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子どもを本好きにする方法

私は本が大好きだ。
物心ついてからずっと本を読んでいる。
親に読み聞かせをしてもらったのは、たぶんほんの数回。
幼稚園では紙芝居の時間を楽しみにしていた。
夜、母が仕事に行くと、家には私ひとり。
本を読んでくれる人がいないので、私は早くから字を覚えた。
何冊かの絵本・童謡集を繰り返し繰り返し読み、
5歳ぐらいで簡単な漢字もなんとなく読めるようになっていた。
小学校に上がると、図書室で世界の童話全集、名作全集という
分厚い本を毎週借りて、全巻読んだ。
当時、日常が辛かった私にとって、本の世界だけが幸せだった。
師であり友である本。それがない生活など考えられない。
今も読むペースは遅いし、量としてもさほど多くないけれど、
仕事帰りに週のうち2、3回は本屋に立ち寄っている。
多種多様なタイトルを眺めて回るだけで心満たされるので、
それは私には絶対に必要な時間なのだ。

先日、話題の本のコーナーで、
「子どもが本好きになる七つの法則」という本に目をとめた。
副題─10才になるまでに、親がしなければならないこと─
私の子ども達は皆、本好きなので、
そうさせるためにどうしたらいいかなど考えた事もなかったのだが、
そうでない子に対して効果的な法則というものがあるらしい。
パラパラと立ち読み。
前半に、本を読むとこんなに良い事があるというメリットが書かれている。
そういえば私は、どんな良い事があるのか、何の為に読むのかなんてのも
考えた事はなかったな、と気付く。
そして、本題の子どもを本好きにさせる7つの方法。
1、親が本を読む
2、読み聞かせをする
3、良い本をすすめる
4、本屋や図書館に一緒に行く
5、好きな本を読む
6、読んだ本について親子で話し合う
7、日々の出来事について話し合う
なーんだ、これぐらいのこと?というようなものばかり。
7つに分けてあるだけで、結局は親が本好き会話好きなら、
自ずと子どももそうなるというだけの話ではないだろうか。

家に帰って子ども達に、「今日、こんな本を見つけてね」と話をした。
「へー、そんな本があるんだ。
 で、どうしてそんなに子どもに本を読ませなきゃならないの?」
「イイコトがあるから本を読みましょうって、なんか変だね~」
ただ、読みたいから、面白いから読んでいるだけの彼らは、
思ったとおり、そんな反応。
役に立つのは結果であって、知識欲を満たしたり想像力を遊ばせるのに
目的などは不要なのだ。

私は新刊を買った時に、面白かったら子ども達にすすめることはあるけれど、
基本的にアレを読めコレを読めと言うことはない。
本棚に私の本が沢山あるので、子ども達は好きにそれを引っ張り出して読んでいる。
最近では逆にチビが図書で借りてきた本を私に読ませたがっていたりする。
彼女の好みは怖い話と不思議な話。
「死神から買ったマフラー」とか、「のろいのタロットカード」といったタイトルの
短編詰め合わせをよく借りており、
貸し出し中だとリクエストカードを出して待っていたりもするらしい。
(たまたまカードを見つけて、「そこまでして読みたかったのかー」と夫と二人で笑うこと)
読んで、「このオバケ、ちょっとひどくない?」
「主人公、悪い子だったから食べられちゃっても仕方ないね」
という話もしたり、しなかったりするが、それにも特に意味はない。

本が好きな親の子どもが本を読まないとは、ちょっと考え難い。
また、努力して読書好きにならなきゃいけないというのも疲れる話。
私はそう思う。
しかし、読書のメリット、読まないことのデメリットをこの本を読んで知った人がもしいて、
これから変わっていく意欲が掻き立てられるとするなら決して悪いことではない。
本を読まない子ども達が、続々と本好きに変わっていくことになれば、
この本は立派に「人生を変えた一冊」となるだろう。
だが私には、さほど効果はあがらないのではないかという気がする。
なぜなら、結局のところ、役に立つ本立たない本があるのではなく、
役に立たせられる人かどうかということが重要だからだ。

こうすればこうなるのHow toものより、生きた人の体験や心揺さぶる物語の方が、
かえって多くのものが学べたりするのも読書の愉しみ。
本好きは知っている。
どれだけ読んでも、世界は本の中に収まりきらないということを。
だから読む。
それを子どもにどう教える?
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死にぞこないの青の視線

乙一の「死にぞこないの青」という小説を読んだ。
主人公の小太りでドンくさい少年が人気のある担任の教師に嫌われ、
何かにつけ理不尽に叱られからかわれ罵られるうちに、
クラス中からも劣ったゴミのような存在として虐められるようになるという話。
何があっても、すべてその子のせい。
一人を生贄にすることで不満が解消されまとまっていくクラス。
物語はそこからアオという異様な姿をした子どもの出現によって展開していく。
これは小説だが、近いようなことは現実にも起こっているだろうなと思いながら
読み進んでいった。
誰かを悪者にして叩くことによって和を保つなんてよくあること。
小説の中では部落差別の「えた」「ひにん」の例にちらっと触れていたけれど、
別にそういったものとは限らない。
実際に、連日のようにマスコミの煽動によって、
いつも誰かが不特定多数にバッシングを受けるようなことが繰り返されているし、
学校でも、会社でも、町内でも、もしかしたら家庭内でも、
困った人を作っては、自分の不都合の責任を全部負い被せて、
「あの人よりはまし」あるいは、「あの人さえいなければうまくいくのに」と、
自分を安心させたがるようなことを人はやりがちなのだから。
そのほとんどが、自覚なく。

本を閉じ、ホウッとため息をついたところで、娘が「今日ね、学校でね」と話しかけてきた。
クラスに大人しい女の子がいるのだが、
ある教師がその子に対する態度が他の子と全然違うのだという。
明らかに高圧的でしつこいと。
授業で必要な道具を幼い弟が壊してしまい、
朝、買う時間もなく持ってこれなかったと説明しても、
「なぜ、それくらい買えないの?やる気がないんでしょ!」とガミガミ延々。
普通、他の子にはそんな言い方はしないのに。
また、皆がおしゃべりして教室内がざわめいていても、その子だけ注意し、
後で職員室に呼ぶということもあるのだそうだ。
「何であの子が怒られるのかわからん。他の子の方がよっぽど悪いよ。
 言い返せないからってひどいと思う」
またその人とは別に、男子にはペコペコチヤホヤして、
女子にだけ叱ったり命令口調になる先生もいて、こちらも頭にくるらしい。
子どもは、大人の態度に対して、大人が思ってもいないほど敏感だったりする。
私は自分の目でその現場を見たわけでもないので、
それが本当に娘の感じている通りの出来事なのかどうかわからないし、
人によって対応を変えているのは、
先生方の思うところがあっての指導の仕方ということもあるので判断はつかない。
だから、私に言えるのはこれくらいのこと。
「よく見ておきなさいよ。誰が誰ににどういうことを言うのか。その言葉を、表情を。
 何を言いたいのか。どうしたいのか。
 言われた人は何を感じたのか。言われなかった人はどうしているか。
 先生の行為は子どものためか、それとも自分のためか。よく見ておきなさい」
子どもも教師もいろんな人が集まる場としての学校の、授業よりも大切な勉強はそこだから。
 
それにしても、丁度、本を読み終えたところでこの話題。
偶然のいたずらにしても出来すぎのような。

減らない借金の話

私は主に土日に折り込まれるチラシを作る仕事をしている。
金曜は刷り上ったチラシの見本を届けに客を回る。
今週は新しく入った営業の顔見せのために同行した。
その人は、消費者金融の会社で20年以上勤めていたのだが、
事業縮小で広島から撤退したので、転勤をせずに退職したとのこと。
金融業界は、出資法・利息制限法の改正で金利が下がり、
その上、払いすぎた利息を遡って返済を求めることができるというので、
手続きをとる人も多く、どんどん潰れていっている。
多重債務をなくすためにオンラインで照合され、
一人の人が限度額を超えてあちこちで借りることもできなくなったのも、
貸金業者にとっては痛手だという。
これまで馬鹿だけが泣いてきたが、やっとワルも泣きを見るようになってザマアミロ、と、
私にはそんな印象ぐらいだが。

面白い話を聞いた。
彼が以前いた会社では、社員は皆、自社で借りられるように
限度額30万円のカードを持たされていたそうだ。
ある時、急にお金が必要になって、それを使って借りたのだが、
以来、返しても返しても借金額が減らないという状態になってしまったという。
おかしなもので、何回か返済して、あと○万円借りられるという事になると、
「まだ使えるんだ」と、つい借りてしまうものらしい。
他の人もほとんどがそうだったというから、何か共通する心理なのか。
預金を引き出すように借金ができるというシステムは、それ自体が罠みたいなもの。
ちょっとした仕掛けですぐに人の感覚は狂うものらしい。
心の隙間はいつも狙われていると自覚しなくては。
大人なら自己責任だから。

答えは∞

身体塾・表現塾を理解・納得しようとしても、それは無駄だ。

「はい。質問ある人」で先生が見回されても、
??????の顔をしていながら、その?の部分は質問にはできない。
これまで自分が思ってきた常識とは違ったという事実にただ驚いている。

それでもたまにどうしても頭で理解したい人から質問が出ることもある。
「それは身体の軸を意識するのでしょうか」とか、それに近い類の。
当然、ズバッと斬られる。
「それは何か」「どういう意味か」と、
質問のベースになっているであろう知っていることを問われると、
噛み砕いて先生や皆にわかりやすく説明できる人などいない。
誰かの本に書いてあったことや、自分の感覚を基に、
「○○は~~ということですよね」とやったところで、
「知らんがな」、だ。
個人が頭に詰め込んできた知識や主観は、他の誰にも関係がない。
ということは、今、皆が同じ事をやっている事とも無関係。

また、もし正面の感覚を言葉で切り取って教えたとしたら
実際を知る事ができなくなるのと同じく、
目の前で起こっていることや感じていることを、
自分の知っている範囲の言葉をチョイスして組み立てたとしたら、
それはそこ止まりで完了してしまうことを意味する。
人は疑問には即座に答えを得て安心したいもの。
私はこんな文章を書いてるぐらいだから、そこんとこはよーくわかる。(←笑)

東京や大阪でも、ワークショップのリピーターはあまり増えていないと聞く。
これだけ人気があるのに不思議な事だが、武道の生徒数も他流派と比べて少ないよう。
続かない人は、もしかしたら「答え」を見つけてしまった人かもしれない。
「こういうことか」とわかって、思い出の1ページにでもしてしまったか。
勿体ない。
折角、一生遊べるネタ満載なのに。
ちょっと齧っただけですぐに理解できる天才に生まれなかったことは、幸運だ。

熱い思い

岡山ワークショップは、来年はショーケースをする計画がある。
主催者の香月さんは、ヤニスさんに是非来て欲しいと
日野先生を通じてラブコールを送るらしい。
打ち上げの席で、自分の生徒である子ども達に
どうしても今、本物を見せたいとの熱い思いを語っておられた。
受けて先生も、東京・大阪と比べて岡山での人の集まりはどうなのか、
最適な舞台はあるのか等、具体的な予定へと思いを廻らされる。
もうすでにそこで、素人には立ち入れないシビアな空気。
日野メソッドによる本物のプロが育ち、
それを間近で見ることが出来る機会があるのは一般人としても喜ばしい。
しかし、学べる機会が減るとなると残念なので、
そこはこれまで通り残して欲しいという気持ちが私にはある。
そういった部分に対し、「何を望んでいるかだ」と先生。
考え込む香月さん。
子ども達はいつまでも子どもではない。
「いつか」とか「数年先」と悠長な事を言っていられる余裕はなく、
今、決断をしなければならないという状況が彼女の顔を険しくさせる。
打ち上げの後、朝までの仮眠を取らせてもらいに香月邸に戻った。
今回のWSを終えたばかりですぐまた次のWS準備に動き出すであろう
彼女の背中を見ているうちに、たまらず涙が溢れてきた。
なんて素敵な人だろうかと。
「酔ってるの?枕を濡らしてもいいからね」と笑う香月さん。
そう、泣き上戸だからということにしておこう。
空には地球に最接近した大きな大きな満月がかかっていた。

正面の感覚

いつでも基本は正面向かい合い。
先生は細かな説明はされない。
ただ、眉間と胸を結ぶ線あたりを指して、「この辺で何か感じるはず」とだけ。
どこでどんな感じ方をするのかは人それぞれだから、
「ここでこんな」と限定することを避けられる。
先入観があると、それ以外の感覚は不正解として除外してしまいかねない。
実際、私も一時期、そこに陥った。
初めての武禅で味わった鮮烈な体験を何度も頭で反芻するうちに、
「あの感覚をもう一度」と追い求めるようになり、
何も感じられなくなってしまったのだった。
わかったものがわからなくなった。
出来てたことが出来なくなった。
悩みに悩んだ。
これも、「こうすればこうなる」と決め付ける癖、
人との関係をいつも同じだと思い込む癖から来ていたのだが。
生きた関係は常に変化しているという当たり前のことに気づくまで、それは続いた。
寂しい時期を経て感覚を取り戻し、これは人間にとって絶対に必要なものだと確信。
そういうわけで、未経験の人には是非体感して欲しいと、
私は正面向かい合いの時には特に張り切っている。
精度がアバウトでぼやけてる分は、エネルギーを出して出して。
「えーっ、何、これ?初めての感じ」と感激の声を聞くのが最高に嬉しい。
今回、組んだ人はとても素直な人で、喜んでくれたのはもちろんのこと、
「ありがとう。ぽあんさんと組まなかったらこれ、わからなかったと思います」と、
何度も何度もお礼を言ってくれた。
やれば誰でもわかるから、そんなに大げさな事ではないのだが、
確かにWSに来た人全員が全員体感できているわけではなさそうなのが残念だ。
組む相手によって、違う事になる。初めて同士だと少し難しい。
今回わかりにくかった人も、次はきっと。
私はもっと精度を高めなくては。そしてより強く。
ムラがありすぎ。

「こんにちは」攻撃

押しても動かないように立っている人の肩に、髪の毛1本をハラリと置く。
それだけで踏ん張る力は弱まり、簡単に動く。
ワークショップではそんな実験をした。
去年は髪の毛を踏んだ。
それも同じ結果。
足の裏に髪の毛ぐらいのものを知覚できようはずがないというのは思い込みで、
実際は、脳がなんと思っていようが身体はちゃんと感じてる。
特に嫌いでもなんでもない人が近づく、前に立つ。
それだけでストレス。
バランスが崩れる。
嫌いな人に「嫌いだー」「いやだー」と感じるのはまだいい。
自分でわかるから。
人は認識できない微細な不快感が積み重なって病気になるという。
では、どうしたらいいのか。

2日目のワークショップの後、先生方と何人かで食事に行き、
そこで更に興味深い展開となった。
「『バカ』と悪い言葉をかけたわけでもなく、前に立つだけでストレスなら、
 『こんにちは』ならどうなりますか?」と一人が尋ねた。
「『こんにちは』でも同じや」
そこで実験。
座ったまま押しても動かないように踏ん張った人に、隣から「こんにちは」。
そして押すと・・・、グラリ。
「ええっ、どうして?」驚きの声が上がる。
「ほんまに言うてないからや」と先生。
相手に言ってない声、届いてない声は、それだけで違和感となり人を損なう。
たぶん言葉が「ありがとう」とかであったとしても。
何度試しても同じ。
そこで、本当に相手に届いたらどうなるかで先生が「こんにちは」。
言われた人は、しっかりと力が入ったまま揺らがない。
「おお~~~!」
「な。だから皆、こうならんといかんのや」

我々は、普段なにげなくしている事でも他人を傷つけているらしい。
一人が、「それなら嫌いな奴に『こんにちは』と言いまくったらいいですね」と冗談で笑わせる。
目を合わせず上の空でぶっきらぼうに「こんちは」「こんちは」。
その度に力が抜けてズデーンドゴーンとすっ転ぶ周囲の人間。
そんな光景があったら、まるで吉本新喜劇だ。
誰にも気づかれず効果テキメン。
これぞまさしく最強の武器!
と思ったのだが、そうは問屋が卸さない。
ダメージは、言われた側だけにあるのではないのだった。
相互の関係ということで考えれば当然ながら。
踏ん張りながら適当に「こんにちは」と言った方も、グラリとなった。
言えば言うほど自分も損なう両刃の刃。
出したものがそのまま自分に返ってくる仕組みは、こんなにもダイレクトに見える物だった。

一声を自他共に降り注ぐ元気のシャワーにも自爆テロにもできるのが人間。
どっちにしたい?
そうなっている?

積極性のスイッチ

ワークショップの期間中、主催者の香月さんのお宅に泊めていただいた。
武禅仲間のさきこさんと0さんと4人揃えば話は尽きない。
撮影したビデオを見ながら反省会をしたり、
武禅でのことや、教室での話、
バガボンドと日野武道の類似点についての考察などで盛り上がり、
気がつくと連日深夜3時を回っていた。
楽しい時間は早く流れる。

2日目の夜、私は昼間消極的だった事でOさんに意見をされた。
振っている腕の動きに従いながら一緒に連れて行くという稽古の時、
腕を振る先生に皆がチャレンジする中、私は前に出なかった。
「どうしてぽあんさんは行かなかったんですか!先生待ってはったのに」
Oさんの指摘が痛い。
どうして。どうしてって、わからないけれど、怖かったのだと思う。
私は根はものすごく臆病なのだ。
腕をどうにかしようと出される手が次々振り払われるのを見て、やる前に諦めていた。
そして、そういった姿勢はその時だけということはない。
「緊張しなくても、こうして今、話している時みたいに普通にしてたらいいのに」
皆が言ってくれるが、それが私には難しい。
「昼と夜の人格は別だもん。酔っ払ってる時だけ脳の鎧が取れて無邪気になれるの」
適当な苦しい言い訳。
すると、誰かが言った。
「それじゃ、どこかに切り替えスイッチを付けたらいいよ」

ということで、耳たぶに酔っ払いスイッチを付けて、3日目は連打しまくり。
途中、「今日は頑張ってますねー」とOさん。
そりゃあね。
同じダメ出し受けるわけにはいかないから。
仲間っていいね。

第2回 岡山ワークショップ

帰って来た。
全身筋肉痛。声もガラガラ。もうクタクタ。
けれど心地よいだるさ。
今回もメチャクチャおもろかった!!
「知っている」「もうわかった」と思ってることが、いつもひっくり返される。
やればやるほど何も出来ない事を思い知る。
だけど、それがいいんだな。

胸骨運動はそこそこやってきているつもりだった。
しかし、参加者が二列に並んで前の人が10カウントづつで回して行くのをやった時、
半分を過ぎたあたりでもうハチャメチャな動きになってしまうのだった。
胸よりも肘が動いているようで直そうとした瞬間、
身体のどこをどう動かしたらいいのか全くわからなくなり、腕は動く、お腹は動く。
膝の屈伸でなんとかリズムを保ってるような状態。(胸骨の運動に膝の屈伸は使いません)
後で日野先生と助手をされたダンサーの佐藤さんが
「皆、すごかったなー」「どれだけ種類があるんだと」と笑われていたけれど、
お恥ずかしい限り。
先生方は我々と一緒に倍の回数をこなされても、
柔らかく軽やかに、最初から最後までニコニコと楽しそうに歩き回っておられたというのに。
これが圧倒的量の差。
まだまだ全然足りないということ。

取り組むテーマを終える毎に、参加者から質問がいろいろ上がる。
初めての人は特に、「どう考えたらいいのか」「何を意識すべきか」を聞きたがる傾向がある。
「意識なんかいらんのや」「考えてる間があったら、やったらええ」と先生。
「そもそも、“意識”って何や?」改めて問われて答えられる人はいない。
それほど人は言葉に振り回されている。
「言ってる意味わかるよな?」と聞かれて、ほとんどの人が頷くが、
それすらも、どこまでかはわからない。私も含めて。

「人に従う」の稽古の後の休憩時間、さきこさんが「折角だから二人でやる稽古をしよう」と、
後ろから腕を持って前の人を動かす稽古をした。
あいかわらず、違和感バリバリの私の手は、引っかかりまくり。
触られている時の気持ち悪さはわかるから、申し訳なくてしかたない。
どうにかしたい。少しでも本当に触れるところに近付くために、ピタッと当てて人を感じて。
ふいに、ドッと汗がふき出してきて、奇妙な感覚。
その時、気付いた。
私は手で何をしようとしたのかということを。
手で情報を受け取ろうとした。手で伝えようとした。手で感じようとした。
そうじゃなかった。
受け取ってる、伝わっている、感じているのだ。もう既に。
それも「わかっている」と思っていたこと。
「頭でわかるのと、本当にわかるのとは違うから」と和子先生。
「いつもいつも、わかっていたはずの事をわかっちゃいなかったと気付いて
 また“0からの出発”かと思うと進歩なくて嫌になっちゃいます」と言う私に、
「“0から”なんて言葉を持っているのが、もうあかんわ」とキッツイ一言。
「収集癖というか」
・・・はい。まったくもうその通りで。
何をやっても私は私。
我執でいっぱいのこの頭が邪魔でしょうがない。

電気羊の夢も見ない

まただ。
このところ毎日何かしら悲惨な出来事が報道される。
「刑務所に入りたかった」と見ず知らずの弁護士を刺した無職の60歳。
「引きこもりを打開したかった」と父親を殺した17歳少年。
先日の財布を忘れたからとタクシー運転手を襲った人もそうだが、
現実と願望と行動に関連性が見えないこういった事件が後を絶たない。
苦労やトラブルより殺傷沙汰の方が抵抗が少ないとは、どういう理屈?
どうありたいかがない。
何をしているのかわかっていない。
結果どうなるかに考えが及ばない。
自分の事ですらそうなのだから、他人を思いやれるはずもない。
簡単に楽になれる手段を思いいついたから、やっちゃったという感じだ。
辛い事からは逃げ、邪魔になるモノは消し、都合の悪い事は隠す。
あくまで責任は自分にはなく、不可抗力であったかのように装うのは、
頻発する幼児虐待も、ひき逃げもまったく同じ図式。
思えば食品偽装でさえ根はそうだ。
鬱屈した複雑な心理と、情のない短絡的思考の怪物たちを見ていると、
心のない人間もいるんじゃないかと、そんな気すらしてくる。
本当はそうではないと思いたいが。
物質的価値至上主義、白か黒かのデジタル思考、打算の人間関係が、
操縦士のない自動反応ロボットを続々と生み出し続けている。。。

七草

会社帰りにスーパーに行くと、七草がゆのセットに半額シールを貼っているところだった。
2パック購入。
魚コーナーでは正月用に確保していた刺身ブロックだろうか、これも大量に半額。
しかし、元から値段の高い高級魚は半額でも高いので、カツオのたたきを買う。

土鍋に湯を沸かしながら、七草を刻む。
せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ。
どれがどれだかわかる?と娘に尋ねながら。
すずな、すずしろは根が付いてるし、せりとはこべらはわかるけど、他はちょっと。
中には小さな双葉の、「これ、ただの雑草じゃないの?」と思うようなのも混じってたけど
かまわず刻む。少々気にしない。
匂い立つ青臭さ。
うーん。まるで、ままごとのお料理を作ってる気になるぞ。
草を尖った石で切って砂に混ぜて「さあ、召し上がれ」みたいな。
私が作るおかゆはいつも「おじや」にしてしまいがちだが、
子ども達が白いおかゆがいいと言うので、そうした。
大きな土鍋いっぱいのおかゆと、
大皿にてんこ盛りのカツオのたたきにニンニクスライス。

七草がゆは、正月のご馳走で疲れた胃をいたわるためと言われるが、
我が家ではそれすらモリモリ食べて栄養にするのであった。

謎のピンポンダッシュ

昨夜、9時半ごろ、二階の夫の部屋で話してて降りてくると、
子ども達が「もー、お父さんかお母さんか知らんけど悪戯せんどいてや」と言う。
「なんのこと?」
玄関でチャイムが鳴ったから出たのに誰もいないということが3度くらいあったらしい。
インターホンでも見えないから、
これは私か夫の悪ふざけだろうと思ったようだが、そうではない。
自治会役員会のすぐ後だったので、誰かが伝え忘れた事でも言いに来たものの、
遅いからと帰ったのだろうと、その時はさほど気にもしなかったのだが、
11時ぐらいにまた鳴った。
すぐに玄関に出るが、子ども達の言う通り誰もいない。
気味が悪くても、どうにもできないので、そのまま寝床に就く。
そして数時間後、
安らかな眠りに落ちていた私をチャイムの音が叩き起こした。
暗闇の中で飛び起き、じっと息を殺して気配を聞く。
かすなか足音のようなそうでないような。
そして何かをガリガリとこする音?あるいは温度差によるきしみか。
障子をそっと開けて外を見ても人影はない。
時間は午前4時!
長男も起きてきて、二人でしばらく様子を見ていたが何事もないので、
再度電気を消して寝ようとすると、また、ピンポ~ン♪。
金属バットを持って玄関に出る息子。
だが、やはり誰もいない。
ポーチの電気を点けたままにしていると、それからは何もおこらなかったが、
私はドキドキして、まんじりともしないまま朝を迎えることとなった。
誰かが押しているのか、それとも何らかの接触不良か。
原因は不明。
今日の昼間は一度も鳴らなかったという。
しかし、そろそろ寝ようかという11時を回った頃、またしてもピンポ~ン♪。
何なんだよ~。安眠させてくれよ!
考えられる可能性は、人か、オバケか、自然現象かの三つのうちどれか。
どうか「人」ではありませんように。
恨まれるような覚えはない・・・・・・はずだけどな。

ステップアップの嘘

自分を成長させる道を歩む者に「終り」があるのだろうか。
ある人の話を聞いて、そんな疑問を持った。

その人には何人かの尊敬する人がいたが、一人の師から、
「もうここには君の学ぶ事はなくなったので、こなくていいよ」と言われたのだそうだ。
彼はそれを「卒業」と捉えて、
次のステージへのステップアップと喜んでいた。
しかし、はたしてそうなのだろうか。
もちろん「これだ!」と思っても、やっているうちに
「あ、自分の行きたい方向とは違うな」と感じて離れるということはあるだろう。
だが、この場合はそうではない。
目指していた人から学ぶものが何もなくなるということは、
全てを吸収しつくし追い越したということ。
別の言い方をすれば、その師は短い時間に教えられる物意外に何も持たないし、
今以上に進歩もしない人間なのだと明かしているようなもの。
教え子に「もっと上に行け」と言う前に、なぜ自分がそうしていない?
そんな人に「このレベルまで達した」と認めてもらっても、そこ止まりだ。

見回してみると、似たような話はゴロゴロしている。
ワークをこなして修了認可証を渡すだけの自己啓発セミナー。
何十万円で一発でチャクラが開いて悟りを得ることができる術を施す能力開発の会。
「仕事・恋愛・家庭・人間関係・健康を改善できる素晴らしいパワーが、
 師と同じく一生使えるようになります」
の触れ込みに釣られる人にとって、師とは何なのだろう?
手を伸ばしたらすぐに届いて、引っ張りあげてくれて「良かったね」と並ぶ人?
それで満足できなければ、また別の師を、とお手軽なものだ。

ゴールを目的にする人は、近場のゴールを探す。それだけのことかもしれない。

私の前にはゴールはなく、ただ、遥か先を走り続けている人達がいる。
一生かかったって距離は縮まらないだろう。
そこがいいんだよ。

あけましておめでとうございます

大晦日の夜から雪が積もり始めた。
室内でも息が白く、寒さがひしひしと凍みる。

去年は、よくいろんなところに出かけていった。
岡山、香川、大阪、東京、山陰、京都、熊野、沖縄、神戸・・・
貧乏なのに、どうにかなるものだ。
ブーブー言いながらも行かせてくれる家族にも感謝。
そんな事を考えながら年をまたいだ。

今年はどんな年になるのだろう。
厳しそうだが。
働いて働いて働きまくるしかないかな。
もちろん、遊んで遊んで遊びまくりもするけれど。(笑)

まだ足跡のついていない雪道はキラキラと光っている。


あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

★★応援しています!★★
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武禅一の行

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(ぜひブックマークに!)
移転しています
日野晃の
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9日間のワークショップを10分で紹介
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http://jp.youtube.com/watch?v=ADoNbkOJFjc

クイズ紳助くん 2007年2月19日
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