ぽあん歩庵

全肯定

「自分の過去は全部肯定せなあかんぞ」

日野晃先生は武禅の夜にそう話をされた。

すぐには納得できない私。

「えっ? でも、でも、つらい過去も?」

「そうや」

「悪いこといっぱいしたことも?」

「そうや」

「他人を傷つけたり、汚れたことも?」

「うん」

「あ、それって、今は過去の私のせいで誰も苦しんでいないから、もういいってことですね?」

「いや、そんなことはどうでもいいんや。
 した事がどうでも、今そのせいで誰がどうなっていようとも関係ない。
 とにかく過去は全肯定や」


・・・・・・・・・・・・・・・・ああ、そうか、そうなのか・・・。
その時、何かが溶けていくのを感じた。
解けたのではなく、溶けた。

わかっていたはずだった。

“過去を許す”“自分との和解”“自己肯定”“過去があるから今がある”
そんな言葉としては。
だから、「過去を肯定しなければならない!」とも。
知っていた。
一生懸命、そう し よ う としてきた。

私の身の上におきた出来事の意味を探して。
してきたことの結果を今に結び付けて。
「あれはこの為にあった。
 私のしたことが今こうなったから結果として皆にとって良かったんだ。
 すべては必然。意味のないことなんかおこらない。
 うまくいくようにできている!!」
そんなポジティブシンキングで固めて固めて。

これを守ろうとしていた。
崩されることを恐れていた。
それがいくら明るいほうを向いても拭い去れない罪悪感と無価値感の元だったのに。

すべての過去を全肯定。
「良かったことにする」のではなくて、もはや「それでいい」のだ。
今が幸福でも不幸でも、過去はすべて「それでいい」。
もし誰かが私のせいで泣いているとしても、殺したいぐらい憎まれていようと「それでいい」。

何も解決してないとしても、汚れたままでも、いずれ報いがくるとしても「それでいい」。

過去を全肯定とは、すべてを引き受けるということ。

肩に乗っかる重荷のように思っていたものが、実は踏み台だったってそんな感じ。

どんなものであっても、これは私の人生なのだ。

先生の言われた意図と合っているかどうかはわからないが、そう遠く外れてはないと思う。
私にとっての今の正解。
いつか間違いってことになったとしても「それでいい」んだから。

2007年02月24日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:2

この全肯定って、なかなか信じてもらえないし、誤解されてしまう事が多いから。
さすが、ぽあんさんって感じです。

2007年02月25日 慧 URL 編集

名前、法慧さんから慧さんに変わったんですね。

慧さんも説法の時にこういうお話をされるんですか。

私はどうも「わかった!!これで絶対間違いない!」とは思えずにいます。
頭の理屈で考える癖はなかなかやっかいで、こういったときにも証拠集めをしたがっちゃって、感情に悪さしてくるみたい。
いらないことは考えたくないんだけどな。

慧さんの所では一般の人でも座禅したりできます?
一回やってみたいです。

2007年02月25日 ぽあん URL 編集












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