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その手に抱きしめている物は2──愛情不足の取り戻し方

妹が離婚してから、もう10年以上になる。
その当時、3歳と1歳の子がいて、しばらく我が家で同居していた。

父親と母親が諍いばかりの不安定な家庭だったためか、
ジジババが玩具で歓心を買っては母親を貶める事を吹き込んでいたためか、
妹の上の男の子はどうも落ち着きがない子だった。
奇声を上げるわ、物は壊すわ、欲しいものを買ってくれと1時間以上も泣き叫んだりと。
可哀想な子で悪気は無いのだとわかっていても、私はどうしても好きにはなれなかった。

特にイラついたのは、何かするたびに大声で母親に言う「見ててよ」。
本を見たり、絵を描いたり、他の子たちと遊んだり、服を着替えたり、階段を飛び降りたり、
そうしたありとあらゆる事を親に見て欲しがる。
そして「○○、できたー」と言ってくる。
なんでもない事なので「見たよ」「そうね」と妹は適当にあしらうのだが、すると何度でもやる。
「見てる? 見て、おかーさん? 見てて、ほらぁ」
褒めてやれば気が済むのかと大げさに「わー、すごいね」とやってみても、
嬉しげに「じゃ、もう一回やるね。見てて」とくるので、もういい加減にせい!と腹を立てることになる。
そんなことが何度も何度も、キンキンの金切り声で繰り返される。
「この子は何でこうなんだ?」私はもう爆発寸前で、
彼に私が嫌っていることをわからせないように接するだけで疲れてしまうような毎日だった。

しばらくして妹たちは住む場所を決めて出て行き、今は穏やかな暮らしの中で子どもたちも安定している。
もう私も嫌悪感を感じることはないのだが、これは、その妹の長男が小学校一年生の頃の話。


初めての家庭訪問。
担任であった教師歴が長いベテラン女性教師は、ドアを入るなり深刻な表情で、
「今日はちゃんとお話をしておかなければと思って来ました!」と言ってきたそうだ。

担任の口から聞かされた子どもの評価は、それはひどいものだった。
人の話をまったく聞くことが出来ない、自分の世界に浸りこみ他人との関係を築けない、
今何をしなければならないかがわからない、自分勝手に動く、叱っても理解しない、
そうしたことを一気にまくし立てた。
「皆が前を向いて話を聞いているのに、一人だけ後ろを向いて空想の世界で遊んでるんですよ!
 手をこんな、こーんな風にして、『バーン、ドビューン』とか変な声出して、
 本当、どうかしてますよ。『ヒューン、ドドドド』とか、馬鹿みたい」
口をポカンと開けて本当に馬鹿みたいな顔をして目の前に見せ付けてくる担任。
最初、「はあ、すみません・・・」と小さくなっていた妹だが、あまりの言い様にあっけに取られてしまう。

女教師は更に続ける。
「私はね、心配なんですよ。○○君がこうなった原因が、お母さんにわかりますか?
 私にはわかります。
 それは、愛情不足だからです!
 離婚して一人で子育てされててそれは大変でしょうけれど、大事なのはお子さんじゃないですか。
 ○○君は愛に餓えているんですよ。温もりを欲しがっているんですよ。
 抱きしめてあげてください。
 今、それができるのはお母さんだけなんですから。

 私にどうしてこんな事がわかるのかとお思いでしょう?
 それは、私が同じような失敗をしたからですよ。
 私は教師として長く務めてきました。仕事に熱心になるあまり、
 家庭を顧みることもなく子どもには本当に寂しい思いをさせてしまったと思います。
 私も悩みました。そして子どものために生きようと決心して変わったんです。

 歪んだ心はすぐには治りません。
 回復するには、そこまでになったのと同じかそれ以上の時間がかかるんですよ。
 ○○君はまだ小さいから、今から愛情を注いであげたら間に合います。

 どうかこれから7年はかかると覚悟して、しっかりと毎日抱きしめてあげてくださいね。

 私もまだ、抱きしめて育てていますよ。
 33歳の息子を


・・・・どこをどう突っ込んだらいいのかわからないような話だが、これは実話。

妹は怒りにわなないていた。
確かにボーッとしてて人の話を聞いてないのはその通りだが、まだ小学一年生。
そこまで言うか?と。
母子家庭だから愛情不足だろうと的外れなアドバイスを押し付けて、一体何なのだろう。

子どものために生きるなら、なぜ教師を続けてる?
自分の子が治ってないのに、他人の世話をしてる場合か?

「愛情不足」なんて、一見それらしい無意味な言葉に振り回されて、
「抱きしめてあげてください」なんて、無責任なカウンセラーかなんかの言葉を真に受けて、
頭でわかったつもりになったら、他人に教えずにはいられない。
それは悲しき教師の性分?

とまあ、いろいろなことを考えてしまったのだが、一番強く感じたのはやはり、

こんな親だから子どもが病んでしまうのだろうなということだ。


妹の長男は、それからも抱きしめては育てられなかったが、
サッカーに打ち込み、勉強もそこそこ出来る、妹たちに優しいお兄ちゃんに育った。
もちろん人の話もちゃんと聞くし、手悪さもない。(笑)
今年、高校生になる。
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その手に抱きしめている物は1

子育てに失敗したり苦労してきた親が、よくその体験を語ることがある。

かつて虐められっ子だった子の親が語る、「私はいかにして子どもを虐めから守ったか」。

非行に走って犯罪に手を染めた子の親が語る、「私はいかにして荒んだ子どもを立ち直らせたか」。

不登校、引きこもりだった子の親が語る、「私はいかにして子どもの心を開かせて救ったか」。


そして、多くの人はそういう“美談”を聞くのが大好きだったりする。

苦しかった日々を思い出して感極まって泣き出す講師。
そしてそれに共感し、涙ぐむ観衆。

「どんな苦労をも厭わない、我が子を思う海よりも深い親の愛に感動しました」とかなんとか。

そんな光景はリアルだけでなく、最近はネット上でもよく見かける。


何がだ?

私から言わせれば、ちゃんちゃら可笑しい茶番劇だ。

何者でもない人間が、ただ自分が苦労したからというだけのことで偉くなるのだから。

すべての問題を解決できる資格を得たかのような顔をして
「カウンセラーでござい」と他人の相談に乗ってたりすることも多い。

もてはやす人たちにとっては、他人の苦労話などせいぜい、
「あの人に比べれば自分は幸せだわ♪」と嬉しくなってしまう蜜の味程度のもの。

中には本当に困っている人もいるかもしれないが、手本にしても役に立つ事はまずない。

なぜなら、その人の環境や状況はその人だけのものであって、
他の誰かがやって成功したと思っている方法論がそのまま使えるものではないからだ。
そもそもその「成功」からして、怪しげなものである。

もしかしたら何もしなくても時期が来たら解決したのかもしれないし、
親の理解できない所まで親身になってくれた教師がいたおかげだったのかもしれないし、
あまりの親の的外れな騒ぎっぷりに呆れて、子ども自ら甘えから脱した可能性もある。

または、これが一番多そうだが、
一時的に解決したように見えただけで、実は根本の所では何も変わっていないとか。

「積み木崩し」の穂積父はその代表的な例だ。

つまりは、「あの時、こう動いて正解だった」「こんな考え方で上手くいった」と話す言葉には、
その人の体験というドラマの要素以外に、何の裏づけも意味もないのだ。

だが、人はいつの時代もそういうものが大好きだ。

甘くて、安全で、自分を良い人のように思わせてくれて心地よくなれるものが。
痛い思いをしなくて済むから。自分が変わらなくてもいいから。

よくよく考えてみればいい。
不良が更正したら、尊敬される人なのか?
不登校の子が学校に行くようになったら、毎日登校している子より偉いのか?

やっと普通に戻れただけのことだ。

苦しみは、それまでの過ちの積み重ねを修正するために必要だったもので、それ自体には何の価値も無い。
それどころか、子どもに本来無用だった苦しみを与えてしまった罪すらあるぐらいだ。

だがなぜか人は、苦しんだら苦しんだ分だけ、自分は何かを得たと思いたがる。
社会に訴えかけられるだけの特別な物を。

そこに群がり解決方法を与えて欲しがる問題児の親たち。

今、20代、30代の引きこもり、ニートが増えているのは、
そうした勘違いの底なし沼に取り込まれた人がいかに多いかを物語っているのではないだろうか。

獅子の座布団

「獅子の座布団」という本を私は20代の頃に読んだ。
著者は、あの、美輪明宏さん。
スピリチュアルなんて言葉もまだ聞かなかった頃、
美輪さんははすでに女装の麗人ではあったけれど、まだ髪はピカチュー色ではなかった。
そして私はその本を誰が書いたのか知らないまま手にとって、
てっきりお年を召した真面目なお坊さんのような方が書かれたものだと思って読んでいて、
読み終えてから知ってビックリ。
後に信仰心とは離れた霊感を売り物にするようになってからは、
彼のことが好きではなくなったし本も読まなくなったが、この本だけは今も好きな一冊だ。

獅子の座布団とは、父親(家長)の座る特別な場所。
それがある家庭では父親の威厳が保たれ、規律と安心感がある。
昔の人の深い智恵。

ということで、結婚以来、私もこれに倣っている。
我侭で奔放そうなイメージが有るかもしれないが、実は私は夫を立てて従うタイプの妻だったりする。

夕食時、夫が「おかわり」と茶碗を出してくる。
「はい」と私は立ち、ご飯をよそう。
子供が便乗して「おかわり」と言う時もあるが、それは「自分でどうぞ」と受け付けない。
「味噌汁おかわり」と夫、「はい」。
「私もー」とチビが言っても、「自分で!」。
時々、「えー、ケチ。どうしてお父さんのだけいいの?」と不満の声が出る事もあるが、
「だって、お父さんはお母さんの旦那さんだからね。君たちは子供。 違います」と答える。

その他、小さな決まりごとはいろいろ。
最初の炊き立てご飯はお父さん。冷ご飯は、私と子供たちだけが食べる。
一番風呂はお父さん。(時間の都合上、そうできない時もある)
お節料理にはお父さんが箸をつけてからでないと子供たちは手が出せない。
朝のあいさつは、子供には「おはよう」。お父さんには「おはようございます」。
等々。

獅子の座布団は、父親には作れない。
母親が作り、守るものだ。

父親を立ててきてよかった事は、息子たちが優しい性格になった事だろうか。
特に小さな者、弱い者を大事にする。もちろん女性にも。
男は男としての自信があると、それ以上に虚勢を張る必要がないからだろう。

そんな風に考えてみると、昔の日本はひどい男尊女卑で女性は虐げられてきたと言われているが、
実はそんなことはなかったのではないかと思えてくる。

むしろ、男性と同じ権利と尊厳を獲得して自立した強い女性が多くなったはずの現代の方が、
女や子供を虐待するDV男や、親離れできないマザコン男が増えていそうだ。
女と同じ権利を認めろと恥ずかしげもなく徒党を組んで声を上げる馬鹿もいるし。

男は男らしく、女は女らしく。
それが一番、自然の理にかなった幸せなこと。

だからぜひ、一家に一枚、立派な獅子の座布団を。

ママの座布団の方がフカフカで座り心地良くったって、それはそれでいいんだから。(笑)

息子は家に帰らない

土曜、仕事中に長男からメールが来ていた。

「今日、メシいらん」

また友達と遊びに行くのだろう。

「帰らんの?」と送ると、「わからん。また連絡する」と来ていたが、
夕方になって「今日は帰らん」と来た。

まあ、よくあることだ。
というか、最近は休日前はほぼこんな感じ。
夏休みなどは、長男、次男とも月の半分はいなかったのではないだろうか。
数日行方不明になって、ヒョコッと帰ってくる。
どこへ行っているのか私は特に聞きもしないが、
兄弟同士で連絡を取り合っているというところから大体の見当はつけている。

男の子なのだから少々の無茶はしてもかまわない、というのが我が家の考え方。
大馬鹿が出来るのが若さの特権だ。
許されるかどうかは別の話だが、
基本、法律違反と事故さえなければオールオッケーと思っている。

いつかなど、長男は広島市内に遊びに行って最終バスに乗り遅れたからと、
友達と夜通し歩いて帰ってきたこともある。
車でバイパス使って約40分。
市街地から山に入り延々登る街灯もない道を、エッチラオッチラ。
途中、さすがに疲れて道路のわきで仮眠もとったとか。
よく熊に喰われなかったもんだ。

次男は、肝試しと称して時々、深夜に出て行く。
覆面をかぶって公園で友達数人とじゃれあっているところを
パトロール中の警察官に職務質問を受けたこともあるらしいが、
「適当な名前と住所を言って逃げたけんね」とこともなげに言っていた。
なんちゅう胆の座り方をしているのかと、我が子ながら感心する。

だいたい、うちの子たちはこんな感じ。
女の私からすると止めたいのだが、男親が「行かせてやれ」と許可するのだから仕方ない。
夫が彼らの年ぐらいの時には、バイクで日本中を回ってて、野宿ぐらいなんてことなかったらしい。
今の子どもたちは管理されすぎだとは私も思う。
ただ、女の子に関しては、またちょっと男の子とは方針が違うが。


仕事を終えて次男を下のバイト先に迎えに行き、買い物をするため大型スーパーに立ち寄ると、
なんとそこでバッタリと長男と会った。
同級生らしき男の子と一緒だったので、夕食の買出しか何かだったのだろう。

親なんかを友達に見られるのは気恥ずかしかろうと気を利かせ、
小さく「よっ」と合図して素知らぬ顔で通り過ぎようとしてやったのに、
息子は「あれー?母さん、どうして、どうして?なんでここにおるん?」と嬉しげに話して来る。
そして友達に「これ、うちの母さん」と紹介。
なんだよ、その爽やか好青年ぶりは。

その場を別れて、私が買い物をしているとまた寄って来て「今日のご飯なに?」。
帰らない奴には関係なかろうと「ビーフシチュー」とつっけんどんに答えると、
「えー、いいなー、俺、やっぱ帰ろうかな。どうしようかな」とか言い出す。
「帰らんでいい!」と言い捨てて、私はその場を後にした。
なぜか私の方が恥ずかしい。

家で他の子どもたちにその話をして、
「普通、男の子ってのは親なんか外で会っても無視するんじゃないの?
 友達に『あの人だれ?』と聞かれても、『あんなオバサン、知らん』ぐらい言わんとね」
と言うと、
「それ、どんな反抗期? いやいや、ないよそんなの」と笑われた。

そうなのか?
私の持っていた高校生ぐらいの男の子のイメージは、むっつりと無口になり、
特に母親とは口もきかずに、何を言っても生返事かイライラして当り散らすかで、
家庭の雰囲気を悪ーくするというものなのだけれど、
どうも我が家はそうならないので、何か間違っているのではないかと常々思っていたのだが。

よく言うではないか。
「反抗期のない育てやすい『いい子』は、大人になってから悪くなる」と。

どの子も反抗らしい反抗もせず、いつもリビングに集まって仲良くお喋り。
家の手伝いは言わないとしないし、散らかす、夜更かしだとかのルーズな面もあるけれど、
言えば動くし、男の子などは重いものはサッと持ってくれたりと気の利くところもあったりする。

反抗期らしい反抗期は思い当たらないのだが、大丈夫だろうか。


長男は来月から就職に向けて免許を取るため合宿教習所に行き、二週間帰ってこないという。

次男は数学検定試験を受けるとかで受験費用をくれと言ってきた。
他に英検やら漢検やら、高校時代に取れる資格は可能な限り取っておくらしい。

まあ、やることはやってくれてるようなのでいいけれどね。お母さんとしては。

しかし、反抗期がないってのが心配だなぁ・・・・。

ニワトリが先か、卵が先か

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赤くて大きな月

夕方、会社帰りに娘を迎えに行き、買い物をして帰る。
スーパーから出ると、日が暮れて真っ暗。
民家の低い屋根の上に丸い月が顔を出したところだった。
見慣れているはずの風景が幻想的な別の世界のように見える。

「わぁ、今日の月は赤いね!不気味。こんな日にはきっと何かが起こるんだよ」
娘がはしゃぐ。
「そうだね。地震とか?磁気嵐とか?」
冗談を言って私は笑いながら車に乗り込みエンジンをかけた。
娘は車の中からも尚、月を目で追いながら、
「それにしてもこんなに赤いのは異常じゃない?」などと言う。
あれ?もしかして本気で言ってる?

そこで「低い位置で月が赤く見えるのは…」と説明。
「夕日が赤く見えるのと同じ原理。地球大気圏への光の入射角が浅いから
 赤い光線だけが通ってくるの。不思議でもなんでもない」

「あ、そうなの?なんだぁ」娘は興奮をそがれたようで少しガッカリ。
しかし、「でもさ、でもさ、今日の月は大きいよね。いつもの2倍はあると思わない?」
とか、まだ言う。
ほんまに中学生か?

「大きく見えるだけで、実際の大きさは同じだよ。
 低い位置にあると比較する対象物が近いので目の錯覚で大きく見えるだけ。
 ものさしでも使って測ってみればいい」
夢を壊して悪いが、そうそう天体はアクティブに動くものではないと教えておかなければ。

「ええーっ、じゃあ、これって普通の事なんじゃん。
 今日は別に特別でも何でもないの?えーー」
すっかり気持ちを萎ませる娘。

そうそう、現実なんてそんなもの。
平凡で、ドラマチックなことなど起こらなくて、淡々と味気ない日常が続くのが人生さ。

だけど、
なぜ地球の大気を通った光は角度によって色を変えるのか、
なぜ人間はそれを見て「美しい」とか「不気味」とか感じるのか、
なぜ環境によって目に見える物の情報が左右されるのか、
なぜ人は無意識のうちに非日常の出来事を探し求めて、それを楽しく思うのか、
謎や不思議は沢山あるんだけどね。

それを「不思議だな~。ワクワク」で終わらせるのか、
「本当のことを知りたい!」と望むのかは本人次第なので、好きにすればいいけど。

戸塚ヨットスクール 戸塚宏校長との出会い 4

セミナーは、新大阪丸ビルの5階会議室であった。
部屋の前には花さんが待っていたので、そこで改めて「はじめまして」。
参加者は10人ちょっと。だいたいいつもそれくらいだそうだ。

こちらのセミナーでももちろん教育の真髄を語る深い話が聞けた。
「楽(がく)」とは何か、人権宣言における「権利」の本当の意味とはから始まって、
「進歩」とは、「恥」とは、「生きようとする力」をどうやって身につけさせるか、等々、まだまだ沢山の
我々が誤って使っている言葉の本当の意味や、大切な「大和魂」の復興の必要性などお話いただき、
本を丸ごと一冊どころか、二三冊分ぐらいあろうかというぐらいの内容だった。

日本という国は、かつては本当に良い国だったのだ。
しかし、壊れた。壊された。
それを取り戻し、より良くして行けるかどうかは、次の世代を育てている我々の使命。
普段はそんな大きな事など考えるような柄ではないが、
戸塚校長の情熱に当てられて、ついそんなことを考えてしまう。

花さんは、戸塚校長の側にいるだけで癒されて安心すると言われていたけれど、
私はどうやら熱を帯びる性分らしい。

セミナー後に懇親会があると聞いていて楽しみにしていたが、
今回は戸塚校長が体調不良でドクターストップが出ているそうでなしになった。
そこでまた皆、驚いた。
「体調が悪くてあの喋りだったの!?すごい!」と。
本当にそんな事は微塵も感じさせない迫力だったのだ。
これも戸塚校長の精神の強さゆえか。


その後、私と前PTA会長のIさんとは道頓堀のセントジェームスでライブを聞き、
その間に花さんはモデルをしている友人と食事。
後で落ち合い、軽く飲めるワインバーに。
そこで戸塚校長についての面白すぎる話題で盛り上がり、お腹を抱えて笑っているうちに終電時間。
駆け足でめまぐるしい一日はこうして終わった。

さあ、次はこの稀な出会いをどう自分の身近な世界に活かすか、という課題が待っている。
この一年は、楽しくなりそうだ。
まだまだ疾走し続けるぞ!

戸塚ヨットスクール 戸塚宏校長との出会い 3

大阪には、私とPTAの前会長のIさんと二人で行った。
Iさんはもちろん、戸塚校長の教育に対する信念を高く買っている。

セミナーは夕方5時からだが、広島から行くということで「戸塚ヨットスクールを支援する会」の方が
戸塚校長のスケジュールの調整をしてくださって、セミナー前に面談させていただけることになった。
よく新大阪駅横のホテルのロビーを利用されるということで、そこで落ち合う。

初めてお会いした戸塚校長は、思っていたより小さな方だった。
ゴツイ海の男をイメージしていたが、猛者というより骨太でありながらもクルクル軽快に動けそうな印象。
エネルギッシュな太陽のようなオーラを放つ、笑顔が素敵な優しい紳士だ。

名刺を交換すると、戸塚校長はさっそく今の戸塚ヨットスクールのスクール生についてお話を始められた。
現在預かっている生徒はだいたい10人程度。
子どもだけでなく大人もいて、今は40代の男性もいる。しかし直るのは難しいだろうとのことだ。
その人は頭は良いので自分の権利を主張し、「尊重しろ」と求めるそうだ。
「尊重できる何を持っているのか見せてみろ」とやると、何もできないのでぐうの音も出ないのだが、
それでも自分がこうなったのは他人のせいで、自分は悪くないと思っている。
「支援する会」の方が見ても、入校したばかりの頃と比べて二ヶ月程で見違えるほどさっぱりとした顔に
変わったらしいが、それでも「直る事はない」らしい。
「せめて少しでもマシにしてやる事ぐらいしかできない。もっと早いうちなら直せたのに」と心底残念そうに言われる。
「本当に可哀想なんだ。彼は一生、人並みの幸せを味わうことができないんだから」
聞きながら横で頷く支援する会の人。

どのような経歴があって、どんな状態でヨットスクールに来られた人かは知らないので、
何がどう「直らない」のか、どんなふうに「可哀想」なのか具体的にわからないが、
戸塚校長は、その人のこれから先の人生を見据えた上で、
今、自分に何が出来るかを常に考えておられるのだろう。
本に書かれていたあれこれが、にわかに立体的な血の通ったものであったと感じられてくる。

戸塚校長とは、2時半からセミナーの時間ギリギリの4時半までお話させていただいた。
校長はずっと喋り通し。質問にもズバズバ明快にお答えくださる。
本当に中身の濃い、充実した時間だったので、面談というよりセミナー前にもう一つセミナーを受けたかのようだ。
こんな贅沢なことがあっても良いのだろうか。

戸塚ヨットスクール 戸塚宏校長との出会い 2

戸塚校長に直接お会いする事を決めてから、身近にいる何人かの子を持つ親たちと話をする機会があった。
そこで、一般の人たちの戸塚ヨットスクールに対してどんなイメージを持っているのか聞いてみたのだが、
思ったほどには拒絶反応は少ないというのは意外だった。
事件当初のセンセーショナルな報道の渦中には感情的に煽られたとしても、長い時が過ぎ、
有罪とはいえ無期や死刑になるわけでもなし、出所してからもスクールを続けていられるということで、
「殺人じゃなかったんだ?もしかしたら、そんなに悪くもなかった?」と冷静に捉えている人が多いよう。
特に男性などは、自分で調べて戸塚校長の教育理念を賛同できるものだと考えていたという人達もいたりして、
ますます心強い。

ただ、中にはあからさまに顔をしかめる人もいる。
しかしよく話を聞いてみると、「あの、コンテナに閉じ込めて熱射病で殺した事件でしょ」と
他の事件と混同しているのだった。別々に話をした3人の人が同じ事を言った。
つまり、あれだけ連日過熱報道が繰り返されていたというのに、
事実を知る人がいかに少ないかがわかろうというもの。

なぜ戸塚ヨットスクールは徹底的に攻撃され、真実に蓋をしたまま存在を否定されたのか。
隠されるものには、隠そうとする側の意図がある。
誰が、何のために?

荒れて病んでいく子供に、家庭も学校もカウンセラーもなす術がない。
いずれ自死するか、犯罪を犯して刑務所に入るか、壊れて精神病院に行くか、
最悪一家全滅、それとも通り魔殺人か。
そんな状態の子どもが、戸塚ヨットスクールに入ると直る。
日本で唯一、ここだけが明らかな成果を上げる。
それが困る奴らが、権威の保持と保身のために潰しにかかったと考えれば、すべての辻褄があう。

戸塚ヨットスクールの事件から30年。
はたして、あれから教育は良くなって行っているだろうか?
受験地獄が心の潤いをなくさせ凶悪事件の低年齢化や虐めの激化、精神を病む子どもの増加を招くとして
「ゆとり教育」が取り入れられたのではなかったか。
しかし、歯止めはかからないどころか、更にエスカレートしていくばかり。
子どもの数は減っているのに、教師は雑事に追われ、子どもと関わる時間もない。
自由時間が増えた子どもが家にいても、親は仕事で、一人でゲーム。それともメール、チャット、出会い系?
学習時間が減れば、学力低下は当然のこと。
なのに、世界でランクが下がったなどと慌てふためき、今度は「脱ゆとり」を掲げて方向転換。
おまけにあれだけ悪し様に言って廃止したはずの「偏差値」を、やっぱり復活させるとか。
方針がこんなに迷走したのでは、まともに育てという方が無理だろう。

今の子供は夢がないと言われるが、
どんな大人を育てたいのかのビジョンがないままの教育を施してきた側はどうなんだ!
という話だ。

これまでやってきた教育は間違っていた。まずはそれを認めなければ、次には進めない。
問題がこれほどに目の前に突きつけられているにも関わらず、
解決できないままに被害者意識を募らせるばかりの大人は多い。
このままの路線で行けば、やがて破滅は見えている。

それを何とか立て直そうとされている数少ない一人が、戸塚宏校長だと私は確信している。

戸塚ヨットスクール 戸塚宏校長との出会い 1

先週の土曜日に大阪に行った。
隔月で開かれている戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長のセミナーに参加するためだ。
ほんの2ヶ月ほど前には考えてもいなかった展開に、縁の不思議さを感じる。

戸塚ヨットスクールと言えば、かつてその悪名は日本全国に知れ渡ったものだ。
「事件」が起きてから、もう30年が経つという。
その頃の報道で知る限り、私は戸塚校長のことを鬼のような極悪の暴力人間なのだと
信じて疑いもしなかった。
「校長以下数人のコーチ全員による体罰」「冬の海に突き落とす」「泳げない子を水に沈める」
「殴る蹴るが日常茶飯事」「監禁し厳しい監視体制」「劣悪な生活環境」・・・等々、
まだまだいろいろ言われていた。
そして「人が死んでいるにも関わらず、一切の反省の情が見られない」ともくり返し聞いた。
テレビに映る戸塚校長は、いつも口を真一文字に結んで目を吊り上げてマスコミを怒鳴りつけており、
ようやく逮捕されたと思ったら、手錠をかけられた腕を高々と上げて挑戦的な態度。
どこまで厚顔で恐ろしい奴だろうかと憎々しく見ていたものだ。
私はてっきり死んだ子たちは、殴り殺されたり、水に沈めて溺れさせられたものだと思っていた。
つい数年前までは。

それが違うということを知ったのは、日野先生の武禅でのことだった。
雑談では、様々な話題をする。
武道やダンスの話はもちろん、職業に関すること、健康について、政治や経済。
しかしどんな話題でも、将来的なことを考えると結局は「教育」に結びついてしまう。
「今のようなやり方では、まともな人間は育たない。日本の未来は無いだろう」
半ば諦め気味に日野先生は語られる。
もちろん完全にさじを投げてしまっているわけではないのだが。
そんな流れの中で「戸塚ヨットスクール」の話も出た。
日野先生は戸塚校長を非常に高く評価されておられる。
「あの人は、まともやぞ」
そこで聞いた、戸塚ヨットスクールに預けられる子どもの実際の状態や
預けに来る親たちの様子など、これまで報道で得られなかった情報には、まさに目からウロコだった。
マスコミは嘘っぱちと知っているつもりが、まんまと騙されていた。

しかし、戸塚校長が真っ当な教育者であると知ったからといって、
それで特に関心を持つようになったわけではない。
事件は遠い昔のことだし、戸塚ヨットスクールは遠い場所、
戸塚校長は自分とは直接関係のない遠い有名人。
その時点では、私の中で単なる知識の一つでしかなかった。

それがグッと距離を縮めることになったのは、12月の頭に届いた一通のメールからだった。
以前、日野武道の教室に通っていた花さんという方が、
日野先生のHPからのリンクでこのブログをしばらく読んでくれていたそうで、
別ブログに書いていた戸塚ヨットスクールでの飛び降り事件の記事で戸塚校長に興味を持ち、
本を読んだり実際にスクールに足を運んで校長の人となりを知り、
すっかり魅了されてしまった、とお便りをくださった。
花さんは、「『このままでは日本はダメになる』と、素晴らしかった日本を取り戻そうと頑張っている
戸塚校長のほとんど信者のようになってしまっている」とまで言われるほど。
そして、「ぽあんさんは、校長に会われた事はあるのでしょうか?」と聞かれたのだが、
私は人伝えで聞いた話で知ったかぶりをしているだけ。

ということで、「これは是非とも一度お会いしなければなるまい!」と
今回のセミナー参加に至ったというわけだ。

お望みの宇宙を作ります

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私は弱い

私は弱いなと思う。

この自分の弱さに腹が立つ。

何も感じないぐらい図太くなれ!

それができなければ、大騒ぎしろ!

何を隠そうとしているんだ。

取り繕って誰にも知られないように。

嫌な思いをさせられたのに、機嫌を損ねないように気を使ったりして。

何もなかったかのように明るく振舞う毎日。

馬鹿!!


気分の悪さはおさまらない。

ずっとずっと吐き気がする。

あの男の顔を見るだけでオエッとなる。

それなのに、目の前で吐くこともできないで、なぜ笑顔。

死ねよ。

ずっとずっと心の中で呪ってる。


奴がよこす飴は食べることを考えるだけで胃が逆流するので、
そのままゴミ箱行き。

それすらコッソリとか、どこまで臆病者なんだ!


私は弱い。

私は弱い。

強くなれ。

あんなクズのために、この私がほんの毛筋ほども傷ついてやることはない。

強くなれ。

自己愛─自分大好きモンスター

哲学者が持ってきた手書きの原稿をパソコンで文字入力するのが私の仕事。

主語、述語入り混じるハチャメチャな文脈を解読し、適当な所で句読点を入れ、
適切な言葉に置き換え、正しい漢字に直し、何度も何度も繰り返される文は一つに削り、
足りない言葉は補い、一応はちゃんと読めるぐらいに文章としての体裁を整える。

全何巻の大全集になるのかならないのか知らないが、そこは私の責任ではないので、
これも文章力を磨くための練習だと思えば仕事自体は楽しい作業だ。

哲学者はあちこちに書き散らす。
原稿用紙はどっさりとある。ノートも何冊もある。
しかし、思いついたときにたまたま手近にあった電化製品の説明書の端や、
納品書の裏とか、楽譜とかに前後の脈絡もなく思いついたことを書くのが癖。

前に何度も書いた同じことや、手元の資料の丸写しなんかは、
そんな急いで書く必要もないだろうと思うのだが、とにかくそんなことが多い。

先日は、何枚もの茶封筒の両面にバラバラと書いてきた。

「そんな物に書かなくても、ノートは沢山ありますよ」と渡すと、
ページをめくって以前書いた文を読んで、
「これ僕が自分で考えて書いたもの?それとも何かを参考にしたのかな?」と首を傾げる。
私が知るわけがない。

そんな事は放っておいて、とにかく仕事、仕事、とテキストを入力していると、
「この元の原稿は捨てずに全部とっておいてくださいね」とのこと。

「後の時代に高い価値が付くものだから」
だそうだ。

彼の今後の予定はこう。
「書き上げた原稿を持って大きな出版会社を回れば、
 数社から「ぜひうちから出させてください」と頭を下げて頼みに来るだろう。
 その中で一番条件が良い出版社を選んで、専門の編集の人間を付けてもらう。
 本にしたときに読みやすいように本格的に文を練り直したり、プロのイラストを入れたりして、
 まずはハードカバーの本を完成させたら、大々的に宣伝をして売り出す。
 これまでにない内容なので、たぶん反響は大きい。
 ノーベル賞を取ったような科学者たちもいろいろ質問してくるだろうが、
 何を聞かれても答えられるように裏づけとなる資料は揃えてあるので大丈夫。
 第一版は日本で出すが、そのうち海外からも翻訳したいというオファーが来て、
 世界中で話題になることだろう」

「僕の本を読んで驚いて『一人の人間がそんなにいろいろな事について知っているわけがない』と、
 僕一人で書いたことを疑う人がいるかもしれないからね。
 そのときに元の原稿を見せればわかるだろう?」
だそうだ。

「しかし不思議なんだよね。
 寝てて起きた時にパッと頭にアイデアがひらめくんだよ。
 あまりに不思議なので、もしかしたら妄想癖があるんじゃないか
 心配だったこともあるぐらいなんだけどね。ハハハ。

 でもこれは、僕がやらなければならない、僕にしかできない使命なんだろうね
だそうだ。

もっと真面目に心配したほうがよかったと思う。

自分にこれほど自信がある人も珍しいが、
この自信の根拠は、中学校の時によく目をかけてくれた担任が言った
「君は、文章を書くのが向いているよ」というひとことらしい。

幸せそうで羨ましい性格、と言いたいところだが、痛すぎてぜんぜん羨ましくない。


私が受けたセクハラについては、夫に全部話して、
たまたま恩のある取引先の人と懇意にしていたものだから、
そちらからそれとなく釘を刺してもらって解決している。

その付き合いの長い取引先の人が哲学者を評して
「ひどく自己愛の強い人」と言われていたそうだ。

自己愛を他の言葉で言い換えれば、
自分だけを大好き人間の周囲に対する独りよがりで勝手な執着ということになろうか。


「自己肯定感を持ちましょう」
「自分を大好きになりましょう」

そんなことを、最近はどこでも言うし、
教育の場でも、ビジネスセミナーや自己啓発系のグループでも良いこととして使っているが、
本当はものすごく恥ずかしくて恐ろしいことなのではないかと考えさせられた。

褒められるだけで育った挫折知らずのボンボンは、
年を取っても夢と現実の区別が付かないガキのままだという証拠を目の前にして。

お花畑とお星さま

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優しい洗脳とはじめてのおつかい

日本人で「はじめてのおつかい」を知らない人はいないだろう。

幼い子どものワクワクドキドキの大冒険にカメラが付いて回り、
道を間違えたり寄り道したり、迷ったり、他人とふれあったりの中で、
泣いたり笑ったりする姿を多くの人がお茶の間で微笑ましく見ている人気番組だ。

が、例によって捻くれ者の私はこの番組が大嫌いだったりする。

いかにもいかにもの作りがあざとくて、見る奴の気が知れんというか。

まあそれは人それぞれの好みだから、ストレスで乾ききった心のオアシスにしたいとか、
小さくか弱い者が困って泣く姿を見るのが「たまりませーん!」というS的欲望を満足させたいとか、
そんなのがあってもなくても別にとやかく言うつもりはない。
好きなものは好き。それでいい。

しかし、うっかり番宣で流れてきた歌を聞いて、驚いた。

なんだ、これ? 
ひどい洗脳ソングじゃないか!と。


私が聞いたのは、挿入歌の「しょげないでよBaby」という歌。

聞けば聞くほど「ん?」「んん?」「んんん・・・???」と首を捻ってしまう言葉が出てくる。

歌詞を掲載すると著作権法に引っかかりそうなので各自ググってもらうこととして、
ここではどういった危険なメッセージが盛り込まれていたかだけ紹介しておく。

「しょげないでよBaby」で始まるこの歌、
歌詞を調べる時に知ったのだが、いつもおつかい中の子どもが泣き出したときに流れるらしい。
いわば、番組内で視聴者の感情が一番揺さぶられるシーンということ。

歌詞で私がまずカチンと来たのは、「ママのわがままは心配するな」
子どもがわがままなのはわかるが、ここでは母親がわがままだと言っているのだ。
子どもに対して自分勝手に振舞う手のつけられない大人がいるということがまず前提。
このように、のっけから親と子の立場を逆転させる仕掛けとなっている。

そして次に「パパより知ってる ママのやさしい瞳」と来る。
父親と母親は夫婦であり、いわば運命共同体。
それをガキが「自分の方が知っている」とは思いあがりも甚だしい!

その上、言うに事欠いて母親を「僕の大切な友達」と呼ばせるのだから、
いったい親を何だと心得ているのだろうか!

他にもまだまだある。

「パパも僕も いい子でいるから」 一家の大黒柱がガキと同列か!

「大きくなったらママをお嫁にきっともらってあげる 父親と母親が夫婦だと理解させろよ!

「なんだかママはおかしい 早くパパ 帰って来て 僕一人じゃ手におえない」
大人が子どもに世話焼かせてどうする!

「僕もステキな大人になってあげる この恩着せがましい言い方。しかも上から目線。いったい誰が教えたんだ!

そんな具合に、とにかく親を子どもと同等かそれ以下の存在に貶めようとする意図がプンプン匂う。

「崖の上のポニョ」(参考:ポニョ、母としての見方)同様、
親子関係を崩壊させるメッセージをふんだんに散りばめていながら、
それを微笑ましい良いことと受け入れさせるように巧妙に仕組んでいるのがこうしたテレビ番組。

だから、誰も気持ち悪いとか、危険であるとか気付かないうちに思想を統制されてしまうのだ。

子どもたちにこの話をしたところ、思ったとおり、
「お母さんは過敏すぎる。そんな意味なんかあるわけがない。深く考えるようなことじゃないよ」との
答えが返ってきた。
もちろんわかると期待していたわけではない。

とりあえず、一冊の本を渡してみるところからはじめる。
私がその昔読んで衝撃を受け、以来、物を見る目が変わった本だ。

「23分間の奇跡」

罠は隠された目的を持って、どこにでも巧妙に仕組まれている。
とても優しく、正しく、心地よく、親しみやすい笑顔で近づいて、
流れに逆らわず従順であることがいかに楽で得であるかを説き、疑いを捨てさせる。
眠らせたままこき使い、その生き血を搾り取るために。

その証拠が目の前に見えていたとしても誰も気付かない。

親が子をきちんと教育して十分に精神を成熟させた大人にしてもらっては困る奴らがこの社会を牛耳る限り、
優しい洗脳はこれからも続いていくのだろう。

男の性(さが)とか、知るか!ボケ!

かーっ、けったクソ悪い!

新年から何言うてけつかんねんな。アホたれがぁ。

なーにが「オフイスラブ」じゃ、コラ。

なーにが「男はいくつになってもオスだから」じゃ。

なーにが「月に10万ぐらいなら自由になる」じゃ。

くたばれ、エロジジイが!

「自宅と職場を行き来するだけの人生は空しい」? は? 楽しみぐらい自分で見つけろや!

「飲み屋の女は病気が心配」? は? その前にテメーなんざ相手にもされねーよ!

「カラオケやダンスサークルで相手を見つけるような遠回りはしたくない」? は? 

ってことはあれじゃねーか。
「愛」だの「人生の目的」だの何のかんの理屈を言いながらも、本音は「即、一発やらせろ」か。

疲れないように安全にお手軽に済ませたいってのが、もう老人だっちゅーの。
若いエキスを吸わないと元気になれないようなジジイを誰がそっちの対象にするかよ。

「いやよいやよも好きのうち」とか、まだ言うか! 血見るぞ!

「そのうち外で会うことも」とか、いやいやいやいや200%ありえんから!

「浅く広くより、一人の女を深く知りたい」とか、お前、自分が何を言ってるかわかってるか?


だめじゃのぉ。金と力だけあって遊び方を知らんような男は。
おとなしく枯れとけや!

ま、これくらいのセクハラは軽~く往なすけどな。
こちとら、伊達に修羅場はくぐってねぇぜ。

しっかし、ほんま、しょうがねぇなぁ、男って奴は!

私の素晴らしさをわかってください

ある人たちのTwitterでのやりとりを元にした創作会話。


A「僕は君が嫌いだよ」

B「嫌われて悲しいです。私はあなたが大好きなのに。
  どうして私が嫌いなのか考えてみましたが、私のことをあまり知らないからではないでしょうか」


A「なぜ僕が君を嫌いかというと、それは君が醜いからだよ」

B「醜い・・・確かにそうかもしれません。
  でも、見る人が見れば価値があるんです。歪んだ教育を受けた人には正しく見えません。
  どこが醜いのか言っていただければ、その本当の意味をご説明します」


A「もう、物まねせずに個性で売っていけば?」

B「良いものを広く多くの人に知ってもらうためなら、物まねでもいいじゃないですか」

A「一般の人は醜いものなんか見続けたくないんだよ。
  でも、これが君の個性だと言うなら勝手にやってればいい」


B「一般の人も時代と共に変化します。私の良さがわかる人はこれから増えていくでしょう」

A「だったら今、君の良さがわからない人を絶交しないであげてくれる?」

B「そんなこと、あなたに言われる筋合いはないです!」

A「僕は誰も絶交してないし、僕の体験や感覚でストレートに話をしているだけだ。絡んでくるなよ」

B「美について、誰もが無条件、無教養でわかるものというのは妄信です。
  日本の歪んだ情操教育の弊害でしょう。
  私を虐めて楽しいですか? 時代の波はすぐそこまで来ています。後で後悔するのはあなたですよ」


A「絶交か・・・」

B「私のことを知れば私の価値の高さがわかるはず。もっと勉強しなさい!
  何?周りで見ている人たち、そんなに面白い? 集団で私を取り囲んで。リンチは楽しい?」



【元ネタ】北久保弘之氏と村上隆氏、新年早々ガチバトル

単なるお遊びで弄っただけだから、どっちがどうってことはないのだけれど。

ただ、嫌いだって言う人に好かれようとするのは無理だよね。
嫌いな人のことなんて、知りたくないもの。


ちなみに、私は「醜」の中に魂の芸術を発掘した岡本太郎さんを敬愛しているが、
デザイナー仲間の誰もが絶賛していた横尾忠則さんはどうしても好きになれなかったという人間。
最近の村上隆さんのアートも虫唾が走るぐらい気持ち悪くて嫌いなので、きっと時代に置いていかれる組。
「ARTがわからない奴と笑われようが蔑まれようが上等だ!」と思ってる。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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