子どもを花粉症にしないための9か条

ネットニュースで、「花粉症にならないための9か条」というものを見つけた。
これは、理化学研究所免疫・アレルギー科学総合研究センターの長が
講演の中で紹介したもの。

1:生後早期にBCGを接種させる
2:幼児期からヨーグルトなど乳酸菌飲食物を摂取させる
3:小児期にはなるべく抗生物質を使わない
4:猫、犬を家の中で飼育する
5:早期に託児所などに預け、細菌感染の機会を増やす
6:適度に不衛生な環境を維持する
7:狭い家で、子だくさんの状態で育てる
8:農家で育てる
9:手や顔を洗う回数を少なくする

我が家の場合・・・・・・

1:○集団接種で早いうちにやったような
2:○カスピ海ヨーグルト作りに凝っていて毎朝大量に食べていた(もう、うんざり)
3:○薬嫌い、病院嫌いで風邪なんか気力で治す派
4:○ハムスター、うさぎ、猫と動物がいなかったことがない
5:○無認可のゴチャゴチャの託児所に放り込んでたこともある
6:◎過度に不衛生かも(汗)
7:◎まあね
8:△農家じゃないけど、田舎
9:○自分ですすんで洗ってる所を見たことがない

で、親も子ども達も今のところ花粉症は出ていないから、
これは結構、当たってるのかも。

しかし、よく言われているインフルエンザ対策の常識からすると、
絶対にやっちゃいけないことが入っているのは、どう見るべきか。
ウィルス感染を避けるのなら花粉症はやむなし?

私はなんだか、この9か条に当てはまる子は、
軽い鼻かぜや1日2日寝込む風邪をちょくちょくひいても、
重篤な病気にはめったにかからないタイプになりそうな気がする。
昔の子どもがそうだったように。
医者でも研究者でもない私が根拠もなしに適当な事を言うけれど。

逃げて守って気にし続けるのが好きな人、
そんなの面倒くさいから、受けて鍛えて気にしなーいでいきたい人、
どっちがいいのか。

単に好みの問題、かもね。

科学の子

「本当に俺の子か?」と疑いを持つのは男だけで、
女は絶対にその心配はないはずだったのだが、
今は自分の腹の中の子が誰の子かわからないなんて事もある時代。

受精卵取り違えとのミスをした医者の適当さと情のなさは、
マスコミが寄ってたかって責め立て上げる為の格好のネタとなっている。
既視感さえおぼえるお決まりのいつものパターンの滑稽さを横目に、
私はちょっと違う事を考えていた。
シャーレの中で芽生えた命の種は育つ畑を選ばないんだなぁ、とそんなことを。
そもそも医師がミスに気付いたのは、あまりに順調に行き過ぎて
「そんなはずはない。おかしい」と感じたからだという。
取り違えるぐらいまったく差のないただの受精卵なのに、
なぜ発育の差に気付く?とまず疑問に思ったのだが、
どうやらこの妊娠した女性の卵は
そもそも発育が難しいだろうと考えられる状態にあったようだ。
しかし、それならそれで更に不可解さは残る。
妊娠が非常に困難な人に、
「どうせダメだろうけど」と思いながら施術してたことになるのだから。
当人達は知っていたのだろうか。
妊娠するのがそんなに難しいのに、どうして自分の血にこだわるのだろう。
卵は何もこだわってなかったのに、と思う私も相当、情がないのかも。

今回、このことをきっかけに知って驚いたのだが、
現在国内の体外受精の割合は、出生数の56人に1人にもなっているとか。
負担の少ない人工授精での出産数はそれよりも多いはずなので、
性行為ではなく医療行為で生まれた子どもは、もしかして20人に1人ぐらい?
出産にまで至った数だけで。
以前、「母子手帳をもらった半数がまともに子どもが生まれない」と話していた
超有名な経営コンサルティング会社会長は、こんなことには触れてもいなかったが、
いまだかつてなかった状況が及ぼす影響を調べるということであれば、
携帯電話の電磁波と同様に、こういった所にも目を向けてもよいものを。

淘汰されるべくして淘汰される中で生き残るから強くなるというのが自然の掟。
しかし日本人は、すでにそこになかったようだ。

私の腰痛体験

もう過去の話だが、私は以前、ひどい腰痛で悩んでいた時期がある。
妊娠するごとに悪化し、三人目を生んだ後は、
寝てても痛い、起きても痛い、立っていても痛い、座ってても痛いと、
始終「イタタタ・・・」と言いながら、とにかく同じ姿勢を続ける事ができないほどだった。
このまま腰痛とは一生の付き合いになりそうだと半ば諦めていた時、四人目を妊娠。
これ以上悪くなってどうなるものかと恐ろしさは抱えるものの、できたものは仕方ない。
「イタタタ・・・」と、のけぞりながら、うずくまりながら痛みをだましだまし臨月を迎え、出産。
だがしかし、それですっかり治ってしまったのだから、人体とは不思議だ。

実は私は上の子たちの産後から、退院してすぐに仕事をしており、
特に三人目の時には夫と共に広島市内に新規に事務所を借りたばかりだったので、
新生児を片手に抱いたまま早朝にMACでDTPの勉強をし、
家事を終わらせてから子供たちも一緒に車で移動という生活になっていた。
その為、骨盤が戻りきらず歪んだまま固まっていたのかもしれない。
末の子が産まれた頃は、ちょうど暇で初めて産褥期の休養がとれ、
再度柔らかく開いた骨盤がようやく納まるべき所に納まった、とそんなころだろうか。
栄養状態の良い現代においても、産後の肥立ちは馬鹿にはできないということ。

以来、私は産後から腰痛に悩むという女性には、
「ぜひ、もう一度出産を」と勧めるようになったのだが、まだ踏み切った人はいない。
まあ、理由はわかるが・・・。

ストレスの亡霊

先日、あるテレビ番組で「腰痛」を取り上げていた。
“腰を”調べても異常が見つからない原因不明のものが85%だとか。
しかし、最近の研究でわかってきた驚くべき事実。
それは、「ストレス」が原因であったということ。
だそうだ。

いったい、ストレスって何?と思って見ていた。
腰の痛みが腰だけの問題ではないというのは間違ってはいないが、
最近の医学は何でもかんでもストレスのせいにしすぎではないだろうか。
風邪にかかりやすいのも、花粉症も、アトピーも、
胃潰瘍も、血栓も、メタボも、鬱も、癌でさえ、ありとあらゆるもの全部、
ストレスと無関係なものなどありはしない。
しかもそのストレスと一言でくくっている中身も肉体、精神、環境といった、
多種多様なものを含んでいるというのに。
「私のこの心の不安を取り除いてください」と乞う弟子に、
「それではここにその不安を出して見せなさい」と言ったのは達磨法師だが、
それと同じく「ストレス」という言葉も、
単に最低限の社会的共通認識の取り決め上にある記号なだけで、
誰も実体を見た事の無い幽霊みたいなものではないかと。

番組では、生真面目で几帳面で働き者の女性にペットで癒しを与え、
理想が高く挫折に弱い女性に達成感と自信を持たせ効果を上げている様子を映していた。
そうやって治療で良い結果が出せることは喜ばしい。
しかし、その人自身をきちんと見て適切な処方ができる医師が
いったいどれくらい存在しているものだろう。
そもそもそれは、医者の仕事か?

理想が高く挫折に弱い女性は、腰の痛みで歩く事もできなくなっていた29歳。
出来ない事ばかりに目を向け悲観する彼女にさせたのは、リハビリカレンダーの記入。
簡単な小さな目標を日々チェックすることによって、
「やった」「できた」の繰り返しの達成感で快方に向かいつつあるという。
どこかで聞いたような話、と思ったら、現在の学校での教育方針と同じなのだった。
ハードルを低くして成功体験を多くさせる事によって、自己肯定感を持たせ、
生きる力を強くさせるといったビジョン。
幼稚園児も、小学生も、中学生も、大人も同じ扱いか。。。

出せと言われても出せない「ストレス」を
いくらなくそうなくそうとしたところで、人は強くなれはしない。
それならば、見えない幽霊に怯えるよりも、
ふんづかまえて正体見たり枯れ尾花とやってしまった方がいい。
教師にしろ、医師にしろ、たとえ親でさえ、一人の人間に向き合う時間はほんのわずか。
びっちりといつも共にいて、全責任を負って自分のことを考えてくれる人は、
世界にたった一人しかいないのだ。
腰に限らず、痛みはその人からの「大事にされてないよ」のSOS。
応えてあげなきゃね。
誰かにどうにかしてもらわないと動けない子供ならしょうがないけれど。

Fight!!

仕事から帰って夕飯の支度をしていると電話が鳴った。
出ると中二の次男の担任。
「今日の出来事を聞かれましたか?」
「いいえ。まだ、今帰って来たばかりですので」
ちょっとしたトラブルがあったようだ。
登校して学校玄関に入ったところで1年生が絡んできて、
腹を立てた息子が相手の襟をつかみ、
向こうも同様に掴んであわやというところで1年の先生が止めた、
という、ただそれだけのことなのだが。
なーんだ、と拍子抜け。
前々から「1年にクソ生意気な奴がいる。俺、殴るかも」と聞いていたので、
遂にやったか!!と、ワクワクッとしたのに。
首に爪が当たったかでわずかに血がにじんだぐらい。こちらは無傷。
その1年の子は、教師も頭を悩ませている問題児らしく、
「確かに私たちでさえ頭にくることがありますから、怒った気持ちはよくわかります」と、
息子に対しては同情的でもあり、事情説明といった感じ。
「暴力的な方向に行かないように学校でも注意して見て行きますので、
 ご家庭でも話し合って指導してください」と言われる。
しかし、指導と言われても、どんな指導を?
「私が息子にいつも言っているのは、
 先に手を出すなということと怪我をさせるな、面倒な奴には近付くなですが、
 やられたらきっちりやり返せとも教えてます。
 家庭でできる指導はこんなところでしょうかね?」
先生、「ええ、まあ、はぁ・・・」
それでいいみたい。(笑)
息子には、「ヤキ入れたらんかい!」とハッパをかけておいた。
反抗期なので、そうそう親の言うこと聞きやしないんだけど。
騒ぎを起こして大問題にすりゃ面白いのにな。

怪我の痛みと蜜の味

「他人の不幸は蜜の味」が脳医学での実験結果で証明されたと
昨日のニュースで盛んに報道されていた。
心の痛みは身体の怪我の痛みと全く同じ感じ方をしているとは
既に10年ぐらい前に立証されていたので、
心の喜びも身体の快感と同じであっても不思議ではないと予測はしていたが、
今回特に興味深かったのは、対象によって“味”に違いがあるという所。
蜜の味は、自分より優れていて妬ましく思っている人の不幸に限定されている。
人間には共感能力もあるので、
親しい人や好ましい人の不幸はやはり心を痛めてしまい、蜜とはならない。
何とも思っていない人なら、幸福でも不幸でも少々同調して「ふーん」の範囲。
妬みをそもそも心の痛みとして感じ続けているからこそ、
それが解消される事で幸福感を味わうというメカニズムのようだ。
例えて言えば、砂漠で喉の渇きにあえいできた人がオアシスを見つけた時のような、
地下鉄の満員電車内で便意に耐えていた人が駅のトイレにかけこんだ時のような、
そんな快感。
どんなに美味しい蜜であろうと、ちょっと遠慮したい。。。
しかし、妬みの苦しさとは暮らしぶりや容姿、能力で測定できるようなものではなく、
あくまでその人の感じ方であるというところが、肉体の苦痛の違い。
ナイフで刺されれば100人中100人が怪我をし、痛みを訴えるだろうが、
同レベルの人が、より優れた人を目にしても、
同じように妬み、痛みを感じるかと言えば、そういうものでもなく、
現実的要因よりむしろ、自己評価の低さに比例しているようだ。
あくまでも本人の資質。妬み受容体の敏感さというか。
その妬み受容体も、記憶のシナプスと同様に反復によって強化されるとしたらどうだろう。
劣等感を募らせてイジイジと「どうせ自分なんか・・・」と言い続け、
自己の劣っている部分ばかりに目を向け、他人を羨む苦痛を味わえば味わうほど、
他人が災難に見舞われた時の幸福感は増す。
妬ましい人が多ければ多いほど、楽しみへの期待は増えようというもの。
繰り返し、繰り返し、より刺激の強い快楽を求めて
感度をさらに上げて行くとは考えられないだろうか。
実際、自分達が社会の、あるいは誰かの被害者であるかのごとく主張をする人たちは
最近とみに増加傾向にある。
その事と、暗いニュース、不幸な事件、景気の悪い話、有名人のスキャンダル、
政治家への揶揄等が好んで連日報道される事とは決して無関係ではなさそうだ。
「他人の不幸は蜜の味」そしてそれは、禁断の麻薬の味。
本当の幸せがかすむほどの、手近で楽で強烈な快感の陶酔を求めるなら、
胸を掻き毟ってのた打ち回る苦痛も喜びのうちとしてしまうのか。
いやはや、ちょっとしたSMプレイのようだ。
麻薬の蔓延がそうであるように、妬みもまた、
身を滅ぼし、家庭を滅ぼし、社会を滅ぼし、国を滅ぼす元凶となりうる。
そんな気がしてならない。
「差」を許せない心が、自らを差別していたずらに傷つけているのだと気付かない限り、
いつまでも血は流れ続け、そしてやがて終わる。

ガラス細工の人の権利

鳥取の小学校は「学級委員長」なし 「なれない子供が傷つくから」?
2月12日19時25分配信 J-CASTニュース

 鳥取県の公立小学校には「学級委員長」がいない。リーダーを決めれば差別につながる、との抗議を人権団体などから受け自粛した結果なのだそうだ。しかし、2009年春から鳥取市で1校だけ20年ぶりに「学級委員長」が復活する。市の教育委員会が2、3年前から子供達の社会性、自主性を育てるために復活を呼び掛けてきた成果らしいが、後に続く学校が現れるかはわからないという。 <参考>


あんさん、アホも休み休み言いなはれや。
冗談や、おまへんで。
何が「差別につながる」でっか。
そら、あんさんがリーダーだけが偉うて他のモンはしょうもない役立たずやと思うとるから、
そないな話になるんやで。
平等に平等に言うたかて、人には向き不向きがあるんや。
これはどないにもならしまへん。
機会を平等に与える言わはるんでしたら、とりあえず持ち回りにしたらええんちゃいますか?
ほしたら「できる。やりたい」と自信つく子も出てくるやろし、
難しいと感じた子は「あの人は軽々こなせてたから任せたい」と思うやろうしな。
差別って何やねんな。
何で子どもの心が傷つくか、教えたるわ。
ええか、大人が差別しとるから子供が傷つくんや。
「できん子」「ダメな子」と見られるから、劣等感が生まれるんや。
なあ、学級委員長になれん子は、可哀想や思うとるんやろ。
そやないと、こないな事は言えんわな。
なんや他でも、徒競走で全員が同時にゴールできるように、
足の遅い子のコースは短うしてくれてはるとか、
学力テストの結果を伏せとるとか、けったいなことを仰山やってまんのやな。
ほなら、いっそのこと社会に出てからも面倒見て欲しいわ。
給料も皆、横並びいうのはどないです。
受験もやめて、全国の大学を全部東大いう名前にして、入りたい人は全員合格や。
勉強ができんでもかまへん。ショートカットしたらええんや。
行きたい会社に無試験で入社して年齢で全員が昇格して給金一律。
政治も選挙で落ちたら傷つくから、平等にくじ引きやろか。
自由恋愛もあかんな。
振られたりしたらとことん傷つくで。
ブサイクが告白した時に振ったら人権損害、精神的傷害で重罪いうことにしよか。
あらゆる差別、格差がのうなって、
メチャクチャ繊細で純粋なグラスハートたちが横並びで手をつなぐユートピア日本国。
平和やな。
誰か人権団体に「人権」の意味を教えたってくれへんか?
あんじょう頼みます。

(今日は、はんなりとした京都弁で柔らかい物言いを気をつけて書いてみました:笑)

もいっちょオモロイ意見を見つけたのでリンク。
差別を排するために・・・ ←ようできた冗談みたいやけど、本気やから怖いわ~。

(2月16日追記)
リンク先の記事は消されていましたので、キャッシュから見てください。
この方は現在は当時とは考え方は変わっておられるようです。
どのような経験をされ、今はどうお考えなのでしょうね。
加筆・修正された記事をぜひ読んでみたいです。

長すぎる箸の利用法

どこかでこんな話を聞いたことはないだろうか。

地獄の亡者はいつも腹をすかせて飢えているが、実は食べ物は豊富にある。
しかし、それを食べようと箸で掴んでも口に運ぶ事はできない。
なぜなら、地獄の箸はとても長くて1メートル以上もあるから。
亡者たちは御馳走の山を前にして食べられないという苦しさを味わい続ける。
一方、極楽ではご馳走を思う存分食べて満ち足りている。
こちらも同じ1メートル以上の長い箸だが、互いに食べさせあいこをするから。

私が始めてこの話を聞いたのは、
脳梗塞で動けなくなった母の介護中に、心配してくれた友人に連れて行かれた、
天照大神を祀るある手かざし系の宗教でだった。
“お取次ぎ”は自分で自分にではなく、人にするから意味があると関連付けられて。

以降、私はこの話を再々目にしたり耳にしたりした。
神道系仏教系のさまざまな宗教で、自己啓発セミナーで、スピリチュアル的な書籍で、
マルチ商法の勉強会で、自称心理カウンセラーやエネルギーワークの人からも。
この話は宗派、思想を問わず好まれている。
それだけ普遍的な訓示を含んでいるということだが、別の言い方をすれば、
もくろみを持って利用するには格好の材料だということにもなる。
ただのおとぎ話なのに、いや、だからこそ、誰もが頷いてしまう。
そして、
「今ここは、地獄ですか極楽ですか?あなたはどちらにいますか?」と問われたら・・・

円天会長のブログにもこの話がのっていたのには笑った。
いい人でなくても、いい話はいくらでもできるから。

長すぎる箸なら適当な長さに折って使えばいいじゃないか。
手づかみで食べろよ。
いや、それより、畑を耕せよ!魚を釣れ!
料理をしろ!
誰かが用意した御馳走をめぐんでもらおうとせずに、働け!
生きて暮らしている中で人と関わりあうからこそ、思いやりが生まれるというもの。
単純なギブアンドテイクではないはずだ。

極楽の住人であろうとする人は皆、地獄の亡者だと知れ。

インフルエンザ流行の原因

全国のインフルエンザで休校になる学校が、前年度の4倍に上がっているという。
発生数も週を追うごとに増加とか。

そんなニュースを目にして、
「鳥インフルエンザや新型インフルエンザを過剰に恐怖させる報道が盛んだったからなぁ」
と納得しかけて、はた、と思う。
なんで私は情報に多く触れるということがその結果をもたらすということを
当たり前に感じてるのだろう?

確かに何の根拠もない。
強いて言えば、大昔に読んだ野口英世の伝記の印象が強く残っているからなのか。
どうも私は、彼が黄熱病を恐れて恐れて、そのあまり遂に自らがその病に侵されて
命を落としてしまうに至ったような気がして。

しかしそういった下地は抜きにしても、周囲を見渡す限りにおいて、
注意深く敏感に情報に反応し予防接種を前もって受けていたり、
マスクで防御、薬を常備し早めに飲用する人ほど、
なんやかやで疾病の症状に悩まされていることが多いように見える。
実際、初冬に受験生を持つ知人が家族全員でインフルエンザの予防接種を受けたが、
薬の副作用で全員が発熱と頭痛でダウンしたと聞いた。
かかるよりも軽く済んだといっても、受けなくてもかかったかどうかわからないのに?
これもまた、アトピーと神経質の関係みたいなもので、
気にしすぎるからなるのか、なるから気にしすぎるのかといったものかもしれない。
マスクの販売数も前年度比7倍となっている。
それだけ気をつけていたのに、罹患率は高まったのだ。
ならば、もしインフルエンザ流行の報道がなされなかったら、どうなっていたのだろう。
警戒しない分、増えていた? 変わらなかった? それとも・・・
もしもの世界は絶対にないから考えるだけ無駄ではあるのだけれど。

インフルエンザの猛威もそろそろ収束時期。
となると次は、そう。
花粉症の季節。
今年の花粉は多めで西日本で例年の2~3倍と予測されている。
花粉症の人は花粉情報を見ただけでくしゃみが出るとか。
花粉症も年々増加傾向にあり、その原因も様々あげられているが、
もしもこんなに懇切丁寧に飛散状況を報道したり、
微に入り細に入り話題に取り上げられる事がなければ、どうだったのかなと、
そんなことも思うのだ。

最後に頼れるものは

私のパート先の社長はもう80歳を超えている。
しかし、元気。
そして、頑固、ワンマン、怒りっぽい。
だが、そういう人をうまく立てるのも仕事のうち。
社員は皆、怒鳴り声の中でも黙々と自分の仕事をこなしている。
しかしこれが家族となると、割り切れないものもあるのだろう。
社長の奥さんは時々、家を出たいとこぼすことがある。

先日、私だけが残業で残っていると、「どう思う?」と尋ねられた。
いつ家を追い出されてもいいようにと、
コツコツと小遣いを貯めてコッソリ買った自分名義のマンションを持っているのだけれど、
もし社長にバレたら恐ろしいから、やはり手放した方がいいだろうかという相談だった。

今、売っても安いのはわかっている。
人に貸せればいいのだけれど、面倒は困る。
社長は前妻との間の息子に跡を継がせて一緒に住む計画で、自分を追い出す気らしい。
着の身着のまま追い出されてもマンションがあれば路頭に迷わないですむ。
マンションはとても気に入っている。
しかし、自由に出歩く事も許してもらえないから、そこで過ごす時間は持てない。
何より、もしも知られたらどれだけ怒られる事か。ただじゃ済まないと思う。
それを考えると怖くて怖くていてもたってもいられない。
「どうしたらいいのかねぇ・・・?」

マンションを持ってても、マンションを手放しても、
どちらにしても恐れはなくならない、ということ。
どちらにしても幸せにはなれない悩み。

もしも私なら、で考えるしかないのだけれど、
「持っておいた方がいいんじゃないですか」と答えておいた。
私は若い頃、自営で親もいなかったため、住む所を探すのに非常に苦労したことがある。
年老いた女性なら尚更、一人暮らしのための部屋を貸してくれる所は
そう簡単に見つかりはしないだろう。
それに、売り払ったとしても、どうせ後々までバレる恐怖に慄くことになる。
そんなことはもちろん口にしないが。

「やっぱりそう?そうよね。いざという時のために持っていたら安心よね」
奥さんが、ホッと嬉しそうな顔をしているところを見ると、結論は決まっていたようだ。

それにしても、と私は思う。
役に立たなくなったら邪魔にして追い出しにかかるであろうと思うような人と、
どうして結婚したのだろう?
どうして夫婦で居続けているのか?
わざわざ秘密を抱えてまで。

私なら、そんなストレスには耐え切れない。
弱くはあるけど、ある意味、とてつもなく強いよなぁと感心する。

危険チャット

ちょっと検索したら、以前私が参加していたある会員制チャットルームに入れてしまった。
そんなつもりはなかったのに。
簡単にワンクリックで。
トラウマ持ちの管理人にブチ切れて私が「二度とこねーよ!」と出てから、
もう5年ぐらいになるのかなぁ。
まだみんな集ってたんだ。
懐かしい。
けど、いいのかなと思う。
一応パスワードを入力しないと入れなくはなってるんだけど、
既存のシステムを使っているから裏ワザで覗き見し放題なんだよなー、そこ。
敵さんはとうに監視体制だろうに、作戦会議なんかしちゃってサ。
言葉には気をつけなくっちゃ、また名誉毀損で何千万円って訴訟起こされちゃうゾ。
あと、個人情報にもね。
セキュリティの鬼のようだったボスだけしっかり消えてるとは、さすが。
ヤバイヤバイ。
こういうこともあるから、ネットは怖いよ。

L&Gからお金を取り戻す方法

逮捕されたL&Gの会長はとても良心的(笑)な人のようで、
出資したお金が手元に返ってくるようにするにはどうしたら良いかを
自分のブログに示してくれている。
拘留中のはずだがブログが更新されるのは、
あらかじめ書き溜めてある25日までの記事をスタッフにアップさせているらしい。

テレビの報道でコメンテーターとして出ていた人が、こんなことを言っていた。
「自分の知り合いがL&Gの会員なのだが、あまり報道をしないで欲しいと言われた。
 風評被害で状況がより悪化すると、出したお金が返ってこなくなる。
 返ってくる可能性が1%でもあればそこに期待したい。まだ0じゃないから、と」
この期に及んでまだ目が覚めないらしい。
円天がうまく回るとは、被害者がもっと増えるということだというのに、
どこまでも我良しの強欲さに後悔も反省もないとは呆れる。
それで、会長のブログを見に行ってみたのだが、なるほどとそこで繋がった。
その通り書いてあった。

>いつまでも波 和二にお金を返せと言っていても、
>すでに返済義務は無い事を自覚して下さい。

>唯一、希望が残されています。
>波 和二が無罪を勝ち取った時です。

>そうなると、株式会社エル・アンド・ジーを全壊させた合同捜査本部が、
>その損害を賠償することになりますが、実際は国家が支払います。
>支払われたお金は、管財人の手を経て皆様に渡ります。

>お金が戻ってくる一番の早道です。

だそうで。

>L&Gの円天ビジネスの事業計画は、波 和二でないと判りません。

と言われる事業に100%の信頼を置いていた会員なら、
この理屈も信用するに値すると思うのだろう。

気分の悪くなるブログは読まない私だが、このブログは面白く読ませてもらった。
悪徳商法、霊感商法、自己啓発セミナー商法、マルチ商法の手法が満載で、
不安のあおり方、くすぐりの入れ方の見本市みたいなものだ。
各種宗教、歴史的人物、成功法則から天の声までありとあらゆるものを
擬似経営哲学に盛り込んで都合の良い理屈の中で煙に巻く。
もっともらしい言葉を並べてあるが、「で、結局何なの?」と突っ込めば何もない。
裸の王様の立派な衣装が見える人だけが幸せになれると説いているだけ。

損をした人は、損をしたくないから、損をしたと認めない。
そこを利用されるのも、これまでの同様な被害と同じ構図。
集めたお金はいったいどこに?
いや~、面白い、面白い。
国や警察・検察、マスコミが、会員の元金を持って逃げてるわけじゃないのに、
敵にされちゃってね。

鶴田一郎美人画展

鶴田一郎美人画展
に行ってきた。
場所は熊野町の筆の里工房。
ここに行くのは棟方志功展以来、二回目。
私はこの鶴田一郎さんが、ノエビアの広告に登場した時から大好きで、
毎年のカレンダーを人に拝み倒してもらってきては集めていた。
凛としたクールビューティ。
ビビッドな色使い。
曲線はどこまでもやわらかでしなやかだけれど切れ味鋭く、
気安く近づけない孤高のたたずまい。
イラストレーターとしての鶴田さんにも憧れるが、彼の描く女性も私の理想。
12月からずっと行きたいと思っていたが、自宅から車で2時間近くかかるので、
なかなか行く機会が持てず、もうすぐ終わるという頃になってやっと重い腰を上げた。
行ってみて、良かった。
印刷物には決して現れない筆の運び、塗りの重なり、色のあでやかさ、繊細さ、
息吹というものを存分に堪能できたからだ。
ここにはこの線しかない!という間違いのない場所に、
的確な色で太さで流れでひかれる一本。
はぁ~~~、人間業?と思うけれど、人の手ならではの描かれ方を読み取るからこそ、
感じ響いてくるものがあるのは疑いようもない。
ガラスケースに入っていない額で飾られているものには、できるだけ近づいてみた。
冷たく無機的に感じられがちな、余分なものを省いたシンプルな構図だが、
それを見出すまでにどれだけ試行錯誤を重ね、
どれだけ研ぎ澄ませて降りてくる一瞬を待ったのだろう。
絵の中の女性は息づいている。
体温や香りが感じられるかのような生命力を感じたのは、思ってもいなかったことだった。

   私は、私にとってのミューズを描きたいと思っている。
   そしてできれば、そのゆらぎの中の迷宮で
   私に力を与えてくれる存在もミューズであって欲しいと願っている。
   たとえ私の描く女性像が、私の心の中の脆弱(ぜいじゃく)なセンチメンタリズムや、
   青白い煩悩の炎から生まれたものであったとしても、
   ミューズの祝福を与えられれば、純粋へと昇華(しょうか)し、
   再び永遠なる真実の女性として生まれ変わる事ができるのだから。
   そして、唯一私に残された真実があるとするならば、
   描くという祈りにも似た行為の中で、
   描こうとする女性像を通して遥か彼方にいるはずのミューズからの慈悲の微笑を、
   一瞬間でも受けられるのではないかという幻想を信じること、
   それだけかもしれない。

鶴田一郎さんの言葉。

画集を買うつもりだったが、2000年までの作品が入ったCD-ROMを買って帰った。
もちろんデータの絵は原画に比べて情報量は何百分の一になっているのだけれど、
今日のこの受けた感動を重ねて、ずっと何度も楽しめると思う。

優しい死神

次男はニュースで話題になった頃に自殺サイトを検索して見に行ったらしい。
といっても普通にYahoo!で探したので闇サイトではなく、
死にたい気持ちになった人が愚痴をこぼしにくるようなところ。
息子はそこで管理人に興味を持ったので、掲示板で会話をしたという。
いろいろと質問をする息子に管理人さんは親切に答えてくれ、
「君は死にたいと思った事が無いのにどうしてこのサイトに来たの?」と逆に聞かれた。
息子答えて曰く、
「いつかお世話になるかもしれないので後学のために」
・・・・・・
それを読んでムカついた人は多かったんじゃないかな。
スンマセンねぇ。。。(笑)

しかし、母としては「管理人はさすがにちゃんとしたいい人だったよ」と言う息子に
しっかり釘を刺しておく。
「自殺したい子を誘い出しては惨殺を楽しんでいた自殺サイトの管理人も、
 すごく優しくて安心できそうな人だったってよ」
「俺は危ない奴はわかるよ」と息子は言うけれど、
いやいやいやいや・・・・・・

ネズミ達のリフレイン

「円天」のL&Gの会長が逮捕された。
この人は、70年代に日本で初めてマルチ商法を展開した人。
以来、会社を作っては破綻、作っては破綻で、何度も同じような事をしている。
騙す人は懲りない。
何度でも騙すのだ。

一方、お金をとられた被害者はどうだろう。
その人たちのこれまでの人生がどうであったかを知る術は無いのだが、
詐欺が発覚する前のインタビューで円天について、
「まるで夢のよう」「タダで買い物ができるの、ウフフ」「パラダイス!」
とはしゃいでいる表情は、どこかで見覚えがあるような。
う~ん、ポジティブ~な某会にももしかして登録してる?
パーティ商法の会場で「ハイハイハーイ!」と手を挙げていた人たちにもちとかぶる。
騙される人も懲りない。
何度でも騙されるようにできている。

ねずみ講天下一家の会、ペーパー商法豊田商事の教訓はまったく活かされていない。
電子マネーというこれまでにない新しいものを使っているだけで、
やってることは手垢の付いた古臭い手口だというのに。

悪も馬鹿も死ななきゃ直らないか?

大虎のキモチ

私も昔はいろいろなサイトや掲示板、ブログに遊びに行っては書き込んだりしていたけれど、
最近は見る所は少なくなったし、コメントもめったにしなくなった。
以前巡っていたサイトのどこが面白かったのかわからないのは、
ネット熱がさめてしまったからか。
プラス、絶対に交わることのないだろう人間がわかるようになったのもあるかも。
わざわざ気分の悪くなるものを見たくはない。

娘が自分のブログを更新するついでに、余所のサイトを回っては、
時々書き込みをしているらしく、そんな話をしてくれた。
やはり同年代かそれより少し上ぐらいの女の子に関心がある。
「何をしたいのかわからないような人が多いね」
先日、そんなことを言っていた。
虐めにあう、学校に行けない、誤解を受ける、死にたい、
そんな悩みを綴っているブログを目にすることがたまにあるのだが、
たいてい、アドバイスはことごとく否定か無視されるようだということに気が付いたよう。
「『どうしたらいいのでしょうか?』と問いかけているから、
 そんな場合は、こう動いたら? こんな方法があると思うよと答えたら、
 あれはできない、これも難しいと全部できない理由を並べるばかりで動かない。
 だから『変える気がないんだったら、どうしたらいいのか聞くなや!』と書いたら、
 『○○さん、こわ~い』って、集まってる人たちで慰めあいが始まって、
 もんのすごい気持ち悪いんだよ」と息巻く。
「そんな場所に行くからよ」と私は苦笑する。
そういうのは、自称可哀想な人同士で傷のなめあいを楽しむ趣味の会なのだから、
邪魔をする空気読めない人は排除されて当然。
解決したら、せっかくの居心地のよい可哀想な人のポジションが保てなくなる。
「ね、そういう人たちってこんな事言わない?」
私が以前、よく言われた言葉を聞いてみた。
「幸せな人にはわからない。 強い人には弱い人間の気持ちはわからない」
「いう~~、言われた~~~。強い弱いを勝手に決めんな!って腹が立ったよ」
やっぱり。
だが、私も昔は人間に弱者も強者もなくて、やる気の問題と思っていたけれど、
今は考えが少し変わってきている。
だからもう、悩んでいる人に干渉しないわけなのだが。
虎は強くなろうとしなくても最初から虎だし、頑張ってもウサギはウサギなのだ。
ウサギに虎のように生きろと望むのは無茶な話。
「恵まれた人にはそうでない者の気持ちはわからない」と言う人の気持ちは、
確かにわからないのだろうし、わかる必要も無いと割り切ることにした。
私には、もし自分だったらこう考えるということしかわからない。
だから、そう考えない人には素直に「違うんだな」と受け止めるしかない。
傷をなめあう小ウサギの群れで虎が同じ事をしようとしても怪我をさせるだけだろう。
傷つけまいと牙や爪を抜いたとしたら、今度はウサギ達に舐めきられるし。

類は友を呼ぶ。
自分がどこに類したいかよーく考えて、遊ぶところを選ばなくっちゃね。
そう娘に伝えた。

目によるブロック

子ども達がネットで犯罪やトラブルに巻き込まれるケースが多発しているということで、
有害サイトにアクセスできないように携帯電話やパソコンへのフィルタリングを
各家庭に求める動きを最近よく目にする。
我が家は家族6人にパソコンが5台あり全部ネットに繋がっているが、
そのどれにもフィルタリングもパスワードもかけていない。
みんな自由。
どこにアクセスするのも、何を見るもの、誰とやりとりするのも無制限。
ただ、他の人の画面も見放題だから、
見られたり読まれたりしてまずいような事は、ちょっとしにくいというのが規制といえば規制。
ノートパソコンなんか部屋に持っていけばいいようなもんだが、
なぜか居間のこたつでやりたがる息子達。
テレビを見ている父親の横に、長男と次男の2台並んだノートパソコン、
その向かいで寝転がって本を読む長女、絵を描いたり後ろのMacでゲームをしたりするチビ。
これが最近の団欒の風景。
私からはパソコンが邪魔してテレビの画面が見えないし、喋る声で音も聞こえなくて、
また、移動しようにも足の踏み場もないから鬱陶しいことこの上ないが、仕方がない。
なにしろ、他の部屋は寒くて長居はできないのだから。
また、暑くなったらなったで、
クーラーのきいてる私の部屋に全員集合するのもいつものこと。
結局、この状態は一年中、続くのだ。
その理由は、家の中で私のいる場所だけを常に快適にしてあるから。
制限も強制もなしで、自分から目の届くところにいさせる。
これぞ、ぽあん流太陽と北風作戦。(ホントは何も考えてなかったけど:笑)
何をどうやったって隠れて悪い事をやりたいのが子どもというもの。
それを踏まえたうえでも、フィルタリングを破るよりは、
家族の目のほうが少しは手ごわいんじゃないかなと思うんだよ。

お相撲さん教育

若麒麟が除名ではなく解雇と決定した事に対しての街の声は厳しい。
一般企業で犯罪を犯して懲戒解雇処分になればもちろん退職金など出ないのに、
将来の事を配慮して重過ぎる処分は“かわいそう”などとする相撲協会は
甘すぎるのではないかと思っている人は多いようだ。

NHKのニュースで、そういった報道を見ていた。

すると、続けて力士を対象にした講習会のような映像も流れてきた。
その内容は、ちょっと信じがたいようなもの。
たぶん、ビデオで実例と指導の説明が色々な場面においてなされるうちの一つだろうが、
「乗り物の入り口付近に立つのは、乗客の乗り降りの邪魔になるのでやめましょう」とか、
「座席には詰めて座りましょう」など。
そして、相撲協会のお偉いさんが前に出て話すには、
「当然ながら、犯罪はやってはいけません」。

力士は、幼稚園児か?

日本の社会全体が幼児化しているのはわかっていたが、
相撲の世界ですらここまで酷いとは。
もはや横綱の品格とか取りざたしている場合ではないのではなかろうか。

何もかもが甘い。
甘ったるいほどに、甘い。
か、もしくは厳しくしようとしてリンチ殺人になってしまったりするのか。
きちんと叱れる大人がいないのは、ここも例外ではなかったか。
と、そんな印象を受けた。

強い弱い以前の問題って、あるでしょう?相撲には。
というか、人としてサ。

銭ゲバの70年代から

テレビドラマで「銭ゲバ」が放映されている。
1970年からジョージ秋山が連載していた漫画が原作だ。
私は終わりの方をリアルタイムで読んだ覚えがある。
ドラマは、デスノートでL役をやった松山ケンイチが主役なので、1回目から見た。
昭和のあの時代を現代に置き換えると、やはりちょっと弱い印象。
どんな物語だったかと原作本も改めて読んでみたところ、
私の昔いた環境と重なるところが多くて、結構落ち込んでしまった。
ひどい時代だったなと。

丁度、「銭ゲバ」が雑誌に連載されていた時期、私は東京にいた。
小学校2年から3年にかけて。
貧しかった。
4畳半一間のオンボロアパート。
共同流し、共同トイレ、共同風呂、部屋にはコンセントもなく、電灯から電源を取る。
そこに私と母と男の三人が暮らしていた。
母の男は、両手の小指のないドチンピラ。
酒好き、ギャンブル好き、甲斐性なしの暴力男で、私は毎日殴られていた。
母は男ができると子供が邪魔になるので助けてはくれず、むしろ男と一緒に笑うのだった。
家でご飯も食べさせてもらえない私は、学校の給食で命をつないでいた。
しかし、給食費も持たせてはもらえない。
毎日「忘れました」「忘れました」と言い続ける。
その事情を担任が知らないわけがないのだが、わざと気付かないふりをして私を叱る。
毎日忘れ物をして、汚いボロボロの同じ服を着続ける私は
クラスでの格好の虐めのターゲット。
叩かれ、突き飛ばされては、「ヨゴレ」「バイキン」とはやし立てられた。
給食で好きなものを好きと言うと当番がついでくれず、嫌いなものだと山盛りにされる。
「オエ~」と言い鼻をつまみながら食べると、満足げな顔をする虐めっ子達。
だから私は嫌いなものばかりになった。ここで食べて帰らないと、他はないのだ。
友達ができかけたこともあったが、
「ホステスなんかの子と遊んじゃダメだってママが言うから、ゴメンね」と去った。
針のむしろのような学校が終わっても、帰る家も安らぐ所ではない。
それでいつも公園でひとり時間をつぶしていることが多かったのだが、
ある夕暮れ、近所の中学生ぐらいの男の子の集団に襲われて以来、
それすらできなくなった。
幸い怪我はしなかったのだが、
念のためにと婦人科に連れて行かれて受けた内診は子供にはショックすぎた。
外が怖くて日曜も家に閉じこもっていると、母と男の友達が遊びに来る。
子供好きな優しいおじさん。
殴られ続けの私を唯一救ってくれる人かと思ったら、そうではなかった。
親達の目を盗んでは嫌なことをしてくる。下着の中に手を入れたり、キスをしてきたり。
それが一人ではなくて、何人も。
そして決まってこう言うのだ。「誰にも言っちゃいけないよ」
言えるわけがない。言ったら親達に半殺しの目にあうのわかってたから。当然、私が。
こんな日々がしばらく続いたが、ある日、母が私を連れて逃げて終りになった。
男が金欲しさに、私に保険金をかけて殺そうとしたから。
踏み切りで私の後ろに立って、母に「背中を押せ。押せ!」と
本気でけしかけていたらしい。
「あの男はダメだと、あの時思った。
 自分の手を汚さずに、女にやらせようとするんだから、最低の男よ」と母は怒っていた。
私は怒るポイントはそこじゃないだろうと思いはしたのだが、
何はともあれ、そんなわけで殺されずに済んだのだった。

こうしてみると、私の子供時代は銭ゲバより悲惨なんじゃないかなという気がする。
誰にも愛されず、どこにも行くところがなかったあの頃。
恨みと憎しみだけが私の心を支配していた。
私は許さない。
虐待する親を、虐めっ子を、無関心な教師を、無理解な大人達を、とんでもない変態男を。
奴等に思い知らせるまで私は死ねない。
銭ゲバは、「銭のためなら何でもやるズラ」と生きてきた。
私は、「皆殺しにしてやる!」の思いが、生きる力になっているのかもしれない。

あの頃、川には悪臭を放つ真っ黒いヘドロが流れ、
薄汚れた煙が都市をモウモウと覆い、人々は光化学スモッグで喉と目を痛めていた。
東京の空に、星がひとつも見えなかった時代のこと。

そして、今も私の復讐は終わらない。

イザナギ・イザナミの大失敗

今年のバレンタインデーは、またまたお菓子屋が新しい戦略を考えたようだ。
題して「逆チョコ」。
女の子から男の子に送るだけではなく、男の子から女の子に送ってもいいんじゃない?
ということらしい。
随分、最初のコンセプトからはずれてきたような。

そもそもバレンタインデーに女から男にチョコを送るということになったのは、
男が意中の女に告白するのはいつでもどこでもあって当たり前のことだが、
女から男に思いを伝えるのは、はしたないのではないかと恥じらって抵抗があるだろうから、
年に一度ぐらいは行事として許される日があってもよいのでは、という意味だったはず。

しかし、今は男性が告白するためにも許される日が必要になってきたということか。
義理チョコや友チョコなどが入り混じる中でチョコを渡して、
いい顔されなくても、「いや~、ジョークジョーク」と逃げれるのは
確かに気が楽かもしれないが、男としてどうなのだろう。

男なら、そんなイベントに乗じるような軽いお遊び的カムフラージュをせず、
正々堂々正面から当たって砕けるぐらいの覚悟を持て!と言いたいが、
それは時代に逆行した考えとなってしまったのかもしれない。
婚活ブームでも、女性が積極的だと聞く。

女性がどんどん強くなり、男性が弱くなってきたのは、
男女平等が声高に言われ、そういった教育方針が強まってきた頃からだと感じる。
「男なら泣くな! 男だろ、ガンバレ! 強くなくてどうする!」
「女なら女らしく! でしゃばるな! しとやかにしないか!」などと言われなくなり、
性によってこうあるべきという枠を取っ払って自然体で行こうとした結果がこれだ。
男らしくない男が父親らしくない甘ったれの父親に、
女らしくない女が母親らしくないギスギスした母親になるのは当然の流れ。
その流れのままに、若者ウケを何より大事に考える社会なのだから、
父権も母性も復活は当分難しいのではないだろうか。

日本神話には、高天原から天下ったイザナギ・イサナミの夫婦が、
最初に天御柱を巡って声を掛け合う時に、先に女の方から声をかけてしまったために、
不出来な子が生まれてしまい、それを流して、
再度、男の方から声をかけなおして、無事、日本の国が誕生したという場面がある。

男が男らしく、女が女らしくないと骨なしの子が生まれる。
日本の国が成り立たない。
なんとも象徴的な気がするのだが、この逸話、今の若い人はどう捉えるのだろうか。

「好きだ」と思ったら、それをてらいもなく表現して、
ガンガンアタックしてくる男性は、今、希少価値だから、
本当は男にとって、ものすごいチャンスなのだろうけれど。

男なら女子どものお遊びに振り回されてちゃ、いけないよ。

男なら、ね。

文字から漂う腐臭

新聞広告のある本の紹介にまず、ムカムカ。
知らない名前の人だけれど、キャッチコピーが気持ち悪い。
以前関わったカルト教団関連の出版社だからだろうか、同じ臭いがして。

夕方、書店に立ち寄ったら、たまたまその本が新刊のコーナーに積まれてあった。
優しい言葉で書かれ、子供にも読める、虫や動物を擬人化した心温まる短編集。
明るい表紙。可愛らしいイラスト。

なのに。

この気持ちの悪さときたら、
ひげそり跡の青々ついた脂ぎったオッサンが、オネエ言葉でしなをつくりながら寄ってきて、
無理やり頬擦りしてくるような感じを受けるのだ。

なぜ?

手にとって見る。
帯には、新聞広告と同じキャッチコピー。
やはり、ムカムカ。

パラパラとページをめくる。
目が避ける。文字が追えない。
だから何が書いてあるか読めないのだが、文字から漂うこの匂い、
ヤツとそっくりだ。

後ろから開く。
著者紹介が載っていた。
本名が出ていた。
思ったとおり、ヤツだった。
教団名も教祖としての名前も活動も隠して、
塾を経営する実業家としての顔を強調するわけね。
今までも何個もの名前を使い分けていたけれど、今度はこの路線か。

疑問は解けて納得はしたけれど、後に残った気分の悪さよ。
吐き気がするよ~。
こんなに気色の悪い人間を一度でも立派な人だと思っていた自分が、
まだ許せないってだけのことだが。

またバカが次々引っかかるのだろう。
それはまあ、仕方ないね。
バカは一度、痛い目にあわなくちゃ。
私みたいに。

芸の力

少し前にテレビで、ある落語家の話を聞いて、
ずっと何か心に引っかかるものが残っていた。

ざわめく会場。
目の前に子供は走り回るし、空き缶は転がっていて、
客が好き勝手に振舞ってもう大騒ぎ。
舞台に上がった落語家の声など聞こえない。
しかしその中で、淡々と30分マイペースで話し続け、
だんだん会場は静かになり、笑い声が起きはじめ、遂には大爆笑。
最後は万来の拍手に送られた人がいたという。
人間国宝の柳家小さん師匠。
「そんなの、話に入っちゃえばいいんだから」と言われていたそうだ。
登場人物しか見えていない、何も音が聞こえない状態で30分、
話をして降りて、結果として客がついてきたとのこと。

どうしてこんなことをなし得るのか。
目の前の客を無視して話にだけ入っても独りよがりにならないのだろうか。
しかし実際、人々の心をしっかり掴んで、その話の中に連れて行っている。
「芸の力」とは何だろう?

考え続けていると、先日、日野先生の日記にもそれに近いような記事が書かれてあった。
誤解を恐れずに
この、「気持ちなど全く入っていない」。
これにすべて集約されているのだろう。
「私」などいらないのだ。
「私が」何かをするのではない。してはいけない。
人は「私」を見たいのではなく、「芸」を見たいのであって。

このブログの一番最初に書いた記事を思い出す。
オチつかない話
この時、落語家さんは、関心を持たない子ども達をどうにか振り向かそうと、
反応を確かめながら口調を誇張したり、身振り手振りも使い、
苦心惨憺の労を賭してくださったのだが、結果は散々なものだった。
人を意識し、人にどうにか働きかけようとすることが必ずしもそうはならないという現実。
この場合、舞台の上には「話」があったのではなく、「話をする私」がいたと言えるだろう。
もし、小さん師匠の話だったら、子ども達は退屈しただろうか?
残念なのは、その後、「やはり子供には古典芸能はわからない」と結論づけられてしまい、
行事にPTAでプロのゲストを呼ぶ企画が消えてしまったこと。
チャレンジの面白さよりも、失敗を避けた安全を選びたいものなのだろうが。

厳しい芸事の世界では評価ははっきりと現れるものだが、
これは、特別な世界に限らず、日常にも置き換えられることかもしれない。
我々は常に何かしらの役を演じているとも言えるのだから。
年齢、性別、人種、職業、立場、肩書き、役割。
それらを型と捉えれば。
「つもり」でいても、そうなっていない、そう見えていない事は往々にしてある。
それでどうするかというと、説明が付くのだ。言い訳という。
また、「らしさ」を否定して自分なりにあればいいとする向きも多いが、
そんな人に限って、自分というものを探していたりするのだから話にならない。

ここで何が求められているのか。
それに応じられているのか、いないのか。
掴めるようにならなくては。
迷いのない人は、それだけで美しく人を魅了する。

本物の「芸」を、もっと見たいと切実に思う。

家庭を持たない訳

次男を学校へ迎えに行った帰り、将来のことか何か話していた流れの中、
「俺、たぶん一生独身で一人暮らしをすると思う」と言い出した。
「なんで?」と聞くと、
「だって、子供に『早く死ね』とか言われたくないもん」
「は? なんで? どうしてそうおもうわけ? そんな子に育てなきゃいいじゃない」
どういう飛躍なんだ?と可笑しい。
「うん、それはそうなんだけど・・・」息子は言いにくそうに続ける。
「俺、もし母さんが癌とかなったら看病するけど、
 アルツハイマーになったら、きっと『死ねばいい』と思うと思う。ひどいけど。
 だから、子供もそうなるだろうなと」
最近テレビで放映していた特集を見て何か感じることがあったのだろうが、
もしもの上にもしもを重ねる取り越し苦労に実際の心を痛めるとは、
可愛らしいというかなんというか・・・。(笑)

だが、その気持ちはわからなくもないから、私は何も言わずに笑っていた。
私は息子の心配を実際に経験した人間だから。
親が早く死んでくれればと願ったことがある。
半身不随で動けない母を介護しながら仕事もして、
お金も自由もなくくたびれ果てていた。
つい気持ちが苛立ち優しくしてあげれないから、
親は泣き言恨み言ばかりを口にするようになっていった。
それで、「いっそこの人がいなければ」と思うこともあったのだが、
それでも親から「死にたい」と言われた時の悲しさは堪らなかった。
今になってわかるのは、
お互い言い合う本音が本心からではなかったのだということ。
もしも私が年を取ってボケて、
子供たちが「死ねばいいのに」と思ったり言ったりするのなら、
それはそれで仕方がないから、
同意はせずに、最後までとことん図々しく居座ってやろうと決めている。

こんな話をしていても、たぶん息子は早いうちにサッサと結婚してしまうだろう。
「そんな事言ったっけ?」とすっかり忘れて。
家庭を築いたら、私のそばには寄り付きもしなくなる可能性大。
そんなものだ。。
そうでなくっちゃね。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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