ぽあん歩庵

武禅でのこと5

私はよく泣いた。
多分、一番泣いたのではないかと思う。
人前で泣くことはまずないと思っていたのだが、今回は違った。

まず、先生に泣かされた。

身体を知るのセッションで、相手の腕の動きにあわせて運動を先に誘う動きを練習した後、先生が「人がどう動きたいかだ」ということで、一人の人を前に呼んだ。
「動くなよ」と言って、その人の二の腕を両手で軽く抱き寄り添う。
すると、動こうとしなくても自然に歩き出してしまうらしいのだ。
本人が一番驚いている。他の人でもそうなった。
見ていた皆は「ほーっ」と感嘆の声をあげている。
「行きたい方に行かせてやるんや」と先生。
私にはそれがどういう意味かわからない。

「動くな」と言われたのに、なぜ動くのか。動きたいのか。行きたい方向があるのか。
「それは、人の身体をよく知っている先生が、相手に感知されないように重心をずらすから、倒れないために無意識に足を出してしまう作用を利用しているのではないですか?」
思わず質問してしまった。
そうではないということを先生は説明しようとされたが、私には理解できない。
それで私に実験してもらうようにお願いした。

前に出て、先ほどと同じように先生に腕を持たれた。
でこでも動かないつもりなので足を踏ん張る。
先生の動きを感じる。触られている部分は軽くだが、私への働きかけを感じる。
身体の中をぐるーりと探る力のベクトル。押される感じに私は逆らう。急に力を抜かれてもぐらつかないようにも備える。
「ガードしているな」先生はつぶやかれた。
他の人には何が起こっているかはわからない。
あまり時間を取ってもらうのは申し訳ないので適当なところで中断となった。

先生から武道を習っている人が難しい顔をして「先生、『我』ですね」と言われる。
それを受けて先生は困ったような笑顔で私を見て一言。
「不幸、やな・・・」

途端、涙が溢れた。
「やっぱり私は不幸なんだ」と思ったら。
「私は不幸。私だけが不幸。私一人だけが、この中で素直ではない人間。」
それは今のこの状況への悲しさというより、これまで私が抱え続けてきた、普通の人と違っているという孤独感が引っ張り出された感情なのかもしれない。
誰のせいでもないのだけれど。

もう一人他に動かない人もいて、先生が「ここにも不幸な人間がいたぞ」と笑わせて下さる。
運動の時ペアだった人も、「さっきはすごく気持ち良かったよ。できてるんだから、わからないとかないと思う。」と気遣って元気付けようとしてくれる。
皆、優しい。


「不幸」と言われて何故涙が出たのか自分でもわからないのだけれど、もしそれが自己憐憫の涙だとしたら、ここで断ち切ろうと思った。

私は強情な人間。素直にはなれない人間。それは仕方ない。
変わらない所は諦めるけど、変われる所は諦めない。
そんなやり方だってあるんじゃないかと思うから。

不思議なのだが、また一つ楽になったような気がする。

2006年12月01日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:0












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