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声の出ない子ども達

日曜日に中学校の文化祭があった。
私は月1である地域の公園作り会議出席のため、午前中はパス。
長男のクラスの劇は見られなかったが、長女の発表は午後なので見ることが出来た。

1年生と2年生は全クラス合唱。
はじまって一声聞いて「なにこれ?」と呆れてしまった。
ちょっと今年は酷すぎる。

「やる気あるのか? それで練習をしてきたわけ?」
と野次を飛ばしたくなるぐらい、聞いてて腹が立つような有様だったからだ。

下手なら下手でも声を揃えて歌いさえすればそれなりに聞こえるもの。(SMAPがいい例)
まったく声が出ていないし、わずかに歌っている子もてんでバラバラに雑な歌い方。
まだ幼稚園のお遊戯の方がマシというもの。
これが中学生なのか・・・・とガックリ。
他の保護者がどう思ったか知らないが。

最後に学年ごとに最優秀クラスが選ばれたが、単に少しでも声が大きかった組という感じ。
発表された瞬間、歌では男子の声しか聞こえなかったクラスの女子が
「キャー、ヤッター」と飛び上がって喜んでいるのだから、バカらしくなる。

本当なら、下手クソに下手なんだと教えるために、評価などしてやるべきではないと思うが、
公開された文化祭ともなると学校側もそういうわけにもいかないのだろう。
それにしても、自分が努力もしてないのに点をもらって嬉しいとはね。

他の人が歌わないから自分も歌わない。そんな精神の子が多い。
やっても別にいい事ない。やらなくても皆サボってるから嫌な思いをしない。
だったらやらない方がトク。そういった雰囲気。
いつかの記事にも書いたが、最近の子は、目立たないように失敗しないように楽なようにと
一度しかない青春を浪費している。勿体ないことだ。

娘の合唱の時、夫と義光さんが体育館の一番後ろで立って聞いていた。
クラス全員が歌っていたのに、「アリスの声だけが聞こえてた」と言う。
後で他のお母さん方も「アリスちゃんすごいね」と言ってくれて親として嬉しいのは確かなのだが、
別に彼女は声量があるわけでもないし、頑張って張り上げてたわけでもなくて、
普通にただまっすぐ歌っていただけなので、なんだか複雑な気分。
その場でやるべき事を精一杯する。当たり前のことなのに。

今は「情熱を燃やせ!」とかの泥臭いことは流行らないにしても、
子ども達にもう少しエネルギーを出させることはできないものだろうか。
地球の資源は省エネモードでいいけれど、人間は出せば出すほど湧いて来るんだから。

2009年11月03日 子育て・自分育て トラックバック:0 コメント:2

第82回「武禅一の行」7─反省しない

行きの車の中でどういう話の流れだったか、「先生は反省をしないから」という話になった。
先生は失敗しても、不備があっても、絶対に反省しないらしい。
それは何となく「らしい」感じがする。
「あの時ああだったら」「こうしておけば」なんて言葉が先生の口から出るところを想像できない。
たとえ「お前ああいう時はこうするもんやで」と他人に反省を促すようなことは、
容赦なくジャンジャン言ったとしても。だ。

リビングに集まって雑談をしていると、これまたどういう流れだったか
先生から「オレは反省なんかせんで」という言葉が飛び出したので、車組、一斉に笑う。
「出た〜」「やっぱり〜」って感じで。
特にSさん。これでスイッチ入ったから今回笑いっぱなしだったんじゃないかな。

だけどこの「反省しない」というのは、本当に大切なことを的確に表していると最近つくづく思う。

世の中にはいろんな言葉がある。
「自己肯定力を高める」「自己受容」「過去からの開放」「自分との和解」etc. 
そんな小難しい言葉で心理を分析するカウンセリングがもてはやされてもいるけれど、
そんなもの、「反省しない」の一言で塵と消えるぐらいのどうでもいいあやふやなものだ。
なんてったって、過去は全肯定なんだから。

世の中、「反省」ほど無駄なものはない。
「反省だけなら猿でもできる」というコピーが昔あったが、まさにその通り。
「反省してます」「ごめんなさい」など、
気持ちがなくても、理解してなくても口先だけでいくらだって言える。
皆、形や言葉が一番大切だと勘違いしているから、それがあると安心するだけ。
だからマスコミの前で謝罪する人の多いこと。
芸能人の涙のお詫び会見や、会社役員全員勢ぞろいで頭を下げて“けじめ”のつもりの
クソ白々しい三文芝居につきあわされるだけ時間の無駄だろうに。
責任追及の土下座コールにいったい何の意味があるというのか。
大人が子どもに「悪いことをしたら『ごめんなさい』でしょ」とやみくもに教えるもんだから、
子どもが謝っても許してくれない人を、「なぜ許さないんだ!」と攻撃するなんてこともある時代。

ぜんぶ反省さえすれば済む、と思われているのが間違いの元。
反省も謝罪も何の役にも立ちはしない。
過ちは消えてなくなりはしないし、やってしまったことが許されるはずもない。
本当に反省の気持ちがあるのなら、
クヨクヨ悩んだり、相手に気持ちを押し付けるよりすることがある。
なにしろ人生は短い、死んだら終わり。振り返って悩んでいる時間がもったいない。

済んだことはしゃあないやんけ。
そうなってるならしゃあないやんけ。
過去も現状も受け入れた上で、なら次はどうする?だ。

人の心と社会が健全に保つためにこれほどシンプルで的を得ている思想があるだろうか。

全国の学校の道徳の授業に取り入れてくれたらいいのに。
そうしたら、「うつ」なんて無駄なことやる人、ぐーんと減るだろうから。

2009年10月29日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:0

第82回「武禅一の行」6─向き合わない人への怒り

ムカつく人はどこにでもいる。

日常では、それをうまくカムフラージュして相手にも周囲にも悟られないようにしながら
距離を置いて付き合うということをしている。

距離を置くということは、仲良くはしないということだ。
大切な事は任せないし相談もしない。
面白い得になる情報があってもわざわざ教えない。
その人がいる場所にはなるべく近づかない。
どうしても避けられない用事がある時だけ、当たり障りなく無難に最小限度接するのみ。

誰もどうでもいい人間のために自分の気分を害したくはないから。

しかし、武禅では感情をストレートに表現しあうことも稽古の内。
だから、
「あなたのその顔、ムカつく!」というようなことを言われたりする。


今回も休憩時間、部屋の隅の数人が集まっているところからそんな声が漏れ聴こえてきた。
「おっ、なんだ?」
私のトラブル大好き野次馬アンテナが敏感に反応してすっ飛んで行く。

言われていたのは前々回の時も一緒した男性だった。
線が細くて気弱そうな彼は、確かにいつもオドオドして見えるという所がある。
長年の癖なのだろうが顔色をうかがうように相手を見るので、そこが他人の癇に障るのだ。
「ちゃんと向かい合ってくれない態度をされると腹が立つ!」ということで、
「その顔がムカつく」と言われていた。

私もその怒りはよくわかる。
以前、他の人にだが同じようなことを言ったこともある。
オドオドする人のオドオドがまず不快なのだが、それ以上に腹立たせてくれるのが、
こちらの反応にまったく無頓着なところ。
顔色をうかがっているのなら、その顔色に反応して機嫌を取るぐらいしてもよさそうなのだが、
そうはならない。
単にそれはポーズだけの、自分を守る“ガード”のつもりをやっているだけだからだ。
「私は弱者です」「私はこんなに頑張っています」の見せつけ。
それは逆の「私はこんなに強いんだ」「私はこんなに偉いんだ」「私こそが正しい」をやる人とも
まったく同じ。どちらも人をムカつかせるだけ。
作った顔と声でこちらに「こう思ってもらいたい」をやられると、ウンザリする。
何を要求してやがんだ!と。

・・・とまあ、そういうことなんだよね。


以前から私は「声を届ける」の時、先生に再々、「目をむくな」と注意を受けている。
それも実は同じことなのだ。
目が大きいからとか、つい力が入るといった事ではない。
今回もペアの人に「目が怖い」と言われてしまった。
そのまま鏡を見て、そこにあった演技過剰な自分の顔にガーン。
アーア、可哀想なぐらいよく頑張っちゃってるよ。「私を認めて〜」って。

確かにムカつくわ、この顔。
だけど自分だから距離を置くってわけにはいかないからね。
なんとかしてやんないと。

2009年10月29日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:0

第82回「武禅一の行」5─激しすぎるナマムギ合戦

声を届かせたいのに届かない。
いろいろと工夫して、変化させて、思いつく限りいろいろやるのに伝わらない。
煮詰まってくると、深刻さが増して雰囲気が重く暗くなってくる。
そうなるとエネルギーは弱まり、出るものも出ないという悪循環。

そんな時、先生は「ナマムギや!」と言われる。

「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ!」「となりの客は・・・」「1.2.3.4.5.・・・」
間髪入れずに交代で大声をただただ相手にぶつける。
ワーッと熱気が湧き上がってきて、頭の中は真っ白。
「もっと」と言われれば、「もっとやったろかい!」な気になって、
もう届くとか届かないとか、どんな表情とか、どんな格好とかどうでもいい。
とにかくなにがなんでも「ナマムギ ナマゴメ ナマタマゴ!」。

その後に、また正面を合わせるとわかりやすくなったり、
「こんにちは」もどうしてあんなに悩んでいたのかと思うぐらい
雰囲気がガラッと変わって届きやすくなる。
やはり、何でも良いからエネルギーを「出す」ということが大切だ。

武禅で一番盛り上がるのは、なんといっても全員でやる「ナマムギ」だろう。
円座に椅子に座って一人ずつ誰でもいいから指差しで「ナマムギ ナマゴメ・・・」。
言われた人はまた別の人に今度は「となりの・・・」、またその人が「1.2.3.4・・・」。
これの面白いのは、言われた人に言い返してもいいところ。
「ナマムギ・・・」と言われたら「ナマムギ・・・」と返す。
だから気が弱い人は、何人にも言い返されてずっとオニをやり続けることになる。
別に勝ち負けを競うわけではないのだが、それは何となく悔しくてどうにかして押し切りたい。
そうしてドンドン激化していく、という仕組みだ。

これまでも相当激しくて、噛み付かんばかりの形相の顔を突き合わせたり、
興奮してきたら大声だけじゃなく、肩でグイグイ押してひっくり返りそうになったりとかあったのだが、
今回はそれに輪をかけての大乱戦で、かつてないほどの壮絶なものとなった。
「ナマムギ」がランダムに飛び交ううちに皆が熱を帯びてピークの中、
一人が「絶対に引かない!」との闘志をむき出しにしてぶつけてきた「ナマムギ」は、
そのまま相手の意地を掻き立て、まさに修羅場と化したのだ。
もう、声を届けるとかじゃないから。
エネルギーを出すとか伝わるとかそんな問題じゃなく、力ずくの荒業勝負。
それも、一人は長く日野武道を続けている武禅の大先輩の男性だが、もう一人は初参加の女性なのに。
その女性が押して押して追い掛け回して飛びついて首をひっつかまえて倒した上に馬乗りになって押さえ込んでこれでもかこれでもかの「ナマムギ」(この時は「隣の客は・・・」)なんだから。
スッゴイよ。
凶器が転げまわってるような中、もちろん見ているほうも巻きこまれてエキサーイティング。
ずっと笑いすぎてお腹が痛いわ涙は出るわで、もう最高。
こんなことになろうとは。

いつの間にか私は、これはこういうものなんて限界を決めていたのかもしれないなと思う。
場や関係は生き物だから、人が違えば全然違うものになってしまうってことを
こんなにもありありと見せてもらって気付く。

それにしても「ナマムギ」は奥が深いよ。

2009年10月29日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:0

第82回「武禅一の行」4─私は虐めっ子?

「気持ちの悪い人ですね」

「嫌われますよ」

「あなた、モテないでしょ。そんな顔してるもんね」

「ヤダー、絶対、周囲の人達に陰で悪口言われて笑われてるって」


日常の生活の中で大っぴらに他人にこんなことを言う人はあまりいない。
もしも言えば、それはイジメってことになるだろう。

だけど、私は武禅でこんな言葉をポンポン言いまくっている。
それは、
本当にそう感じるんだもの。

死んだような目をして、何をどうしたいのかはっきりしないくせに、
こっちに「わかってヨ」みたいな同情を求めてくる演技過剰の“察してちゃん”を見せられると、
気色悪いし、滑稽過ぎてナンジャラホイ、だ。

「『こんにちは』は、『こんにちは』でしょ!余計な物はいらない!」

「いちいち『どう?』ってな目をしないで!」

「そんな『ナマムギ』に悲壮感漂わせてどうすんの?」

好き放題、他人に言う。突っ込みまくる。見えるままを。

もちろん、私がそれをクリアしてるから上から言えるというわけではない。
私も言われる。
同じことを。
だって、まんま同じ事をしているのだから。

他人のことはよく見える。
自分のことはわからない。
だから、教え合わなくてはね。

問答無用で真剣で後ろからバッサリ斬られる社会よりずっと安全な、ここ稽古場で。

2009年10月29日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:0

マイバイブル完成!

自他とも認める日野晃フリークの私。
日野先生のものなら何でも集めたいのだけれど、唯一入手できなかった本がある。
「常識を打ち破れ、行動を起こせ!」(日新報道 :1996/08)
これだけが古本でもオークションでも、どうしても手に入らない。
ちょっと前はアマゾンで中古本が15,000円で出ていて、迷っているうちに売れてしまった。
それからどこにも出回らない。(今はまた9,600円で出ていた)
読めないとなると、メチャクチャ読みたいもの。
武禅に行った時、リビングにある本箱にお目当ての本を発見したので
「貸してください!」と頼み込んだところ、先生が快くお貸しくださった。
この本は、先生が一番最初に出版された本で、「とてもいい本だ」とのこと。
本からテキスト起こして自分用にプリントしようと思っていたら、なんとなんと、
執筆された時のテキストデータのフロッピーまで貸していただけるとは。
うゎ〜い、うゎ〜い! 嬉しいったらない。
大事に大事に持って帰ってフロッピーを開けて本と比べてみると、「あれっ?」と思うことが。
本の方は11章からなっているのに、データでは14章になっている。
先生のHPにあった目次通り? おおっ、これはラッキーかも。
ということで、
折角なので「恋愛」と「勉強」と「子育て」の章も含めてきちんと本にしてみた。
それがこれ。ジャーン。 (後ろのはお借りしている先生の本)
常識を打ち破れ もくじ
表紙に「完全版」なんて入れたりしたけど、実は私のミスでちょっとばかし不完全かも・・・
でも、一冊3650円。アマゾンで買うより安くついちゃった。
本当にこれは「いい本」だと思う。日野先生の哲学の基本がほとんどここにある、って感じで。
ずっと手元に置いて、何度も読み返すんだ〜。バンザーイ!!!

本が手に入らない人にも朗報。
「常識を打ち破れ、行動を起こせ!」は、加筆して新しく出版の予定もあるそうです。
もちろん私はそれも絶対に買う。

2009年10月28日 日野先生と武禅 トラックバック:0 コメント:4

メロンパン

メロンパン
メロンパン成功!
甘くて口の中でモロモロとして、耳の部分もとても美味しかった。
でも、バターを80グラムも使用。
身体とお財布の健康のため、作るのはたまーにしておかねば。

お餅も上出来で、つきたてを「あべかわ」にして食べた。
お正月はこれでイケル。

次はパスタやってみるか。

2009年10月28日 手作りの暮らし トラックバック:0 コメント:4

世界で一番不幸な女にお恵みを

TVタックルを見ていたら、「子育て手当」について論じていた。

いろいろな意見があっていいとは思うが、あまりに極端な人を出してくるのはどうだろう。
かえって問題点がボヤける気がするが。

配偶者控除がなくなると困る専業主婦の代表として、
なぜ不妊治療中の女性なのか。

彼女はこの四年間で不妊治療に約800万円を使っている。
治療に時間をとられるため働きたくとも働きに出られず、生活はギリギリだという。
だから、配偶者控除がなくなると困ると訴える。
「子どもを持ちたくても持てない私のような人間はどうなるんですか?
 子どもを持っている人だけが優遇されるなんて、そんなの不公平です」
震える涙声。

深刻な暗い顔で黙り込むスタジオの論客たち。テレビの人達は誰も突っ込まない。

バカらしい。
なんでこんなくだらない番組作りをするのだろう。
腹が立ってワナワナしてしまう。

四年で800万円ということは、平均して年に200万円が消えているということだが、
年収200万円以下で生活している母子家庭なんか、わんさかあるってのに。
不妊治療より子育ての方がどれだけ時間をとられるか。
どれほど自由にならないか、忙しいか、心配なことが多いか。
それでも皆、働いている。
働かなきゃ喰っていけないからだ。
病気治療をしながら子育てしている人もいる。
子どもが病気の人もいる。
親の介護と子育てと同時にやらなきゃいけない人もいる。

だから何だってんだ!!

また、
「『子どもを産んだらお金をあげる』と言われているみたいで不快だ。女性をバカにしている」
などと言う女性もいる。

民主党の子育て支援がいろいろな問題をはらんでいるのはわかるが、
それならそんな風に心が傷ついてしまうナイーブな人達は、どうあれば満足だと言うのだろう。

子育て支援の前に、不妊夫婦に国から治療費として助成せよと言いたいのか?
「子どもがいてもいなくても女の人の価値は変わらないよ」と言って欲しいのか?
「女性が子どもを持てないのは政治が悪いせいだ」と男性議員に土下座でもしてもらいたいのか?

「私の苦しさをわかって!」と、いったい誰に言ってるの?
こんな意見を選んで電波に乗せる意味は?

子育て中の家庭に少しばかりお金が入るかもしれないということが、
それほどまでに面白くない人達は、自分が子育てする立場になっても同じ事を言うのだろうか。

「不妊で苦しんでいる人に対して不公平だから子育て手当はいりません」
「国のために子どもを産んだんじゃないから、受け取る理由がないです」 と?

頭を冷やせよ。
自分で自分の首を絞めてるぞ。
不幸な被害者になる自虐がそんなに好きなのかねぇ。

世界で一番哀れな女に、国家予算で子どもを授けるプロジェクトでも組んでやってくれよ。
不妊治療のエキスパートをかき集めて最新鋭の技術導入して。
もーこの際、何億かかってもかまわないからさ。
なんたって、日本の専業主婦の代表様だ。

と、無責任なことならいくらでも言えるのが、平の一般市民の特権だよ。(笑)

2009年10月27日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0

昨日の記憶

夜、菓子を食べながら家族団欒。
何か面白いテレビ番組はないかと点けると、ちょうど、映画「明日の記憶」が始まったところだった。
これはDVDで以前見たことがあった。
「いい映画だったよね」「最後の山に行くところ」
「奥さんと出会ってももわからなかったのが悲しかった・・・」そんな会話をする。

するとふいに長男が言いだした。
「お母さん、俺ら、よう介護とかできんけえ、あんなふうにならんどいいてよ」
続いて長女や次男まで。
「絶対に嫌だから」「いっそ死んでほしい」「うん、生きてたら迷惑だ」などと言い出す。
「だって、子どもまで忘れて誰だかわからなくなるってことは、もう別の人間だから。
 何のための介護?って気になるじゃない」
「だから、ならないでね!」となぜか怒ったような口調。

冷たいことを言う、と思いながらも私は反応ができないで黙る。
ここは親としてガツンと怒るところかもしれない。
または、どれだけ自分が悲しい気持ちになるか言うべきかもしれない。
だけど私はそのどちらもできない。

「こればっかりはなろうと思ってなるんじゃないから、なったら仕方ないねー」と一言。

次男はちょっと良心が痛んだのか、
「そのかわりもし、俺がそんな状態になったら殺していいから」とか言う。

「そぉ?・・・」と、これにも曖昧に返す。ほんと馬鹿なんだから、と思いながらも。

重い重い蓋が乗っかってて身動きがとれない気分。

遠い昔、私が親に言って悲しませた言葉。
そのまた昔、私が親に言われて悲しかった言葉。
なんで私が全部丸ごと飲み込んでいまだに抱えていなければいけないんだろう。

アルツハイマーになるのは嫌だが、要らない記憶だけ選んで消せればどんなにいいことか、
と、そんなことを思う。

2009年10月26日 体感・心感の日々 トラックバック:0 コメント:0

自家製パンの朝

手作りパンは安心だし美味しいのは確か。
発酵する過程はどこか科学の実験みたいだし、膨らみ方や色のつき方なども楽しめる。
だけど、
とにかく面倒くさい。
粉だらけになって散らかるし、時間もかかる。
そんなわけで、
やる時はやるけど、やらなくなったらとことんやらない私はしばらくパン作りから離れていた。
「いつか、ホームベーカリーを買うぞ〜」と思いながらも、なかなか決心つかずに。
SD-BM152-H_359812[1]

でも、ついに買っちゃった

もちろん、最高級品でさぁね。
パナソニック 1.5斤タイプ 自動ホームベーカリー SD-BM152
おもちもうどんもできるという優れもの。

「買うとしたらこれ!」と決めてはいたけれど、
「もっと安いのもあるからな・・・」とイマイチ踏み切れなかった背中を
ポン、と押してくれたのが和子先生。

焼いていただいたパンの美味しかったこと。
ふかふかのきめ細やかでナッツの香りと味がこれまたGOODなところにもってきて厚切りのバターを乗せてバクッとしたらウマウマのホッペ落ちそーになっておもわず「もう一つ食べていいですか?」になってしまうようなパンだったんだから。

帰ってすぐに通販で購入。
翌々日に到着して、それからずっと自家製パンの朝。
まだきめが荒くて和子先生のパンには遠く及ばないが、それでも子どもたちは喜んでくれている。

ブドウパンばかりだと飽きてきたので、今朝はウインナーパンにしてみた。
説明書のレシピにちょこっとマヨネーズインをプラスして成功は成功だけど、
丸く成形してオーブンで焼いたほうが見た目はよかったな。マヨネーズももっと使えるし。
パン1 パン2
明日はメロンパン作ってみる。

2009年10月24日 手作りの暮らし トラックバック:0 コメント:4