べて異様に高いエンゲル係数の問題がある。
我が家はものすごく食べるから。
これも、おかずを減らしたら-2万円ぐらい行くんじゃないか?という気がする。
ついでに私の体重もシェイプアップできたら言う事ないんだけどな~。
ご飯山盛りでそれは無理か。

夫に、不況の昨今、逆に景気がいい会社って無いのか聞いたところ、
「ある」と言う。
それはなんと、“ふりかけ屋”。
外食が減って皆、家でご飯を食べるようになったから、
ふりかけの売り上げが伸びているのだそうだ。
そうか。
ふりかけがあると、子ども達がおかずをあまり食べなくなるので、
滅多に買うことがなかったのだけれど、これはいいことを聞いたかも。

チーズはどこに

「ウチの会社、今期限りでおしまいだな。 倒産だ」
朝、何気なく万歳をしながら夫が言う。
八方塞りになると逆に明るくなるのが彼のパターン。
ついに来たか、という感じ。

「えっ、お父さん、会社潰れるの?
 そしたら私たちどうなるの?家を出なくちゃいけないの?学校も転校?
 えー、いやだなー」
こたつにもぐっていた長女がガバッと飛び起きて言う。

「だーいじょうぶよー。なんとかなるよ」と私。
「そうそう、お父さんがなんとかする。そのために色々動いてるしね」
と言う夫と二人して笑う。

娘たちが学校に行った後、
「ビックリした。まさかアリスがそこにいるとは思わなかったよー」
と夫が胸を押さえるから、私は余計に可笑しくなってしまう。
笑い事じゃないんだけど。
いや、笑い事か。

何しろ夫はこれまでも会社を二回潰している。
「今度こそ」で、これまでで一番長持ちしてきたけれど、
ずっと自転車操業で綱渡りを続けてきてただけで、
景気の悪化に耐え切れるほどの余力がないのはわかりきってること。
私としても、「はいはい、また潰れるのね」ってなもんだ。

今のような状況になる事は、もう10年前からわかっていた。
このままでは先がないと。
「チーズはどこへ消えた?」という本が流行った頃、私たちはよくそういった話をした。
親会社は代理店を使い捨てする方向だから、
そこに依存しない別の商品を探すか作るかしなくてはと動いてはきたのだが、
先読みしすぎたり人が育たなかったりで、先行投資はすべて水の泡と消え、
残ったのは、ボロボロカスカスの古いチーズが少しだけといった現状。
これでは、「迷いネズミは何も見つけられなかったし、どこにもたどり着けませんでした」
という最悪のエンディングだ。
見事に、絶対にこうはなりたくないという恐れ通りになってしまった。

さて、これからがいよいよ佳境。
もしもこれが本だとしたら、誰もがこの先を絶対に読みたいと思うはず。
このピンチを乗り切れるや否や。
大きな発想の転換なるか。
あるいは、思いもよらないような救いの手が差し伸べられるのか。
それとも?

スリルとサスペンスに満ちた面白い人生だよ、まったく。(笑)

第80回「武禅一の行」6─重い沈黙

一日目の夜、いつものように風呂から上がると、皆が集う居間に向かった。
なにしろここのところ急に寒くなったので、体調を崩してはいけないと、
神戸のショーケースからの2週間は、アルコールを断っていた。
久々のビール。
「さぁて、飲むぞぉ!」と、ルンルン気分で中に入っていったのだが・・・・・・

「うっ!」

何?この張り詰めた静けさは。
つい先ほどまで、時々ドッと笑い声に湧いていたはずの部屋なのに、
誰も笑っていない。
ただ事ならぬ雰囲気の中、皆の視線は、ある二人に集まっていた。
sakikoさんの車に同乗して一緒に行ったOさんが、
武禅初参加のO田さんに対して、ひどく怒っている様子。
Oさんは、短気で怒りっぽいような人ではないのに、どうして?

そもそも何が発端で、どういう展開になっているのかはわからない。
しかし、Oさんが激昂して問いかける事に、
O田さんは考え込むそぶりのまま、何の反応も返さないというのが、
余計に癇に障り、そして更に声を荒げさせてしまっているようなのだった。

「何とか言ったらどうなんですか!」
「・・・・・・」
「これだけ言われたら何か言い返したいことあるでしょう!悔しくないんですか!」
「う・・・ん・・・・・・」
「僕は真剣に向かい合ってるんですよ。なぜ返してくれないんですか?
 それって僕を無視してるんですよ。失礼じゃないですか!」
「・・・・・・」
こんなことが延々と続き、Oさんは怒りが沸点に達してO田さんを突き飛ばしもした。

「こんなことをされても黙ってるのか!」
「・・・・・・」
「よしっ、それじゃ、腕相撲しよう」
なぜか唐突にOさんから腕相撲の提案。言葉が出ないなら身体で語ろうということか。
しかしそれにもO田さんは煮えきらず、
「・・・・・・」

「さあ、やろう。早く、早く」
構えて何度も誘うOさんに対してO田さんからやっと出た言葉は、
「いや・・・、まだ腕相撲ができるような状態じゃないから・・・」
次の瞬間、O田さんは後ろに吹っ飛んでいた。
Oさんが思い切り突き飛ばしたから。
(ヒー、暴力は嫌いだよ~)こういう光景を見ると、私は怖くて髪の毛が逆立ってしまう。
「できる状態じゃないって何?ここまでされてまだ向かってこないのか。お前、男だろう!」
その声にO田さんもようやく、「よし、やろう」と動き出した。

結果は、Oさんの勝ち。
しかも、やっている間も終わってからも、
「そんなものか。それで本気?全力?フン、弱い弱い」と、挑発しまくっていた。

揺さぶりをかけ、「その感情をぶつけて来い」とばかりに訴えかけるOさん。
対して、固唾を呑んで見守ってくれてる周囲への配慮もなしに
ひたすら自分の中にこもっているように見えるO田さん。

こういったやりとりを見ていると、ウズウズしてしょうがなくて、つい乱入。

「自分の感情でしょ。
 何を考え込む事があるの?思った通りを言えばいいじゃない!
 どんな気持ちなの? 何を考えているの? 聞いてるんですよ。答えて!」
それは、私としては至極当然の事を言ったつもりだった。

しかし日野先生が、理学療法士をされているAさんに意見を求められ、
そこで聞いたのは、意外な言葉だった。

「相手が答えられないのは、答えられない質問をしているからであって、
 質問のしかたが悪いです」

!!!

Oさんが悪い?私が悪い? 
ええっ、そんな。。。そうかなぁ?

先生も言われる。
「自分の気持ちを言えと言われても、自分のことは自分ではわからんもんや。
 感情が湧くはずだと思うのは自分であって、相手がそうとはかぎらん。
 『わからない』と、ちゃんと答えているのに、『そうじゃないはずだ』と
 こちらの望む答えを引き出そうとしてこられたら、そら、黙るしかないやろ」

思ってもみなかった事だった。
“自分と他人は違う”
“他人は自分の思うようには動かない”
“コントロールをしようとするから対立する”
それはわかってて、いつも気をつけているつもりだったけれど、
全然わかっちゃいなかったということ。

また、前回の武禅で、先生からレポートでいただいた一文も脳裏に蘇る。
「正論を並べるクセ」「そのまま人に当てはめる」
「一般的な会話には適しません」

読んだ時には、漠然とだいたいこういうことかな、ぐらいしか捉えられていなかったが、
今回の実場面で行き詰ってしまったことで考えると、確かにそうなっていた。

クセとは、自分にとって無意識でやってしまう自然な行為だから、
ひとりで気付くことは、まず無理だ。
初めて気が付いた。
自分のやっていること。やってきたこと。

そういう目で見れば、あの時も、この時も、と、
様々な場面で他人から誤解を受けたり、会話が成り立たなくなったり、
避けられたりした時には、大抵このクセが出た時ではなかったかと思い返されるのだ。
「石頭」「なんと無理解な」「性格悪い」「レベル低い」と、相手のせいにしてきたこと、
全部、私のせいだった?


武禅の夜は、笑い転げる日ばかりではない。
重い時間が流れる夜も、人と人の間で見つかるものは、やはり大きい。

熱く君を語れ

娘が怒っている。

先週、担任が腰痛のため3日休んだときには、クラスは大荒れだった。
ささいな事でキレて暴れる子、授業中不真面目な態度をとる子、
難癖をつけて集団で女子にサッカーボールを当てる子、
果ては窓ガラスに頭から突っ込む子まで出たりして。(怪我が無くて幸いだった)
しかし担任が復帰すると、それらはピタリと収まったので、
良かったと思っていたのだが、今日、またもや問題が発生した。

誰も見ていないところで、嫌がらせをする人がいるのだ。
まず、傘が何本か折られていた。
下駄箱の靴や上履きがグシャグシャにされたり汚されたり、
「バカ」とか「死ね」と書かれた紙を入れられたりもした。
本に傷を付けられ落書きをされた人もいる。
それは、特定の誰かを狙ってではなく、手当たり次第のよう。

「先生は全部知ってるの?」と聞くと、
そのことで話し合いが行われたので、把握してくれてはいるとのこと。
「でね」、とここからが彼女の怒りの本題。

「先生が『被害があった人は言ってください』と言うと、
 『こんなことされた』『私もやられた』『私も、私も』といろいろ出たんだけど、
 次に先生が『やられた人はどんな気持ちになりましたか?』と聞いたら、
 誰も何も言わなくて、シーンとして話が進まなくなっちゃったんだよ。
 それで、誰かが口火を切らなきゃいけないかなと思って私が言ったんだ。
 『こんなことをする人には腹が立ちます。人を困らせて何が面白いのかと!』と。
 でも、それでも他に誰からも声は出なかったんだからね。
 自分の感情でしょ。何で口にできないの?黙るの?
 何も感じてないんだったら、最初から被害に遭ったって言うなや!」

「まあまあ、自分の気持ちを言葉にするのが苦手な人もいるから。
 どう表現していいかわからなかったんだろうね」
そう私がやんわりと返すと、
「だったら陰でヒソヒソと文句は言ってるのはなぜ?
 思ってる事があるなら、言うべき時に堂々と言えばいいじゃない!」
とまだプンプン。

やっぱり私の子だけあって私によく似てる、と苦笑してしまう。
皆が皆、そんな考え方をするとは限らないと知らない所も。

結局、誰も何も言わないので話し合いはそこで打ち切りになったという。
犯人がどう思ったのか、これから被害がなくなるものなのかもわからないまま。

「サムライなこころ」消失事件

昨日から、日野先生の日記が見られなくなっていた。
携帯から見るとエラー。
メンテナンス中かな?
PCから見ても「ページが見つかりません」。
他の日記は見れるみたいだけど・・・もしかして削除された?
としたら、復活はありうる?
これまでの記事が、まさかもう読めないってことはないよね、と焦りだす。
一応全部読んではいたけれど、
少し時間が経って読み返すと、以前とは違った発見があったり、
また疑問が見つかったりするからとても貴重なサイトだった。
いつでも読めると思って安心していた。
本として読みたいという人や、
PCから全部プリントアウトして綴じてきたという人の話を聞いて、
私もいつかテキストを保存して、自分だけの本にしようと思っていた。
だけど、それは「いつか」であって、すぐ動いてはいなかった。
何度も何度もアクセスして確かめたけれど、ページは消えたまま。
そして今日、それはもう永遠に失われて返ってこないのだと知った。
先生が間違って丸ごと日記を消されたのだった。
ああー、取っておけばよかった。
なぜすぐやらなかったー。
あの全てがもう二度と読めないなんて!
今世紀最大の損失だーーー!!!
いくら悔やんでも悔やんでも、時間は戻らない。
取り返しがつかない。
ボタンひとつで何年もの記録が抹消されてしまう。
電脳世界の無情をかくも思い知らされることになろうとはぁぁぁぁああああ~~~

と、いつまでも嘆いていても仕方ないので、
新しいアドレスをお気に入り登録。
そして、日記更新をメールでお知らせにも登録。
新しい場所は、スッキリしてなんだか気持ちがいい。
これから書かれる日記が、ますます楽しみだ。

新生、
「日野晃のさむらいなこころ」 

ぜひ、お気に入りに。

まだまだ、無駄に長い文章を書く癖が直らない私は、稽古が足らんな。。。

コパンダのボトルキープ

小学校6年生の女子達で化粧をしている子が何人かいて気になっていた。

不自然に白い肌に、目の周りだけやけに黒く強調するメイク。

まるで「パンダ」だ。

キラキラのマニキュアも塗っている。
先生に注意されても不機嫌そうに
「いいじゃん」「関係ないじゃん」とそっぽを向いてききやしない。
担任が変わっても、その態度は変わらない。

子どもに言ってきかすだけでは効果は出ないと読んだ担任は、
一ヶ月前の担任交代の挨拶で保護者にこれからの指導の方向を話された際に、
家庭でも子どもの様子を見て注意をしてくれるようにと頼んでこられた。
現代の学校の力は弱く、教師ができることは限られている。
「やめなさい」と言うぐらい。
無理やり顔を洗うこともできないし、立たせたり、教室から出す事もできない。
子どもに実力行使ができるのは、親だけ。
だからこそのお願いだったと思う。

しかし、終わって帰ろうとしたとき、階段の下でたむろしている数人の親達の話に、
横を通り過ぎようとした足が止まった。

「化粧とかマニキュアをさせないように家で指導してくれって言われたって、ねぇ」
「そーよ。だってぇ」
「するなって言ったって、子どもが勝手にしちゃうんだもん」
「うんうん、仕方ないよねー」
「どうしようもないよぉ」

!、・・・・・・・・・。
これが、今の親なのだ。
コパンダの親たち。

黙っていられなかった私はそこで口を挟んだ。
「家庭で指導できないんだったら、やっぱり学校でしてもらうしかないでしょうね。
 いっそのこと、学校にマイ除光液をキープしておいて、使ってもらったらどうですか?」

強烈なイヤミを炸裂させたつもりだったのだが、
私の人柄の優しさがにじみ出てしまうせいか、はたまた彼女等の能天気さのせいか、
どうも通じなくって、
「アハハッ、それ、いいかもぉ~」
「ねー、そうしよっかー」
と、冗談としてウケてしまう有様。
はぁ・・・(溜息)

小学6年ともなるとお洒落に目覚める年頃だ。
化粧に興味を持つ気持ちもわかる。
しかし、折角のキレイな肌に今、小細工をする必要はないし、
塗りたくる事によっての害の方が大きいと思うので、私は子どもが化粧をすることに反対だ。
肌荒れだけではない。
「化粧をする子=軽い子、ませた子」というふうに人は見る。
真面目な人からは敬遠され、ワル達の目には恰好の獲物と映るだろう。
それを心配するのだ。
外見で人を判断してはいけない、なんてキレイ事に過ぎない。
見た目は100%その人の責任。
我が子がそんな見られ方をされ、勝手にレッテルを貼られても平気なのだろうか。
この親達は。
「だって、子どもが勝手にやるんだもーん」か?

私の娘も、他の子に触発されてマニキュアを付けていた事がある。
爪を伸ばし、透明な薄いピンクのもの。
私は「やめなさい」とも、「どうして塗るの?」とも言わなかった。
しかし、娘はすぐにやめた。
もう二度とマニキュアは塗らないと言っている。
私が言ったのは一言。
「なんじゃ、その爪は! きっしゃなげな!」
これでザックリと心臓をえぐったみたい。
特に何にも考えることはない、簡単なことでしょ。


小学校では、業を煮やしたある先生が本当に除光液を買ってきて、
学校に置くようにしたのだそうだ。
子ども達はそれを借りに行く。
「いい傾向」と思ったら、実はそうではなかった。
子ども達はマニキュアを家で落としてこないで、学校に落としに来る。
先生の除光液を使って落としては、またキレイに塗りなおす。
彼女等からすれば、「自分のを使わなくて済んでラッキー♪」といったところだろう。
スゴイよ。大人の発想の二枚も三枚も上を行くのだから。
それにしても、他人のキープボトルを遠慮なしに自分の物としてしまうとは、
頼もしいというか、末恐ろしいというか。
それほどの才能があれば、すぐにスカウトされるでしょうよ。(笑)

あまりに頻繁に借りにこられるため、
先生が用意していた除光液はすぐに空になってしまった。
リクエストに応えて、新しいのを買ってくるべきかどうか、現在悩み中らしい。

ぽあん的ヤヌスの鏡

「あちゃ~、やっちゃったよ~」
日曜の朝、目覚めて頭を抱えた。

毎第一土曜の夜にある自治会役員会が終わると
役員達と湯割を飲みながらの取りとめのない雑談が恒例なのだが、
昨夜はちょっと飲みすぎて、
本音をポロリと・・・、というか、
ついズケズケ、ガンガン、「これでもかっ!」というぐらい言ってしまったような。

夕方から夕飯を作りながら資料作りと印刷をして、
食事を食べずに7時半から集会所の準備、8時から会議、
議題多くて終わると10時。
それからすきっ腹で飲んで、喋って、終わったら2時って、
主婦としてどうなんだろ。(汗)

しかも話題は、町内の事から発展して、
酒の席でのタブーとされる「政治」と「宗教」に踏み込んでしまったし。
消防隊の隊長が、とてもいい人ではあるのだけれど、
日本最大のカルト宗教なものだから、どうも突っ込みたくなっちゃって。
前々から思っていた事、全部ぶちまけてしまった。

私は神仏は好きだが、新興宗教が大嫌いだ。
信仰心のある人は好ましいが、お陰信仰にすがる人はゲーッ。
幸福感に酔わせ、あるいは自律の規範を装いながら、
褒美と罰の脅しによって人心を操り蝕み、自由も感覚も奪う麻薬を憎んでいる。

「なーにが、生きているうちに幸せになる○○を唱えましょうだ」
「七五三もクリスマスも祭りもできないって何?」
「病気が治る、金が儲かると騙しては
 弱者から搾り取ってきた歴史があるじゃないか!」
「人の弱みに寄ってたかって付け込むハイエナみたいな集団」
「自分達に逆らう人や団体に対しての容赦ない悪口雑言で底が知れるよ」
等々、色々溜めてた思いが噴出してしまった。
隊長も初めて知る“事実”に目を白黒させて、酒量増えてたっけ。

ここまで正直に口にすることもなかったかな。
今もご近所、グルリと信者に取り囲まれてるってのに。
だけど、いいか。
これでどうこうなるような人じゃないし、
そんな人間関係だったら、最初から要らないから。

私は酒を飲むと面白いとよく人に言われる。
理性のたがが外れた方が自分らしいと我ながら思う。
本音を言うと気分がいい。
いっそ、素面の時からこうだったらいいのに。
そしたら、朝起きて、「あ~~~」とならなくて済む。(笑)

最後に笑う恋

東京に住む、夫の古くからの友人は、だいたい年に2回ぐらい遊びに来ている。
この週末も泊まりに来た。
だが、今回は二人で。
今年、結婚したので、奥さんも一緒に。

もう何十年ごしの想いが実ったことになるのだろうか。
いろいろとあった。
やっと結婚したのは今年だが、
二人の間にはすでに24歳の息子がいるというような事情。
ゴタゴタが長引き、彼が自暴自棄になり荒れていた時期も知っている。
辛そうで、「そんな悪い女とはキッパリ別れればいいのに」と思ってたものだけど、
その「悪い女」と遂にゴールイン。
「一念岩をも通す」とはよく言ったもの。見事貫いた。

で、噂の「悪い女」がどんな人かというと、
これが実に「いい女」だった。
国際線のフライトアテンダントを35年勤めていただけあって、
話題が豊富。ウイットに富み、頭の回転が速く、人への関心度も高い。
話が面白いから、ついつい酒もすすんで、
4人で缶ビール1ケースとワイン2本を空けてしまって、深夜1時。
まだまだ話し足りない女達だったのだが、
夫の友人が「そろそろにしよう」と言うのでお開きになった。
彼女は少し持病があるので、心配らしい。
しかし、
「さ、早く歯ブラシして」「ちゃんと磨いて」「歯間ブラシもやった?」
と彼が彼女にコマゴマと世話を焼くのは病気とは関係なさそうだが。
「いつもこんな感じなんですか?」と聞くと、そうだとのこと。
「私は今度こそちゃんと添わせてもらおうと思って一緒になったのに、
 なんだか彼が私に添ってくれてるみたいになってるの」と笑う。
いやー、愛されてるよねー。

紆余曲折あってドロドロに汚れた過去も、過ぎてしまえばただの思い出。
冬ソナが純愛ドラマなら、これだって立派な純愛。
そうして、ハッピーエンドの後も物語は続いて行くのだ。
どうかお幸せに。

とんでも携帯事情

中学では、荒れているという事とはまた別の問題も浮かび上がってきた。
橋本大阪府知事の公立小中学校での携帯禁止令のような感じで、
一応、こちらの中学でも校内での携帯電話の使用は禁止という形だが、
実際は特に何も規制されてないような状態。
通学途中に携帯電話を片手に自転車をこぐ姿を見かけられ、
校長が他校から「おたくは携帯電話の使用は自由なんですか?」と聞かれて、
「そういうわけではないのだが・・・」と初めて関心を向け、
生徒の使用状況の調査をしてみたのだとか。

携帯電話を所有している子どもは、全体の3割程度。
しかし中には、日に50通以上もメールのやり取りをする
ヘビーユーザーもいるというから驚いた。
来たらすぐに返さないとどう思われるのか心配、
送ったらすぐに返事が来ないと無視されたようで不安、
メールが来ないと寂しくなる、
メール依存の人はそんな心理状態に陥っていると話に聞く。
こんな田舎の子でも、そうなのだろうか。
現にうちの息子も以前、PCのアドレスに携帯からメールをよこしてきた友人から
「なぜ頻繁にメールをくれないのか」「返事が遅い」と苦情を言われ、
鬱陶しいのでメルアドを変えたということがあった。
電話のように、何をしてても強制的に呼び出して相手の時間を取らせることもなく、
手短に用件を伝えられるのがメールの優れた所なのに、
コミュニケーションを強要される道具として使われるのは困ったものだ。

今や大人でも「ケータイがないと生きていけない」とよく言っているのを耳にする。
それで子どもに「節度ある使い方をしなさい」と指導できるのだろうか。

私は最近、誰にも干渉されない一人の時間を平穏で満ち足りて過ごせる人こそが、
真に人と関われる人なのではないかと思うようになった。
その証拠に、
メル友何百人いたって孤独で鬱、
出会い系で出会った人とは軽く遊んで遊ばれてポイ、
メールでしか会話のできない親子・夫婦、
そういった対照的事例は山ほどある。
こう見ると、常に誰かと繋がってないと落ち着かない現象の蔓延する現代は、
薄気味悪くも恐ろしいではないか。

携帯電話メーカーは各社競っては
子ども向けの販売の拡充を狙って利点をいろいろあげるだろう。
子どもは、他所の子が持ってるおもちゃが欲しくて、なんのかんのとねだってくる。
だが、親にとって、子どもに持たせていいことは何も無い。
誘拐されてトランクルームの中から「Help me!」をする確率がどれだけある?

子どもに不便させろ。工夫させろ。考えさせろ。苦労させろ。
そうしないから、アホの子ばかりがのさばるのだ。

そろそろ来年のこと

車検のお金を払いに行って、
そこに勤務する中学のPTA会長とちょっと立ち話をした。

今、中学が荒れているというのは先日の保護者会で聞いたのだが、
注意したからといってすぐに改まるわけでもなし、
まだ厳しい状態が続いていて、先は長いようだ。

私は今年、中学のPTA役員ではないが、
飲み会だけは参加するという美味しい役回りをさせてもらっている。
今度の忘年会に行くのを、校長先生が楽しみにしてくれていると聞いた。
嬉しいな~。
小学校の騒動で力添えを頂いた件は本当に有難かったので、
重々お礼を言っておかねば。

しかし、来年度の常任委員会入りの打診はマイッタ。
まさかというか、やはりというか。(笑)
来年は自治会と育成会の役員も外れるから、久々に役なしでいきたいのだが。
しかし、PTA会長には公私共にお世話になってるしな。
面白そうなメンバーだし。
ンーーー。

マネキン猫

秋は過ぎ、季節はまぎれもなく冬。
スキンデザインも変更。

洗濯物が乾かないので、室内に干してエアコンを入れた。
タンスから服を取り出そうとして、
「わっ、ビックリした!」
目の前にいきなり猫の顔。

猫は部屋で一番居心地のよい場所を見つける天才。
暖風の直下がいいのか。

置物と化している。



第80回「武禅一の行」5─出来ない事が増えていく

一つ一つクリアしては足場を固めてステップアップ。
それが実力をつける方法であると、学校で習い、
私たちはそれを当たり前の常識だと信じている。

しかし武禅では、そんなことはやらない。

基礎基本はある。

「正面向かい合い」
自分の中心と相手の中心を合わせる。
“相手”の正面に立つ。

すべてが、これの応用。

だが、これがなかなか。
一つをクリアしてから次というやり方をするなら、
三日間びっちりこれだけをやり続けなければならなくなる。
しかし、それで完璧に身に付けられるとは思えない。

だから武禅では、さっさと次に行く。
落ちこぼれの切捨てではなく、
なぜできないのか、どうしたらできるようになるのかを立ち止まって考えるよりも、
いろいろな方法での試行錯誤をとにかくやってみることで、
何かつかめてくるということがあるからだ。

三歩進んで二歩下がる、とでも言うか。

ところがこれで、勘違いをしてしまうということがある。
ということに気付いたのが今回の武禅だった。

所詮、私の思考回路は、これまでの教育によって作られている。
三歩進んで二歩下がることが、
一歩ずつの着実な歩みを約束してくれているものと考えていたというか。
何かできるようになってきていると思っていたが、
実際は、とんでもなかった。

一歩足を前に踏み出して正面をカッチリ合わせ、
そのまま相手を引き付けて引いて、「こんにちは!!」の稽古。
何度もやっているので、完璧に出来るまではいかないにしても、
なんとなくそれらしい感じにはなってるつもりでいた。
が、まさか、受ける方でダメ出しをされるとは。

相手が折角合わせたのに、そこで私が引いて外してしまっている。
だから、引っ掛けて引っ張って連れて行かれるときには、
気持ち悪い演技になってしまっているらしい。

「えっ? 違った? こうじゃなかったの? 私、まったく出来てない? ウソ・・・」
それでは、今まで私がやってきたのは何だったのだろう。
一気に地下1000メートルの穴に落っこちた気分で目の前真っ暗。
「こうですか?」「これでどうですか?」
聞きながら何度もトライしてみるが、まるでダメ。
見回すと、他の人達は皆、当然のように難なくできているように見える。
今回、初参加の人まで自然に。
出来ないのは、私一人?

まさかと思うところでダメ出し。
ということは、他のあれもこれも全部がダメダメということだ。
相手のエネルギーを受けられていない。
相手の声を聞けていない。
相手の身体を身体として感じていない。

三歩進んで二歩下がる。
自分がまだ一歩も前に出ていないってことを知った一歩を、
私は何回踏んだ事だろう。
そして、これから何回踏み続けるのだろう。

行けば行くほど、何もできないことを思い知る武禅。
こんなセミナー、こんな合宿は、他のどこを探したって無いだろう。

千里の道も一歩からというけれど、その一歩が、ああ、遥かに遠い。
これでは私の一生は、歩いても歩いても旅支度をし続ける人生で終わりそうな。

だけど、それでもいいかな。
というか、むしろそれでいい。それがいいんだよね。

裏切り者の口

「わたしのこと裏切らないで」と念押しする人ほど、
簡単に人を裏切る。

「嘘つきは嫌い」と声高に言う人ほど、
嘘つき。


自分がどっぷりと中に浸かっているから、
その違和感に気づかないのだろう。

唐突に「殴らないで」「泥棒は嫌い」と言い出すのと同じくらい変だというのに。


ついでに、
「バカにして!」が口癖の人ほど、
実際に馬鹿。

ベッドの風景

女の子のベッド。
女の子のベッド
にぎやかでかわいい。


男の子のベッド。
男の子のベッド
・・・・・・。

アノこと

お馬鹿さんは、秘密が好き。

「アノことは、誰にも言わないで」と言ってくる奴は、
例外なくお馬鹿さん。

“アノこと”というのは、自分の悪事。
それが大っぴらになるのを何より恐れる。

それならやらなきゃいいのに、やるんだなこれが。
やめないんだよね、どうしても。

そうしておいて、「誰にも言わないで」と泣きついてきたり、
共犯者の連体意識を押し付けて、
「裏切ったら承知しない」と脅してくる。

弱みがあるのはどっちなんですか?って話なんだけど、
これが理解できないほどのアホタレなんだから、しょうがない。

「バラしたら、あんたの悪い噂を広めてやる」なんて、
正気か?オイ。

どうぞどうぞ、ご自由に。
あんたの嘘と、私の本当、どちらが勝つか試してみようか。

いやいやそれも、ちょっと違うか。
あんたの嘘と、あんたの本当のバトルだね。
私は何の関係もない。

勝手にやってろ。
苦しさは私のせいじゃないよ。

第80回「武禅一の行」4─先輩達

今回の武禅には初期の頃から来られていた先輩達が久々に参加されていた。
先輩といっても私より若いのだが、まだ隔月にあった頃には、
毎回、車を交代で運転しながら通いつめておられたそうだ。
これがもう、三人とも、とてもカッコイイ。
スッキリしたきれいな目、爽やかな笑顔、動きもキビキビ。
そして稽古の際も、注意が的確。
何がどうおかしいかを明確に示してくれるのだった。

武道で見取り稽古に慣れているからか、人まねがとても上手い。
前回の時も、先生に私が目をむいて手を振り回して
全身で伝えているつもりの姿を形態模写されて恥ずかしい思いをしたけど、
今回は先輩の一人にそれをされた。
正面を合わせて聞こうとしているつもりだけの表情。
尻が引けてて顔だけヌッと突き出しドギマギと困ったような目の
気色悪い動きをそのまま再現される衝撃は、たまったもんじゃない。
先生が「こんな、けったくその悪い顔、殴ってやれ」とけしかけられるから、
「キャー、やめてー」と笑いはしてるのだけど、心はもう半べそ状態。
まあ、それでも出来ないのだけれど。

この人達とは、正面を合わせるのも難しい。
精度が高いので、アバウトな位置ではOKが出ない。
そこに圧倒的な差というものを感じる。

「すごいなー、さすがだなー」とそればかり。
それにひきかえ、この私のダメダメさときたら・・・、という気持ちになっていたら、
「あたりまえや」と先生が言われた。
「何回通うたと思うとんのや」と。

「うん、何回かな・・・」
「40・・・回、ぐらい?」と先輩達。
えーーっ、そんなに!?

初めての時に、以前から来ていた女性に肩に触れる手を「気持ち悪い!」と
即座に払われたのが、あまりにショックで、どうにかしようと通いつめたのだそうだ。
またある先輩は、若い頃、性格が暗く人付き合いが苦手で、
ほとんど引きこもりのようだったと言われていた。
今は話のようなことを微塵も感じさせない彼等に、そんな時代があったとは。

通って、自分で考え工夫して、実践しては身につけたもの。
それを差として歴然と見せてもらえるこの幸運。
やった人と、まだやっていない人の差はあってあたりまえ。
先輩達のようになりたければ、先輩達のようにやるだけだ。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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クイズ紳助くん 2007年2月19日
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