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エセ科学の道徳教育

ある面白い化学実験の話を聞いた。
それは、人の吐く息には感情によってそれぞれ色がついているというもの。
色については諸説あるけれど、だいたいは平静時は無色透明、
怒っている時は暗褐色、悲しい時は青、悲しい時は灰色らしい。
もちろん気体に色が付いて吐き出されるわけではなく、
これは液体窒素で急速に冷却して粉状に沈殿した固体の色。
俗に言われるオーラの色と符合する所がもうなんというか既にモニョモニョしてくるのだが、
今はそこは置いておいて問題はその次。
怒っている時の息の粉を注射器に入れてマウスに注射したところ、
瞬時にしてマウスは気が狂ったようになって死んでしまったとか。
いや、それはそうだろう。常温では気体になるのだから。
嬉しい時の息でもなんでも同じでしょ。危ない実験だよ。
と思ったら、よく読んだら水に溶かしてということだった。
アハハハハ・・・、相変わらずそそっかしいな、私は。
しかし、一度芽生えた疑念はそうそう晴れるものではない。
怒りの息が毒ならば、喜びの息はどうなのかも知りたいものだと更に食いついてみた。
逆に楽しくなって免疫力アップの薬になるのか?
そもそも、種類に関わらず息の成分自体に毒素が混じっている可能性はないのか?
悲しみの息は? 病気の人の息は? 悪を心地よく感じる異常者の息だったら?
調べてみるのだけれど、「怒り=毒」はいくらでも出てくるわりに、
その他の実験結果の例はまったくないのだった。
怒りの息を1時間分集めると毒性は80人以上の殺傷力とか、
息の入ったビニール袋で虫が死ぬとかってのは、本当に本当?
これらの話の元ネタは、どうも笠巻勝利著「眼からウロコが落ちる本」の中の
ハーバード大学のエルマ・ゲイツ博士の実験らしいのだが、
ネット上ではいくら調べても、本の伝聞情報が使いまわされているだけで、
科学的実証データは見つからない上に、国内で同様の実験をした報告すらない。
誰も見た事がないのに息に色が付いていたとどうして信じられるのだろう。
写真すらないのに?
毒素があるというなら、その成分は?
他人を何人も殺せるほどの毒を発している人が即死でないのはなんで?
疑問にも思わずに事実として扱っているけれど、いいのかなぁ。
この辺の受け入れられ方は、「ありがとうの水」の扱いと全く同じようだと思ったら、
「水からの伝言」と同様に実際に学校で道徳教育に取り入れられてもいるらしい。
そこに逆に危機感が募るのは考えすぎだろうか。
もちろん、怒っているよりは笑っている方が自身も周囲も気持ちが良いから、
ひいてはストレスを軽減する分健康に良いだろうし、汚い言葉が精神性を損なうのも確かだが、
「毒が出るから」いけないと単なる脅しにしてしまうのは、どうも危険な気がしてならない。
人は、「これは毒だから」「これは身体にいいものだから」を結構、簡単に信じてしまう。
権威ありそうな人のお墨付きで効能が謳われたサプリメントやパワーグッズはゴロゴロ。
「いいはずだから」と信じればもちろんプラセボ効果はあるだろうが、
ないものをあるとするのはただの、オカルト商法だ。
浅瀬にはまる人は、間違いなく深みにはまる予備軍ということ。
そのへんの自覚はなさそうだ。
と、あえてありとあらゆるものに騙されてきた私が言うのもなんだけど。(笑)

何が毒で、何が薬かは自分の身体が一番良く知っている。
誰でもすぐできる簡単な実験で試せるのだが、そんなことを言うと
エセ科学に騙されやすい人ほど、「怪しい」「嘘だ」と疑ってかかる傾向が見られる不思議。
そんなに自分の身体が信じられないのかな?
会ったこともない権威ある有名人ほどにも。
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大海を知らず

先月、次男の誕生日ケーキを買いに長男を連れて行った。
そこは小さな店舗ながらケーキが美味しいので評判で、
更に店の雰囲気がいいのが気に入っている。
狭いながらもきれいに手入れされたイングリッシュガーデン風の庭、
店内はいつもピカピカでお洒落なモビールやカントリー調の小物が季節感を彩り、
店員はかわいいエプロンドレス着用、
高い帽子をかぶったパティシエがケーキを作るところが見られる大きな窓。
といったふうに絵本に出てくるような素敵な店なのだが、
なによりも人を気持ちよくさせてくれるのが、上品で親切丁寧細やかな接客態度。
よほど社員教育がしっかりしているのだろう。

娘達とよく買いにくるこの店に長男とは初めて。
すると彼のなんと感心する事か。
「おお~、すごい。喋り方も会計の仕方も丁寧で、見送りまでしてくれて、
 きれいなお辞儀だし、さすが“プロ”って感じ!
 この店、いいね。俺気に入った。俺、あんな風になりたい。
 あそこで働くにはどうしたらいいんだろ。はぁ~、かっこえーわー。」
やたらハイになって、帰りの車の中で騒ぐ騒ぐ。

母としてちょっと胸が痛むところではある。
確かにいい店ではあるが、
接客業としては当たり前の事を当たり前にしているにすぎないのにと。
すまんね。あまりちゃんとした店に連れて行った事なかったから・・・。
世の中には、接客ひとつ取ってみても上には上がいて、いわゆる一流といわれる店には、
一般人の想像も付かないような気配りをしてのけるプロ中のプロがごまんといるのに、
これまでそういった人達が存在するという事すら知らずにきた。
ただそれも、バイトとはいえスーパーで接客をしているからこその気付きなのだろう。
少しずつでも世界は広がりつつあるのか、な?

嬉しかったのは、気持ちよいサービスに対して、
それを受ける人がカッコイイではなく、そう出来る方をカッコイイと感じたという所。
ならば是非とも、カッコイイ男になってくれ。

ただ、そのケーキ屋で働きたいという夢は、
求人情報に載っていた給料を見て急激にしぼんだらしい。
「ええーっ、あんなにカッコイイのに給料安っ!」ってね、アンタ・・・。
だから世の中そんなに甘くはないんだってば。

マイケル・・・

マイケル・ジャクソンが死んだ。
なんだか信じられない。
これからまたヒットが出るといいなと思っていたのに。
酸素カプセルに入っているとか、
あれだけ身体を動かす人なのに菜食主義が健康の秘訣とか聞いたこともあったけど、
まさかオーバードーズで死んじゃうなんて・・・

私がマイケルを始めて知ったのは、映画「BEN」のエンディング曲。
まだ小学生だったのだけど、衝撃的に一耳惚れ。
今みたいにネットで誰の何という曲か調べる事もできなかったので、
テレビの洋画劇場で放映した時にラジカセで録音して、
主人公の台詞がかぶってるのもかまわず何度も何度も聞いたりしていた。
↓この曲ね。

「スリラー」がヒットした頃は、丁度私が20代前半でオフィス街でOLなんぞをしていた時期。
金曜日の会社帰りに友人達と寄ったその頃流行のカフェバーには、
壁一面にモニターを繋ぎ合わせて大画面が出るようになっており、
そこにかの有名なプロモーションビデオが流れていた。
もちろんすぐにCDを買って、朝から晩まで浸りきったのは言うまでもない。
そのマイケルが、BENのテーマの声と知ったのはもう少し後のことだったが。

整形なんてしなくても良かった。
元の顔が一番私は好きだった。たぶん多くの人も。
世界中が愛して憧れて求めていても足りない何かがあったのかな。
マイケルはマイケルであってくれさえすれば完璧で充分だったのに。
1つの時代が終わった感。
悲しく。。。

we are the world, we are the children......

女三界に家なし

ある女性から相談。

旦那から有り金全部よこせと言われた。
毎月、ギリギリの生活費だけもらった中から爪に火を灯すように切り詰めて
何十年もかかっていざという時のために貯めたお金。
それなのに渡さなきゃいけないもの?
と。

法律的には生活費の中から貯めたへそくりは夫婦の共有財産になるので
半分の権利は旦那さんにあるわけだが、彼女の家庭の場合、
奥さんが家業を無給で手伝ってきていたという事情もある。
そして更に、旦那さんが極端な昔風の男尊女卑でモラハラ・パワハラ気質。
ここは、何があってもいいように最低のお金は持っておきたいところ。
それで、ちょこっとアドバイスはしたのだけれど、
弁護士を頼んでこれまでの給料の不払い分も請求して離婚という手は、
お気にめさなかったようだ。
「いつ離婚されるかわからない」「放り出されたら行くあてもない」と
ビクビクオドオドして暮らし続けるぐらいなら、こちらから捨ててやればいいものを。

結局、今が居心地が良くて、このまま変わりたくないのだろう。
このまま責められ続けるのも、あり金差し出して
無駄な事をした後悔と先の不安に悶々とするのも変わりはない。
どちらもどっち。それが彼女の選ぶ生き方。

「女三界に家なし」とはよく言ったもので、誰かにすがり従うしか生きる術を持たない人は、
一生、世界のどこにも安住の地を見つけることはできない。
もしもの時に備えているようなふりをしながら、
その実、ただ恐れているだけで機を掴もうとはしない。
相手次第、運次第に翻弄される被害者の人生を自ら望んでいる。
落ち着かないのも当然だ。

従うと決めたなら、旦那さんを心から信じて毎日の生活を充実させてもよかったのに。
たまにプレゼントをしたりして心弾ませても楽しかったのに。
隠さず、老後貯金として一緒に貯めてれば目標を共有できたのに。

どうしても信用できず一人で生きていく方がマシと思うなら、
いつまでに、いくら貯まったら、どんな状態になったら、と期限を決めて、
最終的にはどんな身の振り方をするかを考えておくべきだった。

もし追い出されたらお金がないと困る。
いう事をきかないと機嫌を損ねて辛い。
居てもいいのかいけないのか。
どこに行こう、どこにも行けない。
針の筵の堂々巡り。
やれやれ、もう好きにしてればいいよ。。。


そんな家、そんな男、どうしてもしがみつかなきゃならないものなのかな?
似たような話はそこここにゴロゴロしてて、聞くたびに私はいつも不思議に思う。
女には、家なんか必要ないのに。
男は家(肩書き、所属等)を背負ってなければ立てない所があるけれど、
女は違う。
女が“家”そのものだから。
自分の居る場所が即ち“住まい”であり、家庭となる。
宿など、ただの入れ物。
デーンと構えていればいいだけだ。
自分の家から自分を追い出すことは誰にもできないでしょう?

「女三界に家なし」の本当の意味は、「女、三界に家要らず」だったのではないだろうか。
覚悟ができてた昔の女は、どこでどんな境遇にあっても、
今の女より格段に強かったような気がする。
もちろん男など、比較対象にすらならないぐらい。

虐めっ子は鏡を見ないのか?

雨が降るので長女を中学校まで迎えに行った。
指定されていた時間に家を出ようと車に乗り込んだ所で、班長会議が長引いているのでまだ遅くなると電話があったと息子が言いに来た。
しばらくして「来て」とかかったので行く。
クラスでは、班替えの際はまず皆で班長を推薦し、班長が話し合って班員を決めていくというやり方を取っており、各班に偏りがないように振り分けるという事をするらしい。
なんというか、ちょっと手助けが必要そうな子とかをフォローできる体制を組む等。
今時分はいろいろ配慮しなければならないことが多くて、先生も大変そうだ。

帰りの車の中、娘が何か憤っている。
聞くと、学校である子が虐めを受けて怖くて教室に入れないという事件があったとのこと。
(まあ、その子はもともと虐めグループの一員なので、ルーレットの順番が回ってきても自業自得なのだが。)
それで、緊急にクラスで虐めについての話し合いが持たれる事となり、先生が「虐めについてどう思うか」「虐めとは具体的にどんな行為をいうのか」との質問をされた。
すると、普段嬉々として虐めをしている人達が、よくもまあ、どの口がそんな言葉を言えるのかというような答えを平気で返すこと。
「はい、虐めは絶対にやってはいけないことだと思います」とN。(←前、女王だった奴)
「虐めとは、一人の人に対して影でコソコソと悪口を言ったりすることだと思います」とF。
「虐めとは、集団で一人の人を責めて辛い思いをさせることだと思います」とT。
わかってんじゃん!
でも、自分達のやってることは違うって?
いけしゃあしゃあと「私は善人でござい」かよ!と聞いてるだけでワナワナしてくるような話じゃないか。
誰が誰に何をした何を言ったというのは、逐次娘が担任に報告しているので、全部把握してくれてはいるようだが、それにしてもこの恥知らずの厚顔には担任の先生も頭を抱えておられることだろう。

「あ~あ、学校行きたくない・・・・」
このところ、毎日のように口にする。
そりゃそうだろうなと思う。人の汚さをこんなに見せ付けられてはね。
休憩時間にちょっとした愚痴をこぼせた小学校の保健室の先生に会いたい、懐かしいと悲しい顔。
学校にはカウンセリングルームや心の相談室等あるけれど、こんな話は気軽にそこに持ち込めないから。
頑張って欲しい。
手が要る時は、お母さん、すっ飛んで行ってあげるから。

虐めグループの親達に全部ぶちまけられればいいんだけど。
陰口、陰険な嫌がらせは証拠が残らないから難しい。
真っ直ぐに人を見ないから、目つきがどんどん悪くなって醜さが顔に表れてきてるってのに。
気付いてやれよ。
そして、自分が何をやっているのか、どんな姿をしているか鏡を見せてやってくれ。

脳のめぐりと感情の話

今日のサンデープロジェクトに脳科学者の茂木健一郎氏が初出演していて、
面白い事を言われていた。
  脳は使わないと劣化する。
  それは筋肉と同じ。
  脳を活性化するには、感情的であることがいい。
  好き嫌いをはっきりさせるのは最も好ましい。
といった内容の事。

笑うときには大声で腹から笑う。
怒るときには烈火のごとく、頭から湯気を立てるぐらいに怒り狂う。
泣くときには、見も世もないぐらい顔をぐしゃぐしゃにして号泣。
それが心と身体を健やかに保つ秘訣であるとは私も知っていたが、
どうも、「好き嫌い」に関しては、なるべくあっちゃいけないものと思ってきた所がある。
「好き」な物や人といる時には幸せだが、
「嫌い」な物や人とどうしても接しなければならない時にはとても苦痛なもの。
「好き」が出きると、その反対の「嫌い」も同時に作ってしまう。
それならば、最初から好き嫌いをしなければ心は平穏に保てて良いのではと考えて。
仏教ではそんなふうに教えていることでもあるし。

なので、自分の中に好き嫌いの感情が沸き起こる度に、「いけないなぁ」と思い、
子ども達にも、なるべく人を好き嫌いで判断しないようにと言ってもきたのだけれど、
変に不自然な事をしてきたのかもしれない。
好き嫌いが起きてくる気持ちを責める方が先に立つと、
素直な感情を否定し、なぜそう感じたのかを自分の中で問うことすらできなくなる。
もちろん考えすぎても、脳は理由をこじつけて作り出すものではあるのだが、
それは感情を抑え付けても同じこと。
先に罪悪感がある分、余計に嘘を固めなくてはならなかっただろう。

まあ、「そんなにゴチャゴチャ考えんと、普通に感じとったらええんや」、と、
どこかから誰かの声が聞こえてきそうな話ではあるが。(笑)


茂木さんはまた番組の中で、記憶力を維持するためにはブログを書くことも薦められていた。
忙しすぎる人は、過ぎた出来事を思い出すことが少ないので記憶力が低下しがちだが、
何があったかを振り返って思い出す習慣があると強化されていくとのこと。
特に文字にすることで考えをまとめ整理するのがいいらしい。
逆に暇すぎて過去の要らん事まで溜め込むのも、
新しい体験の記憶が入る場をなくすのでマズいだろうとは思うが。(こっちは経験上:汗)

喜怒哀楽を存分に感じ表現する豊かな日常を過ごし、
それを整理しては自分の血肉に取り入れ、また新たな出会い、発見、体験に活かす。
それは、脳の活性化のためというより、人間冥利に尽きるようないい生き方になる。

サラサラ、サラサラと血液も記憶も滞りなく循環させて、常にフレッシュでいたいものだ。

虐めのワ

わざとずっこけて関心をかう痛いドジッ子ちゃんは、最近はやらなくなったらしい。
目の前でコケる度に娘が、
「私、そういうの大っ嫌いだから、やめてくれる!?」と言い続けていたら。
納まったということは、やはりワザとだったのか。
あれからも学校で遊んだり、時々電話もかかってくるしで仲良くやっているようだが、
彼女の事で、今、娘は悩んでいることがある。

今日は中学校で1年生のPTCAがある。
PTCAとは、保護者・教師・生徒の交流する場。
今回はソフトバレーボールで遊ぶことになっている。
昨日、生徒の服装は体操服でと聞いて、娘が
「良かった。私服じゃなくて。それなら○○さん(ドジッ子ちゃん)が
 虐められなくて済む」と言っていた。
「どういう意味?」と聞くと、
彼女は最近、同じ班の人達から毎日ひどい虐められ方をしているので、
私服だとまた「ダサ~」「キモイよね、アイツ」と言われてしまうだろうからとのことだった。
虐めといっても、肉体的に危害を加える暴力ではもちろんない。
しかし、話を聞くと、言葉によるものであっても、精神的な辛さは
相当なものなのではないかと思われるような陰険なイビリ方をされているよう。
どこで何をしてても、例えそれが授業中であっても、
集まっては指をさして「キモ~イ」「キショー」「なにあれ~」とかクスクスやられる。
時間がなくて係りの仕事が遅れたりすると、気色ばんで全員で暴言で責め立てる。
「は?時間がなかった?あるけぇ、普通に」
「お前がトロいんじゃ!」「ホンマ、役に立たんのじゃけぇ!」「死ねや、ブス!」
その割には、他の人が同じような状況で困っていると、
「いいよ、いいよ、これは仕方がないよ」「今からでもぜんぜん大丈夫」
「気にしないで」「あ、俺それ、調べてきてやったよ」と、超協力体制。
何、その差?
とにかく、何につけても彼女を虐めるネタに使われる。
彼女さえ虐めていれば、班内は仲良く平和で楽しくやっていられる。
同じ目標に向かうことは人の結束を強める効果があるが、
虐めにもそれは当てはまるようだ。
そして、マズイのはその楽しさが伝染しやすいということ。
自分の気持ちに起こる不都合を誰かのせいにするのは楽で気持ちがいいからか。
眺めているだけだった人も一旦加わったら味をしめる。
そうして広がる虐めの輪の怖さ。

「絶対にあんな仲間に入りたくない」娘は言う。
何をやっているのか見えていれば、巻き込まれることはないだろうと思う。
やっている人達は、自分の姿が見えていないのだから。

さあ、今日は虐めの輪を作る子らのちゃちな仲間ゴッコでも、じっくり観察してみようか。
どこにでも、「死にぞこないの青」は作られちゃうんだね。

手づくりの暮らしレシピページ

忘れっぽくて脳みそヒューヒューの自分のために、
「手づくりの暮らしレシピページ」を作成中。
まだ何もできてなくてほとんど白紙ですが、やっと1つ書けたので紹介。
「夏だけ大型クッション」
昔から手づくりしたカバーに夏布団を入れて、冬に抱き枕として使ったりしていましたが、
今回はその応用の大作。
夫の作務衣を縫おうと数年前に買っておきながら、面倒で投げてあった布地を有効利用。
ドデカクッションが3つできました。
なるべく楽に楽に、ファスナーも使っていません。

モノは人を育てられるか?

若者が、いとも簡単に人を殺すという事件が頻発している。
「誰でもよかった」 「むしゃくしゃしてたから」 「もう消すしかないと思った」
理由にもならない理由。
彼らは、自分をとりまくこの世界はすべて思い通りにできると思っている。
人は人ではなく、ヒトという名のモノ。
どう扱おうと、生き死にすら好きにしようと構わないと。
集団レイプ後も素知らぬ顔でぬくぬくと就職活動してた奴などもそう。

叱らないように、困らせないように先回りしては手を出し、
欲しがるものを与えていいなりになってきた育児の結果だ。
手伝いをしたらお小遣い、成績が上がったらゲーム機、受験に合格したら携帯電話。
それを教育というだろうか?
モノが育てたのであって、親は何もしていない。
わかりやすく言えば、モノさえあれば、親のかわりは誰がやっても同じということ。
人間関係の根本となる親がモノならば、
他人をモノと思うのもやむなしかなとそんな気もする。
そしてそんな傾向は、どうやら若者に限ったことでもなさそうなのだ。

ある大手企業の話。
全国に支社を持つその会社は、多くの販売代理店を従えていた。
しかし、この不景気。売り上げは落ち、顧客が大幅減少。
そこで打ち出した秘策は、売り上げを増やす方向ではなく、
「大切なパートナー」「ファミリーだと思っている」はずの代理店の足切り。
限界まで下げてきたマージンを更に下げ、
売れば売るほど身銭を切って損をしなければならないという条件を飲めと突きつけた。
代理店さえいなくなれば、彼らが持っていた顧客を親会社が丸ごと引き継ぎ、
労せずに増収が見込めるという算段だったのだろう。
さすがに頭のいいエリートの考える事は違う。

もちろん、パートナーどころか、狩場を荒らす敵扱いに代理店が黙っているわけがない。
足を運んで開拓した付き合いの長い客を、だれがそのまま置いて、
「はい、さようなら」と消えるだろう。
持っている物は、一つたりと取りこぼさず、ゴッソリ根こそぎ持って去った。
取引の相手は他にいくらでもあるのだから。
大手企業にとって致命的な情報もしっかり握ったまま。
策士は策に溺れ、足元の土台を自らが崩してしまったのだ。

相手が人だということを忘れて、ただの数字、ただの記号としか見えていない。
そんな人間が誰もが知る大手企業を牛耳っているのが、今の現実。
口ではいくらでも立派な事を言うのだけれど。

若者だけが、短絡的で幼稚だとは限らない。
大人も、外面だけは取り繕って見せる狡猾さに長けているだけで、
中身は殆ど変わりはしない。
子どもが子どもを育ててちゃ、そりゃあ、問題もおきることだろう。

変わるべきは、大人か、子供か。
考えるまでもない。

仕事が教えてくれる事

スーパーのレジ打ちのバイトは長男に向いていたようで、将来を考えるとき、
「このままスーパーに正社員として入社してもいいかな」なんて事を
言ったりもするようになってきた。

元々話し好きで愛想もいいので、毎日買い物するオバチャンたちの評判も結構いい。
生活も行動も生き方自体が雑でどうしょうもない奴の割には、
仕事中だけは、商品の扱いやお金の渡し方はそれなりに丁寧なよう。
最後の集計の違算もほとんどなく、バイトの中ではトップだという事を誇らしげにしていた。

しかし、その自信がポッキリ。

一昨日、昨日と連続で千円単位の過剰金を出してしまったのだ。
すっかり、グデ~っと落ち込んでしまっている。

「もう誰も俺のレジに並ばない方がいい。損するよ。。。。ハァ~(ため息)
 絶対苦情くる。。。怒られるだろうな。。。クビになるかも。。。。
 まあ、クビになってもいいんだけど。。。もう嫌だ。。。やめたい。。。
 胸が苦しくて最悪な気分。。。。
 こんな思いするぐらいならバイトなんかやらなきゃよかった。。。。」

食欲もなく、言葉数も少なく、ボーっとしては頭を掻き毟りため息を付く息子を、
「いい感じジャン♪」とニヤニヤしながら見る私。
苦しめ~、もっと苦しめ~。

仕事ってそんなものなんだから。
だれも皆、そんな思いを何度も繰り返して働いている。
自分で生きるとはそういうこと。

「いいこと教えてあげようか」とそっと耳打ちしてやる。
「その苦しさはね、これからもっと味わうことになるんだよ。
 そしてね、終わることないの。 一生、死ぬまで続くんだからね」

「マジかよ~」
倒れこむ息子。うっすら涙目。

はい、マジです。ご愁傷様~~~。

その姿を見ながらも、兄が何をそんなに辛いのかまだ想像もできない次男は、
「俺も高校入って早くバイトしたいよ」と平気で言ったりしている。

フランシーヌの本音

「なんで私のブログはこうも人気がないのかな?」
高2の長男に聞いてみた。
彼はこれまで何度かブログを立ち上げたことがある。
いつも途中で面倒になって潰すのだが、アクセス数は毎日軽く200とか行っていた。
内容は、ゲームの話、好きなバンドの話、学校の愚痴とかそんな程度。
なのに彼は200、私は長く続けても20。
なぜだ?

「そりゃあそうよ。だってお母さん、悪いもん」だそうだ。
「お母さんのはね、辛口というか毒舌というか、とにかくトゲがあるから。
 それで普通の人を取り込もうとするのは無理があるよ。
 ほのぼのとするような当たり障りのない話題だったら人はコメントしようと思うけど、
 コメントしたくない、できない雰囲気だもん」と分析する。
「たとえば、このコパンダの記事。このメイクは流行で好きな人が多いんだから、
 そんな人からしたら読みたくないだろ。来てたとしても二度と来なくなる。
 人の好き好きは書かずに放っといてやれよ」

いや、パンダは来なくてもいいんだけどと思いながら聞く。

「ところで、アンタはこういう顔は好きなの?」と聞いてみた。
「別に、好きでも嫌いでもないけど、この写真みたいなのはいいんじゃない。
 可愛いと思うよ」と言う。
え~~~、どんな目をしとんじゃ。まあ、モデルなのでそれなりなのは認めるけれど。

「スッピンでブスよりは、化粧して可愛くなるなら、俺はそっちの方がいい」と言うから、
「じゃあ、こういうメイクをした子で、リアルで今まで可愛いと思う子に会ったことがある?」
と聞くと、
「それはないけど・・・」

「でもさ、スーパーでもこの手の雑誌は売れてて、よく買っていく子はいるよ」
バイト先のレジで見かけることは見かけるらしい。
「その度に、『キャバ嬢、乙!』と言っている」
え・・・・?!
「あ、もちろん口に出しては言わんよ。心の中で思うだけで」
あ・・・あんた、この手の顔、嫌いじゃなかったんでしょ?
「だって、化粧してもケバイだけで実際のとこ、ぜんぜんブスだもんね」
だと。

あ、あ、あ、あ、あんたの方がよっぽど悪いじゃないか!

こうやって本音を上手に隠すから、奴のブログはアクセス数が伸びるのか。
しゃあない、諦めるか。

コパンダの月面クレーター

長女が小学校時代から、同級生のおんなの子達の中にお化粧をする人達がいた。
地味な顔のくせに、いや、だからこそなのか、目をやけに強調するパンダメイク。
お手本はこのあたり?↓
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小学生には似つかわしくないし、なによりせっかくのカワイさが台無し。
どいつもこいつも意地悪~く見えて勿体ないと思っていたら、
こんな顔にしていたせいか、元々こんな顔を好む子がそういう要素を持つのかわからないが、
本当に意地悪だったりする。
中学に入ってもモチロンやめてない。
ただ、中学は小学校より規則に厳しいので、注意されないよう上手ーくやってる。
放課後、学校の坂を下りて角を曲がった次の瞬間、束ねていた髪はほどき、
スカートはウエストで織り込んで、超ミニに。そしてリップで艶々。
こんな田舎のイモばっかの所で、なに気合入れてんだか・・・。

だが、そろそろ年齢的にホルモンの変化によるお肌への影響が著しい時期。
コパンダたちは、このところ、寄ると触るとスキンケアの話題でもちきりらしい。
荒れて、吹き出物がひどいから。
「ちょっ、なんでーー、一日5回ぐらい洗ってるのにー」
「マジ、ヤバイって。化粧水も高いの買ってもらって、ベシャベシャにつけてんだよ」
「それに、乳液でしょ、保湿ローション、寝る前にナイトクリームもバッチシやって、
 どーして治んないの? っつか、どんどんひどくなるんですけどぉー」
なのでもう、おしゃれの為の化粧をするとかの話ではなく、
化粧なしでは人前に出られないからするしかないという状態。
あーあ。
それにしても、どんなオバサンだよ。
潤いゼロのカサカサ肌中年が必死こいて塗りたくってるような勢いじゃないか。

親は気が付いて注意してやればいいのに。と思ったら、
その子達の親も「スッピンを人に見せるなんてありえない!」タイプの人達だった。
さぞかし若い頃から洗顔とスキンケアには余念がなかったことだろう。
お金と時間と労力を傾けてケアしてきたから、何もしなければ荒れ果てていたはずの
肌の崩壊が今程度でとどまっていると信じているのだろうと想像する。
女というものは、皆そうなのだと。
化粧品の成分を知りもしないで。

化粧をしない長女の肌にはニキビ1つない。
何も手入れもしていないのだが。化粧水やクリームがなくてもスベスベほっぺ。
面倒くさいからって顔も洗わないぐらいなのにね。
親と同じく。(笑)

人気がないブログを嘆く

ブログを続けてきているのだけど、あんまりにもアクセス数が伸びないので、
とっくにカウンターは外している。
これまで何回かお引越しをしているが、いつも見にくる人は少ない。
ここも、一日10人から20人ぐらい?
どうしたらアクセス数が伸びるのだろう。

そこで、訪問者の多いブログをダララと見て回って研究。↓は、その一部。


おもしろブログ──文章がうまい。テーマの料理の仕方が斬新、かつ、アクが少ない。
            もしくは、毒舌が個性とマッチしてエンターテイメント化。
これはもう、プロ並み。芸の域。
む、無理だ・・・。


いい人ブログ──きれいな言葉。優しい語りかけ。正しい事を言う。
           出典はたいてい本の情報や、偉い人の台詞。
心が弱っている人、癒されたい人、同類が集合し、傷の舐めあい。
うん。それは、もうゲップが出るほどやって爆発を繰り返したから、ね・・・。


毒々ブログ──批判。愚痴。人の悪口。罵倒。怒りにまかせて、
          赤い大きな字ででかでか書きなぐり、俺の主張(ハナシ)を聞けー!
提供は、報ステ、みのもんたでお送りしましたって感じ?
バカだから、わかんな~い。


教祖ブログ──霊的な啓示を受けた人が預言、神託で作りあげた世界観。
          オリジナルの祭儀、呪文を持ち、広める活動をしている。
信者多数が毎日コメントで、「ありがとうございます。テンテル・・・・」の大合唱。
すっげーーーーー!


病気ブログ──闘病日記。心も含めて。
          時に後ろ向きに、そしてまた前向きに。ひたむきさの記録。
心麗しきいい人が競うように励ましの温かい言葉で応援。
ノーコメ。


で、商売ブログの次に一番多いのが、
日常ブログ──今日の出来事、食べたもの、ペットのしぐさ、恋愛、夫婦、親子関係など。
          普通の人の普通日記。
友人多数。リンクも多数。コメント欄は一言コメントで大賑わい。
なんでだ?何が楽しゅーて?


だ、ダメだ・・・。参考にならない・・・・。
これがわからないから、私のブログは見に来る人が少ないのか。
きっと、私の面白さと他人の面白さには大きなズレがあるに違いない。
ああ、どうしたらブログのアクセス数が伸びるのだろう。
私が人気者になる道はどこに?
一度でいいから、ネットアイドルなるものになってみたいなぁ。・・・ちと野望大きすぎか?

誰か、ブログのアクセスアップの方法をご存知の方がいたら、教えて?
他ブログへのコマメな訪問とコメント、リンク貼り、優しいレス返しなんちゅう、
面倒くさいこと以外の方法で。
ヨロシク~。

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理由なき不登校

中学校時代の友人から電話。
彼女の上の息子は私の長男と同い年で、今、高校二年生。
中学時代は不登校でさんざんごたついたものの、定時制でなんとか落ち着き、
元気に仕事に学校に通っている。
悩みの迷路を抜けて、ホッと一安心。
・・・・・と、思っていたのだが、
今度は下の子が同じように学校に行かなくなって困っているとの事だった。

「今日こそは学校に行って」と毎朝起こし、仕度をさせて送り出そうとするが、
「頭が痛い」「お腹が痛い」「気分が悪い」と出られない。
車で送っても行くが、どうしても門の中に入れない。
無理をすると本当に吐く。
頭やお腹が痛いのも、気分が悪いのも嘘ではない。
体が拒絶しているのだ。

原因は、ないらしい。

お兄ちゃんの時は部活でちょっとイジメらしき物があり、それがきっかけだったのだが、
今回は友人との関係も良好だし、まったく思い当たるふしもないということ。
理由がわからなければ、解決方法も見えてこない。

私は黙って話を聞く。
断片的にチラチラと何かが覗いているのだけれど、そこは触れずに。

「・・・お兄ちゃんの時には、全部お母さんのせいだと責められた・・・」
「・・・旦那は何でも力ずくで解決しようとするので、余計にこじれるから話せない・・・」
「・・・出来のいいお姉ちゃんは怠け者が許せなくて怒るので、板ばさみで辛い・・・」
「・・・眠れなくて、以前飲んでたものより強い薬じゃないときかなくなった・・・」
「・・・友達も心配して声をかけてくれてもいいのに、最近の子は冷たい・・・」
「・・・教師が書かせたようなクラスメイトの作文が届けられるけれど・・・」
「・・・周囲の人は優しそうに見えても何を言われているかわからない・・・」
「・・・『みんな我慢して通ってるのに、あんたはなぜ我慢できないの』
                『根性が足りない』と一所懸命に励ましている・・・」
「・・・物は考え方しだいなのに、あの子にはそれがわからない・・・」
「・・・一週間学校に行ったら他の子に内緒でお金をあげるとかしてたのに・・・」
「・・・今は、たまに行くパチンコだけがストレス解消・・・」

黙って聞く。
聞くしか出来ない。

何をどうしたらいいかは私にもわからないから。
そして、私が本音を言えばきっと、彼女をもっと苦しめる事にしかならないと思うから。
辛いね。
誰も悪意なんかないのに。
これも時間が解決してくれるかな。

子どもは、それでも育っていく。

牙がうずいて仕方がないぜ

なんて私は喧嘩ッ早いのか。
カッときたら止まらない。

最近、あるちょっとした立場の知り合いを応援しようかと、その人のブログにお邪魔するようになったのだが、そこに書かれてあったコメントにムカッ腹が立ってどうしょうもない。

と、その話の前に、下敷きになる経緯の説明を少ししておく。

うちの長男が小学校一年生の時だから、かれこれもう10年ほど前になる。
6月の終り頃に豪雨が降った。
ザンザンと激しい音に怖さを感じるほどで、傘を差すと重い、車を走らせると前が見えないくらいの大雨。
そろそろ学校が終わる時間だと思いながらも、迎えに行ったものか迷っているうちに小さな息子はずぶ濡れになりながらも帰ってきて、ホッと胸を撫で下ろした。
しかしその頃、同じように帰路についた小学5年生の男の子は増水した川に流されており、その後、亡くなって見つかったのだった。
お母さんが迎えに行き下の子だけを先に連れ帰っていた間に、学校の判断で時間割が変更となり下校することになったその子が歩いて帰っていての事故。
時間割通りにしてくれていれば、迎えに行くまで待機させてくれていれば、せめて連絡をくれていれば、といくらでも悔やまれる事が重なった不幸な出来事だった。
こんなことは二度とあってはならない。
では、どうしたらいいのか。
真剣な討議を重ね、そしてできたのが緊急時対応マニュアル。
生徒の安全が最優先。
大雨や台風、地震など危険が予想される時には緊急連絡網で保護者に連絡を取り、必ず迎えに来てもらうまで学校で責任を持って待機させるという取り決めがそこに明記された。
この時は、まだ電話だけが通信手段だった。

それから月日が流れ平成17年、大型台風により今度は小学校前の家屋数件が流されると言う災害が起きた。
正門前の道路の片側半分からゴッポリえぐれ、景色がまったく変わるほどの。
電柱は倒れ、電気・電話が一時使えなくなった。また、あちこちの道路が陥没しているらしく、全体の被害状況はすぐにはわからない。
はっきりした情報のつかめないまま、混乱する学校、そして各家庭。
これは夜半に起きた災害だったが、もしも昼の子ども達が学校にいる時間におきたとしたら、保護者にどうやって連絡をつける?素早く確実に伝える手段に何が考えられるだろう。
そうして導入されることとなったのが、携帯電話による緊急連絡メールだった。
この時、私は小学校PTAの副会長だったので、緊急メール説明会には何度か足を運んだ。
そして会長だった人が、この地域の学校数校全体のシステムを統括する責任者となり、今は中学校のPTA会長でもある。

マニュアルやシステムはあればいいというものではなく、いざと言う時に支障なく運ぶためには日頃から使い慣れておく必要がある。
そこで学期中に一度は訓練をして、問題点を把握したり、もっとスムーズにならないか等考えたりはしているのだけれど、連絡メールは緊急時に限らずもっと多様で便利な使い方もできるので、これを利用しない手はない。
使っても使わなくてもPTA会費から支払う料金は一緒。
それなら、学校からの配布物が手元に届いていなかったり忘れたりしている人のために情報を流したり、グループ登録をして委員会の召集に使ったり、双方向交信のできるメールの利点を活かしてアンケート調査や意見を募集するなど、どんな可能性があるかを探る意味でも使いまくった方が絶対に得なはず。
そういった運用の仕方については、何度も何度も役員で話し合いがなされた上で使われていたものなのに、それでも出るのだ。苦情という奴は。
「パケット料かかるから訓練いらない」「子どもの人数分同じものが来ると面倒なのでやめて」なんて、ガックリくるじゃないか。

そんな中で、緊急時に重点を置く小学校と異なり、中学校では割と柔軟にいろいろな情報発信ツールとしての使い方がなされるようになってきていて、それはいい事だと私は思っていた。
しかし去年、生徒達のためにPTAでしてやりたいことがあり、その費用捻出のためオリジナルTシャツの販売をした際に、購入希望を連絡メールで募ったのが気に喰わないと抗議をしてきた人がいるという。
私は去年は役員ではなかったのだが、学校をそして生徒達を盛り立てるためにPTAが一丸となって取り組んでいた様は見ていた。
そしてメールも勿論受け取っていたのだが、まさかそれが「物を買え買えとうるさい」と見る人がいようとは、想像もしなかった事だ。
それが今も頑張った役員の心に重いしこりを残しているのは、まだTシャツの購入希望者がいるにもかかわらず、「もう、やりたくない・・・」といった沈んだ雰囲気になっていることでわかる。

その苦情組らしき人が、ある人のブログにそんなコメントを書き込んでいたのだった。
物売りの怪しげなメールは来るのに、欲しい情報のメールは来ないから、友人と「もうやめる!」と話してたと。

連絡メールがなぜ必要かわかってるのか?
誰が、どういう経路で配信しているか知っているか? 
一度でも考えてみた事があるのか?
「物を買え」と来たといっても、それは何のためとの説明もちゃんとあったし、
強制されてもいないんだから買わなきゃいいだけの話だろ。
現に私も必要ないから買ってない。その分、他の所で手伝いはしたが。
別に売上金で役員が懐を肥やしてるわけでもないのに、なぜ苦情のターゲットにされる?
気に入らないから「やめる!」って、自分も組織を構成している一人だとの自覚すらないのか。

と、まあ、そんなこんなでメラメラと怒りの炎が燃え上がってしまったわけだ。

あちらにはこんなにストレートに書けないから、ほんのチラッと牙を覗かせただけだけどね。
ただ、これから先も抑えが利くとは限らない。
既にロックオンしちまったから。
応援したい人の応援どころか、いつ爆発するかわからない取り扱い注意の危険物だよね、これじゃあ。
いけないなぁ、とか言いながら、ちっともいけないと思っていない。
それが私って奴なんだよ。

ああ受験生

来年は次男が高校入試。
今日は進路説明会があった。
長男は最初から諦めて近場の高校へ行ったが、
大学進学を考えるならそこからは厳しいので、次男はもう少し上のレベルを目指している。
希望としては、推薦を受けたいようなことを言っていたわりに、
特技もないし、クラブは一年の一学期でリタイア、生徒会活動もしてない、
地域活動やボランティアとも無縁でそれは無理だろうと思われる。
1年2年の成績も低空飛行で内申も期待できない。
となると、試験に懸けるしかないが、3年になっても相変わらず勉強に勤しむ姿は見えない。
どうするんだろうなーと、ほとんど投げやりな気持ちで説明を聞いていた。

先月の終りの中間試験の後、テーブルの上にクシャクシャになったプリントが投げてあった。
保護者宛のプリント?と思い広げると、それはテスト勉強の計画表。
しかし、一日の予定はほぼすべて「ゲーム」。他は「ご飯」、「テレビ」、「寝る」、だけ。
反省は、「なし」。
テスト計画表お遊びの落書きでない証拠に、先生からのコメント付き。
え?! ええっ??!! ええェ~??!! え゛えぇぇ~!!!
そりゃそうだ。
その上、試験前日の本人の自己評価、「レベルがめっちゃ上がった。」だもんな。
・・・・・・おい・・・、いいのかそれで?
こんなんを指導しなきゃなんないんだから、先生も大変だと思う。
スミマセン・・・。ほんっと、申し訳ない。
全然勉強してないわりに、点はそこそこ取れたらしく、それもまた困った事。
このまま舐めっぱなしで行くつもりなのだろうか。
来年の春までに果たして心境の変化なるか。
桜は咲くか、咲かずに散るのか。

私はお兄ちゃんの時と同じく、「一度、こっ酷く失敗すればいい」と思っているわけだが。

象の背中

長女の仲の良い友達のお父さんが亡くなったので、その通夜式に行ってきた。
中一は5日から2泊3日の研修旅行で、帰ってきた翌の代休の日に知らせが入った。
友人は旅行中も別段変わった所もなく普通に明るく過ごしていたらしいが、
お父さんは前々から具合が悪くて入院してらしたようで、
家族全員の見守る中、明け方近くに眠るように息を引き取られたのだそうだ。
まだ54歳だった。
盛大な式で、奥さんは悲しみに浸る間もなく気丈に立ち働いておられたが、、
声は振るえており、娘の友人もずっと両手で握り締めたハンカチを顔から離せない。
私は故人とは直接面識はなく、式の間、悼む気持ちはあってもどこか遠い感じでいたのだが、
その家族の姿を前にたまらなく胸が塞がれ、かける言葉も見つからず、
ただ、涙がこぼれて仕方なかった。
娘が驚いていた。「お母さんが泣くなんて・・・」と。
自分でも驚いた。が、そりゃあね。。。
旅立ったお父さんの心残り、かけがえのない存在を失った家族の悲しみを思うと。
別れの日が近いと知って過ごしていたのかどうかはわからないが、
今こうしている私達だって、いつどんな形で終りがくるか知れないのだ。

「もし、余命何ヶ月と告げられたら」、そんな想像をする中で、
その怖さや辛さ、悲しみの時間に耐えられるだろうかと考える事がたまにある。
しかし、実際にそんな状況に置かれる人は、どれほどの確率だろう。
むしろそれは可哀想な事ではなく、幸いなのかもしれない。
準備ができるという意味で。
死は多くの場合、突然にやってくる。
そしてどんな形であれ、必ず、平等に。
健康でも病気でも、充実してても悩んでても、金があっても先行き不安でも、関係なく。
我々は常に、今をどう生きるかを問われている存在なのだと、身近な死は教えてくれる。

青春の科学

ゲッ、森田健作って、幸福の科学信者だったの・・・?

D112011057[1]
森田健作と「幸福の科学」

お釈迦様の生まれ変わりのエル・カンターレさん、お元気?

イエス・キリストに「わが父」と呼ばれたエル・カンターレさん、お元気?

ムー大陸にもアトランティス大陸にも転生してたエル・カンターレさん、お元気?

新文明建設、全人類救済の為、1億5千万年ぶりに復活のエル・カンターレさん、お元気?

地球系霊団最高大霊にして多次元宇宙や人類の魂を創造した根本仏でもある・・(以下略)


ええとね、一言。

芸能人はまあいいとして、政治家にはファンタジーと現実の区別ぐらい付けて欲しいなぁ。

「朝まで生テレビ」で、オウム真理教に論破されたような所なんだからさぁ。

人生を懸ける山

日野先生がいつか、人生を山登りに例えた話をしてくださったことがある。


  目指すなら、出来るだけ高い山。

  この山をどうしても登りたい、と、そのためだけに準備をする。

  もちろんいきなりは挑めないから、近く低い山から登る。

  徐々にレベルを上げながら肉体を鍛え、テクニックを磨き、知識を増やし、お金を貯め、
  コツコツと来るべき日に備え長い長い、血のにじむような努力の年月を重ねた後、
  ようやくたどり着く目的の山。

  支援者にも恵まれ費用はなんとか形になり、政治的な問題もない今こそが
  またとない絶好のチャンス。

  必要な物を揃え、シェルパの手配から何からすべて完璧に整え、
  「さあ!」と出発しようとした、

  正にその時、

  飛び込んでくる予想だにしていなかった天候悪化の知らせ。。。。

  ふもとで回復を待てど一向にその兆しは見えず、迫る期限。

  年齢的にも金銭的にも、この機を逃したら次はない。それはわかっている。

  志を立て歩んできたこれまでの日々、
  お世話になった多くの人達の期待に満ちた顔が頭の中をかけ廻る。

  しかしそれでも、諦めて帰るより他にない。


「そんなもんやで。それが人生や。それでええんや」 と先生。


成功か失敗かで言えば、「この山」と目指した山に登れないのは失敗したということになる。
だが、この人の人生は失敗だろうか?

「ホンマにやっとったら、いつでも放れるんや」

悔いのない人生は、“やる”人だけのもの。
だから、

「成功法則とかそんなもん、いらんがな」 なのだ。


先生の辞書には、「自信」が「ある」とか「ない」がないのと同じように、
「成功」と「失敗」もきっとないのだろう。
「失敗」は、あくまでも、やりたい事がこの方法ではできなかったという過程であって。

必死に一途に積み上げたものを、「失敗やった~」と笑って放れる人生の、
何と豊かで輝きに満ちていることか。

この話には、もう1つ小話のオマケがついている。

  努力して、準備して、最適の好天候に恵まれた人生懸けた最後の登山の途中に、
  上から下ってくる人達とすれ違う。
  「こんにちは」と挨拶を交わした中に見つけた、飛び切りのカワイ子ちゃんに一目惚れ。
  そうして、何もかも放って、一緒に付いて降りて行ってしまう。

「これも人生や。これがええんや」 だそうだ。


素晴らしき也、全てを放って悔いのない人生!
やりたい事をやる人生!
永遠に目指し続ける世界一の山、ブラボー!!!!!!!!!!

インフルエンザだったかな?

先週、長男は木・金と2日学校を休んだ。
風邪をひいたからだ。
頭が痛くてボーッとして、鼻声で喉がガラガラ。食欲も無い。
「休ませて」と言うから、「やかましい。気力でどうにかせぃ。学校行け!」と
いつものごとく追い出そうと思ったのだけれど、
最近、「女の子が具合が悪いときにはすぐ休ませるのに俺等には差別する」とか、
グチグチと言うようになったから面倒で、今回はしゃあないかと許可してやった。
高校に電話をかけ、風邪で休ませたい旨伝えると、
「熱は何度ですか?」ときた。
んなもん測らん、気にしてない、とは言えないから、適当に「38度近いかな?」。
しばし戸惑う雰囲気の沈黙の後、時期が時期なので病院に行くようにと言われる。
「発熱の相談窓口もありますから」と。
「はい」と返事はしはしたが、当然行かす気は無い。
季節の変わり目は、暑くなったり寒くなったりで体調を崩しやすいもの。
長男はバイトも休み2日間びっちり寝込んで復活した。
自分で測ったら、熱は本当に38度ぐらいあったらしい。
タミフルを使えば、寝込むのは1日で済んだところだったのかなぁ?
他の子らは、鼻をすすりながらも元気に毎日学校に行っていたのだが。
「たかが風邪」って言っちゃいけない雰囲気なもんだから、何だか気を使う。

太陽のご機嫌

去年の夏ぐらいから、太陽に黒点が1つも観測されない日が続いていた。
「すわ、氷河期の到来予告か?」と一部の人が騒いだり、
秋からの世界的景気悪化に伴い、
これまでの経済状態の推移グラフと黒点観測データを照らし合わせ、
景気と黒点はリンクしているなどの説も飛び交ったりしていたわけだが、
その太陽活動が6月に入って急に復活したという。http://swc.nict.go.jp/sunspot/
しかし、黒点が増えれば増えたで、
今度は「心臓や精神面にダメージを受ける人が増えるだろう」、
「フレアが活発になるということは、更に温暖化の進むことが予想される」
との説がもう出ている。
おかしなものだ。
「太陽エネルギーが活性化して生物も元気になる」とか、
「連動して景気も一気に上昇!!」など
嬉しい予言がジャンジャン出ても良さそうなものなのに。
人間は、なぜそんなにも不安でありたいのだろうか。
元気なうちから「病気になったらどうしよう」。
若いうちから「老後の蓄え」。
「人生何が起こるかわからない」「いざと言うときのため」「転ばぬ先の杖」。
そんな個人の人生設計なら、最悪を避ける事を考えるのもわからなくはないけれど、
太陽の活動までも、心配してもどうしようもないと思うのだけれど。
天照大神様のご機嫌次第。
そういえば、もうすぐ天岩戸隠れショーが見られる。
これも、新型インフルエンザの影響で観測ツアーが伸び悩んでいると聞くが。

ニューエイジ・スピリチュアルさきがけ期の名残

心ウキウキ生き方発見マガジン「evah」という雑誌を知っておられるだろうか。

1996年に「エゴからエヴァへ」の船井幸雄監修の元、
その筋の有名どころを贅沢に集めた作りで、鳴り物入りで登場した新世代雑誌だった。
表紙は、シム・シメール。
大特集は、「脳内革命」。著者への直撃インタビューに田原総一朗。
船井幸雄と「神々の指紋」著者グラハム・ハンコックの対談。
ひろさちやの連載ゲストに、美輪明宏。
最終ページコラムの絵と文は片岡鶴太郎。
この創刊号は、20万部を完売したという。

当時、自己啓発系や精神世界に興味が強かった私は勿論買った。
「これは!」ということで、翌号からは予約までして。
しかし、一年で廃刊。
だんだん、「波動」や「気」がどうとか怪しげな方向へ行き出したかと思うと、
「α波」や「パワー」や「エネルギー」入りの
ビデオ・テープ・食品・機械装置の広告まみれになっての終焉。
私としては、非常に残念だった。

で、この雑誌が全巻、今も私の手元にあるのだが、これをどうしたものかと思案中。
捨てるか、ヤフオクに出すか、置いておくか。
内容にはもう何も目新しい事は無いのだが、
パラパラめくっただけでオモロイというのはあるから。
「レイキ癒しのハンドヒーリング」から、「サイババツアー」から、「SPシール」、
おやまあ、「○岡○夫のゆ○ふれんど・○るちゃれんじ」まであるし。
今に繋がる貴重な資料だ。
やはり持っておくべきか。
アノ頃より増して、ニューエイジ、スピリチュアル流行の今だけど、
元ネタは、あらかたこの中にあるような気がするから。

霊感商法や、マルチのポジティブ洗脳の脱カルトに使えないだろうか。
「自分の所だけが唯一絶対の真理」と皆言うけれど、
似たようなことをやってる所が、こんなにゴッチャリありますぜぃ、と見せたりして。
正しい事が混じっているからといって全部が正しいとは限らない、
有名な人の名があるからといって価値が高いとは限らない、
その証拠が“ここ”にある、と示すのに最適な材料かも?

・・・・・・と、こうしてまた、私の部屋に捨てられないガラクタは、溜まっていく。。。

もー、やだなー。
“気”の流れが悪くなるじゃないの!(なんちって)

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

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ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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