お悩み相談受け付けます
ネットを始めたころ、私は主婦のお悩み相談系のサイトによく行っていた。
書き込みとかはせず、もっぱら読むだけだったけれど、ちょっとした他人のプライバシーを覗いて好奇心を満足させ、人生経験豊かそうな人による解決方法に感心し、結構楽しんでたっけ。
その後、つまんない「大きなお世話運動」みたいなものに加担して、もう少しで危ない領域にまで踏み込むところだったのを免れたということもあったけれど、基本的に私はそういった、「困った人」というのが好きだったみたい。
この「困った人」というのもいろんな意味があって、「問題抱えて困ってる人」というのもあれば、「問題起こす困り者」、また「周囲が問題だらけの人」というのもある。
こういうのを見ちゃうと「あらまー、可哀想ねー、なんとかしてあげなくっちゃねー」となるのが常だったのね。
今はぜんぜん見に行かなくなってしまった。
だって面白くないんだもん。どれもこれも似たり寄ったりで。およそどうでもいい。
もちろん当人にとってみれば、辛くて仕方ないってのはわかってるよ。
でも、辛さを味わう必要があるからそうなってるのに手出しは無用だものね。無駄という方が正確か。
アドバイスが役立つ人というのは、そのアドバイスを受けられるに足る人。
頭が整理されていて問題点が明確になっていなければ、「どう動いたらいい」なんて解決策が示せるはずがない。
だいたい悩み相談なんてのは、愚痴と言い訳が大半と思って間違いないわけで、特にネットでというのは99.9%がそうだから。
ネットで興味を失ったのと並行するのかしらないけれど、気づけばリアルでもいつの間にか他人の悩みを聞かなくなっていた。
結構グジャグジャ、いろんな話が舞い込んでたんだけどね。
話を聞かないこともないのだけれど、漠然とした「どうしたらいい?」の問いかけには、「どうでも好きなようにすればいいんじゃないの」ってなスタンスだから、長引かないわけよ。
いや本当に誠実だと思うよ。相手の力を信じての自由と自主性を尊重した応援なんだから。
実際のとこ、それしかできないでしょう。他人には。
あくまで決めるのは自分。
決めない自由、苦しむ自由、悩み続ける自由もあるしね。
思えば、お悩み相談が好きだったころ、私は悩むのも好きだったなと思う。
悩みの中にどっぷりと安住していながら、そこで辛さを紛らわす手段が、もっと辛そうな人を見つけては哀れむって方法だったのかもね。
なんとかしてあげたいって気持ちも、「私のおかげ」でなくちゃ嫌だってところあったような。「勝手に幸せになるのは許さん!」ってな。
もちろんしっかり良い人ぶりっ子で、そんなのおくびにも出してはいなかったけど、人は無意識のうちに違和感を感じ取るものだから、ずいふん無言のプレッシャーを与えてただろうと思う。
他人を利用して、自分の無価値感を癒されたがってたことに気づきもしなかったんだよ。
頼らなくなると、頼られないもんだね。期待しなければ、期待されない。
もちろん、仕事はあるよ。それは責任として。
サクっと、あっさりいきたいな。
まだまだだけど。
書き込みとかはせず、もっぱら読むだけだったけれど、ちょっとした他人のプライバシーを覗いて好奇心を満足させ、人生経験豊かそうな人による解決方法に感心し、結構楽しんでたっけ。
その後、つまんない「大きなお世話運動」みたいなものに加担して、もう少しで危ない領域にまで踏み込むところだったのを免れたということもあったけれど、基本的に私はそういった、「困った人」というのが好きだったみたい。
この「困った人」というのもいろんな意味があって、「問題抱えて困ってる人」というのもあれば、「問題起こす困り者」、また「周囲が問題だらけの人」というのもある。
こういうのを見ちゃうと「あらまー、可哀想ねー、なんとかしてあげなくっちゃねー」となるのが常だったのね。
今はぜんぜん見に行かなくなってしまった。
だって面白くないんだもん。どれもこれも似たり寄ったりで。およそどうでもいい。
もちろん当人にとってみれば、辛くて仕方ないってのはわかってるよ。
でも、辛さを味わう必要があるからそうなってるのに手出しは無用だものね。無駄という方が正確か。
アドバイスが役立つ人というのは、そのアドバイスを受けられるに足る人。
頭が整理されていて問題点が明確になっていなければ、「どう動いたらいい」なんて解決策が示せるはずがない。
だいたい悩み相談なんてのは、愚痴と言い訳が大半と思って間違いないわけで、特にネットでというのは99.9%がそうだから。
ネットで興味を失ったのと並行するのかしらないけれど、気づけばリアルでもいつの間にか他人の悩みを聞かなくなっていた。
結構グジャグジャ、いろんな話が舞い込んでたんだけどね。
話を聞かないこともないのだけれど、漠然とした「どうしたらいい?」の問いかけには、「どうでも好きなようにすればいいんじゃないの」ってなスタンスだから、長引かないわけよ。
いや本当に誠実だと思うよ。相手の力を信じての自由と自主性を尊重した応援なんだから。
実際のとこ、それしかできないでしょう。他人には。
あくまで決めるのは自分。
決めない自由、苦しむ自由、悩み続ける自由もあるしね。
思えば、お悩み相談が好きだったころ、私は悩むのも好きだったなと思う。
悩みの中にどっぷりと安住していながら、そこで辛さを紛らわす手段が、もっと辛そうな人を見つけては哀れむって方法だったのかもね。
なんとかしてあげたいって気持ちも、「私のおかげ」でなくちゃ嫌だってところあったような。「勝手に幸せになるのは許さん!」ってな。
もちろんしっかり良い人ぶりっ子で、そんなのおくびにも出してはいなかったけど、人は無意識のうちに違和感を感じ取るものだから、ずいふん無言のプレッシャーを与えてただろうと思う。
他人を利用して、自分の無価値感を癒されたがってたことに気づきもしなかったんだよ。
頼らなくなると、頼られないもんだね。期待しなければ、期待されない。
もちろん、仕事はあるよ。それは責任として。
サクっと、あっさりいきたいな。
まだまだだけど。
