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暴発する不満の連鎖

小学校の参観・懇談。

小学校4年生にしては幼く、おしゃべり、立ち歩き、よそ見、手悪さをする子が何人もいて
まともに授業を受ける雰囲気でなかったクラスも、三学期ともなると落ち着いてきた。
今日など皆、ちゃんと席に着いて前を向き、先生の出す問題に答える。
「授業になってるね。見違えた!」
クラスが荒れてるのを心配して何度も普段の授業を見に足を運んでいた保護者が感激して言う。
経験を積んだ担任であることと、
校長先生や生徒指導の先生が特に気にかけてくださっているお陰だろう。
「良かった」と思って授業を見ていると、廊下で3、4人の保護者の話が耳に入った。

乱暴な事をして注意を受けた子のお母さん方なのだろう、指導の仕方が気に喰わないという話題。
なんでも5人ぐらいで悪さをしたらしいのだが、先生は一人ずつ呼んで注意・指導したとか。
「一人ずつ話を聞いても、事情わかるわけないじゃない」
「そうよ。誰だって自分の都合の悪いことは隠すし」
「うちの子なんて『どうして自分だけ怒られるんだ』って腹を立ててたから」
「他の子が次の日に呼ばれたなんて知らないから、そりゃ納得いかないわよね」
「以前もこんなことがあって先生に言ったのに、やり方変えないんだから」
「そういえばこの前もね・・・・・」

他にも次から次へと担任や隣のクラスの担任、校長先生に対しての不満が出てくるので、
私は横で素知らぬ顔で耳をダンボにして
「へー、そんな事があったのかー。そうよね。先生もちゃんと筋を通してくれないとね」
と口には出さないものの、心の中で相槌を打って聞いていた。

それで、てっきり参観の後の懇談でその話が出るものと思っていたら・・・・・、
不満タラタラの人達がみんな、授業を終えた子ども達と一緒にサーッと帰ってしまうってのは、
どういうこと?

結局、残った保護者はいつものメンバー6人ほど。
それぞれの子どもの様子やちょっと気がかりな事など話して終始なごやかな雰囲気に終わる。

ただ、怖いなと思ったのは、やはり気分のアップダウンが激しい子が何人かいて、
人の何気ない言葉に過剰に反応して暴力に訴えることが少なくなったとはいえ、まだあるとのこと。
カッとするとハサミを出して振り回すので、先生が慌てて止めることもあったとか。
彫刻刀も危険なので教室に置かないように授業があるたび毎回持ってきて持って帰らせるらしい。
「絶対に箱から出しちゃダメ」と重々言い聞かせて。
それはそれでゾッとする話ではある。
私が子どもの頃は、低学年でも鉛筆を削るカミソリ(ボンナイフ)が筆箱に入っていたものだ。
皆それでたどたどしく鉛筆を削り、たまに指を切ることはあっても、振り回す子などいなかった。
ましてや、喧嘩でそれを持ち出すなど誰も考えもしなかっただろう。

しかし今は、すぐ暴力、すぐ凶器。
腹を立てる理由は特に何ということもなく、
勘違いであったり、普段なら聞き流すようななんでもない言葉が、
イライラが高まった時には、暴発の引き金になるらしい。
いったい何にイライラするのか、は、わからないが。

不満があるのなら、その不満のある事をどうにかしなきゃいけないと思うのだが。
子どもの問題は、そのまま大人の問題かもしれない。
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アバター3D

話題の「アバター」3D吹き替え版を見に行った。
私が立体映画を見るのは、小学生低学年の頃の東映まんがまつりの「赤影」以来。
あの頃のは紙でできた赤と緑のメガネをかけると白黒でカマとか木とかが飛び出して見えた。
しかし最近のは全然違う。
普通にかけてもただサングラスみたいに薄暗くなるだけで色は変わりない。
偏光方式というらしい。
しっかりカラーで、質感を持った物体がまるで本当に目の前にあるように見える。
最初のシーンでいきなり酔いそうになったが、なんとか持ちこたえた。
普通の映画と違い、なぜか全体を見ることができずメインの物以外の
片隅に動いている物とか、窓の外や背景、小物などに目がいって仕方ない。
情報量がありすぎるから?字幕も読みづらいし。
とかなんとか言いながらも、その奇妙さが面白くて最初から最後までメチャ楽しんだのだが。

ストーリーの方はというと、誰かのブログに「これは宮崎アニメの世界だ」とあったが、
確かに少し「もののけ姫」に少し似てるかもしれない。
だがそこはやはりアメリカ人の作るもの。
「すべては繋がっている」と言いながら肝心な部分ではどうしたって「力の論理」。
善と悪、強者と弱者、支配者と被支配者、愛と憎しみといった二元論から脱却することもない。
そして根底にごく自然に流れる権威主義。
「さすがだな~」と、変な感心をしてしまう。

映画を見終わって外に出ると、現実は意外とのっぺり。
映画の方がよっぽど立体的でリアルに感じたような気がする不思議。
それにしても、やたらと目と脳が疲れている。
目は見たいものに自動的に焦点を合わせるように出来ているのに、
3D映画は、強制的に製作側の見せたい物にピントが合わされていたためか。
新しい刺激に脳は「面白い!」と感じても、目は困っていたようだ。
来年あたり3Dテレビも発売されると聞く。
頻繁に見ていて感覚がおかしくなるなんてことがなきゃいいけど。ヘミシンクCDみたいに。
と、
そんなことをチラッと思う。

おそい光 はやい光?

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基本はスマイル

就職活動の時期。
会社では求人を出していることもあり、時々問い合わせの電話がかかる。
募集している仕事が肉体労働の4Kのため、まず新卒はないものなのだが今年は違う。
コンピュータ専門学校から面接してもらえないだろうかと連絡が来た。
一応、会長が畑違いであることは説明したものの、それでもなんとかと言われるので、
「一度会うだけでも会ってみましょうか」と引き受けたらしい。
午前中、男の子が面接にやって来た。
母親と一緒に。
会社のある場所が田舎の奥の山奥なので
車で送ってもらったとすればおかしな話ではないのだが、面接まで一緒とは。
しかも男の子はスーツだが、母親の方は野良仕事途中のようなオーバーオールのジーンズ。
・・・・・・・・・・、ま、それでも同行する気はなかったものを会長が「お母さんもどうぞ」と
声をかけて引っ張ってきたのかもしれないからと好意的に解釈するとしよう。
しかし、それにしてもあまりにも大人し過ぎるんじゃないかというぐらい静かな二人だった。
話し好きな会長が一人で喋っているような感じ。
小声で何か受け答えしているのかもしれないが、3m離れた所にいる私には何も聞こえない。
これでは、荒くれの男たちばかりの罵声飛び交う工場で働くのはまず無理だ。
長いこと話をしていたが、結局は再度畑違いであること、資格が活かせないのはもったいないこと、
仕事がキツイので余程の覚悟がないと続かないだろうことなどを説明し、終わる。
「せっかくの機会だから、社会見学だと思って自由に工場内を見て行ってください」と会長に言われ
少し見て回ったのだろう、しばらくして男の子が会長にお礼を言いに来た。
「まあ、大変だろうけど頑張って」
会長は励まして、こう言った。
「それからね、これからどんな会社に勤めることになるかわからないけど、
 まず笑顔ということを覚えておいたらいいと思うよ。
 人との関わりが社会なんだからその自覚を持って、いろんな経験を積んでください。
 もしも、どうしてもどこにも行き場がなくて困ったということがあったら、また訪ねてくれていいから」
「はい、ありがとうございます」そう言って少し微笑んだ男の子顔は、
先ほどまでの緊張でこわばっていたのとは随分と違う印象になっていた。
後で聞くと、彼は幼く見えていたが実は4年生大学を出て専門学校に行ったので、もう24歳とのこと。
面接の間中ずっと下を向いていたそうだ。
見送りながら「親がもっと早いうちに手に職を持たせてやっていればよかったのに」と言われるので、
「会長、コンピューターの技術も手に職ですよ」
「あ、そうか」と二人で笑った。
私の作った“成功哲学”のダイジェスト本を渡していたが、あれ、何かの役に立つことがあるのかなぁ?

私には18の頃、初めてバイトをしようと面接に行った玩具屋さんで、
「君、笑うことあるの?」と言われ落とされた経験がある。
その後通りかかると、同じぐらいの年の茶髪ヤンキーがバイトで働いていて、
「どうしてあんな不真面目で馬鹿そうな子が採用されて、私が落ちるの? あの社長、見る目ない!」
ととても腹が立ったものだったが、今はわかる。
見る目はあったよ。
笑顔は、人と関わろうとするなら一番大事なことだからね。

眠れない

何があろうと、どれだけ落ち込もうと、
やらなきゃならない事が山積みであろうと、夜は眠いもの。
頭を枕に着けるかどうかのところでストンと眠りに落ちてしまう。
眠れないなんてことがないのが私の自慢なのだけど、
今夜に限っては、眠れない・・・・。

確かにショックを受けることはあったにしても、
考えても仕方ない事は考えない割り切りの良さが私のモットーだったじゃないか。
出来る限りのことをやる。そのための方法は明日からゆっくり考える時間は有る。
だから頭を空っぽにして、今は寝る。
と、布団にもぐり、実際何も考えてないにも関わらず眠りは訪れない。
次第に心臓の鼓動の響きが高くなるばかり。

「心への衝撃はボディブローのように、後から内臓に響いてくる」
何かで読んだか聞いたかしたのだろうか、こんなフレーズがふと浮かぶ。
お気楽だよな。
悲しさも憤りも動揺も不思議なほど感じない冷たい心が何を言う。

眠れない。
わけがわからない。なぜ眠れないのか。
泣けばよかったのか。
どうにもならないことを。

薄っすらとしたまどろみの中それでも時だけが過ぎ、
やがて朝。
いつもと変わらない穏やかな一日のはじまり。

ある日常

朝、池田教とは反対のお隣さんから電話がかかった。
この方は広島市内に住居を持ち、隣は別荘として使っている。
住んでいないため自治会には入っていないが、
庭の手入れをしている時などたまに顔を見て挨拶を交わす程度の付き合い。
電話は奥さんからで、旦那さんが行っているはずなのだけど携帯に繋がらないので、
いるかどうか見てくれないかとのこと。
こんな電話はこれまでも何度かかかったことがあり「またか」という感じ。
窓から見ると車が停まっているから、こちらにいる事はいるようだ。
玄関先まで行き呼び鈴を鳴らすが応答がない。寝ているのか、散歩にでも出ているのか。
そんな話をして電話を切った。

しばらくして子ども会の回覧板を次の人に回しに行き戻ってくると、
お隣の奥さんと娘さんがタクシーに乗って丁度着いたところだった。
開かれたドアの中、玄関口には靴が一足そろえてある。
私はそのままカーポートで洗車。
お隣からは二人が中に呼びかけながら探す声が聞こえる。
奥の部屋、そして階段を上がり「おとーさん、おとーさん?」。
そして、
「ああー、お父さん、死んでるー!」

隣のご主人がこちらに来たのは12日のことだったそうだ。
電話が繋がらなくなったのは14日。
何度も電話して、そしてとうとう今朝、電源が切れたということで心配で来てみたら、
彼は食事途中、携帯を片手に握ったまま冷たくなっていたとのこと。
「気分が悪くなって連絡しようとしたのかねぇ・・・」
検死や葬儀の手配のことなどは自宅の方のご近所さんに相談するとかで、
夕方には誰もいなくなって、車も消えていた。

「死」はいつも思いがけずあっけない。

ご近所付き合いの嘘とマコト

昨日、夕食の仕度をしているとお隣さんが訪ねてきた。
「お願いがあるんだけど」
と切り出してきたのは、池田教新聞の簡易版みたいなものを取ってくれないかという頼み。
「3月から3ヶ月間、無料なので」と言うので、
無料なら」ということでOKした。
ウザいことはウザいけど、ご近所だからむげに断れない。
駅前で配られるチラシをバイトの娘が少しでも助かるからという理由で
受け取ってあげるのと同じぐらいの善行だと、そこは割り切る。
夜、ご飯を食べながら夫にその話をすると、
「ゴミになるから要りません と言えばよかったのに」と笑う。
それが言えればねぇ。

しょうがないから新聞が入ってくる間は、
ここで記事に突っ込み(難癖とも言う)でもして、遊ぼうかね。
お得意の「批判者には仏罰が下るぞ!」みたいな過激な表現を期待。
昔々、ご本尊を踏みつけたことのある私には、何も怖いものはない。
が、
キチガイカルトの実行部隊は冗談抜きで危険なので、コッソリね。

禅と「声を届ける」

「おはようございます」休み明けの朝、会社で会長に挨拶をすると、
「お、声が普通だね」と言われた。

前回の武禅から帰ってきたときには、三日ぐらい酷いしゃがれ声だったので
今回もそうなるものと思われていたよう。
「ええ、あまり大きな声は出しませんでしたので。その時によってやる事は変わるんですよ」

どんなことをするのか聞かれ、ざっと大まかに説明。
ここの事務所はミュージックオフィスも兼ねていて、
会長は作詞家でもあり、作曲家でもあり、歌手でもあり、カラオケ教室の先生でもあるので、
特に“声を届ける”についてを詳しく話してみる。
「相手に音ではなくて本当に声が届いているかということをやったりするんです」

「それは歌と同じように、気持ちや感情といった心を相手に伝えるような練習?」
「いいえ。気持ちではなくて、声です。だから意味のない言葉を使います」
発声をせずにとか、耳をふさいでいる相手に対してとか、
刀を持っている相手に日野先生が「エイッ」と言うと斬りかかれないし、
横で見ている人間にもその声が届くのがはっきり見えるといった話を会長は興味津々で聞いてくれる。
調子に乗って私はどこまでも喋くり倒す。応接椅子に座り込んでコーヒー飲みながら延々と。(笑)

そして話は私自身のやりがちな失敗とかまで及んだ。
「・・・・という感じで、私は単に声を届ければいいだけなのに、
 つい『頑張る私をわかってー!』みたいな気持ちを変に人に伝えてしまうんです。
 何回やっても直んなくって、どうしたら直るか考えると余計に変になるし、
 工夫も何もしないで続けてももちろん変わらないですし、そこが難しいところです」

すると会長、急に「初詣で福井県の永平寺という禅寺に行ったのだけど」と話し始めた。
禅寺では、お経を詠んだり座禅をしたりだけでなく、
それぞれのお坊さんが一日中、お寺の中の自分の仕事をしているのだそうだ。
廊下を磨くもの、お堂を掃除するもの、庭を掃くもの、食事の仕度をするもの、と。
その作業の中で悟りを得ることが目的なのだけれど“悟りを得よう”と思っていると得られない。
「『自分ではなく、人のために』となった時に初めて悟るらしいんだね。それと同じじゃないかな」

おおおっとぉ。その通り。。。恐れ入りました。
やっぱりわかる人にはわかるんだ。

なんか、嬉しい。

終わりの日は見えないから

もしも

家族が深刻な病気になったとして
残された命を
病院のベッドの上で薬漬けで生きる8年と
動けて食べれて笑える4年とだったら
どっちを選ぶ?

わたしなら、笑える4年


   絶対にその時死ぬと決まっているのなら4年だけれど・・・・
   もし5年目に新しい治療法が見つかったら
   残された人間は堪らない
   8年目に見つかったとしても
   治るのなら苦しい闘病の時間も納得できる

   ぼくなら、わずかでも可能性が望める8年


薬の副作用で全身の器官が痛んでしまってからでは
治療をしても別の原因で無駄になるかもしれないよ

   そうならないかもしれない
   結果はわからない
   治療をあきらめて死を迎えた次の日に治る病になったら
   悔やんでも悔やみきれない

ひたすら苦しみ続けるだけの日々を過ごさせるだけになったとしたら
悔やんでも悔やみきれない


生きる日々をどう過ごさせてあげたい?

どう生きたい?

あなたは わたしは

世界は広い、人は深い

ワークショップの打ち上げには31人が参加。
一昨年も打ち上げをしたL字型の座敷のある料亭。
先生を囲んで、あるいは参加者同士が話をする中で、それぞれの人の
それぞれの持っている課題への取組みをうかがい知ることが出来るのがこういった交流の良さ。
私はたまたま先生のアシスタントで来られた佐藤健太郎さんの近くに座ったので、
彼のこれまで歩んできた道や先生との出会い、体験されたことなどを聞くことができた。
ダンスと写真をやっている参加者の女性が食い入るようなまなざしで質問をしては、
自分の抱える問題と照らし合わせてどうなのかを考える。
ある程度有名で本も売れて成功していたギタリストが、「これまでのものを全部捨てる」と
静かな決意を燃やしている。
皆、すごい。
「知ったことが幸せかどうかはわからないですよ。ここからは地獄の道です」と佐藤さん。

遠距離から来た人達が帰って人数が半分以下になったところで一つのテーブルに集まる。
先生の海外ワークショップでの出来事や、若い頃フランスで武者修行をした時の話、
今のダンス界をひっくり返そうといった話で盛り上がり、最終的には、
「自分で自分にどれだけ突っ込みを入れ続けることができるかや」に結びつく。

打ち上げが終わったのが11時頃。
千葉から参加した武禅仲間は私と同じくもう一泊するというので
「後で飲みに行こう」と話をしていたのだが、2次会があるということでご一緒させていただいた。
連れて行ってもらったのは、
全国のバーテンダーのコンクールで優勝したマスターの「SAMSARA」という店。
白のバーコートを着た陣内孝則に似たカッコいいマスターが
スマートな身のこなしでシェーカーを振るうカクテルはどれも美味しい。
作れるカクテルの種類はなんと2000種類以上。新しいカクテルも次々に取り入れておられるとか。
お客の動向をよく見ていてタイミングよく注文を聞き、酒を運び、急に会話を振られても
多少のウイットを交えて軽くパスを返してくれる。
そんなマスターの穏やかで洗練された大人のムードが店全体の色として居心地の良い空間を作る。
さすがプロ中のプロ。

ワークショップ主催者の香月さんの知人である
「倉敷名物ぶっかけうどん」の古市社長という方がこれまたとても面白い人物だった。
朗らかで見識が広く、サービス精神の塊のような方なのだ。
場を盛り上げるように楽しい話題を次々に繰り出してこられる上に、
細やかな気配りがあまりにも自然。
当然のことながら先生との会話も弾み、いろいろな興味深い話がポンポン出てくる。
この方は歌手になりたかったそうでCDも出しておられ、
その話題が出た途端、マスターの機転でその曲が流れはじめる。
歌声も本人そのまま、朗らかで伸びやかに広がる澄んだ声。
そしてなんと、最後にはアカペラで「もののけ姫」の歌を披露してくださるまでに。
それに合わせて踊る「きび団子シスターズ(日野先生命名)」の
ジャズダンス風味の香月さんとバレエ風味の岡田さん(公演出演者)。
とてつもなく贅沢な時間だった。

悔やまれるのは、古市社長が「誰か司会してくれない?」と振られた時に
即座に立つことができなかったこと。
こういう所が何をやらせてもダメダメな私の特に致命的にダメな所。
折角の「全員で楽しい場を作ろうよ」との誘いだったのに、
「何を言えばいいんだろう・・・」と考えてしまって動けないとは、ああ、勿体ない。
その上私ときたら、このミッシリと密度の濃い時間に、
美味しいお酒にすっかり酔ってしまってフラフラになってしまっていたし。
大きくて豊かな人達に比べて、なんと私は小さなスカスカな人間なんだろう。
圧倒的に経験が足りない。
意思が足りない。
パワーが足りない。
そして、感じる心が全然足りない。
自分の作った妄想のフィルターを通した狭い世界しか見ようとしなかったから。

世界は広い。
そしてこんなにも大きくて深い人達がいる。
少しでもこの人達に近付くことを目標に、私は私の場所でやるべきことをやる。

一転、雪景色

昨日は昼の日差しが温かく感じられたぐらいだったのに、今朝は一転、雪景色。
夜のうちに静かに降り積もっていた。
少し早めに家を出ようとしていた所に会社から電話。
会社のあるあたりは雪がひどくて車では上がってこれないので下の空き地に車を置いてくれとのこと。
慎重に運転して空き地までたどりつき、山道を歩いて上がっていると、
上から営業の人が降りてきて「途中から滑って危ないから端を歩いた方がいいよ」と教えてくれた。
そこから少し行くとフロントローダーで雪かきをしていたので
「どうしてもトラックで出入りはしなくちゃいけないから道を整えるのも大変だな」
と思いながら通り過ぎ、カーブを曲がったところで路肩の溝に頭から突っ込んでいるトラック発見。
雪道用タイヤをはいてチェーンも装着しているのにも関わらず、派手にスリップしてしまったよう。
スリップしたトラック
運転手たちが途方にくれたように立っていて、私に「危ないから雪がある所を歩いて」と言ってくれる。
とはいっても道路の端はトラックが遮っているのでその横を通ろうとしたところ、
ツルッと足を持って行かれる。
「おっと」と踏ん張ったものの、どうにも身動きが取れない。
見るとそこから先、除雪したところはツルツルピカピカに光沢さえ放って、まるでスケートリンク。
そりゃ滑るわ。
トラックにしがみついて通り抜け、雪を踏みしめなんとか事務所到着。
会長の奥さんは、向かいの事務所から道を渡ろうとして滑って転倒したと痛そうにしていた。
「こんなんだったら、まだ除雪せん方が良かったわ」
何でこんなことになったのだろうと不思議に思っていたら、その原因がわかった。
除雪に不慣れな若者に重機を使わせたからだった。
雪かきは、地面からえぐるように持って行かないと行けないのに、
彼はとにかく雪を除ければいいとしか思わず、上滑りさせながら押していったらしい。
そのため、きれいに押し固めたアイスバーンを作ってしまった。
しばらくして下から営業の人が塩化カリウムを持ってきて雪を溶かしてくれたので
トラックは出入りできるようになったが、つくづく田舎の冬は舐めちゃいけないと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
事務所では、急激な寒気の流れ込みによる全国的な大雪になったということで、
「地球温暖化だから、気候が変だ」と皆が話をしていた。
何年か前は、「異常気象で年々雪が少なくなってきているから水不足になる」
「このままではスキー場がなくなる」と騒いでいたような気がするのだけれど。あれは夢か幻か。

薔薇ノ木ニ薔薇ノ花咲く、冬ノ日ニ雪ノ舞ヒ散ル、ナニゴトノ不思議ナケレド。

岡山ワークショップvol.3 3日目

「最後の身体塾、質問は?」と始まった。
質問しようにも何を質問したらいいかもわからないぐらい混乱するのが日野ワークショップ。
わからないことは聞いて答えをもらったとしてもわからない。
だから、いくつか質問が出ることは出ても、
「これがわからないのですが」 「わかるまでやってください」、
「これが出来ないのですが」 「出来るようになってください」、のように返される。
「やったらわかる」とは何ともあっさりした突き放した答え方のようだが、
誰かの代わりにしてあげることはできないのだから、結局は自分が見つける他ない。
自分の問題を他人に答えてもらっても、それはその人の答えであって自分のではない。
答えを見つけて初めて「これはどうなのか」と本当に身のある質問ができるのだとのこと。
「質問は?」
「・・・・・・」
「それでは始めます」

胸骨運動の後、足のねじれをする。
いつものことながら、先生の模範を見て簡単そうに思ってもいざ自分がやってみるとまったく違うものになる。
昨日やった腕より足は更に感じにくい。
ペアで一人が足首を持って腰まで緊張が来るようにねじっていく。
そのねじれを腰、ひざ、足首と順番にできるだけ細かく感じながら自然に返していくだけのこと。
それができない。
もちろん形をらしく動かすことは簡単で、似たようなことはできる。
しかし「動かしてはいけない、動くのだ」ということになると、アレ?アレ?
ぎこちなくなるか、わざとらしい振り付けになってしまう。
「自分で動かすな」「ゆるめろ」と言われても、どうやって?
それくらい自分で自分の身体をわかっていないことを再認識。
何度かやったはずだけど、そのたびに毎回再認識。進歩ない・・・。

次に、前日やった二人で腕を持って連動して寝転んだり起き上がったりを交互にする動きをした。
手からちゃんと相手を感じて正面を合わせたまま二人で共に動く時、何も考えなくても
スムーズに軽やかな足運びになるのであろうことも、先生とSさんのお手本を見るとわかるのだが、
自分がやるとなるとぜんぜん。半端ないほどの問題点がてんこ盛り。
まず、目で見た情報が整理されていない。正面が合ってない。人に触れていない。感じていない。
一人で、動こうとしている。相手に伝えていない。全身がバラバラ。。。ああ。。。

表現塾では、相手と正面を合わせて自然に誘導するということをした。
「どうぞ」だと難しいので、手で演奏をはじめる時の指揮者のような仕草をして相手の顔を上げさせる。
二人組で、また、1対3人で。
面白かったのは、誰かの「これは目の見えない人にでもできますか」という質問に先生が答えたとき。
参加者の一人に目をつぶって立たせて、開いた両手を下から上げると、
それに見事にぴったりと連動して顔が上がった。
全員「おおー!」
相手になった参加者には、「どうして?」「何か感じたの?」と質問が飛ぶが、
「さあ、何でかわからない」「とくに感じなかった」ということで本人が一番驚いて鳥肌を立てていた。

二人ペアで手のひらを合わせて水平に動かす稽古では、また10人グループでジャッジ。
二人で動いているか、動かされる方が美しく見えるように動かしているか。
「違います」「一人で動いています」厳しいダメ出しが飛ぶ。
先生とSさんの実演と比較すれば、一目瞭然。
他人がやると、繋がっていないし、勝手に動いていることや観客に見せることを考えていないなど見えるが、
いざ自分たちがやる時にも同じことをしているのが悔しい。
「つもり」はどこまでいっても「つもり」。

私は舞台に上がって人に見せる立場ではないので、出来なくて困るということはあまりないだろうが、
せめて見る目は養いたいと思う。
最後に「Real Contact 2010」のメンバーの人たちによる短い演舞。
作りものでない本物の動きはやはり美しく、エネルギッシュだ。
比較をする基準のレベルは高い程いい。もっともっと見たいと思う。


岡山は3回目ということもあり、前回組んだことのある人や見覚えのある人が何人かいて、
回を重ねるごとに親しみが増してくる。
中には、「二人組」と指示が出た途端、走ってきて
「今日はどうしてもあなたと組みたかったの」と言ってくれる人もいた。
嬉しい反面、心苦しい。
私はぜんぜん何にもできてないし的確なアドバイスもしてあげられないのにすごく悪いことした気分。
「だったら出来るようになったらええんや」とどこかから声が聞こえてきそうではあるが。
少しでもマシな人間にならなくてはというモチベーションを高めてくれる人のいる有難さ。
岡山の皆さん、どうもありがとうございました。
また来年。

だけどその前に、2月28日にも。

岡山ワークショップvol.3 2日目

身体塾では、ねじれをやった。
ペアを組んで一人の腕をねじって、肩、ひじ、手首と戻していく。
先生がやると手首をひねって持っている相手がコロリと吹っ飛ぶ。
連動させるためにはねじれをしっかり感じる必要があるため、痛いぐらいにやるのがポイント。
しかし、私がペアを組んだ女性は、私がいくらねじっても「痛くない」と言うので困った。
「これでも? これでも?」
筋を痛めるんじゃないかと心配ながら力を強めるが、腕の皮膚は痛くても、肩まで痛みが来ないという。
彼女は今日初参加で、胸骨運動の時、やはり背中が動かなかったので
「肩こり?」と聞いたら「そうです」と答えた人。
「胸骨運動をやったら肩こり治るよ。腰痛も」と言うと、
「あ、私腰痛もひどいんです。悩んでたので嬉しい!」と喜んでいた。
そんなふうに肩こりがひどい人だから、肩をねじられても痛みを感じないのだろうか。
肩がガチガチに固まっているので神経が麻痺してる?
私の力が弱いのだろうかと他の人にもやってみてもらったが、肩はしっかりねじれている。
これ以上やって折れたらどうしよう。
ちょっと怖くなって先生に相談。
先生がねじってもやはり彼女は「痛くない」らしい。
「これが痛くない? じゃ、これは?」先生がボゴンと肩を殴ると
「痛いです」と答える。麻痺してるということはなさそうだ。
「痛いやろ?痛いんやでほんまは。
 なんや知らんが頭でゴチャゴチャ考えとるから痛みがわからんのや」と先生。
どうも彼女はこんなふうに痛くないといけないという感覚をあらかじめ決めてしまったため、
想像以外のものをシャットアウトしてしまっているらしい。
「な、このねじられて肩に感じる“これ”が、“痛い”やで」
「ああ、これなんですか。はい。わかりました」ちゃんと感じていたのだった。
あとで聞くと彼女は、テレビドラマで犯人が刑事に腕をねじられて「イテテテテ」とよくやるので、
あんなになるくらい痛くないといけないと思っていたらしい。
人は頭で感覚のイメージを作ってしまうと、現実の感覚を消してしまう。
これは私が武禅の三回目に正面の感覚を一切感じられなくなってしまった時に実感している。
脳は、本当にややこしいことをしてくれるものだ。
彼女の肩コリは、先生にねじられて叩かれた側がスッキリと軽くなったという。

他に、羽交い絞めから胸骨を動かして脱出や、座って胸骨と肘を連動させるという運動、
背骨のラインを床で確認するといったことをした後、質問タイム。
そこでは、前に先生が胸骨動かしは1日1万回を3年以上やってわかるものだと言った事を受けて、
「胸骨動かし1万回を3年やったら確実に身体の事がわかるようになりますか。何かできるようになりますか」
という質問が出た。
「できません」先生は即答。
「何をしたいという事があるのですか。胸が動くようになってもそれだけでは意味のないことです」
それはそうだ。

表現塾ではペアで腕を持って違和感なく片方が立ち上がる稽古や、「歩く」ということをした。
歩くといってもただ歩くのではなく、
正面を合わせたまま歩いてくる人が本当に自分に向かってくるのかというもの。
本人たちができていると思っても、それが本当にそうなのかは人に見てもらう必要がある。
そこで10人ぐらいのグループになって、二人ずつ観客の前で見せることになった。
用意ができたら、誰かがパンと手を打って合図。演技者は近づいて正面ガッチリ。
観客は「できてます ○」「違います ×」とジャッジ。それを次々とやる。
しかし、やってもやっても「×」ばかり。
先生は「観客にどう見えるかやぞ。考えろ」「ややこしいこと考えるからできんのや」。
じゃあどうしたら。ああしたら。こうしたら。
と、考えすぎてできないのはわかってても、何もしなくてもやはりできない。
完全に煮詰まったところで「10分間、作戦タイム」。
「もっと手前から出て行って出会うという形は?」「全身を使うといいんじゃない?」
思いついたものは何でも試してみる。
誰かが「エネルギーを強めるためにじゃんけんしたら?」という案を出した。
それ面白そうかもということで、私とOさんがやることに。
手前から相手を見ながら出て向きを変え近づき、互いが出会ったところで「ジャンケン!」でストップ。
何をやるかはっきりしていると迷わない。
適当な打ち合わせで一発勝負なので、私はこれまでになく相手を見ていたと私は後で思う。
そして、二人とも必死になると目を剥く癖が共通しているのが可笑しかったのだろう、
観客たちにはウケて、何人かが「○」。
たぶん目的からは外れているとは思うが、少しは近い部分もあった、かな?


帰り道、別のグループだった義光さんは、このジャッジについて腹を立てていた。
「できている」か「違う」かを判定するだけでいいはずなのに、
彼のグループでは「私にはどう見えた」という解説を言いたがる人が何人かいて、
批評合戦になってしまったということだ。
それぞれが勝手に自分の感想を言葉で説明したりアドバイスしても混乱していくばかり。
それは日野先生がやれと言われたこととは違うのではないかと思いはするが、
まだ何もできていない自分には、そう強く言い切ることもできないのが悔しかったらしい。
「僕、出来るようになりたいッスよ。わかるようになりたいッスよ。
 絶対にやってやる。悔しい。自分が悔しい!」と憤る。
私はこれはこれで彼はいい経験をしたと思う。
「だからどうする」につながるのなら。

岡山ワークショップvol.3 1日目

11時スタート。
初参加の人が多いので、まず日野ワークショップ狙いをざっくりと先生が話される。
人の身体は天才だけれども、それを邪魔するのが頭。
人の身体を知って自由に動けるように、
無理をかけず傷めない使い方をできるようならなくてはといったことを。

身体塾は、まずお辞儀から。
起きて正座に戻ったら、重心を移動せずに胸を引き上げて立つ。
この時、胸骨がポイント。ということで、胸骨運動に入る。
ペアになって、正中線と乳首のラインが交わる1点を押してもらい、
そこを押し返すように、グーーッと胸骨を前に突き出す。
そして今度は、グーーッと後ろに。
初めて参加の人は、ダンスをやっている身体の柔軟な人でも胸は硬い。
板のようだから、胸よりも腹が出る。
同じく後ろに下げる時も肩が前に行く。腰の位置と背中が固定されてまっすぐなまま。
普通と何も変わってないように見えるけれど「精一杯」のようで辛そう。
胸と背中がバリバリに硬いと、いくら動いても棒人形のようで身体全体に生気が感じられない。
私が組んだ人にも「コリひどいでしょ」と聞くと、「そうなんですよ」と返ってきた。
ダンスをやっているそうだが。
しかしそれは今までやったことがないからで、
何度もやっているうちに、次第にほぐれてきて少しずつ背中が後ろに出るようになってくる。
ほんの何十分かの間に、最初に「もう限界」と言っていた所などすぐ超える。
身体は甘やかせていてはダメ、と先生。

寝ころんで床に接する1点をたどって背骨のラインを感じる稽古でも皆、悪戦苦闘。
先生がやすやすとやって見せてはくれても、自分がやると難しさがわかる。
なにしろ感覚がとてもアバウトなのでポイントをたどれているのかが自分で怪しい。
先生の「できるという人」の声で手を挙げた人もいたが、他から見たらそうはなっていない。
自分の身体がどうなっているか自分のことなのにわからない。
そして人は案外、人がどう動いているかを見ているようで見ていない。
ということをやればやるほど思い知る時間。
ワークショップ1

表現塾も、はじめに何を目的としているかを先生がお話された。
自分が思っている自分と、他人から見える自分は違う。見て欲しいように人は見てはくれない。
それは夢と現実を混同しているからであって、やはりここでも頭が邪魔をする。
ダンサーや役者といった人だけでなく、誰もが社会で人と関わりあって生きているのだから
コミュニケーションがスムーズにいくことは、よりよい人生を送れることでもある。

最初に基本の正面向かいあいから。
目で見たところではなく、向かい合って正中線のどこかで何か感じる所が正面。
いつも通り、ざっくりとした説明のみ。
やってみなければわからないものは、極力余計な情報で惑わせない。
感じ方が弱いようなので、負けた方が叩くジャンケン。
エネルギーが高まってくると格段にわかりやすくなる。

声を届けるでは、今回使った言葉は「東京特許許可局」。意味のないものがいいらしい。
女性と組んで互いに「とうきょうとっきょきょかきょく!」。
初めての人は声を出し慣れてないので、声が小さい。
もっともっととやるうちに声は大きくなってくるが、「声を出さずに」と指示が出ると???。

音を発さなくても、声は届くということの実例で日野先生と和子先生が真剣向かい合いを見せてくださる。
刀を構えて切りかかる和子先生に、日野先生が「エイッ!」と声を飛ばすと動けない。
そして、次に「エイッ!」を発声せずに。
それでも相手に届いていることがはっきりわかる。

声を出さずに言う「とうきょうとっきょきょかきょく」を耳を塞いで聞く。
声が出せないハンデ、聞こうとしない姿勢の相手というハンデ、
それを伝えようとするのだから、もっと工夫しろと先生は言われるが、どうやって?

とにかく私は、出るものが弱いので「強く、もっと前に、もっと私に」と相手にアドバイスする。
そして私が声を届ける側の時、その「強く、前に、相手に」をやって見せようとしてしまったらしい。
初めて参加の女性が言う。
「ぽあんさんのは、すごく勢いはあるんですけど・・・何というか私を通り過ぎてる気がします。
 こう、ボワッと広がってるような」
「全身を使って伝えようとしてくれて、頑張ってる感じはとても伝わってきます」
「気持はすごくわかるんですが、声が聞こえるかということでいえば、届いていません。
 私の聞き方が悪いのかな。すみません・・・」
いいえ、あなたは悪くない。まさにその通り。
いつもいつも指摘される私の癖。バッチリ。
声を届ければいいだけなのに、どうして私は“声を届けようとしている私”を届けてしまうのか。
「私がこんなに頑張ってるのに、わかってよ!」との悲壮感をもって
過剰な演技で相手に気持ちを押しつけるのをやってしまっては、初対面の人にさえアッサリ見破られる。
アホだなぁ。

休憩時間に武禅の仲間に「まーた、やっちまったよ~」と話すと、大爆笑された。

岡山へ

朝7時に家を出て、義光さんと岡山に向かう。
道中、ずっと日野先生のこと、武禅のこと等で話は尽きない。

「よく私が武禅やワークショップに行くと話をすると、
 『それが何の役に立つの?』『何ができるようになった?』と聞かれるけれど、
 特に何の役に立つってもんでもないし、何もできるようにはならないんだよね。
 だから、なぜ行くのかを言葉で説明して理解してもらうのは難しい」
ということを言ったら、

「それわかる気がします。
 僕は登山が好きですけど、なぜ登るのかと問われたら答えはないかもしれない。
 きれいな景色が見たいでもない、いい空気でもない、おいしい弁当が食べたいでもない、
 鍛えるでもなく、先に何かの情報を得て期待して行くとそれほどでもない時も多い。
 でも、行かなきゃよかったと思うことはないし、ただ行きたいから行く。
 それに近いんじゃないですか?」
と義光さん。

そうかもしれない。
し、少し違うかもしれない。

ただひとつ確かなのは、行って実際に体験してみないことには始まらないということ。

日野晃ワークショップが他のセミナーやレッスンと違うのは、技術を教えてくれるわけではないという所。
資格的なノウハウや、すぐに実用できるテクニックを身につけようと行ってガッカリする人もいるのか、
集まる人数は毎回さほど増えてはいないようなのに、新しい人が多い。
「これは自分にとって必要だ!」と感じて食らいつくダンサーや役者、スポーツマンは、
メキメキと実力を付けていくというのに不思議なことではある。
この差は何だろう。

夢を見続けたいか、現実に生きるかの違いかな。
「考えるな、感じるんだ!」という感じ。

ダンサーでもアスリートでもない普通の主婦の私にも、もちろん必要だ。

明日から「日野晃ワークショップ in OKAYAMA」

明日から三日間、岡山ワークショップ。
Real Contact In OKAYAMA VOL.3

今回私は、かねてから「一度、日野晃という人と実際に会ってみたい」と熱望していて、
ようやくまとまった休みを取ることができた義光さんと一緒に車で向かう。

2月28日と3月4日に公演をひかえた「Real Contact 2010」のメンバーも参加すると聞くし、
これまで以上の熱さと深さが体感できること間違いなし。

岡山に集まる皆さん、よろしくお願いします。

ワークショップレポートもお楽しみに!! 
もちろんぽあん流、主観と独断と偏見バリバリのものになる予定です。(笑)

岡山ワークショップ表 岡山ワークショップ裏

1月の猫

第82回「武禅一の行」14─千年の孤独が教えてくれた事

武禅の最終日、最後のセクションでこの三日間の集大成が試される。

一人を残し全員が後ろを向いて座り、その一人が少し離れた所から誰かに狙いを定めて「オイッ!」。
全身全霊を込めて声を届ける。
そして狙った人だけが「自分が呼ばれた」と感じて手を挙げたらOK。
その人が手を挙げても、違う人も手を挙げてたらダメ。
わかり難い人もいるので、ターゲットは次々に変えてもいい。
だから声が遠いと油断してたら自分に来てるということもある。
声を届ける方も、声を受ける方も、神経を研ぎ澄ませて向かい合う張り詰めた時間。
武禅最大の難関。

もう何度もやっているのに、私はこの意味がこれまで何もわかっていなかったと知る事になった。

声を届ける、伝える、触れる、やってるつもりでやってない。やってないことすら気づいていない。
そんな段階では、これはただの「当てもの」にしかすぎない。
当たったか、外れたか。
自分が上手く出来たか出来なかったかだけが問題なのなら、そこに他の人間がいる意味は無い。

武禅は、ゲームの腕を磨くためのものでも、物を動かす超能力を身につけるためのものでもない。
これまでの稽古で何をやってきたかを考えれば至極当然なのだが、
どうも私は目的をはきちがえていたようなのだ。
「私が」成功しなくてはいけないのだと。

前々回、私の「オイッ!」が一回で届いたということがあった。
それは本当に集中できてスコーンと気持ちよく声が前に飛んでいった感覚があったので、
相手が手を挙げてくれた時、「やった~!」と私は飛び上がって喜んだものだった。
しかし、先生はなぜか苦々しい顔。
後日レポートが届いて、その理由を知った。
そこにはこう書かれてあった。
「なぜ、そこで受けてくれた人に『ありがとう』がなかったのですか」
これは、痛い。痛すぎる。。。

そういった反省も踏まえての今回。
さあ、届かせるぞ!と気合を入れて、「オイッ」
ダメだ。届かない。
もう一度、「オイッ」しまった広がった。
狙いを定めて、「オイッ」
あの人に、「オイッ」・・・次はこの人に、「オイッ」
気持ちを落ち着けて、「オイッ」・・・集中して~、「オイッ」
「オイッ」・・・・「オイッ」・・・「オイッ」・・・・

やれどもやれども、まったくの空振り。狙った人じゃない人ばかりが手を挙げる。
一度に何人かが挙げるか、まったく誰も反応なしか。
「オイッ!」・・・・「オイッ!!」・・・「オイッ!!!」
祈るような気持ちで続けるが変わらない。もう何十分、やっているだろうか。
こんなことは初めてだった。
今回、私の前までは皆スムーズに何度かですぐ交代と流れていたのに、なぜ急に?
焦っても、頑張っても、どうしても狙った人に届かない。

やがて声も嗄れてくるけれど、それよりなによりこれほど長い時間我慢して、
一所懸命に私の声を聞こうとしてくれている皆に悪いという思いで一杯になる。
私が「オイッ」と言うたびに、狙った人でなくても誰かが「自分ではないか」と手を挙げてくれる。
挙げない人も、間違って邪魔をしないようにと慎重に集中して聞き分けようとしてくれている。
全員が、私の声をじっと待って。
その有難さ。
そして、ようやく一人の人が手を挙げて終わることができた時、
皆の暖かい拍手の中、達成感や嬉しさよりもただただ感謝の気持ちで溢れていた。

「ありがとう」が心の底から湧き上がって来るのがこれほどまでに満ち足りたものだとは。
なぜ私は気づかずにいたのだろう。
本当に見たら、聞いたら、やったら感じることだったのに。

出来ない事が出来るようになるために稽古をしてる。
それはもちろんそうなのだけれど、簡単にいったのでは決して気づけなかったことが、
上手くいかない苦しさの中でクリアになってくることもある。

一人、いくら呼んでも呼んでも相手には届かない辛さ。
これは何も私だけが味わったものではなく、武禅の常連であれば誰もが一度は経験している事らしい。
誰が名づけたか、「千年の孤独」と言うのだとか。
あの時間の永さ、あの寂しさを端的に表したピッタリのネーミングだと思う。

「千年の孤独」も、決して独りでは知ることはできなかったという幸せ。

第82回「武禅一の行」13─寝てはいけない?

武禅では、朝食後は稽古開始の時刻までコーヒータイムがある。

最終日、食器を片付けがてら、ホームベーカリーの話題でキッチンでしばし雑談の後、
香りの良いシナモンティーを飲もうと皆が集まっている大座卓に付くと、なんだか沈んだ雰囲気に。
それまでの話を聞いていなかった私はキョロキョロ。「何?どうしたの?」
皆の目線の先には、先生とその隣に20歳の女子大生。
先生は難しい顔をされていて、彼女の方は泣いている。
・・・・・・・・・・・・・・んんんん???? 何か、怒られるようなことがあった?

しばし重い沈黙が続いた後、涙をしゃくりあげながら女子大生が口を開いた。

「あの・・・・、皆さん・・・・」

先生にではなく、私たちに?

「昨夜は、皆さんにご挨拶もせずに一人で自分勝手に寝てしまって、どうもすみませんでした。
 何も考えずに、疲れて眠くなって寝てしまいましたが、それが自分勝手だということを
 今、先生から教えていただくまで気付きもしていませんでした。
 皆さんとこうして会ってお話をできる機会を無駄にしてしまって、とても後悔しています」

と謝られて、驚く。
えー、武禅の夜って、先に寝ちゃいけなかったのー? と。

これまでの武禅でも先に寝てしまう人はいた。
しかし、それで叱られたなどといった話は一度も聞いたことが無かったからだ。
武禅は武道とはいっても、根性を鍛えるとかいった系のいわゆる「地獄の特訓」とは違う。
生理現象は仕方のないものだから、稽古中でもトイレに行きたかったら行っていいし、
気分が悪くなったら休憩してもいい。外の空気を吸いたかったら出てもいい。
当然、普段エネルギーを出しなれてない人がクタクタに疲れて夜早めに眠ってしまったって、
別に責められるようなものではないはずだ。
武道合宿では、皆が話をしている時に寝る人はライターで焙られたりもするらしいが、
それでもS(runumo)さんが舟をこいでなかった時はないとも聞く。
「寝てはいけない」なんて決まりはない。
でも、先生は注意をされた。一体、何を?

女子大生は泣きながら更に

「先生も皆さんもずっと起きてこの二度とない場を大切にしようとされて、私を待っててくれたのに、
 私はそんな気持ちも知らずに寝てて、恥ずかしいです。すみません・・・」

と謝り続けるのだが、
皆、それにどう答えたらいいのかわからない。黙って見てるしかない状態。

だって、ぜんぜん彼女は私たちに悪いことなどしてはいないのだから。
誰も彼女が寝たことで気を悪くしたり怒ったりしている人はいない。「気にしないで」と言ってあげるべき?
困ってしまって、“どうしましょう?”の目で先生を見ると、
意外なことに、怒っているとばかり思ってた先生の表情は和らいでいて、“ええんや”と目で返される。
よくわからないけど、これでいいらしい。

彼女が思っていること、言いたい事をひとしきり話し終えるまで誰も何も言わずに黙って聞き、
しばらくして先生が静かに話し出された。

「何も謝ることはない。また、謝ってすむようなことでもない。謝ったら許されると思うのも間違いや。
 それに、ほんまに謝ることはないんやで。
 ○○さんが居ようと居まいと、稽古しようとすまいと、他の人には何の関係もないことや。どうでもいい。
 それよりこの最後の日の朝、これからラストまで気持ちを盛り上げて頑張ろうと思うとった皆の雰囲気を
 あんたは壊したんやで。これ、どないすんのや!」

さっき見た優しい眼差しは見間違えだったのだろうか。キツイ言葉。厳しすぎて身震いする。

ますます追い込まれた彼女が何を言うのかと思ったら、

「・・・すみません。また私、自分のことばかりで、皆さんの気持ちを考えもせずに
 自分の思いを押し付けてご迷惑をおかけしてしまって、未熟さや至らなさを反省しています・・・・」

更に謝るか・・・・・・もしかして無限ループになるのかも。

「・・・・・・」

もはや先生は黙ったまま。

沈黙・・・・・・・

沈黙・・・・・・・・・・・・・

そこでようやく彼女は気がついたよう。

「私はまた、自分だけの気持ちで独りよがりに動いてしまってたということでしょうか」

「『でしょうか』と聞くまでもないやろ。そうや」

この時彼女ははじめて、問題を直視せずに謝ることで逃げてきた自分、
何をどう動いても独りよがりになってしまっていた自分が見えたのだろう、
うつむいてポロポロとこぼしていた涙を止めて顔を上げた。

先生は彼女に、そして皆に語りかける。

「な。 何でもかんでも言えばええいうもんとちゃうで。どうしても言わなきゃならんことは、ごくわずかや」

そして呟くように続けられた。

「言わんでもええこと、言ってはいけないことは山ほどある・・」

小さな声だったのに、ズシンと響く重さ。
先生は人生のどんな場面でそれを実感されたのだろうか、とふとそんなことを考えた。


こんなふうに、セクションにないフリータイムの雑談が、武禅の稽古の「肝」なのだ。

嫁は娘じゃないけれど

大晦日、私が料理作りの後、夕方最後の買い物に出かけて帰って来ると、
夫が「明日、お袋を連れてくるから」と言いだした。
彼の弟から母親の具合が悪いので病院に連れて行ってきたと電話がかかってきて、
詳しい検査は年が明けてからということで一応家に帰されたらしいが、
一人でおいておくのはやはり心配ではあるとのことで。

明けて一日、昼前頃に「そろそろ出かける」と言うので、あれっ?と思い、
「迎えに行く事、ちゃんと伝えてあるの?」と聞くと、やはり「言っていない」。
「先に言うと、『行かない』と言いそうだから」だそうだ。
それはそんな気はするけれど、やはりこちらの気持ちを伝えた上で相手の都合も聞かないと、
急に行って「うちに連れて行くから早く仕度して!」とせきたてるのは逆に良くないんじゃないの?
という話をして電話を入れさしたが、思ったとおり断られてしまい、なしになった。

それはそうだろうと思う。姑の気持ちもわかる。
なんといってもここの家は山中なので、町と比べて気温が随分と違い寒い。
暖房はあまり効かず、部屋の中でも息が白いほど。
それに、遠慮はいらない、部屋で寝ていればいいと言ったって、
勝手知ったる自分の家でなければ、やはり気兼ねはするだろう。
暖かい時期に元気で遊びに来ているのなら、近所を散歩したりの楽しみもあるが、
雪に閉ざされた家で何もすることもなく臥せっているのは却って辛いんじゃないかな、と思うのだ。
男の人にはこの辺りがわからない。

確かに正月なのに姑が一人ぼっちで苦しんでいるかと思うと気が気ではないから、
夫に何か持たせて行かせたほうがいいかなと思うが、彼はそういった看護とかできそうにないし、
炊事も苦手なので、見かねて姑が動かざるを得なくなりかねないと想像できる。
私が行こうか。いや、わざわざ行ったとなると余計に気持ちの負担になってしまうかも。
こういう場合、家が遠いのは困る。

もしも私の実母が寝込んだのなら考えることなく私が看病に行って、そのままお正月を過ごすのに。
母も遠慮なく私をこき使えるだろうし。そんなことを考える。
これが娘と息子の違いだろうか。

結局、心配しながら一日二日を過ごし、三日目に兄弟達も家族揃って実家に集合した。
姑は胃を中心にあちこちが痛かったのだが、病院でもらった痛み止めが効いて、
少し顔色は悪いながらも元気そうにはなっていた。
いつものように細々と動いてくれるので、
嫁達が「お母さん、座ってて。もうこっちでやるから」と何度止めた事か。

ちょっと落ち着いたところで、兄弟の嫁三人が集まって話をした。
やはり他の嫁達も私と同じようなことを考えていたらしく、
「皆、それぞれ娘がいて良かったね」という流れになる。

なんでも次男の所は、胃が弱っているらしい姑のために
「湯豆腐をしたらいいんじゃないか」という話が出たのはいいのだけれど、
鍋はあるのか、コンロは持っていくのか、材料はどうするのか、他の兄弟はどうするのかについて、
何一つはっきりしなくて結局来る途中で惣菜を買うぐらいしかできなかったと言う。
私のところもほとんどそんな感じ。
夫は「行ってから適当に考えればいいよ」と思いやりは見せはするが何もしないとわかってるから、
私は勝手に用意するのが常。
「やっぱり?」「やっぱりねぇ」「この家の男たちときたら」
「ハァ…」三人揃ってため息。。。

まあ、男たちのことはいいのだけれど、姑ももう85歳。
若く見えるからと不安に感じることはなかったのだが、やはり無理はきかなくなっている。
これからどうするのが一番いいのだろう。
理想としては、今姑がいる町に近い所に私たちが移り住んで一緒に暮らすのがベストだろうけれど、
それにはこの不景気が去って、夫がまた稼げるようにくれないことには。
あと何年たったら、上向いてくるのか。
それまで姑にはなんとしても元気でいてもらいたい。
だけど、私はちょっと責任も感じている。
もしかしたら姑の胃が痛くなったのは、私たちが心配をかけ過ぎてるからじゃないのかなと。

ごめんね。
いっぱい親孝行するからね。お母さん。

私がアダルトチルドレンを嫌いなわけ

昔、ある人が管理する会員制の掲示板のメンバーであった時、
一人の女性が子育てをいかに自分が頑張っているかを語った内容に
思わず噛み付いてしまって、結果、追い出す格好になってしまったことがある。

その人はお調子者っぽくて、更に空気が読めないのか、いちいち一言一言が癇に障る人だった。
同じく空気読まない私とは折が悪かったのだろう、どうしてか腹が立った。
それは彼女だけのせいではなく、周囲が私を苛立たせたというのもある。

明らかに変なことを言っていることに対して、陰(別のディープな地下室)では
ヒソヒソと悪口を言うのに誰も本人には何のコメントもしない。
中でも、当たり障りのない井戸端会議ではキャピキャピと会話して、
「仲良しよねー」のふりをしているのに、裏で悪口が出たときも同調する人というのは、
一体何なんだろうと不気味でしょうがない存在だよ。
言いたい事があるなら、本人に言えばいいのに、衝突は恐怖する。
彼らは他人に意見に同調はしても自分の意見を言うということがないので、
突っ込みを入れようにもできないというのが余計に私に苛立ちを募らせたような気がする。
叩こうにも、ぬるくて弱いのを全面に出してくるんだから手に負えない。

調子ぃの彼女の子育ての頑張りというのは、
子どもがあるとき、
「お母さんは他の子のお母さんとは違う。
 どうして他のお母さんのように普通じゃないの?普通にできないお母さんは嫌いだ!」
と言ったことに対してショックを受けて、それから顔を合わせるお母さん方を観察し、
何が自分が他の人と違うのか、どうしたら普通のお母さんになれるのかを研究し努力して、
ようやく普通のお母さんを上手に演じる事ができるようになって、
子どもの信頼を取り戻すことに成功した、という物。

それを、「頑張ったねー」「良かったねー」「出来る事じゃないよ」「愛情があるからだよ」
と褒め倒す住民達。気色悪くてしょうがない。
アホかっつーの。

で、

「あんたは地のままでは子どもに母親失格と言われたわけだけど、
 『それが私だ』となんで開き直る事が出来なかったわけ?」

「普通って何だ? そこを子どもに聞いたか?他人をキョロキョロ見回す前に」

「普通じゃないお母さんはダメだと思う子が、
 親に自分が自分であるだけで受け入れてもらえると感じているだろうか?」

と、やっちゃったんだよね。

彼女は質問には答えず、
「私がここにいると不快に感じる方がいらっしゃるようなので消えます」
と言って、消えちゃった。

本当に最後まで不快な人だったよ。

不快すぎて私もそれから少しして飛び出ちゃったけどね。
傷の舐めあいしすぎて、オエップとなっちまって、大 爆 発。で、死屍累々。カカカ、ザマア。

でも最近、思うんだよね。
彼女に限らず、そんな人はどこの世界でも多かったんだなって。

特に子どもが虐めにあう人、不登校で悩んでいる人はほとんど皆そんな感じ。
本人は本人なりに頑張ってるつもりでも、方向がもう明後日だから。

私が「アダルトチルドレン」という括りの中に落ち着いている人が嫌いなのは、そういった理由。


この記事でお気を悪くされた方、もしいたとしても私のせいではありませんから。
自業自得。
不幸な自分がそんなに可愛いか?
一生やってろ。

ネットで傷つくならネットをするな。それだけ。

あけましておめでとうございます

新年、あけましておめでとうございます。

osechi.jpg 大掃除は中途半端に投げ出して、大晦日は朝からおせち料理を作り、
 夕方早々から食べたり飲んだりしながら、
 くだらないお笑い番組でお腹を抱えて笑い転げて年をまたいぎました。
 去年も人生で一番楽しく充実した一年だったな~と思いながら。
 「今年も更によい年になりますように」と、
 大祓神事に家族の罪穢れを乗せた人形を送った神社の方向を向いて、パンパン。
 元旦もノロノロと目覚めて、ダラダラと過ごして、グビグビ飲んで、幸せ~なぽあんです。

ということで、今年もよろしくお願いいたします。

ホームベーカリーでお餅もつけるので、今回は鏡餅も自家製で作ってみました。
kagamimochi.jpg
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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クイズ紳助くん 2007年2月19日
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