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ポルノグラフィティ「11thライヴサーキット∠TARGET」

11thライヴサーキット∠ TARGET

はい! またしても行ってきましたよ。

ポルノグラフィティ 「11thライヴサーキット∠ TARGET」!! イェ~~~イ!!

以前は確か金髪少年を引き連れてだったと思うから、かれこれもう3年ぶり?

今回の会場はいつもの商工センターの広島サンプラザホールではなくて、
平和公園に程近い、広島文化交流会館(旧厚生年金会館)。

そのせいなのかどうか、今回はチケットが非常に手に入りにくかった。
昔の金髪少年はファンクラブに入っている友人にチケットを手配してもらうということで、
じゃあ娘でも連れていこうかと先行予約を入れていたのだけれど、見事ハズレ。
チケットの発売を待ったものの、発売開始と同時にSOLD OUTでこれもダメ。
結果、オークションでなんとか手に入れたけれど、娘だけじゃなく次男まで行きたいと言い出して、
とてもじゃないけどそんな金銭的余裕はないし、どっちか一人を連れて行ったら不公平になるでしょ。
だもんだから、「お母さん、ひとりで行ってくるね~~♪」になってしまったのね。
長男は馬鹿だから、この手に入りにくいチケットに
「絶対に1階!それも前の方の中央あたりじゃないと行く意味が無い!」とか
さんざん言いまくってたせいかどうか知らないけど、結局友人からお誘いなかったみたい。
あーあ、かわいそーに。(笑)
ということで、子供たちの「いいなー、いいなー」の声に見送られてGO!

開場は6時、開演は6時半で、私は1時間も前に到着したけれど、もうすでに入り口付近は
ポルノグラフィティのファンでいっぱい。
「∠ TARGET」のイメージカラーの黄色と黒のグッズを身につけている若者たちがワクワク顔で待っていた。
オバチャンが混じっているのは少し気恥ずかしいなと思ったけれど、よく見たら、結構いるんだよね。
同年代ぐらいの人って。さすがにジーちゃんバーちゃん世代はいないけど、子どもも一緒の家族連れもいたりさ。
ケータイをいじってる子が多いなと思ったら、ツアーの公式サイトでライブの前後に会場付近から
書き込みができるコーナーが設けられていたみたい。いいよね。新しい楽しみ方をいろいろ考えてあって。
私は手持ち無沙汰だったので、会場横に停めてあったツアーのトラックの写真を撮ったりなんかして待つ。
ツアートラック
時間が来て、いよいよ入場。
汗をかいてもいいように、グッズ販売コーナーでタオルでも買おうかと思ったら、
到着が遅れてるか何かでタオルだけは公演後の販売になるそうでガックシ。
でもま、自前のタオルも持ってきてることだし、気を取りなおしてコーラで喉を潤して準備万端、席に着く。

今か今かと開演を待つ人の気持ちの盛り上がりって凄いよ。
まだ照明も落ちていないのに、音合せの音が途切れたとたんお客が立ち上がり、そして湧き上がる拍手。
「えっ?えっ?まだロビーにいる人もいるのに?」と思ってたら、それは結局フライング。
後でアキヒトも「テンション高っ!まだ始まりもせんのに拍手が起こって、先走った感じ?」なんて笑ってたけど、
そんだけ楽しむ気マンマンなんだからねー。いいよいいよー。

で、本当の開演。
会場が暗くなって黄色い幕が落ちると、中から真っ赤な・・・・・
と、ここから先はネタバレになるから書けないんだけど、のっけから鳥肌もんだよ。もう、もう。
ずっと立ちっぱなし、拍手、歓声、飛び跳ね続け。
ヒートアップしすぎて「ヤバいかも」と頭をよぎったけど構やしない。汗だくで、この瞬間に燃焼だ。
内容は盛りだくさんで、おもいっきり楽しませてくれた。
新曲ありの、伝説の「アポロ広島弁バージョン」ありの、
「邪険にしないで」ももちろん広島弁バージョンだったし、カープの話題もね。
このご当地へのコッテコテのサービスもポルノの魅力だよね。

それにしても、今回は特にメッセージ性が強かったような気がする。曲の構成もトークも。
最初の「∠ RECEIVER」という骨に、色々な曲が血肉として付いてパワフルに魂を揺さぶってくるわけさ。
それはポルノグラフィティの活動全てに通じるところなんだけど、彼らの歌はどれも「応援ソング」なんだよ。
「そうか! そうだよ! よし、やるゾー!!」って具合に突き動かされる原動力がさ、あんの。
この日、私が特にグッと来たのが中盤辺りに演奏された「ギフト」。
   ♪最初に空を飛んだ鳥は翼を広げた格好で
     どのくらい助走をつけて地面を蹴ったんだろう
こんな部分が自分の今のツボなのか、って発見できるのも面白いもんでね。
もちろんツボは人それぞれ、その時その時によって違うから別の人は他の所で感じるものがあるだろうけどさ。

そんで最期の締めに再度、「∠ RECEIVER」。
   ♪僕たちがコントロール出来る事はほんの少し ほとんどの出来事には関われないとしても
     この星の裏側でも僕たちの足もとでも 起こりうる出来事から逃げないRECEIVERでいたい・・・

「今日が皆がやりたいと思うこと、やらねばならないことを全力で頑張れる『きっかけ(∠TRIGGER)』になれば嬉しい」
「自信持って胸張って行け!」「わしらも頑張るけん、みんなも頑張って」とアキヒトが言ったから、頑張るよ!

ウン、私は全力で頑張る!
やっぱ、ポルノグラフィティ、最高ー!!
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何がしたいのかがブレる時

中学校の運動会のPTA種目は、「綱引き」が恒例だったが、
今年は体育委員さんの強い要望で「リレー」となった。

綱引きであれば特に練習も要らないし、当日に観客席から出てくれる人を募れるので、
誰でも気軽に参加できるという利点があったのだが、
直前までなかなか人が集まらず委員さん達は大変でもあった。
それならば事前に出場者を決めておいた方が進行はスムーズだ。
それに、なんといっても盛り上がり方が違う。出場者も応援席も。

ただ、その話が出た時、学校側にはあまり良い顔はされなかった。
ケガの心配というのが一番大きい。
確かに盛り上がるが、その分、必死になって本気で走る事になる。
若い頃にスポーツをやっていた人ほど身体に無理を強いて筋を切ったりという危険が高い。

しかし、体育委員長が「PTAリレーを実現させるために委員長になった!」と強く押したため、
学校側は「教職員は出られない」「事前に各自で十分な練習をする事」という条件で、
許可を出してくれたのだった。

先生方が出場できない理由には三つある。
昔は若い先生方も多く、生徒や保護者と一緒に競技に出ることも可能だったが、
今は全体的に年齢層が上がってきており、またケガをした場合、
すぐに代理の先生に来てもらい授業数を維持するということが難しいということが一つ。
もう一つは、中学生という難しい年頃を相手にするため、
慣れない事をして教師の威厳が保てなくなる可能性のリスクを避けたいというもの。
親しみを持たれる事と軽んじられる事はもちろん別物ではあるが、そのへんの区別がつかないのが子ども。
反発する機会を伺っている相手に隙は見せられない。
そして、なんといっても忙しい事。練習時間もとれなければ、当日も生徒への指導で手一杯。

そういった事を説明し、委員さんにもわかってもらっていたはずなのだが・・・・。
出場者を募るために声をかけてみると、保護者から「先生は誰が出るの?」とよく聞かれるとのことで、
思っていた以上に先生方と交流を持ちたい人が多く、是非、先生にも出て欲しいと再度言って来られた。

もちろん、学校側はNO。
「気持ちはわかるけれど」と繰り返し強調しながらも、無理なものは無理とされる。
これはまあ、当然だ。
体育委員さんは、学校が保護者側に歩み寄ってくれないという不満を持ったようだが、
その前に何を目的とするのかに焦点を絞れていないのだから仕方がない。

まず盛り上げるための「リレーありき」から発しているのだから、それが出来る事で良しとすべき。
先生方の人となりを知り、交流を持ち、親しくなりたいという事が目的であるならば、
それを可能にするには、どんな方法が考えられるかを最初の段階で話しあう必要があった。
つまりは、欲張り過ぎということ。
やりたいことをやりたい形でするには、
どこぞの集団が盲信するポジティブシンキングのゴリ押しでは通らない事もある。

さてさて、こうした事の反省を踏まえて、翌年以降に活かせる形になるだろうか?

サイケなアイス

墓参りの帰りに子供たちが服を買いたいというのでショッピングモールへ。
田舎の子なので大きな店がめずらしく、あちこちを見て回りたがる。
買い物が終わると結構な時間が経っていた。
「何か飲もうか」と言うと「サーティワン、サーティワン!」とチビが騒ぐので、
久々に店でアイスを食べる。
めったにないことなので、普通に買うことができないような変わったものをとメニューを見る。
私が選んだのは、
ファンタスティックアイランド(風味豊かなピスタチオ、やさしい甘さのバナナ&パイン、
  さわやかなマンゴ&トロピカルフルーツの3つのアイスクリームに、ブラッドオレンジリボンの
  甘酸っぱ~いシゲキ。南国のフルーツを独り占めした、まさにFantasticなフレーバー)
と、
ポッピングシャワー(お口の中で、ポップロックキャンディが次々に弾ける楽しいフレーバー)
の二段重ね「雪だるま」。
この色の組み合わせは強烈。
雪だるま
  そして、お味の方も・・・強烈~~。
  あまいあまいあまい、あま~い!!
  
  サイケなアイス
何の香りかわからないし、濃さに無性に喉がかわいて氷水が欲しくなる味。
いや~、しばらくアイスは食べたくないぐらい堪能した。

しかしこういう多彩な色を見ていると、「混ぜたら何色になるのか?」を確かめたくなるのは、
かつての職業病の名残だろうか。
カップの中でアイスをクルクルとかき混ぜて「黄土色~」とかやっていると、
次男が
「俺、お母さんのそういうところ、変えた方がいいと思うんだよね。
 もっと他所の普通のお母さんのように、落ち着いて上品にできないの?」とか言いだした。
気難しい奴だ。
私は子どもに一度も「他所の子のようになれ」なんて言ったことないのに、コイツはそんなこと言う。
私が落ち着いて上品になったら、もうこの私ではなくて他所のお母さんじゃないか。
ってなことを思ったけど言わないでいた。
きっと将来の結婚相手はこの偏屈さに苦労するだろうなーということも。

そして「クリーム色~、オリーブ色~、ライトブラウン~」。
これが私だ。アキラメロン。

ひもじいカラダ

夏休みなので次男が友人の家族の田舎に連れていってもらった。
その時、川遊びをしようということになり、水着になった息子の身体を見て、
友人のお婆ちゃんは驚いていたそうだ。
あまりに痩せっぽちなので。

そして気の毒そうな顔で、
「そんなにひもじいのなら、いつでもウチにご飯を食べにおいで」と言われたとか。

「いえっ、ひもじくないですっ。ご飯ちゃんと食べてますっ!」と
焦って答えたが、お婆ちゃんは「・・・そうかい?」とまだ心配そうだったと言う。

帰ってきた息子からそれを聞いて夫が「かーっ、やめてくれよー」。
虐待疑惑をかけられないように太らさなければ、と家族で笑う。

これはこの日曜に家族で川に行ったときに撮影した息子のガリガリっぷり。
次男のカラダ ついでに長男のも。
 こっちはちょっとは肉がある。かな?
  長男のカラダ
夫がスリムなものだから、子供たちは全員、私に似ず細い。
しかし、夫もやはり年には勝てなくて、今では細身のまま下腹だけポッコリ。
息子たちの40年後と比較するために、その写真も撮っておく。(笑)

昨日買った本

子供たちとBOOK-OFFで待ち合わすといけない。

見るだけのつもりが、100円コーナーで掘り出し物を見つけて手に取ったが最期、
あれもこれもと増えていって、気がつくと100円ではないものまで含めて数冊買っている。
まだ家にお盆の間に読み切れてない本が何冊もあるんだけどなぁ。

BOOK OFFでつい手が伸びた本  でも、仕方なかったんだよ。
  佐藤雅彦さんは、私の大好きなメディアクリエーターだし、
  俣野温子さんの本は、イラストと詩のマッチングに引かれたし、
  信田さよ子さんは、興味があって前からよくブログ読んでる人だし、
  小泉吉宏さんって言えば、「ブッダとシッダカブッタ」の作者だし、
  遥洋子さんが上野千津子さんに学んだケンカのやり方を私も学びたいし、
  日垣隆さんは、twitterで密かにお慕い申し上げているケンカの達人だし、
  で。

  夜に子供たちとダラダラ遊んでないで、気合入れて読んじまおうっと。
  そしてまた新しい本を買ってくるんだ♪
  新刊で気になっている本があったりする。

植物人間は無価値か──「歸國」を見て2

ドラマ「歸國」では、制作者の意図通り、
生命維持装置をつけられてただ生かされているだけという人は、
「そうなったら死なせて欲しい」と本人の意思確認ができている場合、
殺してあげるのが本人のためだと捉えた人は多かったようだ。

しかし本当にそうだろうか?
と、私はモヤモヤした気持ちが残って仕方なかった。

延命措置をとられていた人には家族はあっても、誰も滅多に見舞いにも訪れない。
元気だった頃から疎遠で、入院してからは明らかに邪魔者扱いをされてきていた。
その中での「意識がなくなったら死なせて欲しい」には、
言葉にしていない部分があると思われるからだ。

「どうせ誰も見向きもしないのなら・・・」
「ただの家族の負担にしかならないのなら・・・」
の前提があって、生きていても仕方ないという気持ちではなかったのかと。

私が彼女の本当の願いが、何だったのかということを推し量ってしまうのは、
最近ずっと自殺者の心理や「脳死は人の死か」ということを考え続けているからかも知れない。

人は時に「死にたい」ということを口にすることがある。
だけど、心底死ぬことを求めている人はいない。
死よりも辛い状況においてのみ、死に救いを求め焦がれる。
であるなら、本当の望みは、その辛い状況がなくなることだが、
それを直視するのも辛すぎて逃げる言葉が「死にたい」なのだ。

つい先日、五体不満足の乙武さんのtwitterに、
ある学生が「植物人間は生きていますか?」という質問をしていたのを読んだ。
乙武さんは、こう答えていた。
「たとえ話すことができなくとも、その命があることで力を与えられている人がいると思うのです。」

意志表示ができなくても、人間としての関わりは可能だということだ。
その存在によって、愛情を与え、愛情を受け、交流はできる。
機能しないからといって、死んでいるのと同じことには決してならない。
この考え方は、私の迷いを消し去ってくれた。
ただ、移植臓器提供の場合にのみ、家族の同意があれば本人の意志尊重はされるべきと私は考える。
あと肉体的な苦痛が耐え難い場合と。

そのような見方からすると、今回のドラマでの延命中断は、
どのように正当化しようとしても単なる殺人ではないかと思えてしまうのだ。


だいたい、意思表示ができない人間が死んでいるのと同じだとするのなら、
実際に死んでいる霊たちは一体何なんだ?ということにならないか?
「歸國」では、肉体がなくても新しい情報を得て考えて判断して現実に干渉しているが、
しかしそれでは、人が生きている意味などないではないか。

大きな矛盾を抱えるドラマだ。


たとえ話すことができなくとも、その命があることで力を与えられている人がいる─────
それは英霊たちの散った命のことでもあるのではないだろうか。

何もできなくても、いなくなった方がいい人なんて誰もいない。
違うか?

「人は二度死ぬ」どころの話ではない。
命のあるうちに忘れられたままだった人を救いもせずに死が最善の方法であるかのように見せ、
また、怒りにまかせての殺人を正当化しておいて、
「玉砕した命を忘れるな」というメッセージを発する陳腐さよ。

人の命をそんなにも軽々しく扱ってはいけない。

ただの娯楽として見るとしても、質が悪すぎる。

クソドラマに怒りを込めて──「歸國」を見て1

終戦記念日、感動する良いドラマを見るつもりが、うっかりクソドラマを見てしまった。

倉本聰脚本の「歸國」のことだ。

65年前に南の海で戦死した英霊たちが、平和になった日本の今を一目見ようと
終電後のJRのホームにSLで到着、という所から物語りは始まる。

はたして彼らが命をかけて守った日本は、願った通りの未来を築けたのか。
彼らが幻滅するような今になっているとしたら、我々はどうするべきなのか。
礎となった人々に報いるために、そして未来を託すこれからの人々のために。
そいういったことを考えさせてくれるドラマなのだと思って見たのだが、
こんな胸糞悪さにもだえ苦しむ事になろうとは。
ああ、見て損した!

私はそもそもが霊の存在は信じていない。
だから英霊たちが死んだ時と同じ肉体の姿かたちで人格を持ち、
歩き、見て、考えるなど、ナンセンスも甚だしいと言ってしまえばそれまでだが、
まあそれは、人間の空想力で作るのがドラマというものだから良しとする。
ありえない「もしも」を考える事が、人の心を豊かにすることもあるから。

しかし問題は、その設定。

【むかつきポイント その1】
なぜ肉体が滅んだ後も、その骨のある場所に留まり続けなければならないのか。
海で戦士した魂に、普通に死んだ人のようには成仏できないと言わせている。
こんな話、戦死者の遺族にしてみたら堪ったものじゃない!
死者への冒涜だろう!
どこでどんな死に方をしたって、死ねば人は皆、仏じゃないのか。
日本人とは到底思えないような考え方だ。

他にも、意思表示ができなくなった人は早く殺してやった方がいいみたいな話や、
マスコミが自分たちの善悪の判断に基づいて報道するわけではない事への批判とか、
気持ちの悪い独りよがりの観念の押し付けがあちこちに散りばめてあって、
「えっ?」「えっ?」と首を傾げることばかり。

そして極め付けが、ビートたけしの演じた役。

【むかつきポイント その2】
霊のくせに、妹の息子を惨殺してしまうなどとは、あまりにもひどい。
その理由が、妹が戦後の貧しい中で苦労して育ててやったのに、
高い地位について成功しても、年老いて寝たきりになった母親を見舞いにも来ず、
葬式も他人任せで情がないから、カッとしてというのだからどうしようもない理不尽さだ。
現代の若者を感情の制御が出来ず短絡的でキレ易く、すぐ暴力に訴えるなどとは絶対に言えない。
舞台でもこれと同じストーリーなのか、それともたけしのために
無理して北野作品に多いバイオレンスの要素を取り入れたのかどうかは知らないが、
戦争でもないのに人を殺すことが肯定されてもいいのだろうか?
何かを守るでもなく、ただ感情のままに制裁を加える死人など、ただの悪霊の呪いではないか。
しかも、大事な大事な自慢の妹が、大事に大事に幸せになることを願って育て上げた一人息子を。
いくら親をないがしろにした薄情な息子であっても、殺されたら普通、母親は黙ってないだろう。
なのに、ケラケラ楽しそうに笑っているのだから、それは時代がどうのこうの以前に、
最初からこの親子の愛情は存在していなかったということだろう。

【むかつきポイント その3】
殺された妹の息子が、「どうしたらいいんでしょうか」とたけしの前に現れて、
タコ殴りされて「ありがとうございます。嬉しいです」も、本当にわからない。
なぜ殺された途端、自分が何十年も積み上げてきた人生が過っていたと気付くことができる?
そんな簡単なものなら、殺さずとも教えてやればよかったではないか。
言うなり、一発殴るなりして。
そもそもいきなり説教したり殴ったりしたからといって何が伝わるということもないのだが。

よしんば、100歩譲って鉄拳制裁(というか刺殺だが)に教育的意味合いがあったとしても、だ、
今更気付いたからといって、もう遅いだろう。
死んでしまったらお終いだ。
よく、子どもを殴る蹴るで殺しておいて「虐待ではなく躾だった」という親がいたりするが、
このドラマを作った人間たちは、死んだ子どもが
「悪いところを教えるために殴り殺してくれてありがとう」と言うように思うのだろうか。

そして何より恐ろしいのは、
暴力に意味づけをすると正義になるという思想は、
戦争礼賛に他ならないということ。


こんなものを終戦65年記念日によせて放送してはいけない。

日本は力が弱くて負けたが、もしも強くて勝っていれば正義だった、というのが戦争だ。

戦前の日本人は正しく、今の日本人はダメになったと言うのは簡単だが、
ここに繋がる道を作ったのは、
紛れも無く戦中、戦後を生きてきた古い日本人たちなのだ。

その責任は棚上げか?
それとも、戦勝国と立場が入れ替わって、累々たる死体の山河の上に大日本帝国が君臨していれば、
今の日本人はもっとマシだったと、そういうことが言いたいのだろうか?

このクソドラマには、確かに現代の日本の歪みがギュッと凝縮されている。



戦没者の御霊の安からんことを心よりお祈りします。

トゲと都市伝説

広島の方では「すい針」というのだが、木片などの小さなトゲのこと。
これが指とかに刺さった時、抜かずに放置しておくと
「やがて体内深くに入り、血管に侵入して体中をめぐって最期には心臓に刺さって死ぬ」
というふうに子どもの頃、教わった人は多いのではないだろうか。
私も子どもの頃から聞かされていたので、大人になるまで疑いもせず信じ込んでいた。
嘘だと気付いたのは、健康に付いてのQ&Aの本かなにかだったか。

この日曜日、私は海で泳いでいて、足を怪我した。
右足を浅瀬に潜っている何かの針で刺され、左足をカキ殻かガラスのようなものでザックリ。
幸い毒は持っていなかったようで腫れるということもなく、夕方まで遊んで帰れたのだが、
針が途中で折れて残ってしまい、髪の毛よりも細い針のほんの先っぽだけにもかかわらず、
歩くと痛むのでとても困る。
夫がまち針とピンセットで1本は抜いてくれたが、他のは小さすぎて取れなかった。
翌朝起きても足はやっぱりむずむず痛い。まさに、すい針が刺さったような状態。

会社でびっこをひいていると会長の奥さんに病院に行って抜いてもらうようにと再三すすめられる。
「小さなトゲでも、心臓に回ったら死ぬんだからね。怖いのよ」
やっぱりあの都市伝説は今もしっかり残っているのかと懐かしいやら、可笑しいやら。
だけど心配してくれる気持ちは素直に有り難い。

会社から帰って足の裏を見ると、前日には見えなかった針がうっすら2本浮き出ていたので、
ピンセットで表皮ごと取る。
まだ見えないところに刺さっている感覚があるが、これもそのうち出るか分解するかするのだろう。
切れた所は結構深くて見るのも怖かったので、適当に水で洗って絆創膏を貼っておいたのだが、
剥がすと、中に入り込んでいた砂がポロポロと出てきて、傷口は塞がりかけていた。
結構な回復力だ。
私もまだまだ捨てたもんじゃないね、と何に対してかわからないけど胸を張りたくなる。(笑)

身体は自然に治るように、うまいことできているということ。

(参考)とげの行き着く先は?

惑星直列

現在、惑星直列中らしいよ。

ただ、そんだけのこと。
13日の流星群は楽しみ~。

終わった話

うわ~~~っ、やっちまった~い。
今日、夏祭りに行ったわけね。
PTA会長として中学生が出演する所なんぞをビデオにおさめるために。
で、それが終わってビールやらなんやら飲んだわけね。
地域のそれなりに大きなイベントだから人にもいっぱい会ったわけね。
PTA関係とか。
で、帰りに駐車場に向かう途中、そのPTA関係のアムウェイ達の大悪口言ってたら、
・・・・・・目の前にその軍団が歩いてたわけね。

・・・破滅だ・・・・

オワタ・・・\(^o^)/

日本の神さま

先月の話になるが、会社から帰ると一通の茶色い封書が届いていた。
差出人は、「美保神社」。
島根美保関にあるこの神社は、数年前に縁あって訪ねた折にそのご神気の心地良さが気に入り、
以来、旧正月に初詣に行くようになった所だ。
諸事情あって昨年と今年は行っていないが、年末の大祓だけはご祈祷をお願いしている。
そこからのこの時期の手紙。
もう夏越祭も終わったはずだし、もしかして社殿補修の寄付を募ったりとか?
と訝しく思いながら封を開けると・・・なんと、大雨被害を心配してくださってのものだった。
美保神社からの手紙
実はこのたびの雨で、私の家は大丈夫だったが、地域の至る所に被害が出ている。
高台が崩れて上に建っていた家数件が傾き下の家に土砂が流れこんだり、
山の斜面に生えていた大木が根元から抜け近くのコンクリートの電柱を破壊し、
長時間の停電を引き起こしたり、あちこちで瓦が割れたり等ひどい有様。
土砂崩れ 道路崩れ 落石で壊れた瓦
そんなところへ神社からこのようなお見舞いの手紙をいただくと、
神さまが守り励ましてくれているようで有り難く、とても嬉しい。

もちろんニュースを見て心配してくれたのも、手紙を書いて出したのも人間である宮司さんだが、
神さまにお仕えし代理として行動されている人のされることは、神さまも同じ。
遠くから、ただただ人々の幸せを祈ってくださっている。
これぞ古来からの日本の神さま。やっぱり素晴らしい!

盆過ぎて落ち着いたら、久々に会いに行って来ようと思う。
「いつもありがとうございます。私は元気です」とそれだけを伝えに。

私の部屋の美保のお札をお祀りしている棚の一輪挿しの榊は、3年間水だけで生き続けている。

続・川辺のアルバム

先週の金曜から夫の友人が泊まりに来ていた。
彼は夫の東京時代からの30年来の友人で、毎年1~2回は遊びに来てくれる。
田舎であるため特別に遊べるような場所はないのだが、だいたい夏は川辺、冬は温泉に行く。
今回は地域の祭りに行く前に、ちょっと釣り堀にでも寄って昼を食べようかという話になった。
自宅から車で少し山の中に入ると、大きなニジマスの養殖場がある。
家族でよく行く場所だ。
釣り堀

1本200円で人数分の釣り竿を借り、刺身用と焼き魚用に分かれた大きな池に糸を垂らす。
水の中には黒っぽい魚がウヨウヨしているので、その真ん中辺りを狙って。
針に付けた餌は水に入れた途端、魚たちに群がられ、まずは鼻先でつつかれる。
ふっと1匹の口に消えたかどうかのその瞬間!!すかさず竿をあげるのが、ここでの釣りのコツ。
早すぎても、遅すぎてもいけない。餌だけ取られるか、針を飲み込ませてしまう。
私は子どもの頃から釣り堀には毎夏必ず来ていたので、この釣り方だけは上手い。
本格的な海釣りや疑似餌を使った川釣りは、全く何をどうしていいかもわからないのだが。
今回はまだ盆休み前なので魚たちが丁度いい具合に腹をすかせていて食いつきが良い。
人が多く訪れた後だと釣り針の付いた餌など見向きもしないということもある。
それでも私だけはボンボン釣ることが出来るというぐらい上手い。
なにしろ、針だけ垂らしてエラにひっかけて釣ったりもしたぐらいだから。
しかし、何事にも器用な夫なのに意外に釣りだけは下手だ。
たぶん短気だからタイミングが悪いのだろう。私が5、6匹釣ってもまだオケラ。
「アンタ、もう休憩!」と私に言い渡した後も、子供たちが次々釣り上げるのを横目に見ながら、
何度も餌だけ取られていた。

30分ほど釣った成果は、刺身用の大きいのが4匹と、小さいのが13匹。
この釣り堀はその場で食べられるようになっているので、
4匹は刺身と薄造りに、6匹は焼き魚に、7匹は唐揚げに調理してもらった。
山を一望できる大きな窓の座敷に座り、活きの良い美味しい魚を頬張りビールをグビグビ飲む至福。
いいねぇ~。

味わいながら何の気なしに外を眺めると、見下ろす形で
丁度真向かいで釣りをしている人達が目にとまった。
年配の夫婦と若い夫婦の4人連れ。両親と息子と嫁の組み合わせだろうか。
最初は4人がそれぞれ竿を持って釣り糸を垂らしていたと思う。
それは普通の光景だが、「あれっ?」と気になったのは、嫁や母親が釣り上げたとき。
二人共、一切魚に手を触れようとしない。
竿を高く持ち上げて魚を遠くに離したまま、男の人の所に持って行っては外してもらっているのだ。
しかも針を飲みこんでしまっているようで、簡単には外れない様子。
こんな場合は魚をタオルで押さえて、割り箸で喉の奥をかき回してペンチで引っこ抜くしかない。
血だらけにはなるし、結構大変な作業。
それを女衆は自分の釣竿に次の餌を付けてもらえるまで立って見ているだけ。
「うひゃ~」と思いはしたが、その時は、まあそんな人達もいるだろうし、
「男の人は大変だね~」で終わって、私はしばらく料理をパクつくことに専念することにした。

しかし「お腹いっぱーい」と一心地ついてまた外に目を向けた時、
彼らがまだやっているのを見て「ええええっ?!」
先ほどとまったく同じ配置、同じ格好。
ずっと見ていた夫が言うには、どうも嫁や母親は毎回毎回飲み込ませてしまうらしい。
すぐに引かずに飲み込むまでじっと待っているのだから仕方ないが、誰か何か言ってやればいいものを。
二人が交互に魚を宙吊りにしては若い方の男の前に差し出すので、「あれ?もう一人は?」と見回すと、
お父っちゃんはとっくの昔に逃げていて、別の場所で悠々と自分一人で楽しんでいた。

若い男の人は、やっと針を取って魚を網に入れたかと思ったら、
すでに次の針を飲み込んだ魚がジタバタしながら目の前にぶら下げられている状態。
針を取っている最中にもう順番待ちをしている魚もいたりして、自分が釣る暇が無い。
強張った表情のまま、血だらけのタオルを手に淡々と魚と格闘。
餌を付けてもらった女はすぐに池にポチャン。釣れた~。飲んでる~。お願い~。
ポチャン。釣れた~。飲んでる~。お願い~。
ポチャン。釣れた~。飲んでる~。お願い~。

おいおいおいおい、
おまいら、もう釣るな!魚が迷惑だ。 それと、旦那にも釣らせてやれよー!

アーッハッハッハー、例によって私は腹を抱えて笑い転げる。
やってることはギャグだけど、大真面目なもんだから可笑しくてしょうがない。
これだから人間ウォッチングは面白い。

こうして、川辺のアルバム2010も素敵な夏の一コマを切り取って記すことができたのだった。

頑張った旦那さんが、後で「ご苦労様。ありがとう」と冷えた美味しいビールを飲ませてもらってますように。
夏は男の見せどころではあるけれど、だからこそ男はツライよね~、ホント。(笑)

(川辺のアルバム2009はこちら)

心臓の弱い方はご遠慮ください

納涼、ホラー特集!

夏の暑さを吹き飛ばし、ゾッと背筋が凍るような映画4本をご紹介します。

全作品、オカルト研究家にして稀代の名女優ぽあんが主演です。

 血と薔薇とぽあん

 ザ ぽあんソシスト リターンズ

 魔道師ぽあんレイザー エピソード0

 神のぽあん 悪魔の・・・ 復活の章

共演者は、その手の世界では知らぬものはいないというほどの大物であったりなかったり。

映画の中に、彼らの世界観と通じるものを見つけることが出来たとしたら、
あなたも相当な通といえるでしょう。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

★★応援しています!★★
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武道なリンク

日野武道研究所


武禅一の行

ほぼ毎日更新
(ぜひブックマークに!)
移転しています
日野晃の
さむらいなこころ


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[SRS伝説の武道家 達人 日野晃]

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9日間のワークショップを10分で紹介
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クイズ紳助くん 2007年2月19日
「なにわ突撃隊 こころを鍛えろ!武道研究家に学ぶ!!」
オープニング映像有



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