エセ科学の道徳教育
ある面白い化学実験の話を聞いた。
それは、人の吐く息には感情によってそれぞれ色がついているというもの。
色については諸説あるけれど、だいたいは平静時は無色透明、
怒っている時は暗褐色、悲しい時は青、悲しい時は灰色らしい。
もちろん気体に色が付いて吐き出されるわけではなく、
これは液体窒素で急速に冷却して粉状に沈殿した固体の色。
俗に言われるオーラの色と符合する所がもうなんというか既にモニョモニョしてくるのだが、
今はそこは置いておいて問題はその次。
怒っている時の息の粉を注射器に入れてマウスに注射したところ、
瞬時にしてマウスは気が狂ったようになって死んでしまったとか。
いや、それはそうだろう。常温では気体になるのだから。
嬉しい時の息でもなんでも同じでしょ。危ない実験だよ。
と思ったら、よく読んだら水に溶かしてということだった。
アハハハハ・・・、相変わらずそそっかしいな、私は。
しかし、一度芽生えた疑念はそうそう晴れるものではない。
怒りの息が毒ならば、喜びの息はどうなのかも知りたいものだと更に食いついてみた。
逆に楽しくなって免疫力アップの薬になるのか?
そもそも、種類に関わらず息の成分自体に毒素が混じっている可能性はないのか?
悲しみの息は? 病気の人の息は? 悪を心地よく感じる異常者の息だったら?
調べてみるのだけれど、「怒り=毒」はいくらでも出てくるわりに、
その他の実験結果の例はまったくないのだった。
怒りの息を1時間分集めると毒性は80人以上の殺傷力とか、
息の入ったビニール袋で虫が死ぬとかってのは、本当に本当?
これらの話の元ネタは、どうも笠巻勝利著「眼からウロコが落ちる本」の中の
ハーバード大学のエルマ・ゲイツ博士の実験らしいのだが、
ネット上ではいくら調べても、本の伝聞情報が使いまわされているだけで、
科学的実証データは見つからない上に、国内で同様の実験をした報告すらない。
誰も見た事がないのに息に色が付いていたとどうして信じられるのだろう。
写真すらないのに?
毒素があるというなら、その成分は?
他人を何人も殺せるほどの毒を発している人が即死でないのはなんで?
疑問にも思わずに事実として扱っているけれど、いいのかなぁ。
この辺の受け入れられ方は、「ありがとうの水」の扱いと全く同じようだと思ったら、
「水からの伝言」と同様に実際に学校で道徳教育に取り入れられてもいるらしい。
そこに逆に危機感が募るのは考えすぎだろうか。
もちろん、怒っているよりは笑っている方が自身も周囲も気持ちが良いから、
ひいてはストレスを軽減する分健康に良いだろうし、汚い言葉が精神性を損なうのも確かだが、
「毒が出るから」いけないと単なる脅しにしてしまうのは、どうも危険な気がしてならない。
人は、「これは毒だから」「これは身体にいいものだから」を結構、簡単に信じてしまう。
権威ありそうな人のお墨付きで効能が謳われたサプリメントやパワーグッズはゴロゴロ。
「いいはずだから」と信じればもちろんプラセボ効果はあるだろうが、
ないものをあるとするのはただの、オカルト商法だ。
浅瀬にはまる人は、間違いなく深みにはまる予備軍ということ。
そのへんの自覚はなさそうだ。
と、あえてありとあらゆるものに騙されてきた私が言うのもなんだけど。(笑)
何が毒で、何が薬かは自分の身体が一番良く知っている。
誰でもすぐできる簡単な実験で試せるのだが、そんなことを言うと
エセ科学に騙されやすい人ほど、「怪しい」「嘘だ」と疑ってかかる傾向が見られる不思議。
そんなに自分の身体が信じられないのかな?
会ったこともない権威ある有名人ほどにも。
それは、人の吐く息には感情によってそれぞれ色がついているというもの。
色については諸説あるけれど、だいたいは平静時は無色透明、
怒っている時は暗褐色、悲しい時は青、悲しい時は灰色らしい。
もちろん気体に色が付いて吐き出されるわけではなく、
これは液体窒素で急速に冷却して粉状に沈殿した固体の色。
俗に言われるオーラの色と符合する所がもうなんというか既にモニョモニョしてくるのだが、
今はそこは置いておいて問題はその次。
怒っている時の息の粉を注射器に入れてマウスに注射したところ、
瞬時にしてマウスは気が狂ったようになって死んでしまったとか。
いや、それはそうだろう。常温では気体になるのだから。
嬉しい時の息でもなんでも同じでしょ。危ない実験だよ。
と思ったら、よく読んだら水に溶かしてということだった。
アハハハハ・・・、相変わらずそそっかしいな、私は。
しかし、一度芽生えた疑念はそうそう晴れるものではない。
怒りの息が毒ならば、喜びの息はどうなのかも知りたいものだと更に食いついてみた。
逆に楽しくなって免疫力アップの薬になるのか?
そもそも、種類に関わらず息の成分自体に毒素が混じっている可能性はないのか?
悲しみの息は? 病気の人の息は? 悪を心地よく感じる異常者の息だったら?
調べてみるのだけれど、「怒り=毒」はいくらでも出てくるわりに、
その他の実験結果の例はまったくないのだった。
怒りの息を1時間分集めると毒性は80人以上の殺傷力とか、
息の入ったビニール袋で虫が死ぬとかってのは、本当に本当?
これらの話の元ネタは、どうも笠巻勝利著「眼からウロコが落ちる本」の中の
ハーバード大学のエルマ・ゲイツ博士の実験らしいのだが、
ネット上ではいくら調べても、本の伝聞情報が使いまわされているだけで、
科学的実証データは見つからない上に、国内で同様の実験をした報告すらない。
誰も見た事がないのに息に色が付いていたとどうして信じられるのだろう。
写真すらないのに?
毒素があるというなら、その成分は?
他人を何人も殺せるほどの毒を発している人が即死でないのはなんで?
疑問にも思わずに事実として扱っているけれど、いいのかなぁ。
この辺の受け入れられ方は、「ありがとうの水」の扱いと全く同じようだと思ったら、
「水からの伝言」と同様に実際に学校で道徳教育に取り入れられてもいるらしい。
そこに逆に危機感が募るのは考えすぎだろうか。
もちろん、怒っているよりは笑っている方が自身も周囲も気持ちが良いから、
ひいてはストレスを軽減する分健康に良いだろうし、汚い言葉が精神性を損なうのも確かだが、
「毒が出るから」いけないと単なる脅しにしてしまうのは、どうも危険な気がしてならない。
人は、「これは毒だから」「これは身体にいいものだから」を結構、簡単に信じてしまう。
権威ありそうな人のお墨付きで効能が謳われたサプリメントやパワーグッズはゴロゴロ。
「いいはずだから」と信じればもちろんプラセボ効果はあるだろうが、
ないものをあるとするのはただの、オカルト商法だ。
浅瀬にはまる人は、間違いなく深みにはまる予備軍ということ。
そのへんの自覚はなさそうだ。
と、あえてありとあらゆるものに騙されてきた私が言うのもなんだけど。(笑)
何が毒で、何が薬かは自分の身体が一番良く知っている。
誰でもすぐできる簡単な実験で試せるのだが、そんなことを言うと
エセ科学に騙されやすい人ほど、「怪しい」「嘘だ」と疑ってかかる傾向が見られる不思議。
そんなに自分の身体が信じられないのかな?
会ったこともない権威ある有名人ほどにも。