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ストレスといじめ

農家をやっている知人は、鶏も飼育している。
そこで鶏小屋の管理を任せていた人がデタラメなことをしていたため、
雄と雌の割合を適正に保つことができてなくて、
気がついた時には、小屋の中に多くの雄がひしめきあうという状況になってしまっていた。
雄の鶏は気性が荒く、ストレスがかかると半端ない攻撃性を見せる。
その中で犠牲になるのが弱い仲間。
寄ってたかって突きまわされて数羽が血塗れに。
目を潰された奴もいれば、中には頭を集中的に狙われて頭蓋骨まで穴があき、
脳みそをブルブルさせたまま逃げ回っていた個体もいたそうだ。
担当者が変わったため、近々すべて殺処分になるのだが、
それまではとりあえず、傷ついた鶏はそれぞれ隔離し守ってやっているという。
「ヒヨコの頃は皆ピヨピヨと、寒い時は身を寄せ合って押し競まんじゅうして可愛いのに、
 なんでこんなに凶暴になるかなぁ?」
と言っていたが、それはそういう本能を持っているのだろうから仕方ない。

なにしろ、自然ではなく人為的に作られた群れだ。
管理を間違えば悲劇は起こる。

この鶏の行動を言葉にした時、
多分、誰しもが「鶏同士のいじめ」という言い方をするだろう。

狭い所に押し込められたストレスのはけ口としての、いじめ行為。と。


しかし、これをもし人間に置き換えたなら、
目玉をえぐったり、頭蓋骨かち割らったりを「いじめ」とはとても呼べないだろう。

逆に、鶏のこうした行為を「暴行」「傷害」「殺人(鶏?)未遂」とも言わないが。

そう考えると、
「いじめ」という言葉は、今、あまりにもあやふやに使われていやしまいかと思う。
そろそろ、明確な定義が必要ではないだろうか。

「体罰」と「虐待」の定義と共に。


それにしても、学校の箱、家庭の箱、会社の箱、社会の箱のストレスから
弱い者にターゲットを定めて虐げる事例の多さにはうんざりする。
いい大人まで。
ニワトリ頭のなんと多いことよ。
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神の約束

ある宗教の神様は沢山の人を殺す。
ということは、その宗教にとっては人が死ぬ事は悪いことではないのだろう。
信者は約束された神の国で永遠に生きられるのだから。
と言うと、
あの 地下鉄にサリンを撒いたカルトとどこが違う?となりそうだが、
それは違う!
片や、家族を捨てさせ教祖の言う事は絶対な少数派。
片や、家族ぐるみが標準の1冊の本を絶対とする多数派。
ぜんぜん違う!
たぶん。。。。(笑)

口に出す願望

「幸せになりたい」
「幸せになろうよ」
「みんな、幸せにな~れ」

と口癖のように言う人に

「幸せじゃないんだね・・・可哀想に」

と言ったら機嫌が悪くなったよ。
どうして?


「俺は義に生きたい」

と常々語りたがる人に

「そうなんだ。今は義に生きてないんだね」

と言ったら怒ったよ。
どうして?


「金が欲しい。金持ちになりたい~」
といつもいつもピーピーな私は、

「お金がないんだね」と言われても

「そうなの。貧乏で困っちゃってんだよー」となるだけだが。



本当の事言われて、怒る事はないよね?

右肩上がりのダンディ

「成長」「成長」と口にする人ほど、停滞してる。

「成長を求め続けるオレ」って奴に。

「オレ様かっけ~」と酔い続けているのがイタクて見てられない程なのに、
本人と似たり寄ったりのその取り巻きだけが気付かない。
その上、「そんなオレ様を理解できない凡人共め」と周囲を見下したりなどして。

そもそも、その「生まれてきた目的」として拘ってる「成長」とは何なのか?

成長しようと思ってしている事は本当に成長に繋がっているのだろうか?


たとえば、オギャーと生まれた時は何にも出来ないけど、
胎内に居た時からちゃんと成長してたからこそ、生まれる準備が整った。
意志とは関係なく自然に。
そして、身体が大きくなる、首が据わる、立つ、歩く、喋る、本を読む、
そんな事も「やろうと思って頑張ってやった」という人は、いない。
親や周囲は「早く成長して欲しい」とか「成長したな~」などとは言うが、
幼稚園ぐらいの子どもが「成長してる」実感を持ってるとか、
「より成長をめざす」とかはありえない。
せいぜい大人が喜ぶから「いっぱい食べて早く大きくなる」と無邪気に言うぐらい。
しかし、この時期の成長率が多分、人間の一生で一番のはず。

出来ないことが出来るようになる、
自分で自分の面倒が見れるようになる。
これが「自立」のための基本的な成長。

それ以降は、人間社会で生きるために「教育」が必要になってくる。

最近では、
「学校教育なんか施政者の都合の良いように「洗脳」するための物だから必要ないんだ」
などと言う無責任馬鹿がいたりもするが、
社会の基本的ルールを身につけていなければ、自由に生きられるどころか、
引きこもるか刑務所暮らしするしかなくなるのは当然の事。
ジャングルでターザンみたいに一人だけで生きていくのならいいが、
皆でチェスをやろうという時に、いきなりキングを取って「勝った!」などとしたら、
誰も「お前とは遊ばない」となるだろう。普通は。

だから「ありのままでいいんだよ」などと言う人間を信用してはいけないのだ。
人は、野生動物ではなくて「人間」に成らねばならないのだから。

このように教育で知識をつけて頭を良くするのも、もちろん「自立」の為ではあるが、
もうひとつ重要な意味がある。

それは、「世の中の役に立つ人間になる」目的だ。
なぜなら、人間とは他人の役に立つ事で幸せを感じるようにできてるから。

結局は本人の「喜び=快」に行き着くと言えるかも知れないが、
これは、物欲、食欲、性欲、名声欲や権力を満たす「快楽」に似てるようで全然違うもの。
だから、間違うと悲惨だ。
日本人に年間に3万人の自殺者が出てるのは、
全部、この間違いから引き起こされてるって言ってもいいのではないかと私は思う。

金がないと不幸だとか、競争に勝たないと不幸だとか、
そういう狂った価値観が「役立たず」を量産して、
自分で自分を始末させてしまうシステムになってしまっているのが、今。

こんな風に、高みを目指す「成長」は、挫折や頭打ちに絶望的に弱い物なのだ。

より良くなっていく、より幸せになっていくのは、
決して自分ひとりでは為せない事。

「成長するために」なんて言葉はいらない。

誰かの、何かの役に立つには今の自分に何ができるだろうかと働き続けていれば、
自然と足跡は残る。
それだけのことではないか。

邪魔する何か

「やっぱり・・・」と思った。

仲間内が集まる新年会を企画した中で、
良い機会だから知り合い同士を紹介しようと思ったのだが、
私が行動を起こした途端に気付かれてしまったようだ。

邪魔する、何かに。

まさか、そんな馬鹿なオカルトめいたことがあるわけがない!
・・・と打ち消したいけれど、偶然にしては合致してしまう。
私の否定したかった予感と。


知り合いの女性に、原因不明で身体のあちこちの具合が悪い人がいる。

もともと内臓系や免疫が弱かったりするのか調子を崩しやすく、
頭痛、めまい、吐き気、節々の痛みが頻繁にある。

そして不思議な事に、いくら検査しても悪いところが見つからない。

病院では治らないからと整体師の所に通っており、
その気の流れが見えるらしい整体師に「~~(内臓)が~~(滞っている)から」と
原因らしきことを突き止めてもらったとは聞くが、
順調に治って行っているようには見えない。

そこで、
私には仏の導きで出会い、交流を持たせていただいている先生がいて、
その方もやはり整体を本職とは別に困っている人相手にされていたりするので、
彼女に「一度見てもらったら?」という話をしてみた。

しかし、喜んで「行きたい!」と意欲的に答えた割には、
いざ何日に行こうかという具体的な話になると、都合が悪いとのらりくらり。
今度、今度と引き伸ばされて、ダラダラと立ち消えていた感じだった。

そういった経緯を仏の導きの先生にお話したところ、
先生はにっこりと笑って「まあ、そうだろうね」と、まるでわかっていたかのよう。

「えっ?どうしてですか?」と聞くと、

「うん。そういう事はよくあるから。
 これは怖がる人が多いから、あまり人には話さないんだけど、
 憑いている霊がね、離されたくないから邪魔をしてくるんだよ。
 ここに来たら治ってしまうだろ。
 まあ、それ以前にそのままではここに入って来る事もできないだろうけれど」

「ええ~~~っ?」
もちろんオカルト嫌いな私は疑惑の目だ。
良い先生だし、仏の力とかは信じられるけれど、
でも、失礼ながら「霊」とか言い出すと途端に胡散臭く感じてしまうわけで。

それでも、いつか見てもらうチャンスも来るだろうと思っていて、
今回、丁度いい機会だから引き合わせようと思い立ったのだった。

彼女が本音では今通っている整体師以外の人に観てもらうのに抵抗があるのなら、
予め教えておくと避けられてしまうかも、と思った私は誰にも何も言わずに
先生に連絡をとって来てもらえる事になった。

「よしっ!ヤッタ!これでもしかしたら彼女は長年の痛みとオサラバできる?!」

しかし・・・・やはり邪魔する奴は手強いようだ。

今朝、彼女からメールが入っていた。
「火曜日から熱が出て、その他にもあちこち具合が悪くて寝込んでいます。
 楽しみにしていてとても残念ですが、新年会には行けません」

熱が出はじめたのが、私が先生に電話をかけた丁度その日からとか・・・・。

こうして断って、先生に逢う可能性が消えた事で、
多分、彼女の今出ている症状は急激に軽くなって行くような気もしないでもない。

なんて事考えたりしてたら、オカルト嫌いの名が廃るよなー。

退部届けがもらえない

私に似て運動神経が0のトロくさい末の娘が
中学入学の時に何をトチ狂ったのか体育会系クラブに入部。
これを期に身体を動かすことの楽しさを知るか?と期待したものの、
そうは問屋が卸さない。
筋肉痛+あっちこっち擦り傷打撲だらけの毎日。
面白がってわざと同じ所にボールをぶつけてくる先輩がいたりして、
1学期が終わる頃には「辞めたい、辞めたい」と言うようになった。
その気持ちは顧問の先生も指導のコーチも知ってはいるが、
なにせ人数の少ないクラブ。
一人抜けても試合に出られないということで引き伸ばされてきた。
しかし、楽しくもない部活で時間を取られて
本当にやりたいことが出来ないのがどうしても我慢できない娘は
とうとう本気で辞める決心をして退部届けをもらいにいったらしい。
だが、結果は却下。
「やりたい事があるんです」→「部活出ててもできるよね?」
「勉強に集中したいんです」→「他の人もクラブと勉強両立してるよ」
そして遂には、「キャプテンに許可をもらってからね」と言われたとか。
このキャプテンというのが、娘と無茶苦茶相性の悪い人だったりするものだから、
実質無理という・・・。

「で、どうすんの?」と聞くと、
「辞めたいけど、先生が退部届けくれないから・・・」とショボーン。
「ま、ガンバレ」と励ます私。
「毎日毎日『退部届けください』と100日ぐらい言い続けたら、
 先生も根負けしてくれるかもしれんし、ダメかもしれんがね」と笑うと、
娘は「うん、そうしてみる。絶対にやめる。もうね、幽霊部員になろうかと思う」
と決意は固そう。
「でも、部活は必須だから休んでたら当然怒られるし、それもストレスでしょ」
と聞くと、
「いいよ。辞めさせてもらうまで言い続ける!」
何か吹っ切れたようだ。

やりたい部活がない、周囲が希望を聞いてくれないって事で、
諦めて言われる通りに面白くもない学校生活を続けるのも本人。

風当たり強いの覚悟で、自分の時間を自由に使うのも本人。

選べばいいと思う。

何でも思い通りになってちゃあ精神は鍛えられない。
やりたい事は邪魔をされればされるほど燃え上がるってもの。

出来れば、一人でも同好会を立ち上げる!ってぐらい肝が据わってくれるといいんだがな。

自殺は悪

こんなこと、改めて言うこともないかと思ってたけど、
どうもわかってない人が多そうなので、書いておく。

自殺は、悪だ。
親殺し、子殺しよりも悪い、
人間として最低最悪の罪。

親でも子でも夫婦でも、結局は他人。
思い通りに動いてくれないのは当然で、
腹が立ったり憎んだり大嫌いになったりはあるだろう。
しかし苦しめてくる相手を
「こいつさえいなければ」と思いつめて殺したら、立派に犯罪者だ。

それなのに、自分で自分を殺したら
「可哀想」と言われる。
自殺者は一方的な被害者ではなく、殺人者でもあるのに。

苦しみから逃れたい人が他人に頼んで殺してもらう自殺幇助は嘱託殺人罪。
それなのに自分で自分を殺すのが犯罪ではないとはおかしな話ではないか。

「人は生まれたからには幸せになる義務がある」
「人は決して一人で生きているんじゃないんだよ」
「先祖から脈々続く愛によって生かされている」
なんてなキラキラお綺麗なことを日頃言っている人に限って、
自殺者に平気で同情を寄せるのだから、
その底の浅さこそが空恐ろしい。

「命を粗末にしやがってー!」となぜ怒れない?

自殺の責任が自殺者ではなく、その原因に関わった者にあるとするなら、
借金を苦に死を選んだ人の責任は取り立てをする金貸しにあるのだろうか?
対人関係に悩んで死んだら、仲良くしてくれなかった人のせい?
受験ノイローゼで死んだら、プレッシャーをかけた親のせい?それとも落とした大学?学歴社会が悪い?
原因を追求して行ったら解決するものか?
二度と自殺者が出ないように出来ると言えるか?

そんなことは無理だ。

誰かが殺すのではない。
死を選択するのは、本人なのだから。

自殺は、人としての最低の行い。最悪の罪。
このことは、子どもの命を守るため、それこそ殴ってでも教えなきゃならない事だ。


それからついでにもう一つ言っておくが、
特攻は自殺ではないからね。
彼らは精一杯生きた。
この違いも、わからん奴にはわからんだろうが。

体罰反対派の方の意見に対して

私の書いた
「それでも私は「体罰」を肯定する!」から記事を引用して
批判されているブログがあったのでご紹介。

美と健康のブログ  「実は・・・」 本当のところ
体罰肯定論に、整合性はあるか


私はこの方の意見に対して間違っているとか甘いとか言うつもりはない。
というか、普通はこれが正常な感覚だと思う。

本質的な事を言えば、「暴力」で「教育」が出来るわけがない。
人為的な痛みを伴う懲罰での強制が可能とするのは「調教」だけ。
というようなことを、
「スパンキングで躾の愚」でも書いたつもりだ。

ではなぜ私がそれでも「体罰」を肯定するのか。

それは、今の「体罰」の範疇とされるものがあまりにも広く、
これが全面的に禁止にされている事によっての弊害は大きいと感じるためだ。

昔は当たり前に課せられていた教師によるほぼ全ての懲罰・制裁が今は禁止されている。
ゲンコツ、出席簿で叩く、黒板消しで叩く、チョークを投げて当てる等だけでなく、
一人だけ立たせる、正座させる、前に立たせる、廊下に出す、グランドを走らせるも「体罰」。
それどころか、授業中に立ち歩く子を力ずくで座らせてもいけないし、
出て行こうとする子の腕や肩に触れてもアウト。
もちろん襟首をつかむなど、もってのほか。
そして「怒鳴る」ことすら立派に体罰とされているとか。

だから教師は、迷惑行為をする子に根気強く「説得」をしないといけないわけだが、
何もできないと大人を舐めている子どもが聞くわけもない。

問題のある子に対しては、
その子の目線に降りて気持ちを汲み取ってやるのが良いとされているため、
大抵はまず「なぜ、こんなことをしたんだ?」と聞いてやったりしている。
しかしそんな事をすれば、彼らは
ふて腐れて黙り込んで「ウザイ、あっち行け、キモイ」(拒絶)
哀れっぽい目で「~~が~~だから嫌だったのに、先生が気付いてくれなかった」(責任転嫁)
ニヤニヤ笑いながら「イテテ、尻が痛くて座ってられない」(嘲弄)
と返してくるだけだ。

ここで気持ちを汲み取ってやるのなら、ウザくてキモイ先生はそれ以上追求せず、
嫌な事があったのを気付いてやれなかったことを謝罪し、
無理な事は無理だと理解してやらなければならない事になるわけで、
それでは当然改善されることはなく、無法状態は続いてしまう。
そして根気強く言葉による説得をする間に、
その他の子どもの学習する権利は侵害されるが、それは放置となる。

問題ある子もない子も学習面での遅れにより学力低下をして等しく困るのが、
体罰より良い事だとは私には思えない。

教師が生徒に対して絶対的な権威を持って毅然とした態度を取るためには、
現在のように何もかもを「体罰」として禁じるのではなく、
他者の権利を害する迷惑行為への適正な処罰方法としての体罰も含む懲罰と、
単なる教師の欲求不満の解消を目的とする加害行為とを分けて、
前者を認めることが必要なのではないだろうか。

しかし、そう言うと、
「どこからどこまでが体罰で、どこからが暴力なのか
 線引きがきないので無理だ」という声が上がったりするが、それはあまりに頭の悪い言い分だ。
ひどい虐待親が「躾のために殴った」と言い訳をするのをよく聞くが、
だからといってこれまで誰か「躾禁止」と声を上げたことがあるのだろうか?
中には「絶対に子どもに手を上げない!」と決めて、
叩かなくてもきちんと躾の出来ている人もいるから、それはそれで評価される事だが、
危険な事、他に害を及ぼす事は生きていく上で絶対に戒めなければならない事であり、
まだ未熟でその判断がつかない子には、必ず何らかの罰が必要だ。
(大きな声で「ダメ!」と驚かせたり、怖い顔をして脅したり、
 散らかしたものを片付けるまでご飯を食べさせなかったり、
 外出先で走り回る子を捕まえて無理やり座らせた事はあるはず。
 子どもを傷つけてしまうからとそんな事も一切せずに
 ありのままを尊重したとすれば、逆に優しい虐待親だろう)
命と健康を守るため。そして正当な権利を奪ったり奪われたりしないため。
法律やあらゆる規則は、その為に存在している。

一律に体罰を禁止して、それで教育環境がより良くなるのならいいが、
決してそうなってはいない事実が歴然としてあり、
いまだ解決方法も示されていないのはどういうことなのだろうか?
「学級崩壊」「虐め」「不登校」は増え続け、学力・体力は低下し続け、
毎年やっていい事と悪いことの見境も付かない新成人が、みっともない姿をさらす。
それは、誰も本気で叱ってくれる人がいなかったことを表しているに他ならない。

頑張ってもテストの成績が良くならないとか、部活で記録が伸びないからとか、
そんな事は生きていく上でどうでもいいことであり、
また、殴って良くなるわけもないのは誰が考えても明らかなはず。
だから、今回ニュースになった事件が正しい体罰であったとは私は言っていない。

そして、そんな暴行と、
子どもが真っ当な社会人として自立できる事を目指した罰や強制が
同じにしか見えない人に対しては、何か強烈なフィルターがかかっているんじゃないかと、
そんな風に思っている。


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それと、私の身バレをご心配も頂いているようですが
教育委員会の人も、私がPTA会長をしている学校の校長先生も、
他、近しい何校かのPTA会長さんも、ここの愛読者ですので、
何の問題もない事をつけ加えておきます。(いろんな物の考え方があるので賛否は別として)
公務員である学校の教師がこういった事を書くのはマズいでしょうけれどね。
ただの一般人の一意見ですから。

転ばぬ先の杖使用契約書

「スマホ 18の約束 米で話題 母から13歳息子へ」が素晴らしいと
あちこちで絶賛されているけれど、
私はもちろん「マジかよ~、勘弁しろよ」と体中が痒くなった口。

こんな手紙、もし13歳ぐらいの頃の自分がもらったならと考えたら、
キモイしウザイしで、
「お前、こんな恩着せがましいことすんならiPhoneいらんから、
 手紙と一緒に持って消えろや、クソババア!」
と怒鳴ってしまったことだろう。

まあでも、親子関係、育て方は各家庭いろいろあるし、
ほとんどのお子達は、私のようにひねくれてなくて素直だろうから、
携帯やスマホを子どもにねだられて困っている親が安心材料の一つにしたいのなら、
それはそれでもいいか~とは思ってたわけ。

ただ、この話には続きができて、
今度は物分りのよいパパがこんな手紙をよこしたというんだから、
「13歳の息子へ、iPhoneの使用契約書みたよ。父からの秘密の助言書」
ブルータスお前もかじゃないけど、
かの国でも、古き良きフロンティアスピリッツに溢れた逞しい父親ってのは、
既に消えてなくなっちまってたんだなぁぁあああってなっちまったよ。

父親が母親と一緒に過干渉やってどうすんの?

これはこれで、むっちゃくちゃ鬱陶しいがな。
「う~ん、パパは君の気持ちわかってる、良き理解者なんだよ~ン」
てな感じがね、もう、プンプンで。

両親ともさー、
心配なのはわかるけど、その心配を胸の内にしまってはおけんのかと、
失敗をさせたくないと予め手を打つのはいいけれど、
なんでこうも簡単に手の内を見せちまうのかと、

欧米人はこんなふうに、
「良い母親でしょ」「良い父親だろ」って子どもにアピールする事ホントに多いよな。

国民性なんだろうから、それが悪いってことでもないけど、
だいたい日本人には合わない表現なんだって事、気付かないと。
一分の隙もない契約書を交わしてないと危険だっていう訴訟社会なのがベースだしね。

だけど、
どんなにがんじがらめにしたって、
気骨のある子は上手に隠れてちょっぴり悪い事をするものだかんね。
許可しようとするまいと。
ついでに「信じてる」と言おうが言うまいが。

でもって、大人しく親の言いなりになってるような子には、
こんな注意はそもそも必要ないわけだ。

だから、
親はその「ちょっぴり悪いこと」を子どもがするのを見て見ぬふりをしながら、
ここぞ!と言う時にグサッと釘をブッ刺すのが役目なんじゃないか。

ま、子どもがほとんど自室に引きこもってて
何をしているのかわからないような家庭だったら、
「私はちゃんと契約書を渡したんだから」ってな、安心は必要なのかもね。

それでも私は「体罰」を肯定する!

体罰顧問に「熱心」の評判も「生徒も親も文句言いづらい雰囲気」 バスケ部主将自殺
-----------------------------------------------------------

「体罰を受けて自殺」ってニュースに流れるから、またややこしいことになったもんだねー。

暴力と指導は違うっての!

虐待と体罰は違う!

誰が利する為のものなのか?
そこを押さえないで何でもかんでも「体罰反対!」って持って行くと、
さらに取り返しのつかないことになるってのに。


別にSM趣味の人でなくったって、

圧倒的に強い人の支配下で
叩かれ怒鳴られ貶められ苦しめられている人は、
ちょーっとでも優しくされると、天にも昇る心地になるもんなんだよね。

そして、
「なんとこの人は良い人なんだろう。
 この人をもっと喜ばせたい、もっと褒められたい、愛されたい」
と思うようになる。
相手を怒らせたり悲しませたりするのは自分のせいなのだと
徹底的に自己否定の罪悪感を植えつけられ、
「期待に報いるために私はもっと努力しないといけない」と
追い詰められていく・・・・・・

そういう心理状態は、ストックホルム症候群として今は知られているし、
最近の事件では、尼崎の大量殺人事件の被害者もそう。

だから、暴力を振るった人が
やられた側に「良い人だ。感謝してる」と評価されるからって、
それを鵜呑みにできるかどうかは怪しいわけ。

「良い人」「悪い人」の評価なんか、どーうでもいいの。

実際に指導された側が、その事のおかげで改善し成長したかどうかで見なきゃ。

恨んでたっていいわけよ。良くなれば。


で、今回の場合はね、私は「体罰」ではなく、
単に思い通りにならない苛立ちを弱い相手を虐めることで晴らそうとした
教師による暴行傷害と思ってる。

殴って成績が伸びるなら、
オリンピックは選手がどんだけボコボコに殴られたかを競う大会ってことになるじゃん。
ンなことはないんでね。

でも、さ、不思議なのは、
外の人が明らかな暴力に抗議して逃がすことも出来なかったってのは、なんでだろ?

もしも私の子どもが学校で教師から「体罰」と称して理不尽な暴行を受けたら、
鉄拳制裁しに行くけどな。
「間違った指導した大人に愛の体罰、体罰~~!」ってね。
非力なのでバット持ち込んで暴れちゃる。

同じ事をしてやらんと、自分が何をしているかわからんでしょ。
それは、私が自分の子ども達に幼児の頃した子育てと一緒。

でーも、
本当に殴られるに値するほどの理由あっての「教育的指導」であれば、
「私の躾が行き届かず、先生にはお手数をおかけいたしました。ありがとうございます」
と土下座してお礼を言うよ。
本来は親がやるべき所のものを、泥をかぶってでもしてくれるほどの人なら。
他から問題になったとしても恩人は守る。


というのが、体罰肯定派としての、ぽあんの見解。


ちなみに、私が自分の子どもを小学校に上がってから叩いた事は、
次男の一回だけだけどね。
この時は、
「コイツがもし将来、世の中の害になる人間になるようなら一緒に死のう」
と本気で思ってタコ殴りしたっけ。
もちろんそんな事は一切口には出しゃしないけど、伝わった。
伝わるんだよ。

だから、
「愛しているからこそ」とか、「進歩、進歩」と言いながらも
くり返し日常的に折檻しているような親や教師はね、
キチガイだ!
ってこと。

(参考:スパンキングで躾の愚)
プロフィール

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Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
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座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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