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マゾに目覚める

福岡ワークショップ二日目、息子は「しげやん」ことダンサーの北村成美さんに
いろいろ教えてもらっていたようだ。

私は私で、どうしようもない自分を少しでもどうにかしてやろうと忙しくて
見てはいなかったのだが、相当厳しくやられたらしい。

休憩時間に、息子が興奮気味に「今の時間、すっごい良かったよ~」と言ってくる。
そして北村さんを見て、
「あの人、あの人、もう俺のボス!」。
北村さんは、何言ってんだ?という半分呆れたような、半分照れたような顔で、
「いくらでも上には上がいるから・・・」と言って立ち去られたが、
息子は「上がいたって関係ない。俺はあの人を今の目標にするんだ」と言う。
なんでも「ドMに目覚めた」とかで。

面白いものだなと思う。
武禅でも日野先生がそれに近いような事を言われていた。

「自分を成長させるには、『これはおかしいんとちゃうか?』『こうじゃないだろ!』と、
 常に自分に疑問を投げかけ、ツッコミを入れていかなければならない。
 自分で仮説を立ててそれを自分で検証する、この繰り返し。
 『出来た』『わかった』で満足したら、そこで止まる。
 だから、自分を徹底的に苛めて否定した中で『これならどうだ』と実験し続けていくしかない」
先生はそんな話をされて「完全に、マゾやな」と笑われていた。

そういった話は家でしたことはなかったはずだが、
「自分なり」という思い違いの「つもり」を否定されることに、
痛みと共に喜びもあることを息子は感じ取ったらしい。
古い殻を破らなければ、新しい自分との出会いはない。


帰り道、「来て良かった」と息子がしみじみと言う。

「俺、人にツベコベ言われたり、否定されたりするのもの凄く嫌いなんだ。
 学校でも先生とかに何か言われたら「うるせーバカ」とか腹がたって聞く気にならない。
 でも、あの人、北村さんに教えてもらった時はそうじゃなかった。
 確かにカチンとは来るよ。嫌なことは嫌なんだけど、だけどなんか違うんだよね。
 俺をどうにかしてやろうと本気になって注意してくれてるのが、こう伝わってくるというか。
 普通、人はあそこまで言ってくれないよ? 本当にありがたいと思ったもん」

短い時間の中で、しかも初めての体験で何をやっているのかわからないような感じだったのに、
意外にもしっかり受け止めていたことに驚く。
子どもだ子どもだと思っていたが、こんな言葉が出てくるとは。

これはうかうかしてられない。
親としてまだ子どもに負けるわけにはいかない。
嬉しさと共に湧く焦り。
回数だけ重ねるばかりで何も変わらない私は、本当に成長できるのだろうか?
そうした気持もまた、今の自分の否定の痛み。
変われ! 気付け! 進めよ、自分!

うん、そうだな。これは、マゾでないとやってられない。(笑)


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福岡ワークショップで一緒に稽古をさせていただいた皆さん、どうもありがごうございました。
できればまた来年も参加したいと思っています。
その時までには、少しは進歩できているよう頑張りますので、またよろしくお願いします!

福岡ワークショップに親子連れ

日野晃 福岡ワークショップに、16、17日と行ってきた。
今回は高校3年生の長男と親子参加。

息子はドラムコンサート以来「興味がある」と言いながらも、
ワークショップに誘うと「そんなに本格的にやりたいとは思わないから」とか、
「休日は予定があるから」とあまり乗り気ではなさそうだった。
なので、一種の社交辞令みたいなものか?と思い、今回も軽く「来る?」と声をかけたのだが、
数日して「俺、バイトを代わってもらえたから行くよ」と言って来たので、こっちが驚く。
なぜその気になった?
息子は「就職を決める前の大事な時期だから絶対に学校は休みたくない」とも言っていたはずだが、
それと秤にかけても勝る何かが今回のワークショップにあるかもしれないと感じたようだ。
自分の道を決めるという重圧に悩んでいるのは、よくわかっている。
しかし、このワークショップに参加したからといって何かができるようになったり、
特別な物を得たりするというものでもない。
だからこそ、行くなら「今」なのだろう。そんな気がした。

一日目、身体塾・即興塾。
息子は胸骨が動かなくて難儀しながらも、「面白い、面白い!」と喜ぶ。
その場その場を100%楽しむ事に貪欲な所と、人に好かれる愛想(調子?)の良さが奴の長所。
放っておいても心配はないから、私は私の稽古に取り組む。
何度行っても、まだまだまだまだ・・・・・何一つまともに出来ないままだけど。

夜に先生方と参加者の何人かで食事に行った席で、最近された小学校でのワークショップの話が出た。
先生は稽古の中で、よく「何か質問がある人?」と聞かれる。
大人は大抵の場合、混乱してて何を聞いたらいいかわからない状態だったりするのだが、
子ども達は思ったことをとりあえず口に出すので、自分に理解出来ないことをそのまま、
「なぜ?」「どうして?」「どうやったら?」と何でもかんでも聞いてくる。
しかし先生は、そうした質問に、
「質問には人に聞いてもいい質問と、聞いてはいけない質問があります。自分で考えなさい
と返したとか。
「先生らしい」と皆で笑う。
小学生達にはそれがよほど新鮮な体験だったようで、多くの子が感想文にその事を書いていたそうだ。

確かに巷の一般的な教育論では、そんな返事はまずありえないだろうと思う。
親や教師は、子どもの好奇心の芽を摘まないように、疑問には適切に答えてやるべきというようなことが、
多くの本にも書かれているし、教育評論家みたいな人も言う。
どんな問いにも、正しい答えを返してやるのが子どもの伸びる力を育てる良い教育だと。
だが、本当にそうだろうか?
「誰の疑問なのか?」を突きつけることもなく?

現在、教育方針に「生きる力を付けさせる」「自己肯定感を持たせる」と掲げる学校は多い。
しかしやっている事は正反対。
せっかくの本人の疑問に対して、どこかの誰かが考えて出した答えを与えてやるなど、
その人自身を大切にするどころか潰しているようなものだということに、気付く人は少ない。
「自分で考えなさい」と言われて何かが響いた子供たちには、大きな可能性がある。

疑問とは、個人的な問題だ。
そしてそれは、生きるということ全てに関わってくること。
問い続けるのが人生。

そうなんだよ、息子クン。
何が自分に向いているか、何がやりたいのかは、君の疑問、君の問題。
答えがわからなくても当然であって、わかるために社会に出て仕事に取り組むのだから。
悩む暇があったら、とにかく働け!

先生の話を息子が今の自分の問題に当てはめて考えたかどうかはわからないが、
少なくとも私にとっては、また大きなヒントをもらった。

Real Contact 2010 岡山公演 大成功!!

混・凛・踊

三部構成の素晴らしい舞台だった。


日野武道のエキスがぎっしり凝縮。

日野ワークショップに出たことがある人は誰も一度は思ったことがあるはず。

「本当にこれが出来る人がいるのだろうか?」

「できたからって、それが何の役に立つの?」

その答えが目の前に。

だが、「ああ、なるほど」と納得はさせない。

え? え? え?????

何がどうしてどうなっているのかまったくわからない。

脳は落ち着かない。
「知りたい」との本能的な欲求に応じようと、なんとか理解する方向に努めるからだ。

今回も、私は小賢しくも騒がしい馬鹿頭に煩わされては、
振り払い打ち消すといったことを何度も何度もしなければならなかった。
「わからない、わからない」「自分が今感じていることがわからないはずはないだろう!」
「わからないけど、たとえるなら○○のような?」「どうしてそんな言葉に置き換えようとするんだ!」
「なんと言えばいいのか」「何も言わなくてもいいはずだ」「それすら既に解釈じゃないか」
ザワザワザワザワ・・・・
これでは舞台に集中していたとはとても言えない。

しかし、それでも引き込まれる。
眼が人の動きを追うというより、創り出される空間に身体は自然に反応をしてしまうのか。
別に、ドーッとエネルギーが来たとか、波に乗ったとかそんな感覚もなく、
気持ちも熱狂的に興奮しているわけでもなく、ただ静かなワクワクウキウキ感があるだけの中、
いつの間にか、頭が揺れてる、身体が振動してる、息が止まってる。

そんな自分に、ハッと気づき、え?と思い、周りをキョロキョロ。

なんだこれ?


アフタートークでは、司会の森田さんもやはり混乱しておられるよう。
開口一番。
「すみません。私、今、何も言いたくない気持ちです」
素直な方だ。

先生は今回の舞台が、一切仕込みのないものである事を説明された。
作品というより、むしろこの場でこの時を共有する人間が織り成す関係性のドキュメンタリー。
「どんな稽古をするのですか?」の質問に、
「相手が何を言いたいかを聞くということを延々とやります」と答えられる。
言葉を理解するのと、その人を感じるということは違う。
言葉ならロボットでも同じことは言えるが、
その人がその人である必要がなければ関係したとはいえない。
それは武道と同じ。

「武道は強くなって行くことだと勘違いされていますが、逆に弱くなっていくことです。
 こちらがいかに弱くなって相手の言うことを聞けるか。だから自分で考える事はいらない」
ということで、教室の生徒二人を舞台に呼び、実演。
相手の力に抵抗して頑張った時と、何もせずに相手のしたいようにされながら自分の動きにする。
ついでに、身体がつながった時の動きがいかに大きな力を引き出し美しいかも。
「あーっ、これ、さっき見ました!あの動きってそうだったんですね!!」森田さんは感激も素直。

トークも終わってロビーに出ると飲み物が用意してあり、そこでショーの成功を祝って乾杯をした。
岡山ワークショップで見た懐かしい顔がたくさん。
大阪のrunumoさんがいたので声をかけると、赤い顔をして涙ぐんでいた。
感激して胸がいっぱいで、アフタートークに先生が出てこられた時には泣けて仕方なかったそうだ。
太陽のように明るく天真爛漫な彼女はいつもストレート。
私のように頭でゴチャゴチャ余計な事を考えたりしないんだろうなと羨ましい。
横に今回舞台に立ったダンサーの人がいたので少しお話をした。
やはり、「相手を聞く」ができなくて苦労したそうだ。
ダメ出しされ追い詰められてもまだまだ出てくる「私がなんとかしなくっちゃ!私が頑張る!」気持ち。
こんなにも自分は“弱く”なれないんだということを思い知ったと言われていた。

ズキンズキンと痛む胸。
他では見られない凄いものを見た後でも、100%喜びの中にだけ浸れないのが日野武道。
素直じゃないととっても勿体無い事をしてしまう。
早く気がつけ!私!



「それにしても、いいものを見た」と帰りのバスの中、ボーッとしてため息をつき続け。

先生、プロディースした香月さん、出演者の皆さん、ありがとうございました。
埼玉公演も頑張ってください。

世界は広い、人は深い

ワークショップの打ち上げには31人が参加。
一昨年も打ち上げをしたL字型の座敷のある料亭。
先生を囲んで、あるいは参加者同士が話をする中で、それぞれの人の
それぞれの持っている課題への取組みをうかがい知ることが出来るのがこういった交流の良さ。
私はたまたま先生のアシスタントで来られた佐藤健太郎さんの近くに座ったので、
彼のこれまで歩んできた道や先生との出会い、体験されたことなどを聞くことができた。
ダンスと写真をやっている参加者の女性が食い入るようなまなざしで質問をしては、
自分の抱える問題と照らし合わせてどうなのかを考える。
ある程度有名で本も売れて成功していたギタリストが、「これまでのものを全部捨てる」と
静かな決意を燃やしている。
皆、すごい。
「知ったことが幸せかどうかはわからないですよ。ここからは地獄の道です」と佐藤さん。

遠距離から来た人達が帰って人数が半分以下になったところで一つのテーブルに集まる。
先生の海外ワークショップでの出来事や、若い頃フランスで武者修行をした時の話、
今のダンス界をひっくり返そうといった話で盛り上がり、最終的には、
「自分で自分にどれだけ突っ込みを入れ続けることができるかや」に結びつく。

打ち上げが終わったのが11時頃。
千葉から参加した武禅仲間は私と同じくもう一泊するというので
「後で飲みに行こう」と話をしていたのだが、2次会があるということでご一緒させていただいた。
連れて行ってもらったのは、
全国のバーテンダーのコンクールで優勝したマスターの「SAMSARA」という店。
白のバーコートを着た陣内孝則に似たカッコいいマスターが
スマートな身のこなしでシェーカーを振るうカクテルはどれも美味しい。
作れるカクテルの種類はなんと2000種類以上。新しいカクテルも次々に取り入れておられるとか。
お客の動向をよく見ていてタイミングよく注文を聞き、酒を運び、急に会話を振られても
多少のウイットを交えて軽くパスを返してくれる。
そんなマスターの穏やかで洗練された大人のムードが店全体の色として居心地の良い空間を作る。
さすがプロ中のプロ。

ワークショップ主催者の香月さんの知人である
「倉敷名物ぶっかけうどん」の古市社長という方がこれまたとても面白い人物だった。
朗らかで見識が広く、サービス精神の塊のような方なのだ。
場を盛り上げるように楽しい話題を次々に繰り出してこられる上に、
細やかな気配りがあまりにも自然。
当然のことながら先生との会話も弾み、いろいろな興味深い話がポンポン出てくる。
この方は歌手になりたかったそうでCDも出しておられ、
その話題が出た途端、マスターの機転でその曲が流れはじめる。
歌声も本人そのまま、朗らかで伸びやかに広がる澄んだ声。
そしてなんと、最後にはアカペラで「もののけ姫」の歌を披露してくださるまでに。
それに合わせて踊る「きび団子シスターズ(日野先生命名)」の
ジャズダンス風味の香月さんとバレエ風味の岡田さん(公演出演者)。
とてつもなく贅沢な時間だった。

悔やまれるのは、古市社長が「誰か司会してくれない?」と振られた時に
即座に立つことができなかったこと。
こういう所が何をやらせてもダメダメな私の特に致命的にダメな所。
折角の「全員で楽しい場を作ろうよ」との誘いだったのに、
「何を言えばいいんだろう・・・」と考えてしまって動けないとは、ああ、勿体ない。
その上私ときたら、このミッシリと密度の濃い時間に、
美味しいお酒にすっかり酔ってしまってフラフラになってしまっていたし。
大きくて豊かな人達に比べて、なんと私は小さなスカスカな人間なんだろう。
圧倒的に経験が足りない。
意思が足りない。
パワーが足りない。
そして、感じる心が全然足りない。
自分の作った妄想のフィルターを通した狭い世界しか見ようとしなかったから。

世界は広い。
そしてこんなにも大きくて深い人達がいる。
少しでもこの人達に近付くことを目標に、私は私の場所でやるべきことをやる。

岡山ワークショップvol.3 3日目

「最後の身体塾、質問は?」と始まった。
質問しようにも何を質問したらいいかもわからないぐらい混乱するのが日野ワークショップ。
わからないことは聞いて答えをもらったとしてもわからない。
だから、いくつか質問が出ることは出ても、
「これがわからないのですが」 「わかるまでやってください」、
「これが出来ないのですが」 「出来るようになってください」、のように返される。
「やったらわかる」とは何ともあっさりした突き放した答え方のようだが、
誰かの代わりにしてあげることはできないのだから、結局は自分が見つける他ない。
自分の問題を他人に答えてもらっても、それはその人の答えであって自分のではない。
答えを見つけて初めて「これはどうなのか」と本当に身のある質問ができるのだとのこと。
「質問は?」
「・・・・・・」
「それでは始めます」

胸骨運動の後、足のねじれをする。
いつものことながら、先生の模範を見て簡単そうに思ってもいざ自分がやってみるとまったく違うものになる。
昨日やった腕より足は更に感じにくい。
ペアで一人が足首を持って腰まで緊張が来るようにねじっていく。
そのねじれを腰、ひざ、足首と順番にできるだけ細かく感じながら自然に返していくだけのこと。
それができない。
もちろん形をらしく動かすことは簡単で、似たようなことはできる。
しかし「動かしてはいけない、動くのだ」ということになると、アレ?アレ?
ぎこちなくなるか、わざとらしい振り付けになってしまう。
「自分で動かすな」「ゆるめろ」と言われても、どうやって?
それくらい自分で自分の身体をわかっていないことを再認識。
何度かやったはずだけど、そのたびに毎回再認識。進歩ない・・・。

次に、前日やった二人で腕を持って連動して寝転んだり起き上がったりを交互にする動きをした。
手からちゃんと相手を感じて正面を合わせたまま二人で共に動く時、何も考えなくても
スムーズに軽やかな足運びになるのであろうことも、先生とSさんのお手本を見るとわかるのだが、
自分がやるとなるとぜんぜん。半端ないほどの問題点がてんこ盛り。
まず、目で見た情報が整理されていない。正面が合ってない。人に触れていない。感じていない。
一人で、動こうとしている。相手に伝えていない。全身がバラバラ。。。ああ。。。

表現塾では、相手と正面を合わせて自然に誘導するということをした。
「どうぞ」だと難しいので、手で演奏をはじめる時の指揮者のような仕草をして相手の顔を上げさせる。
二人組で、また、1対3人で。
面白かったのは、誰かの「これは目の見えない人にでもできますか」という質問に先生が答えたとき。
参加者の一人に目をつぶって立たせて、開いた両手を下から上げると、
それに見事にぴったりと連動して顔が上がった。
全員「おおー!」
相手になった参加者には、「どうして?」「何か感じたの?」と質問が飛ぶが、
「さあ、何でかわからない」「とくに感じなかった」ということで本人が一番驚いて鳥肌を立てていた。

二人ペアで手のひらを合わせて水平に動かす稽古では、また10人グループでジャッジ。
二人で動いているか、動かされる方が美しく見えるように動かしているか。
「違います」「一人で動いています」厳しいダメ出しが飛ぶ。
先生とSさんの実演と比較すれば、一目瞭然。
他人がやると、繋がっていないし、勝手に動いていることや観客に見せることを考えていないなど見えるが、
いざ自分たちがやる時にも同じことをしているのが悔しい。
「つもり」はどこまでいっても「つもり」。

私は舞台に上がって人に見せる立場ではないので、出来なくて困るということはあまりないだろうが、
せめて見る目は養いたいと思う。
最後に「Real Contact 2010」のメンバーの人たちによる短い演舞。
作りものでない本物の動きはやはり美しく、エネルギッシュだ。
比較をする基準のレベルは高い程いい。もっともっと見たいと思う。


岡山は3回目ということもあり、前回組んだことのある人や見覚えのある人が何人かいて、
回を重ねるごとに親しみが増してくる。
中には、「二人組」と指示が出た途端、走ってきて
「今日はどうしてもあなたと組みたかったの」と言ってくれる人もいた。
嬉しい反面、心苦しい。
私はぜんぜん何にもできてないし的確なアドバイスもしてあげられないのにすごく悪いことした気分。
「だったら出来るようになったらええんや」とどこかから声が聞こえてきそうではあるが。
少しでもマシな人間にならなくてはというモチベーションを高めてくれる人のいる有難さ。
岡山の皆さん、どうもありがとうございました。
また来年。

だけどその前に、2月28日にも。

岡山ワークショップvol.3 2日目

身体塾では、ねじれをやった。
ペアを組んで一人の腕をねじって、肩、ひじ、手首と戻していく。
先生がやると手首をひねって持っている相手がコロリと吹っ飛ぶ。
連動させるためにはねじれをしっかり感じる必要があるため、痛いぐらいにやるのがポイント。
しかし、私がペアを組んだ女性は、私がいくらねじっても「痛くない」と言うので困った。
「これでも? これでも?」
筋を痛めるんじゃないかと心配ながら力を強めるが、腕の皮膚は痛くても、肩まで痛みが来ないという。
彼女は今日初参加で、胸骨運動の時、やはり背中が動かなかったので
「肩こり?」と聞いたら「そうです」と答えた人。
「胸骨運動をやったら肩こり治るよ。腰痛も」と言うと、
「あ、私腰痛もひどいんです。悩んでたので嬉しい!」と喜んでいた。
そんなふうに肩こりがひどい人だから、肩をねじられても痛みを感じないのだろうか。
肩がガチガチに固まっているので神経が麻痺してる?
私の力が弱いのだろうかと他の人にもやってみてもらったが、肩はしっかりねじれている。
これ以上やって折れたらどうしよう。
ちょっと怖くなって先生に相談。
先生がねじってもやはり彼女は「痛くない」らしい。
「これが痛くない? じゃ、これは?」先生がボゴンと肩を殴ると
「痛いです」と答える。麻痺してるということはなさそうだ。
「痛いやろ?痛いんやでほんまは。
 なんや知らんが頭でゴチャゴチャ考えとるから痛みがわからんのや」と先生。
どうも彼女はこんなふうに痛くないといけないという感覚をあらかじめ決めてしまったため、
想像以外のものをシャットアウトしてしまっているらしい。
「な、このねじられて肩に感じる“これ”が、“痛い”やで」
「ああ、これなんですか。はい。わかりました」ちゃんと感じていたのだった。
あとで聞くと彼女は、テレビドラマで犯人が刑事に腕をねじられて「イテテテテ」とよくやるので、
あんなになるくらい痛くないといけないと思っていたらしい。
人は頭で感覚のイメージを作ってしまうと、現実の感覚を消してしまう。
これは私が武禅の三回目に正面の感覚を一切感じられなくなってしまった時に実感している。
脳は、本当にややこしいことをしてくれるものだ。
彼女の肩コリは、先生にねじられて叩かれた側がスッキリと軽くなったという。

他に、羽交い絞めから胸骨を動かして脱出や、座って胸骨と肘を連動させるという運動、
背骨のラインを床で確認するといったことをした後、質問タイム。
そこでは、前に先生が胸骨動かしは1日1万回を3年以上やってわかるものだと言った事を受けて、
「胸骨動かし1万回を3年やったら確実に身体の事がわかるようになりますか。何かできるようになりますか」
という質問が出た。
「できません」先生は即答。
「何をしたいという事があるのですか。胸が動くようになってもそれだけでは意味のないことです」
それはそうだ。

表現塾ではペアで腕を持って違和感なく片方が立ち上がる稽古や、「歩く」ということをした。
歩くといってもただ歩くのではなく、
正面を合わせたまま歩いてくる人が本当に自分に向かってくるのかというもの。
本人たちができていると思っても、それが本当にそうなのかは人に見てもらう必要がある。
そこで10人ぐらいのグループになって、二人ずつ観客の前で見せることになった。
用意ができたら、誰かがパンと手を打って合図。演技者は近づいて正面ガッチリ。
観客は「できてます ○」「違います ×」とジャッジ。それを次々とやる。
しかし、やってもやっても「×」ばかり。
先生は「観客にどう見えるかやぞ。考えろ」「ややこしいこと考えるからできんのや」。
じゃあどうしたら。ああしたら。こうしたら。
と、考えすぎてできないのはわかってても、何もしなくてもやはりできない。
完全に煮詰まったところで「10分間、作戦タイム」。
「もっと手前から出て行って出会うという形は?」「全身を使うといいんじゃない?」
思いついたものは何でも試してみる。
誰かが「エネルギーを強めるためにじゃんけんしたら?」という案を出した。
それ面白そうかもということで、私とOさんがやることに。
手前から相手を見ながら出て向きを変え近づき、互いが出会ったところで「ジャンケン!」でストップ。
何をやるかはっきりしていると迷わない。
適当な打ち合わせで一発勝負なので、私はこれまでになく相手を見ていたと私は後で思う。
そして、二人とも必死になると目を剥く癖が共通しているのが可笑しかったのだろう、
観客たちにはウケて、何人かが「○」。
たぶん目的からは外れているとは思うが、少しは近い部分もあった、かな?


帰り道、別のグループだった義光さんは、このジャッジについて腹を立てていた。
「できている」か「違う」かを判定するだけでいいはずなのに、
彼のグループでは「私にはどう見えた」という解説を言いたがる人が何人かいて、
批評合戦になってしまったということだ。
それぞれが勝手に自分の感想を言葉で説明したりアドバイスしても混乱していくばかり。
それは日野先生がやれと言われたこととは違うのではないかと思いはするが、
まだ何もできていない自分には、そう強く言い切ることもできないのが悔しかったらしい。
「僕、出来るようになりたいッスよ。わかるようになりたいッスよ。
 絶対にやってやる。悔しい。自分が悔しい!」と憤る。
私はこれはこれで彼はいい経験をしたと思う。
「だからどうする」につながるのなら。

岡山ワークショップvol.3 1日目

11時スタート。
初参加の人が多いので、まず日野ワークショップ狙いをざっくりと先生が話される。
人の身体は天才だけれども、それを邪魔するのが頭。
人の身体を知って自由に動けるように、
無理をかけず傷めない使い方をできるようならなくてはといったことを。

身体塾は、まずお辞儀から。
起きて正座に戻ったら、重心を移動せずに胸を引き上げて立つ。
この時、胸骨がポイント。ということで、胸骨運動に入る。
ペアになって、正中線と乳首のラインが交わる1点を押してもらい、
そこを押し返すように、グーーッと胸骨を前に突き出す。
そして今度は、グーーッと後ろに。
初めて参加の人は、ダンスをやっている身体の柔軟な人でも胸は硬い。
板のようだから、胸よりも腹が出る。
同じく後ろに下げる時も肩が前に行く。腰の位置と背中が固定されてまっすぐなまま。
普通と何も変わってないように見えるけれど「精一杯」のようで辛そう。
胸と背中がバリバリに硬いと、いくら動いても棒人形のようで身体全体に生気が感じられない。
私が組んだ人にも「コリひどいでしょ」と聞くと、「そうなんですよ」と返ってきた。
ダンスをやっているそうだが。
しかしそれは今までやったことがないからで、
何度もやっているうちに、次第にほぐれてきて少しずつ背中が後ろに出るようになってくる。
ほんの何十分かの間に、最初に「もう限界」と言っていた所などすぐ超える。
身体は甘やかせていてはダメ、と先生。

寝ころんで床に接する1点をたどって背骨のラインを感じる稽古でも皆、悪戦苦闘。
先生がやすやすとやって見せてはくれても、自分がやると難しさがわかる。
なにしろ感覚がとてもアバウトなのでポイントをたどれているのかが自分で怪しい。
先生の「できるという人」の声で手を挙げた人もいたが、他から見たらそうはなっていない。
自分の身体がどうなっているか自分のことなのにわからない。
そして人は案外、人がどう動いているかを見ているようで見ていない。
ということをやればやるほど思い知る時間。
ワークショップ1

表現塾も、はじめに何を目的としているかを先生がお話された。
自分が思っている自分と、他人から見える自分は違う。見て欲しいように人は見てはくれない。
それは夢と現実を混同しているからであって、やはりここでも頭が邪魔をする。
ダンサーや役者といった人だけでなく、誰もが社会で人と関わりあって生きているのだから
コミュニケーションがスムーズにいくことは、よりよい人生を送れることでもある。

最初に基本の正面向かいあいから。
目で見たところではなく、向かい合って正中線のどこかで何か感じる所が正面。
いつも通り、ざっくりとした説明のみ。
やってみなければわからないものは、極力余計な情報で惑わせない。
感じ方が弱いようなので、負けた方が叩くジャンケン。
エネルギーが高まってくると格段にわかりやすくなる。

声を届けるでは、今回使った言葉は「東京特許許可局」。意味のないものがいいらしい。
女性と組んで互いに「とうきょうとっきょきょかきょく!」。
初めての人は声を出し慣れてないので、声が小さい。
もっともっととやるうちに声は大きくなってくるが、「声を出さずに」と指示が出ると???。

音を発さなくても、声は届くということの実例で日野先生と和子先生が真剣向かい合いを見せてくださる。
刀を構えて切りかかる和子先生に、日野先生が「エイッ!」と声を飛ばすと動けない。
そして、次に「エイッ!」を発声せずに。
それでも相手に届いていることがはっきりわかる。

声を出さずに言う「とうきょうとっきょきょかきょく」を耳を塞いで聞く。
声が出せないハンデ、聞こうとしない姿勢の相手というハンデ、
それを伝えようとするのだから、もっと工夫しろと先生は言われるが、どうやって?

とにかく私は、出るものが弱いので「強く、もっと前に、もっと私に」と相手にアドバイスする。
そして私が声を届ける側の時、その「強く、前に、相手に」をやって見せようとしてしまったらしい。
初めて参加の女性が言う。
「ぽあんさんのは、すごく勢いはあるんですけど・・・何というか私を通り過ぎてる気がします。
 こう、ボワッと広がってるような」
「全身を使って伝えようとしてくれて、頑張ってる感じはとても伝わってきます」
「気持はすごくわかるんですが、声が聞こえるかということでいえば、届いていません。
 私の聞き方が悪いのかな。すみません・・・」
いいえ、あなたは悪くない。まさにその通り。
いつもいつも指摘される私の癖。バッチリ。
声を届ければいいだけなのに、どうして私は“声を届けようとしている私”を届けてしまうのか。
「私がこんなに頑張ってるのに、わかってよ!」との悲壮感をもって
過剰な演技で相手に気持ちを押しつけるのをやってしまっては、初対面の人にさえアッサリ見破られる。
アホだなぁ。

休憩時間に武禅の仲間に「まーた、やっちまったよ~」と話すと、大爆笑された。

岡山へ

朝7時に家を出て、義光さんと岡山に向かう。
道中、ずっと日野先生のこと、武禅のこと等で話は尽きない。

「よく私が武禅やワークショップに行くと話をすると、
 『それが何の役に立つの?』『何ができるようになった?』と聞かれるけれど、
 特に何の役に立つってもんでもないし、何もできるようにはならないんだよね。
 だから、なぜ行くのかを言葉で説明して理解してもらうのは難しい」
ということを言ったら、

「それわかる気がします。
 僕は登山が好きですけど、なぜ登るのかと問われたら答えはないかもしれない。
 きれいな景色が見たいでもない、いい空気でもない、おいしい弁当が食べたいでもない、
 鍛えるでもなく、先に何かの情報を得て期待して行くとそれほどでもない時も多い。
 でも、行かなきゃよかったと思うことはないし、ただ行きたいから行く。
 それに近いんじゃないですか?」
と義光さん。

そうかもしれない。
し、少し違うかもしれない。

ただひとつ確かなのは、行って実際に体験してみないことには始まらないということ。

日野晃ワークショップが他のセミナーやレッスンと違うのは、技術を教えてくれるわけではないという所。
資格的なノウハウや、すぐに実用できるテクニックを身につけようと行ってガッカリする人もいるのか、
集まる人数は毎回さほど増えてはいないようなのに、新しい人が多い。
「これは自分にとって必要だ!」と感じて食らいつくダンサーや役者、スポーツマンは、
メキメキと実力を付けていくというのに不思議なことではある。
この差は何だろう。

夢を見続けたいか、現実に生きるかの違いかな。
「考えるな、感じるんだ!」という感じ。

ダンサーでもアスリートでもない普通の主婦の私にも、もちろん必要だ。

明日から「日野晃ワークショップ in OKAYAMA」

明日から三日間、岡山ワークショップ。
Real Contact In OKAYAMA VOL.3

今回私は、かねてから「一度、日野晃という人と実際に会ってみたい」と熱望していて、
ようやくまとまった休みを取ることができた義光さんと一緒に車で向かう。

2月28日と3月4日に公演をひかえた「Real Contact 2010」のメンバーも参加すると聞くし、
これまで以上の熱さと深さが体感できること間違いなし。

岡山に集まる皆さん、よろしくお願いします。

ワークショップレポートもお楽しみに!! 
もちろんぽあん流、主観と独断と偏見バリバリのものになる予定です。(笑)

岡山ワークショップ表 岡山ワークショップ裏

1月の猫

第82回「武禅一の行」14─千年の孤独が教えてくれた事

武禅の最終日、最後のセクションでこの三日間の集大成が試される。

一人を残し全員が後ろを向いて座り、その一人が少し離れた所から誰かに狙いを定めて「オイッ!」。
全身全霊を込めて声を届ける。
そして狙った人だけが「自分が呼ばれた」と感じて手を挙げたらOK。
その人が手を挙げても、違う人も手を挙げてたらダメ。
わかり難い人もいるので、ターゲットは次々に変えてもいい。
だから声が遠いと油断してたら自分に来てるということもある。
声を届ける方も、声を受ける方も、神経を研ぎ澄ませて向かい合う張り詰めた時間。
武禅最大の難関。

もう何度もやっているのに、私はこの意味がこれまで何もわかっていなかったと知る事になった。

声を届ける、伝える、触れる、やってるつもりでやってない。やってないことすら気づいていない。
そんな段階では、これはただの「当てもの」にしかすぎない。
当たったか、外れたか。
自分が上手く出来たか出来なかったかだけが問題なのなら、そこに他の人間がいる意味は無い。

武禅は、ゲームの腕を磨くためのものでも、物を動かす超能力を身につけるためのものでもない。
これまでの稽古で何をやってきたかを考えれば至極当然なのだが、
どうも私は目的をはきちがえていたようなのだ。
「私が」成功しなくてはいけないのだと。

前々回、私の「オイッ!」が一回で届いたということがあった。
それは本当に集中できてスコーンと気持ちよく声が前に飛んでいった感覚があったので、
相手が手を挙げてくれた時、「やった~!」と私は飛び上がって喜んだものだった。
しかし、先生はなぜか苦々しい顔。
後日レポートが届いて、その理由を知った。
そこにはこう書かれてあった。
「なぜ、そこで受けてくれた人に『ありがとう』がなかったのですか」
これは、痛い。痛すぎる。。。

そういった反省も踏まえての今回。
さあ、届かせるぞ!と気合を入れて、「オイッ」
ダメだ。届かない。
もう一度、「オイッ」しまった広がった。
狙いを定めて、「オイッ」
あの人に、「オイッ」・・・次はこの人に、「オイッ」
気持ちを落ち着けて、「オイッ」・・・集中して~、「オイッ」
「オイッ」・・・・「オイッ」・・・「オイッ」・・・・

やれどもやれども、まったくの空振り。狙った人じゃない人ばかりが手を挙げる。
一度に何人かが挙げるか、まったく誰も反応なしか。
「オイッ!」・・・・「オイッ!!」・・・「オイッ!!!」
祈るような気持ちで続けるが変わらない。もう何十分、やっているだろうか。
こんなことは初めてだった。
今回、私の前までは皆スムーズに何度かですぐ交代と流れていたのに、なぜ急に?
焦っても、頑張っても、どうしても狙った人に届かない。

やがて声も嗄れてくるけれど、それよりなによりこれほど長い時間我慢して、
一所懸命に私の声を聞こうとしてくれている皆に悪いという思いで一杯になる。
私が「オイッ」と言うたびに、狙った人でなくても誰かが「自分ではないか」と手を挙げてくれる。
挙げない人も、間違って邪魔をしないようにと慎重に集中して聞き分けようとしてくれている。
全員が、私の声をじっと待って。
その有難さ。
そして、ようやく一人の人が手を挙げて終わることができた時、
皆の暖かい拍手の中、達成感や嬉しさよりもただただ感謝の気持ちで溢れていた。

「ありがとう」が心の底から湧き上がって来るのがこれほどまでに満ち足りたものだとは。
なぜ私は気づかずにいたのだろう。
本当に見たら、聞いたら、やったら感じることだったのに。

出来ない事が出来るようになるために稽古をしてる。
それはもちろんそうなのだけれど、簡単にいったのでは決して気づけなかったことが、
上手くいかない苦しさの中でクリアになってくることもある。

一人、いくら呼んでも呼んでも相手には届かない辛さ。
これは何も私だけが味わったものではなく、武禅の常連であれば誰もが一度は経験している事らしい。
誰が名づけたか、「千年の孤独」と言うのだとか。
あの時間の永さ、あの寂しさを端的に表したピッタリのネーミングだと思う。

「千年の孤独」も、決して独りでは知ることはできなかったという幸せ。
プロフィール

ぽあん

Author:ぽあん
広島在住。
のんびりとやりたい事だけして
暮らしています。
座右の銘は「ケ・セラ・セラ」。

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